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2021年10月16日土曜日

欲望のグラフのS(Ⱥ)

いやあ無視してるわけじゃないんだけどな、美女に問われたら基本的にはお返事することにしてんだ。でも ラカンの「欲望のグラフ」ってのはボクは一度も触れたことがなくて、このグラフに対してこそ「無視」してんだ。

ここでは知っている範囲のことをーーというかほとんど今まで繰り返してきたことだが、それをほんの少しだけ欲望のグラフに関連づけて記すよ。

欲望のグラフ(le graphe du désir)は、セミネールⅤで初めて提示した図だけど、ここではセミネールⅩⅣから抜き出せば、こういうもんだな。




中期以降になれば、つまり「欲望のデフレ」があり欲望から享楽に移行してゆく観点からは、グラフの上左端にあるS(Ⱥ)が核心となってゆく。このマテームがラカンの思考の本来の焦点だ。


上でミレールが示しているように、S(Ⱥ)ってのは事実上、欲動あるいは享楽のマテームなんだ。「欲望のグラフ」の下にある諸々は、この
S(Ⱥ)に対する防衛だーー《欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である[le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.]》( Lacan, E825, 1960。だから本来、S(Ⱥ)が底部にあってその上部に欲望、つまり幻想のもろもろがあるという形になるーー《欲望の主体はない。幻想の主体があるだけである。il n'y a pas de sujet de désir. Il y a le sujet du fantasme》 (ラカン、AE207, 1966)

したがって簡潔に書けば、幻想の式[$ ◊ a]S(Ⱥ)の上に乗る形になる。




より詳しく、四つの言説図の代表である「主人の言説」図を載せる書き方もある。


ラカンは先ほどのセミネールⅩⅣにおける「欲望のグラフ」へのコメントで、「長いあいだS(Ⱥ)をここに置いているが、たいしたことはコメントしてないな」などと言いつつ、S(Ⱥ) ≡ 剰なる一者[l'« Un en trop »]としている。


Ici nous avons la marque, ou l'indice S(Ⱥ), que je n'ai pas… depuis des années qu'il existe,  qu'il est placé dans ce graphe …sur lequel je n'ai pas porté tellement de commentaires.   〔・・・〕à cette place du graphe : S(Ⱥ),  d'un signifiant, en tant qu'il concernerait, qu'il serait l'équivalent en quelque chose de ceci : de la présence de ce que j'ai appelé l'« Un en trop »… (Lacan, S14, 14  Décembre  1966)


この過剰なる一者が、後に「一者がある」 y'a d'l'Unと言ったものに相当する。


















この一者がある[y'a d'l'Un]、S2という知と関係しないS1、単独的な一者のシニフィアン[singulièrement le signifiant Un]、S2なきS1[S1 sans S2]こそ S(Ⱥ)と同じもの➡︎固着マテーム:Σ ≡ S(Ⱥ) ≡ S1[S1 sans S2]」。


で、このS2なきS1[S1 sans S2]もしくはS(Ⱥ)が、欲動=享楽(サントーム)=固着=モノのマテーム。


斜線を引かれた大他者のシニフィアンS (Ⱥ)ーー、私は信じている、あなた方に向けてこのシンボルを判読するために、すでに過去に最善を尽くしてきたと。S (Ⱥ)というこのシンボルは、ラカンがフロイトの欲動を書き換えたものである[S de grand A barré [ S(Ⱥ)]ーーJe crois avoir déjà fait mon possible jadis pour déchiffrer pour vous ce symbole où Lacan transcrit la pulsion freudienne ](J.-A, Miller,  LE LIEU ET LE LIEN,  6 juin 2001)


シグマΣ、サントームのシグマは、シグマとしてのS(Ⱥ) と記される[c'est sigma, le sigma du sinthome, …que écrire grand S de grand A barré comme sigma] (J.-A. Miller, LE LIEU ET LE LIEN, 6 juin 2001)

サントームという享楽自体 [la jouissance propre du sinthome] (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 17 décembre 2008)


サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要

ラカンがサントームと呼んだものは、ラカンがかつてモノと呼んだものの名、フロイトのモノの名である[Ce que Lacan appellera le sinthome, c'est le nom de ce qu'il appelait jadis la Chose, das Ding, ou encore, en termes freudiens](J.-A.MILLER,, Choses de finesse en psychanalyse X, 4 mars 2009)

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](ラカン, S23, 13 Avril 1976)



というわけで今のボクには「欲望のグラフ」を利用できることがあるなら、極論を言えばS(Ⱥ)だけだな。神経症者つまり大他者の信者向けだよ、欲望のグラフってのは。


そもそもこのS(Ⱥ)こそ、ひとりの女のシニフィアン、つまり穴の表象、蝦蟇口の表象なんだから。


ひとりの女はサントームである[une femme est un sinthome ](Lacan, S23, 17 Février 1976)


