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2021年9月20日月曜日

譲りえぬ対象としての聖なるもの

 


たちまち魅惑されちまったな。久しぶりに読む蓮實の文体に。そして「譲りえぬもの」に。


意味はわかってもどんなものかは皆目見当もつかないオーストロネシア文化を基層に持つといわれるマダガスカルというきわめて特殊な一帯の、電気も通っていない一地方を、ときに土地の仲間とラムなど痛飲しながらもフィールドワークの拠点としている森山工は、他方では、マルセルモースの必読文献 『贈与論他二篇」(岩波文庫)の訳者としても知られている。ここでの森山は、レヴィ=ストロースによっていささか古いとみなされたモースを真剣に読み直し、彼の真の関心が「交換」ではなく「交換の対象とはならないもの」にあったのではないかと説き、レヴィ=ストロースでさえ、「家」の概念の成り立ちにその〈譲りえぬもの〉を想定していたはずだと推察する。その事実を、多くの先行文献ーー『源氏物語』からコジェーヴをへてギンスブルグまでーーを渉猟しながら、マダガスカルにおける「墓」の形式的な変遷を通じて辿ろうとする著者の姿勢は、きわめてスリリングである。誰もが、知らぬ間に、これまで耳にしたこともなかろうメリナ人だのシハナカ人だのに、奇妙な親しみを覚え始めてしまっているからだーー蓮實重彦 帯文『贈与と聖物』森山工





ラカンには、譲りうる対象[objet cessible]という表現がある。


譲りうる対象の特徴は対象aの特徴のひとつであり、こよなく重要である。私はあなた方に求める、私が対象aのすべての形態をリストしたものを見返すことを。Ce caractère d'objet cessible est un des caractères  du petit(a) tellement important que je vous demande  de bien vouloir me suivre en une brève revue  pour voir qu'il est un caractère qui marque toutes les formes que nous avons énumérées du petit(a).   (Lacan, S10, 26 Juin 1963)

(対象aの形象化として)、乳首[mamelon]、糞便 scybale]、ファルス(想像的対象)[phallus (objet imaginaire)])、小便[尿流 flot urinaire]、ーーこれらに付け加えて、音素[le phonème]、眼差し[le regard]、声[la voix]、そして無[ le rien]がある。(Lacan, E817, 1960


これらの譲渡は、人間が「欲望の主体」として生きるために譲るということを意味し、原初にある「享楽の主体」に対する防衛にかかわる。


犠牲は運命づけられている。それはそれは捧げ物や贈物ではまったくない。そうではなく欲望のネットワークにおけるそれ自体としての大他者の捕獲としてである。le sacrifice est destiné, non pas du tout  à l'offrande ni au don…, mais à la capture de l'Autre,  comme tel, dans le réseau du désir.    (Lacan, S10, 5 Juin 1963)


この当時のラカンは、当然のこと、マルセル・モースやレヴィ=ストロースを視界に入れつつ語っている。


そして欲望の条件となるあれらの対象とは異なり、その起源にある究極の享楽の対象とは喪われた対象(母胎)であり「外にある家」だ。これこそ究極の「譲りえぬもの」だ。


蓮實はあの帯文で、《ここでの森山は、レヴィ=ストロースによっていささか古いとみなされたモースを真剣に読み直し、彼の真の関心が「交換」ではなく「交換の対象とはならないもの」にあったのではないかと説き、レヴィ=ストロースでさえ、「家」の概念の成り立ちにその〈譲りえぬもの〉を想定していたはずだと推察する。》としたあと、《マダガスカルにおける「墓」の形式的な変遷を通じて辿ろうとする著者の姿勢》とも記している。


「墓」のギリシア語は tumbos 、ラテン語は tumulus で、共に「膨れる」という意味がある。これが英単語の tomb の語源であり、tomb  womb の「子宮」と言語的に関連している。「家=母胎=墓」は譲りえぬものである。



家は母胎の代用品である。最初の住まい、おそらく人間がいまなお渇望し、安全でとても居心地のよかった母胎の代用品である[das Wohnhaus ein Ersatz für den Mutterleib, die erste, wahrscheinlich noch immer ersehnte Behausung, in der man sicher war und sich so wohl fühlte. ](フロイト『文化の中の居心地の悪さ』第3章、1930年)



別の言い方をすれば、フロイトの『三つの小箱 』にて表現されている、母なる大地[ Mutter Erde]、沈黙の死の女神[die dritte der Schicksalsfrauen, die schweigsame Todesgöttin]、これが譲りえぬものである。



ーーなどという短い帯文を読んだだけの過剰解釈は「よいこ」は慎まなければならない・・・