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2020年8月31日月曜日

アファナシエフ1972

◼️Valery Afanassiev 1972




◼️Afanassiev 1972
(Queen Elisabeth International Competition, Recital of the 1st prize laureate)



◼️Afanassiev 1969-1971




◼️Afanassiev 2019





2020年8月15日土曜日

女ぎらひ

以下、前回の記事を記した後、蚊居肢散人の脳髄のなかの自動生成装置が次の文献群を呼び起こした。ひょっとして相関関係がたいしてないかもしれないが、記念にここに貼り付けておく。



女嫌いとは何だろうか? 「自分の嫌うところは」と、定評あるストリンドベルヒが正直に答えて居る。「女の気質や性格であって、肉体に属するものではない。」と。同様にショーペンハウエルが、彼の哲学で罵倒しながら、彼の膝の上で若い女を愛撫して居た。すべての女嫌いについて、定義し得るところはこうである。人格としてでなく、単に肉塊として、脂肪として、劣情の対象としてのみ、女の存在を承諾すること。(婦人に対して、これほど憎悪の感情をむき出しにした、冒涜の思想があるだろうか。)

しかしながら一方では、それほど観念的でないところの、多数の有りふれた人々が居り、同様の見解を抱いている。殆ど多くの、世間一般の男たちは、初めから異性に対してどんな精神上の要求も持っていない。女性に対して、普通一般の男等が求めるものは、常に肉体の豊満であり、脂肪の美であり、単に性的本能の対象としての、人形への愛にすぎないのである。しかも彼等は、この冒涜の故に「女嫌い」と呼ばれないで、逆に却って「女好き」と呼ばれている。なぜなら彼等は、決してどんな場合に於ても、女性への毒舌や侮辱を言わないから。

然る一方で、何故に或る人たちが、常に女性を目の敵にして、毒舌や侮辱をあえてするのだろうか。(それによって彼等は、女嫌いと呼ばれるのである。)けだしその種の人々は、初めから女に対して、単なる脂肪以上のものを、即ち精神や人格やを、真面目に求めているからである。女がもし、単なる肉であるとすれば、もとより要求するところもなく、不満するところもないだろう。彼等もまた世間多数の男と同じく、無邪気に脂肪の美を讃美し、多分にもれない女好きであるだろう。それ故に女嫌いとは? 或る騎士的情熱の正直さから、あまりに高く女を評価し、女性を買いかぶりすぎてるものが、経験の幻滅によって導かれた、不幸な浪漫主義の破産である。然り! すべての女嫌いの本体は、馬鹿正直なロマンチストにすぎないのである。(萩原朔太郎『虚妄の正義』1929年)


………………


大体私は女ぎらいというよりも、古い頭で、「女子供はとるに足らぬ」と思っているにすぎない。 女性は劣等であり、私は馬鹿でない女(もちろん利口馬鹿を含む)にはめったに会ったことがない。 事実また私は女性を怖れているが、男でも私がもっとも怖れるのは馬鹿な男である。まことに馬鹿ほど怖いものはない。

また註釈を加えるが、馬鹿な博士もあり、教育を全くうけていない聡明な人も沢山いるから、何も私は学歴を問題にしているのではない。 こう云うと、いかにも私が、本当に聡明な女性に会ったことがない不幸な男である、 という風に曲解して、私に同情を寄せてくる女性がきっと現れる。こればかりは断言してもいい。 しかしそういう女性が、つまり一般論に対する個別的例外の幻想にいつも生きている女が、実は馬鹿な女の代表なのである。 (三島由紀夫「女ぎらひの弁」1955年)






三島の初期の母子関係は異様なものであった。多くの人がその異様さの一端として引用するが,『伜』 によれば,三島の授乳は4時間おきで,祖母・夏子によって管理されており,授乳時間も10分か15分と 決まっていたという(安藤,1998)。また,早くから母親と引き離され,ヒステリー持ちの祖母のカビ臭い部屋に置かれ,祖母の世話役的な育てられ方をした。近所の男の子との遊びも悪戲を覚えてはいけないとの理由で禁止され,女の子として育てられた。祖母の名を差し置いて最初に母の名を呼ぶことが祖母のヒステリーを誘発することを恐れた幼い三島は,いつも祖母の名を先に呼ぶよう気を遣っていた(平岡, 1990)。

こうした陰鬱な時間は,三島が16歳で書いた処女作『花盛りの森(1944)』の中に,「祖母は神経痛をやみ,痙攣を始終起こした。(中略)痙攣が,まる一日,ばあいによっては幾夜さもつづくと,もっ と顕著なきざしが表れてきた。それは『病気』がわがものがおに家じゅうにはびこることである」と,幼い感受性でとらえた異常さと緊張が描写されている。ここには,①母性の早期の剥奪,②性の同一性の混乱,③依存を体験する前に大人に対する気遣いや世話を身につけてしまったことなど,世代の錯綜の問題などがすでに孕まれており,三島自身が初期に拘るようになるに十分な人生のスタートであった。(井原成男「ロールシャッハ・テストプロトコルからみた 三島由紀夫の母子関係と同性愛」2015)






子供は成人の心理学的な父である。幼児の最初期の出来事は、後の全人生において比較を絶した重要性を持つ。 das Kind sei psychologisch der Vater des Erwachsenen und die Erlebnisse seiner ersten Jahre seien von unübertroffener Bedeutung für sein ganzes späteres Leben,(フロイト『精神分析概説』第7章草稿、死後出版1940年)

男性の同性愛において見られる数多くの痕跡 traits がある。何よりもまず、母への深く永遠な関係 un rapport profond et perpétuel à la mère である。(ラカン、S5、29 Janvier 1958)
男性の同性愛者の女への愛 L'amour de l'homosexuel pour les femmes は、昔から知られている。われわれは名高い名、ワイルド、ヴェルレーヌ、アラゴン、ジイドを挙げることができる。彼らの欲望は女へは向かわなかったとしても、彼らの愛は「女というもの Une femme 」に落ちた。すくなくとも時に。

男性の同性愛者は、その人生において少なくとも一人の女をもっている。フロイトが厳密に叙述したように、彼の母である。男性の同性愛者の母への愛は、他の性への欲望 désir pour l'Autre sexe のこよなき防御として機能する。…

私はすべてがそうであると言うつもりはない。同性愛者の多様性は数限りない。それにもかかわらず、…ラカンがセミネール「無意識の形成」にて例として覆いを解いた男性の同性愛者のモデルは、「母への深く永遠な関係」という原理を基盤としている。(Pour vivre heureux vivons mariés par Jean-Pierre Deffieux、2013 ーーLe Journal extime de Jacques-Alain Miller)






母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン, S5, 15 Janvier 1958)
母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン, S4、12 Décembre 1956)
全能 omnipotence の構造は、母のなか、つまり原大他者 l'Autre primitif のなかにある。あの、あらゆる力 tout-puissant をもった大他者…(ラカン、S4、06 Février 1957)
(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存 dépendance を担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)

すべての女性に母の影は落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。(ポール・バーハウ  Paul Verhaeghe, Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE, 1998)




………………


女が真実を語るのは、言葉でなしに、からだでだ。(坂口安吾「恋をしに行く」1947年) 
素子とは何者であるか? 谷村の答へはたゞ一つ、素子は女であつた。そして、女とは? 谷村にはすべての女がたゞ一つにしか見えなかつた。女とは、思考する肉体であり、そして又、肉体なき何者かの思考であつた。この二つは同時に存し、そして全くつながりがなかつた。つきせぬ魅力がそこにあり、つきせぬ憎しみもそこにかゝつてゐるのだと谷村は思つた。   (坂口安吾「女体」1946年)
男の肉体にくらべれば、女の肉体はもっと悲しいものゝようだ。女の感覚は憎悪や軽蔑の通路を知るや極めて鋭く激しいもので、忽ちにして男のアラを底の底まで皮をはいで見破ってしまう。そして極点まで蔑み憎んでいるものだ。そのくせ、女の肉体の弱さは、その極点の憎悪や軽蔑を抱いたまゝ、泥沼のクサレ縁からわが身をどうすることもできないという悲しさである。(坂口安吾「ジロリの女」1948年)
私自身が一人の女に満足できる人間ではなかつた。私はむしろ如何なる物にも満足できない人間であつた。私は常にあこがれてゐる人間だ。
私は恋をする人間ではない。私はもはや恋することができないのだ。なぜなら、あらゆる物が「タカの知れたもの」だといふことを知つてしまつたからだつた。
ただ私には仇心があり、タカの知れた何物かと遊ばずにはゐられなくなる。その遊びは、私にとつては、常に陳腐で、退屈だつた。満足もなく、後悔もなかつた。(坂口安吾「私は海をだきしめてゐたい」1947年)
母。――異体の知れぬその影がまた私を悩ましはじめる。
私はいつも言ひきる用意ができてゐるが、かりそめにも母を愛した覚えが、生れてこのかた一度だつてありはしない。ひとえに憎み通してきたのだ「あの女」を。母は「あの女」でしかなかつた。(略)

