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2015年6月22日月曜日

無垢の視線という神話

私はそれを引用する
他人の言葉でも引用されたものは
すでに黄金化す
「植物の全体は溶ける
     その恩寵の温床から
           花々は生まれる」

ーー吉岡実「楽園」(『夏の宴』所収)

というわけで、ほとんど引用だけで、物申すことにする。

表題を「無垢の視線という神話」としたが、もちろん「無垢の耳の神話」としてもよい。

 かつて音楽は、まず人々の―特に作曲家の頭の中に存在すると考えられていた。音楽を書けば、聴覚を通して知覚される以前にそれを聞くことができると考えられていたんです。私は反対に、音が発せられる以前にはなにも聞こえないと考えています。ソルフェージュはまさに、音が発せられる以前に音を聞き取るようにする訓練なのです……。この訓練を受けると、人間は聾になるだけです。他のあれこれとかの音ではなく、決まったこの音あの音だけを受け入れられるよう訓練される。ソルフェージュを練習することは、まわりにある音は貧しいものだと先験的に決めてしまうことです。ですから〈具体音の〉ソルフェージュはありえない。あらゆるソルフェージュは必然的に、定義からして〈抽象的〉ですよ……。(ジョン・ケージ『小鳥たちのために』--聾になるための訓練

…………

繰り返すが、ヴィリリオを引くまでもなく科学技術の問題はきわめて重要だし、「あくまで現実的に何が可能かを見極めようとする工学的な思考」はとことん徹底されなければならない。しかし、それがすべてだ、それ以外のいわゆる哲学的(あるいはもっと広く人文学的)な思惟などと いうのはノンセンスな夢想に過ぎない、という実証主義的批判は、それ自体、大昔から繰り返されてきた紋切型に過ぎず、受け入れることができない。必要なのは、すべてを工学的思考に還元することではなく、人文学的なものを工学的に思考すると同時に工学的なものを人文学的に思考することなのだ。私は「事故の博物館」の頃から(いや、もっと以前から)現在にいたるまで、そのような立場を一貫して維持してきたつもりである。(浅田彰『続・憂国呆談』)

なぜ今はこのようなことをあまり言わなくなったのだろうか? 工学的な思考ばかりが猖獗するようになってしまったのか。浅田彰の視点からは、いま人気があるのだろう、「哲学者」國分功一郎氏でさえ「工学的」なところがあるようだ。

僕は國分功一郎というのに驚いたんだけど、「議会制民主主義には限界があるからデモや住民投票で補完しましょう」と。

21世紀にもなってそんなことを得々と言うか、と。あそこまでいくと、優等生どころかバカですね。(……)

住民投票による「来るべき民主主義」とか、おおむね情報社会工学ですむ話じゃないですか。哲学や思想というのは、何が可能で何が不可能かという前提そのものを考え直す試みなんで、可能な範囲での修正を目指すものじゃないはずです。(SPA 2014/2/11・18合併号

とすれば、どこにいってしまったのだろう、人文学的知は。

浅田彰)まあ、ヒュームからプラグマティズムに至るアングロ=サクソン的な伝統が再び優位になっているということでしょう。およそ、ファウンデーショナリズム(基礎付け主義)というのは、いわば神学の世俗化に過ぎず、有害でしかない。そのようなファウンデーションを自己言及的なパラドクスに追い込んで脱構築するなどと言っても、いわば否定神学的な観念の遊戯の域を出ない。そもそも、ファウンデーションなしに、複数の独立したゲームを並列的にプレイしてみて、それぞれがそこそこうまくいけばいいではないか、と。そういうローティ流のプラグマティズムが、いまもっとも支配的な哲学―――というか反哲学でしょう。それが人工知能論などから見た「心の社会」論などともフィットするわけですね(「共同討議:トラウマと解離」(斎藤環/中井久夫/浅田彰)「批評空間」2001Ⅲ-1)

《@masayachiba: 根源的な問いを多様に議論するのをやめ、人それぞれだからという配慮で踏み込まなくなるというのは、精神医学の領域ですでに起こった変化だ。文明全体がそういう方向に向かっていると思う。残される課題は「現実社会の苦痛にどう対処するか」だけ。そもそも苦痛とは何かという問いは悪しき迂回になる。》(千葉雅也)

