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2016年6月24日金曜日

ブレヒトからR・Bへの非難、あるいはS・Sへの非難

R・Bはいつも政治を《限定し》たがっているように見える。彼は知らないのだろうか? ブレヒトがわざわざ彼のために書いてくれたと思われる考えかたを。

「私は、たとえば、ほんの少量の政治とともに生きたいのだ。その意味は、私は政治の主体でありたいとはのぞまない、ということだ。ただし、多量の政治の客体ないし対象でありたいという意味ではない。ところが、政治の客体であるか主体であるか、そのどちらかでないわけにはいかない。ほかの選択法はない。そのどちらでもないとか、あるいは両者まとめてどちらでもあるなどということは、問題外だ。それゆえ私が政治にかかわるということは避けられないらしいのだが、しかも、どこまでかかわるというその量を決める権利すら、私にはない。そうだとすれば、私の生活全体が政治に捧げられなければならないという可能性も十分にある。それどころか、政治のいけにえにされるべきだという可能性さえ、十分にあるのだ。」(『政治・社会論集』)

彼の場所(彼にとっての《環境》)、それは言語活動である。その場所で、彼は選び取ったり、拒絶したりするのだ。彼の身体にとって何かが《可能で》あったり、《不可能で》あったりするのも、その場所においてである。彼の言語生活を政治的言述のいけにえに捧げるべきなのか? 彼は喜んで政治的《主体》になってもいいと思う。が、政治的《話し手》はご免だ(《話し手》とは、自分の弁説をよどみなく繰り出し、述べ立て、同時にそれが彼の言述であることを告示し、それに署名しておく人間のことだ。)そして、自分の《反復される》一般的な言述から政治の現実をはがし取ることが彼にはどうしてもできないから、けっきょく政治性から彼は排除されているのだ。しかし彼は、少なくとも、排除されているという事実を、自分が書くものの《政治的》意味につくり変えることができる。さながら彼は、ある矛盾現象を体現する歴史的な証人であるとでもいうかのように。それは、《敏感で、貪欲で、沈黙した》政治的主体(これらの修飾語群を分離させてはいけない)、という矛盾現象である。

政治的な言述ばかりが、反復され、一般化し、疲弊するわけではない。どこかに言述の突然変異がひとつ生じると、たちまちそこに、いわば公認ラテン語訳聖書が成立し、そのあとに、動きを失った文がぞろぞろお供について、うんざりさせる行列ができるものときまっている。その現象は珍しくもないが、それが政治的言述に現れたとき、とりわけ彼にとって許しがたいものと思われるのだ。なぜかというと、政治的言述における反復は、《もうたくさんだ》という感じを与えるからである。政治的な言述は、自分こそ現実に対する根本的な知識あるは科学であるという主張を押しつけるので、私たちのほうでは、幻想のあやかしによって、その政治的言述に最終的な権力を認めてしまう。それは、言語活動をつや消しに見せ、すべての討論をその実質の残滓に還元してしまうという権力である。そうだとすれば、政治的なものまでがことばづかいという地位に割りこみ、“おしゃべり”に変身するのを、どうしても歎かずに黙認しておけるだろうか?

(政治的な言述が反復におちいらずにすむ、いくつかのまれな条件がある。すなわち、第一は、政治的言述がみずから言述性のひとつの新しい方式を打ち立てる場合である。マルクスがそうであった。さもなければ、第二はもっと控えめな場合で、著述者が、ことばづかいというものについて単に《知的理解》さえもっているなら―――みずからの生む効果についての知識によって―――厳密でありながら同時に自由な政治的テクストを生み出せばいい。そういうテクストは、すでに言われていることをあらためて発明し変容させるかのように働き、自身の美的な特異性のしるしについて責任をもつことになる。それが、『政治・社会論集』におけるブレヒトの場合である。さらに第三の場合を考えてみるなら、それは政治的なものが、暗い、ほとんど信じられぬほどの深みにおいて、言語活動の材質そのものに武装をほどこし変形させてしまうときである。それが“テクスト”、たとえば“法”のテクストである。)


