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2021年4月19日月曜日

日本人の宗教

◼️ 信仰を持たない者の祈り

信仰を持たないでいても、ある宗教的なものといいますか、祈りのようなものを自分が持っていると感じる時が、人生のいろいろな局面であったのです。やはり信仰の光のようなものがあって、向こうからの光がこちらに届いたことがあると私は思っているのです。(大江健三郎「信仰を持たない者の祈り」1992年『人生の習慣』所収)


私は無信仰の者なんです。カトリックを信じない。プロテスタントも信じませんし、仏教も信じない。神道も信じていない。信じることができない。だけども祈っていた。祈ったというよりも、集中していたというほうが正しいかもしれませんけど。目の前に一本の木がありましてね。〔・・・〕いま自分がこの木を見て集中している、ほかのことを考えないでコンセントレートしている。このいまの一刻が、自分の人生でいちばん大切な時かもしれないぞ、と思っていたんです。(大江健三郎『あいまいな日本の私』1995年)



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◼️自然宗教と創唱宗教


私はかねてから「自然宗教」と「創唱宗教」という区別が日本人の宗教心を分析する上では有効だと考えている。「創唱宗教」とは、特定の人物が特定の教義を唱えてそれを信じる人たちがいる宗教のことである。〔・・・〕代表的な例は、キリスト教や仏教、イスラム教であり、いわゆる新興宗教もその類に属する。これに対して、「自然宗教」とは、文字通り、いつ、だれによって始められたかも分からない、自然発生的な宗教のことであり、「創唱宗教」のような教祖や経典、教団をもたない。


「自然宗教」は「創唱宗教」のように特別の教義や儀礼、布教師や宣教師はもたないが、年中行事という有力な教化手段を持っているといえるのであり、人々もそうした年中行事を繰り返すことによって生活にアクセントをつけ、いつのまにか心の平安を手にすることができたのである。そこでは、とりたてて特別の教義、つまり「創唱宗教」を選択する必要はなかった。ここに「創唱宗教」という意味での宗教には無関心で、「無宗教」を標榜してなんら疑わない理由がある。(阿満利麿『日本人はなぜ無宗教なのか』1996年)


阿満利麿氏は『日本人はなぜ無宗教なのか』(1996)の中で、宗教を創唱宗教と自然宗教に分類するという、宗教学の理論を援用して日本人の無宗教観を読み解いた。すなわち、現代の日本人は、特定の人物が特定の教義を唱え、それを信ずる人々が集まって成立する創唱宗教を好まない。一方、初詣や墓参などのように風俗や習慣となってしまった宗教は「宗教」でないと思いこむことで、自らの宗教を「無宗教」と呼んでいる。しかし、それは自然発生的に成立し、その創始者を特定することのできない自然宗教と呼ばれるものである。つまり、日本人は「無宗教という名の宗教」を持つ「自然宗教」の信者だというのである。たしかに、日本国内に多数存在するお寺は仏教のものであり、それは釈尊によって始められた創唱宗教である。しかし、我が国の仏教は「葬式仏教」とも称される特殊なものであり、それは「自然宗教」のもつ先祖崇拝や霊魂観に仏教の衣を着せたものにすぎないと評される。(木村文輝『現代日本における「宗教」の意味』2014年)


無神論の真の公式 は「神は死んだ」ではなく、「神は無意識的」である。la véritable formule de l'athéisme n'est pas que  « Dieu est mort »… la véritable formule de l'athéisme c'est que « Dieu est inconscient ». (ラカン, S11, 12 Février 1964)



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◼️日本人の宗教 中井久夫(1985年)

日本人が西欧よりはやく脱宗教化したという歴史的事実は、医学史から学んだ。「医は仁術なり」という宣言は、「宗教者でなく儒教的教養を身につけた医師が医療に当たれ」という意味で、神主、僧侶の医療行為が同時に禁止されている。例外は日蓮宗の狐払いくらいか。刀狩り、検地にはじまり、檀家制度、布教の禁止、大家族同居の禁と続く一連の制度で、江戸時代初期に完成したこれらの制度が今日まで及ぼしている影響は決して無視できないと、素人ながらに思う。


 医学や教育など、西欧で元来宗教の手にあったものを世俗の専門家が行なうように制度を変えるのを「セキュラリゼーション」とか「ライシスム」とかいうが、フランスなど十九世紀になおこの闘争をやっていて、ずいぶん抵抗もあった。


