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2015年10月1日木曜日

口にしちゃいけないこと

襖一枚の隔てて筒抜けの隣の声」で、こう引用した。

僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。そのひとつの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか、不要になった防空壕の片隅とか、家族がみんな疎開して亭主だけ残され、近所の家にお世話になっているうちにそこの娘とできてしまうとか、いろんなことがありました。(古井由吉『人生の色気』)

――こうやってくり返して引用したくなる文なのだが、「焼け跡で交わっている男女」のようなものを見たことがあるとでもいうのか。

ある場所で彼が立ち止まって首をまわすと、その方角に明けっぴろげになった小さな家が映り、次にその奥が大写しになると若い夫婦が性交している。チャブ台の向こう側で脚や腕がさかんに動いている。仰向いた女の美しい胸と首と、そこに無闇に顔をこすりつける男の後頭部が映る。男の手首が女の太股の下のほうから撫であげたり、女の肉付きのいい脚が曲がったり伸びたりする。――彼は道に立ってぼんやりそれを眺めている。(藤枝静男「欣求浄土」)

いやいやこんな光景にはめぐりあっていなしまたもちろんやったこともない。わたくしは阪神大震災のとき京都に住んでいたのだが、被災の現場にーーここでは、ある「やむえない」理由で、と書いておこうーー訪れたが、そこでもめぐりあっていない。

避難民は避難民同士という垣根のない親身の情でわけへだてなく力強いところもあったが、垣根のなさにつけこんで変に甘えたクズレがあり、アヤメも分たぬ夜になると誰が誰やら分らぬ男があっちからこっちから這いこんできて、私はオソヨさんと抱きあって寝ているからオソヨさんが撃退役でシッシッと猫でも追うように追うのがおかしくて堪らないけど、同じ男がくるのだか別の男なのだか、入り代り立ち代り眠るまもなく押しよせてくるので、私たちは昼間でないと眠るまがない。(坂口安吾 「青鬼の褌を洗う女」)

夜這いなどということもしたことはない?

庶民は若くして奉公にでます。奉公先ではふすま一つ隔てて、若い男女が寝ています。つい夜這いも活発になろうというものです。(永井義男「お盛んすぎる江戸の男と女」)

ああやりのこしたことがたくさんある。

恋の闇 下女は小声で ここだわな
早くして 仕舞いなと 下女ひんまくり
をしいこと まくる所を下女 呼ばれ
ーーー「諧風末摘花」より

(円山応挙 すえつむ花 夜這い)

江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入浴の男を捉えて戯れた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。(永井荷風「伝通院」)

西洋など羨むには当らない国に住んでいたのに。


…………

本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談) 

人は生涯日常性が破られるという経験がなくてはたして「幸せ」なんだろうか。

グルリと空を見廻したあの時の私の気持というものは、壮観、爽快、感歎、みんな違う。あんなことをされた時には私の頭は綿のつまったマリのように考えごとを喪失するから、私は空襲のことも忘れて、ノソノソ外へでてしまったら、目の前に真ッ赤な幕がある。火の空を走る矢がある。押しかたまって揉み狂い、矢の早さで横に走る火、私は吸いとられてポカンとした。何を考えることもできなかった。それから首を廻したらどっちを向いても真ッ赤な幕だもの、どっちへ逃げたら助かるのだか、私はしかしあのとき、もしこの火の海から無事息災に脱出できれば、新鮮な世界がひらかれ、あるいはそれに近づくことができるような野獣のような期待に亢奮した。 (坂口安吾 「青鬼の褌を洗う女」)
私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、子供は泣き叫び空腹を訴え、大人たちは寒気と不安に蒼白となり苛々し、病人たちが呻いていても、そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。(同上)

もちろん、次ぎのような日常性の破壊を「楽しむ」ことはできないではない(津波被害についてはまだそれほど月日がたっていないので口を慎んでおくことにする)。

2001年9月11日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』)

これは別にラカン派の発見でもなんでもない。すでにプラトンがこう書いている。

ソクラテス) 諸君、ひとびとがふつう快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり、苦痛と、じつに不思議な具合につながっているのではないか。

 この両者は、たしかに同時にはひとりの人間には現れようとはしないけれども、しかし、もしひとがその一方を追っていってそれを把えるとなると、いつもきまってといっていいほどに、もう一方のものをもまた把えざるをえないとはーー。(プラトン『パイドン』60B 松永雄二訳)
いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!」(プラトン『国家』439c 藤沢令夫訳)

われわれは他人の不幸を「公式的には」には憐れむ。だがすくなくとも自らが関係しないとなったら、そこには享楽のリビドーが注ぎ込まれる。

それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。(ジジェク、2012--「嫌煙運動、あるいは「憎むことを愛する」」より)

《人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。 》(ルソー『エミール』)

《人が同情を寄せる相手は、知らない人びと、想像で思い描く人びとであり、すぐそばで卑俗な日常生活のなかにいる人たちではない。》(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)