日本語によるツイッター上には、ブレヒトの非難に美的に応える唯一の実践者がいる。

日本糞尿垂れ流し会議。桜井のばばあは歯抜医者に行け! 口が臭い。神道だって? ほんとに戦死した日本兵が靖国で神になったと思ってるのか? 日本のことなど彼らはきれいさっぱり忘れたか、悪霊になったかだ。断じて神ではない! 神になれるのかな。人間様が?ギリシア悲劇かブランキを読めばいい(鈴木創士2016年06月02日)
安倍川糞餅はほっぺがたれているので砂にまぶしてどた靴で踏んづけヘドロのドブに捨ててやる方がいいのです。安倍川糞餅の寄生虫どもは元糞尿青年であれ元お子様であれ架空のぼんくらの惨めな成れの果てなのですから割れた金隠しの下に蛆虫と一緒に暮らす方がいいのです、とおじいさんが言いました。(2015年07月31日)
その日、日本の中心には一つ空虚がありました。そこは穴があいたように沼になっていて、元々はその水を飲むと馬鹿になると伝えられるドブ池でした。みんなが唾を吐き、ゴミを投げ込み、鼻汁やいろんな汚らしいものが流れ込んでいました。うんこも浮いています。安倍晋三や櫻井よしこが泳いでいました。(2015年08月09日)

《私は政治を好まない。しかし戦争とともに政治の方が、いわば土足で私の世界のなかに踏みこんできた≫(加藤周一)ーーという状況が極まっているときに、本能にうながされた「誠実な詩人」の唯一の政治への抵抗の仕方である、と言っておこう。

未知の表徴(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。

だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。

しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。ただ、口実は断じて芸術のなかにはいらないし、意図は芸術にかぞえられない、いかなるときも芸術家はおのれの本能に耳を傾けるべきであって、そのことが、芸術をもっとも現実的なもの、人生のもっとも厳粛な学校、そしてもっとも正しい最後の審判たらしめるのだ。そのような書物こそ、すべての書物のなかで、判読するのにもっとも骨の折れる書物である、と同時にまた、現実がわれわれにうながした唯一の書物であり、現実そのものによってわれわれのなかに「印刷=印象アンプレッション」された唯一の書物である。

人生がわれわれのなかに残した思想が何に関するものであろうとも、その思想の具体的形象、すなわちその思想がわれわれのなかに生んだ印象の痕跡は、なんといってもその思想がふくむ真理の必然性を保証するしるしである。単なる理知のみのよって形づくられる思想は、論理的な真実、可能な真実しかもたない、そのような思想の選択は任意にやれる。われわれの文字で跡づけられるのではなくて、象形的な文字であらわされた書物、それこそがわれわれの唯一の書物である。

といっても、われわれが形成する諸般の思想が、論理的に正しくない、というのではなくて、それらが真実であるかどうかをわれわれは知らない、というのだ。印象だけが、たとえその印象の材料がどんなにみすぼらしくても、またその印象の痕跡がどんなにとらえにくくても、真実の基準となるのであって、そのために、印象こそは、精神によって把握される価値をもつ唯一のものなのだ、ということはまた、印象からそうした真実をひきだす力が精神にあるとすれば、印象こそ、そうした精神を一段と大きな完成にみちびき、それに純粋のよろこびをあたえうる唯一のものなのである。

作家にとっての印象は、科学者にとっての実験のようなものだ、ただし、つぎのような相違はある、すなわち、科学者にあっては理知のはたらきが先立ち、作家にあってはそれがあとにくる。われわれが個人の努力で判読し、あきらかにする必要のなかったもの、われわれよりも以前にあきらかであったものは、われわれのやるべきことではない。われわれ自身から出てくるものといえば、われわれのなかにあって他人は知らない暗所から、われわれがひっぱりだすものしかないのだ。(プルースト『見出された時』井上究一郎訳ーー「今日、社会問題が、私の思想を占めているのは、創造の魔神が退いたからである」)