症状は身体の出来事である[le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps](Lacan, JOYCE LE SYMPTOME, AE.569, 16 juin 1975) |
||||
ラカンがこう言ったとき、症状はトラウマ、より厳密には症状はトラウマへの固着と言ったのである。 |
||||
トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]〔・・・〕 このトラウマの作用は、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と反復強迫[Wiederholungszwang]の名の下に要約される。この固着は、標準的自我と呼ばれるもののなかに含まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen ](フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年) |
||||
ーー《身体の出来事はフロイトの固着の水準に位置づけられる。そこではトラウマが欲動を或る点に固着する[L’événement de corps se situe au niveau de la fixation freudienne, là où le traumatisme fixe la pulsion à un point]》 ( Anne Lysy, Événement de corps et fin d'analyse, NLS Congrès présente, 2021/01)。 フロイト語彙の欲動の固着、リビドーの固着、ラカン派語彙の享楽の固着は、すべてトラウマへの固着のことである。 フロイトは1917年にも「トラウマへの固着」と題された講義でこう言っている。 |
||||
神経症はトラウマの病いと等価とみなしうる。その情動的特徴が甚だしく強烈なトラウマ的出来事を取り扱えないことにより、神経症は生じる。Die Neurose wäre einer traumatischen Erkrankung gleichzusetzen und entstünde durch die Unfähigkeit, ein überstark affektbetontes Erlebnis zu erledigen. (フロイト『精神分析入門』第18講「トラウマへの固着 Die Fixierung an das Trauma」1917年) |
||||
このフロイト1917年の「神経症はトラウマのヤマイ」と冒頭のラカン1975年の「症状は身体の出来事」とは同じ意味である。 |
||||
もっともフロイトの神経症は二種類ある。現勢神経症と精神神経症である。 |
||||
現勢神経症の症状は、しばしば、精神神経症の症状の核であり、先駆けである[das Symptom der Aktualneurose ist nämlich häufig der Kern und die Vorstufe des psychoneurotischen Symptoms.] (フロイト『精神分析入門』第24章、1917年) |
||||
おそらく最初期の抑圧(原抑圧)が、現勢神経症の病理を為す[die wahrscheinlich frühesten Verdrängungen, …in der Ätiologie der Aktualneurosen verwirklicht ist, ]〔・・・〕精神神経症は、現勢神経症を基盤としてとくに容易に発達する[daß sich auf dem Boden dieser Aktualneurosen besonders leicht Psychoneurosen entwickeln](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年) |
||||
現勢神経症は原抑圧の病い(トラウマへの固着の病い)、精神神経症は後期抑圧の病いである。ラカンは《私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même.]》(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)と言っているが、原抑圧とはフロイトの定義において固着であり、穴とはトラウマのことである。すなわち固着のトラウマとラカンは言っているのである。 「現勢神経症/精神神経症」、これは別の言い方をすれば、精神神経症とは身体的な審級にある現勢神経症の心的外被[psychische Umkleidung](「症例ドラ」)であり、この二つの神経症が基本的にはフロイトの全症状である。 |
||||
この二つの神経症ーーラカン語彙で言えば「現実界の症状/象徴界の症状」(享楽/欲望)ーーがフロイトにおける全症状である。 冒頭のラカン曰くの「症状は身体の出来事である」の「症状」は現実界の症状、つまりトラウマの症状でありーー《問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. ]》(Lacan, S23, 13 Avril 1976)、ーーラカンはサントームとも呼んだ。 |
||||
サントームは後に症状と書かれるものの古い書き方である[LE SINTHOME. C'est une façon ancienne d'écrire ce qui a été ultérieurement écrit SYMPTÔME.] (Lacan, S23, 18 Novembre 1975) |
||||
サントームは身体の出来事として定義される[Le sinthome est défini comme un événement de corps](J.-A. MILLER,, L'Être et l'Un, 30/3/2011) |
||||
サントームは固着である[Le sinthome est la fixation]. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 30/03/2011、摘要) |
||||
要するにリアルな症状=サントーム=身体の出来事=トラウマ=固着(トラウマへの固着)であり、このリアルな症状に関するラカン語彙は事実上すべてフロイト表現の言い換えである。 |
||||
ラカンの現実界はトラウマである。トラウマは前々回示したように、固着を通した反復強迫あるゆえのトラウマである。したがって現実界は固着(トラウマへの固着)である。享楽は現実界にあり、したがって享楽は固着である。 |
||||
享楽は真に固着にある。人は常にその固着に回帰する[La jouissance, c'est vraiment à la fixation …on y revient toujours. (J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 20/5/2009) |
||||
簡単に言えば、ラカンの現実界の享楽とは、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]と反復強迫[Wiederholungszwang]でよろしい。ラカンの30年近くのあいだのセミネールは、このフロイト表現のまわりを手を変え品を変え回っているだけである。 享楽、すなわち欲動であり、欲動はトラウマ、欲動は固着である。これもフロイトは事実上、そう言っている。
「固着とトラウマ」、これが核心であることは、ジャック=アラン・ミレールが30年セミネールをやって辿り着いた次の二文に現れている。
「固着とトラウマ」ーーフロイトにおいてトラウマとは異者ーー異者身体[Fremdkörper]ーーであり、こちらの表現がお好きな方は、「固着と異者」でもよろしい(より厳密には➡︎「原無意識ーー話す存在[parlêtre]=話す身体[corps parlant]=異者身体[Fremdkörper]」) ラカンはフロイトの「固着とトラウマ」のまわりを手を変え品を変え回っているだけだとしたが、ラカンがいなかったら誰もフロイトの核心がここにあるとは読み込めなかったという意味でラカンは偉大である。 |
||||
ラカンは最も偉大なフロイディアンだった [Lacan a été le plus grand des freudiens](ジャン=ルイ・ゴー Jean-Louis Gault, Hommes et femmes selon Lacan, 2019) |