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2015年4月24日金曜日

《症状のない主体はない》(ラカン)

まず、〈ラカン派の「主体の解任destitution subjective」をめぐって〉より、最晩年のラカンの精神分析治療の根本的態度変更とも解釈される言葉を再掲する。

分析は突きつめすぎるには及ばない。分析主体analysant(患者)が自分は生きていて幸福だと思えば、それで十分だ。〔Une analyse n'a pas à être poussée trop loin. Quand l'analysant pense qu'il est heureux de vivre, c'est assez.〕(ラカン “Conférences aux USA,” Scilicet 6/7 (1976))

次に、米国哲学教師であるLevi Bryant――ドゥルーズ、ラカン、ランシエール、ジジェク等が研究対象であるーーの名高いブログから、「On The Symptom Posted by larvalsubjects」の一部を私訳する。

ジャック=アラン・ミレールが注釈しているが、「ボロメオの結び目」から「ラカンの結び目」への移行は、ラカンの症状についての思考における根底的な移行である。というのは、今や我々は、症状の一般的な理論を持つことになるからだ。この理論は、あたかも全てが症状になるかのようであり、そこでは「父の諸名」(複数の父の名)も含んで、症状なのだ。『セミネール23』(サントームのセミネール)でのこの展開の前奏として、『セミネール22』(RSI)にて、ラカンはこう宣言している、《症状のない主体はない》と。この新しい症候学は、現在までのところ、ほとんど未開拓のままであり、実りある臨床と理論上の仕事においての、(今後の)肥沃な土地である。伝統的な精神療法の取り組みとは異なり、ラカンは、フロイトと同様に、症状はひとつの解決法であり、満足の形式であるとのテーゼで始める。症状は、主体が正常さを得るのを邪魔する外部からの侵入物ではない。薬物を通して治療する病気でもない。この点に関して、「正常な」あるいは「健康な」主体は存在しない。そして精神分析の目標は、誰かを、神経症、倒錯、あるいは精神病から治療することであるなどと信じるのは、間違っている。これらは、主体の〈他者〉と享楽への関係のあり方と定義できる主体性の根底的なスタンスなのであり、病気ではない。


ところで、「症状」とは何でかったか。まずはよく知られているのは、ヒステリー転換症状(身体に転換された症状であり、チック症状なども含まれる)や、強迫神経症の強迫症状であろう。

前者は、DSMにより「ヒステリー」が死語になったので、現在は転換性障害と呼ばれる。

転換性障害の症状(……)、腕や脚の麻痺、体の一部の感覚喪失などは、神経系の機能不全を示唆するものです。他の症状として、発作、視覚や聴覚などの特定の感覚の喪失といったものもあります。(「転換性障害」)

わたくしは、強迫症状(強迫性障害)について、かつて岸田秀の『フロイドを読む』にて知って、--岸田氏は自らの強迫症状の起源・展開等を書き綴っているーーひどく興味を覚えたことがある。

本書は変な人が変な人について書いたものである。わたしと同じように、変な人の症例を読むのが好きな人たちに読んでもらえばさいわいである。(岸田秀「あとがき」より)

いまでは古くなっている箇所もあるが、とはいえ、なまはんかな小説よりはずっと面白い。わたくしには強迫症状はないつもりだが、別の変な症状が、若年時にあった。それゆえ、いっそう関心を覚えたのだろう。

強迫神経症、その他の「症状」については、フロイトの『制止、症状、不安』(1926)などに詳しい(山竹伸二氏のまとめがある)。

このフロイトの論文のまとめにわずかに触れられている最も重要な指摘だと思われる箇所、《症状形成はすべて不安を避けるために企てられたもの》をめぐって、もうすこし抜き出そう。

われわれは不安の発展を危険状況によるものとしたが、これからさらにすすんで、症状は自我が危険状況からまぬかれるためにつくられるといいたい。症状形成がさまたげられると、じっさいに危険がおそってくる。(……)

症状の形成は、危険な状況をすてさるという実際の効果をもっている。症状形成には二つの面があり、一つはわれわれには秘密のままで、エスの中にある変化を起こし、この変化によって自我が危険をまぬがれるという面であり、他はわれわれにむけられた面であり、影響をこうむった衝動過程のかわりにつくりだしたところの代理の形成である。

