以下、イーロン・マスクがユダヤ金融資本のフロントマンに過ぎないことを示すthreads .
これは、マスクがユダヤ金融資本のフロントマンというアタリマエの話の証明というより、トランプがユダヤ金融資本のフロントマンだということだ。これまた、より広く言えば、トランプはディープステートのフロントマンというアタリマエの話だが、世間にはアタリマエをアタリマエと思わず陰謀論として片付ける思考停止の者たちがいまだ跳梁跋扈しているのでここに掲げた。
以下、参考に今まで何度も掲げてきたマイケル・ハドソンを再掲。
◾️マイケル・ハドソン「これ以上ないほど良好」2025年1月3日 As Good As It Gets By Michael Hudson, January 3, 2025 |
それでトランプさん、あなたが私たちのために協定を提案すると言っているとき、まず第一に、あなたはどうやってその協定を議会で通すつもりですか?議会は、ロシアとの戦いにキャリアのすべてを捧げてきた政治家たちによって推進されています。どうやって議会をコントロールできるのですか?第二に、たとえ議会があなたを支持したとしても、どうやって軍を従わせるのですか?あなたは軍にアフガニスタンでの戦闘をやめさせようとしました。 軍は戦い続けました。彼らはあなたを無視しただけです。指導部を一掃せずに、どうやってCIA、国家安全保障局、国務省、軍をコントロールするつもりですか?トランプさん、あなたは選挙に出馬するときにそうすると約束しました。あなたはディープステートからすべての敵を追い出したいと考えていました。軍隊、国務省、FBI、国家安全保障機関から敵を排除してから話をしませんか? 実際に権力を統合できれば、あなた方がこの問題と取引できる能力があることに気づくでしょう。 しかし今のところは、あなたのリーダーが誰であれ、そのリーダーに話を聞こう。 それはディープステートです。 今あなた方よりも強力に見える権力を持つ誰かと話をする。 しかし、私たちがあなたと話しているのは、原則的には良いことですが、過去3年間着実に発表してきた政策を変えるつもりはありません。 あなたが実行できないと思う約束をしたからといって、それを変えるつもりはありません。 あなたはバイデン大統領にとても似ています。 アメリカの大統領はディープステートのお飾り、フロントマンになっています。 そして、大統領職によってディープステートのコントロールを取り戻すまで、アメリカがどの国とも何に関しても取引できるとは思えません。 |
So, Mr. Trump, when you’re saying you’re proposing an agreement for us, first of all, how are you ever going to get your agreement through Congress? Congress is pushed by politicians that have made their whole career on fighting Russia. How can you control Congress? Secondly, even if Congress supported you, how are you going to have the army obey you? You tried to have the army stop fighting in Afghanistan. They kept fighting. They just ignored you. How are you going to control the CIA and the National Security Agency and the State Department and the military without cleaning out the leadership? You promised to do that, Mr. Trump, when you’re running. You wanted to get all of your enemies out of the deep state. Why don’t we talk after you get your enemies out of the military, the State Department and the FBI and the National Security Agencies? When you actually can consolidate your power, then we’ll realize you have an ability to make a deal with this. But until now, let us talk to your leader, whoever your leader is. It’s the deep state. Get somebody in authority that right now looks stronger than yours for us to talk to. But all we’re talking to you is something that would be nice in principle, but we’re not going to change our policy that we’ve announced steadily for the last three years. We’re not going to change that just on a promise that you make that we don’t think you can carry out. You’re very much like President Biden. Presidents in America have become figureheads, frontmen for the deep state. And until you regain control of the deep state by the presidency, I don’t see how America can make any deal with any country over anything. |
