このブログを検索

2014年12月8日月曜日

究極の財政再建策ハイパー・インフレーション

まず、世界恐慌からいち早く立ち直ったのはナチスだった!~『ヒトラーの経済政策』武田 知弘著(評者:栗原 裕一郎)より

第一次大戦に敗戦したドイツはベルサイユ条約により植民地全部と領土の一部を取り上げられたうえ、1320億マルク(330億ドル)の賠償金を請求された。ドイツの当時の歳入20年分くらいの額であり、毎年の支払いは歳入の2分の1から3分の1に及んだ。

 そんなもの払えるわけがない。札をガンガン刷ったドイツは、1922年から1923年にかけてハイパーインフレーションに見舞われてしまうことになる。どのくらいハイパーだったかというと、0.2〜0.3マルクだった新聞が1923年11月には80億マルクに暴騰する勢いだったそうである(村瀬興雄『ナチズム』中公新書)。

 ハイパーインフレによってもっとも打撃を受けたのは中産階級や労働者、農民だった。一方で、外貨でドイツの資産を買ったりしてボロ儲けする者もいたのだが、そのなかにはユダヤ人実業家が少なからず含まれていた。その怨みもユダヤ人迫害の一因となる。

というわけだが、100円の缶コーヒーが、いくらになるんだろ? ……ゼロ発作だね。

総裁は、国債買い入れを中心とした大規模な金融緩和の継続がハイパーインフレを招く可能性があるとの指摘に対し、「ハイパーインフレになるとは思わない」と断言。日銀の金融政策運営は「あくまで金融政策の目的に沿って行われている」とし、「当然、2%を実現した後にどんどん物価が上がることを認めるつもりはない。(ハイパーインフレは)適切な金融政策で十分に防止できる」と強調した。

そのうえで、日銀が掲げる2%の物価安定目標を実現すれば「出口を模索することは、当たり前」と指摘。もっとも、現在の日本経済は2%の物価安定目標の実現に向けて道筋を順調にたどっているが「途半ば」とし、「出口議論は時期尚早」と繰り返した。(ハイパーインフレにはならない、金融政策で防止可能=黒田日銀総裁2014年 10月 16日

並みいる経済学者の心配をよそに、黒田さんはハイパーインフレなんて杞憂だってさ。ワカランネ

仮にハイパーインフレが起こっても、10倍程度で収まるんじゃないかね、つまり缶コーヒーが1000円ぐらいで。というのは世界資本主義の現在、海外からの投資が増えるだろうから。日本円の貨幣価値が10分の1になるということは、外貨の価値が10倍になるわけで、中国や韓国などから、たとえば土地の買い叩きがあるだろうから。財政崩壊時はレイシズムなんていってられなくて、自然に反韓・反中なんてのは消滅するかもな。

金持ちの1億円の貯蓄が実質1千万円になれば、格差是正にもなるし、貯蓄ゼロの人間はたいして困りゃしないさ。むしろ元気な若者は、農村への買い出しなどしてボロ儲けできるかもしれないし(ただし念のため1000ドルぐらいタンス預金しておいたほうがいいかもな、タンスだぜ、銀行封鎖があるから)。

20XX年1月10日(金)。午前6時に人形町のワンルームマンションを出て、徒歩で丸の内に向かう。出社前に近くのスターバックスに寄り、3800円のカフェモカを飲むのが私のささやかな贅沢だ。紙の新聞はずいぶん前になくなってしまったので、iPad5を開いてニュースをチェックする。(……)

ハイパーインフレが富裕層の顔ぶれを一転させた。

コーヒーを飲み終えると、東京駅前のハイアールビルにある会社に向かう。金融危機前は丸ビルの愛称で知られていたが、いまや覚えているひとはほとんどいない。それ以外にも、サムソンプラザやタタ・ヴィレッジなど、東京都心の不動産はほとんどが外国企業に買収されてしまった。(橘玲「20XX年ニッポンの国債暴落」ーーアベノミクスの博打

ーーせいぜいこの程度じゃないか。

「財政破綻後の日本経済の姿」に関する研究会』では、すなわち、いつ財政破綻してもおかしくない状況でまた回避できようもないのだから、そんな「悠長な」ことはやめて「その後」を考えようというエライ経済学者たちによる研究会では、財政破綻の影響についての次のような指摘がある。

・意外に悪影響の少ない劇薬?
・長期的視点でみれば、単なる一時的落ち込み
・ 政治的影響も小さい
・(ハイパー)インフレのメリット – 最終局面を除き、低失業率の実現
・国民の広い範囲にインフレ利得者が存在
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず?
・むしろ究極の財政再建策として検討すべき?