ところで、もっと正確に表現するとすれば、ちょうどいま症状形成についてのべたことを、防衛過程に帰さなければならないし、症状形成という言葉自体を代理形成の同義語としてもちいなければなるまい。そうすると防衛の過程は、逃避と類似のものであることが明らかである。逃避とは、自我が外界のさしせまった危険からまぬかれる手段であるが、防衛過程もまた、衝動の危険からの逃避の試みといえる。(フロイト『制止、症状、不安』フロイト著作集6 pp358-359)

次に、臨床医は、患者の症状とどのように対面するかをめぐり、ベルギーの気鋭の精神分析医ポール・ヴェルハーゲーー日本では殆ど知られていないが、すくなくとも英語圏では、現在フロイト・ラカンの代表的な論客の一人であるーーのまだ若かりし頃の論から引用することにする。1994年の論文であり、1955年生まれのヴェルハーゲの39歳時に書かれたものということになる。

よくある臨床状況から始める。患者は、耐えられなくなった症状があるために、我々のもとに訪れてくる。ヒステリーの文脈内では、この症状は殆どあらゆるものであり得る、古典的な転換症状からはじめて、恐怖症の訴え、性的/関係性的問題、そして最後にはもっと漠然とした憂鬱や不満の訴えである。

患者は治療者に自らの問題を提示する。そして標準的な期待は、治療の努力によって、症状が消滅し、かつstatus quo ante、すなわち以前の健康な状態に戻ることだとされる。これは勿論、とてもナイーヴな観点である。なぜひどくナイーヴであるかといえば、注目すべき小さな事実を考慮していないからだ。その事実とは、大抵の場合、症状は急性なものではなく、反対に、むしろ古くからの、何月も前からの、ときには何年も前からのものでさえあるということだ。

そのとき訊ねるべき問いは、勿論、なぜ患者はこの今、訪れたのか、なぜもっと早く来なかったのか、ということである。人はこの状況を観察すれば、常に同じ答えを見出すだろう、すなわち、主体にとって何かが変化し、その結果、症状はその正しい機能を失った、と。

症状が、いかに苦しく或いはいかに無価値なものであろうと、明らかなことは、この変化以前は、症状は主体にとってある種の安定化を確保してくれるものだったということだ。この安定化の機能が故障したときのみ、主体は助けを求めるのだ。これが、ラカンが治療者は患者に彼の現実に順応させようとすべきではないと述べた理由である。反対に、患者はすでにあまりにも順応し過ぎているのだ。というのは、患者はまさに現実の構築にいそしんでいるのだから。

この点で、我々はフロイトの重要な発見のひとつに出会う。それは、どの症状も先ずは回復の試みだということだ。一定の心理構造の安定化を確保する試みなのである。この意味で、我々は患者の期待を言い換えねばならない。彼は症状の消滅を求めているのではない、否、彼はただ症状の元々の安定化機能を修復して欲しいのだ、その機能は状況の変化のせいで故障してしまっているのだから、と。

これがフロイトがひどく奇妙な考え方、奇妙というのは、上で言及したナイーヴな観点の下ではだが、すなわち「健康への逃避flight into health」という考え方を提示した理由である。この表現は鼠男のケーススタディに見られる。治療者はまだ始めたばかりで、いくらかの成果しかない。そして患者は中断する決心をする。彼は遥かに改善していると感じるからだ。症状そのものはほとんど変化していないが、見たところ、それは患者を悩ましていない。ただ驚いた治療者を悩ますだけである。(Paul Verhaeghe,PSYCHOTHERAPY, PSYCHOANALYSIS AND HYSTERIA)

さて、今でもナイーヴな臨床家たちはいないだろうか。精神科医はいざしらず、心理療法士と呼ばれる種族には、おどろくべきナイーヴさを呈した発言がツイッター上で見られるが、ここでそのツイートを掲げるのは遠慮しておこう。かわりに標準的な心理学者(あるいは精神科医でさえも)とフロイト・ラカン派を中心にする「症状」への姿勢の相違を指摘する次の文を掲げておこう。

医療診断学において、症状は、底に横たわる傷害を指し示す記号として解釈される。その記号は、孤立化されると同時に一般化される。臨床的な精神診断学においては、われわれはシニフィアンに直面する。そのシニフィアンは、患者と〈他者〉とのあいだのその折々に見合った相互作用において絶え間なく移動する意味をもっている。(……)

