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2025年2月9日日曜日

ドゥルーズとラカンの「マゾヒズムの回帰」


 あのね、それチョロすぎるんだよ。

ま、いいさ。ジャブ程度に記しとくよ。


………………


ドゥルーズは反復の原理は原抑圧だと言った。

フロイトが、表象にかかわる「正式の」抑圧の彼岸に、「原抑圧」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前、あるいは欲動が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じる。

Car  lorsque Freud, au-delà du refoulement « proprement dit » qui  porte sur des représentations, montre la nécessité de poser un  refoulement originaire, concernant d'abord des présentations  pures, ou la manière dont les pulsions sont nécessairement  vécues, nous croyons qu'il s'approche au maximum d'une raison  positive interne de la répétition(ドゥルーズ『差異と反復』「序章」1968年)


ラカンは反復は享楽の回帰だと言った。

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)


このドゥルーズとラカンは同じことを言っている。というのは、享楽は穴=原抑圧だから。

享楽は、抹消として、穴として示される他ない[la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou ](Lacan, Radiophonie, AE434, 1970)

私が目指すこの穴、それを原抑圧自体のなかに認知する[c'est ce trou que je vise, que je reconnais dans l'Urverdrängung elle-même].(Lacan, S23, 09 Décembre 1975)


つまり反復とは享楽なる原抑圧されたものの回帰だ。

で、享楽はマゾヒズムだ。

享楽の本質はマゾヒズムである[La jouissance est masochiste dans son fond](Lacan, S16, 15 Janvier 1969)

享楽は現実界にある。現実界の享楽は、マゾヒズムによって構成されている。マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である。フロイトはそれを発見したのである[la jouissance c'est du Réel.  …Jouissance du réel comporte le masochisme, …Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel, il(Freud) l'a découvert,] (Lacan, S23, 10 Février 1976)


冒頭の『差異と反復』の前年に上梓されたドゥルーズのマゾッホ論ーー『ザッヘル=マゾッホ紹介』ーーではマゾヒズムについてまだいくらか曖昧なところもあるし、フロイトの超自我についての決定的誤謬もあるが(これは後年の『アンチオイディプス』にまで尾を引いており20世紀後半思想界の最大の不幸のひとつ。例えば家父長制を打倒すれば自由になるというフェミニズムの愚かしい錯誤に多大な影響を与えた)、『差異と反復』と『ザッヘル=マゾッホ紹介』は同時に読むべきだね。そうしたらドゥルーズのこよなく優れた洞察ーーある意味でラカンに先行したーーがわかるよ。


重要なのは、原抑圧(排除)=欲動(享楽)=反復=回帰だ。

排除された欲動 [verworfenen Trieb](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)


ーー《原抑圧の名は排除と呼ばれる[le nom du refoulement primordial…s'appelle la forclusion]》(J.-A. Miller, Choses de finesse en psychanalyse, 26 novembre 2008)


以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

欲動要求はリアルな何ものかである[Triebanspruch etwas Reales ist]〔・・・〕自我がひるむような満足を欲する欲動要求は、自己自身にむけられた破壊欲動としてマゾヒスム的であるだろう[Der Triebanspruch, vor dessen Befriedigung das Ich zurückschreckt, wäre dann der masochistische, der gegen die eigene Person gewendete Destruktionstrieb. ](フロイト『制止、症状、不安』第11章「補足B 」1926年)


つまり反復は原抑圧された欲動の回帰であり、マゾヒズムの回帰だ。これは日本のドゥルーズ研究者は何もわかっていないし、つまりいまだもって全滅だが、日本のフロイト・ラカン派プロパだって怪しい。もうそれはつい最近も触れたのでここで言わないでおくが、重要なのはドゥルーズのマゾッホ論のみをチョロチョロと読んで、マゾヒズムについてわかったつもりにならないことだな。


なおドゥルーズはマゾッホ論でこう書いてる、《フロイトのあらゆるテキストのうちで、傑出した書物『快原理の彼岸』は間違いなく、フロイトがこれこそ哲学的と呼ぶほかない考察のうちに、最も直線的に、しかも驚くべき才能をもって、透徹した視線を注いだテキストに違いない[De tous les textes de Freud, le chef-d'œuvre Au-delà du principe de plaisir est sans doute celui où Freud pénètre le plus directement, et avec quel génie, dans une réflexion proprement philosophique. ]》(GILLES DELEUZE , Présentation de Sacher-Masoch  Le froid et le cruel, 1967)