三十歳の私が、風をひいたりして熱のある折、今でもいちばん悲しい悪夢に見るのがあの時の母の気配だ。姿は見えない。だだつぴろい誰もゐない部屋のまんなかに私がゐる。母の恐ろしい気配が襖の向ふ側に煙のやうにむれてゐるのが感じられて、私は石になつたあげく気が狂れさうな恐怖の中にゐる、やりきれない夢なんだ。母は私をひきづり、窖のやうな物置きの中へ押しこんで錠をおろした。あの真つ暗な物置きの中へ私はなんべん入れられたらうな。闇の中で泣きつづけはしたが、出してくれと頼んだ覚えは殆んどない。ただ口惜しくて泣いたのだ。(略)

ところが私の好きな女が、近頃になつてふと気がつくと、みんな母に似てるぢやないか! 性格がさうだ。時々物腰まで似てゐたりする。――これを私はなんと解いたらいいのだらう!

私は復讐なんかしてゐるんぢやない。それに、母に似た恋人達は私をいぢめはしなかつた。私は彼女らに、その時代々々を救はれてゐたのだ。所詮母といふ奴は妖怪だと、ここで私が思ひあまつて溜息を洩らしても、こいつは案外笑ひ話のつもりではないのさ。(坂口安吾「をみな」1935年)


…………………


急に聰子の中で、爐の戸がひらかれたやうに火勢が増して、ふしぎな焔が立上つて、雙の手が自由になつて、清顯の頬を押へた。その手は清顯の頬を押し戻さうとし、その唇は押し戻される清顯の唇から離れなかつた。濡れた唇が彼女の拒みの餘波で左右に動き、清顯の唇はその絶妙のなめらかさに醉うた。それによつて、堅固な世界は、紅茶に涵された一顆の角砂糖のやうに融けてしまつた。そこから果てしれぬ甘美と融解がはじまつた。

清顯はどうやつて女の帶を解くものか知らなかつた。頑ななお太鼓が指に逆らつた。そこをやみくもに解かうとすると、聰子の手がうしろへ向つてきて、清顯の手の動きに強く抗しようとしながら微妙に助けた。二人の指は帶のまはりで煩瑣にからみ合ひ、やがて帶止めが解かれると、帶は低い鳴音を走らせて急激に前へ彈けた。そのとき帶は、むしろ自分の力で動きだしたかのやうだつた。それは複雑な、収拾しやうのない暴動の發端であり、着物のすべてが叛亂を起したのも同然で、清顯が聰子の胸もとを寛ろげようとあせるあひだ、ほうぼうで幾多の紐がきつくなつたりゆるくなつたりしてゐた。彼はあの小さく護られてゐた胸もとの白の逆山形が、今、目の前いつぱいの匂ひやかな白をひろげるのを見た。

聰子は一言も、言葉に出して、いけないとは言はなかつた。そこで無言の拒絶と、無言の誘導とが、見分けのつかないものになつていた。彼女は無限に誘ひ入れ、無限に拒んでゐた。ただ、この神聖、この不可能と戰つてゐる力が、自分一人の力だけではないと、清顯に感じさせる何かがあつた。

それは何だつたろう。清顯は、目をつぶつたままの聰子の顔がすこしづつ紅潮してきて、そこに放恣な影の亂れるのをまざまざと見た。その背を支へる清顯の掌に、はなはだ微妙な、羞恥に充ちた壓力が加はつてゆき、彼女はさうして、あたかも抗しかねたかのやうに、仰向きに倒れた。

清顯は聰子の裾をひらき、友禪の長襦袢の裾は、紗綾形と亀甲の雲の上をとびめぐる鳳凰の、五色の尾の亂れを左右へはねのけて、幾重に包まれた聰子の腿を遠く窺はせた。しかし清顯は、まだ、まだ遠いと感じてゐた。まだかきわけて行かねばならぬ幾重の雲があつた。あとからあとから押し寄せるこの煩雑さを、奥深い遠いところで、狡猾に支へてゐる核心があつて、それがじつと息を凝らしてゐるのが感じられる。

やうやく、白い曙の一線のやうに見えそめた聰子の腿に、清顯の體が近づいたときに、聰子の手が、やさしく下りてきてそれを支へた。この恵みが仇になつて、彼は曙の一線にさへ、觸れるか觸れぬかに終つてしまつた。

――二人は疊に横たはつて、雨のはげしい音のよみがへつた天井へ目を向けてゐた。彼らの胸のときめきはなかなか静まらず、清顯は疲れはおろか、何かが終つたことさへ認めたがらない昂揚の裡にゐた。しかし二人の間に、少しづつ暮れてくる部屋に募る影のやうな、心殘りの漂つてゐることも明らかになつた。彼は又、源氏襖のむかうに、かすかな、年老いた咳拂ひをきいたやうに思つて、身を起しかけたが、聰子がそつと彼の肩を引いて引止めた。

やがて聰子は、一言もものを言はずに、かうした心殘りを乗り越えて行つた。そのとき清顯は、はじめて聰子のいざなひのままに動くことのよろこびを知つた。あのあとでは何もかも恕すことができたのである。

清顯の若さは一つの死からたちまちよみがえり、今度は聰子のなだらかな受容の橇に乗つた。彼は女に導かれるときに、こんなにも難路が消えて、なごやかな風光がひろがるのをはじめて覺つた。暑さのあまり、清顯はすでに着てゐるものを脱ぎ捨ててゐた。そこで肉のたしかさは、水と藻の抵抗を押して進む藻刈舟の舟足のやうに、的確に感じられた。清顯は、聰子の顔が何の苦痛も泛べず、微光のさすやうな、あるかなきかの頬笑みを示してゐるのをさへ訝らなかつた。彼の心にはあらゆる疑惑が消えた。
( ……)

聰子が言つた最初の言葉は、清顯のシャツをとりあげて、
「お風邪を召すといけないわ。さあ」
と促した言葉だつた。彼がそれを亂暴につかまうとすると、聰子は輕く拒んで、シャツを自分の顔に押し當て、深い息をしてから返した。そのとき聰子が手を鳴らすのにおどろかされた。思はせぶりな永い間を置いて、源氏襖をひらいて、蓼科が顔を出した。
「お召しでございますか」
聰子はうなづいて、身のまわりに亂れた帶のはうを目で指し示した。蓼科は、襖を閉めると、清顯のはうへは目もくれずに、無言で疊をゐざつて来て、聰子の着衣と帶を締めるのを手つだつた。それから部屋の一隅の姫鏡臺を持つてきて、聰子の髪を直した。この間、清顯は所在なさに死ぬやうな思ひがしてゐた。部屋にはすでにあかりが點ぜられ、女二人の儀式のやうなその永い時間に、彼はすでに無用の人になつてゐた。(三島由紀夫「春の雪」『豊饒の海』第一巻)






………………


女が欲することは、神も欲する。Ce que femme veut, Dieu le veut(ミュッセ、Le Fils du Titien, 1838)
問題となっている「女というもの」は、「神の別の名」である。La femme dont il s'agit est un autre nom de Dieu(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
「大他者の大他者はある」という人間にとってのすべての必要性。人はそれを一般的に神と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、神とは単に「女というもの」だということである。La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile que c'est tout simplement « La femme ». (ラカン、S23、16 Mars 1976)


モノは母である。das Ding, qui est la mère (ラカン, S7, 16 Décembre 1959)
モノは享楽の名である。das Ding[…] est tout de même un nom de la jouissance(J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XX, 10 juin 2009)
享楽の対象Objet de jouissance …フロイトのモノ La Chose(das Ding)…それは、…喪われた対象 objet perdu である。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)
母という対象 Objekt der Mutterは、欲求Bedürfnissesのあるときは、「切望sehnsüchtig」と呼ばれる強い備給Besetzung(リビドー )を受ける。……(この)喪われている対象(喪われた対象)vermißten (verlorenen) Objektsへの強烈な切望備給 Sehnsuchtsbesetzung(リビドー )は絶えまず高まる。それは負傷した身体部分への苦痛備給Schmerzbesetzung der verletzten Körperstelle と同じ経済論的条件ökonomischen Bedingungenをもつ。(フロイト『制止、症状、不安』第11章C、1926年)



