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2021年5月28日金曜日

愛する理由ーー固着文献

 


前回、「原抑圧=固着=身体の出来事」が現代ラカン派の臨床の核心であることを示した。





ところでフロイトの抑圧には原抑圧と後期抑圧がある。


われわれが治療の仕事で扱う多くの抑圧は、後期抑圧の場合である。それは早期に起こった原抑圧を前提とするものであり、これが新しい状況にたいして引力をあたえるのである。

daß die meisten Verdrängungen, mit denen wir bei der therapeutischen Arbeit zu tun bekommen, Fälle von Nachdrängen sind. Sie setzen früher erfolgte Urverdrängungen voraus, die auf die neuere Situation ihren anziehenden Einfluß ausüben. (フロイト『制止、症状、不安』第2章、1926年)



だがフロイトは晩年になればなるほど「抑圧」という語を「原抑圧」の意味で使うようになる。たとえば次の文はその典型である。


抑圧はすべて早期幼児期に起こる[Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit]。それは未成熟な弱い自我の原防衛手段[primitive Abwehrmaßregeln]である。その後に新しい抑圧が生ずることはないが、なお以前の抑圧は保たれていて、自我はその後も欲動制御[Triebbeherrschung]のためにそれを利用しようとする。新しい葛藤は、われわれの言い表し方をもってすれば「後期抑圧 Nachverdrängung」によって解決される。


Alle Verdrängungen geschehen in früher Kindheit; es sind primitive Abwehrmaßregeln des unreifen, schwachen Ichs. In späteren Jahren werden keine neuen Verdrängungen vollzogen, aber die alten erhalten sich, und ihre Dienste werden vom Ich weiterhin zur Triebbeherrschung in Anspruch genommen. Neue Konflikte werden, wie wir es ausdrücken, durch »Nachverdrängung«erledigt. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』 第3章、1937 年)




ある時期以降のフロイトの「抑圧」は多くの場合「原抑圧」であることに注意しながら、以下に示す固着をめぐる主要な記述を読もう。


「抑圧」は三つの段階に分けられる。

①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている「固着」である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。


②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期[Nachdrängen]の抑圧ある。〔・・・〕原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。


③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗[Mißlingens der Verdrängung]、侵入[Durchbruchs]、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である。この侵入[Durchbruch]とは固着点[Stelle der Fixierung]から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー  )1911年、摘要)


「原抑圧された欲動」とあるが、これは後年、「排除された欲動」と言い換えられている。


排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)


次の文の異者[ fremd]という語は、フロイトだけでなくラカン理論の核心のひとつである(後述)。


原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要)



以下、固着をめぐり、Verbleiben、zurückgelassen、hinterlassen、Zurückbleiben、zurückという語が出現するが、すべて「置き残す」と訳した。要するにリビドーの固着がエスに置き残されるという意味である。


より初期段階のある部分性向の置き残しが、固着(欲動の固着)と呼ばれるものである。daß ein solches Verbleiben einer Partialstrebung auf einer früheren Stufe eine Fixierung (des Triebes nämlich) heißen soll. (フロイト『精神分析入門』第22講、1917年)

リビドーは、固着によって退行の道に誘い込まれる。リビドーは発達段階の或る点に置き残されるのである。…Auf den Weg der Regression wird die Libido durch die Fixierung gelockt, die sie an diesen Stellen ihrer Entwicklung zurückgelassen hat. (フロイト 『精神分析入門』 第23講、1917年)

幼児期の純粋な偶然的出来事は、リビドーの固着を置き残す傾向がある。daß rein zufällige Erlebnisse der Kindheit imstande sind, Fixierungen der Libido zu hinterlassen. (フロイト 『精神分析入門』 第23講 1917年)


常に残存現象がある。つまり部分的な置き残しがある。〔・・・〕標準的発達においてさえ、転換は決して完全には起こらず、最終的な配置においても、以前のリビドー固着の残滓が存続しうる。Es gibt fast immer Resterscheinungen, ein partielles Zurückbleiben. […]daß selbst bei normaler Entwicklung die Umwandlung nie vollständig geschieht, so daß noch in der endgültigen Gestaltung Reste der früheren Libidofixierungen erhalten bleiben können. (フロイト『終りある分析と終りなき分析』第3章、1937年)



(原)抑圧されたものは、結局、異者としての身体である。


抑圧されたものは異物(異者としての身体)として分離されている。Verdrängten … sind sie isoliert, wie Fremdkörper 〔・・・〕抑圧されたものはエスに属し、エスと同じメカニズムに従うDas Verdrängte ist dem Es zuzurechnen und unterliegt auch den Mechanismen desselben, 。〔・・・〕