臨床的な精神診断学の問いは、「この患者はどんな病気を持っているか?」というものではそれほどなく、むしろ「この症状は誰に、何に、差し向けられているのか?」というものである。底に横たわる、しかし目に見えない構造――患者に交差するすべてを決定する構造――があるに違いないというものである。

医療診断学は特定化(症状symptom)から始め、一般化に向かう(症候群syndrome)。それは、個々人の苦情に完全に焦点を絞った記号的なシステムsemiotic systemを基礎としている。臨床的な精神診断学は一般(化)(始まりの苦情)から始めて、個別化(N = 1)に進んで行く。それは、主体と〈他者〉とのあいだのより広い関係性の部分であるシニフィアンのシステムを基礎としている。(Paul Verhaeghe, On Being Normal and Other Disorders A Manual for Clinical Psychodiagnostics 私訳ーーラカン派の「記号」と「シニフィアン」)

ーーこれがフロイト・ラカン派でも実際このようなものなのかどうかは、シロウトの身として知るところではない。とはいえ(すこし前の叙述の文脈に戻るが)、症状が人の心理構造に安定化を与えるものであり、とりのぞくべきものではない場合があるという知見を得るには、なにもフロイト・ラカン派である必要はまったくない。ここで、わが国の最も優れた精神科医の一人であるに相違ない中井久夫の論からも抜き出しておこう。

医者にとって症状とは先ず診断の目安である。だからいろんな次元のものが混じっている。もう一つ、本来は診断の目安としての症状と治療の目的としての症状とは違うものなのだろう。双方は一致することも多いだろう。しかし、いちおう区別しておこう。

治療の目安としての症状は、第一に、それのあるなしが、病気がどこまで回復したかを教えてくれるものである。第二に、それがどの程度必要かどうかを決めるのがよいだろう。症状は何でも目の敵にして消してしまわなければならないとは限らない。(……)

一般に症状とは無理にひっぺがすものではないように思う。幻聴でも、消えた後に空虚感、索漠感が残ることがある。幻聴を聞いている間はなかった「また幻聴が起こるのではないか」という恐怖と不安が起こってくることもある。幻聴の悪性度を減らし、いっぽうでそれが生活に占める比重を減らすような生活にして、なくなってもさびしくないような心境になれば自然になくなることが少なくないように思う。(中井久夫「症状というもの」『アリアドネからの糸』所収)


…………


※附記:以下、文献として、「症状」に関係がありそうなものを、いままでの投稿から抜き出しておく。


症例ドラの象徴界/現実界(フロイト、ラカン)、あるいは「ふたつの無意識」(ヴェルハーゲ)」より転記(Lacan’s goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way.,Paul Verhaeghe and Frédéric Declercq 2002より).

純化された症状とは、象徴的成分から裸にされたもの、すなわち言語によって構成された無意識の外部にex-sist(外-存在)するものであり、対象aあるいは純粋な形での欲動である。

…purified symptom, that is, one stripped of its symbolic components – of what ex-sists outside the unconscious structured as a language: object a or the drive in its pure form. (Lacan, 1974-75, R.S.I., in Ornicar ?, 3, 1975)
ドラに関して(……)。フロイトによるドラ分析の五十年後、Felix Deutschが出版した後書きによれば、もともとの症状――カタル、神経性の咳、失声症――は、原初の形態に戻ってしまった。明らかに、フロイトがドラになした限定された分析は、彼女の症候の象徴界的素材を取り除くのに充分だったが、主体と口唇欲動のあいだの関係には触れ得なかった。結果として、口唇欲動は、シニフィアンの鎖のなかに再挿入されたのである。(ヴェルハーゲ)

ーーここでのthe Symbolic象徴界とは、ポール・ヴェルハーゲ他の論において、象徴界/現実界が対比されており(参照:二種類の「症状symptom」(象徴界と現実界)と「サントームsinthome」)、そこでは、そもそも精神分析は、象徴界の治療しかできず、現実界には触れえない、という論旨をもっている。ドラの例だけではなく、狼男の例でも原初的な欲動(狼男の場合、肛門欲動)は取り除きえず、狼男は、晩年(七十七歳)までその欲動に囚われていたとのこと(欲動は、快原則の彼岸にあり、現実界である)。

