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2014年12月15日月曜日

「老特会」結成のすすめ

今回の選挙でも、多くの政党の公約には「低負担・高福祉」といわざるを得ない甘い言葉が並んでいますが、現実を見れば何かを捨てなければならないのは明らかです。何を捨てるのか、どこで線引きをするか。それを本気で話し合わないと、在特会ならぬ「老人特権を許さない市民の会=老特会」が出てきかねませんよ。「少子ニッポンの超タブー……一歩間違えば「姥捨て山論」

ーーなどとツイートを散見するかぎりややヤクザなところもある山本一郎氏が言っているが、これはほぼほとんどの経済学者たちの(一部の楽観論者を除いての)コンセンサスだろう。彼らの主張を読む限り、エライ経済学者たちが集って「老特会」を結成したり、もしくは少なくともそのブレーンになってもしてもまったくおかしくない。

たとえばケインジアンであり黒田日銀擁護派でもある岩井克人は、《アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあると いうのは正しい》と言っている。

山口) 人為的に流通量を拡大してお金の価値を希薄化させる権限を、時の権力はあまり 行使すべきではない、と考えています。たとえば、貨幣のモラルという観点でも、お年寄り が大事に抱えてきた現金の価値を希薄化させることは問題がありそうで、非常に判断が難 しいとの思うのですが、その点はいかがでしょうか?

岩井) アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあると いうのは正しい。そして、わたしはすでに年寄り世代ですが、それは望ましいことだと考え ています。 (お金とは実体が存在しない最も純粋な投機である ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【前編】

また元日銀副総裁の武藤敏郎氏ーー2度本命視されながら総裁になりそこなったーーが取り仕切る大和総研の膨大な「国家の大計」シミュレーションにはこうある。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013 より)

あるいは早稲田大学の原田泰教授は、元日銀理事の早川英男氏との対談で次のように言い放っている。

「日本人の平均給与が400万円しかないのになぜ高齢者に250万円も払えるのか」と早稲田大学原田泰教授が言っているようだ。(The Wall Street Journal 2014.12.5

これらはすべて「老特会」にとってのキャッチフレーズともなりうるものだ。すぐれたエコノミストたちよ、きみたちはなぜ「老特会」を結成したり、すくなくともその結成を若者たちに促さないのだろうか。彼らは「左翼学者」とは言いがたいが、《体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたい》だけのリベラル経済学者でないとするなら、現在、各エコノミストがバラバラに超少子高齢化社会のタブーをわずかながらも犯し、なにやらほのめかしても殆どラチが明かないので、「老特会」にて団体行動をとるべきではないのか。

ひとが本当に恐れているのは、自分の要求が完全に受け入れられることである(……)。そして、今日の「ラディカルな」学者も、これと同じ態度(やるならやってみろという態度)に出られたら、パニックに陥るのではないだろうか。ここにおいて、「現実主義でいこう、不可能なことを要求しよう」という68年のモットーは、冷笑的な、悪意にみちた意味を新たに獲得し、その真実を露わににするといえるかもしれない。「現実主義でいこう、われわれ左翼学者は、体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたいのだ。そのために、体制に対して不可能な要求をなげつけよう。そうした要求がみたされないことは、みな分っている。つまり、実際には何も変わらず、われわれがこれまで通り特権化されたままでいられることは確かなのだ」。 金融犯罪に手を染めている企業を告発したひとは、暗殺される危険に身をさらす。それに対し、同じ企業に、グローバル資本主義とポスト植民地主義における雑種的アイデンティティとの関係を研究するので金を出してくれないかと頼んだひとは、数十万ドルの資金を手にする機会にめぐまれているのだ。 (ジジェク『操り人形と小人 キリスト教の倒錯的な核』 中山徹 訳)

「日本人の平均給与が400万円しかないのになぜ高齢者に250万円も払えるのか」と原田泰氏の言葉を引用したが、--原田氏は来年の日銀審議委員二人の入れ替えの候補者の1人に浮上しているそうだーー、大和総研によれば、、平均給与を手取り収入としたら次のようになるらしい。

現在の平均代替率は 2011 年度の実績で82.4%である。すなわち、生産年齢人口 1 人当たりの所得は 316 万円であったのに対し、65 歳以上人口 1 人当たりの社会保障給付額は 261 万円だった。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013)

少子高齢化社会で高齢化比率が高くなればなるほど、この所得代替率は、年金水準を維持しようすればするほど高まってしまう。



母さんのペニス(充実した社会保障制度)を信じるフェティシストたち


財政赤字逼迫の問題は、ほとんど社会保障費負担増の問題なのであり、避けがたい「姥捨て山」論の超タブー ーー上の2050年の図をみよ、姥捨て山にしたくなくても、自ずとそうなってしまうのは明らかだーーに触れようともせず、教育者面・指導者面して寝言を繰り出すことをやめない脳軟化症に罹患したかのような庶民派正義感のみの「インテリ」くんたち、いわゆるオピニオンリーダーが跳梁跋扈するネットの風潮を啓蒙する役割を「老特会」は果たすべきではないか。

すなわち、 社会保障の給付水準を考えるときに重要なのは、 現役世代の賃金との対比でみた、言い換えれば賃金によって実質化された給付水準である(……)。年金の世界では、年金額が現役世代の手取り賃金のどれだけかを所得代替率というが、これはまさに賃金対比で給付水準を評価する考え方である。年金に限らず、高齢者向けの医療給付や介護給付も、賦課方式型で運営されていることから同様に捉えて議論することに大きな意味がある。

現役世代の平均賃金と引退世代への平均給付が同じ率で変化していれば、所得代替率は一定で推移する。しかし、保険料率を引き上げて賃金上昇率以上に給付を拡充したり、賃金が下がっているときに給付を引き下げなかったりすれば、所得代替率は上昇する。引退世代の人数が増える分以上に現役世代の負担率を上昇させながら引退世代の生活水準を向上させてきたと前述したが、賃金対比で測った実質の給付水準を引き上げてきたのがこれまでだった。

