ダイモンがようやく「公式に」債権市場の亀裂に伴うパニックを言っているのだな。
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ここでキミたちの大半が大嫌いなのだろう、いわゆる「財務省の犬」小幡績氏の40日前のパニック予測を再掲しておこう。
◼️「真の恐怖」はこれから始まる、90日も待たずにトランプ大統領は終わり、株価は下落する 小幡 績 : 慶応義塾大学大学院教授 2025/04/19 |
〔・・・〕 今後の見通しを以下の1~12に整理しよう。 実体経済が落ち込み、世界的な株価の下落が続く |
1 株価は戻り歩調になる。しかし、それは弱い。すぐに天井にあたり、その後は上下を繰り返すだけだろう。そして、その後、下落トレンドが再開する。 2 その理由は、実体経済が落ち込むからである。アメリカも世界も不況に陥るだろう。そして、その回復のメドは立たない。 3 金融政策がどうなろうとこの流れは止められない。アメリカの中央銀行であるFEDがどんな利下げをしようと、経済は戻らない。株価は一喜一憂し、乱高下が復活するだろうが、それは乱高下にすぎず、下落トレンドは続き、利下げしても不況が続くことに、投資家はパニックになり、さらなる下落となるだろう。 4 日本株も日本経済も、同様だろう。アメリカ市場、アメリカ経済の動きに、日本も世界も連動せざるをえない。 5 ドルはもちろん下落する。これまでが高すぎたのと、アメリカという国家に対する信認が低下するからだ。前者は短期の理由、後者は長期の理由である。 6 難しいのはアメリカ国債とドルである。1から5の予想は自信があるが、これは、自信はない。しかし、普通に考えれば、ドルの信認は低下し続けるから、アメリカ国債は、同国の金融政策により政策金利が低下しても、長期債の利回りは、それほどは下がらないのではないか。 政治や地政学の予想もしてみよう。 |
7 トランプ大統領の力は急激に低下していく。理由は、トランプ大統領自身がどんどん自信を失っていくからだ。強がりを言うたびに、金融市場も、ディールの相手たちも、国民も、そして何より同国の共和党議員が、トランプ大統領を軽蔑し、無視するようになっていくからだ。政権内部も崩壊し、離散していくだろう。 8 いわゆる西側の同盟は傷ついたまま、回復はしないだろう。アメリカの覇権が消滅するだけでなく、西側は分断し、西側でない国々、中国を長期的に利することになり、ロシアも短期的には寿命が延びるだろう。 9 アジアにおいては、地政学的にはむしろ短期的には平和になるだろう。中国は、長期的な大チャンスを捉えるために、短期的な争い、領土的な染み出てくるような拡張戦略はいったん停止し、台湾有事のリスクは短期的には大幅に低下するだろう。 |
このような見通しの下で、日本がとるべき動き、政策を提示しよう。 10 相互関税や自動車関税に対する譲歩の交渉は、急ぐべきではない。譲歩幅も小さくすべきであり、それが可能である。なぜなら、いまや困り焦っているのはアメリカであり、譲歩せざるを得ないのはトランプ大統領だからだ。 11 そのための手段として、アメリカと日本だけの二国間交渉にしない。欧州をはじめ、多くのアジア諸国を含めて、マルチ、つまり多国間交渉にするべきだ。 WTO(世界貿易機関)にアメリカの不正を訴え、WTOやそのほか、国際的な機関、枠組みの下で、議論、交渉すべきである。あるいはEUやそのほかの通商同盟を連携させ、アメリカ、というかトランプ政権を孤立させ、中道的共和党がトランプ大統領を支配するようなアメリカに変えさせるべきである。 12 少し細かい点を言えば、貿易赤字の減少や自動車、コメなど農産品などの個別品目の話は、実質的に譲らなくてよい。 |
ーーと引用したところで、ツイッター検索すると、彼は本日付けでより深堀した記事を書いているのを見出した。多くの方々にはこちらのほうが「刺激度が高くて」よいのではないか。
◼️日本の「財政破綻」はすでに始まっているが、それが誰の目にも明らかになる「きっかけ」は何か? 考えられる「4つのシナリオ」小幡績 2025/5/31 |
