2018年1月11日木曜日

ヨイコのための「享楽」

フロイトは1924年のマゾヒズム論文で、「苦痛のなかの快 Schmerzlust」が原マゾヒズムだと書いている(参照:「享楽という原マゾヒズム」)。なによりもまずこの「苦痛のなかの快」、これがラカンの「享楽」概念の核である。

享楽は現実界である。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, フロイトはこれを発見した。すぐさまというわけにはいかなかったが。il l'a découvert, il l'avait pas tout de suite prévu.(ラカン、S23, 10 Février 1976)
真理における唯一の問い、フロイトによって名付けられたもの、「死の本能 instinct de mort」、「享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance」 …全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し、視線を逸らしている。(ラカン、S13, 08 Juin 1966)
不快とは、享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. (Lacan, S17, 11 Février 1970)

フロイトは第一次世界大戦の兵士たちの戦争神経症(戦争トラウマ)の症例において、不快であるはずなのに「反復強迫」される症状を見出した。それまで人間の根本原理として固執していた「快原理」は適用できない症状を。

それを、より一般化させて『快原理の彼岸』の前年に上梓された『不気味なもの』論文で、はじめてーーフロイトのターニングポイントとしてーー次のように記している。

心的無意識のうちには、欲動の蠢き Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。(フロイト『不気味なもの』1919)

ようは人間には「苦痛のなかの快 Schmerzlust」というマゾヒズム的で「不気味な」反復症状があるのである。ラカンには種々の享楽をめぐる発言があるが、基盤はフロイトのここにしかない。

たとえば(ファルス享楽の彼岸にある)他の享楽。これは快原理の彼岸にある反復強迫的症状のことである。

この他の享楽が、身体の享楽、女性の享楽とも呼ばれるものである。

ファルス享楽 jouissance phallique とは身体外 hors corps のものである。他の享楽 jouissance de l'Autre とは、言語外 hors langage、象徴界外 hors symbolique のものである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

ーーいま通常は「大他者の享楽」と訳される"jouissance de l'Autre"を「他の享楽」と訳した理由は、「ラカンの「大他者の享楽」」を見よ。


そして上の文は、ファルス享楽は、言語内の享楽・象徴界内の享楽、(ファルス秩序の彼岸にある)他の享楽は、身体の享楽だという意味でもある。

ひとつの享楽がある il y a une jouissance…身体の享楽 jouissance du corps である…ファルスの彼岸 Au-delà du phallus…ファルスの彼岸にある享楽! une jouissance au-delà du phallus, hein ! (Lacan, S20, 20 Février 1973)

そしてこの他の享楽、身体の享楽は、女性の享楽とも呼ばれる(この「女性」は解剖学的女性とは基本的には関係がない)。

非全体の起源…それは、ファルス享楽ではなく他の享楽を隠蔽している。いわゆる女性の享楽を。…… qui est cette racine du « pas toute » …qu'elle recèle une autre jouissance que la jouissance phallique, la jouissance dite proprement féminine …(LACAN, S19, 03 Mars 1972)

攻撃欲動、破壊欲動等と呼ばれるものも、(いま上に記した)マゾヒズム的で「不気味な」反復症状、「身体の享楽」に起源がある。

マゾヒズムはサディズムより古い。der Masochismus älter ist als der Sadismus。そしてサディズムは外部に向かう破壊欲動 Destruktionstrieb であり、したがって攻撃性の特徴を獲得する。…

我々は、自らを破壊しないように、つまり自己破壊傾向 Tendenz zur Selbstdestruktionから逃れるために、他の物や他者を破壊する必要があるようにみえる。ああ、モラリストたちにとって、実になんと悲しい暴露 だろうか! (フロイト 1933、『新精神分析入門』32 講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」)

この原マゾヒズムは、フロイトにとって「欲動の根」にかかわる原症状である。

たとえ分析治療が成功したとしても、その結果治癒した患者を、その後に起こってくる別の神経症、いやそれどころか前の病気と同じ欲動の根 Triebwurzel から生じてくる神経症、つまり以前の疾患の再発に苦しむことからさえも患者を守ってあげることが困難であることがこれで明らかになった。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937年)

なにはともあれ、ラカンの「女性の享楽」という表現を、解剖学的女性にかかわる享楽だと錯誤して、神秘的に語ってはならないのである。わたくしは神秘的に語るのが好きなほうなのを認めるのに吝かではないがーーたとえば「子宮の享楽」?・・・すなわち「ラカン派的子宮理論」--、すくなくともヨイコは上のような基本認識を端折って(あるいはわたくしのように忘れたふりをして)、女性の享楽を語ってはナリマセンヨ。

身体の出来事は、トラウマの審級にある。衝撃、不慮の出来事、純粋な偶然の審級に。événement de corps…est de l'ordre du traumatisme, du choc, de la contingence, du pur hasard

…女性の享楽は、純粋な身体の出来事である。la jouissance féminine est un pur événement de corps ジャック=アラン・ミレール 、Miller, dans son Cours L'Être et l'Un 、2011、pdfーー女性の享楽と身体の出来事