ーーという流れの一環であることを知らないわけではないが、あまりにも「退行的な」言説が多すぎる(例えば、「東浩紀と川上量生の文系と理系を巡るやりとり」における川上氏の発言を見よ)。

以下、柄谷行人と蓮實重彦を並べる。すなわち上の浅田彰とともに、いわゆる「知的スノッブの三バカ」、「知的スターリニスト」(吉本隆明)トリオを揃い踏みさせてみる。やはり知的スターリニストがいまこそ必要ではないのか。

経験科学の真理にかんしては、「確証可能性」をあげる論理実証主義者(カルナップ)と「反証可能性」をとなえるポパーとのあいだに、有名な論争があった。ポパーの考えでは、科学法則はすべて帰納的な支持をもつ仮説でしかなく、観察によってそれと衝突する「否定的データ」が発見されると、その例を肯定的事例として証明できるような新しい包括的な理論が設定され、理論の転換がおこる。したがって、「否定的データ」の発見が科学の進歩や発展の原動力である。

ところが、T.クーンらに代表される近年の科学史家は、観察そのものが「理論」に依存していること、理論の優劣をはかる客観的基準としての「純粋無垢なデータ」が存在しないことを主張する。すなわち、経験的データが理論の真理性を保証しているのではなく、逆に経験的データこそ一つの「理論」の下で、すなわち認識論的パラダイムの下で見出される、と。そして、それが極端化されると、「真理」を決定するものはレトリックにほかならないということになる。

しかし、こうした考えは、それ自体、“事物”や“意味”は言語的あるいは理論的網目組織によって分節化されたものだという「形式主義」的観点にほかならない。しかも、このような科学史(メタ科学)的認識は、その対象、たとえば量子力学やサイバネティックスにもとづいている。科学史をそのように変化させたのは、すでに現代の科学が経験・データではなく知的構成(建築)にもとづくといわざるをえない事実であうる。科学史あるいはもっと広く思想史において用いられる理論的枠組(たとえば構造主義)は、科学自体から導入されている。この関係はのちに説明するように自己言及的である。すなわち、科学史あるいは思想史は、それが対象とするものに逆に属してしまうのであって、それらはけっして外在的、あるいは“超越的”(メタ)であることができない。同じことが、フランス的な文脈で語られたフーコーの“アルケオロジー”についてもあてはまる。「構造主義」を知における一つの徴候として読む「立場」は、超越的なものではありえず、それ自体「構造主義」に内属している。このような「不思議な円環」(ホッフシュタッター)を不可避的にするものをこそ、私は「形式化」とよぶのである。(柄谷行人『隠喩としての建築』P96-98)

しかし、それにしても教育する風景といったものについて語ることほど退屈なはなしもまたとあるまい。あたりに行きかっているあまたの言説は、ほどよく身支度を整えた自意識過剰の哲学的なそれから無邪気な日常的な会話にいたるまで、またとうぜんのことながら文学という誇らしげな言葉の群であろうと、そのことごとくがそれと意識されざる風景論を形成しているからである。あらゆる存在は、いまおしなべて饒舌なる風景論者であり、教育装置としての風景がその事実を自覚させまいとして躍起になって忘却機能を演じたてているのだ。誰もが風景について論じながら、その論議の対象が風景ではないと錯覚したり、また風景について語りながら自分だけはその風景の汚染をまぬがれているかに確信する術を風景によって教えこまれているかのようだ

たとえば、驚くべき杜撰さでトーマス・クーンによって提起されたあの「パラダイム」なる概念、とうぜんその杜撰さにふさわしい希薄さで無償の饒舌を煽りたてたあの概念が提起者自身によって曖昧に撤回されたり部分的修正をほどこされたりもしたにもかかわらず概念として文化の領域に居すわり続けてしまったのは、それが斬新で革命的な概念であったからではなく、もちろん退屈なる風景論の薄められた変奏にすぎなかったからだ。すくなくとも『科学革命の構造』に述べられている限りにおいて、「パラダイム」が教育装置として機能する風景の一つであることは誰の目にも明らかだ。「ある一時期に おけるある分野の歴史を細かく調べてみると、いろんな理論が概念や観測や装置に応用される際に、標準らしき一連の説明の仕方が繰り返されていることに気付 く。これらがその専門家集団のパラダイムであって、教科書や講義や実験指導の際に現れてくるものである」と述べるクーンは、そのパラダイムなるものの教育 装置の側面を強調しながらこう結んでいる。「それを学び実地に適用することによって、その集団のメンバーは仕事に習熟してゆく」。パラダイムなるものが教育装置として機能するといっても、それは、パラダイムが、特定の「知」をめぐる個々の規則だの仮説だのの総体として、解釈すべき風景 の合理的整合性を存在に納得させるからではなく、「知」の体系性と真実の客観性の確証以前に律する拘束力がそこにそなわっているからである。

