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2017年2月11日土曜日

現勢神経症・刺激保護・死の本能(中井久夫とフロイト)

以下掲げる中井久夫の文は、エッセイということもあるのか、それともフロイトの捉え方に秘かに異議あるいは疑念を表しているのか(おそらく後者だろうが)、わたくしには、いささかユルイ(?)解釈のように読めないでもない(そう思うのは、このところ中井久夫「絶賛」に近い投稿が続いた反動かもしれないが)。

…………

◆中井久夫「トラウマについての断想」2006年より

【現実神経症と外傷神経症】
現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷原因となった事件の重大性と症状の重大性とによって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか。そこに真の飛躍があるのだろうか。

目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないということがあるのだろう。心的外傷も身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。

フロイト自身は、外傷神経症は現実神経症(現勢神経症)の性質をもっているとしている(かつ現勢神経症は原抑圧にかかわる、と)。

《……もっとも早期のものと思われる抑圧(原抑圧:引用者)は 、すべての後期の抑圧と同様、エス内の個々の過程にたいする自我の不安が動機になっている。われわれはここでもまた、充分な根拠にもとづいて、エス内に起こる二つの場合を区別する。一つは自我にとって危険な状況をひき起こして、その制止のために自我が不安の信号をあげさせるようにさせる場合であり、他はエスの内に出産外傷 Geburtstrauma と同じ状況がおこって、この状況で自動的に不安反応の現われる場合である。第二の場合は根元的な当初の危険状況に該当し、第一の場合は第二の場合からのちにみちびかれた不安の条件であるが、これを指摘することによって、両方を近づけることができるだろう。また、実際に現れる病気についていえば、第二の場合は現勢神経症 Aktualneurose の原因として現われ、第一の場合は精神神経症 Psychoneurose に特徴的である。

(……)外傷性戦争神経症という名称はいろいろな障害をふくんでいるが、それを分析してみれば、おそらくその一部分は現勢神経症の性質をわけもっているだろう。》(フロイト『制止、症状、不安』1926,旧訳P.356、一部訳語変更「現実神経症→現勢神経症」等)


【刺激保護壁】
外傷神経症の歴史においては、フロイトとその弟子とカーディナーとの絡み合いが重要である。

1918年夏といえば、第一次大戦最後の年であるが、ドイツ=オーストリア軍の戦争神経症患者のあまりの多さに、軍の指導的将軍たちがブタペストで行われた精神分析学会に出席するという異例な事態が起こった。フロイトは戦争神経症患者を一人も診ていないが、その弟子たちは軍医として前線に出ていた。この学会は精神分析家たちによる戦争神経症報告の会となった。

この報告書は遅れて刊行されるが、それにフロイトは序文を書いて Reizschutz(刺激防護壁とでも訳すべきか)概念をつくり出して、人間はある程度以上の刺激が心理に侵入するのを防いでいるが、この壁を突破した刺激が入り込んだ場合を外傷神経症とした。

刺激保護についても同様。フロイトは、刺激保護の破綻は(おそらく)原抑圧の誘引としている(もっともフロイトは最晩年まで原抑圧概念をめぐって彷徨っていたということはある)。

《われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧 Nachdrängen の場合である。それは早期に起こった原抑圧 Urverdrängungen を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。こういう抑圧の背景や前提については、ほとんど知られていない。また、抑圧のさいの超自我の役割を、高く評価しすぎるという危険におちいりやすい。この場合、超自我の登場が原抑圧と後期抑圧との区別をつくりだすものかどうかということについても、いまのところ、判断が下せない。いずれにしても、最初のーーもっとも強力なーー不安の襲来は、超自我の分化の行われる以前に起こる。原抑圧Urverdrängungen の手近な誘引として、もっとも思われることは、興奮が強すぎて刺激保護 Reizschutzes が破綻するというような量的な契機である。》(フロイト『制止、症状、不安』1926年 旧訳 p.325)


