ロシア革命は1917年だ。ーーええっと 1917-1789=128 だ
1917+128=2045年か、計算間違えないだろか、かなり先だな、次ぎの「革命」は。オレはもう生きてそうもないよ・・・
この際、1799年のナポレオンによるクーデター年から計算することにすれば、2035年だな、これはまだ場合によっては遭遇できそうだ
…………
ところできみらはマジでいまのシステムが続きうると思ってんだろうか、「オレたちは保守だ」などとほざいている社会運動家の諸君よ!
@kdxn 2014.11.14
とはいえ、安倍政権にしろネトウヨにしろ決して復古主義はなく、自分たちのほうが古い左翼的価値観を打破する最新思想だと思っているので、あながち適用できないわけでもないか。ここ何回も強調しとくけど、現在の日本においては保守を名乗る極右こそが革命勢力で、リベラルは反革命/保守勢力です! (野間易通)
彼をはじめとするカウンターの連中をアホウドリだとは言わないでおくが、徹底的な経済音痴だね(参照:「この世の不幸のもとは安倍政権だ」)。
社会運動やってて、いまどきエコノミーを外すって手があるんだろうか(参照:イデオロギー、ヘゲモニー、エコノミー(ネーション、ステート、資本制)の三幅対)。
もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代”概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)
なぜ彼らは現在のファシズムやレイシズム、戦争法案、あるいはアベノミクスが新自由主義の危機からの脱出のせいかもしれないと一瞬でも想起しないんだろう?
ファシズム、レイシズム=イデオロギー(ネーション)
戦争法案=ヘゲモニー(国家)
アバノミクス=エコノミー(経済)
ーーじゃないのかい?
真の敵は「新自由主義」だよ、それに気づかないってのは・・・
バカジャナイノカ? いやいやシツレイ! バカじゃなくて、「ユートピアン」なんだろうよ
人々は私に「ああ、あなたはユートピアンですね」と言うのです。申し訳ないが、私にとって唯一本物のユートピアとは、物事が限りなくそのままであり続けることなのです。(ジジェクーーユートピアンとしての道具的理性instrumental reason主義者たち)
ユートピアン、すなわちそれを寝言派という。
《道徳なき経済は犯罪であり、経済なき道徳は寝言である》(二宮尊徳)
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・いまさらわざとらしい顔をするなよ。もうあきるほどいいふるされているじゃないか。そして敵は依然として勝ちつづけている、と。未来はいうまでもなくひたすら空虚である。万が一、敵に勝ったとしても、だ。総員おためごかし。(辺見庸 日録 2015/09/17)
確かに、良質の諷刺には愛嬌がつきものである。しかし、過激でない諷刺、「他者への配慮」によって去勢された諷刺など諷刺とは言えず、諷刺のないところには民主主義も文化もない。(浅田彰「パリのテロとうエルベックの服従」)
おまえらそれも分からなくなっちまったのか、そもそも辺見庸の「日録」ってのが、荷風の「断腸亭日乗」のパロディだということさえ分からぬ文学音痴なんだろうよ。
ただし8・30の絵を作ったことには敬意を表するよ、
@kentarotakahash
3万人だろうが、12万人だろうが、35万人だろうが、この絵を作ったことで、もう日本は変わっている。 https://pic.twitter.com/AoS5jP6QrA
《ほぼ官製・完全順法管理無害ハナクソデモ。ジンコウモタカズヘモヒラズのテレビ撮影用のパレード》だって、ないよりはズーッとましさ。
・「見ずして信ずるものは幸いなり」。ジョージもエルナもエレーナも知らない、とってもお寒いやつら。いつかアイコク・ボウエイタイになるアホウども。大韓民国全羅南道高興郡金山面出身のキムイル(김일)氏のことも、かれのつらさも、パチキのすごさも知らない、あまったれのクソッタレ・ニッポンジンども。どこでだれにどういう教育をうけたのかね。おまえたちの、ほぼ官製・完全順法管理無害ハナクソデモ。ジンコウモタカズヘモヒラズのテレビ撮影用のパレード。中平卓馬も安田南も堀内義彦も天国であきれてるぞ。「ふざけるな、ぶんなぐってやる!」。あはは、中平さんはネコパンチだけどもね。オマワリとあらかじめウチアワセしたり、いちゃついたり。おまえら、まったく気色わるいぜ。反吐がでるぜ。まだましなのは、なにもおこなわない(しない、やらない、やらされない、やろうともしない、誘導もされない、すこしの移動もしない、そのようにそそのかされもしない、説得をうけつけない、とくだんの意思もなく、ただそこにあるだけ)で、にもかかわらず、ときに、なにかしずかにきわだっているようにもみえる、ひとつのものだ。それは、存在を、影ごとみずからの内側に、イソギンチャクのようにくぐもらせてゆく(みずからがみずからの内側に埋まってゆく)……それ以外ではまったくありえようもない、ひとつのなにかだ。じぶんをじょじょに内側にたぐりこみ、引きこんでいって、ついに消えてゆくじぶんだ。きのうはエベレストにのぼった。けふはダフネにいったけれど、エベレストにはのぼらなかった。さらばじゃ、クソッタレ!(2015/09/30)
ーーで今からでも遅くないから「経済」勉強したらどうだい?