 日本では、逆に宗教が行方不明になりかけていて、無宗教だという意見が高度成長期時代まであった。イザヤ・ベンダサンという「人」が、ヒンドゥー教やユダヤ教と同じ意味で「日本教」というものがあると指摘すると、なるほどということになった。西郷隆盛がその大聖人であるというといかにもという気になる。この宗教では「向う三軒両隣いちょろちょろしている人」が重要であるといわれると、それももっともという気がする。そこで、宗教論はうやむやになったように思う。


 しかし、強烈な宗教的情熱を最近目の当たりにした。偶像崇拝どころではない。最近の航空機事故は悲惨であったが、その処理も私を大いに驚かせた。いかなる死体のはしきれをも同定せずにはおかないという気迫が当然とされ、法医学の知識が総動員されて徹底的に実行された。こういうことは他国の事故では起こらない。海底の軍艦の遺骨まで引き揚げようとするのは我が国以外にはあるまい。


 同定した遺体の破片は歯一つでもすぐ火葬に付する。国に持って帰るのも、現地で火葬に付してからである。すっかり風化していても生では持ち帰らない。


 死者の遺体はーー特に悲惨な死を遂げた人の遺体はーーただの物ではなくて、それは火できよめて自宅、せめて自国まで持ってこないと「気がすまない」とはどういうことだろうか。一つは、定義はほんとうにむつかしそうだが、「アニミズム」と呼ぶのが適当な現象である。もう一つは、国なり家族なり、とにかく「ウチ」にもたらさないと「ゴミ」あつかいをしていることになるということである。「ゴミ」の定義は「ソト」にあるものだ(「ひとごみ」とはよく言ったものだ)。そうしておくとどうも「気がすまない」。「気がすまない」のは強迫的心理であり、それを解消しようとする行為が強迫行為である。そういう意味では、神道の原理が「きよら」であり、何よりも生活を重んじるのとつながる。


むかし、神道が清潔をあまりに言うのは、かつて何か血なまぐさいことをしたからではないか、と思ったことがあるが(精神分析学を持ち出さずとも、マクベス夫人の例を考えるだけでよかろう)、縄文人をインディアンのように弥生人が虐殺したということはないという。


 アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。イスラエルと日本の合同考古学調査隊が大量の不要な遺骨を運び出す羽目になった時、その作業をした日本隊員は翌日こぞって発熱したが、イスラエル隊員は別に何ともなかったそうである。(中井久夫「日本人の宗教」1985年初出『記憶の肖像』所収)



◼️日本人の宗教 中井久夫(2007年4月、神戸新聞)


 もう古くなった統計だが、それによると、特定の宗教を信仰している日本人は三〇パーセントに満たないが、祈りの必要を感じている人は七〇パーセントを超えるという。この落差は海外では奇異とされるが、欧米人も、定期的に教会に行く人の率は三〇パーセント程度かと思う。米国人のほうが欧州人より多いそうであるが、州によって、地域によって違いそうだ。


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 信者と非信者を白か黒かと峻別し、後者を異端、異教徒として排斥するのがほんとうに宗教本来のあり方だろうか。


 そもそも宗教は教典、戒律、儀礼だけから成るものではない。言葉と儀式を包む雰囲気的とでもいうか、言葉にならない、あるいは言葉を超えた何ものかに包まれて初めて宗教であると私は思う。


 人生は科学が扱いかねるものに満ちている。私も「どうして他人でなく私が」という、うめくような声を聞いてきた。人生は自分ではどうしようもない偶然性と不確定性とに大きく左右される。生をうけたこと自体がそうである。子の誕生の喜びはその将来の不確定性とセットである。結婚は必ずしも幸福を約束しない。成功はその裏にどんでん返しの可能性がある。もっと端的な不条理も多い。たとえば犯罪被害者である。



 まことに、人生は偶発性と不確定性と不条理性に満ちている。宗教はこれに対する合理化であり埋め合わせでもある。「いかなる未開社会でも確実に成功するものに対しては呪術は存在しない」と人類学者マリノフスキーはいう。棟上げ式も、進水式も不慮の事故を怖れ、成功と無事故を祈るものである。



 どの個別宗教もその教義、教典が成立した時に、その時のその場の何かがもっとも先鋭な不条理であったかを鋳型のように示している。一神教は苛烈な不条理に直面しつづけたユダヤ民族の歴史を映しているだろう。


 人間はもともと狩られる存在であって劣等感の塊であったという。それが「万物の霊長」に成り上がると、頭の上に何もないのが落ちつかない。人は優越感だけでは自分を支えられないのである。そこで眼に見えない存在として神を自分の上に置いたという説明がある。だから、多くの宗教が富者、知者、支配者の傲慢を戒め、謙遜と敬虔とを美徳とするのかもしれない。