『快原理の彼方』における刺激保護の記述も併せて貼付。ここでも明らかにトラウマと関係づけられている。

《……この敏感な皮膜層、すなわち、後のBw体系(意識体系)は、しかしまた、内部からの刺激をも受け入れるのである。内と外との中間に位するこの体系の位置と、二つの側からくる影響にたいする条件の相違は、この体系と心的装置全体の働きを決定するものになる。外部にたいしては刺激保護 Reizschutz があるので、外界からくる興奮量は小規模にしか作用しないであろう。内部にたいしては刺激保護 Reizschutz は不可能なので、深い層の興奮は直接に、またおなじ規模で体系に伝わるのであるが、そのさいに、ある特性をもった興奮の経過が快・不快の感覚の系列をうみだすのである。むろん内部からくる興奮は、その強度と他の質的な特性(たとえばその振幅によって)、外界から流れ込む刺激よりは体系の働き方に適合しているであろう。しかし、この事情によって二つのことが決定的になる。第一に、装置内部の過程の指針である快・不快の感覚が、あらゆる外的刺激にたいして優位に立つこと、第二に、あまり大きな不快の増加をまねくような内的興奮にたいする反応の方向についてである。刺激保護 Reizschutzes の防衛手段を応用できるように、内部の興奮があたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれてくるであろう。これが病理的過程の原因として、大きな役割が注目されている投射 Projektion の由来である。

私は以上の考察によって、快感原則の支配について理解を深めたと思っているが、しかし、快感原則に矛盾する場合を解明するにはいたっていない。それゆえ、われわれは一歩前進しよう。外部から来て、刺激保護 Reizschutz を突破するほど強力な興奮を、われわれは外傷性 traumatische のものとよぶ。思うに、外傷 Traumas の概念は、平生は有効な刺激阻止にたいする、以上のような関係を含むべきものである。外部からくる外傷のような出来事は、たしかに有機体のエネルギーの運営に大規模な障碍をひき起こし、あらゆる防衛手段を活動させるであろう。しかし、そのさい快感原則は無力にされている。他方、心的装置に充満した巨大な刺激量は、押し戻すことができない。むしろ刺激をとらえて料理し、侵入した刺激量を心理的に拘束し、そのうえでそれを除去するという別個の課題が生れるのである。》(フロイト『快感原則の彼方』1920年、p167)


【死の本能】 
一方、これより先、フロイトは反復強迫を例として「死の本能」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症いみられる同一内容の悪夢がある。なお、戦争直後、フロイトは戦争神経症の診断下に電気治療を受けた一中尉の名誉回復訴訟に弁護側証人として、ワーグナー・ヤウレッグと対決しており、その中で、戦争神経症も精神分析で治療できるとフロイトは主張している。実際、「死の本能」は戦争が生み出したものであって、平時の強迫神経症はむしろ、理論の一般化のための追加である。裁判でフロイトは戦争神経症を診ていないではないかと非難され、傷ついたであろう。これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。しかし、私は「死の本能」を仮定するよりも、夢作業が全力を尽くしても消化力が足りないと考える。このほうが簡単である。そもそも目覚めてもしばらく記憶している夢は夢作用が消化しつくせなかった残りかすではないか。夢の分かりにくさと、その問題性とは、夢作業の不消化物だからではないかと私は思う。

中井久夫はめずらしく曖昧な表現をしている、《私は「死の本能」を仮定するよりも、夢作業が全力を尽くしても消化力が足りないと考える。このほうが簡単である》と。

これについてはフロイトは『夢解釈』1900年にてはっきりと叙述している、夢によって分析されない核がある、「夢の臍」、「菌糸体」、「我々の存在の核」がある、と。

《どんなにうまく解釈しおおせた夢にあっても、ある箇所は未解決のままに放置しておかざるをえないこともしばしばある。それは、その箇所にはどうしても解けないたくさんの夢思想の結び玉があって、しかもその結び玉は、夢内容になんらそれ以上の寄与をしていないということが分析にさいして判明するからである。これはつまり夢の臍 Nabel des Traums、夢が未知なるもののうえにそこに坐りこんでいるところの、その場所なのである。判読(解読)においてわれわれがつき当る夢思想は一般的にいうと未完結なものとして存在するより仕方がないのである。そしてそれは四方八方に向ってわれわれの観念世界を網の目のごとき迷宮に通じている。この編物の比較的目の詰んだ箇所から夢の願望が、ちょうど菌類の菌糸体myceliumから菌が頭を出しているように頭を擡げているのである。》(フロイト『夢判断』第七章「夢事象の心理学」新潮文庫 下 p279)

《れわれの存在の核 Kern unseres Wesensは、無意識に発する願望衝動にもっとも合目的的な道を指し示すという点にのみその役割を制限されているところの前意識にとっては把握しがたく、また、阻止しがたいものとなっている。》(フロイト『夢判断』下、p375,一部訳語変更)

現代ラカン派の解釈では、この「夢の臍 Nabel des Traums」、「菌糸体 mycelium」、「我々の存在の核 Kern unseres Wesens」 は原抑圧にかかわるものである。