クーンは、いうまでもなくこうした立場を科学的視点から提起しているわけで、思考の「制度」としてある科学が必然的に露呈せざるをえない「制度」性を強調しながら、科学の客観性への制度的信仰、ならびに科学の「知」的発展の連続性への制度的確信などを再審に付したという意味でまんざら無駄な議論だったわけでもなかろうと思う。だが、解釈される風景と解釈する視線という抽象的な対応性を超えて、解釈する視線が解釈される風景による解釈をすでに 蒙った解釈される視線でしかなく、つまり視線が世界の物語を語る話者である以前にそれじたいが物語の説話論的要素として風景の一部に分節化されてしまって おり、したがって視線が分節化する風景の物語は風景が分節化する視線の物語にそれと知らずに汚染しているということ、しかもその事実によって視線同士がた がいに確認しあう風景の解釈は、遂に風景が語る物語を超えることがないという視点は、なにも科学史という「知」の一領域に限らず、こんにち、「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている。それにもかかわらずクーンが提起したパラダイムの概念、およびそれが煽りたてたもろもろの議論に何がしかの意味があったとするなら、それは、科学の客観性と連続性という双生児的概念に人びとがようやく疑いの目を注ぎはじめたからではなく、科学をも含めたあらゆる今日的思考が、風景論の時代に属しているという現実をクーンが無意識ながら告白しているからにほかならない。またそれにもまして興味深いのは、風景論の時代に特有な認識の配置図や「知」の流通形態の全域を理論的に踏査しつくしたわけでもないのに風景論の時代の言説をもてあそび、そのことできわめて逆説的ながらみずからの立場を証拠だてているかにみえるクーンが、なおそのパラダイム概念の提起にあたって、ほとんどデカルト的というほかない認識のパターンに頼って自分を科学史という物語の話者に仕たてあげ、その視点を修正したり再強化したりしているという点である。その一点に限っていえば、あたかも彼は自分自身が世界の物語による分節をまぬがれ、風景の汚染に抗いうるとでも信じているかにみえる制度的楽天性がそこに露呈しており、その意味でクーンはいささかも革命的ではないし、ましてや反科学的でもない。彼は風景による教育にことのほか忠実なる風景論の饒舌な語り手にすぎないのだ。(蓮實重彦「風景を超えて」『表層批評宣言』所収)

だが、現在こういったことを言わなくなったのは、どうやら《「文化」と呼ばれる「制度」のあらゆる領域で問題とされているごく退屈な議論にすぎないことは誰もが知っている》わけのためではなさそうなのだ。であるなら、人はそれを「知の退行」と呼ぶべきだろう。

私は歴史の終焉ではなく、歴史の退行を、二一世紀に見る。そして二一世紀は二〇〇一年でなく、一九九〇年にすでに始まっていた。科学の進歩は思ったほどの比重ではない。科学の果実は大衆化したが、その内容はブラック・ボックスになった。ただ使うだけなら石器時代と変わらない。そして、今リアル・タイムの取引で儲ける奴がいれば、ローマ時代には情報の遅れと混線を利用して儲ける奴がいた(……)。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」より(2000年初出)『時のしずく』所収

これも旧世代の一見解である。新しい世代は反撥するかもしれない。だがこの世代はこういったことを言われてもピンとこないほど「退行」してしまっているように思われないでもない。どこに退行したのか。戦前であったらまだよい。だが退行先は戦前でさえない(蓮實重彦曰くは、である)。

蓮實重彦:十九世紀が二十世紀の世紀末をじわりじわりと侵食していることは、手応えでわかっていましたが、二十一世紀に入って、これほど堂々と十九世紀が世界を覆うとは思わなかった。