別名、斜線を引かれた女性の享楽、神のシニフィアンだよ。


S(Ⱥ) にて示しているものは「斜線を引かれた女性の享楽」に他ならない。たしかにこの理由で、私は指摘するが、神はいまだ退出していないのだ。[S(Ⱥ) je n'en désigne  rien d'autre que la jouissance de LȺ Femme, c'est bien assurément parce que c'est là que je pointe que Dieu n'a pas encore fait son exit. ](Lacan, S20, 13 Mars 1973)

大他者はない。…この斜線を引かれた大他者のS(Ⱥ)…「大他者の大他者はある」という人間にとってのすべての必要性。人はそれを一般的に神と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、神とは単に女なるものだということである。il n'y a pas d'Autre[…]ce grand S de grand A comme barré [S(Ⱥ)]…La toute nécessité de l'espèce humaine étant qu'il y ait un Autre de l'Autre. C'est celui-là qu'on appelle généralement Dieu, mais dont l'analyse dévoile  que c'est tout simplement « La femme ».  (Lacan , S23, 16 Mars 1976)


欲望のグラフなんかにかかずらあっておらずに、蝦蟇口に専念しろよ。


大他者のなかの穴のシニフィアンをS (Ⱥ) と記す[signifiant de ce trou dans l'Autre, qui s'écrit S (Ⱥ)  ](J.-A. MILLER, - Illuminations profanes - 15/03/2006)




矢野財務次官の1%の間違い

いやあ、彼はほとんど言い切ったな、ツイッター村ではまだあまり読まれていないようだが、これこそ「真の経済学者」だ。


◼️「このままでは国家財政破綻」論は1%だけ間違いだ

矢野財務次官と筆者との「決定的な違い」とは?  小幡績 2021/10/16

財務省の現役事務次官である矢野康治氏が、「このままでは国家財政は破綻する」という論文を月刊誌『文藝春秋』の11月号に寄稿し、永田町は上へ下への大騒ぎとなっている。

矢野氏の論文は99%正しいが、違う点とは?

ネット論壇は、ここぞとばかりに財務省の財政至上主義を批判している。


一方、日本の財政状況を懸念する人々からは、財政の危機的状況を危惧した当然の主張であると受け止められている。経済同友会の桜田謙悟代表幹事などは「書いてあることは事実だ。100%賛成する」と記者会見で述べている。


矢野氏の論文は、主張というよりは事実であり、そのとおりだと思うが、実は99%しか正しくない。


では「間違っている1%」とは何か。「このままでは破綻する」のではなく、日本財政は「必ず破綻する」のである。

説明しよう。その理由は少なくとも7つある。


第1に、日本政府は戦後、財政が悪化する中で一度も借金を減らしたことがない。1980年代後半のバブル経済期においてすら、借金は増え続けたのである。もちろん小泉純一郎政権時も、2013年以降の「アベノミクス期」にも借金は増え続けた。


第2に、現在の低金利時においてすら、赤字が急激に膨らみ続けているのである。金利が上昇したら、借金の増加スピードは増すだろう。


景気がよくても、低金利でも借金は増え続けてきたのである。


第3に、今後、借金返済の条件は悪くなる一方である。人口は減り続け、高齢化は進み、さらに勤労者世代は減り続ける。高齢者がどんなに働いても、働き盛りの時よりも稼ぐ力が増える人は少数派だ。日本の1人当たり所得、あるいは所得稼得者の1人当たり所得は増えるとしても、日本全体で所得が増えるのは当面、おそらく100年は難しい。もし出生率が上がっても、若年層が増えるほどの上昇にはどんな社会の変化があってもすぐには無理である。だから、政府収入が増えるのは難しい。


第4に「経済成長が先だ」というが、たとえ画期的な成長が実現したとしても、国家財政の収入が1.5倍になるには、制度的に増税を実施しなければ無理である。新型コロナウイルスの危機によって、単年度の借金増加が約100兆円におよんだ。従来は「コロナ前」であっても、赤字額は40兆円あり、景気がいちばんよいときでも30兆円程度であった。税収は、近年で景気がいちばんよいときで60兆円程度。赤字がなくなるためには、約1.5倍の収入が必要だが、それは無理だ。