最晩年のフロイトにおける「欲動の根 Triebwurzel 」も同様に原抑圧にかかわる。

《たとえ分析治療が成功したとしても、その結果治癒した患者を、その後に起こってくる別の神経症、いやそれどころか前の病気と同じ欲動の根 Triebwurzel から生じてくる神経症、つまり以前の疾患の再発に苦しむことからさえも患者を守ってあげることが困難であることがこれで明らかになった。》(フロイト『終りある分析と終りなき分析』)

そして原抑圧とは抑圧ではなく「欲動の固着 Fixierungen der Triebe」、あるいは「原固着 Urfixierung」と解釈されることが多い。

かつまた主流ラカン派の首領ジャック=アラン・ミレールによれば、固着とはサントーム のことであり、サントーム=「享楽の原子」(ジジェク,2012)とすれば、すぐさま死の欲動につながってくる(参照:フロイト引用集、あるいはラカンのサントーム)。

・ここで、私はフロイトのテキストから「一の徴 trait unaire」の機能を借り受けよう。すなわち「徴の最も単純な形式 forme la plus simple de marque」、「シニフィアンの起源 l'origine du signifiant」である。我々精神分析家を関心づける全ては、「一の徴」に起源がある。(ラカン、S.17)

・享楽はまさに厳密に、シニフィアンの世界への入場の一次的形式と相関的である。私が徴 marqueと呼ぶもの・「一の徴 trait unaire」の形式と。もしお好きなら、それは死を徴付ける marqué pour la mort ものとしてもよい。その徴は、裂目・享楽と身体とのあいだの分離から来る。これ以降、身体は苦行を被る mortifié。この「一の徴 trait unaire」の刻印の戯れ jeu d'inscription、この瞬間から問いが立ち上がる。(S17)

《…これは我々に「原 Ur」の時代、フロイトの「原抑圧 Urverdrängung」の時代をもたらす。Anne Lysy は、ミレールがなした原初の「身体の出来事」とフロイトが「固着」と呼ぶものとの連携を繰り返し強調している。フロイトにとって固着は抑圧の根である。それはトラウマの記銘ーー心理装置における過剰なエネルギーの(刻印の)瞬間--である。この原トラウマは、どんな内容も欠けた純粋に経済的瞬間なのである。》(Report on the Preparatory Seminar Towards the 10th NLS Congress "Reading a Symptom"Tel Aviv, 27 January, 2012

…………

以下も中井久夫『トラウマについての断想』からだが(上の文に引き続いた箇所)、これらには違和を感じない(わたくしにとって、という意味だが)。

【自閉症スペクトラム(ASD)の起源】
20世紀前半当時、戦争神経症は急性期の状態が細かく分類されて混乱を来していたらしく、カーディナーは分類は無益であって、急性期は多彩で混沌であるが、一括りとするのがよいとしている。ASD概念の起源である。この時期が治療の好機であり、特に最初の三日間が重要である。この時期を逃して「構造化 organize」すると、非常に治療しにくくなる。そして、急性状態を「転換ヒステリー」とみなすのは完全に間違っていると説いている。

ある時に構造化が起こる。構造化は急に起こることも徐々に起こることもあって、今でいえば認知行動的な固定化であり、いったん構造化すると年単位といった非常に緩慢な回復しか起こらないと強調している。外界の能動的「マステリー」とはすなわち段取りをつけ、緩急よろしく能率的で合目的的で器用な機転を利かせつつ迅速に仕事なり日常なりを執行する能力 executive functions である。構造化‐慢性過程においては、これが侵されて、受傷以前の職業のレベルに達しえないことがしばしばである。マステリーには受動的なものもあって、それは自己の内界の支配であり、その萎縮と縮小が起こる。彼は、統合失調症もまたこの機能の障害が大きいと述べていて、現代の認知行動的観点を予告している。

【PTSDと統合失調症】
統合失調症と外傷との関係は今も悩ましい問題である。そもそもPTSD概念はヴェトナム復員兵症候群の発見から始まり、カーディナーの研究をもとにして作られ、そして統合失調症と診断されていた多くの復員兵が20年以上たってからPTSDと再診断された。後追い的にレイプ後症候群との同一性がとりあげられたにすぎない。われわれは長期間虐待一般の受傷者に対する治療についてはなお手さぐりの状態である。複雑性PTSDの概念が保留のままになっているのは現状を端的に示す。いちおう2012年に予定されているDSM-Ⅴのためのアジェンダでも、PTSDについての論述は短く、主に文化的相違に触れているにすぎない。