賃金対比でみた給付水準 (=所得代替率) は、 現役世代と引退世代の格差―老若格差―と言い換えることが可能である。この老若格差をどうコントロールするかが、社会保障給付をどれだけ減らすか(あるいは増やすか)ということの意味と言ってよい。少子高齢化の傾向がこのまま続けば、いずれは就業者ほぼ 1 人で高齢者を 1 人、つまりマンツーマンで 65 歳以上人口を支えなければならなくなる。これまで 15~64 歳の生産年齢人口何人で 65 歳以上人口を支えてきたかといえば、1970 年頃は 9 人程度、90 年頃は 4 人程度、現在は 2 人程度である。医療や年金の給付が拡充され、1973 年は「福祉元年」といわれた。現行制度の基本的な発想は 9 人程度で高齢者を支えていた時代に作られたものであることを改めて踏まえるべきだ。「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」大和総研2013)


まあそうはいっても、高齢の経済学者に望んでも実現性は低いので、小黒一正氏あたりはどうだろう、老特会のリーダーに。彼は「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」の創立時からのメンバーでもあり、この「ワカモノ・マニフェスト」の内実は「老人の特権を許すな!」ではないか。

ワカモノ・マニフェストYouth Policy 2009ー世代間格差の克服と持続可能な社会を目指してー」より


彼だけでは荷が重いのなら、ブレーンに高齢者予備軍の経済学者に入ってもらって。たんなるクリシェとしか聞えない《社会保障の抜本改革に切り込む安倍首相のリーダーシップが望まれる》などと反復しておらずに、まずは教育者面・指導者面したオピニオンリーダーたちの寝言を徹底的に「しばく」のが喫緊の努めではないだろうか。

こんなツイートでも、まさか《体制が与えてくれる特権をすべて享受しながら、外面的には批判的でありたい》だけなわけじゃないだろう?

小黒一正@DeficitGamble2014年12月10日(水)

しかし、急速に進む高齢化で年金などの社会保障費が急増し、歳出の約半分しか税収で賄えないなか、いま必要なのは給付抑制や負担増といった痛みを伴う改革を実行する政治の強い意志。http://goo.gl/MDhyM3


社会保障費の伸びは1兆円ではない(小黒 一正)

今年(2014年)4月1日から消費税率は5%から8%に引き上がった。今年12月頃には、消費税率を10%に引き上げる政治判断が控えており、スケジュール通りに税率の引き上げが行われれば、2015年10月から消費税率は10%となる。しかし、日本の財政状況は極めて厳しい。

今回のような消費増税は財政の持続可能性を高め、世代間格差を改善する試みの重要な一歩であるが、増税の効果を発揮するには、膨張する歳出の改革にも精力的に取り組む姿勢が重要である。その際、歳出改革の主なターゲットになるのは「社会保障」であるはずだが、政府が現在検討を進める社会保障改革は「不十分」との批判も多い。

その理由は、社会保障給付費(年金・医療・介護等)の急速な伸びに対する対応が、今回のような増税のみでは全く追いつかず、もはや一定の抑制が不可避であるからである。以下の図表のとおり、給付費は平成15年度で約84兆円であったが、高齢化の進展により、平成25年度は約110兆円となった。110兆円は、名目GDPの2割超に達する規模である。



平成15年度から平成25年度の10年間では、約1兆円増の年度や約5兆円増の年度もあり、「ばらつき」があるが、年平均の給付費は2.6兆円程度のスピードで膨張してきたのが現状である。引き続き、このようなペースで社会保障給付費が膨張していくと、今回の5%増税で調達可能な財源(約13兆円)は、5年程度で食い潰されてしまう可能性が高い。

平成25年度の社会保障給付費110兆円の財源構成は、社会保険料収入が約60兆円、資産運用収入が約10兆円、残りの約40兆円は公費で賄う格好となっているが、ここ数年、生産年齢人口の減少などによって社会保険料収入は横ばいとなりつつあり、公費負担は急増傾向にある。

その際、公費負担のうち国の負担分を意味する「社会保障関係費」の伸びがこれまで約1兆円であったため、メディアを中心に、「社会保障コストの伸びは約1兆円」というイメージが広がっているが、それは楽観的な見通しと考えられる。

というのは、社会保障給付費が今度も年平均2.6兆円で伸び、社会保険料収入の横ばいが続く場合、社会保障関係費も給付費と同程度の伸びに近づく可能性が否定できないからである。

その上、現下の財政事情では、国の公費負担分は税収では賄いきれず、その過半は財政赤字で将来世代にツケを先送りしている現状にある。つまり、現状の社会保障は「給付>負担」となっており、その均衡には給付抑制か負担増が避けられない。

現在、公的年金の財政見通しに関する5年に1度の「財政検証」が厚労省によって実施されているが、今回の増税が無駄とならないよう、社会保障の抜本改革に切り込む安倍首相のリーダーシップが望まれる。(法政大学経済学部准教授 小黒一正)

いずれにせよブレーンはいくらでもいる。リフレ派/反リフレ派でももめるのは静かにやってもらって、より大きな核心は社会保障なのであり、それは大声でやったほうがいいのではないか。たとえば、「老特会」の仲間たちは、わたくしの寡聞の範囲でも、野口悠紀雄氏もいるし、深尾光洋氏もいる。

日本社会は、世界でも稀に見る人口高齢化に直面しており、このため、経済のさまざまな側面で深刻な長期的問題を抱えている。とりわけ深刻なのは社会保障であり、現在の制度が続けば、早晩破綻することが避けられない。(野口悠紀雄「2040年「超高齢化日本」への提言」)、


「老特会」がその名称としてふさわしいかどうかは別にして、社会保障なんたらと長い名前をつけたり、ワカモノマニフェスト」などの意味負荷過剰の言葉ではダメなんだよ。マスターシニフィアンとして機能しないとな。


ラカンは、‘master signifiers’(主人のシニフィアン)を‘points de capiton’(クッションの綴じ目)と呼んだ。

どの「主人のシニフィアン」も瘤のようなものであり、知識、信念、実践などを縫い合わせて、それらが横にずれることを止め、それらの意味を固定する(ジジェク)。

”なにがマスターシニフィアンを構成するのかといえば、《語りの残りの部分、一連の知識やコード、信念から孤立化されることによってである》(Fink 1995)。

この“empty”(空の)シニフィアン(主人のシニフィアン)が、正確な意味を持たないことによって、《雑多な観点、相相剋する意味作用のチェーン、ある特定な状況に付随する独特の解釈を、ひとつの共通なラベルの下に、固定し保証してくれる》(Stavrakakis 1999)


…………

附記

◆経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)
ーーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011(「二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障」より)

