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2019年1月23日水曜日

タガメ教師とカエル研究者

日本ラカン派の「亀の歩み」」で記したけれど、だいたい20年前のラカンだよ、日本で主に「いまだ」語られているのは。

ネットに落ちているフロイト論やラカン論は京大系が多いけれど、若い研究者の論文をチラミすると、こいつら今頃なにやってんだろうな、とおもうからな。→「ここにも一人」、2017年の時点のエッセイがあるけどね。まったく消化できていないのが明らかだな、晩年のラカンが。アンコールどまりのままだ。フロイトの原抑圧もわかっていない。

そもそも晩年のラカンは真理から享楽へ移行したのに(参照)、上尾くんは、いまどき『ラカン 真理のパトス』なんて書名の書を上梓してるわけで、とっても「厚顔無恥な」人物だな。何が書いてあるかは知らないけど。小泉義之が合評会でいじいじ苛めてるんだけど(参照)。上尾くんはどうやら中期ラカンのみがおすきらしい。中期ラカンとは、ラカンがフロイトから最も離れた時期で、彼のフロイト研究とどうやって両立させるんだろ?


なにはともあれ、ロクでもない査読教師のもとで修士論文やら博士論文かいたら、アタマ自体がお釈迦になるよ、「欲求要求欲望の弁証法のお釈迦」で例を出したように。

若者全般へのメッセージですが、世間で言われていることの大半は嘘だと思った方が良い。それが嘘だと自分は示し得るという自信を持ってほしい。たとえ今は評価されなくとも、世界には自分を分かってくれる人が絶対にいると信じて、世界に働き掛けていくことが重要だと思います。(蓮實重彦インタビュー、東大新聞2017年1月1日号)

以下の中井久夫の文は、 「文化精神医学の論文」について書かれているけれど、すべての研究論文もおそらく同様。ひところ、深尾葉子さんの『日本の男を喰いつくす「タガメ女」の正体』と『日本の社会を埋め尽くすカエル男の末路』での語彙群が流通していたけれど、中井久夫のいっているのはタガメ教師たちに牛耳られるカエル研究者の話だ。

この際に、職業的精神科医の“研究文化”が精神科医・非精神科医の双方にはめているタガについて一言したい。

文化精神医学の論文は、医学論文ひろくは科学論文としての作法にしたがって執筆される。そのように執筆されたものでないと、編集委員会において、もし委員たちが“開かれた”マインドの持ち主ならば「発想はよいのだけれど」、そうでなければ「論文の態をなさず!」の付箋とともに返却される強い傾向がある。このための研究者の自己規制は、公衆の理解をほとんど超えるものである。民間学者の研究が微笑(あるいは冷笑)とともに無視されるのはこのためである。研究者の最初の五年のトレーニングの中にこの作法を身につけ、このタガをみずからはめるためにカリキュラムがあり、相当の時間と精力をついやして遂行される。これが身についてはじめて研究者という自己規定が自他に承認されるからである。

この“研究文化”が自己認識に達しえないのは、そこのルールに従い、そこの「満足の基準」を満たすことを念頭に置いてはたらくのが研究者であることが、研究者自体のみならず、その家族、親族、友人、地域社会、公衆、ジャーナリズムによって支持されているからでもある。「学者は(社会の)まなざしによってつくられる」面もある。反骨の民間学者の著述もしばしば卑屈な(あるいは然るべき)この“研究文化”への追従(あるいは敬意)に満ちている。

注意すべきは、現在、文化精神医学をふくめて、医学ひいては科学の論文が、その掲載する、ほとんどは欧米の雑誌編集委員によって審査されるということである。日本において欧米の書のみを「原書」と称する慣習こそ弱まったが、「国際雑誌」なる語があり、「これに載った」とは、必ず欧米の“一流学術雑誌”に掲載されたことなのである。

……冷厳な事実は、1990年現在なお、日本文化圏より産出される論文は、いわば秀才の生徒が教師に提出する形で、欧米の、しばしば二流学者である編集委員に採点されるのである。(……)

欧米雑誌編集者が投稿論文をしばしば剽窃することは1950年代すでに林髞(慶大生理学教授、作家「木々高太郎」)の警告するとおりであり、さもなくとも、第二級の論文を歓迎しても、第一級の論文は故意かあらずか遅延され、類似論文が先行掲載されることは、少なからぬ日本文化圏の研究者がなめた苦杯である。

私もその列を末席を汚し、以後私たちのグループーー当時私はウイルスと細胞レセプターの相互作用を解析する生物学者であったがーーは、断然チェコスロバキアの雑誌を投稿先に選んだ。彼らとはきわめてよい関係を結び、当時入手困難の辞典などが送られてきた。もし、あのまま私がブラチスラヴァの研究所に赴いていたらーー当時私はひとり身で血も今より熱かったーーひとりの日本人留学生が1968年に彼地で行方不明になったという小記事が昨年あたりどこかの新聞に載ったかも知れない。モンゴル出身者を含め多くの留学生がチェコスロヴァキア学友の側に立って銃をとったからである。

養老孟司が英語論文を断乎やめて日本語で書くことを励行し、せめて日中合同の雑誌をつくろうと念願しておられるのは、氏も苦杯を甞めたか、甞めた同僚知己を身近かに持つからであろう。(……)

ただし、完備した欧米の“研究文化”に属する「国際雑誌」編集委員でも、心ある人の憂えているのは、真のオリジナルな論文を逸することである。真の革命的な論文は、ほとんどつねに当初は体裁のととのわない、いびつな構成の奇妙な代物として、研究エスタブリッシュメントのトップを構成する彼らに映じるからである。この盲点を究極はまぬかれぬとしても、彼らがそれを意識していること自体が重要である。わが国の諸先生にこの意識があるか否か。(中井久夫『治療文化論』1990年)

さて以上でこの話はおわり。いくらか連投したけど。