◾️マイケル・ハドソン「ドル覇権の愚かな運命」2023年11月26日 |
The Dumb Luck of Dollar Hegemony by Michael Hudson, November 26, 2023 |
歴史家は、バイデンはおそらく現代史上最悪の大統領であり、オバマよりもひどいと言うだろう。 しかし実際はバイデンの問題ではない。というのも、バイデンは、彼の背後にいるディープステート全体のフロントマン、ネオコン・グループ全体のフロントマンに過ぎないからだ。そのまさにネオコンのメンタリティが、好戦的な金融資本主義の最後のあがきであり、米国全体の計画を自滅させるものだ。 |
I think historians will say, well, Biden has been probably the worst president in modern history, even worse than Obama. But it really isn’t Biden because Biden is just a front man for the whole deep state, for the whole neocon group behind him. And it’s really the neocon mentality, the sort of the last gasp of militant finance capitalism that is self-destructive of this whole American plan. |
これらはマルキストならコモンセンスである。
1844年、まだ26歳のマルクスは、ユダヤ人とマネーについてこう書いている(彼はもちろんユダヤ人である)。
◼️マルクス 『ユダヤ人問題によせて』 |
ユダヤ教の現世的根拠は何か。それは実利的欲求すなわち利己心である。ユダヤ人の現世的崇拝の対象は何か。それはボロ儲けである。ユダヤ人の現世的な神とは何か。それはカネである。よしそうだとすれば、ボロ儲けとカネから、すなわちこの実際的で現実的なユダヤ教から解放されることが現代の自己開放ということになろう。 Welches ist der weltliche Grund des Judentums? Das praktische Bedürfnis, der Eigennutz. Welches ist der weltliche Kultus des Juden? Der Schacher. Welches ist sein weltlicher Gott? Das Geld. Nun wohl! Die Emanzipation vom Schacher und vom Geld, also vom praktischen, realen Judentum wäre die Selbstemanzipation unsrer Zeit. (マルクス 『ユダヤ人問題によせて』1844年) |
◾️ マルクス『経済学・哲学草稿』
シェイクスピアは『アテネのタイモン』のなかでいう、Shakespeare im Timon von Athen: |
「金か! 黄金色にきらきら輝く貴重な金貨だな! ……これだけの金があれば、黒を白に、醜を美に、 邪を正に、卑賤を高貴に、老いを若きに、 臆病を勇気に変えることもできよう。 ……神々よ、どういうことだ、これは? どうしてこれを? これはあなたがたのそばから神官や信者たちを引き離し、 まだ大丈夫という病人の頭から枕を引きはがす代物だ。 この黄金色の奴隷めは、信仰の問題でも 人々を結合させたり離反させたりし、 呪われたやつらを祝福し、白癩病みを崇拝させ、 盗賊を立身させて、元老院議員なみの爵位や権威や栄誉を与えるやつなのだ。 枯れしぼんだ古後家を再婚させるのもこいつだ、 ……やい、罰当たりな土くれめ、 ……娼婦め」 |
〔・・・〕 シェイクスピアは貨幣についてとくに二つの属性をうきぼりにしている。 (1) 貨幣は目に見える神であり、一切の人間的なまたは自然的な諸属性をその反対のものへと変ずるものであり、諸事物の全般的な倒錯と転倒とである。それはできないことごとを兄弟のように親しくする。 (2) 貨幣は一般的な娼婦であり、人間と諸国民との一般的な取りもち役である。 |
Shakespeare hebt an dem Geld besonders 2 Eigenschaften heraus: 1. Es ist die sichtbare Gottheit, die Verwandlung aller menschlichen und natürlichen Eigenschaften in ihr Gegenteil, die allgemeine Verwechslung und Verkehrung der Dinge; es verbrüdert Unmöglichkeiten; 2. Es ist die allgemeine Hure, der allgemeine Kuppler der Menschen und Völker. |
貨幣が一切の人間的および自然的な性質を転倒させまた倒錯させること、できないことごとを兄弟のように親しくさせることーー神的な力――は、人間の疎外された類的本質、外化されつつあり自己を譲渡しつつある類的本質としての、貨幣の本質のなかに存している。貨幣は人類の外化された能力である。 私が人間としての資格においてはなしえないこと、したがって、貨幣はこれらの各本質諸力のいずれをも、それがそれ自体としてはそうでないようなあるもの、すなわち反対のものに変ずるのである。 |