池尾:日本については、人口動態の問題があります。高齢化・少子化が進む中で、社会保障制度の枠組みがどうなるのかが、最大の不安要因になっていると思います。

経済学的に考えたときに、一般的な家計において最大の保有資産は公的年金の受給権です。

大崎:実は、そうなんですよね。

池尾:今約束されている年金が受け取れるのであれば、それが最大の資産になるはずです。ところが、そこが保証されていません。

 日本の家計の金融資産は過半が預貯金で、リスク資産に配分しようとしない、とよく言われます。会計上見える資産では確かにそうなっています。しかし、実は不安定な公的年金制度という枠組みを通じてリスクを取らされているとも言えるわけです。公的年金の受給権という資産が安全資産化すれば、ほかにリスクを取る余地が生まれてくるはずです。

 そういうことをやったからといって家計の将来に 対する自信が回復するかどうかは分かりません。しかし、自信を回復し得る環境を整える必要はあります。消費についても同じです。大きな不確実性を背負った状態で、 「活発な消費をしろ」と言われても、それは無理だと思います。

大崎:国は「公的年金で老後の生活は安心だ」という説明をしたいんだけれども、国民はそのようには受けとめていなくて、 「制度は変更されるかもしれない。どちらかというと悪いほうへ変わりそうだ」と読んで行動しているということですね。

池尾:そうです。

大崎:ただ、 「何年には給付を削減します」と宣言してしまうと、これはこれでまた不安を呼ぶのではないかとも思います。

池尾:例えば、公的支援が限定的だということになると、残りは自助で支えなければいけない、という意識が高まります。既に高齢の場合には、確かに心細さは生じます。ですが、いわゆる予備的動機で行われる予備的貯蓄と言われる部分については、貯蓄する必要性は下がるはずです。

大崎:それは、リスクが読める分、自助努力で補充すべき分がはっきり計算できるからですね。

池尾:自助と言われたときに準備する時間が残されている世代もあります。高齢世代に関しても、これまでの将来への不安から貯蓄に励んできて、大量の金融資産を保有している方も多くいらっしゃいます。要するに、自身の長生きリスクと公的支援の変更リスクの両方に備えているんです。

 ですから、先行きの見通しをはっきりさせることが、政策運営上求められていると思います。抜本的改革をやって、持続可能性を持った社会保障制度を確立するというのは大きな課題だと思います。
(……)
大崎:今のお話を伺っていて思ったのは、政策当事者が事態を直視するのを怖がっているのではないか、ということです。例えば、二大政党制といっても、イギリスやアメリカでは、高福祉だけれども高負担の国をつくるという意見と、福祉の範囲を限定するけれどもできるだけ低負担でやるというパッケージの選択肢を示し合っているように思います。

 日本ではどの政党も基本的に、高福祉でできるだけ増税はしない、どちらかというと減税する、という話ばかりです。実現可能性のあるパッケージを示すことから、政策当事者が逃げている気がします。

池尾:細川政権が誕生したのが今から18年前です。それ以後の日本の政治は、非常に不幸なプロセスをたどってきたと感じています。

 それ以前は、経済成長の時期でしたので、政治の役割は余剰を配分することでした。ところが、90年代に入って、日本経済が成熟の度合いを強めて、人口動態的にも老いてきた中で、政治の仕事は、むしろ負担を配分することに変わってきているはずなんです。余剰を配分する仕事でも、いろいろ利害が対立して大変なんですが、それ以上に負担を配分する仕事は大変です。

大崎:大変つらい仕事ですね。

池尾:そういうつらい仕事に立ち向かおうとした人もいたかもしれませんし、そういう人たちを積極的にもり立ててこなかった選挙民であるわれわれ国民の責任も、もちろんあると思います。少なくとも議会制民主主義で政治家を選ぶ権利を与えられている国においては、簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。



2014年12月12日金曜日

「頭脳明晰な」経済学者の「放言」

小黒一正@DeficitGamble: 残念ながら、90%くらいの確率で日本財政は終わった気がする。いま直ぐに破綻はしないですが。(2014.12.12)

なんだ、早速、財政赤字総力戦撤退宣言か。昨日書いたばかりじゃないか→ 「財政赤字への総力戦(ゲッベルス待望論)

まあごく標準的な「頭脳明晰な」経済学者の頭では、こう呟くのもいたし方ないのだよな。

小黒一正の「放言」とでもいうべきか。

林房雄の放言という言葉がある。彼の頭脳の粗雑さの刻印の様に思われている。これは非常に浅薄な彼に関する誤解であるが、浅薄な誤解というものは、ひっくり返して言えば浅薄な人間にも出来る理解に他ならないのだから、伝染力も強く、安定性のある誤解で、釈明は先ず覚束ないものと知らねばならぬ。(小林秀雄「林房雄」)

「俺の放言放言と言うが、みんな俺の言った通りになるじゃないか」と彼は言う。言った通りになった時には、彼が以前放言した事なぞ世人は忘れている。「馬鹿馬鹿しい、俺は黙る」と彼は言う。黙る事は難しい、発見が彼を前の方に押すから。又、そんな時には狙いでも付けた様に、発見は少しもないが、理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人が現れる。林は益々頭の粗雑な男の様子をする始末になる。(同上)

続く→ 「理屈は巧妙に付いている様な事を言う所謂頭のいい人

2014年12月11日木曜日

財政赤字への総力戦(ゲッベルス待望論)

財政破綻を回避するために画策する「正義の味方」、一部の経済学者の過激な主張のホンネとしての施策はなにか。

2017年より毎年消費税を2%あげ、20~25%になるまで上げつつけよ!
それと同時に社会保障費を3割から5割カットせよ!
年金だと? 米国やイギリスを見よ、67~68歳からの支給としたではないか!
わが国は平均寿命がかの国よりも高いではないか!
オーストラリアを見よ、70歳からとしたではないか!
70歳から支給とするのが当然である!
われわれはすぐれた政治家の決断を待望する!
民主主義だと? シルバーデモクラシーの国、
若者の政治無関心の国においていまさらなにを言うつもりか
ファシストの決断者が必要である!