「日本の財政破綻リスクが高まってきた」、と、私以外の人も言うようになってきた。 東京財団は「財政危機時の緊急対応プラン」という研究プログラムを行っており、今年3月17日に「プランB:財政危機に政府はどう備えるべきか」というシンポジウムを行い、3月31日には「財政危機時の緊急対応プラン2025」という報告書を公表している。 この報告書は、自民党の財政改革検討本部全体会合(本部長:小野寺五典・政調会長、4月8日開催)、財務省の財政制度等審議会(会長:十倉雅和・日本経団連会長、4月9日開催)において相次いで取り上げられた。 局面は、もはや「財政破綻するのは、いつか」というステージに移行している(ただし、東京財団の研究は、あくまでプランBであり、破綻しないようにするのがベスト、しかし、破綻危機になればどうする、それにどのように備えておくべきか、という議論をしている)。 |
■日本の財政破綻は「すでに始まっている」 いったい、日本の財政破綻は、いつ起こるのか。 もう起きている。財政破綻はすでに始まっているのである。 「財政破綻の定義は何か」と言われるだろうが、デフォルトと捉えれば、法的に公式な定義は、債務不履行、つまり利払い停止または延期が起きるということだ。 しかし、現実には、「資金調達ができなくなったとき」、それが「実質財政破綻」の定義と言っていいだろう。20世紀であれば、国債発行残高の過半を日銀が保有している段階で、実質財政破綻とみなされただろうから、異次元緩和イコール財政破綻とみなされただろう。 ただ、21世紀、世界的に中央銀行に国債を保有させる行為が広がり、人々の感覚が麻痺してしまい、現在、そういう解釈は少数派だ。しかし、中央銀行が、直接引き受けをしたり、政府に直接融資をしたりすれば、21世紀においても、明らかな財政破綻とみなされるだろう。 |
■超長期国債入札の「記録的不調」が意味するもの 結局、民間の主体、政府以外の経済主体が金(カネ)を貸してくれなくなったら財政破綻なのである。マネーを大量に発行してハイパーインフレになるのも、この財政破綻に当たると解釈できるから、この定義が実質財政破綻として妥当であろう。 となると、これは、始まっている。財政破綻は始まっているのである。 5月20日の20年物国債の入札は記録的な不調(値が大きいほど不調とされる指標「テール」(平均落札価格と最低落札価格の差)は、1987年以来の大きさだった)になり、日本経済新聞をはじめ、世界中のメディアが一斉に報じた。 これを受けて30年物、40年物は、ともに歴史上最安値を更新した。財務省が6月20日に債券市場参加者を集めたプライマリー・ディーラー会合を開くことになったと日本経済新聞は5月27日に報じた。 足元の債券市場で超長期国債の金利が上昇していることを議論し、需給の悪化を踏まえ、超長期債の発行計画を修正するという観測が広がっている。年度途中で発行計画についてヒアリングをするのは異例のことだ。 2025年度の発行計画においては、市場の意見も踏まえ、すでに30年や40年債の発行をそれぞれ1.2兆円減らし、5年債や短期国債を増やしていた。つまり、もはや日本政府は、超長期債では資金調達が困難になってきているのである。そして、それは今年度に入ってから急速に悪化しているのである。 |
また、日銀は、国債買い入れ額の減額を少しずつ進めているが、需給に配慮して、残存年限25年までの国債買い入れを減額している一方、25年超の年限では減額に着手していない。それにもかかわらず、超長期債は利回りの上昇が続いているのである。さらに、5月28日に実施した40年物国債入札では、最高落札利回りが2007年に入札を開始して以降で過去最高の3.135%となった。 「綱渡りを続けがんばっている」「世界最高の能力を持つ」と言われている財務省理財局の努力に水を差すようで申し訳ないが、限界に近づいている(普通の当局だったら、限界を超えている)のである。 そこへ持ってきて、外部環境も悪い。日銀は、国債買い入れ減額の2026年4月以降のペースの見直しを6月の政策決定会合で行うこととしている。これも市場の思惑を呼ぶ。 さらに、最大の問題は、アメリカのドナルド・トランプ大統領である。米国債が格下げとなり、それにもかかわらず、大減税法案を審議中である。根強いインフレが続き、中央銀行であるFEDの利下げも見込みにくく、そこで大減税実現となれば、国債は大幅下落となるだろう。 |