 しかし、動物を狩る技術は同種間の狩り、すなわち戦争を生みもした。その際には「正義われにあり」という感情を支えるために使われもした。二十世紀でも二次の世界大戦において参戦国の教会はすべて神に自国の勝利を保証した。



 宗教の起源説はまだまだあるが、それは必要条件を説明しても充分条件を説明しないと思う。そうするにはあまりに深く、宗教は言葉を超えた情の大海に深くその脚を浸している。


 神経心理学は脳と言動とを橋渡ししようとする科学であるが、私の尊敬するその道の学者(山鳥重〔あつし〕氏)は、知情意といっても、基本は情であって、これに対して知と意とは情の大海に浮かぶ船、海の中で泳ぐ魚にすぎないと語っている。


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 宗教原理主義が流行である。宗教の自然な盛り上がりか。むしろ、宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼の些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。


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 しかし、宗教は人をもつなぐ。未知の部族を訪問する研究者は、仏教であれボン教であれ、そこが何教でかを知ると安心する。避けるべきタブー、従うべき儀礼がわかるからである。たとえば手を合わせて「ナマステ」というば許していただけることも多かろう。しかし、その部族限りの宗教であると、歓待の最中のどんな些細な行為が実は重大な違反として首が飛ぶかもしれない。日本人が外国で不気味に思われるとしたら、その宗教、すなわちルールがわからないということがあるまいか。


日本人は初詣では神社、葬式は仏教、クリスマスはキリスト教と使いわけているのは儀式のレベルのことで、日本人が和語、漢語、カタカナ語を巧みに使って漢字仮名まじり文を書いているのと同じである。他のすべての生活様式も同じである。その底には共通の祈りがあって、ことば以前の感情に日本人の“宗教”があるのではなかろうか。


 宗教の勧誘者は「私には私の信仰がありますから」と申し上げると、たいていは素直に帰って下さる。この宗教的寛容さがうらやましい国民でもあるだろう。(中井久夫「日本人の宗教」2007年) 




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◼️本居宣長によるカミの定義

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、

さて人の中の神は、先づかけまくもかしこき天皇は、御世々々みな神に坐すこと、申すもさらなり、其は遠つ神とも申して、凡人とは遥に遠く、尊く可畏く坐しますが故なり、かくて次々にも神なる人、古も今もあることなり、又天の下にうけばりてこそあらね、一國一里一家の内につきても、ほどほどに神なる人あるぞかし、

さて神代の神たちも、多くは其代の人にして、其代の人は皆神なりし故に、神代とは云なり、又人ならぬ物には、雷は常にも鳴る神神鳴りなど云へば、さらにもいはず、龍樹靈狐などのたぐひも、すぐれてあやしき物にて、可畏ければ神なり、(中略)又虎をも狼をも神と云ること、書紀万葉などに見え、又桃子(もも)に意富加牟都美命((おおかむつみのみこと)と云名を賜ひ、御頸玉(みくびたま)を御倉板擧(みくらたなの)神と申せしたぐひ、又磐根木株艸葉(いわねこのたちかやのかきば)のよく言語したぐひなども、皆神なり、さて又海山などを神と云ることも多し、そは其の御霊の神を云に非ずて、直に其の海をも山をもさして云り、此れもいとかしこき物なるがゆゑなり、)

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける(本居宣長『古事記伝』三)



◼️柳田国男と折口信夫におけるカミ

日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠く遠くへ、旅立つてしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以つて、大よそ行きわたつて居る。独りかういふ中に於いてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。(柳田国男「魂の行くえ」1949年)



すさのをのみことが、青山を枯山なす迄慕ひ歎き、いなひのみことが、波の穂を踏んで渡られた「妣が国」は、われ〳〵の祖たちの恋慕した魂のふる郷であつたのであらう。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)

……「妣が国」と言ふ語が、古代日本人の頭に深く印象した。妣は祀られた母と言ふ義である。(折口信夫「最古日本の女性生活の根柢」『古代研究 民俗学篇第一』1929年)


➡︎まれびとのたたり




◼️フロイトラカンにおける原神

歴史的発達の場で、おそらく偉大な母なる神が、男性の神々の出現以前に現れる。〔・・・〕もっともほとんど疑いなく、この暗黒の時代に、母なる神は、男性諸神にとって変わられた。Stelle dieser Entwicklung treten große Muttergottheiten auf, wahrscheinlich noch vor den männlichen Göttern, […] Es ist wenig zweifelhaft, daß sich in jenen dunkeln Zeiten die Ablösung der Muttergottheiten durch männliche Götter (フロイト『モーセと一神教』3.1.4, 1939年)