「次の危機」に財政出動ができるのか

第5に「高い経済成長が実現すれば、GDP(国内総生産)と政府負債の比率がGDPの大幅上昇によって下がる」という主張は、実際には実現しない。


まず、成熟経済においては画期的な経済成長は国全体では成立しえない。人口が数百万程度の国ならともかく、1億人以上の国でそれを実現することは不可能だ。


「アメリカは3億人以上でも比較的高成長をしている」というが、アメリカですら、高成長で借金を減らそうという主張は存在せず、リーマンショックやコロナショックに対して、大規模な財政出動はするが、危機後は速やかに赤字を減らすために、財政出動を手仕舞い、同時に増税の議論を行っている。


つまりアメリカは、経済成長は、財政のための手段ではなく経済成長自身の問題としてとらえ、財政赤字は財政の問題として、財政の枠組みの中で減らすのである。なぜなら、経済成長で借金を減らすことには限度があり、借金や赤字が多いままでは、次の危機において、大規模な財政出動はできないからである。


第6に、今後、財政支出の内訳を見れば一目瞭然のように、増える要因ばかりである。典型的なのは、高齢化による年金支出である。


ある程度の安定化措置がとられたため、際限なく財政支出が膨らむリスクは抑えられたものの、現在の年金支給では不十分という議論もあり、今後も支出が増え続けることは間違いない。政治的な判断によっては、激増する可能性も残っている。


そして、より問題なのは、医療保険制度の問題だ。これはそう簡単には歯止めがききそうもない。制度も複雑で、利害関係者も入り組んでいる。「年金は誰が負担して、誰がもらうか」という話に尽き、本来、構造は単純で、いざとなれば改革は容易のはずだ。だがこれはあくまで理論的にはということで、単純に利害が見えてしまうために、特に世代ごとの意見対立などで現実的、政治的には難しくなるという問題がある。


しかし、それでも決定的な危機に陥り、政治決断をせざるをえなくなり、そして、それを実行すれば問題は処理できる。やるべきことはわかっているのである。


一方、医療改革は絶望的に難しい。どうやれば、医師、病院、患者などが政策の意図するように動いてくれるのか、どういう妥協をすれば、利害団体が動いてくれるのか、難しい。やるべき政策を発見するのも難しい。利害関係者を動かすのはもちろん難しい。危機的状況になっても、解決策に踏み切ろうにも、明確な、正しいけど痛みがあるから出来なかったが、今はやるしかない、という政策ではなく、非常に練られた政策を今から考えて生み出す必要があるのである。


また、今回のコロナ危機でわかったことは、医療制度や組織構造自体の効率も悪く、さらに医療に関する財政支出の効率性が悪い。両者が相まって、先進国でもかなり大きな財政支出がなされているのに、財政支出の効果が薄かったという分析がシンクタンクなどによりなされている。


さらに、旅行業などへの支援に見られるような一連のコロナ関連の経済支援などの政策では財政支出よりもさらに効率が悪かった、とシンクタンクなどは指摘している。日本の場合、感染者数、死亡者数が諸外国に比べて非常に小さく、一方で大規模な財政支出を行っても一向に景気が上向かなかったことなどを考えると、財政支出の効果の国際比較としては、極端に効率が悪いということになる。

政治側に借金返済の意思があるのか

このように数多くの理由により、日本の財政問題は困難な状況にあるのだが、しかし、7つ目の問題は、いや、真の最も致命的な問題、日本財政の最大の問題は「政治に借金返済の意思がまったくない」としか思えないことに尽きる。


日本政治は、1990年以降、一度も借金を減らそうとしたことがあっただろうか。「プライマリーバランス」(税収等で政策的経費を支払えているかどうか)の確保ですら1980年代のバブル崩壊以後、実現したことはないが、「プライマリーバランスを目指す」といっても、それでも借金は利子の支払い分増え続けるのであり、プライマリーバランスというのは、第1歩にすぎない。


本来はその先が必要なのであるが、それを目指したことがない。つまり、借金を減らす気がなければ、もちろん減るはずがない。そして、前述の第1から第6の理由により、歳出は増え続けることは必至である。支出は増え続け、歳入を増やす意思がないとなれば、破綻する以外の結果はありえない。


だから「日本財政は破綻するかどうか」ではなく「破綻するのがいつなのか」ということが問題なのだ。これはバブルの構造と同じである。


実は上記の1から6の要素は、矢野論文でも示されている。矢野氏と私の実質的な違いは、第7の理由、財政破綻が実現してしまうかどうかの致命的な点についてである。


矢野氏の論文は「与野党ともにバラマキばかりだ。あたかも財源が無限にあるかのような振る舞いで、いずれの政策も財政破綻をもたらす」という警告を発することが目的であり、「なんとかぎりぎりのところで踏ん張って、財政破綻させないようにしてくれ」という悲痛な叫びである。