Die Verkehrung und Verwechslung aller menschlichen und natürlichen Qualitäten, die Verbrüderung der Unmöglichkeiten – die göttliche Kraft –des Geldes liegt in seinem Wesen als dem entfremdeten, entäußernden und sich veräußernden Gattungswesen der Menschen. Es ist das entäußerte Vermögen der Menschheit. Was ich qua Mensch nicht vermag, was also alle meine individuellen Wesenskräfte nicht vermögen, das vermag ich durch das Geld. Das Geld macht also jede dieser Wesenskräfte zu etwas, was sie an sich nicht ist, d.h. zu ihrem Gegenteil. |
(マルクス『経済学・哲学草稿』Karl Marx, Ökonomisch-philosophische Manuskripte, 1844年) |
マルクスの生涯はこの神なるマネー、娼婦なるマネーとの闘いだった。
その後のマルクスの展開は次を見よ、▶︎ボロ儲けの倒錯的誘惑
ベネディクト・アンダーソンは、ネーション=ステートが、本来異質であるネーションとステートの「結婚」であったといっている。これは大事な指摘であるが、その前に、やはり根本的に異質な二つのものの「結婚」があったことを忘れてはならない。国家と資本の「結婚」、である。〔・・・〕 近代国家は、資本制=ネーション=ステート(capitalist-nation-state)と呼ばれるべきである。それらは相互に補完しあい、補強しあうようになっている。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」2001年) |
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この意味で、しばしば掲げている柄谷の資本=ネーション=国家のボロメオの環は、国家は資本のフロントマンだということである。
このボロメオの環は、もしディープステートという言葉を使いたければ、国家は金融資本主義ディープステートのフロントマンであることを示す図だ。
柄谷行人にとって株主資本が支配的な国家の経営者は資本の欲動の労働者にすぎない。 |
マルクスが資本の考察を守銭奴から始めたことに注意すべきである。守銭奴がもつのは、物(使用価値)への欲望ではなくて、等価形態に在る物への欲動――私はそれを欲望と区別するためにフロイトにならってそう呼ぶことにしたいーーなのだ。別の言い方をすれば、守銭奴の欲動は、物への欲望ではなくて、それを犠牲にしても、等価形態という「場」(ポジション)に立とうとする欲動である。この欲動はマルクスがいったように、神学的・形而上学的なものをはらんでいる。守銭奴はいわば「天国に宝を積む」のだから。 しかし、それを嘲笑したとしても、資本の蓄積欲動は基本的にそれと同じである。資本家とは、マルクスがいったように、「合理的な守銭奴」にほかならない。それは、一度商品を買いそれを売ることによって、直接的な交換可能性の権利の増大をはかる。しかし、その目的は使用することではない。だから、資本主義の原動力を、人々の欲望に求めることはできない。むしろその逆である。資本の欲動は「権利」(ポジション)を獲得することにあり、そのために人々の欲望を喚起し創出するだけなのだ。そして、この交換可能性の権利を蓄積しようとする欲動は、本来的に、交換ということに内在する困難と危うさから来る。(柄谷行人『トランスクリティーク』「イントロダクション」、2001年) |
資本は自己増殖するかぎりで資本である。それは人間的「担い手」が誰であろうと、彼らがどう考えようと、貫徹されなければならない。それは個々人の欲望や意志とは関係がない。 注)マルクスが資本家を「資本」の人格的担い手として見たことは、株式会社が一般化する時期において、より重要である。そこでは、資本と経営、資本家(株主)と経営者の分離が生じる。その結果、経営者は自らをたんに複雑な仕事をする労働者と見なすようになる。 しかし、「主観的」にどう考えていようと、彼らは資本の自己増殖のために活動せねばならず、さもなければ解雇されるだろう。それはまた、「主観的」には利潤や搾取を否定している「社会主義国家」 の党官僚についてもあてはまる。(柄谷行人『トランスクリティーク』第二部・第2章 P320) |
これは『力と交換様式』でも資本物神、つまりマルクスの資本フェティッシュ [Kapitalfetisch]用語で繰り返されている。 |
信用という場合、人々はそれを物神だとは思わない。金銀を崇め求めるなら、物神崇拝と見えるだろうが、 銀行券や電子マネーとなれば、そうは見えない。しかし、マルクスによれば、信用主義は、「商品の内在的精霊としての貨幣価値に対する信仰」にほかならない。ゆえに「信用」は「物神」に否定ではなく、変形にすぎない。 株式会社とともに(…) 株主と経営者が分離されたのである。(…) 経営者は株主に仕える形をとっているが、実際には、会社の基本的意思決定の大部分は取締役会に委譲されており、(…) とはいえ、経営者が株主としての資本に支配されることは確かである。平たくいえば株価に左右される。つまり、経営者は何としても資本の増殖を効率的に果たさなければならないのだ。それはもはや個人の願望や意志だけによるもので はない。その意味で、資本物神の支配が完成したのは、株式資本においてである。(柄谷行人『力と交換様式』第3部 第1章、 2022年) |
