2016年10月27日木曜日

股下之薫陶

子貢曰。有美玉於斯。韞匵而藏諸。求善賈而沽諸。子曰。沽之哉。沽之哉。我待賈者也。

ーー「子貢曰く、上玉が居りやすぜ、ソッとして置きやしょうか、それともお手慰みなりやすか。子曰く、交ふ、交ふ、世話してくんな」

◆Schumann Der Nussbaum Bernarda Fink




子曰:「色難。有事弟子服其勞」「慢藏誨盜、冶容誨淫」

ーー子ノ玉喰フ、色難シ、事有ラバ蚊居肢子其勞ニ服ス、慢藏盜ヲ誨ヘ冶容淫ヲ誨ヘル。





旅先之伯母之家、椰子葺之屋根ニ抱カレ、薄暗キ灯火ニ黒光ル柱板敷之拡ゴル。 鎧戸ヲ全開スレバ薮蚊多シトイエドモ、蚊遣リト団扇デ追払ヒツツ 川面ヨリ清風徐ニ来タッテ頗ル風流ナリ。 然レドモ雨季之盛リ故鳥語虫語聞コエズ雨音川音ノミ。且又外出スルヿ容易ナラズ。 高床式之住居ヲ支エル柱ハ二尺程水ニ浸リ、 隣家ニ行クノサエ小舟ヲ利用スル他ナシ。 先程迄(前日)近隣之親族二十人程集マリシガ訪問帰宅ハ皆小舟ナリ。 当地之住人、雨季ハ出稼ギニ出ル習慣有ハ其所以ナリ。 伯母曰ク、雨季ニハ女孕ムヿ頗ル多シ。蓋シ消閑媾交盛之由。今晩当屋ニ泊スル伯母之孫娘、越僑二女ニ劣ラズ美玉ナリ。三美玉ト共ニ花札ニテ消閑スナリ。何タル艶ナル膝ノ崩シ方ヨ。恰モ股下之薫陶ヲ受ケシガ如シ。




(以下略)

代りに蘇東坡を貼付しておく。実に美しい詩句だ、「客有吹洞簫者」の「洞簫」とは日本でいえば尺八のことだろうか、それともプルースト流の「壺」のことだろうか・・・

渺渺兮予懷望美人兮天一方客有吹洞簫者倚歌而和之其聲嗚嗚然如怨如慕如泣如訴餘音嫋嫋不絶如縷(蘇東坡、赤壁賦)

渺渺タル予ガ懐
美人ヲ天ノ一方ニ望ム
客ニ洞簫ヲ吹ク者有リ
歌ニ倚リテ之ニ和ス
其ノ声嗚嗚然トシテ
怨ムガ如ク慕ウガ如ク
泣クガ如ク訴ウルガ如シ
余音嫋嫋トシテ
絶エザルコト縷ノ如シ

蚊居肢散人、荷風は蘇東坡をパクったのではないかと思いを馳せるなり。

断膓亭日記巻之二大正七戊午年  荷風歳四十

十二月廿二日。築地二丁目路地裏の家漸く空きたる由。竹田屋人足を指揮して、家具書筐を運送す。曇りて寒き日なり。午後病を冒して築地の家に徃き、家具を排置す、日暮れて後桜木にて晩飯を食し、妓八重福を伴ひ旅亭に帰る。此妓無毛美開、閨中欷歔すること頗妙。

◆Schumann - Im wunderschönen Monat Mai - Panzera / Cortot



…………

※付記

なお冒頭、「子曰。沽之哉。沽之哉。我待賈者也」を「子曰く、交ふ、交ふ、世話してくんな」としたのは、決して誤訳ではない。

《「沽」を「カフ」と訓でも「ウル」と訓でも,事態の本質は變はらない》(成島柳北「先生國」注解、PDF

角川の『漢和中辞典』を開いてみると(……)「買」という言葉は、あるものと別のものとを取り替える「貿」という言葉を語源としており、はじめボウと発音されていたが後になってバイと発音されるようになったという。そして、もともとは売り買い両方の意味に用いられていたこの言葉は、後になって一方の買うの意味に用いられるようになり、他方の売るという意味には「買」という字にモノを差し出すという意味の「出」という文字を組み合わせてつくられた「賣」という文字が使われるようになったという。もちろん、現在の「売」という字はこの賣という字の略字体である。

買という言葉と売という言葉とは、中国ではもともと同じ言葉であったのである。

そこで、つぎに日本語ではどうなっているかと思って『大言海』を開いてみると、あった、あった、そのなかの「買ふ」の項には「交ふ(かふ)」の他動の意のものか」という説明がつけられている。さらに岩波の『古語辞典』で「かひ」という項目を調べてみると、この言葉には「交ひ、替ひ、買ひ」という漢字の表記が当たられており、その基本的な語義として「甲乙の二つの別のものが互いに入れちがう意」という説明があたえられている。

すなわち、日本語においても、「買う」という言葉はもともとは売り買いの両方の意味をもっており、あるものと別のものとをたんに交換することをあらわしていたにすぎない。それが売るという言葉と区別されて、お金を支払ってなにかモノを手に入れるという行為をあらわすようになったのは、時代がはるかに降ってからのことのようなのである。

(……)じつは、それは、なにも中国語や日本語に固有の事実ではない。実際、二十世紀最大の言語学者のひとりに数えられているエミール・バンヴェニストがその晩年に出版した『インド=ヨーロッパ諸制度語彙集』(1969年)という大部の本のなかに収められている経済語彙についてのエッセイの多くは、まさにこの事実の解明にあたられているといっても過言ではない。

(……)かれの考察の出発点は、大多数のインド=ヨーロッパ語において「与える」あるいは「贈与する」という意味の動詞の最小単位(語根)をなしているdō- という言葉が、遠い歴史以前の時代においては「与える」という意味だけではなく、それと正反対の「受け取る」という意味をも担っていたという事実の発見にあったのである。バンヴェニストはまさにこの言語的事実のなかに、あの有名な『贈与論』(1923-24年)のなかでマルセル・モースが描き出そうと試みた「古代的な交換形態」というもののひとつの強力な証拠を見いだすことになったのである。

マルセル・モースが、古代的な社会関係を贈与とその返礼によって構成される互酬的な交換の体系と見なしたことはよく知られている。ひとにモノを贈与することは、理論的には自由であっても実際的にはかならず相手側に返礼の義務を負わせることになり、一方からの贈与は他方からの返礼としての贈与とのそれこそ果てしのない繰り返しによって、共同体の内部における財貨の交換が可能になるというのである。この全体的な交換関係のなかでは、与えることは同時に受け取ることであり、受け取ることは同時に与えることである。忘れられてしまった遠い過去において、インド=ヨーロッパ語のdō- という言葉が与えることと受け取ることを同時に意味していたのは、まさにこの「古代的な交換形態」の言語的な反映であったというわけである。(岩井克人「売買と買売」初出1986年『二十一世紀の資本主義論』所収)