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2017年8月6日日曜日

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家

まずジュパンチッチによる科学・宗教・芸術の簡潔な定義を掲げる。

◆アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan,2013、PDFより。

科学が基盤としているのは、象徴界内部で形式化されえないどんなリアルもないという仮定である。すべての「モノ das Ding 」は徴示化 signifying 審級に属するか翻訳されるという仮定である。言い換えれば、科学にとって、モノは存在しない。すなわちモノの蜃気楼は、われわれの知の(一時的かつ経験上の)不足の結果である。ここでのリアルの地位は、内在的であるというだけではなく手の届くもの(原則として)である。
宗教が基盤としているのは、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定である。リアルは、不可能かつ禁じられており、超越的で手の届かないものである。
芸術が基盤としているのは、リアルは内在的かつ手の届かないものという想定である。リアルは、つねに表象に「突き刺さっている」。表象の他の側あるいは裏面に、である。裏面は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。(……)芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。

図式的すぎるきらいはあるにしろ、すぐれて簡潔な定義だと感じ、すでに何度か引用しているのだが、「宗教」についてはいささか異和を抱きはじめた。この定義は「一神教」の定義ではないか、と。

すくなくとも日本のような「自然宗教」信仰風土においては、ジュパンチッチの定義に依拠するなら、宗教は《超越的で手の届かないもの》ではなく、むしろ芸術の範疇、すなわち《内在的かつ手の届かない》神信仰ではないだろうか。

日本というのは、《内在的かつ手の届かない》神の国日本だろう、と。

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、(……)

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける」(本居宣長『古事記伝』三ーー神のタタリ

わたくしは長いあいだ「無宗教」のつもりだったが、じつはずっと「神」のことを考えてきたのではないか、などと思いはじめたのは、つい最近、小林秀雄の『本居宣長』を読んでからである。

いや小林秀雄はそもそも『本居宣長』だけではなく、《おっかさんは、今は蛍になってゐる》という話もあれはやっぱり神の話じゃないか。こんなことを考えてしまうのは、わたくしは齢をとってきたせいではないかとはもちろん疑っている。

でもわたくしと同じような考え方をする仲間は「すぐれた」作家たちのなかにたくさんいるから安心である・・・

日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠く遠くへ、旅立つてしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以つて、大よそ行きわたつて居る。独りかういふ中に於いてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。(柳田国男「魂の行くえ」1949年)
日本文化が定義する世界観は、基本的には常に此岸的=日常的現実的であったし、また今もそうである。(加藤周一「日本社会・文化の基本的特徴」『日本文化のかくれた形』所収、2004年)


「おやすみ神たち」 谷川俊太郎、2014年

神はどこにでもいるが
葉っぱや空や土塊(つちくれ)や赤んぼにひそんでいるから
私はわざと名前を呼んでやらない
名づけると神も人間そっくりになって
すぐ互いに争いを始めるから

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家
人々の自分勝手な祈りの喧騒をよそに
名無しの神たちはまどろんでいる
彼ないし彼女らの創造すべきものはもう何も無い
人間が後から後からあれこれ製造し続けるから

おやすみ神たち
貴方がたったの一人でも八百万(やおろず)でも
はるか昔のビッグバンでお役御免だったのだ
後は自然が引き受けてそのまた後を任されて
人間は貴方の猿真似をしようとしたが

いつまでも世界をいじくり回しても
なぞなぞの答えが見つかる訳もなく
創ったつもりで壊してばかり
空間はどこまでも限りなく
時間はスタートもゴールも永遠のかなた--

私は神たちに子守唄でも歌ってやろう


――Kさんの友人の文化人類学者が、日本文化に特有のかたちとして「中心の空洞」ということをいうよね? たとえば戦前の国家権力を洗い出してゆくと、結局、中心の天皇の場所が空洞になっていて、責任の究極の取り手がない。あるいはやはり天皇家と関わるけれど、東京という大都市の中心は皇居で、そこが緑の空洞になっている。ギー兄さんの、なかになにもないかも知れない繭というのも、「中心の空洞」ということで、いかにも日本人的な信仰のかたちなんだろうか?

――「中心の空洞」ということを考えるとして、それが本当に日本人固有なものかねえ。量子力学にしてからがその直喩に立っているんじゃないの? それならばヨーロッパにあり、アメリカにあり、またアジアの人間も共有する、というもので……

ともかく私は繭の「中心の空洞」に集中するとして、もっと通りの良い言葉でいえば、それに向けて祈るとして、いつまでもそこからなにも現れないままで、決して不都合だとは考えないと思うよ。「中心の空洞」に向けて祈りを集中しているとして、人間の側の営為として、いまの私にはどんな不協和音も兆してこないよ。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈るんだろう?  とあきらかに今度はゲームのようにでなく、ザッカリー・K・高安は尋ねた。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈らずにいられるんだろう?  ……まあ、そのように感じて、祈る者や祈らぬ者や、お互いをキョロキョロ見交わすのが、私たちの集会の出発点かも知れないなあ。