フロイトによる無意識の発見以来、病理上の過程は「防衛」を基にして説明されるようになる。すなわち「抑圧」概念が特権的な場所を占めるようになる。だがフロイト以後、多かれ少なかれ忘れられてしまったのは、「抑圧」そのものが病因のダイナミズムにおける二次的な重要性しかないということだ。実際、抑圧は欲動に対する防衛的過程の苦心作elaborationでしかない。

フロイトはその理論のそもそもの最初から、症状には二重の構造があることを見分けていた。一方には欲動、他方にはプシケ(個人を動かす原動力としての心理的機構:引用者)である。ラカン派のタームでは、現実界と象徴界ということになる。これは、フロイトの最初のケーススタディであるドラの症例においてはっきりと現れている。この研究では、防衛理論についてはなにも言い添えていない。というのはすでに精神神経症psychoneurosisにかかわる以前の二つの論文で詳論されているからだ。このケーススタディの核心は、二重の構造にあると言うことができ、フロイトが焦点を当てるのは、現実界、すなわち欲動にかかわる要素、――フロイトが“Somatisches Entgegenkommen”と呼んだものーーだ。のちに『性欲論三篇』にて、「欲動の固着」と呼ばれるようになったものだ。この観点からは、ドラの転換性の症状は、ふたつの視点から研究することができる。象徴的なもの、すなわちシニフィアンあるいは心因性の代表象representation――抑圧されたものーー、そしてもうひとつは、現実界的なもの、すなわち欲動にかかわり、ドラのケースでは、口唇欲動ということになる。

この二重の構造の視点のもとでは、すべての症状は二様の方法で研究されなければならない。ラカンにとって、恐怖症と転換性の症状は、症状の形式的な外被に帰着する。すなわち、「それらの症状は欲動の現実界に象徴的な形式が与えられたもの」(Lacan, “De nos antécédents”, in Ecrits)ということになる。このように考えれば、症状とは享楽の現実界的核心のまわりに作り上げられた象徴的な構造物ということになる。フロイトの言葉なら、それは、「あたかも真珠貝がその周囲に真珠を造りだす砂粒のようなもの」(『あるヒステリー患者の分析の断片』:人文書院旧訳より抜き出している:引用者)。享楽の現実界は症状の地階あるいは根なのであり、象徴界は上部構造なのである。

精神分析による治療は抑圧を除去し、裸の欲動の固着を露わにする。これらの固着はもはやそれ自体としては変えようがない。身体の裁決は取り消しようがない。これは欲動の過程に向けた主体の立場としてはその限りではない。欲動の固着は覆すことができる。二つの可能性があるのだ。主体が以前に拒絶した享楽の形態を今は受け入れるか、あるいは、主体はその拒絶を肯定するか、の二つがある。

抑圧はすべて早期幼児期に起こる。それは未成熟な弱い自我の素朴な防衛手段である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も本能支配のためにそれを利用しようとするのである。新しい葛藤は、われわれのいい表わし方をもってすれば「後抑圧」Nachverdrangungによって解決されるというわけである。《……しかし分析は、一定の成熟に達して強化される自我に、かつて未成熟で弱い幼児的な自我が行った古い抑圧の訂正を試みさせるのである。抑圧のあるものは棄て去られ〔欲動は主体によって受け入れられる〕、あるものは承認されるが、もっと堅実な材料によって新しく構成される〔欲動はより断固たる方法で拒絶される〕》。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』旧訳からだが、亀甲括弧〔〕内はPaul Verhaeghe and Frédéric Declercqによる註釈)

この過程は、抑圧と症状形成の過程にはもはや属さない拒絶を必然的に伴う。「一言で言えば、分析は抑圧を有罪判決condemnationに変えるのである。」(フロイト『ある五歳男児の恐怖症分析』(少年ハンス)人文書院5 p273)

われわれが強調しなくてはならない事実とは、この主体の裁決は、純粋な形での欲動にのみ関わるということだ。すなわち、そのような裁決をすることが可能なためには、主体は直接的な方法で<対象a>に結びつかねばならない、分析過程において事態を成行きにまかせて純化の仕事を成就しなければならない。その意味するところは、まずは抑圧を取り除くこと、すなわち、症状から象徴的な要素を片づけ去らなければならない。従って、分析の手間を省いて直接に基礎的な原因、つまり欲動の根元に向かうことは不可能なのである。フロイトによるこの考え方への答は、オットー・ランクの提案への返答に見出すことができる。ランクの提案とは、出産外傷の原トラウマに直接に取り組むべきだというものだが、フロイトはそれに対し、「おそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合に、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すことだけに満足する、といってことになってしまうのではないか」(『終りになき分析と終りある分析』人文書院6 P378)と答えている。