■アメリカへの信認低下は世界的な金融暴落につながる そして、私個人の最大の懸念は、トランプ大統領がすでに壊れてしまったのではないか、ということだ。EUへの追加関税50%を執行するといってみたり、即日にそれを撤回したり、駆け引きではなく、ただのご乱心、不安定である。 さらに、ハーバード大学への留学生受け入れ禁止は、ハーバードに恨み、攻撃をする、ということで、一応の動機はわかるが(本当はわからないが)、アメリカの大学留学を希望する学生への「ビザ発給面接の新規受付一時停止」は、まったく意味不明であり、いかなる動機でも説明できない。 やはりトランプ大統領は壊れたのだ。 トランプ政権の信任はアメリカへの信任、それはアメリカ国債にもっとも如実に現れる。株式や為替市場は、トレーダーたちの欲望とセンチメントが前面に出てくるが、国債市場は、理屈の市場、合理的な論理が価格に反映される。だから、アメリカへの信任低下は、米国債暴落となり、アメリカ信任低下なら、ドル安、そのほかの通貨は? ということを超えて、世界的に金融市場トリプル安、リスク資産はすべて暴落となるだろう。 そのときには、いちばん弱いところから攻撃を受けるから、日本なら、それは為替を絡めて、国債を攻撃されるだろう。 |
つまり、現状よりも悪くなるシナリオしか想定できず、そのインパクトの大きさ、最後のショックの引き金が何か、ということが議論になるだけで、改善の見込みはゼロである。 それでいて、現状は前述のように、危機的、破綻は始まっているのだから、破綻は確定であり、逆から言えば、破綻を後から振り返ったとき、現時点2025年5月末には、それは始まっていたということになるだろう。 さて、ここまでの議論は、世間での財政危機議論とまったく違うことに気づかれただろうか。普通は「借金の額がいかに大きいか」「対GDP比何パーセント」などという話がまず出てくる。次には、金利負担が上昇し、長期金利が4%を超えれば警告、7%を超えたときが危機という感じの金利上昇による財政負担の話になる。 私の議論には、どこにもない。なぜか。これらの話は、財政破綻が起きるかどうかとは直接は関係ないからである。 |
■「値下がりし続ける」と思われた時点で潮目は変わる 前述したとおり、財政破綻は、借金を引き受けてくれる先があるかどうかに尽きる。そして、日銀以外の民間投資主体は、国債を買うかどうかはリターンの見通しだけで決める。となると、日本政府が支払い不能になるかどうかよりも先に、民間投資主体が国債を「買いたくない」と思うときはやってくる。 それはいつか。単純に考えれば、政府が支払い不能になるという「噂」や「懸念」が広まると、だれも国債を買わなくなる、という銀行の取り付け騒ぎに類似した状況が想定される。 それはもちろんそうなのだが、それよりずっと前に、財政破綻はやってくる可能性はあるし、実際、日本の場合は、そのリスクは高いだろう。 それは、単に国債が今後値下がりすることだけで起こりうる。つまり、国債の値下がりが続くと、国債投資主体が予想するだけで起こる。「今日は1.5%だが、来月には2%になるかも」、と思えば、今日買う理由はない。とりわけ新発債入札に関してはそうだ。既発債の流動性の高いマーケットで少しずつ買えばよい。となると、新発国債の入札は不調に終わる。利回りが極端に高い水準で成立するか、まったく成立しないか、それを恐れて、財務省が入札を延期するだろう。 |
しかし、この3つのどのシナリオが起きても、既発債市場はパニックになる。国債暴落のリスクが目の前にあり、かつ流動性のある市場が目の前にある。現在国債を保有している投資家は「とにかく売れるうちに売っておこう」ということになり、一方、国債に投資しようとしている投資家は、今、買う必要はない、ということになる。みんなが売ろうとし、買おうとする人は誰もいない。だから暴落する。 株式と違うのは、債券には満期があるということで、普通の場合はこれがパニック売りの歯止めになる。なぜなら、暴落がいったん始まったら、株ならとにかくまず売って、底で買い戻すという戦略がとられるので、パニック的に一気に売りが加速するが、底打ちも早く、そこから戻す展開になる。 |
