2017年6月28日水曜日

音が消え入ってゆく感覚

……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラⅡ」)

川向うから這ってくる音」で、レジーヌ・クレスパン Régine Crespinのシューマン「異郷」にてを貼り付けた(いままでも何回か貼付しているが)。

◆Schumann, Eichendorff Liederkreis Op 39 - 1. In der Fremde (Régine Crespin)





このクレスパンの歌声があたえてくれる感覚と似たものを感じる別の演奏がある。

わたくしはシューマンは比較的よく聴くが、ショパンはあまり聴かない。だがマリラ・ジョナス Maryla Jonasのマズルカを聴いてひどく驚いた。その東欧の土の香りへのかぎりない憧憬と悲哀とでもいうべきもの。もっともわたくしがこう思い込むのは、彼女の履歴を調べてみたせいだが。

◆Maryla Jonas plays Chopin - Mazurka in F major Op. 68, No. 3



それにしてもこの音が遠くからやってきてそして消え入ってゆく感覚ーー、わたくしがこの数年で出会った稀有の演奏である。実に《戸口を吹きぬけるすきま風の匂》を嗅いでクラクラと陶酔させられる。

それは角を曲がったところで待っているものの感覚でもある。

現実界とはただ、角を曲がったところで待っているもの、ーー見られず、名づけられず、だがまさに居合わせているものである。(ポール・バーハウ、Byond gender, 2001)

「開け、胡麻!」といって扉が開き向こうにあるものが垣間見えるのである。 《扉を開く読書、アリババの呪文、魔法の種》(プルースト訳註、ラスキン『胡麻と百合』の注釈より)
ライナーノーツによると、彼女は、1920年、9歳でデビューし、1926年頃からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになります。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動は中断、彼女は強制収容所に収監されてしまいます。7か月以上収監された後、マリラ・ジョナスの演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで逃亡し、ブラジルへ亡命します。その後、アルトゥール・ルービンシュタインに見出され、1946年にアメリカでのデビューを果たします。このリサイタルを聴いたニューヨーク・タイムズの評論家が彼女を絶賛し、次第に人気がでるようになりますが、厳しい収容所生活のせいもあり、1959年にわずか48年の生涯を閉じてしまいます。マリラ・ジョナス(Maryla Jonas, 1911~1959年)

この数年でもうひとつ驚いたのは、いわゆる総統のピアニストエリー・ナイ Elly Ney のシューマン、Etudes Symphoniques, Variations Posthumes, No. 5だ。




音楽は一見いかに論理的・倫理的な厳密なものであるにせよ、妖怪たちの世界に属している、と私にはむしろ思われる。この妖怪の世界そのものが理性と人間の尊厳という面で絶対的に信頼できると、私はきっぱりと誓言したくはない。にもかかわらず私は音楽が好きでたまらない。それは、残念と思われるにせよ、喜ばしいと思われるにせよ、人間の本性から切り離すことができない諸矛盾のひとつである。(トーマス・マン『ファウスト博士』)

◆My 10 Favorite Women Pianists



この標準の演奏速度からすればひどく遅いテンポの、一音一音刻み込まれる音たち。彼女の演奏するこの Schumann Variations Posthumes (Op. Posthume, Appendix to Op. 13)は冒頭からとてつもなく美しいが、やはり上に切り取られている10:25からが際立っている。

……この運命を私が怖れているとでも思うの? たとえどんなことになろうと、私は怖れることなく、この運命に向かって突き進んで行くつもりよ。断頭台さえ私にとっては逸楽の玉座でしかなく,死ぬことだってものともしないわ、そして己れの大罪の犠牲者として死ぬ快楽、いつの日か全世界を恐怖せしめる快楽にわれを忘れて、私は気をやるのよ。(サド、ボルゲーゼ公爵夫人)