ひょっとして移民も100~200万単位で増えていき、人口問題も解決とかさ。

財政が崩壊したら、《公共サービスも年金給付も生活保護も止まり、餓死する人が出るだろう》(飛行機と猫と劇薬)であるなら、高齢化比率も是正されるし、いくらなんでも餓死するのは困るというなら、外国人養子制度などを急遽取り入れて、彼らに住居提供のかわりに養ってもらって生きのびるなんてのも流行るかもな。そうしたら、これまた移民がふえ、いっそう超少子高齢化問題の解決になる(公務員の数だって、劇的に減るだろうしな)。

たぶん、消費税反対、社会保障の一層の充実(弱者救済、格差是正)をあいかわらず叫んでいるヤツラの深謀遠慮はここにあるんじゃないか。とすればなかなか捨てたもんじゃないよ、橋下さんの考え方よりいっそう起死回生的だぜ。

橋下徹 @t_ishin
弱者救済、格差是正を叫ぶ連中は、それで自分の人の良さ、優しさを訴えたいのだろうか。政治は厳しい現実に対応しなければならない。なぜ教育が必要なのか。自立型の国民を多くし、弱者を支える側の国民を増やさなければならない。優しい顔をするだけでは国は持たない。

というわけで、弱者救済、格差是正を叫ぶ「優しい人」たち、バンザ~イ! きみたちの真意を誤解していたよ。じつは一石五鳥ぐらいの策士たちだったんだな。


◆岩井克人『貨幣論』1993より

ここで、なんらかの理由でひとびとが過剰な流動性をきらって、保有している貨幣の量を減らそうとして状況を想定してみよう。もちろん、そのためには、どれかの商品の市場においてその商品の買いを増してみるか、どれかの商品の市場においてその商品の売りを減らしてみなければならない。いずれのばあいも、商品全体にたいする総需要が総供給にくらべて増大してしまう。ここに、全般的な需要過剰によるインフレ的熱狂の可能性がうまれることになる。

そして、じっさいに総需要が総供給を上回ってしまうと、その可能性が現実化する。保蔵から解きはなたれた貨幣が商品を追いかけまわす、いわゆるカネあまりの状態となる。世にある大部分の商品の買い手は、本人たちの意図とは無関係に、まさに構造的に買うことの困難をおぼえることになるのである。この機会をとらえて、今度は、売ることの困難から解放された大部分の商品の売り手たちは、きそって価格を引き上げはじめるだろう。貨幣経済は、物価や貨幣賃金が「連続的にかつ無際限に」上昇していくヴィクセルの「不均衡累積過程」に突入することになるのである。しかも、貨幣賃金の切り下げにはげしく抵抗する労働者も、貨幣賃金の引き上げにたいしてはけっして抵抗しない「論理性」をもっているはずである。戦時下経済のような価格や賃金の直接的統制でもないかぎり、インフレ的熱狂というかたちの不均衡累積過程の上方への展開をさまたげてくれる「外部」は、資本主義社会の内部にそなわっていない。総需要が総供給を上回っているかぎり、インフレ的熱狂はつづいていく。

その後の展開にはふたつのシナリオがある。

たとえひとびとがインフレ的熱狂に浮かされていたとしても、それが一時的なものでしかないという予想が支配しているならば、その予想によってインフレーションはじっさいに安定化する傾向をもつことになる。なぜならば、そのときひとびとは将来になれば相対的に安くなった価格で望みの商品を手にいれることができることから、いま現在は不要不急の支出を手控えて、資金をなるべく貨幣のかたちでもっているようにするはずだからである。とうぜんのことながら、このような流動性選択の増大は、その裏返しとして商品全体にたいする需要を抑制し、進行中のインフレーションを鎮静化する効果をもつことになるだろう。物価や賃金の上昇率がそれほど高いものでないかぎり、ひとびとはこのようなインフレーションの進行を「好況」としておおいに歓迎するはずである。じっさい、すくなくともしばらくのあいだは、消費も投資も活発になり、生産は増大し、雇用は拡大し、利潤率も上昇する。