■超長期債は「死の入り口」への瀬戸際 だが債券なら、暴落なら慌てて売っても損するだけだから、満期まで保有を続ける塩漬け戦略で乗り切ろうとするからだ。だから売りが売りを呼ぶ、ということにはならない。 しかし、一方、とにかくいち早く売って、その後買い戻すという戦略をとる買い手はいないから、いったん暴落が限度を超えると、取引が成立しなくなる。リーマンショック前のパリバショック(2007年)で始まった債券市場のフリーズとはそういうことであり、市場は死んでしまうのだ。 だから、ソブリン債、つまり政府の発行する国債は、10年債でいえば利回りが7%を超えるともはや意味がない。誰も買わなくなるのだ。だから、7%を超えたときのシミュレーションは実際には意味がない。なぜ7%かというと、複利で10年では倍になってしまい、経験則からその場合は利払いが発散してしまう可能性が極めて高いからだ。その場合は、政府は10年債を発行せず短期債を発行し、ロールオーバー(短期での借り入れを繰り返す)することになる。 現在、日本で起きていることは、これが超長期債で始まりつつあるということだ。アメリカの30年債に比べれば、まだ日本の30年債の利回りは低いというのは安心材料にならない。前述のように、これはスピードの問題であり、暴落のスピードが加速していることが問題だ。 |
また、変化率ということでいえば、もともと非常に低いところから始まっているから、変化幅が小さくても恐怖感はある。さらに、日本国債市場でこれまで金利がつかなかった時間があまりに長かったことから、いったん上がり始めるとパニックが起きやすいということだ。 さらに、投資家の多様性がないこと、そして、日銀の買い入れ量が減少するとなると、すでに大手銀行は実質的に国債の長期保有のプレーヤーとしては意味がなくなってしまっており、ほぼ買い手不在であり、年金、生保などの一部に偏ってしまっていることも危険材料だ。 そして、何といっても、金利が今後下がるという見通しがゼロであることだ。つまり、債券は絶対に値上がりしない。そして、逆張りも債券市場では極めて少数派だ。この状況で暴落が始まったら歯止めの役割を果たすものはゼロだろう。 私が「財政破綻が始まっている」という見方に、まだ賛成していない人が多いと思うが、財政破綻が始まったということが誰の目にも(少なくとも債券投資家という買い手の間に)明らかになるには、最後のきっかけが必要だ。 |
■債券暴落のきっかけは何になるのか そのきっかけはなんでもありうる。シナリオをいくつか挙げてみよう。 1 トランプ大統領の暴挙により、アメリカ国債が暴落すること。これで、世界的に債券が暴落すること 2 日本株が暴落し、それが反転も起きないとき、年金運用などの機関投資家の財務が痛み、債券市場でもリスクがまったく取れなくなったとき。新発債の引き受け手はいなくなるだろう 3 日銀が国債の買い入れ減額を発表したとき、それを勝手にメディアか投機家が、予想以上の減少とハヤしたとき。世界中の投機家が仕掛けてくる。 4 消費税減税など、日本の財政のニュースが世界に広がったとき。日本社会にいると、もはや放漫財政には慣れているから、ニュースを聞き流してしまうが、世界的に、これが「日本売りのチャンスがついに来た」と受け止められると、円売り、株売りで日本売りを仕掛けて、債券もそれに巻き込まれてトリプル安になった場合。これは世界的な投機家の受け止め方、見方、戦略の問題なので、いつでも、それが誤解であったとしても起こりうる。 まだまだシナリオは無限にありうるが、このくらいにしておこう。そして、暴落が始まったとき、実際に市場はどうなるか。そのときどうするべきか。その前にどう備えておくべきか。それについては次回にしよう。 それまでに、1から4のシナリオが起きていないことを願う。 |
※なお小幡氏は2019年の時点で既に「財政破綻シナリオと破綻後戦略」PDFという論を記している。 …………… |
ここで、より一般論としてのパニックをめぐる記述を岩井克人から抜き出しておこう。