(中略)「十九世紀」と言っても、フランス革命ではなく、一八四八年の二月革命の頃から始まる十九世紀が問題なのです。この「近代」は、われわれがよく言っているように、ポストモダンなしにはありえない近代です。そして、その近代がじわりじわりと日本を侵食し、ついに二十一世紀のいま、世界は完全に十九世紀の罠に落ちたという感じがしている。(中略)二十世紀末のポストモダンの議論など、その退屈な反復にすぎない。(「対談 「空白の時代」以後の二〇年」(蓮實重彦+浅田彰)中央公論2010年1月号

…………

※附記:蓮實重彦「風景を超えて」冒頭

風景は教育する。風景が風景としてあることの意義は、ほぼその点に尽きるといってよい。風景をめぐって口にされるあれやこれやの言説は、風景がまというるもろもろの表情がそうであるように、ときには教育とは無縁の体験へと人を導くかにみえるが、そうした体験も所詮は風景にとって二義的なものにすぎない。教育装置として機能することで、風景ははじめて風景となる。だから無償の風景というものは存在しない。それが風景であるかぎりにおいて、あらゆる風景は耐えがたく醜い。そして、風景に瞳を向けることは、おしなべて恥ずかしい身振りなのである。あらゆる視線は、習得する視線にほかならないからだ。風景を賛美し風景を貶めるといった振舞いは、恥ずかしさを何とか隠蔽せんとするものにのみ可能な貧しい延命の儀式にほかならない。

風景は教育する。風景は、教育装置として機能することではじめて風景となる。とはいえ、そうした教育的資質に自覚的な風景というものはごく稀であろう。ほとんどの場合、風景は悪意を欠いた無邪気さを露呈しながらあらゆる視線にその全貌をさらしているかにみえる。風景は慎ましく彼方にひかえ、みずから視線を選択したりはしないし、瞳という瞳を平等にうけいれてもいる。だから、驚嘆すべき眺めとして存在を刺激し、退屈な眺めとして存在をまどろませるとき、驚嘆し退屈するのは視線の特権だと思われてしまいがちなのだ。心象風景として内的視線を招き寄せるときも、想像力に同じ特権が委ねられているかにみえる。いずれにしろ、美しかったり醜かったり、またそのどちらでもなかったりするのが風景だと考えられているし、風景自身もそう信じこんでいるに違いない。

だが、そうした美的感性の篩などはあっさりかいくぐってしまう風景は、逆にその感性的な篩の網目を入念に組織する装置として機能しながら、視線から、審美的判断を下そうとする特権を奪ってしまう。つまり風景は、感性と思われたものを、想像力や思考とともに「知」の流通の体系に導き入れ、その交換と分配とを統御する教育装置として着実に機能しているのである。教育とは、存在を分節化し、装置としての風景にふさわしい体系に、思考と感性と想像力を馴致せしめる不断の活動にほかならない。だから風景に驚嘆し、退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。存在が風景を読むのではない。風景が存在を読みとってゆくのである。風景が教育するとは、この風景による解読の運動に存在が徐々に馴れ親しんでゆく過程を意味している。みずから「記号」として交換され、分配され、しかるべき物語の説話論的要素たることをうけいれながら、そこにいかなる痛みも怖れの感情をもいだかずにいられるまで、風景に犯されることを教育と呼ぶのである。だから風景に驚嘆し、退屈しもする感性は、装置としての風景が休みなく語り続ける美しさの物語に、しかるべく組みこまれてゆくまでのことだ。