モノの概念、それは異者としてのモノである。La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger, (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)
ひとりの女は異者である。 une femme, […] c'est une étrangeté.  (Lacan, S25, 11  Avril  1978)
異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)
女性器は不気味なものである。das weibliche Genitale sei ihnen etwas Unheimliches. 女性器は誰しもが一度は、そして最初はそこにいたことのある場所への、人の子の故郷 Heimat への入口である。冗談にも「愛とは郷愁だ Liebe ist Heimweh」という。もし夢の中で「これは自分の知っている場所だ、昔一度ここにいたことがある」と思うような場所とか風景などがあったならば、それはかならず女性器 Genitale、あるいは母胎 Leib der Mutter であるとみなしてよい。(フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)
人には、出生とともに、放棄された子宮内生活へ戻ろうとする欲動、母胎回帰がある。Man kann mit Recht sagen, mit der Geburt ist ein Trieb entstanden, zum aufgegebenen Intrauterinleben zurückzukehren, […] eine solche Rückkehr in den Mutterleib. (フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版1940年)





なぜかシューベルトが20歳のときに書いた未完のD 571の「暗闇に蠢く幼虫」のような感覚まで想起したのだが、これはどういったわけだろうか?




暗闇に蔓延る異者 wuchert dann sozusagen im Dunkeln […] fremd (フロイト『抑圧』1915年)
暗闇に置き残された夢の臍 im Dunkel lassen[…]Nabel des Traums」(フロイト『夢解釈』第7章、1900年)
欲動の現実界 le réel pulsionnel がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。…原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。(ラカン, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)



2019年11月22日金曜日

恋に恋して

前回も記したようにヌリア・リアル Nuria Rialは1975年カタローニア生まれだから、下の映像は41歳のときとなる。じつに美しい。

■Francesco Cavalli: L'Amore Innamorato(恋に恋して), Non è maggior piacer, Christina Pluhar, 2016




ひとりの歌手に惚れるといままで一度も聴いたことのない曲まで聴くようになるという効用がある。

それにしてもNuria Rial - Rinaldo, Lascia ch'io piangaの3;00からの数十秒は絶品だ、20回ぐらいきいたけれどまだ鳥肌が立つ(たぶん映像効果もある、ーーああオッカサン!)。

さらにふたたび  ライネル・マリア・リルケ 堀辰雄訳

さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、
いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、
他の人達の死んでいつた恐ろしい沈默の深淵をも
知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して
古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横たへよう
花々のあひだに、空にむかつて。


2年ほどまえ聴いてウナサレ続ケタ Bernarda Fink「夜咲きすみれ Nachtviolen」 の後半(1:38~)と同じぐらい衝撃的だ。


愛の歌   リルケ  富士川英郎訳

お前の魂に 私の魂が触れないように
私はどうそれを支えよう? どうそれを
お前を超えて他のものに高めよう?
ああ 私はそれを暗闇の なにか失われたものの側にしまつて置きたい
お前の深い心がゆらいでも ゆるがない
或る見知らぬ 静かな場所に。
けれども お前と私に触れるすべてのものは
私たちを合わせるのだ 二本の紘から
一つの声を引きだすヴァイオリンの弓の摩擦のように。
では どんな楽器のうえに 私たちは張られているのか?
そしてその手に私たちを持つ それはどんな弾き手であろう?
ああ 甘い歌よ


2018年12月1日土曜日

2018年8月1日水曜日

私は痴である

いやあ、じつにすばらしい、塩田明彦の『月光の囀り』は。彼のこの作品をめぐっての三連投になっちまった。




とはいえボクの基本は、《愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime》(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』1970)だからな

ようするにシャンゼリゼの雪なんだ。 《私がそれを「経験した」日にシャン=ゼリゼをつつんでいた雪は、はらいのけられてはいなくて、私にはいつもその雪が目に見える。》(プルースト「見出されたとき」ーーパンセと石鹸の広告) 

とはいえシャンゼリゼの雪を超えた何ものかがシカとある。彼は蓮實チルドレンのひとりらしいが、自転車シーンのみごとさとはひょっとしてそれにかかわるのかも。たとえばひとは、あまりにも名高い小津「晩春」の自転車シーンと同じにおいをかがねばならない。

しかも、ああ、つぎの極度にテンポをおとしたアンダンティーノを見よ!




ここには「自体性愛的享楽」(自ら享楽する身体)の芸術家ヤン・ファーブル Jan Fabreーー「私は血である Je Suis Sang」の舞台演出家ファーブルーーまでいる。




現在、ヤン・ファーブル への愛を、塩田明彦に乗り換えようか否か、と検討中である。







2018年7月17日火曜日

D944練習風景の眩暈

前回、シュナーベル親子の、あまりにも見事なD951を掲げたが、そのせいでシューベルトの晩年の曲をいくつか聴いていた。

そしてYouTubeで、D944「グレート」の、カール・ベーム、ウィーン・フィルの練習風景の一時間強の映像に出会った。

わたくしは交響曲をほとんど聴かなくなってしまったが、その稀な例外は、D944ハ長調だ。最近ではこの曲のみをときに聴くといってもよいくらい。




びっくりした。なんだかすべてがふっとんだ心持がする。

この半年ほど映画作品をかなりたくさんみたのだけれど、こんなに熱心にみた作品はない。それほど魅惑されてこの映像をみた。やはりわたくしは音楽への愛の人間なのだ。

D944は、ウィーンフィルじゃなくてはならない。それもベームがやっぱりいい。そうは思っていた。とはいえ実に文字通り「手に汗にぎって」一時間のあいだ集中してしまった。


2018年7月16日月曜日

BWV 997, D951

◆高橋悠治 バッハを弾いて現代音楽を語る





◆Bach (by John Williams) - Prelude and Fugue in Am BWV 997




⋯⋯⋯⋯

◆シューベルト:ロンド イ長調/高橋悠治(pf)、ジュリア・スー(pf)、D951




◆Schubert Rondo in A -- Artur & Karl Ulrich Schnabel






2018年6月19日火曜日

ベケットとあなたを貪り喰う空虚

ジジェクの2017年の著作は"Incontinence of the Void" (the title is inspired by a sentence in Samuel Beckett's late masterpiece Ill Seen Ill Said)という題名だが、このベケットの『見ちがい言いちがい Ill Seen Ill Said』に触発された表現、"Incontinence of the Void" は、そのままの形ではベケットのなかになく、次のようにある。

Incontinent the void. The zenith. Evening again. When not night it will be evening. Death again of deathless day. On one hand embers. On the other ashes. Day without end won and lost. Unseen. (Samuel Beckett, Ill Seen Ill Said)

ーーこの文は、次のように訳されている(宇野氏の訳は仏版「Mal Vu Mal Dit」からの訳だろうが。ーーべケットの多くの書と同じく、この作品も仏語で書いた後、自ら英語版を出している)。 

いきなり広がる空虚。天頂。また夕方。夜でなければ夕方だろう。また死にかけている不死の光。一方には真っ赤な燠。もう一方には灰。勝っては負ける終わりのないゲーム。誰も気づかない。(サミュエル・ベケット『見ちがい言いちがい』宇野邦一訳、書肆山田、1991年)

ところで、Incontinence について英語版のwikiにはこうある。

Incontinence (philosophy) Incontinence ("a want of continence or self-restraint") is often used by philosophers to translate the Greek term Akrasia (ἀκρασία). Used to refer to a lacking in moderation or self-control, especially related to sexual desire, incontinence may also be called wantonness.

これに依拠すれば、"Incontinence of the Void" は、空虚の勝手気まま、空虚のみだらさ、空虚の貪婪さ等と訳せるか? 

