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2014年12月11日木曜日

財政赤字への総力戦(ゲッベルス待望論)

財政破綻を回避するために画策する「正義の味方」、一部の経済学者の過激な主張のホンネとしての施策はなにか。

2017年より毎年消費税を2%あげ、20~25%になるまで上げつつけよ!
それと同時に社会保障費を3割から5割カットせよ!
年金だと? 米国やイギリスを見よ、67~68歳からの支給としたではないか!
わが国は平均寿命がかの国よりも高いではないか!
オーストラリアを見よ、70歳からとしたではないか!
70歳から支給とするのが当然である!
われわれはすぐれた政治家の決断を待望する!
民主主義だと? シルバーデモクラシーの国、
若者の政治無関心の国においていまさらなにを言うつもりか
ファシストの決断者が必要である!


ーーというわけで、オレの偏った頭で理解したのはこういうことなんだな。オレに文句いうなよな


◆武藤敏郎(元日銀副総裁)

武藤 たとえば年金の支給開始年齢を69歳まで引き上げる。世界をみても2030年くらいに向けて67,68歳に上げていくという流れになっている。日本は高齢化のフロントランナーです。平均寿命も健康寿命も最も高い国の一つだ。

 政府は、受給開始年齢を2030年度までに順次65歳まで引き上げることを決めていますが、このペースを早めたうえで、2025年度以降、2年に1歳のペースで69歳まで引き上げるという案です。

 70歳以上の高齢者医療の自己負担は現在、政治的な配慮もあって1割になっていますが、これを75歳以上も含めて2割に上げたらどうかと考えた。さらに安価なジェネリック薬品の普及を一段と押しすすめる、などです。消費税も2020年代を通じて20%程度まで引き上げる。私たちはこれを「改革シナリオ」と呼んでいるのです。

 ところがこれでも国家財政の収支を計算してみると、財政のプライマリーバランス(基礎的収支)は均衡しない。年々の赤字は縮小するが、赤字は出続ける。債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのままほぼ横ばいになる。(2013年9月12日 「中福祉・中負担は幻想」 武藤敏郎氏

現在500兆円のGDPが仮に年率2%づつ上昇したとしよう。すると10年後には約600兆円となる(より正確には複利計算で620兆円ほど)。上に書かれてあるように、消費税20%、そして社会保障費大幅削減の改革をしても、《債務残高の対GDP(国内総生産)比率は250%あたりのまま》とある。これは武藤氏が取り仕切った大和総研のシミュレーションに詳しい→ 「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013)。

ところで、600兆円の250%の債務残高は、1500兆円である。国債の利子率は、現在、黒田日銀の異次元緩和によって、コンマ何パーセントかのひどく低い比率に抑えられているが、いずれ出口戦略の時期が来る。その後、経済成長率並の2%に利子率に徐々に上昇していくはずだ。あるいは日本国債の信用低下により、たとえばイタリア国債並の4%になったとしよう。

そのとき、1500兆円の金利払いは、2%の場合30兆円、4%の場合60兆円になってしまう。2013年度の税収総額(消費税8%込み)は約50兆円強と予想されている(バブル最盛期の税収は60兆円ほど)。債務利子率4%の場合、金利払いだけで、今年度の税収総額以上の額になってしまうことになる(参照:金利上昇がもたらす、悪夢のシナリオ 野口悠紀雄)。

※ここで念押ししておけば、巷間に流通する、経済成長により税収大幅増が見込めるという、たとえば「税収弾性値」を甘く見積もった計画は幻想である。→参照:「正しい心を抱いて邪な行為をする

◆小黒一正(元財務官僚)

小黒氏によると、OECD加盟国33カ国のうち、支給開始年齢(引き上げ予定を含む)が日本と同じ65歳の国は16カ国。日本よりも高い国は、67歳開始のアメリカ、ドイツ、68歳開始のイギリス、アイルランドなど13カ国。しかし、どの国の平均寿命も日本より短い。さらに、日本の高齢化は今後、加速度を増す。(公的年金:68歳支給&3割カットで最大4000万減

◆深尾光洋(日銀出身、元日本経済研究センター理事長)

日本の財政破綻のシナリオがイメージ……。概略、次のようなシナリオである。

(1)選挙民を恐れる政治家が増税を先延ばし続けて政府の累積赤字が拡大する。この結果、金利上昇による利払い負担増加のリスクが蓄積されていく。

(2) 日本の金融資産の大部分を保有する 50 歳以上の高齢者層も、 政府に対する信頼を徐々になくし、円から不動産、株式、外貨、金等に資金を移動し始める。

(3)長期国債価格が下落し、長期金利が上昇を始める。

(4)新規発行や借り換え国債の利払い負担増加に直面した政府が、発行国債の満期構成を短縮し、主に短期国債で赤字をファイナンスするようになる。日銀がゼロ金利政策を続けている間は、 政府の利払い負担は増加せず、 財政破綻を先延ばしできる。 しかし同時に、国債の満期構成の短期化は、将来の短期金利の上昇で、政府の利払いが急増するリスクを増大させる。