ーーというわけで、オレの偏った頭で理解したのはこういうことなんだな。オレに文句いうなよな


◆武藤敏郎(元日銀副総裁)

武藤 たとえば年金の支給開始年齢を69歳まで引き上げる。世界をみても2030年くらいに向けて67,68歳に上げていくという流れになっている。日本は高齢化のフロントランナーです。平均寿命も健康寿命も最も高い国の一つだ。

 政府は、受給開始年齢を2030年度までに順次65歳まで引き上げることを決めていますが、このペースを早めたうえで、2025年度以降、2年に1歳のペースで69歳まで引き上げるという案です。

 70歳以上の高齢者医療の自己負担は現在、政治的な配慮もあって1割になっていますが、これを75歳以上も含めて2割に上げたらどうかと考えた。さらに安価なジェネリック薬品の普及を一段と押しすすめる、などです。消費税も2020年代を通じて20%程度まで引き上げる。私たちはこれを「改革シナリオ」と呼んでいるのです。

 ところがこれでも国家財政の収支を計算してみると、財政のプライマリーバランス(基礎的収支)は均衡しない。年々の赤字は縮小するが、赤字は出続ける。債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのままほぼ横ばいになる。(2013年9月12日 「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏

現在500兆円のGDPが仮に年率2%づつ上昇したとしよう。すると10年後には約600兆円となる(より正確には複利計算で620兆円ほど)。上に書かれてあるように、消費税20%、そして社会保障費大幅削減の改革をしても、《債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのまま》とある。これは武藤氏が取り仕切った大和総研のシミュレーションに詳しい→ 「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)。

ところで、600兆円の250%の債務残高は、1500兆円である。国債の利子率は、現在、黒田日銀の異次元緩和によって、コンマ何パーセントかのひどく低い比率に抑えられているが、いずれ出口戦略の時期が来る。その後、経済成長率並の2%に利子率に徐々に上昇していくはずだ。あるいは日本国債の信用低下により、たとえばイタリア国債並の4%になったとしよう。

そのとき、1500兆円の金利払いは、2%の場合30兆円、4%の場合60兆円になってしまう。2013年度の税収総額(消費税8%込み)は約50兆円強と予想されている(バブル最盛期の税収は60兆円ほど)。債務利子率4%の場合、金利払いだけで、今年度の税収総額以上の額になってしまうことになる(参照:金利上昇がもたらす、悪夢のシナリオ 野口悠紀雄)。

※ここで念押ししておけば、巷間に流通する、経済成長により税収大幅増が見込めるという、たとえば「税収弾性値」を甘く見積もった計画は幻想である。→参照:「正しい心を抱いて邪な行為をする

◆小黒一正(元財務官僚)

小黒氏によると、OECD加盟国33カ国のうち、支給開始年齢(引き上げ予定を含む)が日本と同じ65歳の国は16カ国。日本よりも高い国は、67歳開始のアメリカ、ドイツ、68歳開始のイギリス、アイルランドなど13カ国。しかし、どの国の平均寿命も日本より短い。さらに、日本の高齢化は今後、加速度を増す。(公的年金:68歳支給&3割カットで最大4000万減

◆深尾光洋(日銀出身、元日本経済研究センター理事長)

日本の財政破綻のシナリオがイメージ……。概略、次のようなシナリオである。

(1)選挙民を恐れる政治家が増税を先延ばし続けて政府の累積赤字が拡大する。この結果、金利上昇による利払い負担増加のリスクが蓄積されていく。

(2) 日本の金融資産の大部分を保有する 50 歳以上の高齢者層も、 政府に対する信頼を徐々になくし、円から不動産、株式、外貨、金等に資金を移動し始める。

(3)長期国債価格が下落し、長期金利が上昇を始める。

(4)新規発行や借り換え国債の利払い負担増加に直面した政府が、発行国債の満期構成を短縮し、主に短期国債で赤字をファイナンスするようになる。日銀がゼロ金利政策を続けている間は、 政府の利払い負担は増加せず、 財政破綻を先延ばしできる。 しかし同時に、国債の満期構成の短期化は、将来の短期金利の上昇で、政府の利払いが急増するリスクを増大させる。

(5)政府の財政悪化に伴い、上記(2)の資金シフトが加速する。特に高齢化に伴う貯蓄率の低下や財政赤字の拡大によって経常収支が赤字化すると、大幅な円安になるリスクが高まる。実際に円安、株高が発生すれば、景気にはプラスとなりバブル的な景気回復を達成する可能性もある。そうなればインフレ率も上昇し始める。景気回復は税収を増大させ、財政赤字を減少させる。この時点で大幅な増税と赤字の削減が出来れば、財政破綻は避けられる可能性がある。

=>この場合、政府はタイミングの良い増税で健全化を達成できる。

しかし政府が増税に躊躇すると、以下のシナリオに突入する。

(6)日銀はインフレ率の上昇に対して金利引き上げによる金融引き締めを行うが、これで政府の利払いが爆発的に増大し、政府の信用が急激に低下する。

(7)政府が日銀の金融政策に介入して、低金利を強制したり、国債の買い取りを強制したりすれば、インフレがさらに加速し、国債価格は暴落する。

(8)金利の急激な上昇で長期国債を大量に保有する銀行が、巨額の損失を被り、政府に資金援助を要請する。

(9)政府が日銀に国債の低利引き受けを強制する場合には、政府は利払い増加による政府債務の急増を避けることが出来る。この場合は、敗戦直後のインフレ期と同様に、政府債務を大幅に引き下げることが可能で、政府は財政バランスの回復に成功する。しかし、所得分配の上では、預金や国債、生命保険、個人年金などの金融資産を保有する人々が、その実質価値の喪失で巨額の損失を被る。

=>この場合、政府はインフレタックスにより財政を健全化できる。しかし金融資産の実質価値の大幅低下により、生活資金に困る多数の人々を生み出す。(日本の財政破綻シナリオーー「日本の財政赤字の維持可能性」より 深尾光洋)

要するにヨーゼフ・ゲッベルスみたいな人材が必要なんじゃないかい? で無理にきまってんだから、だったら「究極の財政再建策ハイパー・インフレーション」ってことだよ

さあて、オレはもう「経済」の話はやめるぜ






◆”Slavoj Zizek and Glyn Daly”(邦訳名『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、手元に訳本がないので、私訳。