では、そのとき風景はなぜ風景と呼ばれなければならないのか。「制度」、あるいは「イデオロギー」としてはなぜいけないのか。もちろん、「制度」は教育すると書き改めても事態にさしたる変化は生じまい。これまで、いろいろな場所で、いわゆる「制度」なるものの希薄にして執拗なる教育的資質には触れてきたつもりだ。だが、「制度」が「制度」として機能するとき、その機能ぶりは徹底して不可視であるとされながら、しかしその不可視性は決して純粋の透明性を誇るわけではなく、それじたいがすでに多少とも濁っている思考だの感性だの想像力だのをうけとめた結果、しかるべき汚点や斑点を表層にまとっているという意味で、むしろ絵画的光景として、つまり構図を持った風景として共有されているからである。それが現実の風景ではなく、内的なイメージのようなものとして共有されていようと問題ではない。人は「制度」を想像することができるし、「制度」を思考することもできるし、そのあり方に感性的な反応を示すことも可能なのだ。多くの困難と複雑なる戦略とを必要としていようと、「制度」を思い描くことは決して不可能でない。しかも、そのことが「制度」の真の「制度」性ということができる。つまり漠として捉えがたくはあっても「制度」はそのイメージを介して「知」としての交換と分配の体系上に位置づけうるように思われるし、またこのイメージを欠いた場合、それは流通する「記号」たりえないだろう。その意味で、「制度」はいささかも特権的な「記号」ではない。だがその特権性の不在は、それ自身がイメージとして流通しながら、ありとあらゆる思考と感性と想像力とにイメージを付着させずにはおかぬという意味で、きわめて逆説的な特権性を誇示しているともいえる。それが外的なものであれ内的なものであれ、人は瞳の向こう側に浮上する風景に思考や感性をなげかけながら、存在を組織してゆくのだ。想像力を平等にうけとめるこの不可視の幕のようなもの、不可視ではあってもそこで視線をうけとめてくれる透明な、しかも程よく汚れた壁のようなもの、これまで風景と呼ばれてきたものはそうしたものなのだ。誰もが暗黙のうちにその存在をうけいれているイメージの投影装置。風景が教育的なのは風景のそうした性格ゆえにである。それは、視線の対象であるかにみえて、実は視線を対象として分節化する装置にほかならない。というより、その装置は、何よりもまず思考を分節化する機能を顕著に発揮する。その不可視の表層に汚点や斑点を見ているのは決して視線ではないからである。そしてそこで分節化される思考は、想像力が見たと信じ込む表層の濁った部分をつなぎあわせ、輪郭や陰影をきわだたせて中心部と周辺地帯とを分離しながら構図を組織し、遂には生きた存在たちの顔、動かぬ物質どもの表情、あるいは想念の形象化された姿を浮きあがらせるに至る。そのとき人は、風景がおさまることになる構図がいかに奇態なものであれ、顔として、表情として、形象化された姿としてしかるべく配置される存在や物質や想念の戯れを肯定し、みずからの風景の構図を解読するという姿勢の積極性を錯覚しながら、「知」の磁場における存在の分節化をうけいれることになるだろう。その戯れが抽象的な構図を描きだそうが具象的な構図におさまろうが、思考はその全域を視界におさめながら、方向の意識だの距離の感覚だのを習得しえたと確信する。この確信が解読を支え、「知」の磁場の相貌に馴れつつそこに分節化される存在の痛みを忘れさせるのだ。だから風景とは、存在を説話論的要素として分節化しながら物語に組み入れるときの痛みを緩和する忘却装置として、その教育的資質を発揮しているのだということができる。あらゆる視線は、風景の構図を解読の対象であるかに錯覚し、かつその錯覚を一つの自然として思考に共有させんとする存在の、無意識であるが故に絶望的な自家撞着を露呈せざるをえず、風景の教育的資質は、その絶望をあくまで絶望とは意識させまいとする希薄な執拗さのうちに存している。誰もが何の恥じらいもなく風景に視線を向けることができるのは、風景が瞳に従順であるからではなく、従順を装う風景の演技がいかにも徹底しているからにほかならない。思考がすでにその構図に馴れ親しみ恐れることがないので、視線もまた、いかなる羞恥心もなく風景と対峙しうるというわけだ。

いかなる視線といえども、それが視界に展開される顔や表情や姿の戯れをまさぐりつつ構図の解読へと向かわんとする真摯な情熱に衝き動かされたものであろうと、解読を越えた何ものかを習得せんとする無意識的な欲望の運動を隠しおおすことはできない。だが、無償の視線がありえないとしても、それは決して無償の構図におさまることのない風景がその欲望を煽りたて、思考の貪欲ぶりをむしろ慎み深い善意であるかに勘違いさせ、そのことで風景が思考にとって過剰な何ものかを含むことなく存在と調和ある関係を生きているかに振舞うので、それを模倣する視線がみずからの欲望を意識化するにはいたらないというまでのことなのだ。ところで肝腎なのは、思考が満遍なくまさぐることで思うことで構図を解読しえたと確信しうる風景と、視線が捉える風景との関係をあくまで通俗的な比喩に貶めたままでおいてはならぬという点だ。無償の風景が存在しないが故に無償の視線もまた存在しないのであり、にもかかわらず視線が風景のかじょうなるものへの欲望を抑圧しつづけうる理由は、思考のそれと知らずに装われた善意を視線が模倣しているからにほかならないのだ。

