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2014年12月6日土曜日

飛行機と猫と劇薬

小黒一正という比較的若い経済学者ーー1974年生まれで財務省出身ーーは、たぶん反リフレ派・反アベノミクスで、たとえばこんなことを言っている。

小黒一正 ‏@DeficitGamble

学生時代、「原爆落とされた日本は何でこんな勝ち目のない戦争を決断したんだろう」と思いましたが、戦前も無謀な戦争に突入するのを止めるのは難しかったんだろうな。財政の現状を見ると、本当にそう思います。
小黒一正 ‏@DeficitGamble

【歴史的文書】「(物価上昇の)しかも見通しも下がっている時に、放置できるということがあり得るのだろうか、私は金融政策運営者としてそれはできないというのが最大の理由です。それはマネタイゼーションへの懸念を越えて重要な問題だと思います」http://goo.gl/FE72DB

ーーこのように白井さゆり日銀審議委員の発言(2014.11.26)から、無謀な戦争への突入を読みと取っているわけだ。すなわちデフレマインド払拭という敵との熾烈な黒田日銀の闘い(マネタイゼーションへの懸念を越えても物価上昇2%の確約を死守しようとする態度)は、あまりにも無謀だと。

小黒氏は、オレがかつては「盲信」していた岩井克人にイチャモンつけたり、池田ノピーとつるんだりしているので、ちょっと気に入らないところがあるのだが、まあ許してやろう、世代間格差の改善を目指す「ワカモノ・マニフェスト策定委員会」のおそらく創立時からのメンバーでもあるようだし。

◆「ワカモノ・マニフェストYouth Policy 2009ー世代間格差の克服と持続可能な社会を目指してー」より


これは2012年の経済社会綜合研究所による「社会保障を通じた世代別の受益と負担」にも次ぎのような図表がある。


さて小黒氏の岩井克人へのイチャモンの話に戻ろう。

‏@DeficitGamble問題の本質は金融政策の出口戦略(http://goo.gl/LeC9Fq )で、「経済学は人間の心理の変化が経済活動にどのくらい影響を及ぼすのか解明しきれていない」→「期待は経済の本質」岩井克人・国際基督教大客員教授:日本経済新聞 http://s.nikkei.com/ZN3AkJ

で、岩井克人は、「出口戦略」についてどう考えてんだろう? まだまだ大丈夫っていう感じのようなこと言ってんだけど、ダイジョウブなんだろうか、岩井さんよ。

《今の状況では、物価が本当に2%に近づくと(出口戦略を検討すべきだが無理であるため)日銀はにっちもさっちもいかなくなる。英語で言う『catch 22』(動きの取れないジレンマを示す)という状況だ》(インタビュー:基礎的財政収支黒字は反故に=富士通総研・早川英男(元日銀理事) 2014年 11月 27日)などとあるが。

黒田さんはこんな具合だ。

黒田東彦日銀総裁は、12日午後の衆院財務金融委員会で「追加金融緩和で『出口』が困難になるとは考えていない」と述べ、2%物価目標を達成した後に金融政策を正常化する「出口戦略」の過程で金融市場が混乱しかねないとの見方を否定した。  財政健全化については「持続可能な財政構造を確立する取り組みを着実に進めるよう(政府に)期待している」と述べた。いずれも武正公一氏(民主)への答弁。(「出口」困難にならず=追加緩和で-黒田日銀総裁 2014/11/12
出口戦略を議論するのは時期尚早。 出口議論は当然内部でやっているが外で話すのは適当でない。(黒田日銀総裁 出口戦略は当然内部でやっている :2014/10/28 )

まあもともと「失われた20年」をなんとかしようというので、アベノミクスーー名前が悪いがねーーの博打を始めたはずだから(デフレを脱却できないのは白川日銀がもたもたしていたからだという具合で)、あのままだと「失われた40年」になりかねなかったわけで、いまさら博打をやめようってのは、どうなんだろう? やれるとこまでやったらいいじゃん。資金は国民や企業の貯蓄でそれなりに潤沢にあるのだし。彼らがマジメすぎて博打やらないタイプだから、日銀がかわりにやってんだよ。日銀のボスからギャンブラーが出るなんて、いままでの日本では考えられなかったじゃん。

アベノミクスが失敗したらそうそうに財政破綻して、老人がたくさん死んで、起死回生の日本復活になるかもしれないしな。これはオレが言ってるのじゃなくて、エライ先生が言ってんだからな→ 「高齢化社会対策の劇薬

・意外に悪影響の少ない劇薬?
・日本への教訓 – ハイパーインフレ恐るるに足らず?
・むしろ究極の財政再建策として検討すべき?


