「信仰を持たないでいても、ある宗教的なものといいますか、祈りのようなものを自分が持っていると感じる時が、人生の色々な局面であったのです。やはり信仰の光のようなものがあって、向こうからの光がこちらに届いたことがあると私は思っているのです。」(大江健三郎『信仰を持たない者の祈り」)
◆「まことに神の子であった Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen.」
「つつしみ」といったが、それは礼儀作法のもっと原初的で包括的なものである。ちなみに「宗教」の西欧語のもとであるラテン語「レリギオ」の語源は「再統合」、最初の意味は「つつしみ」であったという。母権的宗教が地下にもぐり、公的な宗教が父権的なものになったのも、その延長だと考えられるかもしれない。ローマの神々も日本の神々も、威圧的でも専制的でもなく、その前で「つつしむ」存在ではないか。母権的宗教においては、この距離はなかったと私は思う。それは、しばしば、オルギア(距離のない狂宴)を伴うのである。母親の名残りがディオニュソス崇拝、オレフェウス教として色濃く残った古代ギリシャでは「信仰」はあるが「宗教」にあたる言葉がなかったらしい。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」『時のしずく』所収)
◆マタイ受難曲BWV244「愛ゆえに 我が救い主は死に給うAus Liebe will mein Heiland sterben 」
ーー「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)
聖歌を唱う者にとって、聴衆のための演奏など思いもよらぬことであった。彼らが唱うとき、彼らを通して神の声が唱う。あるいはそれは天使の声であるかもしれない。しかしそこに集う者たちは聴くためだけではなく秘儀をとりおこなうために来ているのだ。音楽は信徒に語りかけるのではない。彼らに代わって唱われるのであり、しかも聖歌は誰もそれを聴く人間がいなかったとしてもまったく変わることはないはずだ。それは物理的な顕現でしかない。仮りに音楽が聴く者に外部から触れるとしても、そのほんとうの源は聴く者の内部にある。聖歌は音響に姿を変えた祈りとなるのだ。(シュネデール)
◆カンタータ BWV 127「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」
※BWV 127 :Eileen Farrell-Robert Shaw
いきなり深い
そのように森はあった
抜け道はふさがれ
穴は隠されて
踏み迷う
空を裂く
鳥の声は小さな悲鳴
両手を泳がせ
枝をかきわけて
つくる小径
星と虫
死骸の層に靴は沈み
凶兆の泥が付着する
実と見れば齧り
青くしびれる舌
…………(「森」 須永紀子)
◆ カンタータ BWV202 「しりぞけ、もの悲しき影 Weichet nur betrubte schatten」
※BWV202 AugerーGerard Schwarz
「森の道」 Holzwege(1950) :森林の空地 Lichtungに至る森のなかの道、それは人跡未踏の道、迷いの道であり、 Lichtung とは存在の Lichtungである(ハイデガー)
◆ Cantata BWV 12 「泣き、歎き、憂い、怯えweinen klagen sorgen zagen」
存在者を越えて、しかし離れてではなく、それに先立って、もう一つ別のことが起る。存在者全体の真只中に一つの開けた場所 eine offene Stelle が現成する。一つのLichtung がある。存在者の側から考えれば、それは存在者より以上に存在する。この開けた中心 die offene Mitte は、従って存在者によって囲まれているのではなく、この光を与える中心 die Iichtende Mitte そのものが一切の存在者を包む umkreisen のである。存在者は、このLichtung のなかに入って照らされるときにのみ、存在者として存在しうる。このLichtung のみが我々人間に我々以外の存在者への通路と、我々自身である存在者への接近を贈り、保証する。……存在者がそのなかに立つLichtung はそれ自身において同時に隠蔽である。隠蔽は存在者の只中において二種の仕方で行なわれる(Holzwege)
◆カンタータ BWV 105「いかにおののき、よろめくことかWie zittern und wanken」
聖アウグスティヌスによれば、神とは包み込みながら満たすものだというが、音楽はそのような神の属性をそなえている。音楽はまわりを取り巻き、包囲し、しかも内部にとどまっている。それは部分の部分であり、耳に向かってたちのぼってくる苦痛あるいは快楽の切っ先である。(シュネデール)
◆カンタータBWV 106「神の時こそいと良き時Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」
※BWV 106 (Ton Koopman)
◆ Bach -Furtwängler"Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"
ひかりといふひかりが…… 生野幸吉
ひかりといふひかりがはしり抜ける
蒼ぞらは不意にあかるくなり
ひとびとは不可解な
どよめくあらしの一塊にみえる……
(……)
ひとり慄へるやうに かぜにたましひを投げわたすやうに……
…………
いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)
◆Faure Andante Opus 121
※Faure Andante Opus 121(Emile Naoumoff piano transcription)
◆Gabriel Fauré,. Quatuor à cordes, Allegro
立ち昇る一樹。おお純粋の昇華!
おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。
静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく
ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく
僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。
ーーリルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳
一切のものは、独白的芸術に属するか観客相手の芸術に属するかのいずれかである。この後者には、なおまた、神への信仰を内に抱くあの見せかけだけの独白芸術、つまり祈祷の叙情詩の全部が、含められる。というのも、信心深い者には孤独というものがまだ存在しないからだ。こうした区別の案出は、われわれが、背神の徒であるわれわれがはじめてやったことなのだ。
総体的に見た上での芸術家の光学に関しては、つぎのような区別にまさる深い区別を、私は知らない。—それはすなわち、芸術家が観客の目を起点として自分の生成中の芸術作品の方(「自己」の方—)を眺めているのか、それともまた、すべての独白的芸術の本質がそうであるように、「世界を忘却して」いるのか、という点からする区別である。—独白的芸術は忘却に基づいている、それは忘却の音楽なのだ。( ニーチェ「悦ばしき知識」信太正三訳)
◆ Bach -Furtwängler"Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"
ひかりといふひかりが…… 生野幸吉
ひかりといふひかりがはしり抜ける
蒼ぞらは不意にあかるくなり
ひとびとは不可解な
どよめくあらしの一塊にみえる……
(……)
ひとり慄へるやうに かぜにたましひを投げわたすやうに……
…………
いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)
◆Faure Andante Opus 121
※Faure Andante Opus 121(Emile Naoumoff piano transcription)
……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」)
◆Gabriel Fauré,. Quatuor à cordes, Allegro
立ち昇る一樹。おお純粋の昇華!
おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。
静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく
ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく
僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。
ーーリルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