◼️岩井克人「グローバル経済危機と 二つの資本主義論」2009年 |
だれでも一万円札を受け取ると嬉しい。 だが、 それは、山羊のように食べたいためでも、福沢諭吉の肖像を眺めたいためでもない。人が貨幣を喜んで受け取るのは、いつかそれを本当の欲しいモノと引き換えに他の人に手渡すためで ある。すなわち、 それは言葉の真の意味での「投機」に他ならない。いや、金融市場の場合は、 そこで投機的に売り買いされる金融商品がどれだけ「派生」的であろうとも、最終的にはどこかで実体的な経済活動とつながっているのに対して、貨幣の場合は、モノとしては何の価値も持たない紙切れや金属片にすぎない。人が貨幣を貨幣として持つのは、意識しているかどうかは別にして、他人に渡すためだけに持つという、 もっとも純粋な「投機」活動なのである。 |
ところで、人が貨幣を受け取るのは、 他人がそれを貨幣として受け取ると予想しているからであるが、他の人がなぜ貨幣を受け取るかというと、やはりモノとして使うためではなく、 誰か他の人が貨幣として受け取ると予想しているからである。皆が貨幣を貨幣として受け取るのは、結局、皆が貨幣として受け取ると予想しているからにすぎない。ここにあるのは、ケインズの美人投票と同じ自己循環論法であり、 しかももっとも純粋な自己循環論法なのである。 |
このように貨幣が投機であるということは、 当然、貨幣にかんしても、バブルやパニックがあることを意味することになる。貨幣のバブルとは、実体経済における恐慌のことである。それは、人々が実際のモノよりも、モノを買う手段でしかない貨幣のほうを欲望するという、皮肉な状態である。 人びとがモノを買わないから、 モノが売れず、企業は雇用を減らし、投資を控える。その結果、人びとの所得が下がり、さらにモノを買わなくなり、モノが売れなくなるという悪循環に陥る。このような不況状態に伴うデフレが、さらなるデフレの予想を引き起こし始めると、 人びとは貨幣を一層ため込み始める。 その極限状態が、だれもモノを買おうとしない恐慌に他ならない。 |
貨幣にかんするパニックとは、逆に、貨幣の価値を人びとが疑い始めることである。はやく貨幣を手離してモノに換えようとすることが、 インフレに火を付け、貨幣価値を下げてしまうという悪循環を生み出す。さらなるインフレが予想されると、 「貨幣からの遁走」が始まってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け入れず、物々交換に戻ってしまうハイパーインフレなのである。 |
貨幣とは、この世にあるすべての商品の交換を可能にする一般的な交換手段である。物々交換経済においては、自分の欲しいモノをもっている人が同時に自分のもっているモノを欲しがっていなければ、交換は不可能である。だが、ひとたび貨幣が導入されると、どのようなモノを持っていても、それを欲している人さえ見つかれば、貨幣と交換に売ることができ、どのようなモノを欲していても、それを手放したい人さえ見つかれば、貨幣と交換に買うことができる。貨幣の存在は、物々交換経済の非効率性をとり除き、人間の交換活動の範囲は時間的にも空間的にも社会的にも飛躍的に拡大することになった。グローバル資本主義という壮大な経済社会システムは、貨幣がなければ、存在しえなかったはずである。だが、まさにその貨幣を持つことが、純粋の投機であることによって、恐慌やハイパーインフレといったマクロ的な不安定性を可能にしてしまうのである。 ここに、資本主義における効率性と安定性との間のもっとも根源的な二律背反が見いだされたことになるのである。 |
「ケインズの美人投票と同じ自己循環論法」とあるが、その詳細については➤ 「ケインズ「美人投票」と基軸通貨ドル危機(岩井克人)」
なお直近の岩井克人については、「基軸通貨崩壊による米国ハイパーインフレの必然(岩井克人)」を見よ
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岩井克人が「貨幣のバブル」というときの究極は「貨幣の恐慌」であり、「貨幣のパニック」というときは究極的には「貨幣のハイパーインフレ」である。 |
