フランスも米国も、今回のパリのテロを受けて、さらにIS攻撃を激化させることになろう。しかし、オランド大統領には9月下旬からIS対応として、IS空爆に参加しながら、その実、最悪のテロが国内で起こったことの責任が問われるべきだろう。国内の怒りを中東のISに向けるだけでは、国内のイスラム教徒の若者が過激化することへの対応が、さらに遅れることになりかねない。(IS空爆どころではないパリ襲撃事件の脅威、川上泰徳)
ここで、今から記そうと思う文脈からはずれた見解をなぜか唐突に想起したので、先に挿差しておく。
ジジェクはフランスについて、《わが国こそ世界で最も自由、平等、友愛の理念を実現した国だという自負そのものが、ナショナリズムや愛国心を生み、他国、他民族を蔑視し差別するメカニズムが働いてしまっている》、そしてそれが「最悪の国」を生みだしたーー The French are much worse than either the Germans or the British ーーという意味合いのことを言っている。(『ジジェク自身によるジジェク』)。
…………
ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収)
辺見庸はそのブログ「私事片々」で、《いざ戦争がはじまったら、反戦運動が愛国運動化する公算が大である。そう切実に予感できるかどうか。研ぎすまされた感性がいる》としている。もちろんこれは今年の 8・30のデモのありようを想起しつつ書かれているにちがいない。
あるいはこうもある。
わたしに言わせれば、たとえば、遵法的服従はしばしば犯罪よりもよりいっそう犯罪的な〈暴力〉となりうる。それはミルグラムが『服従の心理』(山形浩生訳)の第1章「服従のジレンマ」で引用しているC.P.スノーのことば「人類の長く陰気な歴史を考えたとき、反逆の名のもとに行われた忌まわしい犯罪よりも、服従の名のもとに行われた忌まわしい犯罪のほうが多いことがわかるだろう」にもかかわる。服従という非〈暴力〉は、無関心という非〈暴力〉とともに、反逆的〈暴力〉よりもはるかに暴力的で犯罪的である……とわたしは年来おもっている。
この考え方にかかわる思いは、「構造的な類似(ネトウヨ/カウンター)」で記した。
さて、ここで浅田彰の『シャルリー・エブド』 事件についてのコメントを参照することにする。
以下、中井久夫の「行動化」あるいは「暴力」論であるが、読みやすさのためにいくらか行分けした。
こうした世論を受けたフランス政府の対応を一瞥しておこう。事件をフランスの「9.11」ととらえる向きもあったが、総じて「9.11」後のブッシュのアメリカの対応とは違う方向を目指そうとしたことは、一応認めておいてよい。オランド大統領は「敵はテロリストであってイスラム教徒ではない」と明言し、1月11日に行われた抗議の行進(フランス全土で370万人が参加したと言われる)に欧州各国の首脳に加えイスラム諸国の首脳も招いた(オランド大統領を中心とする列にはパレスチナのアッバス議長とイスラエルのネタニヤフ首相も並んだ)。イスラム圏でもトルコのエルドガン首相などは言論弾圧で悪名高く、他方、イスラエルのネタニヤフ首相にいたってはパレスチナ側のジャーナリストを多数殺害してきたのだから、彼らが言論と表現の自由のために行進するというのは噴飯ものだが、政治ショーというのは元来そうしたものだろう。
しかし、ヴァルス首相が国会での演説で「フランスはテロリズム、ジハード主義、過激イスラム主義との戦争状態にある」と踏み込み(*注)、オランド大統領もIS(「イスラム国」)空爆のためペルシア湾に向けて出港する空母シャルル・ドゴールに乗り込んで「対テロ戦争」に参加する兵士たちを激励する、それによって低迷していた支持率が急上昇する、といったその後の流れを見ていると、ブッシュのアメリカをあれほど批判していたフランスも結局は同じことをしていると言わざるを得ないだろう。
また逆に、行進に左右すべての党派を招きながら極右の国民戦線は排除した、これは結果的に国民戦線の立場を強めることになりかねない。そもそも「他者に開かれた多文化社会」を目指しつつ、実際は移民をフランス人の嫌がる仕事のための安価な労働力として使い、「郊外」という名のゲットーに隔離してきたわけで、そういう移民の若者の鬱屈をイスラム原理主義が吸収したあげく今回のようなテロが起きたと考えられる。国民戦線はそういう多文化主義の偽善を右翼の側から批判して大衆の支持を集めてきたのだ(とくに、古臭い極右だったジャン=マリー・ル・ペンに対し、後継者である娘のマリーヌは移民問題などをめぐって大衆の生活感情をとらえるのがうまく、今回は事件後ただちに『ニューヨーク・タイムズ』に寄稿するといったしたたかな国際感覚も見せている)。「多文化主義の建前を奉ずる偽善的言説のアゴラから排除された国民戦線こそが、そのようなアゴラの外の現実的矛盾を直視し解決しようとしているのだ」という主張にいっそうの説得力を与えてしまったとすれば、国民戦線の排除は賢明だったとは言い難いのではないか。