ベケットの『見ちがい言いちがい』には、空虚をめぐってこうもある。

最後の秒の最初。すべてを貪ってしまうために、まだ十分残っているとして。一秒も惜しんで貪るように。空と大地そしてあらゆるごたごた。(…)いや。もう一秒。一秒だけ。この空虚を吸いこむ間だけ。幸福を知る。

First last moment. Grant only enough remain to devour all. Moment by glutton moment. Sky earth the whole kit and boodle. … No. One moment more. One last. Grace to breathe that void. Know happiness. (ベケット『見ちがい言いちがい』)

とすれば、ベケット 自身の表現 Incontinent the voidとは、「(あなたを)貪り喰う空虚」とも意訳できるかも知れない。 あるいは引力としての空虚と。

フロイト用語では引力とは、原抑圧にかかわる。

そしてラカンにとっては、原抑圧は穴である。

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する。c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)

さらに穴とはブラックホールとしての引力である。

あなたを吸い込むヴァギナデンタータ(歯のはえた膣)、究極的にはすべてのエネルギーを吸い尽すブラックホールとしてのS(Ⱥ) の効果。(ポール・バーハウ1999、PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?,1999)

ーーS(Ⱥ)とは、大他者のなかの穴 trou dans l'Autre のシニフィアンのこと。

すると(わたくしの偏った観点からは)、これは母なる空虚である。

ラカンの母は、《quaerens quem devoret》(『聖ペテロの手紙』lettres 1, 5, 8)という形式に相当する。すなわち母は「貪り喰うために誰かを探し回っている」。ゆえにラカンは母を、鰐・口を開いた主体 le crocodile, le sujet à la gueule ouverte.として提示した。(ミレール、1993, La logique de la cure)
構造的な理由により、女の原型は、危険な・貪り喰う大他者と同一である。それは起源としての原母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。(ポール・バーハウ, 1995, NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL)

ーー《女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。》(古井由吉「すばる」2015年9月号)

母とは巨大な鰐 Un grand crocodile のようなもんだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。…あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざす refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)

 あるいは母なるブラックホールである。 

ジイドを苦悶で満たして止まなかったものは、女性のある形態の光景、彼女のヴェールが落ちて、唯一ブラックホール un trou noir のみを見させる光景の顕現である。あるいは彼が触ると指のあいだから砂のように滑り落ちるものである。(ラカン, « Jeunesse de Gide ou la lettre et le désir »,Écrits, 1966)
〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、シニフィアンの空無化 vidage 作用によって生み出された「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

いやいやこれでは、過剰解釈のそしりをまぬがれないのは知っている。ベケットのような至高の作家を精神分析的に解読するなどと!

これら⋯を精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

とはいえ、『見ちがい言いちがい』における老婦人は、パーキンソン病との闘病生活に明け暮れたベケットの母の影が落ちているに相違ない。

寝床から、彼女には金星の昇るのが見える。あいかわらず晴れた空に、太陽を背にして金星の昇るのが寝床から見える。そのとき彼女はこの生命の源を恨む。あいかわらず。

From where she lies she sees Venus rise. On. From where she lies when the skies are clear she sees Venus rise followed by the sun. Then she rails at the source of all life. On. (ベケット『見ちがい言いちがい』)

 『見ちがい言いちがい』は端的にそうだが、別の作品においても、Murphy, Watt, Malone, Molloy, Mahood, Worm 等、最もシンプルに言ってしまえば、彼は原母と子宮の作家、すなわち穴の作家でありうる(参照:Samuel Beckett: From the Mother to the Womb)。 

私は母の寝室にいる。今ではそこで生活しているのは私だ。どんなふうにしてここまでやってきたかわからない。救急車かもしれない、なにか乗り物で来たには違いない。だれかが助けてくれた。一人では来られなかったろう。(サミュエル・ベケット『モロイ』)

 『見ちがい言いちがい』の紹介文には、《まなざしもことばも錯誤としてしか機能しないという視座から、錯誤の総和であるしかない生を見つめ、死という終結に向う待機時間としての極限的な生を語る作品》とあるが、これはまさに《人はみな妄想する》である。

 私は言いうる、ラカンはその最後の教えで、すべての象徴秩序は妄想だと言うことに近づいたと。… ラカンは1978年に言った、「人はみな狂っている、すなわち人はみな妄想する tout le monde est fou, c'est-à-dire, délirant」と。…あなたがた自身の世界は妄想的である。我々は言う、幻想的と。しかし幻想的とは妄想的である。(ジャック=アラン・ミレール 、Ordinary psychosis revisited、2009) 

そして、 

「人はみな妄想する」の臨床の彼岸には、「人はみなトラウマ化されている」がある。au-delà de la clinique, « Tout le monde est fou » tout le monde est traumatisé (ジャック=アラン・ミレール J.-A. Miller, dans «Vie de Lacan»,2010 )

トラウマとは、ラカン用語では穴と等価である。 

我々は皆知っている。というのは我々すべては現実界のなかの穴を埋め合わせる combler le trou dans le Réel ために何かを発明するのだから。現実界には「性関係はない il n'y a pas de rapport sexuel」、 それが「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」を作る。(ラカン、S21、19 Février 1974 )

たとえば人はまず、次のベケットの映像作品『夜と夢』の右上にあらわれる穴と女はなにかと問えばいいのである。

◆Samuel Beckett ~ Nacht und Träume




わたくしが出会ったなかで最も美しいと感じるシューベルトの『夜と夢』も掲げておこう。

◆Barbara Hendricks  Schubert "Nacht und Träume"




⋯⋯⋯⋯



2018年3月11日日曜日

戯れに恋はすまじ

【映画を作ることは恋に陥ることである】


Jean-Luc Godard / Anna Karina documentaryより


【戯れに恋はすまじ】

ーーゴダール、最初の妻アンナ・カリーナ

◆Histoire(s) du cinéma 1A




【戯れに触るべからず】

ーー二番目の妻、アンヌ・ヴィアゼムスキーAnne Wiazemsky

godard la chinoise、1967



◆Hands of Bresson



ーーこのロベール・ブレッソンの映像群のなかには、アンヌ・ヴィアゼムスキーの手がある。

いまは上の映像で使われているシューベルトのD959 アンダンティーノが流れる箇所を貼り付ける。

◆Au Hasard Balthazar reunion scene、1966年




⋯⋯⋯⋯

【番外編:戯れにヤルべからず】

◆Histoire(s) du cinéma 3B



◆Godard、HISTOIRE(S) DU CINEMA(パゾリーニ、Teorema のゴダールによるモンタージュ)




パゾリーニが撮ったアンヌ・ヴィアゼムスキーは、前妻アンナ・カリーナが孤児同然だったのに比べ、実にお嬢さんなのである(この『テオレマ』1968年当時、彼女は21才)。

◆Pier Paolo Pasolini's Teorema




ゴダールはこの『中国女』(1967年)を撮った直後、アンヌ・ヴィアゼムスキーと結婚しているが、数年後ーー1972年あるいは1970年との情報もあるーー、離別している(正式離婚は、1979年)。

フランソワ・モーリアックを母方の祖父にもつアンヌの父はロシア亡命貴族である。彼女はのちに小説を書くようにもなり、後年の容貌を垣間みるかぎり、じつに静謐なインテリ顔をしている。彼女は昨年(2017年)、癌で亡くなっている(70才)。

◆Anne Wiazemsky fala da relação entre Mauriac e Godard




2018年1月3日水曜日

ゆらめく閃光

最近は、音楽を聴いていてハッとするフレーズに行き当たるとーーたとえば今日はクララ・ハスキルのスカルラッティK132(1950)、0;24~に痺れたのだがーー、「夜咲きすみれ Nachtviolen」のあの箇所(1:38~)がゆらめく閃光のように頭をかすめる。

別にとくに似ているわけではないはずだが、なにかの病気だろうか・・・ベルナルダ・フィンクと「心中」すべきなんだろうか・・・

Born in Argentina to Slovenian parents, she did not start to study singing until she was 22, and even then did not plan to make a career as a singer. "I am where I am as the result of many years of effort, but never with the idea of singing on this stage or with that conductor. I never did anything to make a career, it just happened."( Bernarda Fink

⋯⋯⋯⋯

◆Clara Haskil performs Scarlatti (1950)




この1950年のクララ・ハスキルのK132(L457)はとても美しい。とくに、0;24~のフレーズは、沈潜しつつ煌くようで。

これに比べると、1953年のライブでの同曲の演奏にはとくには魅されない。

◆Clara Haskil plays Scarlatti Sonata in C major L 457(1953,LIVE)







2017年12月31日日曜日

一流と二流の演奏家

◆Schiff: Schubert And Syncopated Subtleties




シフは、音楽において最も美しいものは沈黙だ、と言っているけれど、
この二人の音楽の質はかなり異なるな、
超一流と、二流の演奏家の相違というのが、わかる

上の映像にあらわれるシフとその生徒 Cornelia Herrman の、
たとえばバッハのフランス組曲の演奏を聞き比べてみると、
ああ、こんなにも違うのだ、というのがつくづくわかる