……もっと一般的に言えば、すべての政治は、あるレベルの享楽の経済に頼っているし、さらにそれを巧みに操ることにある。私にとって、享楽の最もはっきりした例は、1943年のゲッペルスの演説である。――すなわちいわゆる総力戦Totalkrieg演説だ。スターリングラードでの敗北後、ゲッペルスは総力戦を求める演説をベルリンでやった。すなわち、通常の生活の残り物をすべて捨て去ろう!、全動員を導入しよう!、というものだ。そして、あなたはこの有名なシーンを知っているだろう、ゲッペルスは二万人のドイツ人群衆にレトリカルな問いかけをするあのシーンだ。彼は聴衆に問う、あなたがたはさらにもっと働きたいか、もし必要なら一日16時間から18時間?そして人びとは叫ぶ、「Ja!」。彼はあなたがたはすべての劇場と高級レストランを閉じたいか、と問う。人々は再び叫ぶ、「Ja!」

そして同様の問いーーそれらはすべて、快楽を放棄し、よりいっそうの困苦に耐えることをめぐっているーーが連続してなされたあと、彼は最後に殆どカント的な問いかけをする、カント的、すなわち表象不可能の崇高さを喚起するという意味だ。ゲッペルスは問う、「あなたがたは総力戦を欲するか? その戦争はあまりにも全体的なので、あなたがたは今、どのような戦争になるかと想像さえできないだろう、そんな戦争を?」 そして狂信的なエクスタシーの叫びが群衆から湧き起こる、「Ja!、 Ja!、 Ja!」ここには、政治的カテゴリーとしての純粋な享楽があると私は思う。完全にはっきりしている。まぎれもなく、人びとの顔に浮かんだ劇的な表情、それは、人びとにすべての通常の快楽を放棄することを要求するこの命令は、それ自体が享楽を提供しているのだ。これが享楽というものである。(ジジェク)

ゲッペルスでなくても、ハイデガー並の哲学者が出てきたらいいんだが、日本にはまったくいそうもないからな。

ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、自分自身の未来なのである。 (「アドルフ・ヒットラ~と国家社会主義体制を支持する演説」1933年)

これは、深遠な形而上学がどのような政治とつながるかを端的に示している。ハイデッガーにとっては、指導者を「選ぶ」といった自由主義的原理そのものが否定されなければならないのであり、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにある。そのときのみ、「民族の全体」の「本来の在り様」としての真理があらわれる、というのである。表象representationとしての真理観を否定することは、議会(=代表制representation)を否定することに導かれる。(柄谷行人『終焉をめぐって』p167)



2014年12月7日日曜日

ファシズム、ケインズ主義の回帰

もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」『終焉をめぐって』所収)
われわれは忘れるべきではない、二十世紀の最初の半分は“代替する近代”概念に完全にフィットする二つの大きなプロジェクトにより刻印されれていたことを。すなわちファシズムとコミュニズムである。ファシズムの基本的な考え方は、標準的なアングロサクソンの自由主義-資本家への代替を提供する近代の考え方ではなかったであろうか。そしてそれは、“偶発的な”ユダヤ-個人主義-利益追求の歪みを取り除くことによって資本家の近代の核心を救うものだったのでは? そして1920 年代後半から三十年代にかけての、急速なソ連邦の工業化もまた西洋の資本家ヴァージョンとは異なった近代化の試みではなかっただろうか。(ジジェク『LESS THAN NOTHIN』2012 私訳)

ーーとあるように世界資本主義が危機に陥ったとき、ファシズム、コミュニズム、そしてケインズ主義がかつて起こった。

ここで、現在、西欧の先進諸国や日本でネオナチが猖獗しつつあるのは、ひょっとして世界資本主義の危機のせいではないか、と問いを発してみることもできる。そして黒田日銀の異次元金融緩和などのアベノミクスは復活したケインズ主義ではないか、と。

「どのような利子率であれ、それが永続きしそうだと十分に強い確信をもって受け入れられるならば、現に永続きする」のである。

 ケインズの洞察によれば、人々の生活態度には確固とした知識の裏付けなどない。「大衆が利子率の緩やかな変化に対してかなり急速に馴染んでいくことはあり得る」。そう考えれば、「少しは気も楽になろう」と言い切っている。

 『一般理論』は不況と失業という難病に取り組むための、知的な実験だった。黒田日銀の異次元緩和はデフレという難病の解消を目指すものだ。両者の発想と行動が似ていたとしても不思議はない。知の武器庫を活用するときだ。(大機小機)ケインズの洞察と黒田日銀 2013/5/29)

このように思いのほか、われわれの社会に起こる現象は、「経済」の影響の下にある。そして世界資本主義の危機などといわないまでも、日本の財政はとんでもない「危険水域」に突入しつつあることは間違いない。

「白川方明前日銀総裁が以前の講演で、財政悪化したときの回復方法について言及していた。増税と歳出削減による財政再建か、調整インフレ、デフォルトの3つしかないという。調整インフレやデフォルトを避けようとすれば、財政再建の道筋しかないのだが、働いても給与の手取りが増えず、社会保障サービスも低下するというきつい状態だ。こうなると人やマネーは日本から出て行ってしまうのではないか」(インタビュー:「危ない橋」渡る日銀、円の信認喪失も=上野泰也氏 | Reuters)

白川方明前日銀総裁の見解として、《増税と歳出削減による財政再建か、調整インフレ、デフォルトの3つしかない》とある。

これはジャック・アタリの『国家債務危機』の変奏としてよいだろう。アタリは、国家債務の解決策は8つ存在するとしている、《増税、歳出削減、経済成長、低金利、インフレ、戦争、外資導入、デフォルト》。

8つのうちの選択肢のなかに「戦争」とある。安倍政権の戦争への傾斜とも見られるものが、資本主義の危機のせいだとは断言しまい。だが次のように引用することはできる。

最初に言っておきたいことがあります。地震が起こり、原発災害が起こって以来、日本人が忘れてしまっていることがあります。今年の3月まで、一体何が語られていたのか。リーマンショック以後の世界資本主義の危機と、少子化高齢化による日本経済の避けがたい衰退、そして、低成長社会にどう生きるか、というようなことです。別に地震のせいで、日本経済がだめになったのではない。今後、近いうちに、世界経済の危機が必ず訪れる。それなのに、「地震からの復興とビジネスチャンス」とか言っている人たちがいる。また、「自然エネルギーへの移行」と言う人たちがいる。こういう考えの前提には、経済成長を維持し世界資本主義の中での競争を続けるという考えがあるわけです。しかし、そのように言う人たちは、少し前まで彼らが恐れていたはずのことを完全に没却している。もともと、世界経済の破綻が迫っていたのだし、まちがいなく、今後にそれが来ます。(柄谷行人[反原発デモが日本を変える])
……基軸商品の交替という観点から見ると、この次に、今までのようなヘゲモニー国家が生まれることはありそうもない。それよりも、資本主義経済そのものが終わってしまう可能性がある。中国やインドの農村人口の比率が日本並みになったら、資本主義は終る。もちろん、自動的に終るのではない。その前に、資本も国家も何としてでも存続しようとするだろう。つまり、世界戦争の危機がある。(柄谷行人「第四回長池講義 要綱 歴史と反復」
「現在は平時か。僕は戦時だと思っています。あなたが平時だと思うなら、反論してください。でないと議論はかみあわない」

