もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代”概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)
ーーとあるように世界資本主義が危機に陥ったとき、ファシズム、コミュニズム、そしてケインズ主義がかつて起こった。
ここで、現在、西欧の先進諸国や日本でネオナチが猖獗しつつあるのは、ひょっとして世界資本主義の危機のせいではないか、と問いを発してみることもできる。そして黒田日銀の異次元金融緩和などのアベノミクスは復活したケインズ主義ではないか、と。
「どのような利子率であれ、それが永続きしそうだと十分に強い確信をもって受け入れられるならば、現に永続きする」のである。
ケインズの洞察によれば、人々の生活態度には確固とした知識の裏付けなどない。「大衆が利子率の緩やかな変化に対してかなり急速に馴染んでいくことはあり得る」。そう考えれば、「少しは気も楽になろう」と言い切っている。
『一般理論』は不況と失業という難病に取り組むための、知的な実験だった。黒田日銀の異次元緩和はデフレという難病の解消を目指すものだ。両者の発想と行動が似ていたとしても不思議はない。知の武器庫を活用するときだ。(大機小機)ケインズの洞察と黒田日銀 2013/5/29)
このように思いのほか、われわれの社会に起こる現象は、「経済」の影響の下にある。そして世界資本主義の危機などといわないまでも、日本の財政はとんでもない「危険水域」に突入しつつあることは間違いない。
「白川方明前日銀総裁が以前の講演で、財政悪化したときの回復方法について言及していた。増税と歳出削減による財政再建か、調整インフレ、デフォルトの3つしかないという。調整インフレやデフォルトを避けようとすれば、財政再建の道筋しかないのだが、働いても給与の手取りが増えず、社会保障サービスも低下するというきつい状態だ。こうなると人やマネーは日本から出て行ってしまうのではないか」(インタビュー:「危ない橋」渡る日銀、円の信認喪失も=上野泰也氏 | Reuters)
白川方明前日銀総裁の見解として、《増税と歳出削減による財政再建か、調整インフレ、デフォルトの3つしかない》とある。
これはジャック・アタリの『国家債務危機』の変奏としてよいだろう。アタリは、国家債務の解決策は8つ存在するとしている、《増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、デフォルト》。
8つのうちの選択肢のなかに「戦争」とある。安倍政権の戦争への傾斜とも見られるものが、資本主義の危機のせいだとは断言しまい。だが次のように引用することはできる。
最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人[反原発デモが日本を変える])
……基軸商品の交替という観点から見ると、この次に、今までのようなヘゲモニー国家が生まれることはありそうもない。それよりも、資本主義経済そのものが終わってしまう可能性がある。中国やインドの農村人口の比率が日本並みになったら、資本主義は終る。もちろん、自動的に終るのではない。その前に、資本も国家も何としてでも存続しようとするだろう。つまり、世界戦争の危機がある。(柄谷行人「第四回長池講義 要綱 歴史と反復」)
「現在は平時か。僕は戦時だと思っています。あなたが平時だと思うなら、反論してください。でないと議論はかみあわない」
安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈を変えようとしている。なりふりかまわぬ手法をどう見るか、そう尋ねた後だった。
「十年一日のようにマスメディアも同じような記事を書いている。大した危機意識はないはずですよ。見ている限りね」(【時流自流】作家・辺見庸さん ファシズムの国2013.09.08)
ジャック・アタリに戻れば、彼の『国家債務危機』の「第5章 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓」には次のようにある。
1 公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである
2 公的債務は、経済成長に役立つことも、鈍化させることもある
3 市場は、主権者が公的債務のために発展させた金融手段を用いて、主権者に襲いかかる
4 貯蓄投資バランスと財政収支・貿易サービス収支は、密接に結びついている
5 主権者が、税収の伸び率よりも支出を増加させる傾向を是正しないかぎり、主権債務の増加は不可避となる
6 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る
7 債権者が債務者を支援しないと、債務者は債権者を支援しない
8 公的債務危機が切迫すると、政府は救いがたい楽観主義者となり、切り抜けることは可能だと考える
9 主権債務危機が勃発するのは、杓子定規な債務比率を超えた時よりも、市場の信頼が失われる時である
10 主権債務の解消には八つもの戦略があるが、常に採用される戦略はインフレである
11 過剰債務に陥った国のほとんどは、最終的にデフォルトする
12 責任感ある主権者であれば、経常費を借入によってまかなってはならない。また投資は、自らの返済能力の範囲に制限しなければならない
ここでしばしば議論に上がる《6 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る》については、小黒一正氏の2010年9月16日に書かれた記事「「政府の借金は内国債だから問題ない」は本当か?」に簡明な分析がある。そして最後にこう書かれることになる。
国債発行は世代間格差を引き起こし、将来世代に過重な負担を押し付ける。したがって、「政府の借金の多くは内国債だから問題がない」というのは、間違いである。
簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。
しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)
われわれがこの数十年来ーー超少子高齢化社会になることが周知になったあともーー、《負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきた》ということになる。