――僕はギー兄さんの考え方を、無神論のカテゴリーに、あるいは人間的なニヒリズムに、つまり若いころのKさんみたいな、実存主義者のものに分類するけれども、とザッカリー・K・高安はいった。しかし、そういう考え方の連中がなお教会を建てるということに、僕は関心を持たないではいられないね。(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部第二章「中心の空洞」)



2017年8月1日火曜日

神事としてのお盆

私がこの本の中で力を入れて説きたいと思う一つの点は、日本人の死後の観念、すなわち霊は永久にこの国土のうちに留まって、そう遠方へは行ってしまわないという信仰が、おそらくは世の始めから、少なくとも今日まで、かなり根強くまだ持ち続けられているということである。(柳田国男『先祖の話』)

…………

お盆は、仏事だろうか、それとも神事だろうか。

次のような説明がある。

お盆については、多くの方が仏教の行事と考えているようですが、元来は日本固有の先祖祀りがもとになっています。

ところが、江戸時代に入り、幕府が檀家制度により、庶民の祖先供養まで仏式でおこなうよう強制したため、お盆も仏教の行事と誤解され、現在に至っているのです。

神道の家庭でも、お盆の期間中は、自宅の祖霊舎を清めて、季節の物などをお供えし、家族揃ってご先祖様をお祀りします。

我が国では、古くから神祀りとともに、ご先祖様の御霊をお祀りする祖霊祭祀がおこなわれ、神と祖霊の加護により平安な生活を過ごしてきました。この神とは、自らと繋がりのあるご先祖様が徐々に昇華して神となったご存在なのです。(……)

仏教が伝来すると、盂蘭盆会の行事が諸寺院でおこなわれるようになり、当初は僧侶の供養が中心でしたが、その後、我が国の祖霊祭祀と結びついて、ご先祖様を祀る「お盆」となりました。(「神道いろは」神社新報社

ははあ、そうなのか。もうすこし柳田国男を探ってみよう。冒頭にかかげた『先祖の話』にお盆の話が詳しいそうだが、わたくしの手許にはモチロンなく、青空文庫にもこの名著はまだ上がっていない。いまは別の論から。

我々の祭の日の中で、一ばん全国的なものは盆の魂祭であろう。これは早くから仏寺の管掌に属し、従って仏教によって解釈せられ、国の祭日からは除外せられていたが、それはただ一部の変化に止まり、事実はこれもまためでたい節供であり、人が集ってイワウ日であったことは、かなりはっきりと私は証明することが出来る。日本の東半分では、今でも盆の魂祭に対して、暮にもう一度ミタマ祭というのがあり、この方は全く仏教との交渉がなく、清らかな米の飯を調じて、祖霊に供しまた自分たちもこれに参与する。ただ荒御霊と称して新たに世を去った霊魂のために、特別の作法がある点だけが、盆祭とよく似ている。つまりは盆の行事は、この方に力を傾け過ぎていたのである。(柳田国男「年中行事覚書」)

というわけでお盆とは、起源は仏教ではなく、神にかかわる。これも言われてみれば当然である。仏教が入ってくる前には神しかいなかったのであり、その前にも人は死んでいるのだから。

柳田国男の弟子にあたる折口信夫は、「まれびと」のひとであり、師匠の柳田のようには祖先の霊魂(タマ)のみを強調することはない(折口曰く神観念は三つある、「霊魂を神とする観念」、「霊魂を内にそなえた神の観念」、「鎮魂呪術を行う呪術者を神とする観念」)。だがこの二人の見解の相違はさておき、お盆の起源が神祭りであるということについては一致している。

盆の祭り(仮りに祭りと言うて置く)は、世間では、死んだ聖霊を迎へて祭るものであると言うて居るが、古代に於て、死霊・生魂に区別がない日本では、盆の祭りは、謂はゞ魂を切り替へる時期であつた。即、生魂・死霊の区別なく取扱うて、魂の入れ替へをしたのであつた。生きた魂を取扱ふ生きみたまの祭りと、死霊を扱ふ死にみたまの祭りとの二つが、盆の祭りなのだ。

盆は普通、霊魂の游離する時期だと考へられて居るが、これは諾はれない事である。日本人の考へでは、魂を招き寄せる時期と言ふのがほんとうで、人間の体の中へ其魂を入れて、不要なものには、帰つて貰ふのである。此が仏教伝来の魂祭りの思想と合して、合理化せられて出来たものが、盆の聖霊会である。

七夕の祭りと、盆の祭りとは、区別がない。時期から言うても、七夕が済めば、すぐ死霊の来る盆の前の生魂の祭りである。現今の人々は、魂祭りと言へば、すぐさま陰惨な空気を考へる様であるが、吾々の国の古風では、此は、陰惨な時ではなくして、非常に明るい時期であつた。(折口信夫「盆踊りの話」)