安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈を変えようとしている。なりふりかまわぬ手法をどう見るか、そう尋ねた後だった。

 「十年一日のようにマスメディアも同じような記事を書いている。大した危機意識はないはずですよ。見ている限りね」(【時流自流】作家・辺見庸さん ファシズムの国2013.09.08

 ジャック・アタリに戻れば、彼の『国家債務危機』の「第5 債務危機の歴史から学ぶ12の教訓」には次のようにある。

1 公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである
2 公的債務は、経済成長に役立つことも、鈍化させることもある
3 市場は、主権者が公的債務のために発展させた金融手段を用いて、主権者に襲いかかる
4 貯蓄投資バランスと財政収支・貿易サービス収支は、密接に結びついている
5 主権者が、税収の伸び率よりも支出を増加させる傾向を是正しないかぎり、主権債務の増加は不可避となる
6 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る
7 債権者が債務者を支援しないと、債務者は債権者を支援しない
8 公的債務危機が切迫すると、政府は救いがたい楽観主義者となり、切り抜けることは可能だと考える
9 主権債務危機が勃発するのは、杓子定規な債務比率を超えた時よりも、市場の信頼が失われる時である
10 主権債務の解消には八つもの戦略があるが、常に採用される戦略はインフレである
11 過剰債務に陥った国のほとんどは、最終的にデフォルトする
12 責任感ある主権者であれば、経常費を借入によってまかなってはならない。また投資は、自らの返済能力の範囲に制限しなければならない

ここでしばしば議論に上がる《6 国内貯蓄によってまかなわれている公的債務であれば、耐え得る》については、小黒一正氏の2010916日に書かれた記事「「政府の借金は内国債だから問題ない」は本当か?」に簡明な分析がある。そして最後にこう書かれることになる。

国債発行は世代間格差を引き起こし、将来世代に過重な負担を押し付ける。したがって、「政府の借金の多くは内国債だから問題がない」というのは、間違いである。

すなわち、ジャック・アタリの《1 公的債務とは、親が子供に、相続放棄できない借金を負わせることである》に関わってくる。池尾和人氏も、2011年の段階で次のように発言している。

簡単に「政治家が悪い」という批判は責任ある態度だとは思いません。

 しかしながら事実問題として、政治がそういった役割から逃げている状態が続いたことが財政赤字の累積となっています。負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきたわけです。(経済再生 の鍵は 不確実性の解消 (池尾和人 大崎貞和)ーー野村総合研究所 金融ITイノベーション研究部2011ーー二十一世紀の歴史の退行と家族、あるいは社会保障)

 われわれがこの数十年来ーー超少子高齢化社会になることが周知になったあともーー、《負担の配分をしようとする時、今生きている人たちの間でしようとしても、い ろいろ文句が出て調整できないので、まだ生まれていない、だから文句も言えない将来世代に負担を押しつけることをやってきた》ということになる。


2014年12月6日土曜日

飛行機と猫と劇薬

小黒一正という比較的若い経済学者ーー1974年生まれで財務省出身ーーは、たぶん反リフレ派・反アベノミクスで、たとえばこんなことを言っている。

小黒一正 ‏@DeficitGamble

学生時代、「原爆落とされた日本は何でこんな勝ち目のない戦争を決断したんだろう」と思いましたが、戦前も無謀な戦争に突入するのを止めるのは難しかったんだろうな。財政の現状を見ると、本当にそう思います。
小黒一正 ‏@DeficitGamble

【歴史的文書】「(物価上昇の)しかも見通しも下がっている時に、放置できるということがあり得るのだろうか、私は金融政策運営者としてそれはできないというのが最大の理由です。それはマネタイゼーションへの懸念を越えて重要な問題だと思います」http://goo.gl/FE72DB

ーーこのように白井さゆり日銀審議委員の発言(2014.11.26)から、無謀な戦争への突入を読みと取っているわけだ。すなわちデフレマインド払拭という敵との熾烈な黒田日銀の闘い(マネタイゼーションへの懸念を越えても物価上昇2%の確約を死守しようとする態度)は、あまりにも無謀だと。

小黒氏は、オレがかつては「盲信」していた岩井克人にイチャモンつけたり、池田ノピーとつるんだりしているので、ちょっと気に入らないところがあるのだが、まあ許してやろう、世代間格差の改善を目指す「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」のおそらく創立時からのメンバーでもあるようだし。

◆「ワカモノ・マニフェストYouth Policy 2009ー世代間格差の克服と持続可能な社会を目指してー」より


これは2012年の経済社会綜合研究所による「社会保障を通じた世代別の受益と負担」にも次ぎのような図表がある。


さて小黒氏の岩井克人へのイチャモンの話に戻ろう。

‏@DeficitGamble問題の本質は金融政策の出口戦略(http://goo.gl/LeC9Fq )で、「経済学は人間の心理の変化が経済活動にどのくらい影響を及ぼすのか解明しきれていない」→「期待は経済の本質」岩井克人・国際基督教大客員教授:日本経済新聞 http://s.nikkei.com/ZN3AkJ

で、岩井克人は、「出口戦略」についてどう考えてんだろう? まだまだ大丈夫っていう感じのようなこと言ってんだけど、ダイジョウブなんだろうか、岩井さんよ。

《今の状況では、物価が本当に2%に近づくと(出口戦略を検討すべきだが無理であるため)日銀はにっちもさっちもいかなくなる。英語で言う『catch 22』(動きの取れないジレンマを示す)という状況だ》(インタビュー:基礎的財政収支黒字は反故に=富士通総研・早川英男(元日銀理事) 2014年 11月 27日)などとあるが。