一方、私は「政治家などこのフィールドにいる人々は、いつか財政破綻してしまうかどうかには関心がない。せいせい数年先のことしか考えていない」という認識をしている。そして、たぶん矢野氏よりも私のほうが正しい。結局、どんな警告を発しても無駄なのである。


そもそも「バラマキだ!」と批判しても、まったく無意味なのである。なぜなら、政治の世界の人々は「バラマくぞ!」と積極的に主張しているのであり、まさにバラマキ合戦をすることを意図しているからだ。しかも、今回は、多くのネット評論家、有識者、さらに専門家であるエコノミストたちの中でも多くの人々が、バラマキを支持し、画期的なバラマキの具体策を提案しているのである。


「これまでは中途半端で思い切りが足りなかった」というのが、このような多数派の主張である。バラマキが大規模であればあるほど素晴らしく、思い切りのよい優れた政治家とみなされる。財務官僚の警告などにひるまない、強い政治家ほど絶賛されているのである。

バラマキの責任は国民にある

ここが私と矢野氏の決定的な意見の違いである。矢野氏は、財政の真実の姿を国民に直接伝え、理解が広がれば、国民は賢明な判断をするだろうと信じている。私は信じていない。バラマキは、国民こそが(すべてではないが多数派が)望んでいるのである。


政治家は馬鹿ではない。勝つために政策を主張する。公約をする。与野党そろってのバラマキ主張は、票を取るためには正しい戦略なのである。


したがって、バラマキの責任は政治家にあるのではなく、国民にある。つまり、批判すべきは、バラマキを受けて喜んでいる国民、有権者たちだ。政治家は飯のために、権力を取るために、それに迎合しているにすぎないのだ。


また政治家を責めるぐらいなら、もっと糾弾されるべきは、財政出動、減税を礼賛、推奨している、有識者、エコノミストたちである。彼らこそが、国を滅ぼす戦犯なのである。


彼らを糾弾するためには、「日銀が国債を買えば大丈夫だ」「国全体のバランスシートは問題ない」」「MMT(現代貨幣理論)は有効だ」「インフレが起きてないから、むしろインフレを起こすために破綻しかねないぐらいの財政出動をしろ」といった類の議論がいかに間違っているかを書く必要がある。だが、それは別の機会にしよう。


とてつもなく家政術音痴の連中ばっかり

 

経済が弱いってのは女じゃないってことだよ。


Economy(経済)ってのは、古典ギリシャ語の οικονομία(家政術)から来てるんだぜ。これはマルクスだって言ってる、経済的構造がリアルな土台だって。


人間の物質的生産諸力の一定の発展段階に対応する生産諸関係の総体が、社会の経済的構造[die ökonomische Struktur der Gesellschaft]を形成する。これがリアルな土台[die reale Basis]であり、その上に一つの法的政治的上部構造[juristischer und politischer Überbau]がそびえたち、この土台に一定の社会的意識諸形態が対応する。物質的生活の生産様式[Die Produktionsweise des materiellen Lebens ]が、社会的・政治的および心的な生活過程一般[sozialen, politischen und geistigen Lebensprozeß überhaupt.]の条件を与える。人間の意識が彼らの存在を規定するのではなく、逆に彼らの社会的存在が彼らの意識を規定する。(マルクス『経済学批判』「序言」1859年)


リアルな土台ってのは母ってことだよ。


フロイトのモノを私はリアルと呼ぶ[La Chose freudienne …ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノは母である[das Ding, qui est la mère](ラカン, S7, 16 Décembre 1959)


で、女ってのは母の後継人だろ、


母の影は女の上に落ちている[l'ombre de la mère tombe là sur la femme.]〔・・・〕全能の力、われわれはその起源を父の側に探し求めてはならない。それは母の側にある[La toute-puissance, il ne faut pas en chercher l'origine du côté du père, mais du côté de la mère,](J.-A. Miller, MÈREFEMME, 2016)

全能の構造は、母のなかにある、つまり原大他者のなかに。…それは、あらゆる力をもった大他者である[la structure de l'omnipotence, …est dans la mère, c'est-à-dire dans l'Autre primitif…  c'est l'Autre qui est tout-puissant](Lacan, S4, 06 Février 1957)


ようは経済=家政術ってのは、女の専門分野だよ。女なる経済的下部構造が、法的政治的上部構造を規定するんだ。上部構造なんてのはアブクなる男どもに任せておけばよろしい。


いくらなんでももうそろそろ気づいたらどうかね。


世界は女たちのものだ、いるのは女たちだけ、しかも彼女たちはずっと前からそれを知っていて、それを知らないとも言える、彼女たちにはほんとうにそれを知ることなどできはしない、彼女たちはそれを感じ、それを予感する、こいつはそんな風に組織されるのだ。男たちは? あぶく、偽の指導者たち、偽の僧侶たち、似たり寄ったりの思想家たち、虫けらども …一杯食わされた管理者たち …筋骨たくましいのは見かけ倒しで、エネルギーは代用され、委任される …