貨幣のバブルーーそれは、人が実際のモノよりも貨幣を貨幣として欲しがることである。その結果、モノ全体に対する需要が減ると、生産や雇用が停滞する不況が始まり、それによって不安をかき立てられた人がさらに貨幣を手元に置き始めると、不況が一層進展し始める。その極限状態が、誰も何もモノを買おうとしなくなってしまう恐慌に他ならない。 貨幣のパニックーーそれは、 貨幣が貨幣であることに人が不安を抱き、 それを早くモノに換えたいと思うことである。それによってモノの価格全体が上昇しはじめるとインフレになり、貨幣の価値を押し下げる。一層インフレが進展すると人びとが予想し始めると、貨幣をモノに換えようという動きが加速され、さらにインフレを促進してしまうという悪循環に陥ってしまう。その極限状態が、誰も貨幣を貨幣として受け取ろうとしなくなるハイパーインフレなのである。 (岩井克人「自由放任主義の第二の終焉」2008年、pdf) |
この投稿では、パニック用語をキーワードにして引用を列挙したが、彼らが示唆しているのは、基本的には恐慌ではなくハイパーインフレへの道であるだろう。 以下の『貨幣論』において、「不況やインフレ的熱狂」と「ハイパー・インフレーション」の相違が説明されているが、パニックとは後者の「資本主義の解体」の審級にある。 |
不況(Depression、depression)、熱狂(Manie、mania)、さらには解体(Spaltung、splitting)ーー貨幣的な交換に固有な困難のあり方を形容するためにわれわれがもちいたこれらの言葉が、それぞれ鬱病(depression)、躁病(mania)、精神分裂病(schizophrenia = splitting of mind)といった精神病理学的な病名を想いおこさせるのはけっして偶然ではない。精神病理学者の木村敏によれば、躁鬱病とは、自己が自己であるということはあくまでも自明なものとされたうえで、その自己の対社会的な役割同一性が疑問に付されているという事態であり、これにたいして分裂病とは、まさに自己が自己であるということの自明性が疑問に付されてしまう事態であり、自己がそのつど自己自身とならなければならないという個別化の営みの失敗として特徴づけられるという。( 『分裂病の現象学』(弘文堂、一九七五)、『自己・あいだ・時間』(弘文堂、一九八一)、 『時間と自己』(中公新書、一九八二)、 『分裂病と他者』(弘文堂、一九九O)等の一連の著作を参照のこと。)じっさい、これからわれわれは、不況やインフレ的熱狂とは、貨幣が貨幣であることは前提とされたうえでの、貨幣とほかの商品全体とのあいだの関係において生じる困難であるのにたいして、ハイパー・インフレーションとは、貨幣が貨幣であることの根拠そのものが疑問に付され、その結果として貨幣の媒介によって維持されている商品世界そのものが解体してしまうという事態にほかならないということを論ずるつもりである。すなわち、人間社会において自己が自己であることの困難と、資本主義社会において貨幣が貨幣であることの困難とのあいだには、すくなくとも形式的には厳密な対応関係が存在しているのである。(岩井克人『貨幣論』第4章「恐慌論」34節「不均衡累積課程から乗数課程へ」注16、1993年) |
ここでも小幡績によるハイパーインフレとインフレの相違の簡潔な説明を掲げておこう。 |
ハイパーインフレはインフレとは異なる。別と考えたほうが良い。なぜなら、インフレとはモノの値段が上がることだが、ハイパーインフレはマネーあるいは貨幣の値段が暴落することだからである。貨幣とは本来は価値ゼロのバブルそのものであるから、いったん「価値がない」と思われればすぐに紙くず、あるいは仮想通貨(暗号資産)なら「ビットくず」になってしまう。(小幡績「そもそもインフレはどうやったら起きるのか?」2021/06/13 ) |
他方、現在の日本ではアベノミクスに起源を発する札束刷り刷り派がいまだ跳梁跋扈している➤「札束刷り刷り派の帰結」
なおラカン派的には、恐慌あるいはバブルは欠如、ハイパーインフレあるいはパニックは穴の審級にある、➤欠如と穴(欲望と欲動)