非対称脅威(asymmetric threat)という言葉は、1990 年代に議論が始まったと見られるが、公式文書に現れるのは1997 年の米国のQDR (10) (4 年毎の国防計画の見直し)と言われている。当時米国では、非対称戦(asymmetric warfare)について、軍隊同士の交戦ではなく、弱者が、敵の強みを避け、敵の弱みに対して予期できないあるいは従来型でない斬新な方法で攻撃することである。
結論から言ってしまえば、非対称脅威とは、 「実行する主体、実行の対象、実行の手段、実行の方法、そして実行の目的が、通常の脅威に対してほとんど全て非対称であって、一般には、強者に対して弱者が何らかの政治的意図あるいは宗教的・民族的・文化的意図を持って臨もうとする場合の、甚大な影響をもたらす行為である」と定義できよう。 (秋山昌廣、21 世紀の脅威、テロ、非対称脅威の定義と対応)
かつまた敵に注意のむらを起こさせたり、原因集中の罠、士気の畏縮をおこさせたりすることを狙う。それは恐怖や不安によってであったり、超=覚醒によってであったりするだろう。
これらは、たとえばイスラム国のテロもーー現代的になっているのは当然だがーー、心理的効果としての狙いはたいした変わりはない。
現在では、弱者だけでなく強者からでさえも、たとえば無人戦闘機、いわゆるドローンで、コンピューター・ゲームのようにして、標的を殺害するなどという方法は、テロ恐怖と似たような心理的効果を敵に与えるのではないか。弱者/強者にかかわらず、戦争とは心理戦の側面がかならずあるだろう。それは効率的に勝ちをおさめたいという動機のひとつから(も)来るはずだ。
テロ行為者が嗜癖に陥りやすいのも昔も今もそれほど変わらない。
現在では、弱者だけでなく強者からでさえも、たとえば無人戦闘機、いわゆるドローンで、コンピューター・ゲームのようにして、標的を殺害するなどという方法は、テロ恐怖と似たような心理的効果を敵に与えるのではないか。弱者/強者にかかわらず、戦争とは心理戦の側面がかならずあるだろう。それは効率的に勝ちをおさめたいという動機のひとつから(も)来るはずだ。
テロ行為者が嗜癖に陥りやすいのも昔も今もそれほど変わらない。
暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。(……)
また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収)
…………
【超=覚醒度】
事故が続けて起こるのはどういうことかについては、飛行機の場合はずいぶん研究されてるようで、私はその全部を知ってるわけではありませんが、まずこういうことがあるそうです。
一つの事故が起こると、その組織全体が異常な緊張状態に置かれます。異常な緊張状態に置かれるとその成員が絶対にミスをしまいと、覚醒度を上げていくわけです。覚醒度が通常以上に上がると、よく注意している状態を通り過ぎてしまって、あることには非常に注意を向けているけれど、隣にはポカッと大きな穴が開くというふうになりがちです。
【注意のむら】
注意には大きく分けて二つの種類があって、集中型(concentrated)の注意と、全方向型(scanning)の注意があるわけですけれども、注意を高めろと周りから圧力がかかりますと、あるいは本人の内部でもそうしようと思いますと、集中型の注意でもって360度すべてを走査しようとしますが、そういうことは不可能でありますし、集中型の注意というのは、焦点が当たっているところ以外には手抜きのあるものですから、注意のむらが起こるということです。
注意の性質からこういうことがいえます。最初の事故の後、一般的な不安というものを背景にして覚醒度が上がります。また不安はものの考え方を硬直的にします。ですから各人が自分の守備範囲だけは守ろうとして、柔軟な、お互いに重なりあうような注意をしなくなります。各人が孤立してゆくわけです。
【原因集中の罠】
また、最初の事故の原因とされるものが、事故の直後にできあがります。一種の「世論」としてです。人間というのは原因がはっきりしないものについては非常に不安になります。だから明確な原因がいわば神話のように作られる。例えば今ここで、大きな爆発音がしますと、みんなたぶん総立ちになってどこだということと、何が起こったんだということを必死に言い合うと思います。そして誰か外から落ち着いた声で、「いや、今、ひとつドラム缶が爆発したんだけれど、誰も死にませんでした」というと、この場の緊張はすっとほぐれて私はまた話を続けていくと思います。たとえその原因なるものが見当違いであっても暫くは通用するんですね。そして、原因だとされたものだけに注意が集中して、他のものへは注意が行かなくなります。
以上のように、それぞれ絡み合って全体として次の事故を起こりにくくするような働きが全然なくなる結果、次の事故に対して無防備になるのでしょう。(……)
【士気の萎縮】
demoralization――士気の萎縮――というのは経験した人間でないとわからないような急変です。これを何に例えたらいいでしょうか? そうですね、こどもが石合戦をしているとします。負けてるほうも及ばずながらしきりに石を放っているんですが、ある程度以上負けますと急に頭を抱えて座り込んで相手のなすがままに身を委ねてしまう。これが士気の崩壊だろうとおもいます。つまり気持ちが萎縮して次に何が起こるかわからないという不吉な予感のもとで、身動きできなくなってくるということですね。