自我はエスから発達している。エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳に影響されず、本来の無意識としてエスのなかに置き残されたままである。[…] das Ich aus dem Es entwickelt. Dann wird ein Teil der Inhalte des Es vom Ich aufgenommen und auf den vorbewußten Zustand gehoben, ein anderer Teil wird von dieser Übersetzung nicht betroffen und bleibt als das eigentliche Unbewußte im Es zurück. (フロイト『モーセと一神教』3.1.5 Schwierigkeiten, 1939年)


「翻訳」Übersetzungという語が出現しているが、すでに最初期にこの語が使われている。


翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧 」呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst.(フロイト、フリース宛書簡 Brief an Fließ, 6.12.1896)


次の文に最も鮮明に、「抑圧された欲動」が「異者としての身体」であることが表現されている。


自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es [...] in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕


エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen (フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要)




エスに置き残された「リビドー固着の残滓=異者としての身体」、これがラカンの対象aである。


異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963)

異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste,    (Lacan, S10, 23 Janvier 1963)

享楽は、残滓 (а)  を通している。la jouissance[…]par ce reste : (а)  (Lacan, S10, 13 Mars 1963)


我々にとっての異者としての身体 un corps qui nous est étranger(Lacan, S23, 11 Mai 1976)

異者とは、厳密にフロイトの意味での不気味なものである。…étrange au sens proprement freudien : unheimlich (Lacan, S22, 19 Novembre 1974)

不気味なものとして感知されるものは、内的反復強迫を思い起こさせるものである[daß dasjenige als unheimlich verspürt werden wird, was an diesen inneren Wiederholungszwang mahnen kann. ](フロイト『不気味なもの Das Unheimliche』1919年)


現実界のなかの異物概念(異者としての身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)



固着[Fixierung]と異者としての身体[Fremdkörper]、これがフロイトラカンにおけるリアルな症状把握のための核なのである。



症状は現実界について書かれることを止めない le symptôme… ne cesse pas de s’écrire du réel (Lacan, 三人目の女 La Troisième, 1er Novembre 1974)

現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire] (Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)


フロイトにとって症状は反復強迫[compulsion de répétition]に結びついたこの「止めないもの qui ne cesse pas」である。『制止、症状、不安』の第10章にて、フロイトは指摘している、症状は固着を意味し、固着する要素は無意識のエスの反復強迫に見出されると。[le symptôme implique une fixation et que le facteur de cette fixation est à trouver dans la compulsion de répétition du ça inconscient. ]フロイトはこの論文で、症状を記述するとき、欲動要求の絶え間なさを常に示している。欲動は、行使されることを止めないもの[ne cesse pas de s'exercer]である.。(J.-A. MILLER, L'Autre qui  n'existe pas  et ses comités d'éthique - 26/2/97)



ここに記された「固着文献」は、「去勢喪失穴について」「2010年以降のフロイト」に引き続く三連投目であるが、ここにしか精神分析の核ーー少なくもフロイトラカンにおける精神分析の核ーーはない。


「異者としての身体」についてのより広範なフロイトの記述は固着と異者と対象a」に列挙してある。



いくらか補足しておこう。ラカンは「享楽は穴」と言ったが、穴とはトラウマのことである。


享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない。[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974)


そして「異物=異者としての身体」は、フロイトの定義においてトラウマかつその反復である。


トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 (異者としての身体[Fremdkörper] )のように作用する。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


つまり「享楽は穴」とは、「享楽は異者としての身体」と言い換えうる。


これが、上にも引用したジャック=アラン・ミレールが次のように言っている内実である。


実界のなかの異物概念(異者としての身体概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004


かつまたこの異者は先に見たように固着の残滓であり、それがフロイトが次のように言っている意味である。


原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; …]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要)


そしてラカンの現実界とはこの原抑圧=固着である。


ラカンの現実界は、フロイトの無意識の核であり、固着のために置き残される原抑圧である。「置き残される」が意味するのは、表象への・言語への移行がなされないことである。The Lacanian Real is Freud's nucleus of the unconscious, the primal repressed which stays behind because of a kind of fixation . "Staying behind" means: not transferred into signifiers, into language(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001年)



……………


固着が決定的なのは分析治療の場だけではない。日常的生においても同様である。たとえば、あなたはどうしてあの人に惚れ込み、別の人にはそうではないのか。あなたの傍の人は逆なのに。


精神分析に親しくない人には容易に納得できないだろうが、これはフロイトラカン派においては、愛の条件の固着にかかわるのである。



性的抑圧[Sexualverdrängung]が取り去られず単に背景に押しやられているだけの患者は、すべての愛の条件[Liebesbedingungen]を持ち出すことになすがままになる。すなわち彼女の性的憧憬の幻想のすべて[alle Phantasien ihrer Sexualsehnsucht,] 、恋におちいる固有の特徴[alle Einzelcharaktere ihrer Verliebtheit]を。そして彼女の愛の幼児期の原因[infantilen Begründungen ihrer Liebe]に自らを委ねる。(フロイト『転移性恋愛についてBemerkungen über die Übertragungsliebe 1915) 