究極的には、資本=ネーション=国家の結婚としてある近代国家はみな資本フェティシストだということだ。これがマイケル・ハドソン曰くの「米大統領はディープステートのフロントマンにすぎない」の原点にある意味である。
利子生み資本全般はすべての狂気の形式の母である[Das zinstragende Kapital überhaupt die Mutter aller verrückten Formen] (マルクス『資本論』第三巻第五篇第二十四節) |
利子生み資本では、自動的フェティッシュ[automatische Fetisch]、自己増殖する価値 、貨幣を生む貨幣が完成されている。 Im zinstragenden Kapital ist daher dieser automatische Fetisch rein herausgearbeitet, der sich selbst verwertende Wert, Geld heckendes Geld〔・・・〕 ここでは資本のフェティッシュな姿態[Fetischgestalt] と資本フェティッシュ [Kapitalfetisch]の表象が完成している。我々が G - G´ で持つのは、資本の中身なき形態 、生産諸関係の至高の倒錯と物件化、すなわち、利子生み姿態・再生産過程に先立つ資本の単純な姿態である。それは、貨幣または商品が再生産と独立して、それ自身の価値を増殖する力能ーー最もまばゆい形態での資本の神秘化である。 Hier ist die Fetischgestalt des Kapitals und die Vorstellung vom Kapitalfetisch fertig. In G - G´ haben wir die begriffslose Form des Kapitals, die Verkehrung und Versachlichung der Produktionsverhältnisse in der höchsten Potenz: zinstragende Gestalt, die einfache Gestalt des Kapitals, worin es seinem eignen Reproduktionsprozeß vorausgesetzt ist; Fähigkeit des Geldes, resp. der Ware, ihren eignen Wert zu verwerten, unabhängig von der Reproduktion - die Kapitalmystifikation in der grellsten Form. (マルクス『資本論』第三巻第二十四節) |
利子生み資本の別名はもちろん金融資本である。
なお構造主義者マルクスの思考の下では、トランプやイーロンマスクが悪いのではない。近代国家政権の中枢のポジションに置かれた者は誰でもそうなるのである。
構造主義の始祖レヴィ= ストロースが「私の師匠」と言ったマルクスの構造的思考は、例えば次の文にある。 |
経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。 Weniger als jeder andere kann mein Standpunkt, der die Entwicklung der ökonomischen Gesellschaftsformation als einen naturgeschichtlichen Prozeß auffaßt, den einzelnen verantwortlich machen für Verhältnisse, deren Geschöpf er sozial bleibt, sosehr er sich auch subjektiv über sie erheben mag. (マルクス『資本論』第一巻「第一版序文」1867年) |
「個人は社会的諸関係の所産」とあるが、つまりトランプという要素は非意味であり、その置かれたポジションによって資本フェティシストになる。 |
要素自体はけっして内在的に意味をもつものではない。意味は「位置によって」きまるのである。それは、一方で歴史と文化的コンテキストの、他方でそれらの要素が参加している体系の構造の関数である(それらに応じて変化する)。 éléments,…Les termes n'ont jamais de signification intrinsèque ; leur signification est « de position », fonction de l'histoire et du contexte culturel d'une part, et d'autre part, de la structure du système où ils sont appelés à figurer.(レヴィ=ストロース『野性の思考』1962年) |
要するに米大統領はそれを知らないが資本フェティシストになる、ーー《彼らはそれを知らないが、そうする[ Sie wissen das nicht, aber sie tun es]》(マルクス『資本論』第1巻「一般的価値形態から貨幣形態への移行」) |
この意味で、そこのアナタもここのアタシもポジションに置かれれば、資本フェティシストになる。つまり安易な個人批判を許さず、資本=ネーション=国家のボロメオの環という構造を揚棄せねばならぬということになる。 |
これは学者共同体にも当てはまる。現在、「科研費=学者共同体=国家」というボロメオの環がある。この環を崩さねば、御用学者個人を非難しても埒が明かない。▶︎「科研費獲得に踊る大学人たち」
ツイッター社交界の方々は個人非難がお好きなようだがな、庶民的正義感に耽るのも健康のためにはよいことを否定する者では私はないよ、《抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである[Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit]》(ニーチェ『善悪の彼岸』154番、1886年) でもおおむね嫉妬で出来上がってるんだよ、キミたちの非難は。 |