Le monde appartient aux femmes, il n'y a que des femmes, et depuis toujours elles le savent et elles ne le savent pas, elles ne peuvent pas le savoir vraiment, elles le sentent, elles le pressentent, ça s'organise comme ça. Les hommes? Écume, faux dirigeants, faux prêtres, penseurs approximatifs, insectes... Gestionnaires abusés... Muscles trompeurs, énergie substituée, déléguée...(ソレルス『女たち』1983年)


最近は女でもシャボンのような政治家がいるにせよーーいやそもそも日本の女は政治家になるとほとんどみな男になっちまうんだろうな、虫けらにーー、本来の女の仕事は、あれら偽の政治家たちの嘘を見破って、そうそうにふん潰すことだよ。とてつもなく家政術音痴の連中ばっかりなんだから。ほんとにバカしかいないよ、家政に大穴空けてきたのに、穴埋めなんて微塵も考えず、まだ大借金することばかり考えてるヤツしかいないんだから。


全政党の党首呼びつけて、あんたたち、借金するのは悪いとは言わないわ、でもこの大穴どうするわけ、まずそこから始めなさいよ、と命令できるオッカサンいないのかね、日本には。ねえ、あたしがコロナ借金余裕でできたのは、財布の紐閉め続けてきたせいなのよ、って言える器の女が。



諸外国の財政をめぐる動きについて 

財政総論 財務省 2021年10月5日

ドイツ

リーマンショック後、債務残高対GDP比を削減(2010年:82.5%→2019年:59.7%)。メルケル首相は、これによりコロナへの対応余力があったと繰り返し表明。財政の健全性(2019年財政収支黒字、債務残高対GDP比60%未満)のおかげで、大規模な措置が可能に。


超過借入額(対GDP比0.35%の基準を超える借入。2020年:419億€、2021年:2,164億€)について、2042年までの償還計画を公表。



本来、女と男の違いってのは蝦蟇口とソーセージの違いさ。


彼女は三歳と四歳とのあいだである。子守女が彼女と、十一ヶ月年下の弟と、この姉弟のちょうど中ごろのいとことの三人を、散歩に出かける用意のために便所に連れてゆく。彼女は最年長者として普通の便器に腰かけ、あとのふたりは壺で用を足す。彼女はいとこにたずねる、「あんたも蝦蟇口を持っているの? ヴァルターはソーセージよ。あたしは蝦蟇口なのよ [Hast du auch ein Portemonnaie? Der Waller hat ein Würstchen, ich hab' ein Portemonnaie]」いとこが答える、「ええ、あたしも蝦蟇口よ[Ja, ich hab' auch ein Portemonnaie]」子守女はこれを笑いながらきいていて、このやりとりを奥様に申上げる、母は、そんなこといってはいけないと厳しく叱った。(フロイト『夢解釈』第6章、1900年)









2021年10月15日金曜日

各政党による「日本滅亡」策

 


今の日本には二つの選択肢しかない。大増税かハイパーインフレかである。一方は財政規律派であり、他方は財政バラマキ派である。厄介なのは「財政バラマキ大丈夫派」が政治家や公衆において大勢だということだが、彼らは無意識的にハイパーインフレを選択しているだけである。



もちろんハイパーインフレ選択は、ある一定の層にはたいして影響はないという可能性もある。


ハイパーインフレは、国債という国の株式を無価値にすることで、これまでの財政赤字を一挙に清算する、究極の財政再建策でもある。


予期しないインフレは、実体経済へのマイナスの影響が小さい、効率的資本課税とされる。ハイパーインフレにもそれが当てはまるかどうかはともかく、大した金融資産を持たない大多数の庶民にとっては、大増税を通じた財政再建よりも望ましい可能性がある。(本当に国は「借金」があるのか、福井義高 2019年)


他方で、ハイパーインフレが起これば社会保障給付等が止まって餓死者が出るという可能性を指摘する者もいる。ここは「大した金融資産を持たない大多数の庶民」、特に若き健康な若者の活躍しどころだろう。餓死者続出を防ぐにはキミたちの力が必要である。闇市時代の研究を今すぐ始めるべきである。ご健闘を祈る!