しかし統合失調症の幼少期には外傷的体験が報告されていることが少なくない。それはPTSDの外傷の定義に合わないかもしれないが、小さなひびも、ある時ガラスを大きく割る原因とならないとも限らない。幼児心理において何が重大かはまだまだ探求しなければならない。

たとえばいじめにおける出口のない孤立無援感は子どもにとって生死にかかわると観念されても不思議ではない。大人でも、たとえば日本軍の兵営生活のいじめはどうだったであろうか。

一般に、外傷性障害が慢性化すると心気状態あるいは抑うつ状態となることが多い。融通の利かない、あるいは“偏屈な”人とみられることもある。

しかし、カーディナーの慢性症例でも、よく読むと、夢内容には年単位のゆるやかさではあるが、象徴化と置換という健康化に向かうメカニズムが働いている。改善はまったくないわけではないのである。

とはいえ、ジュディス・ハーマンは、ボスニアの悲劇をみて、全員がPTSDの社会が20世紀末に実現していると語り、また絵画療法に希望を託すといったと聞いている。21世紀はますます傷だらけの世界となりつつある。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年初出『日時計の影』所収 pp.51-56)

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※付記

すこしまえに「詩人中井久夫の離れ技」をめぐって記したが、以下の文に中井久夫自身による「離れ技(tour de force)」の記述がある。わたくしは失念していたので、ここにメモしておく(これは絶賛系である)。

熟知者の治療は、困難であり、できる限り避けるべきであるが、力動精神医学は、この困難の挑戦を受けて鍛えられた。一般に治療は深まれば深まるほど、熟知者に近づくのは当然の成り行きであるから、フロイトの偉大なインヴェンションは、「患者を映し照らし出す鏡の立場」に身を置くことをはじめとするこの状況に適合した治療的枠組みの設定にある。

しかし、かなり成熟した患者相手でなければ、この貫徹が不可能なことはバリントの指摘どおりで、たとえば、境界例といわれる患者たちは、テレパシーの能力があるかとさえ疑われるほどに治療者の個人的事情や内心の秘密を言い当てる。少なくとも担当の治療者はそう感じることが多い。治療者は患者にのめり込み、ルール違反を重ねる。「見すかされているからにはルールは無力だ」と思ってしまうのだ。フロイトさえ、「狼男」といわれるロシアの青年に対しては、自分の設定した枠組みを守れなかった。ロシア革命後は生活費を援助したり、結婚の、次いで離婚の面倒を見ている。1910年に得意の絶頂にあったというフロイトだが、この年に狼男が出現すると、人生に奇妙なかげりや波風が立ちはじめ、その後、二、三年のうちにアードラー、ユング、シュテーゲルらとの決裂が相次いで起る。これは、狼男を背負い込んだためのフロイトの精神衛生の低下、余裕の消失でありうる。個人症候群のレベルにおけるすさまじい患者と治療者との心理的暗闘は現場を踏んだ者んびは痛いほど分る。その過程で治療者は周囲から孤立しがちである。ようやく長年の孤立から脱したフロイトが再び孤立への道を歩む分岐点に、私は「狼男」の影がさしはじめているのを感じてしまう。

この、個人個人が孤立した、相見知らぬ市民より成る近代における力動精神医学の問題は、いかに巧妙かつ安全に個人症候群に対処しようとするかにあると私は思う。実際、20世紀の合衆国においては精神分析医はしばしば牧師の代役をつとめてきたのであって、力動精神医学の栄光も悲惨も集約されてそこにある。

力動精神医学の卓抜な工夫は、転移・逆転移(あるいはこの現象を何と呼ぼうとも)の発見である。治療者は、疑似熟知者と無記名的治療者との二役を演ずる。それは離れ技(tour de force)である。たしかに関係それ自体の中には治療力がある。しかし同時に、転移・逆転移分析は、無限に相互を映し合う、向い合った二面の鏡のごとき状況の中に道を見失いやすく、この分析を徹底して遂行しようとするのは治療者もクレージーになる危険を冒すことである。(中井久夫『治療文化論』pp.91-92)

ーー中井久夫の記している「疑似熟知者」とは、ラカンの「知を想定された主体」とほぼ等しい。

すくなくともある時期までのラカンにとって、分析家 analyste は分析主体 analysant にたいして「知を想定された主体 sujet suppose savoir」の機能の場に立つと言われた。分析家だけではない。たとえばある種の作家や批評家は、読み手の転移によって「知っていると想定された主体」となる。《知を想定された主体がどこかにいるや否や、そこに転移があります》(ラカン S11)。

※補遺 → 原抑圧の悪夢