フロイトのナルシシズムってのは巷間の粗い注釈書を読んだくらいじゃまったくわからないんだよ。
少し前、次の図を示したけどさ(参照)。
ナルシシズムだけを取り出せば、こういうことだ。
後期フロイト(おおよそ1920年代半ば以降)において、「自体性愛-ナルシシズム」は、「原ナルシシズム-二次ナルシシズム」におおむね代替されている。 Im späteren Werk Freuds (etwa ab Mitte der 20er Jahre) wird die Unter-scheidung »Autoerotismus – Narzissmus« weitgehend durch die Unterscheidung »primärer – sekundärer Narzissmus« ersetzt. (Leseprobe aus: Kriz, Grundkonzepte der Psychotherapie, 2014) |
|
で、二次ナルシシズムがラカンの愛、原ナルシシズムが本来の享楽だ(参照)。前者が想像界、後者が現実界。二次ナルシシズムは『自我とエス』(1923)で示しているが、自我のナルシシズム[Narzißmus des Ichs ]であり、したがって「ナルシシズムの享楽」と言う以外に「想像的自我の享楽」とも言う。
自我は想像界の効果である。ナルシシズムは想像的自我の享楽である。Le moi, c'est un effet imaginaire. Le narcissisme, c'est la jouissance de cet ego imaginaire(Jacques-Alain Miller, Choses de finesse en psychanalyse XX, Cours du 10 juin 2009) |
|
要するにフロイトにおけるナルシシズムという語はとても厄介で、一読ひどく矛盾がある。少し前触れたバリントも誤読している。私に言わせれば誤読による「一次愛」概念の創出だ、むかしのことでやむえないにしろ。でもナルシシズムをラカンがやったようにイマジネールとリアルに分けて、どっちのことを言っているのだろうと識別しながらフロイトを読んだら、ある程度はフロイトの矛盾が矛盾でないことがわかる。
中井久夫はバリントを引用しつつ次のように言っているにもかかわらず。
無意識はライプニッツによって公式に“発見”されたのであり、ショーペンハウアーやニーチェはほとんど無意識による人間心性の支配に通じた心理家であった。後二者のフロイトに対する影響は、エランベルジェの示唆し指摘するとおりであろう。 オーストリアにおけるユダヤ人医師第一世代としてはじめ神経学者を指向したフロイトは、しかし、はやくブリュッケの下での発生学研究をもって医学研究をはじめており、その延長としてダーウィンの進化論に深く浸透されていた。彼は、神経学者シャルコーやブロイアー、フリースと、個人的危機(父の死という危機でもあるが、父となる危機でもあり、フロイトは一八九〇年代初期においてほとんど同時交錯的にそれを経験する)の時期に邂逅し、ほとんど科学的な心的装置のモデルを構想する。しかし、フロィトの業績の核心は、彼自身の体験と治療体験であった。さりとて彼はモデルをもって思考するこ とを放棄しなかった。〔無意識/前意識/意識〕なる初期のモデルは〔エス/自我/超自我〕なる中期のモデルとなり、〔エロス/タナトス〕なる後期のモデルとなる。 |
実は、彼のつくり上げたモデル間の相互関係は、彼の著作によるかぎり明らかとはとうてい言いがたい。ナルシシズム概念一つを取り上げても相互に矛盾した記述が同時的にすら存在し、フロイト自身それを意識していなかったことは、M・バリントのの論証するとおりであろう。防衛機制の臨床的観察による記述は、彼の夢研究(十九世紀には夢への熱烈な関心と膨大な夢研究が持続的に存在した)、あるいは失策行為の研究と表裏 一体であるが、この研究の治療的活用は一部の患者を除いては必ずしもきわめて説得力のあるものとならなかった。おそらく治療者としてのフロイトは、十九世紀末において断然催眠術を採らなかった敢為によって、後世最も特筆されるべきものとなるかもしれない。〔・・・〕 しかし、フロイトの影響はなお今日も測深しがたい。一九三九年の彼の死に際してイギリスのある詩人は「フロイトよ、おんみはわれわれの世紀そのものであった」と謳ったが、それすらなお狭きに失するかもしれない。本稿においてはフロイトを全面的にとりあげていないが、それは、私見によれば、フロイトはいまだ歴史に属していないからであり、精神医学背景史とはなかんずく時間的背景を含意するからである。 |
フロイトは本質的に十九世紀人であると考える。二十世紀は、文学史におけると同じく第一次大戦後とともに始まると考えるからである。フロイトはマルクスやダーウィンなどと同じく、十九世紀において、具体的かつ全体的であろうとする壮大なプログラムのもとに数多くの矛盾を含む体系的業績を二十世紀に遺贈した ”タイタン族"の一人であると思う。彼らは巧みに無限の思索に誘いこむ強力なパン種を二十世紀のなかに仕込んでおいた連中であった。このパン種の発酵作用とその波及は今日もなお決して終末すら見透かせないのが現実である。二十世紀思想史の重要な一面は、これらの、あらわに矛盾を含みつつ不死身であるタイタン族との、しばしば鋭利ながら細身にすぎる剣をもってする二十世紀知性との格闘であったといえなくもない。(中井久夫「西欧精神医学背景史」『分裂病と人類』所収、1982年) |
とはいえ現在に至ってもナルシシズムの内実をわかっていない人がほとんどだ。たとえば、たぶん日本におけるフロイト研究とラカン研究のほとんど第一人者に近いポジションに位置づけられるだろう十川幸司と立木康介もいまだわかっていないように見える(参照)。1920年に入っての二人の言ってることを偶然見て唖然としたな、これではまったくダメだと。このところ何度も示しているが、「自体性愛=原ナルシシズム=本来の享楽」の対象は、「去勢された自己身体=喪われた対象」。これがわかっていない(参照)。
あまりエラそうなことを言うつもりはないが、この点に関して異議がある人に対しては誰であっても闘う準備は十全にあるぜ。そもそもここがわかっていなければフロイトラカンなんてない。
現代ラカン派の臨床の核は、身体の出来事=固着だ(参照)。
最後のフロイトには、自己身体の上の出来事[Erlebnisse am eigenen Körper]=トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma」としての《初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)[frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]》(『モーセと一神教』「3.1.3」)という表現があるが、このナルシシズム的屈辱が、反復強迫つまり死の欲動の起源。要するに「去勢されたナルシシズム=喪われたナルシシズム」だ。
もっとも一般的には、固着(リビドーの固着[Fixierungen der Libido]、享楽の固着[la fixation de jouissance])と表現したらよろしい。