教育する風景に汚染しきった思考は、みずからの視界に浮上する風景を瞳が捉える風景の比喩だと信じこんでいる。だが、実際には、人が現実に視界におさめることのできる風景とは、思考を解読へと誘っておきながらその代償として思考を分節化する教育の馴致装置としての風景の比喩的一形態にすぎず、事態はその逆なのではない。風景とそのしかるべき構図を必要としているのは思考の方であって、現実の瞳の知覚作用はそうした思考の身振りと欲望とを模倣しているにすぎない。思考の風景が視線の風景に先行しているということ、肝腎なのはその点だ。

無垢の思考と裸の視線とが原初の風景と交錯しあうといった抽象的なメロドラマを想像して思考と視線の優先権を競いあうといった事態であれば話は別だが、すくなくともわれわれが「文化」と呼ばれる「制度」の中で暮し、かつその「制度」そのものに何らかの働きかけを試みんとする現実的な場にあっては、視線は明らかに思考を模倣するものとしてある。つまりここで問題となる風景とは、視界に浮上する現実の光景の構図を一つの比喩にしたてあげもするあの不可視の、だが透明とはほど遠い濁った壁の表層にまといついた汚点や斑点の戯れそのものにほかならず、ほとんどの風景論者たちは、風景の教育的資質に言及しながらも、このモデルと模倣との関係にいたって無自覚であるといえる。それは、彼らがすでに風景の教育的資質に汚染し、その馴致=分節機能に従順に従いながら、自分自身にまだ語るべき物語が残されていると錯覚しているからであろう。

…………

さてこの見解とラカンの眼差しとはどう異なるのだろう? 初期ジジェク曰くは次ぎの通り。だが彼も最近はこういったことを「直接的には」あまり言わなくなった。なぜか? はたして誰もが知っている「退屈」な議論であることに思い至ったせいか。それとももうウンザリしてしまったのか。

――これまでで一番最悪だった仕事は?

 教師。私は生徒たちが嫌いだ。彼らのほとんどは、(全ての人々がそうであるように)アホだし退屈だ。(スラヴォイ・ジジェクに訊く Q&A: Slavoj Žižek, professor and writer 2008年08月09日)