何はともあれ、この今、シートベルトを強く締めてしっかりと備えなければいけない時期に間違いなくなっている。


増税が難しければ、インフレ(による実質的な増税)しか途が残されていない恐れがあります。(池尾和人「このままでは将来、日本は深刻なインフレに直面する」2015年)

「妙案みたいなものは、もう簡単には見つかりません。『シートベルトを強く締めてください』と呼びかけたほうがいいかもしれませんね」 (池尾和人発言ーー「日銀バブルが日本を蝕む」」藤田知也, 2018年)


とはいえーー繰り返せばーー、最も厄介なのはこの「経済的常識」が、ほとんどの政治家たちにも、一般公衆にも通用しないことである。


政府が財政規律を導入しないと、この金融政策はうまく機能しないと思います。徳政令か、インフレでゼロ価値にしてしまうといったドラスティックな対応が必要になってくるかもしれません。債務のリネゴシエーションが日本でも起こり得るかもしれません。


日本の場合、国債の保有者は国内の預金者なので可能かもしれませんが、徳政令はハイパーインフレ―ションの下では国民は財産を一気に失ってしまうことになります。そこから、この高齢化社会で立ち直れるのか。それぐらい厳しい条件だと政治家が認識して、責任を持って財政規律を導入しないと、状況はなかなか改善しないと思います。(北村行伸一橋大学経済研究所教授、如水会報(一橋大学OB誌)2017年10月号)



頭が良すぎるところがある小幡績は、各政党は日本滅亡を早める政策ばかり出していると呆れ果てているが、ここで彼は、いつもに似合わず、ごくごく標準的な「経済的常識」を語っている。



転機の日本経済

すべての経済政策が間違っている   

                小幡績  20211014

<衆院選へ向けて与野党の公約が出揃ったが、経済政策は目を覆いたくなる「日本滅亡」策ばかり。その理由を説明する>

酷いにもほどがある。

衆議院が解散され、衆議院総選挙となったが、各党の公約に掲げられた経済政策があまりに酷すぎる。どの政党の経済政策を採用しても、日本経済は、すぐに破綻するか、少しずつ着実に衰退していくか、いずれにせよ、経済政策によって、日本経済の寿命を敢て短く、半減させている。

経済政策の酷さは、ほかの公約に比べて際立っている。これは経済政策が有権者に愛想をばら撒くのに最も強力だということもあるが、政治家たちが、あまりに経済というものを理解していないからによると思う。…


これ以下の内容はリンク元を見られたし。彼でもときに「啓蒙」したくなる時があるのだろう、実にコモンセンスに満ち溢れた記述で、みなさんにも「安心感」を与えてくれることだろう。







ベーシックインカムという甘い餌

 

以下、鈴木亘「ベーシック・インカムの実現可能性に関する一考察」2021年、PDF からだが、15歳以上の国⺠は⽉額10万円、15歳未満は⽉額6.6万円のベーシックインカムを支給したとき、年145兆円の財源がいる。その財源は、どうするか、という試算がなされている。

ベーシックインカム導入は必然的に、既存の社会保険給付費等(年金、医療、生活保護等)をカットすることになる。そのカット額は99兆円ほどある。足りない分は、消費税率相当21.7パーセントが必要だというもので、つまり、仮に全額消費税で補填するなら、現在の消費税10%を32%しなくてはならないということであり、事実上のベーシックインカム給付額は、⽉額10万円ではなく7万円となる。

これは、私が今まで見たベーシックインカムの財源論としては、最も説得的な論文だね。細部の検証はしていないが、BI を導入すれば、ほぼこうせざるを得ないということでいいんじゃないか。


図表1 ベーシック・インカム導入時の予算と財源の試算1


単位:兆円

(1)

ベーシック・インカム予算額

145.0

15歳以上の国⺠は⽉額10万円、

15歳未満は⽉額6.6万円

(2)

代替予算

99.4


内訳

 ⽣活保護費

(⽣活扶助分、住宅扶助分)

1.8

厚⽣労働省「⽣活保護費負担⾦事業実績報告」(平成29年度) と平成31年当初予算案から推計


基礎年⾦(基礎年⾦給付費+基礎年⾦相当給付費)

23.9

厚⽣労働省「公的年⾦財政状況報告(平成30年度)」


児童⼿当・児童扶養⼿当

2.3

内閣府「児童⼿当制度の概要」(令和2年度)、厚⽣労働省 「令和2年度ひとり親家庭等⾃⽴⽀援関係予算案の概要」


教育無償化

1.4

厚⽣労働省「令和2年度予算案の概要」


失業等給付

1.3

厚⽣労働省「労働保険特別会計雇⽤勘定・歳⼊歳出予算の概要」(令和2年度当初予算)


育児休業給付

0.7

厚⽣労働省「労働保険特別会計雇⽤勘定・歳⼊歳出予算の概 要」(令和2年度当初予算)


社会保障関係費

(医療保険、介護保険分)

15.7

厚⽣労働省「予算案の概要」(令和2年度当初予算)