いずれにせよ、テロ後のフランスは、「9.11」後のアメリカほどではないにせよ、やはり大きく右傾化したと見るべきだろうし、「9.11」で始まった世界的な流れを再び加速することになったと言うべきだろう。移民問題に集約されるグローバル資本主義の矛盾の激発が、「文明の衝突」の焦点としての「宗教戦争」というイデオロギー的な表象に回収されてしまい、ユダヤ=キリスト教の側でもイスラム教の側でも宗教的情熱が火に油を注ぐ結果となっている——もともと、移民の若者たちも、彼らをリクルートしたと言われるISなどのイスラム原理主義組織も、本来のイスラム教主流とはほとんど無関係であるにもかかわらず。21世紀はいまだ「9.11」の呪縛から抜ける道を見いだせずにいるかに見える。
『シャルリー・エブド』後の抗議の行進において、マリー・ル・ペンひきいる極右の国民政党を排除したとある。このときの浅田彰の論調は、《国民戦線の排除は賢明だったとは言い難い》とあるように、その排除は、結果的にいっそうの右傾化を促すという見方だ。
さて、今回は逆にマリー・ル・ペンを排除したあのフランスの指導者たちや「良心層」の心性が、無謀な行動化を抑制する動きとして現われるという「僥倖」をもたらさないか? そんなことを期待するのは馬鹿げているのだろうか。
フランスではマリー・ル・ペンに投票したのはとりわけかつての社会主義者たちです。労働者階級は言うわけです。「オーケー、あいつらは我々にではなく、移民のことにしか興味が無いんだな」と。(中道体制の崩壊(シャンタル・ムフのインタビュー))
ーーどうだろう、《行動というものには「一にして全」という性格がある》のであり、《今回のパリのテロを受けて、さらにIS攻撃を激化させる》のならば、彼らは「マリー(ヌ)・ル・ペン」と合体することになる。それに恥じ入るという意識を抱かないものだろうか。
(マリーヌの父ジャン=マリー・ル・ペンは、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだった。その彼が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽りつづけた。)
それとも選挙での投票の影響を考え、これ以上「労働者階級」の支持を失いたくないという「一にして全」志向のメカニズムがやはり働くのだろうか。
(マリーヌの父ジャン=マリー・ル・ペンは、アルジェリアで解放戦線に対する拷問のプロだった。その彼が、フランス本国で国民戦線のリーダーになり、イスラムの移民がわれわれフランス人から職を奪っていると言って、ナショナリズムを煽りつづけた。)
それとも選挙での投票の影響を考え、これ以上「労働者階級」の支持を失いたくないという「一にして全」志向のメカニズムがやはり働くのだろうか。
浅田彰から再掲すれば次の文である。
ヴァルス首相が国会での演説で「フランスはテロリズム、ジハード主義、過激イスラム主義との戦争状態にある」と踏み込み(*注)、オランド大統領もIS(「イスラム国」)空爆のためペルシア湾に向けて出港する空母シャルル・ドゴールに乗り込んで「対テロ戦争」に参加する兵士たちを激励する、それによって低迷していた支持率が急上昇する、といったその後の流れを見ていると、ブッシュのアメリカをあれほど批判していたフランスも結局は同じことをしていると言わざるを得ないだろう。
以下、中井久夫の「行動化」あるいは「暴力」論であるが、読みやすさのためにいくらか行分けした。
ここでは、《行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。》を中心にして、わたくしは読むことにする。
…………
ちなみに、ラカンは「一にして全」をめぐって考え続けた思想家だった。
行動化自体にもまた、少なくともその最中は自己と自己を中心とする世界の因果関係による統一感、能動感、単一感、唯一無二感を与える力がある。行動というものには「一にして全」という性格がある。行動の最中には矛盾や葛藤に悩む暇がない。
時代小説でも、言い争いの段階では話は果てしなく行きつ戻りつするが、いったん双方の剣が抜き放たれると別のモードに移る。すべては単純明快となる。行動には、能動感はもちろん、精神統一感、自己統一感、心身統一感、自己の単一感、唯一無二感がある。
さらに、逆説的なことであるが、行動化は、暴力的・破壊的なものであっても、その最中には、因果関係の上に立っているという感覚を与える。自分は、かくかくの理由でこの相手を殴っているのだ、殺すのだ、戦争を開始するのだ、など。
時代小説を読んでも、このモードの変化とそれに伴うカタルシスは理解できる。読者、観客の場合は同一化である。ボクサーや球団やサッカーチームとの同一化が起こり、同じ効果をもたらすのは日常の体験である。この同一化の最中には日常の心配や葛藤は一時棚上げされる。その限りであるが精神衛生によいのである。