◆Cornelia Herrmann: J.S.Bach French Suite No.2




◆András Schiff - Bach. French Suite No.2 in C minor BWV813




とはいえ、一流とはいえないだろう演奏家でも
思いがけないお気に入りの演奏に行き当たることがある。

たとえば、シンガポールのSee Ning Hui (1996年生まれ)のデビューコンサートのBWV878ーーこのフーガは平均律のなかで最も好きなものだがーーは、とってもいい(わたくしのシロウトの耳には)。

◆Bach - Prelude & Fugue No. 9 in E, BWV 878





もちろんグールドのビデオ版ーーわたくしには彼のCD版はぜんぜんダメだーーに比べるわけにはいかないが。

◆Glenn Gould - Fugue in E Major from The Well Tempered Clavier Book 2 - BWV 878





2017年12月15日金曜日

君はわが憩い

昨日、R・シュトラウスの「あしたには Morgen」で、ふと聴いた Janet Baker の「君はわが憩い」っていいな、高音部にやや難があるが(ボクの趣味では)、冒頭からの静けさがとってもいい(彼女のバッハとフォーレは「一聴では」はダメだった)。

◆Dame Janet Baker; "Du bist die Ruh"; Franz Schubert




この、長いあいだ好んできた「君はわが憩い」ーー9才のときからーーは、Gundula Janowitz と Elly Ameling の歌唱が好きだった。とくに Gundula Janowitz には崇高さがある。

この二人はさておき、Janet Bakerと、現在のボクのふたりの恋人とどっちがいいだろう。

◆Barbara Hendricks; "Du bist die Ruh"; Franz Schubert



◆Bernarda Fink; "Du bist die Ruh"; Franz Schubert




Bernarda Finkは曲全体というよりも、ある箇所でとてつもない裂目があらわれ、ああ、ああ! と叫びたくなる歌手だよ

「夜咲きすみれ Nachtviolen」のあの箇所、何度も記しているが、とてつもなく囚われちまったんだ。Bernarda Fink, "Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~

それとも顔がオッカサマに似ているせいかな・・・




2017年12月3日日曜日

「泣き、嘆き、憂い、怯え」

かつて仲間たちは、ヴィヴァルディの音楽は大衆化されすぎ、通俗的、下品で熱心に聴くに値しないと「通顔で」言っていた(当時、わたくしは合唱団ーー大学内ではなく外部の合唱団ーーに入っていた)。たしかに「四季」などは、当時もいまも耳を新しくして聴くことはし難い。

でも、次の「泣き、嘆き、憂い、怯え」(Piango, gemo, sospiro e peno)を数年まえはじめて聴いてびっくりした。

◆Piango, gemo, sospiro e peno




ここからバッハは、ロ短調ミサの最も「崇高な」箇所ーー Crucifixus(キリストは十字架に磔にされた)ーーを作り上げたのである。

◆J. S. Bach - Mass in B Minor BWV 232 - 14. Crucifixus (14/23)




バッハはこのロ短調を作曲するまえだった思うが、カンタータ第12番で、まさにヴィヴァルディのあの「歌謡曲」の題名《泣き、歎き、憂い、怯え》を変えないまま、教会カンタータとして作曲している。よほどこの旋律を愛したのだろう。

◆J. S. Bach - Cantata "Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen" BWV 12 - 2. Weinen, Klagen, Sorgen, Zagen (2/7)




このところ刺激保護壁が完全に崩壊してしまっているせいなのか、バッハの崇高化された「泣き、嘆き、憂い、怯え」よりも、冒頭のヴィヴァルディ原曲「泣き、嘆き、憂い、怯え」のほうが、いっそう魂に染み入る。

外部から来て、刺激保護壁 Reizschutz を突破するほどの強力な興奮を、われわれは外傷性traumatischeのものと呼ぶ。

外部にたいしては刺激保護壁があるので、外界からくる興奮量は小規模しか作用しないであろう。内部に対しては刺激保護は不可能である。(……)

刺激保護壁 Reizschutzes の防衛手段 Abwehrmittel を応用できるように、内部の興奮があたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれる。(フロイト『快原理の彼岸』1920年)

 Bernarda Finkによる「夜咲きすみれ Nachtviolen」のあの箇所もきいてみる、"Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~

この箇所を聴くと見えなかった扉がひらくのである。奇跡のようにして。《癒やされた傷口をあらためて裂くように》(リルケ「放蕩息子の家出」)--いや、それだけの扉ではない、ひょっとして別の扉が。

さらにふたたび

ライネル・マリア・リルケ Rainer Maria Rilke 堀辰雄訳

さらにふたたび、よしや私達が愛の風景ばかりでなく、
いくつも傷ましい名前をもつた小さな墓地をも、
他の人達の死んでいつた恐ろしい沈默の深淵をも
知つてゐようと、さらにふたたび、私達は二人して
古い樹の下に出ていつて、さらにふたたび、身を横たへよう
花々のあひだに、空にむかつて。

《美は現実界に対する最後の防衛である。la beauté est la défense dernière contre le réel》(ジャック=アラン・ミレール、2014、L'inconscient et le corps parlant)

美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだわれわれにも堪えられる。われわれが美しきものを称賛するのは、美がわれわれを、滅ぼしもせずに打ち棄ててかえりみぬ、その限りのことなのだ。あらゆる天使は恐ろしい。(リルケ『詩への小路』ドゥイノ・エレギー訳文1、古井由吉)



2017年11月4日土曜日

シューベルト D 664

音楽を聴き続ける。

アファナシエフのD. 664に出会った。

◆Valery Afanassiev - Schubert - Piano Sonata D. 664



リヒテルの、かぎりなく愛らしく、親密な感触をもたらしてくれる演奏でしか聴いたことがないのだが(シフの演奏は聴こうとしたがなぜか退屈した)、アファナシエフの、音が粒立った、分裂病的な(?)演奏が新鮮にきこえてくる。

◆Schubert "Piano Sonata D 664" Svjatoslav Richter




シューベルトは実にいい。歌いだしたくなる。グールドのように。

◆Schubert - Symphony No.5, 1st. mov - Glenn Gould







2017年9月2日土曜日

音楽日記:子宮内の出来事

カントは言っている、音楽とは最低かつ最高の芸術である、と。

感覚的刺戟と感動とを問題にするならば、言語芸術のうちで最も詩に近く、またこれと自然的に結びつく芸術即ち音楽を詩の次位に置きたい。音楽は確かに概念にかかわりなく、純然たる感覚を通して語る芸術である、従ってまた詩と異なり、省察すべきものをあとに残すことをしない、それにも拘らず音楽は、詩よりもいっそう多様な仕方で我々の心を動かし、また一時的にもせよいっそう深い感動を我々に与えるのである( …)これに反しておよそ芸術の価値を、それぞれの芸術による心的開発に従って評価し、また判断力において認識のために合同する心的能力〔構想力と悟性〕の拡張に基準を求めるならば、すべての芸術のうちで音楽は最低の(しかし芸術を快適という見地から評価すれば最高の)地位を占めることになる」(カント『判断力批判』篠田英雄訳)

事実、人が原初に感受した最初の「芸術」は、母胎内における母の心音であり血液の流れという「音楽」である。心音のくっきりしたリズムとともに、ざわざわと血の流れる響き、プルーストが云う《くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節》である。誰モガ実ハ覚エテイル筈デアル。もっとも母親がヒステリー気質であるなら、母の怒声や叫声の楽節が最も印象に残った始原の「音楽」でありうる。

この断定をすこしだけ保留するとすれば、もし触覚芸術や嗅覚芸術、振動芸術などが今後生まれるなら、それも聴覚芸術と同様に原初的であろう。母胎内で粘膜に愛撫されたり羊水のにおいに包まれたり、あるいは羊水の海に揺蕩ったりしているのだから。

もっとも彫刻は、高村光太郎が既に言っているように触覚芸術でありうるし、濃厚な腐臭をもつチーズや鮒寿司などの発酵食品は嗅覚芸術、そして舞踏は振動芸術でありうる。とすればこれらの根源的感覚を刺激する芸術は既に存在する。そして胎児は指を咥えることがあるのだから口唇感覚も原初的であり、接吻やフェラチオなどの性のかかわる行為も口唇覚芸術、かつ互いのにおいをまさぐり合うという意味で嗅覚芸術・・・いやそれだけではない、あるゆる感覚を伴う総合芸術かもしれない。