配偶者控除・配偶者特別控除・扶養控除・社会保険料等控除・利⼦配当控除等

51.2

財務省「令和2年度 租税及び印紙収⼊予算の説明」


消費税軽減税率

1.1

財務省試算

(3)

差額((1)-(2))

45.5



消費税率に換算

21.7%

消費税1%当たり2.1兆円で計算


所得税率に換算

23.1%

課税所得+上記の控除額を新課税所得として計算(財務省「租税及び印紙収⼊予算の説明」(令和2年度当初予算))

(鈴木亘「ベーシック・インカムの実現可能性に関する一考察」2021年)




ベーシック・インカムの金額をもう少し下げるという方法もある。例えば,国民一人当たり 8万円,15歳未満はその2/3である5.3万円という制度設計ならば,ベーシック・インカムの総予算額は116.0兆円になる。財源不足は16.6兆円まで圧縮されるから,消費税増税で 賄うとすると7.9%,所得税増税では8.4%である。


もちろん,原田(2015)が挙げた追加的な歳出削減策をもし実行できれば,計算上は何とか増税をしなくても財源が確保できる水準となる。 ただ,これを実施するとなると,もはや改革というより革命と言った方が良いかもしれない。 この国の形を大きく変えることになる。農林水産業や建設業,自営業,中小企業,地方,高齢 者への事前の所得再分配政策や岩盤規制を廃止し,地方公務員も大幅に削減して小さな政府を目指すことになる。ベーシック・インカムという生活保障は確保されているのだから,企業や労働者は市場で激しい競争を行い,安心して成長のためのリスクを取ってもらおうということになるだろう。


実は,ベーシック・インカムの本当の意義は,その導入をきっかけに,この国を成長型の体質に作り替えるということにあるのかもしれない。そして,そこまでやる覚悟があるのであれば,ベーシック・インカムは将来のために,十分にやる価値のある大改革となるだろう。 したがって,国民にはそこまできちんとした説明をすべきである。ベーシック・インカムを 「10万円の給付金が毎月もらえる制度」というぐらいにしか理解せず,甘い餌に釣られて賛成する国民では,この厳しい改革についてこられる訳がない。(鈴木亘「ベーシック・インカムの実現可能性に関する一考察」2021年、PDF




日本の経済成長なんて、もはやあるわけないじゃん

 

経済産業省 令和元年5月20日、PDF


GDPにおいての人口に関する主要な問いは、総人口ではなく生産年齢人口である。この人口は日本においては1995年あたりから減少している。したがって日本の経済成長はもはやムリだというのが、学者たちの「標準的」見解である。


アメリカの潜在成長率は 2.5%弱であると言われているが、アメリカは移民が入っていることと出生率が高いことがあり、生産年齢人口は年率1%伸びている。日本では、今後、年率1%弱で生産年齢人口が減っていくので、女性や高齢者の雇用を促進するとしても、潜在成長率は実質1 %程度に引き上げるのがやっとであろう。


丸めた数字で説明すれば,、アメリカの人口成長率が+1%、日本は-1%、生産性の伸びを日米で同じ 1.5%と置いても日本の潜在成長率は 0.5%であり、これをさらに引き上げることは難しい。なお過去 20年間の1人当たり実質GDP 成長率は、アメリカで 1.55%、日本は 0.78%でアメリカより低いが、これは日本においては失われた 10 年といった不況期があったからである。


潜在成長率の引上げには人口減少に対する強力な政策が必要だが、出生率を今すぐ引き上げることが出来たとしても、成人して労働力になるのは20年先であり、即効性はない。今すべき政策のポイントは、人口政策として移民政策を位置づけることである。現在は一時的に労働力を導入しようという攻策に止まっているが、むしろ移民として日本に定住してもらえる人材を積極的に受け入れる必要がある。(深尾光洋『財政赤字・社会保障制度の維持可能性と金融政策の財政コスト』2015年)


この元日銀理事の深尾光洋氏は、移民の必要性を強調しているが、これまた事実上、移民の大量受け入れは島国根性日本ではムリだろう。


工夫したら持続的に実質 2 % 成長可能なんて言い続けている左翼政党があるが、基本的には、寝言だよ。


労働人口が毎年 1 %減る国で実質 2 % 成長を続けるのはかなり苦しい(持続的に労働生産性を 3 %上げている先進国はない)。(富士通総研、元日銀理事 早川英男 、2014,PDF)



繰り返せば、生産年齢人口は、既に1995年から下がっている。これが失われた30年の主要な原因である➡︎「失われた30年の嘘「失われる100年」」。



もっとも元東大の吉川洋氏は、人口減においても労働生産性(資本装備率と技術革新)の上昇があれば、経済成長は可能だと何度も強調している。以下はその代表的な記述である。