黒田さんはこんな具合だ。

黒田東彦日銀総裁は、12日午後の衆院財務金融委員会で「追加金融緩和で『出口』が困難になるとは考えていない」と述べ、2%物価目標を達成した後に金融政策を正常化する「出口戦略」の過程で金融市場が混乱しかねないとの見方を否定した。  財政健全化については「持続可能な財政構造を確立する取り組みを着実に進めるよう(政府に)期待している」と述べた。いずれも武正公一氏(民主)への答弁。(「出口」困難にならず=追加緩和で-黒田日銀総裁 2014/11/12
出口戦略を議論するのは時期尚早。 出口議論は当然内部でやっているが外で話すのは適当でない。(黒田日銀総裁 出口戦略は当然内部でやっている :2014/10/28 )

まあもともと「失われた20年」をなんとかしようというので、アベノミクスーー名前が悪いがねーーの博打を始めたはずだから(デフレを脱却できないのは白川日銀がもたもたしていたからだという具合で)、あのままだと「失われた40年」になりかねなかったわけで、いまさら博打をやめようってのは、どうなんだろう? やれるとこまでやったらいいじゃん。資金は国民や企業の貯蓄でそれなりに潤沢にあるのだし。彼らがマジメすぎて博打やらないタイプだから、日銀がかわりにやってんだよ。日銀のボスからギャンブラーが出るなんて、いままでの日本では考えられなかったじゃん。

アベノミクスが失敗したらそうそうに財政破綻して、老人がたくさん死んで、起死回生の日本復活になるかもしれないしな。これはオレが言ってるのじゃなくて、エライ先生が言ってんだからな→ 「高齢化社会対策の劇薬

・意外に悪影響の少ない劇薬?
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず?
・むしろ究極の財政再建策として検討すべき?


そしてこの「冷徹な」メンバーの方々はロシアの財政崩壊をも研究されている。

いささか不謹慎な話題かもしれませんが・・・。――旧ソ連が崩壊し、ロシアでは、それまで全国民に医療サービスを政府が提供する体制が実質的に崩壊しました。また、ソ連崩壊後の時期に死亡率が急上昇しました。……[送り状(2)]http://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/research/zaisei/ScenarioCrisis2904pdf.pdf

以下、オフレコらしいが、10歳近く平均寿命が落ちたのが、ソ連崩壊後の現象であり、劇薬とはそういうことじゃないか(そして逆に、若く元気出機敏な働き手は、戦後インフレ期などの小説を読むと(たとえば坂口安吾)、ボロ儲けできる場合もあるようだ)。

今まで一度も引用したことのない池田ノピーも劇薬次いでに引用すればこういうことだ。

どっちにしても、大増税は避けられない。増税しなければ財政が崩壊して、公共サービスも年金給付も生活保護も止まり、餓死する人が出るだろう。イギリスが政府債務の圧縮のために緊縮財政をしき、公共投資を大幅に削減したことが、その社会インフラが貧しくなった原因だ、とピケティは指摘している。(1000兆円の借金を返す方法

アベノミクスの博打成功率がどの程度なのかは知るところではないが、どうせ20年後には財政崩壊するに決まってだんだから(?) 10~20%の成功率はあるかもしれない(?)ギャンブル不首尾の場合、財政崩壊=劇薬を飲む時期が早まっただけだよ。ザンネンだな、池田ノピーさんたちの高齢者予備軍経済学者は逃げ切れなくて、--《われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれない》(池尾和人)のは「杞憂」だったんだよ、やっぱり彼らもともに美味で刺激的な劇薬飲まなくちゃ。

そもそも岩井克人に言わせれば、アベノミクスの真の狙いは、《お年寄りから若い世代への所得移転を促すこと》なのだから、高齢者予備軍の経済学者たちの大半は嫌うはずさ。

山口 人為的に流通量を拡大してお金の価値を希薄化させる権限を、時の権力はあまり 行使すべきではない、と考えています。たとえば、貨幣のモラルという観点でも、お年寄り が大事に抱えてきた現金の価値を希薄化させることは問題がありそうで、非常に判断が難 しいとの思うのですが、その点はいかがでしょうか?

岩井 アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあると いうのは正しい。そして、わたしはすでに年寄り世代ですが、それは望ましいことだと考え ています。 (お金とは実体が存在しない最も純粋な投機である ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【前編】)

いずれにせよ、次ぎの元日銀副総裁の武藤敏郎氏ーー2度総裁になりそこなったーーが取り仕切る「国家の大計」の記述は間違いないのだろう。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013 より)

そしてこれは決して選挙では解決できない。シルバーデモクラシーのせいで(日本を抑え込む「シルバー民主主義」―― 日本が変われない本当の理由(アレクサンドラ・ハーニー))、あるいはブキャナンの指摘にもあるように。

ジェームス・ブキャナンは「民主政国家は債務の膨張を止めることはできない」という論理的な帰結を1960年代に導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡大するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。(橘玲『(日本人)』)

まあ経済学者というのはいろんなことを言うもので、財政制度等審議会会長かつ東京大学大学院経済学研究科長・東京大学経済学部長吉川洋氏などは、クルーグマンや岩井克人の言ってること(「期待は経済の本質」)、あるいは黒田日銀のやっていることを「オカルト」って言ってるようなもんだからな。

――日銀の岩田副総裁は6月の講演で「足し算エコノミスト」批判をしました。たとえばガソリンが値上がりしたら、消費者はほかのモノを買い控えて値下がりにつながる。品目の積み上げではなく、マクロ経済で考えるべきだという主張です。円安による輸入物価の上昇が1年たって薄まるとの指摘にも備えたものとの指摘があります。いずれにしてもマネーの量やそれが生み出す期待が大事で、物価はすべて日銀の責任だという考えが根底にあるようです。

 「私は反対だ。マクロ経済学はこの40年でずいぶん変わって、名目の支出はマネーで決まるというマネタリズムが優勢になっている。岩田さんの考えは主流派的な考えだ。Aという財の価格が上がれば、Aの支出は減らすかもしれないが、その分はBという消費に移るだろうと。頭を全部抑えているのは名目支出で、それは名目マネーで決まっている。この考えは、私はオカルトだと思う。物価は足し算だ」(「物価は足し算だ」 吉川洋・東京大学教授  インタビュー 2014/10/25


ここで「パネル・ディスカッション「財政健全化の方向性」――予算委員会調査室」 (201311)における小倉一正氏の発言を挿入しておこう。彼の財政状況への認識の語り口が面白い。