話を戻せば、たとえばアルトーが、《私の内部の夜の身体を拡張すること dilater le corps de ma nuit interne》と言ったとき、彼の母の子宮はひどく小ぶりであったのではないか、と人は疑うべきである・・・

私、アントナン・アルトー、1896年9月4日、マルセイユ、植物園通り四番地にどうしようもない、またどうしようもなかった子宮から生まれ出たのです。なぜなら、9カ月の間粘膜で、ウパニシャードがいっているように歯もないのに貪り食う、輝く粘膜で交接され、マスターベーションされるなどというのは、生まれたなどといえるものではありません。だが私は私自身の力で生まれたのであり、母親から生まれたのではありません。だが母は私を捉えようと望んでいたのです。(アルトー『タマユラマ』)

その点、わたくしの母は、ややヒステリー気味であったにしろ、子宮内はとても居心地がよく、夜咲キスミレノヨウナ芳香ガシタ・・・かつまた Bernarda Fink と同じような声音、そして彼女の歌う「Nachtviolen」とほぼ同じ心音テンポをもっており、なぜシューベルトのこの曲・このベルナルダの歌声にこんなにも魅惑されるのか、ーー実はこのところそればかり考えていたのだがーーその原因をヨウヤク見出シエタトコロデアル・・・

ああ、ベルナルダ! あたかもわたくしの原初の子宮内交接の記憶、そのはるかで朧な出来事ーー《症状(サントーム=享楽の原子)は身体の出来事である le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps》 (ラカン、AE.569、1975)--その歩みが、鳩の足でやってくるかのようではないか! (Bernarda Fink; "Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~))。

ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真(→音楽)はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

ああ、下瞼のたるみ、眼尻の皺の具合、笑い方、ときおり示す厳しく冷ややかな表情まで、わたくしの母とそっくりである・・・わたくしは稲妻に打たれたままなのである。

◆Bernarda Fink; "Nachtviolen"; Franz Schubert




ああ、あああ、わたくしはほんとうに大丈夫なのだろうか。わたくしのカオスは安定しないのである・・・なにかが分解してしまいそうになるのである・・・

暗闇に幼な児がひとり。恐くても、小声で歌をうたえば安心だ。子供は歌に導かれて歩き、立ちどまる。道に迷っても、なんとか自分で隠れ家を見つけ、おぼつかない歌をたよりにして、どうにか先に進んでいく。歌とは、いわば静かで安定した中心の前ぶれであり、カオスのただなかに安定感や静けさをもたらすものだ。子供は歌うと同時に跳躍するかもしれないし、歩く速度を速めたり、緩めたりするかもしれない。だが、歌それ自体がすでに跳躍なのだ。歌はカオスから跳び出してカオスの中に秩序を作りはじめる。しかし、歌には、いつも分解してしまうかもしれぬという危険もあるのだ。アリアドネの糸はいつも一つの音色を響かせている。オルペウスの歌も同じだ。(ドゥルーズ&ガタリ『千のプラトー』)

◆Bernarda Fink, Monteverdi, l'incoronazione di Poppea, "Adagiati, Poppea - Oblivion soave" (Arnalta)


この女は、ニーチェが錯乱の奥底からアリアドネという名で呼んだのと同じ人物なのかも知れぬ (モーリス・ブランショ)

とはいえ1955年生れのこのアリアドネは、外貌としては50歳前後の写真がもっとも美しいようにみえる・・・50歳で死んだわたくしの母は齢をとらないのである・・・母とはまだ若く美しいままで死ぬべきではなかろうか?



2017年8月21日月曜日

「夜咲きすみれ Nachtviolen」

深更、本を読みながら漫然とBernarda Finkのシューベルトを聴いていた。

突然、閃光が走る、「夜咲きすみれ Nachtviolen」にこんなに美しい箇所があったのか、と。Bernarda Fink; "Nachtviolen"; Franz Schubert(1:38~

少し前に聴いたはずの、Schwarzkopf / Fischerで聴いてみる。たしかに同じくらい美しい。

でもいまはベルナルダ・フィンク Bernarda Finkがいい。なぜ彼女がいいのかはわからない。たぶん惚れた、ということだろう。惚れたということは「彼女のなかに私が書き込まれている」ということだ。

愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)
ある一つの細部が、私の読み取りを完全に覆してしまう。それは関心の突然変異であり、稲妻である。ある何ものかの徴がつけられることによって、写真はもはや任意のものでなくなる。そのある何ものかが一閃して、私の心に小さな震動を、悟りを、無の通過を生ぜしめたのでる(指向対象が取るに足りないものであっても、それは大して問題ではない)。(ロラン・バルト『明るい部屋』)

下の二曲は、小学校五年のときに何度もくり返して聴いた(日本人の歌手のレコードで)。当時はシューベルトとシューマンばかり聴いていた。その一年前まではロシア民謡だった。自分から求めた記憶はない。たぶん母が与えてくれたレコード。シューベルトは身体に染みついている。

◆Franz Schubert - 'An den Mond' (D.193) - Bernarda Fink




◆Bernarda Fink sings Schubert's "Du bist die Ruh"







2017年7月14日金曜日

阿波礼

「あはれ」とは、「ああ、はれ」のことである。「なげく」とは「長息(ながいき)」することである。歌とは、「ああ、はれ」という生の感動の声を、「なげく」事によって形を整えることである。これが宣長の考え方であった。

今、人せちに物のかなしき事有て、堪がたからんに、其かなしき筋を、つぶつぶといひつゞけても、猶たへがたさのやむべくもあらず。又ひたぶるに、かなしかなしと、たゞの詞に、いひ出ても、猶かなしさの忍びがたく、たへがたき時は、覺えずしらず、聲をさゝげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばゝりて、むねにせまるかなしきをはらす。其時の詞は、をのづから、ほどよくあや有て、其聲長くうたふに似たる事ある物也。是すなわち歌のかたち也。たゞの詞とは、必異なる物にして、其自然の詞のあや、聲の長き所に、そこゐなきあはれの深さは、あらはるゝ也。かくの如く、物のあはれにたへぬところより、ほころび出て、をのづからあやある詞が、歌の根本にして眞の歌也。(本居宣長「石上私淑言」)

《たへがたき時は、覺えずしらず、聲をさゝげて、あらかなしや、なふなふと、長くよばゝりて、むねにせまるかなしきをはらす》--これは漱石もプルーストもほとんど同じことを言っている。

涙を十七字に纏まとめた時には、苦しみの涙は自分から遊離して、おれは泣く事の出来る男だと云う嬉さだけの自分になる。(夏目漱石『草枕』)
われわれの悲しみが協力した作品は、われわれの未来にとって、苦しみの不吉な表徴であるとともに、なぐさめの幸福な表徴である、と解釈もできる。 (プルースト「見出された時」

だがまちがえてはならないのは、「あはれ」とは、かなしいことだけではないことである。

あはれといふに、哀の字を書て、ただ悲哀の意とのみ思ふめれど、あはれは、悲哀にはかぎらず、うれしきにも、おもしろきにも、たのしきにも、をかしきにも、すべてああはれと思はるるは、みなあはれ也、……又もののあはれといふも、同じことにて、物といふは、言を物いふ、かたるを物語、又物いふ、かたるを物語、又物まうで物見いみ、などいふたぐひの物にて、ひろくいふときに、添ることばなり。(本居宣長『玉の小櫛』)

究極のあはれとは、トラウマ的な心の衝撃の体験にかかわるといってさえよいかもしれない。

PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年)

そうはいってもこの心の衝撃は尾を引くのであり、場合によっては「心がこじれる」のであるが。

外傷的事件の強度も、内部に維持されている外傷性記憶の強度もある程度以下であれば「馴れ」が生じ「忘却」が訪れる。あるいは、都合のよいような改変さえ生じる。私たちはそれがあればこそ、日々降り注ぐ小さな傷に耐えて生きてゆく。ただ、そういうものが人格を形成する上で影響がないとはいえない。

しかし、ある臨界線以上の強度の事件あるいはその記憶は強度が変わらない。情況によっては逆耐性さえ生じうる。すなわち、暴露されるごとに心的装置は脆弱となり、傷はますます深く、こじれる。 (中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収)

面の皮が厚ければ、人はもののあはれなど感じない。フロイトはこの面の皮を「刺激保護壁 Reizschutz」と呼んだ。

外部から来て、刺激保護壁 Reizschutz を突破するほどの強力な興奮を、われわれは外傷性traumatischeのものと呼ぶ。

外部にたいしては刺激保護壁があるので、外界からくる興奮量は小規模しか作用しないであろう。内部に対しては刺激保護は不可能である。(……)

刺激保護壁Reizschutzes の防衛手段 Abwehrmittel を応用できるように、内部の興奮があたかも外部から作用したかのように取り扱う傾向が生まれる。(フロイト『快原理の彼岸』1920年

ーーミナさん、「健康」のために面の皮を厚くしましょう! そして内的興奮を他人に「投射」などして、「道理は不合理となり、博愛は苛責になる Vernunft wird Unsinn, Wohltat Plage」などということがないように「もののあはれ」に不感症になりましょう!!