ここで改めて経済成長と人口の関係を長期的な視点から考えてみることにしたい。急速な人口減少に直面するわが国では、「人口ペシミズム」が優勢である。「右肩下がりの経済」は、経営者や政治家が好んで口にする表現だ。たしかに、少子高齢化が日本の財政・社会保障に大きな負荷をもたらしていることは事実である。少子化、人口減少は、わが国にとって最大の問題であるといってもよいだろう。


しかし、先進国の経済成長と人口は決して 1 対 1 に機械的に対応するものではない。図-4 は、明治初年以降の実質 GDP と人口の種類を比較したものだが、GDP は人口とほとんど関係ないといってよい成長をしてきたことが分かる。戦後の高度成長期(1955~ 70)に、日本が実質ベースで年平均 10% の経済成長をしてきたことは誰もが知ることだが、当時の労働人口の増加率は 1% 強であったということを知る人は少ない。両者のギャップ 10% - 1% = 9% は、「労働生産性」の上昇率だが、それをもたらしたものが「資本装備率」の上昇と、イノベーション(TFP の上昇)にほかならない。(人口減少、イノベーションと経済成長、吉川洋(東京大学大学院経済学研究科教授、経済産業研究所ファカルティフェロー、2015,PDF




労働生産性とは簡単に説明し難い概念、簡単に言うと誤解を招いてしまう概念だが、敢えてその危険を冒して図示すればこうなる。



さらにもうひとつ。



ベースはこの計算式であれ、どこをどう保留してこの式を捉えねばならないか等々については、とてもややこしい。興味のある方はネット上に種々のPDF論文が落ちているから参照されたし。その概要だってめんどくさいーーからここでは一切説明ヤメ。


とはいえ唯一の期待は、財務省の直近の資料(2021年10月5日)でも「労働生産性」だな。




ここに「のびしろ」はあるらしいよ、でもデジタル投資にこんなに遅れをとってしまったのはナンデダロウネ。かつてはあの世界に誇ったソニーの国だったのに。


唐突に、ここでもまた説明抜きでいえば、「共感の共同体」のせいじゃないかね。別の言い方なら、「春風駘蕩の国民性」のせいだろ、たぶん。



公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがたい力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」1988年)

その国の友なる詩人は私に告げた。この列島の文化は曖昧模糊として春のようであり、かの半島の文化はまさにものの輪郭すべてがくっきりとさだかな、凛冽たる秋“カウル”であると。その空は、秋に冴え返って深く青く凛として透明であるという。きみは春風駘蕩たるこの列島の春のふんいきの中に、まさしくかの半島の秋の凛冽たる気を包んでいた。少年の俤を残すきみの軽やかさの中には堅固な意志と非妥協的な誠実があった。(中井久夫「安克昌先生を悼む」2000年『時のしずく』所収)


これを治すのはいまさら無理だね、なんたって桜の国ーー、切るといじける。切らないでいると、どこまでも枝を伸ばし、毒ガスを出して草一本生えなくし、誰にも嫌われる毛虫をふんだんに降らせるーー桜の国だからな。


いや、こんなシツレイな言い方をしてはダメだ。本居宣長に怒られるーー《しき嶋のやまと心のなんのかのうろんな事を又さくら花》(上田秋成)ーー。いやいやシツレイ千万。穏やかに、母系的天皇制のもとの「土人の民」だと言い直しておくよ、ーー《連日ニュースで皇居前で土下座する連中を見せられて、自分はなんという「土人」の国にいるんだろうと思ってゾッとするばかりです。》(浅田彰「文学界」1989年2月号)


あらゆる意志決定(構築)は、「いつのまにかそう成る」(生成)というかたちをとる。日本における「権力」は、圧倒的な家父長的権力のモデルにもとづく「権力の表象」からは理解できない。私は、こうした背景に、母系制(厳密には双系制)的なものの残存を見たいと思っている。(柄谷行人「フーコーと日本」1992



ところで日本の女性就業率ってどうなってんだろ、と探ってみたら、これは2016年のデータだが、たくさん働くようになったんだ、アメリカにも勝ってるや。




2019年だったらこれだ。



急上昇だな、GDP上げるのに、女性の就業率に期待したらもはやダメだってことだよ。


以上、この投稿は日本の経済成長なんて、普通に考えたら、もはやあるわけないじゃん、という記事でした。


1995年に海外に逃げた人間としてーー愛惜の情を隠蔽しつつーー「うろんな」ことを言わせてもらえば、世界一の少子高齢化社会におけるこれからの日本は「低福祉高負担」に耐えていかねばならない宿命にあります。みなさん、ガンバッテクダサイ!