ラカン理論における現実界と象徴界のあいだの関係は、いっそう首尾一貫した観点を提示してくれる。彼のジャー(壺)の隠喩は、ひとが分析の手間を省くことができないことの、より鮮明な例証となる(Lacan, The Ethics of Psychoanalysis : Seminar VII)。ラカンによれば、陶器作りのエッセンスは壺の面を形作ることではない。これらの面がまさに創り出すのは空虚なのであり、うつろの空間なのだ。壺は現実界における穴を入念に作り上げ探り当てる。このエラボレーション(練り上げること)とローカリゼーション(探り当てること)が、正統的な創造に相当する。精神病理学の症状とのこの類似性は、象徴界の星座の練磨を通してのみ欲動の現実界は現れるということだ。これが精神分析学が新しい主体を創造するという理由である。《われわれの理論は、自我の中に自然発生的にはけっして存在しえない状態、すなわち分析という操作を受けた人間と受けない人間とのあいだの本質的な相違が明らかにされるような状態を、新しくつくり出そうとする要求を掲げているのではなかろうか。》(『終りある分析と終わりなき分析』P387)

ーーこのヴェルハーゲの論旨であるなら、冒頭に掲げたラカンの《分析は突きつめすぎるには及ばない》という発言を安易に受け取ってはならないということになるのだろう。すくなくとも象徴界の症状は徹底分析して、壺作りによって現実界の穴を探り当てなければならない、と。そしてそこで出合った現実界の「症状」は、分析され得ないということになる。

これもラカン派内部でさえ、異なった見解があるだろうことは言うを俟たない(参照:「父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない」)。

あるいは、ミレール派(フロイトの大義派)のThomas Svolosによるサントーム小論(Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant)ならどうか(この論文は、2008年もしくは2009年に書かれているはずである)。

以下にある《S1とS2の関係から、S1と対象aの関係への移行》とは、おそらく旧来の象徴界の症状の徹底操作(幻想の横断)から、直接に現実界との症状へとの移行を取る態度だと憶測される。

サントームの臨床は、「普通の精神病」をもった主体の治療により大きな融通性をもたらしてくれる。排除の臨床では、治療は、父の名に錨を下ろした意味作用の流れに沿って方向づけられる。この臨床における享楽は、想像化された享楽imaginarized jouissanceであると、ミレールは特定する。すなわち象徴化の過程で避難させられた享楽だ、と。

反対に、サントームの臨床は、ラカンのララングによって示された方向に沿って組織される。それはシニフィアンと享楽のあいだの直接のリンクの上に築かれる。享楽の避難は、治療に効果を表す問題でありうるとはいえ、治療は意味作用や享楽の除去に向うだけではなく、意味作用と享楽のリンクに向かう。

エリック・ロランが特定するように、S1とS2の関係から、S1と対象aの関係への移行が、普通の精神病の臨床において決定的である。多くの治療において、享楽の量は元のままである(旧来のフロイトの概念を使用するなら)。とはいえ、精神病者は己れの享楽を飼い馴らす新しい方法を見出す。

主体のサントームは、主体の対象a、享楽の破片、彼の存在のサンブラン(見せかけ)に意味作用を持った同一化significatory identificationと繋がる。このサントームを以て、主体は享楽自体ーーしばしば、精神病者にとってひどく破壊的な享楽ーーを除去するわけではない。むしろ享楽と折り合いをつける方法を見出すのだ。サントームは、精神病者にとってのララングのクッションの綴じ目なのである。
サントームは主体にとって社会的紐帯以外の何ものでもない。神経症の場合、父の名としてのサントームである。その父の名は〈大他者〉を構造化するものであり、あるいは、フロイトの読解なら、社会と無意識を統御するエディプス王、それは言説を統制するアリストテレスのトポスのようなものである。