行動化は集団をも統一する。二〇〇一年九月十一日のWTCへのハイジャック旅客機突入の後、米国政府が議論を尽くすだけで報復の決意を表明していなければ、アメリカの国論は乱れて手のつけようがなくなっていたかもしれない。
もっとも、だからといって十月七日以後のアフガニスタンへの介入が最善であるかどうかは別問題である。副作用ばかり多くて目的を果たしたとはとうてい言えない。しかし国内政治的には国論の排他的統一が起こった。「事件の二週間以内に口走ったことは忘れてくれ」とある実業家が語っていたくらいである。すなわち、アメリカはその能動性、統一性の維持のために一時別の「モード」に移行したのである。
DVにおいても、暴力は脳/精神の低い水準での統一感を取り戻してくれる。この統一感は、しかし、その時かぎりであり、それも始まりのときにもっとも高く、次第に減る。戦争の高揚感は一ヶ月で消える。
暴力は、終えた後に自己評価向上がない。真の満足感がないのである。したがって、暴力は嗜癖化する。最初は思い余ってとか論戦に敗れてというそれなりの理由があっても、次第次第に些細な契機、ついにはいいがかりをつけてまでふるうようになる。
また、同じ効果を得るために次第に大量の暴力を用いなければならなくなる。すなわち、同程度の統一感に達するための暴力量は無限に増大する。さらに、嗜癖にはこれでよいという上限がない。嗜癖は、睡眠欲や食欲・性欲と異なり、満たされれば自ずと止むという性質がなく、ますます渇きが増大する。
ちなみに、賭博も行動化への直行コースである。パチンコはイメージとも言語化とも全く無縁な領域への没入であるが、パチンコも通常の「スリル」追求型の賭博も、同じく、イメージにも言語化にも遠い。(中井久夫「「踏み越え」について」『徴候・記憶・外傷』所収pp.311-313)
…………
ちなみに、ラカンは「一にして全」をめぐって考え続けた思想家だった。
ラカンが「一」the One に反対するとき、彼が標的にしたのはその二つの様相 modalities だ。すなわちイマジネールな「一」(「一性」 One‐ness への鏡像的融合)とシンボリックな「一」(還元的な、「一の徴 le trait unaire」にかかわる「一」、そこへと対象が象徴的登録のなかに還元されてしまう「一」、すなわちこの one は差分的分節化の「一」であり、融合の「一」ではない)である。
問題は次のことだ。すなわち、リアルの「ひとつの一」a One of the Real もまたあるのか? ということだ。この役割は、ラカンが「アンコール」にて触れた Y a d'l'Un が果たすのか? Y a d'l'Un は、大他者の差分的分節化に先行した「ひとつの一」a One である。境界を画定されない non‐delimitated 、にもかかわらず独特な「一」である。「ひとつの一」a One、それは質的にも量的にも決定づけられないひとつの「一の何かがある there is something of the One」であり、リビドー的流動をサントームへともたらす最小限の収縮 contraction 、圧縮 condensation だが、それが、リアルの「ひとつの一」a One of the Real なのか?(ジジェク、2012,私訳ーーréel/réalitéの混淆)
ドイツにおける1920年代の反ユダヤ主義について考えてみよう。人びとは、混乱した状況を経験した。不相応な軍事的敗北、経済危機が、彼らの生活、貯蓄、政治的不効率、道徳的頽廃を侵食し尽した……。ナチは、そのすべてを説明するひとつの因子を提供した。ユダヤ人、ユダヤの陰謀である。そこには〈主人〉の魔術がある。ポジティヴな内容のレベルではなんの新しいものもないにもかかわらず、彼がこの〈言葉〉を発した後には、「なにもかもがまったく同じでない」……。たとえば、クッションの綴目le point de capitonを説明するために、ラカンは、ラシーヌの名高い一節を引用している、「Je crains Dieu, cher Abner, et je n'ai point d'autre crainte./私は神を恐れる、愛しのAbner よ、そして私は他のどんな恐怖もない。」すべての恐怖は一つの恐怖と交換される。すなわち神への恐怖は、世界のすべての出来事において、私を恐れを知らなくさせるのだ。新しい〈主人のシニフィアン〉が生じることで、同じような反転がイデオロギーの領野でも働く。反ユダヤ主義において、すべての恐怖(経済危機、道徳的頽廃……)は、ユダヤ人の恐怖と交換されたのだ。je crains le Juif, cher citoyen, et je n'ai point d'autre crainte. . ./私はユダヤ人を恐れる、愛する市民たちよ。そして私は他のどんな恐怖もない……。(ZIZEK,LESS THAN NOTHING 2012,私訳)