宣長に戻れば、彼はこうも言っている。

・阿波礼といふは、深く心に感ずる辞也。是も後世には、たゞかなしき事をのみいひて、哀の字をかけども、哀はたゞ阿波礼の中の一つにて、阿波礼は哀の心にはかぎらぬ也。

・阿波礼はもと歎息の辞にて、何事にても心に深く思ふ事をいひて、上にても下にても歎ずる詞也。

・さてかくの如く阿波礼といふ言葉は、さまざまいひかたはかはりたれども、其意はみな同じ事にて、見る物、聞く事、なすわざにふれて、情(こころ)の深く感ずる事をいふ也。俗にはたゞ悲哀をのみあはれと心得たれ共、情に感ずる事はみな阿波礼也〉(本居宣長『石上私淑言』)

だがどうして「あはれ」は「哀れ」となったのか。《うれしきこと、おもしろき事などには、感ずること深からず、ただかなしき事、うきこと、恋しきことなど、すべてこころに思ふにかなはぬすぢには、感ずること、こよなく深きわざなるが故》(『玉の小櫛』)である。

バッハの結婚カンタータBWV202の冒頭をあの哀切なアリア「しりぞけ、もの悲しき影 Weichet nur, betrübte Schatten」ではじめた。なぜなのか。今とちがって昔はほとんどの場合「きむすめ」が「女」にかわってしまう記念日の儀礼であったからではないだろうか?ーー「ああ、はれ!」「阿波礼!」




…………

シューベルトは《悲しみを歌えば愛になり、愛を歌えば悲しみになる》と言った。すなわち愛を歌えば「もののあはれ」になるのである。

アファナシエフの2013年のD.960を聴く。ミスタッチの多い演奏で、なぜこんなところまでミスをしてしまうのか、と思いつつ聴いていた。でも瞑想の一楽章と悲痛の二楽章をへた歓びの三楽章にきて息をのんだ。各フレーズの始まりに宙吊りになったわずかな瞬間がある。彼はどもっている。《傷は、それを負わせた槍によってのみ癒されうる die Wunde schliesst der Speer nur, der sie schlug》(ワーグナー)

Valery Afanassiev plays Schubert Piano Sonata D. 960




それに私も、どうすればこのソナタ(D.960)の心理的な重みに耐えることができるだろう。たとえウィークデーの夜、小さなホールで演奏するだけとしても。このソナタをわが家で弾いたら何が起こるだろう? 大文字の「他者」がそのまったき光輝と恐怖とともに出現する。ある意味において、このソナタは私の不俱戴天の敵なのだ。弾けば弾くほど、私は具合が悪くなる。私を傷つけ、私の苦痛をいつまでも引きのばすことを知りながら―――今回も、とどめの一撃を与えてはくれないのだ―――私はこの他者を抱きしめ、接吻する。日常生活の中でなら、こんなにひどいカタストロフに襲われれば命を落としていただろう。(アファナシエフ『ピアニストのノート』)

彼はかつてこのD.960を「もののあはれ」と名づけて日本で演奏したそうだ。演奏は一楽章だったようだが。

「もののあはれ」とは、(アファナシエフによれば、)人生には出会いと別れ、幸福と不幸が入り混じっていて、それらは決して切り離しえないものであることによる感情に関わるものであり、『源氏物語』はそのことを何よりも美しく語っているという。そうして番組の終わりにアファナシエフ自身が「もののあはれ」の美学を体現する音楽であると語るシューベルトの最後のソナタの第一楽章が演奏される。(ハイビジョン特集「漂泊のピアニスト アファナシエフ もののあはれを弾く」

2017年5月13日土曜日

偏愛の対象

彼は偏愛の対象として、バーバラ・ヘンドリックスの歌うフォーレをもっている。

◆Barbara Hendricks、Fauré - Les roses d'Ispahan, Op. 39 Nº. 4




ーー苔むした台座のなかの、イスファハンの街の薔薇、Les roses d'Ispahan dans leur gaîne de mousse………




あの当時、今住んでいる地に住もうかどうかを決心するために、ひと月街中(ドンコイ街)にアパートを借りた。長方形の殺風景な部屋、月500ドル。

そのときグールドのバッハとともにバーバラのCDも携えていた。吉田秀和が褒めていて旅行の直前に手に入れた。

毎日のように彼女の歌声を聴いた。部屋は天井が高く音がよく響く。窓と扉だけは古いが重厚なものがついていた。それが珍しかった。窓は鎧戸で上品な緑色(ターコイズグリーンというのかエメラルドグリーンというのか)で塗られていた。

そう、マネのあの絵のなかにある鎧戸のような色。



当地はかつて仏植民地だったせいなのか、この色やもう少し濃い緑の窓がよく目につく。




彼の住んでいたアパートは下のような色と形の窓だった。朝は鎧戸から漏れる光にみとれた。バーバラの歌声がそれにとても似合った。





窓の外からは物売りの声がきこえてきた。



狭い路地の向いの外国人向けアパートでは少女が掃除をしたり洗濯物を干していた。おぼえたての当地の言葉で朝の挨拶を送ってみた。可憐な笑顔でチャオ!と送り返してきた。それからは毎日のように彼女と言葉を交わすようになった。

例へば松林の間を貫く坂道のふもとに水が流れてゐて、朽ちた橋の下に女が野菜を洗つてゐるとか、或は葉雞頭の淋し氣に立つてゐる農家の庭に、秋の日を浴びながら二三人の女が筵を敷いて物の種を干してゐるとか、又は、林の間から夕日のあたつてゐる遠くの畠を眺めて豆の花や野菜の葉の色をめづると云ふやうな事……特徴のないだけ、平凡であるだけ、激しい讃美の情に責めつけられないだけ、これ等の眺望は却て一層の慰安と親愛とを催させる。普段着のまゝのつくろはない女の姿を簾外に見る趣にも譬へられるであらう。(永井荷風『畦道』)

今の妻と出会ったのもこの路地だ。二十歳になったばかりの彼女は、薄紫色のアオザイを匂いやかにまとって、昂然とーー気高くーーそり返ってシクロの上で足を組み、仕事に出かけるところだった。

ファウスト

もし、美しいお嬢さん schönes Fräulein。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんFräulein ではございません。美しく schön もございません。送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

ファウスト

途方もない好い女だ。Beim Himmel, dieses Kind ist schön!
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。 それからあの手短に撥ね附けた処が、 溜まらなく嬉しいのだ。

(メフィストフェレス登場。)

おい。あの女 Dirne を己の手に入れてくれ。

(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)

よく知られているように、《男は誰に恋に陥るのか? 彼を拒絶する女・つれないふりをする女・決してすべてを与えることをしない女に恋に陥る。》(ポール・バーハウ 1998)




あの路地界隈に出入りするシクロタクシーの車夫たちは洒脱な男が多かったが、彼らは彼女の気っ風のよさに惚れこんでいた。彼らにたずねると、彼女は家族離散のせいで一人で五人のきょうだいの生活を支えていた。

「そのくらいなら、どこへ行ったって、自分一人くらい何をしたって食べて行きますわ」(徳田秋声『黴』)
お島のきびきびした調子と、蓮葉な取引とが、到るところで評判がよかった。物馴れてくるに従って、お島の顔は一層広くなって行った。(『あらくれ』)