社会の中に集合精神[esprit de corps]その他の形で働いているものがあるが、これは根源的な嫉妬[ursprünglichen Neid]から発していることは否定しがたい。 だれも出しゃばろうとしてはならないし、だれもがおなじであり、おなじものをもたなくてはならない。社会的正義[Soziale Gerechtigkeit]の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、 おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等要求[Gleichheitsforderung ]こそ社会的良心[sozialen Gewissens]と義務感 [Pflichtgefühls ]の根源である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』第9章、1921年) |
ここでの嫉妬の別名がルサンチマンである。 |
奴らがほかならぬ復讐と憎悪から果たして何を作り出すか。貴君はかつてこんな言葉を聞いたことがあるか。貴君が奴らの言葉だけに信頼していたら、貴君は《ルサンチマン》をもつ人間どもばかりの間にいるのだということに感づくであろうか…… - was machen sie doch gerade aus Rache und Haß? Hörten Sie je diese Worte? Würden Sie ahnen, wenn Sie nur ihren Worten trauten, daß sie unter lauter Menschen des Ressentiment sind?... (ニーチェ『道徳の系譜学』 第一論文14節、1887年) |
先のフロイトはニーチェのパクリで出来上がってるんだ、ーー《性欲動の発展としての同情と人類愛。復讐欲動の発展としての正義[Mitleid und Liebe zur Menschheit als Entwicklung des Geschlechtstriebes. Gerechtigkeit als Entwicklung des Rachetriebes. ]》(ニーチェ「力への意志」遺稿、1882 - Frühjahr 1887 )
ニーチェ自身、自らのルサンチマンを諌めるためにああ書いたんだろうがね。《ニーチェによって獲得された自己省察(内観 Introspektion)の度合いは、いまだかつて誰によっても獲得されていない。今後もおそらく誰にも再び到達され得ないだろう。Eine solche Introspektion wie bei Nietzsche wurde bei keinem Menschen vorher erreicht und dürfte wahrscheinlich auch nicht mehr erreicht werden.》(フロイト、於ウィーン精神分析協会会議 Wiener Psychoanalytischen Vereinigung、1908年 )
私もやるがな、他者非難を。でもふと内省すれば、ほとんどの場合、自己を語る遠回しの方法だよ。
自己を語る遠まわしの方法[une manière de parler de soi détournée]であるかのように、人が語るのはつねに他人の欠点で、それは罪がゆるされるよろこびに告白するよろこびを加えるものなのだ[qui joint au plaisir de s'absoudre celui d'avouer.]。それにまた、われわれの性格を示す特徴につねに注意を向けているわれわれは、ほかの何にも増して、その点の注意を他人のなかに向けるように思われる。(プルースト「花咲く乙女たちのかげに」) |
ここでプルーストの言っているのは、フロイト用語では投射(投影)である。 |
他人に対する一連の非難は、同様な内容をもった、一連の自己非難の存在を予想させる。個々の非難を、それを語った当人に戻してみることこそ、必要なのである。自己非難から自分を守るために、他人に対して同じ非難をあびせるこのやり方は、何かこばみがたい自動的なものがある。 Eine Reihe von Vorwürfen gegen andere Personen läßt eine Reihe von Selbstvorwürfen des gleichen Inhalts vermuten. Man braucht nur jeden einzelnen Vorwurf auf die eigene Person des Redners zurückzuwenden. Diese Art, sich gegen einen Selbstvorwurf zu verteidigen, indem man den gleichen Vorwurf gegen eine andere Person erhebt, hat etwas unleugbar Automatisches. |
〔・・・〕 |
パラノイアでは、このような他人への非難の投射[Projektion des Vorwurfes auf einen anderen] は、内容を変更することなく行われ、したがってまた現実から遊離しており、妄想形成の過程として顕にされる。 In der Paranoia wird diese Projektion des Vorwurfes auf einen anderen ohne Inhaltsveränderung und somit ohne Anlehnung an die Realität als wahnbildender Vorgang manifest. (フロイト『あるヒステリー患者の分析の断片(症例ドラ)』1905年) |