初期幼児期の愛の固着 frühinfantiler Liebesfixierungen.(フロイト『十七世紀のある悪魔神経症』1923年)


忘れないようにしよう、フロイトが明示した愛の条件のすべてを、愛の決定性のすべてを。N'oublions pas … FREUD articulables…toutes les Liebesbedingungen, toutes les déterminations de l'amour  (Lacan, S9, 21  Mars 1962)

フロイトが Liebesbedingung と呼んだもの、つまり愛の条件、ラカンの欲望の原因がある。これは固有の徴ーーあるいは諸徴の組み合わせーーであり、愛の選択において決定的な機能をもっている。Il y a ce que Freud a appelé Liebesbedingung, la condition d’amour, la cause du désir. C’est un trait particulier – ou un ensemble de traits – qui a chez quelqu’un une fonction déterminante dans le choix amoureux.  (J.-A. Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010)


ーー《われわれが現実界という語を使うとき、この語の十全な固有の特徴は「現実界は原因である」となる。quand on se sert du mot réel, le trait distinctif de l'adéquation du mot : le réel est cause. 》(J.-A. MILLER, - L'ÊTRE ET L'UN - 26/1/2011)


愛は常に反復である。これは直接的に固着概念を指し示す。固着は欲動と症状にまといついている。愛の条件の固着があるのである。L'amour est donc toujours répétition, […]Ceci renvoie directement au concept de fixation, qui est attaché à la pulsion et au symptôme. Ce serait la fixation des conditions de l'amour. (David Halfon,「愛の迷宮Les labyrinthes de l'amour 」ーー『AMOUR, DESIR et JOUISSANCE』論集所収, Novembre 2015)



たとえばドゥルーズがプルーストに依拠して次のように言うとき、結局、愛する理由は、その根には固着があるだろうと私は捉えている。


愛する理由は、人が愛する対象のなかにはけっしてない。les raisons d'aimer ne résident jamais dans celui qu'on aime(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第2版、1970年)



プルーストは次のように書いている。


私がジルベルトに恋をして、われわれの恋はその恋をかきたてる相手の人間に属するものではないことを最初に知って味わったあの苦しみ cette souffrance, que j'avais connue d'abord avec Gilberte, que notre amour n'appartienne pas à l'être qui l'inspire(プルースト「見出された時」)

ある年齢に達してからは、われわれの愛やわれわれの愛人は、われわれの苦悩から生みだされるのであり、われわれの過去と、その過去が刻印された肉体の傷とが、われわれの未来を決定づける。Or à partir d'un certain âge nos amours, nos maîtresses sont filles de notre angoisse ; notre passé, et les lésions physiques où il s'est inscrit, déterminent notre avenir. (プルースト「逃げ去る女」)



《過去が刻印された肉体の傷》、これこそーー遡ればーーフロイトのいう「初期の自我への傷=トラウマへの固着」に繋がってくるだろうと。


トラウマは自己身体の出来事 もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。また疑いもなく、初期の自我への傷(ナルシシズム的屈辱)である[gewiß auch auf frühzeitige Schädigungen des Ichs (narzißtische Kränkungen)]〔・・・〕


この作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. ]。


これらは、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen]。 (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)




私がいま言っているのは、「好き」の話ではなく「愛する」の話であることに注意されたし。


ストゥディウム[studium]というのは、気楽な欲望と、種々雑多な興味と、とりとめのない好みを含む、きわめて広い場のことである。それは好き/嫌い(I like/ I don’t)の問題である。ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、愛する(to love)の次元には属さない。ストゥディウムは、中途半端な欲望、中途半端な意志しか動員しない。それは、人が《すてき》だと思う人間や見世物や衣服や本に対していだく関心と同じたぐいの、漠然とした、あたりさわりのない、無責任な関心である。(ロラン・バルト『明るい部屋』第11章、1980年)

プンクトゥム[punctum]――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。〔・・・〕プンクトゥムとは、刺し傷[piqûre]、小さな穴 [petit trou]、小さな染み[petite tache]、小さな裂け目[petite coupure]のことであり――しかもまた骰子の一振り[coup de dés]のことでもあるからだ。〔・・・〕


プンクトゥムとは、…私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。 punctum…c'est ce hasard qui, en elle, me point (mais aussi me meurtrit, me poigne).(ロラン・バルト『明るい部屋』第10章、1980年)


『明るい部屋』のプンクトゥム[punctum]は、ストゥディウムに染みを作るものである[fait tache dans le studium]。私は断言する、これはラカンのセミネールXIにダイレクトに啓示を受けていると。ロラン・バルトの天才[ le génie propre de Roland Barthes] が、正当的なスタイルでそれを導き出した。…そしてこれは現実界の効果[l'Effet de réel]と呼ばれるものである。(J.-A. Miller, L'Être et l'Un - 2/2/2011)