(5)政府の財政悪化に伴い、上記(2)の資金シフトが加速する。特に高齢化に伴う貯蓄率の低下や財政赤字の拡大によって経常収支が赤字化すると、大幅な円安になるリスクが高まる。実際に円安、株高が発生すれば、景気にはプラスとなりバブル的な景気回復を達成する可能性もある。そうなればインフレ率も上昇し始める。景気回復は税収を増大させ、財政赤字を減少させる。この時点で大幅な増税と赤字の削減が出来れば、財政破綻は避けられる可能性がある。

=>この場合、政府はタイミングの良い増税で健全化を達成できる。

しかし政府が増税に躊躇すると、以下のシナリオに突入する。

(6)日銀はインフレ率の上昇に対して金利引き上げによる金融引き締めを行うが、これで政府の利払いが爆発的に増大し、政府の信用が急激に低下する。

(7)政府が日銀の金融政策に介入して、低金利を強制したり、国債の買い取りを強制したりすれば、インフレがさらに加速し、国債価格は暴落する。

(8)金利の急激な上昇で長期国債を大量に保有する銀行が、巨額の損失を被り、政府に資金援助を要請する。

(9)政府が日銀に国債の低利引き受けを強制する場合には、政府は利払い増加による政府債務の急増を避けることが出来る。この場合は、敗戦直後のインフレ期と同様に、政府債務を大幅に引き下げることが可能で、政府は財政バランスの回復に成功する。しかし、所得分配の上では、預金や国債、生命保険、個人年金などの金融資産を保有する人々が、その実質価値の喪失で巨額の損失を被る。

=>この場合、政府はインフレタックスにより財政を健全化できる。しかし金融資産の実質価値の大幅低下により、生活資金に困る多数の人々を生み出す。(日本の財政破綻シナリオーー「日本の財政赤字の維持可能性」より 深尾光洋)

要するにヨーゼフ・ゲッベルスみたいな人材が必要なんじゃないかい? で無理にきまってんだから、だったら「究極の財政再建策ハイパー・インフレーション」ってことだよ

さあて、オレはもう「経済」の話はやめるぜ






◆”Slavoj Zizek and Glyn Daly”(邦訳名『ジジェク自身によるジジェク』)からだが、手元に訳本がないので、私訳。

……もっと一般的に言えば、すべての政治は、あるレベルの享楽の経済に頼っているし、さらにそれを巧みに操ることにある。私にとって、享楽の最もはっきりした例は、1943年のゲッペルスの演説である。――すなわちいわゆる総力戦Totalkrieg演説だ。スターリングラードでの敗北後、ゲッペルスは総力戦を求める演説をベルリンでやった。すなわち、通常の生活の残り物をすべて捨て去ろう!、全動員を導入しよう!、というものだ。そして、あなたはこの有名なシーンを知っているだろう、ゲッペルスは二万人のドイツ人群衆にレトリカルな問いかけをするあのシーンだ。彼は聴衆に問う、あなたがたはさらにもっと働きたいか、もし必要なら一日16時間から18時間?そして人びとは叫ぶ、「Ja!」。彼はあなたがたはすべての劇場と高級レストランを閉じたいか、と問う。人々は再び叫ぶ、「Ja!」

そして同様の問いーーそれらはすべて、快楽を放棄し、よりいっそうの困苦に耐えることをめぐっているーーが連続してなされたあと、彼は最後に殆どカント的な問いかけをする、カント的、すなわち表象不可能の崇高さを喚起するという意味だ。ゲッペルスは問う、「あなたがたは総力戦を欲するか? その戦争はあまりにも全体的なので、あなたがたは今、どのような戦争になるかと想像さえできないだろう、そんな戦争を?」 そして狂信的なエクスタシーの叫びが群衆から湧き起こる、「Ja!、 Ja!、 Ja!」ここには、政治的カテゴリーとしての純粋な享楽があると私は思う。完全にはっきりしている。まぎれもなく、人びとの顔に浮かんだ劇的な表情、それは、人びとにすべての通常の快楽を放棄することを要求するこの命令は、それ自体が享楽を提供しているのだ。これが享楽というものである。(ジジェク)

ゲッペルスでなくても、ハイデガー並の哲学者が出てきたらいいんだが、日本にはまったくいそうもないからな。

ドイツの教職員諸君、ドイツ民族共同体の同胞諸君。 ドイツ民族はいま、党首に一票を投じるように呼びかけられている。ただ し党首は民族から何かをもらおうとしているのではない。そうではなくてむしろ、民族の全体がその本来の在りようをしたいと願うか、それともそうしたいと思わないのかという至高の決断をおのがじし下すことのできる直接の機会を、民族に与えてくれているのである。民族が明日選びとろうとしているのは他でもない、自分自身の未来なのである。 (「アドルフ・ヒットラ~と国家社会主義体制を支持する演説」1933年)

これは、深遠な形而上学がどのような政治とつながるかを端的に示している。ハイデッガーにとっては、指導者を「選ぶ」といった自由主義的原理そのものが否定されなければならないのであり、真の「自由」は喝采によって決断を表明することにある。そのときのみ、「民族の全体」の「本来の在り様」としての真理があらわれる、というのである。表象representationとしての真理観を否定することは、議会(=代表制representation)を否定することに導かれる。(柄谷行人『終焉をめぐって』p167)