もっともシクロに乗る女たちは昂然としていなくてもとても絵になる。アオザイを着ているとなおさら。



ーーいまは交通規制でこういった光景は稀になってしまった。

あの当時はじつに世界が変わったような気分だった。
バーバラ・ヘンドリックスにはこれらの記憶がからみついている。

◆Bárbara Hendricks - Fauré - Les Berceaux




◆リルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳

立ち昇る一樹。おお純粋の昇華!
おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。

静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく

ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく

僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。

…………

昨晩バーバラの歌う「きみはわが憩い Du bist die Ruh」に出会った。彼女のDu bist die Ruhは初めて聴く。彼はこのシューベルトの作品に、小学五年生のときに出会った。偏愛の曲のひとつである。

◆Barbara Hendricks; "Du bist die Ruh"; Franz Schubert




いままで主に Gundula Janowitz と Elly Ameling の歌うこの曲を愛してきた(ときに Dieskau)。この曲の Schwarzkopf は好まない。音が遠くからきこえてこない。《音が遠くからやってくればくるほど、音は近くからわたしに触れる》(シュネデール)



2016年8月26日金曜日

山桜の樹幹のなかほどの分れめ

庭仕事にくる若い娘が同じ年頃の友人をつれてきて、裏庭の塀に梯子を立てかけて登り、塀に跨って隣家の樹木から垂れ下がる蔓苺の実をとっている。二人ともとてもよい形をしたお尻をもっている。彼女たちは故郷から200キロほど離れたこの土地に移り住み、夕方には故郷の特産である料理を屋台で売っている。妻も同じ故郷であり、しばしばその食べ物を買ってくる。彼女たちの故郷は、メコンデルタの狭間にある隣国との国境に面した町であり、国境の町というのは食べ物も女も美味・美しいというのは定説である。





ファウスト

もし、美しいお嬢さん。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんではございません。美しくもございません。
送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

ファウスト

途方もない好い女だ。
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。
それからあの手短に撥ね附けた処が、
溜まらなく嬉しいのだ。(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)


すこしまえ韓国人がこの土地の女を売買婚するのが度重なり(かつて日本人がタイやフィリピンの女たちにそうしたように)、最近はなんらかの形で結婚を制限する法律ができた。





すべての夢は(それに対して文献上で飽くことなく反論が提出されているところの)一個の性的解釈を要求するという主張は、私の夢判断のあずかり知らぬところのものである。私の『夢判断』の七つの版のどこにもこういう主張は見いだされないのだし、また、こういう主張は本書の爾余の内容と明白に矛盾する。(フロイト『夢判断』第八版、新潮文庫下、p.116、高橋義孝訳)

※訳者註:この訳書の底本となったロンドン版所載の『夢判断』は第八版

上の文が記された後、次のような叙述がすぐさま続く。

ことさらさりげない夢が、じつに赤裸々な欲情を隠しているということは、上にも主張したし、無数の新しい例をあげてこれを証明することもできる。しかし、どこをどう見ても何の変哲もない、意味のない夢の多くが、分析してみると、しばしば意外なほどの、紛れもない性的願望衝動に還元させられる。つぎに引用する夢などは、分析を加えてみなければ、ある性的願望を含んでいるなどとは想像もつかないだろう。《二つの堂々たる宮殿のあいだの、少し引っこんだところに小さな家があって、門はしまっている。妻が私を通りを少々案内して、その家のところまで連れてゆく。妻は扉を押し開いた。そこで私はすばやく堂々と、斜めに勾配のついた内庭へ滑りこむ》

夢の翻訳の経験がある人なら、狭い空間を押し入ることや、しまった扉をあけることなどがもっとも一般的な性的象徴であることに直ちに思いついて、この夢の中に、後部からの交接の試み(女体の二つの堂々たる臀部の丘のあいだに)の一表現を容易に見だすだろう。狭い、斜めに上っている通路は、いうまでもなく膣である。この夢を見た本人の妻に押しつけられた(道案内という)助力は、われわれにつぎのごとく判断するように強いる、つまり現実生活のうえでは妻に対する遠慮があればこそこのような性交形式を採ることが断念されているのだ、と。なおよくきき出すと、こういうことがわかった。夢の前日、若い娘がこの家に雇いこまれた。彼はこの娘が気に入って、上に述べたようなことを仕かけてもこの娘ならばたいしていやがりもしないのではないかちうような印象を与えられた。二つの宮殿のあいだの小さな家は、プラーグの一地区の残存記憶に糸を引くものであって、したがってやはりこのプラーグ出身の娘に関係している。(フロイト『夢判断』下,pp.116-117)




風景あるいは土地の夢で、われわれが「ここへは一度きたことがある」とはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャ・ヴエ〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母親の性器である。事実「すでに一度そこにいたことがある」ということを、これほどはっきりと断言しうる場所がほかにあるであろうか。ただ一度だけ私はある強迫神経症患者の見た「自分がかつて二度訪ねたことのある家を訪ねる」という夢の報告に接して、解釈に戸惑ったことがあるが、ほかならぬこの患者は、かなり以前私に、彼の六歳のおりの一事件を話してくれたことがある。彼は六歳の時分にかつて一度、母のベッドに寝て、その機会を悪用して、眠っている母親の陰部に指をつっこんだことがあった。(フロイト、同上p.119)




……だからこうして夜になると、パパとママは仲良く腕を組んでお家に帰ってくる、少しばかり千鳥足で。パパが階段でママのスカートをめくる夜 …昔のようにパパがママとセックスする夜、無我夢中で、経験豊かな放埓さをもって …ママが呻き、優しくも淫らな言葉を思わず洩らし、身をよじり、反撥し、寝返りをうって、体の向きを変えて、パパにお尻を差し出す夜 … (…… )自分の家でエロティックであること。自分の女房を享楽し、彼女を悦ばせること、はたしてこれ以上に鬼畜のごとき悪趣味を想像できるだろうか? これこそこの世の終わりだ! 小説の滅亡! (ソレルス『女たち』鈴木創士訳)




彼は滝を嫌ひではなかつた。それは細君の留守中の事ではあつたが、例へば狭い廊下で偶然 出合頭に滝と衝突しかゝる事がある。而して両方で一寸まごついて、危く身をかわし、漸くすり抜けて行き過ぎるやうな場合がある。左ういふ時彼は胸でドキドキと血の動くのを感ずる事があつた。それは不思議な悩ましい快感であつた。それが彼の胸を通り抜けて行く時、彼は興奮に似た何ものかで自分の顔の赤くなるのを感じた。それは或るとつさに来た。彼にはそれを道義的に批判する余裕はなかつた。それ程不意に来て不意に通り抜けて行く。

…彼は自分の底意を滝に見抜かれてゐると思ふ事もよくあつた。然しこんなにも考へた。滝は自分の底意を見抜いて居る。而してそれに気味悪るさを感じて居る。然し気味悪るがりながら尚其冒険に或る快感を感じて居る――彼は実際そんな気がした。

…滝は十八位だつた。色は少し黒い方だが、可愛い顔だと彼は思つて居た。それよりも彼は滝の声音の色を愛した。それは女としては太いが丸味のある柔かいいゝ感じがした。

彼は然し滝に恋するやうな気持は持つて居なかつた。若し彼に細君がなかつたら、それは或はもつと進むだかも知れない。然し彼には家庭の調子を乱したくない気が知らず知らずの間に働いて居た。而してそれを越える迄の誘惑を彼は滝に感じなかつた。或は感じないやうに自身を不知掌理して居たのかも知れない。 (志賀直哉『好人物の夫婦』)


ーー君はわが憩い(Du bist die Ruh)




妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。(……)そして帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』p37)





……山桜の大木はかならずといってよいほど、二つの丘の相会うところ、やわらかにくぼんでやさしい陰影を作るところ、かすかな湿りを帯びたあたりにある。

(……)本居宣長は、けっして散る桜を歌わなかった。「敷島の大和心をひと問はば朝日に匂ふ山ざくら」 ――。匂いは、嗅覚だけのことではない。花咲く山桜の大樹の周りの風景へのみごとなとけこみを「匂う」と表したにちがいない。実際、私の家の背山、向山にも、周囲の春の浅みどりに、あるいはまだ山肌を透けてみせる樹々の裸の枝のあいだに、ひっそりと、ほのかな淡い桜色のしずかなほのおをにじませている山桜の一もと二もとが、みうけられる。

そのとおり。山ざくら、この日本原種の桜は、けっして群がって咲きはしない。山あいの窪に、ひっそりと、かならず一もとだけいるのである。そして、女体を思わせる地形がかすかにしかし確実にエロスを感じさせる陰影の地に直立して立つ優雅な姿のゆえに、桜は、古代の人の心を捉えたのであろう。(中井久夫「桜は何の象徴か」)