偉大なる母、神たちのあいだで最初の「白い神性」、父の諸宗教に先立つ神である。la Grande Mère, première parmi les dieux, la Déesse blanche, celle qui, nous dit-on, a précédé les religions du père (Jacques-Alain Miller, MÈREFEMME   2015)


ロバート・グレーヴスが定式化したように、父自身・我々の永遠の父は、白い女神(母なる神)の諸名のひとつに過ぎない comme le formule Robert Graves, le Père lui-même, notre père éternel à tous, n'est que Nom entre autres de la Déesse blanche,(ラカン、AE563, 1974)

ラカンは言っている、おそらく最も根源的父の諸名は、母なる神だと。母なる神は父の諸名に先立つ異教である。ユダヤ的父の諸名の異教は、母なる神の後釜に座った。おそらく最初期の父の諸名は、母の名である。Lacan says that perhaps the most fundamental of The Names of the Father might be that of the Mother Goddess, which belong to the cults that precede the Names of the Father.  The Jewish cult of the Names of the Father superseded the Mother Goddess. Perhaps the earliest of the Names of the Father is the name of the Mother(J.-A. Miller,The Non-existent Seminar, 1991)



➡︎「母は神である


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Wikipediaの宗教の項を見ると、こうある。


「宗教とは何か」という問いに対して、宗教者、哲学者、宗教学者などによって非常に多数の宗教の定義が試みられてきたとされ、「宗教の定義は宗教学者の数ほどもある」といわれるとされる。(Wikipedia「宗教」


私は日本人の宗教観を顕揚するつもりは毛頭ないが、ーー丸山真男によって、日本は言語的規律のない「無思想・無イデオロギー」の国、加藤周一によって「土着思想・現世利益」的な国、浅田彰によって「土人の国」等と言われてきた原因は、おそらく日本の宗教観に大いにあるーー、ほとんどの宗教学者たちがいまだもって宗教の定義に右顧左眄しているのは、一神教観念に囚われすぎているせいではないかと疑っている。その意味で、宗教の起源を問うとき、日本人の宗教観は大いに参考になるし、またそうせねばならないと思う。


一神教とは神の教えが一つというだけではない。言語による経典が絶対の世界である。そこが多神教やアニミズムと違う。一般に絶対的な言語支配で地球を覆おうというのがグローバリゼーションである。(中井久夫『私の日本語雑記』2010年)

アニミズムは日本人一般の身体に染みついているらしい。(中井久夫「日本人の宗教」1985年『記憶の肖像』所収)

宗教原理主義が流行である。宗教の自然な盛り上がりか。むしろ、宗教が世俗的目的に奉仕するのが原理主義ではないか。わが国でも、千年穏やかだった神道があっという間に強制的な国家神道に変わった。原理主義の多くは外圧か内圧かによって生まれ、過度に言語面を強調する。言語と儀礼の些細な違いほど惨烈な闘争の火種になる。(中井久夫「日本人の宗教」2007年)



私が精神分析やニーチェから教示されたことは、一神教とはアニミズム(あるいは多神教)もしくは母なる神のヴェールに過ぎないということである。




もっともこれについては「通念」からの強い批判があるだろうことは承知しており、今はただこういう捉え方があり私はそれを受け入れている者だとしておく。


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※参考


私の考えでは、アニミズムから、呪術、宗教、普遍宗教にいたる発展とは、交換様式の変容にほかならない。簡単にいうと、それはつぎのようになる。アニミズムでは、万物にアニマがあると考えられている。ゆえに、人はアニマを抑えないと、対象と関係することができない。たとえば、動物を狩猟することができない。その場合、アニマに贈与することによってそれを抑え、対象をたんなる物とする。それが供犠である。死者の埋葬・葬礼も死者の霊を抑えるためになされる。したがって、呪術はこのような贈与交換によって成り立っている。そのような贈与はまた、自然をたんなる対象として扱うことを可能にする。ゆえに、呪術師が最初の科学技術者なのである。(柄谷行人『哲学の起源』2012年)


ラカンは『科学と真理』で強調している。科学による真理と知との共約不可能性を認知することの拒絶は、魔術や宗教よりもさらにいっそう根源的であると。事実、宗教家は、「神が知っていることを知らない」ことを知っている。また文化人類学者が示したように、呪術師は、「己の行為の有効性が欺瞞的実践に依拠している」ことを知っている。 (ロレンゾ・チーサ Lorenzo Chiesa, Hyperstructuralism's Necessity of Contingency, 2010)