…………

現代思想に精通している読者は、おそらく「視線」や「声」を、デリダ的な脱構築作業の第一の標的とみなす傾向があるに違いない。視線とは、「物自体」をその形式の厳然の中で、あるいはその現前の形式の中で捉えるテオリアでなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前を可能にする純粋な「自己作用」の媒体でなくして何であろう。声とは、話す主体の、それ自体-への-現前presence- to-itselfを可能にする純粋な「自己作用auto-affection」の媒体でなくして何であろう。「脱構築」の目的は、ほかでもない、視線がつねに・すでに「下部構造の」ネットワークによって決定されていることを暴露して見せることである。何が見え、何が見えないか、その境界を設定するのはそのネットワークである。見えないということはつまり、視線――「自己反省的」再専有によっては説明できない縁〔マージン〕あるいは枠――による捕獲から必然的に逃れるもののことである。それと同様に、脱構築は、声の自己現前がつねに・すでに書記writingの痕跡によって引き裂かれ/引き延ばされていることを暴露する。しかしここで、われわれが注目しなければならないのは、ポスト構造主義的脱構築とラカンの間には何の共通点もないことである。ラカンは視線と声の機能を脱構築とはほとんど正反対の方法で説明する。ラカンにとって、これらの対象は主体の側ではなく対象の側にある。視線は、対象の中の(絵の中の)ある一点に刻印を押す。対象を見つめている主体は、すでにその点から見つめられている。つまり対象が私を見つめているのである。視線は、主体とその視野の自己現前を保証するどころか、絵の中の染み・汚点として機能する。その染みは明白な可視性を侵害し、私と絵との関係に、埋めることのできない亀裂を導入する。絵が私を見つめている点からは、私は絵を見ることができない。つまり、眼と視線とは本質的に非対称的なのである。対象としての視線は染みであり、その染みが、私が安全で「客観的な」距離から絵を見ることを阻止し、私はその絵を自分の視線しだいでどうにでもなるようなものとして枠取りすることを妨害する。視線とは、いわば、(私の視線の)枠がすでに絵の「内容」の中に書き込まれているような点である。そして、このことはもちろん、対象としての声についてもあてはまる。声はーーたとえば特定の発声者に付属せずにwithout being attached to any particular bearer私に語りかけてくる超自我の声はーーやはり一つの染みとして機能し、その染みは目立たない形で現前することによって、異物として介入し、私が自己同一性を確立するのを邪魔する。(ジジェク『斜めから見る』p234-235)
声なるものを厳密にラカン的に捉えなければならない。すなわち、(デリダにおけるように)意味の充溢と自己現前の担い手としてではなく、意味のないオブジェ、つまり意味作用の物質的残滓、残り物として。声とは、意味を生み出す「キルティング」の遡及的作用をシニフィアンから引き去った後に残るものなのである。この声の物質的状態がもっとも明瞭活具体的に表現されたものが、催眠的な声である。同じ言葉が無限に反復されると、われわれは混乱し、言葉はその意味の最後の痕跡をもうしない、残っているものといったら、眠気を催させる一種の催眠力を発揮する。(ジジェク『イデオロギーの崇高な対象』)
脱構築はすぐれてモダニズム的手法である。それはおそらく「暴露(仮面を剝ぐ)」という論理の最も根源的な形である。この論理においては、意味の経験の統一性そのものが、意味作用のメカニズムの効果としてとらえられる。そしてその効果は、それを生んだテクストの運動を無視しているかぎりにおいて可能である。ラカンにおいてはじめて「ポストモダニズム的」断絶が生じる。というのも彼は、きわめて曖昧な地位を維持しているある種の現実界的で外傷的な核を論理化したからである。〈現実界〉は象徴化に抵抗するが、同時にそれ自身の遡及的産物でもある。この意味で、われわれは次のようにすら言うことができるーー脱構築主義者たちは根本的には依然として「構造主義者」であり、享楽こそが「真の〈物自体〉」であり、この中心の不可能性のまわりに、すべての意味作用のネットワークは構造化されている、と断言したラカンこそ唯一の「ポスト構造主義者」である、と。(ジジェク『斜めから見る』1991 P267)

…………

ジジェクのいっていることはーーここではシンプルに記すがーー〈他者〉にかかわる。そして下の文は精神分析的でなく、たんに「科学的」である場合、この〈他者〉は扱えるのか、という問いである。これがたとえば認知科学への基本的な問いかけである。

標準の哲学的観察は、我々は現象を知ること、それを認知すること、受けいれること、そしてそれを存在するものとして扱うことを区別すべきだというものだ。――我々は「本当に知って」はいない、我々の周りの他者が心をもっているかのかどうか、あるいはただ盲目的に行動するようプログラムされた単なるロボットであるのか。しかしながら、この観察は肝腎な点を外している。すなわち、もし私が対話者の心を「本当に知った」のなら、間主体・間主観性自体が消滅してしまうのだ。彼は主体的な地位を失い、私にとって透明な機械に変貌してしまう。言い換えれば、他者を知らないままできることが主体性の決定的な特徴である。その主体性とは、我々が「心」を対話者のせいにするとき、意味していることである。つまり心が私に不透明であるかぎりにてのみ、あなたは「本当に心をもっている」ということだ。それにもかかわらず、我々は、古き良きヘーゲル-マルクス主義者の題目ーー私の最も奥にある主体的経験の徹底した間主体摘出特徴の題目を更生すべきだろう。ゾンビ仮説が間違っているのは、もしすべての他の人びとがゾンビであるなら(より正確にいえば、私が彼らをゾンビだと知覚したなら)、私は自分自身を、十分な現象的意識をもっているとさえ知覚できないということことだ。(ジジェク『パララックス・ヴュー』私訳 2006)