しかし、その大抵の一般形式においては、サントームは社会的紐帯を構築する。どの話す存在にとっても〈大他者〉は存在しないとはいえ、〈大他者〉のサンブラン(見せかけ)はある。これが主体が利用する〈大他者〉であり世界を捉えるものである。それは、神経症の幻想を通してであったり、精神病者の最も風変りな仕方であったりするが、それらのサントーム的な、かつサンブラン化された〈大他者〉の構造化、ひどく型に嵌らない、〈大他者〉ーートポスの王を統御するあり方。

この状況において、分析家は、主体に作用するひとつの〈大他者〉an Otherを利用することによって、ーーそのひとつの〈大他者〉とは主体のサントームにとってぴったりの〈大他者〉だがーー精神病者を手助けする相当の自由の範囲をもつ。精神病の主体にとっての〈大他者〉the Otherのサンブランの練り上げのこの過程は、治療の方向性にとって、異なる水準を構成する。

"普通の精神病"をテーマにしたパリの英語セミネールにての最も目を瞠る事例のいくつかにおいて、われわれはまさにこの過程を聞くことができた。すなわち、"彼自身の個人的神話の創造"、"〈大他者〉とのひとつの絆の創造"、"世界において交渉可能性を彼に与える象徴的な母体の創造"、"〈大他者〉の言説へ入り込むことを彼女に容認させること"、そして"ファミリーロマンスを構築"。実にサンブランへの〈大他者〉の全き脱実体化であり、それは精神病者にとっての新しい診断の俯瞰図であるだけでなく、治療における新しい可能性の地平である。(「ラカン派の二種類のサントーム・症状」より)

一読、上に引用したヴェルハーゲの見解と相反するようだが、しかしながら、そもそも現在の患者は、象徴界の症状ではなく、現実界の症状を抱えた者たちが多くなっているのではないか、とのヴェルハーゲの最近の指摘がある、《ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった》。とすれば、かつての《S1とS2の関係》ーー代表的なものは勿論、自由連想であるーーから、《S1と対象aの関係への移行》とは多かれ少なかれ必然的なのだろう。

◆Lecture in Dublin, 2008 (EISTEACH) A combination that has to fail: new patients, old therapists Paul Verhaeghe 

三十年ほど前に、私は最初の患者に出会った。私のうけた古典的な教育と訓練は、次のような臨床的特徴に廻り会うよう想定されていた。すなわち患者は、解釈されうる症状をもっており、これらの症状は意味溢れる構築物だということ。もっとも患者は防衛メカニズムのためにこの意味に気づいていないのだが。患者はこれらの症状がライフヒストリーに関連することに気づいていた。話すことによる治療の目標は、この関連の覆いを取り除くことだった。そうするのは、その裏に潜んだ葛藤が、他のよりより解決法を導き得るようにするためだった。そのうえ、相対的には陽性転移がやがて手助けしてくれた。これは1905年にフロイトによって提唱された、精神分析治療を成功させるための、基本的規準だった。要するに、古典的な精神分析の治療とは、古典的な精神神経症psychoneurosisに向けられたものである。私はここで強調しなくてはならない、接頭辞“精神”を。

現在、フロイトから百年経て、われわれはまったく異なった症状に直面している。恐怖症の構築のかわりに、パニック障害に出会う。転換症状のかわりに、身体化と摂食障害に出会う。アクティングアウトのかわりに、攻撃的な性的エンアクトメント(上演)に出会う、それはしばしば自傷行為と薬物乱用を伴っている。そのうえ、ヒストリゼーション(歴史化)等々はどこかに行ってしまった。個人のライフヒストリーのエラボレーション、そこにこれらの症状の場所や理由、意味を見出すようなものは、見つからないのだ。最後に、治療上の有効な協同関係はやってこない。その代りに、われわれは上の空の、無関心な態度に出会う。それは疑いの目と、通常は陰性転移を伴う。実際、そのような患者を、フロイトは拒絶しただろう。いささか誇張をもって言うなら、好ましく振舞う(行儀のよい)かつての精神神経症の患者はほとんどいなくなってしまった。これが、あなたがたが臨床診療の到るところで見出す現代の確信である。すなわち、われわれは新しい種類の症状、ことに、新しく取扱いが難しい患者に出会うのだ。(「フロイトの「現勢神経症Aktualneurose」概念をめぐる現代の新しい「症状」」より)