しかしながら、ひとびとが逆に、進行中のインフレーションがたんに一時的ではなく、将来ますます加速化していくにちがいないと予想しはじめたとき、ひとつの転機(Krise)がおとずれることになる。

貨幣の購買価値がインフレーションの加速化によって急激に低下していってしまうということは、支出の時期を遅らせれば遅らせるほど商品を手に入れるのが難しくなることを意味し、ひとびとは手元の貨幣をなるべき早く使いきってしまおうと努めることになるはずである。とうぜんのことながら、このような流動性選好の縮小は、その裏返しとして今ここでの商品全体への総需要を刺激し、進行中のインフレーションをさらに加速化してしまうことになる。もはやインフレーションはとまらない。

インフレーションの加速化の予想がひとびとの流動性選好を縮小させ、流動性選好の縮小がじっさいにインフレーションをさらに加速化してしまうという悪循環――「貨幣からの遁走(flight from money)とでもいうべきこの悪循環こそ、ハイパー・インフレーションとよばれる事態にほかならない。ここに、恐慌(Krise)とインフレ的熱狂(Manie)とのあいだの対称性、いや売ることの困難と買うことの困難とのあいだの表面的な対称性がうち破られることになる。買うことの困難が、売ることの困難のたんなる裏返しにとどまらない困難、恐慌という意味での危機(Krise)以上の「危機(Krise)」へ変貌をとげてしまうのである。

1923年10月30日のニューヨーク・タイムスにAP発の次のような記事がのっていた。

《通貨に書かれたあまりに法外な数字がひとびとのあいだにひきおこした一種の神経症にたいして、当地ドイツの医師たちが考案した名前は「ゼロ発作」あるいは「数字発作」というものであった。何兆という数字を数え上げるために必要な労力にすっかり打ちひしがれ、多数の男女が階級をとわずこの「発作」におそわれたことが報告されている。これらの人々は、ゼロ数字を何行も何行も書き続けていたいという衝動にとらわれているということ以外には、明らかに正常な人間なのである。》(J.K.Galbraith,money 1975から引用)

ハイパー・インフレーションの代表的な事例として数多くの研究の対象となってきたのが、第一次大戦後のドイツの経験である。第一次大戦の開始直後の1914年から持続した上昇をつづけていたドイツの国内物価は、1922年の6月あたりから急速に加速化しはじめ、7月から1923年11月までの16ヶ月間の上昇率は月平均(年平均ではなく!)322パーセントにたっすることになった。とくに9月、10月、11月の最後の3ヶ月間は月平均(年平均ではなく!)1400パーセントもの上昇率を記録することになり、インフレーションが最終的に終息した1923年11月27日の物価の水準は、1913年の水準にくらべて1,382,000,000,000倍にも膨れ上がってしまったのである。まさに「ゼロ発作」をひきおこしかねない数字である。そして、そのあいだにひとびとの流動性選好は急速な収縮をみせ、一単位の貨幣が一定の期間に平均何回取り引きに使われているかをあらわす貨幣の流通速度は1913年にくらべて18倍もの増大をしめすことになった。

このドイツの経験のほかにも、古くは独立戦争直後のアメリカやフランス革命下のフランスにおけるハイパー・インフレーションの事例が有名であり、今世紀にはいってからは、社会主義革命直後のロシア、第一次世界大戦後のオーストリア、ハンガリー、ポーランド、第二次大戦後のギリシャ、ハンガリー、共産党政権化確立前の中国、1980年代の中南米諸国、さらには社会主義体制崩壊後の東ヨーロッパ諸国や旧ソヴィエト連邦諸国などがはげしいハイパー・インフレーションにみまわれている。(岩井克人『貨幣論』 ちくま学芸文庫 p202-206)

※参照:資料:「財政破綻」、 「ハイパーインフレ」関連


このドイツのハイパー・インフレーション時期に、ドイツ留学した人びと、たとえばハイデガーに師事した九鬼周造などはさぞかし裕福な生活を送ったのではないか(日本円の外貨価値の高騰のため)。そもそも当時のドイツの思想家や詩人たちの研究に、このハイパー・インフレーションの影響がほとんど言及されていないのは残念である。