きみらは基本的な過ちを犯しているのだよ。
……基本的な過ちを犯 している。ヨーロッパの体制側が依拠する筋書きは、巨大な赤字が金融部門の大規模な債務棚上げや不況期における政府の歳入の低落によって脹れ上がるという事実を曖昧にしている。アテネへの大規模な貸付は、ギリシアのフランスやドイツの巨大銀行に対する 債務支払のために用いられることになるだろう。欧州連合による債務保証の真の目的は、 民間銀行の救済にある。というのも、ユーロ圈の国家の1国でも破綻すれば、ユーロ圏全体が烈しい打撃を被るからである。他方で、抗議する側における筋書きは現代における左派の相も変わらぬ悲惨な状態を証して余りある。既存の福祉国家との妥協を一般的に拒否するにすぎないその要求に、具体的な計画的内容を見出すことはできない。ここに見ら れるユートピアはシステムの根源的な変更ではなく、福祉国家はシステム内部で維持可能だという思いつきである。(マージナルなものへのセンスの持ち主だけの資本主義崩壊「妄言」)
ーーやあすまなかったな、「妄言」を記してしまって。
…………
文句をいってくるヤツがいるのを憂え先に記しておくが、リンク先を読んでからにしてくれよな、文句は。とはいえ、だいたい元じばき隊の諸君やそのシンパは「キャッチーさ」のみがお好みらしいから、長たらしい文献などは読まない・読めないのだろうがね(参照:旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通)
@bcxxx: ネトウヨの猛然たるデマ言説に対して、左翼の対抗言説はいかにも丁寧で、資料を丹念に挙げたりするのだが、その分長ったらしく、キャッチーさに欠ける。教養のある人が、時間のある時に、ふむふむ勉強になるなあ、と思いながら読む感じ。学習会のノリなんだよね。
だからいつまでも経済音痴で通すつもりなんだろ? 寝言派でな。
@kdxn野間易通
経済の話と日本史の話が始まると、貝のように口を閉ざす。
知ったかぶりするネタすら持っていない。
ーー「これ、よくあるパターンなので早々に脱却したい」(野間易通)ぜ、なあ、おい!
だから元しばき隊のおそらく中心メンバーの一人だろう「ばんちょう」氏は次のような厚顔無恥なことをつぶやいてしまう。
9月30日@bcxxx
実際にはあんたらが社会構造の問題だと思ってる物事のほとんどは、特定の政治家や政党や官僚の産み出した政策のせいだよ。
社会構造のせいにし続ける限り、あんたらは本当の敵を見失って、あんたらの寝言を優しく聞いてくれそうな隣の誰かさんのことを殴り続けることになる。
これでは「経済的下部構造」について無知のままでいたいと自白しているようなものではないかね
近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。たとえば、経済的に自由に振る舞い、そのことが階級的対立に帰結したとすれば、それを国民の相互扶助的な感情によって解消し、国家によって規制し富を再配分する、というような具合である。その場合、資本主義だけを打倒しようとするなら、国家主義的な形態になるし、あるいは、ネーションの感情に足をすくわれる。前者がスターリン主義で、後者がファシズムである。このように、資本のみならず、ネーションや国家をも交換の諸形態として見ることは、いわば「経済的な」視点である。そして、もし経済的下部構造という概念が重要な意義をもつとすれば、この意味においてのみである。
(……) 資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって、各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再配分)を求め、また、ナショナルな文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かうことになる。資本への対抗が、同時に国家とネーション(共同体)への対抗でなければならない理由がここにある。資本=ネーション=ステートは三位一体であるがゆえに、強力なのである。そのどれかを否定しようとしても、結局、この環の中に回収されてしまうほかない。資本の運動を制御しようとする、コーポラティズム、福祉国家、社会民主主義といったものは、むしろそのような環の完成態であって、それらを揚棄するものではけっしてない。(柄谷行人『トランスクリティーク』pp.35-36)
そもそも日本だけではなく世界が次ぎのごとく高齢化しているなかでどうやっていままでのシステム(社会保障制度をはじめとする制度)を保つってわけだい? 税金(国民負担率)倍増しないともたないに決まってんだろ!