財政の状況はどうなのかといいますと、少し極論になりますが、今の財政状況というのは、収入と歳出を比べて持続するということはあり得ない。したがって、財政の論理だけを考えれば、歳出を抑制する、増税をする、経済成長をする、この3つを同時にやっていくことが必要であることは間違いないということです。

そのときに、全部歳出カットで対応できるかというと、当然無理ということになりますので、何らかの対応をしなければいけないわけです。一時期「ゆでガエル」理論というのがあったと思いますが、今はもうそうではないと考えています。飛行機が空を飛んでいるけれども燃料が切れかかっている、着陸しようと思っても車輪が一部壊れていてどっちを選択するかという状態になっているのかなと思います。

この《飛行機が空を飛んでいるけれども燃料が切れかかっている、着陸しようと思っても車輪が一部壊れていてどっちを選択するかという状態になっている》とはジジェクのトムとジェリーの比喩を思い出させる。

たとえばニュートンの有名なリンゴは重力の法則を知っていたから落ちたのだ、などという言い方は馬鹿げているとしか思われない。しかしながら、仮にそうした言い方がただの無内容な洒落だったとしても、われわれは、そうした発想がどうしてこれほど頻繁にコミックスやアニメの中に登場するのか、という疑問をもたねばならない。猫が、前方に断崖があるのも知らず、必死にネズミを追いかけている。ところが、足元の大地が消え去った後もなお、猫は落下せずにネズミを追いかけ続ける。猫が下を見て、自分が空中に浮かんでいることを見た瞬間、猫は落ちる。猫が下を見て、自分が空中に浮んでいることを見た瞬間、猫は落ちる。まるで<現実界>が一瞬、どの法則に従うべきかを忘れたかのようだ。猫が下を見た瞬間、<現実界>はその法則を「思い出し」、それにしたがって行動する。こうした場面が繰り返し作られるのは、それらがある種の初歩的な幻想のシナリオに支えられているからにちがいない。この推量をさらに一歩すすめるならば、フロイトが『夢判断』の中で挙げている、自分が死んだことを知らない父親という有名な夢の例にも、これと同じパラドックスが見出される。アニメの猫が、自分の足の下に大地がないことを知らないがゆえに走り続けるのと同じように、その父親は、自分が死んだことを知らないがゆえに今なお生きているのである。三つ目の例を挙げよう。それはエルバ島におけるナポレオンだ。歴史的には彼はすでに死んでいた(すなわち彼の出る幕は閉じ、彼の役割は終わっていた)が、自分の死に気づいていないことによって彼はまだ生きていた(まだ歴史の舞台から下りていなかった)。だからこそ彼はワーテルローで再び敗北し、「二度死ぬ」はめになったのである。ある種の国家あるいはイデオロギー装置に関して、われわれはしばしばそれと同じような感じを抱く。すなわち、それらは明らかに時代錯誤的であるのに、そのことを知らないためにしぶとく生き残る。誰かが、この不愉快な事実をそれらに思い出させるという無礼な義務を引き受けなくてはならないのだ。(ジジェク『 斜めから見る』p89-90)

ジジェク次いでに、日本のサヨクやらリベラルのチトー症候群とでもいうべき現象があるので、次の文も引用しておこう。チトー症候群とは、次のような赤旗のマニフェストに代表される。(「消費税にたよらない別の道」――日本共産党の財源提案 2014年11月26日

……いくつかの公文書や回想録によると、1970年代半ば、チトー(ユーゴスラヴィアの大統領)は、チトーの側近たちはユーゴスラヴィアの経済が壊滅的であることを知っていた。しかし、チトーに死期が迫っていたため、側近たちはかたらって危険の勃発をチトーの死後まで先延ばしにすることに決めた。その結果、チトーの晩年には外国からの借款が休息に膨れ上がり、ユーゴスラヴィアは、ヒッチコックの『サイコ』に出てくる裕福な銀行家の言葉を借りれば、金の力で不幸を遠ざけていた。1980年にチトーが死ぬと、ついに破滅的な経済危機が勃発し、生活水準は40パーセントも下落し、民族間の緊張が高まり、そして民族間紛争がとうとう国を滅ぼした。適切に危機に対処すべきタイミングを逃したせいだ。ユーゴスラヴィアにとって命取りとなったのは、指導者に何も知らせず、幸せなまま死なせようという側近たちの決断だったといってもいい。

これこそが究極の「文化」ではなかろうか。文化の基本的規則のひとつは、いつ、いかにして、知らない(気づかない)ふりをし、起きたことがあたかも起きなかったかのように行動し続けるべきかを知ることである。私のそばにいる人がたまたま不愉快な騒音を立てたとき、私がとるべき正しい対応は無視することであって、「わざとやったんじゃないってことはわかっているから、心配しなくていいよ、全然大したことじゃないんだから」などと言って慰めることではない。……(文化が科学に敵対するのはこの理由による。科学は知への容赦ない欲動に支えられているが、文化とは知らない/気づいていないふりをすることである)。

この意味で、見かけに対する極端な感受性をもつ日本人こそが、ラカンのいう〈大文字の他者〉の国民である。日本人は、他のどの国民よりも、仮面のほうが仮面の下の現実よりも多くの真理を含むことをよく知っている。(ジジェク『ラカンはこう読め』「日本語版への序文」)

…………

というわけで、オレは博打継続派なんだけど、劇薬派であるかどうかは自ら知るところではない、--のはどうでもよろしい。

ああ、ソウダ、ソウダ、--想田和弘っていう庶民的正義の味方の映像作家がいるのだけれど、彼の専門の仕事は別にして、こいつ真から経済音痴のマヌケじゃないか? なんでこんなヤツがインテリぶって説教たれてんだろう? 完璧チトー症候群だぜ→ 「「GDP解散」で僕が深いため息をつく理由


まあ日本の経済学者の分析が自らの痛みの問題ーーインフレによる貯蓄目減りや消費税負担、社会保障費削減の怖れなどーーで信用できないのなら、たとえば海外のこういった分析ぐらいはせめて読んでおいたほうがいいぜ。

(財政は持続可能か)消費税率、53%の可能性も  R・アントン・ブラウン アトランタ連銀上級政策顧問


※ここでは「アベノミクスによる税収増と国債利払い増」の懸念ついては敢えて触れなかったが、これはリフレ派・反リフレ派に限らず、殆んどの経済学者が憂慮することであり、アベノミクスの博打の大きな側面である。そして「出口戦略」と言われるものに大きく関わる。