そしてこの「冷徹な」メンバーの方々はロシアの財政崩壊をも研究されている。

いささか不謹慎な話題かもしれませんが・・・。――旧ソ連が崩壊し、ロシアでは、それまで全国民に医療サービスを政府が提供する体制が実質的に崩壊しました。また、ソ連崩壊後の時期に死亡率が急上昇しました。……[送り状(2)]http://www.carf.e.u-tokyo.ac.jp/research/zaisei/ScenarioCrisis2904pdf.pdf

以下、オフレコらしいが、10歳近く平均寿命が落ちたのが、ソ連崩壊後の現象であり、劇薬とはそういうことじゃないか(そして逆に、若く元気出機敏な働き手は、戦後インフレ期などの小説を読むと(たとえば坂口安吾)、ボロ儲けできる場合もあるようだ)。

今まで一度も引用したことのない池田ノピーも劇薬次いでに引用すればこういうことだ。

どっちにしても、大増税は避けられない。増税しなければ財政が崩壊して、公共サービスも年金給付も生活保護も止まり、餓死する人が出るだろう。イギリスが政府債務の圧縮のために緊縮財政をしき、公共投資を大幅に削減したことが、その社会インフラが貧しくなった原因だ、とピケティは指摘している。(1000兆円の借金を返す方法

アベノミクスの博打成功率がどの程度なのかは知るところではないが、どうせ20年後には財政崩壊するに決まってだんだから(?) 10~20%の成功率はあるかもしれない(?)ギャンブル不首尾の場合、財政崩壊=劇薬を飲む時期が早まっただけだよ。ザンネンだな、池田ノピーさんたちの高齢者予備軍経済学者は逃げ切れなくて、--《われわれの世代は、もしかすると「逃げ切れる」かもしれない》(池尾和人)のは「杞憂」だったんだよ、やっぱり彼らもともに美味で刺激的な劇薬飲まなくちゃ。

そもそも岩井克人に言わせれば、アベノミクスの真の狙いは、《お年寄りから若い世代への所得移転を促すこと》なのだから、高齢者予備軍の経済学者たちの大半は嫌うはずさ。

山口 人為的に流通量を拡大してお金の価値を希薄化させる権限を、時の権力はあまり 行使すべきではない、と考えています。たとえば、貨幣のモラルという観点でも、お年寄り が大事に抱えてきた現金の価値を希薄化させることは問題がありそうで、非常に判断が難 しいとの思うのですが、その点はいかがでしょうか?

岩井 アベノミクスの真の狙いが、お年寄りから若い世代への所得移転を促すことにあると いうのは正しい。そして、わたしはすでに年寄り世代ですが、それは望ましいことだと考え ています。 (お金とは実体が存在しない最も純粋な投機である ゲスト:岩井克人・東京大学名誉教授【前編】)

いずれにせよ、次ぎの元日銀副総裁の武藤敏郎氏ーー2度総裁になりそこなったーーが取り仕切る「国家の大計」の記述は間違いないのだろう。

日本の財政は、世界一の超高齢社会の運営をしていくにあたり、極めて低い国民負担率と潤沢な引退層向け社会保障給付という点で最大の問題を抱えてしまっている。つまり、困窮した現役層への移転支出や将来への投資ではなく、引退層への資金移転のために財政赤字が大きいという特徴を有している。(「DIR30年プロジェクト「超高齢日本の30年展望」」(大和総研2013 より)

そしてこれは決して選挙では解決できない。シルバーデモクラシーのせいで(日本を抑え込む「シルバー民主主義」―― 日本が変われない本当の理由(アレクサンドラ・ハーニー))、あるいはブキャナンの指摘にもあるように。

ジェームス・ブキャナンは「民主政国家は債務の膨張を止めることはできない」という論理的な帰結を1960年代に導き出した。政治家は当選のために有権者にお金をばらまこうとし、官僚は権限を拡大するために予算を求め、有権者は投票と引き換えに実利を要求するからだ。(橘玲『(日本人)』)

まあ経済学者というのはいろんなことを言うもので、財政制度等審議会会長かつ東京大学大学院経済学研究科長・東京大学経済学部長吉川洋氏などは、クルーグマンや岩井克人の言ってること(「期待は経済の本質」)、あるいは黒田日銀のやっていることを「オカルト」って言ってるようなもんだからな。

――日銀の岩田副総裁は6月の講演で「足し算エコノミスト」批判をしました。たとえばガソリンが値上がりしたら、消費者はほかのモノを買い控えて値下がりにつながる。品目の積み上げではなく、マクロ経済で考えるべきだという主張です。円安による輸入物価の上昇が1年たって薄まるとの指摘にも備えたものとの指摘があります。いずれにしてもマネーの量やそれが生み出す期待が大事で、物価はすべて日銀の責任だという考えが根底にあるようです。

 「私は反対だ。マクロ経済学はこの40年でずいぶん変わって、名目の支出はマネーで決まるというマネタリズムが優勢になっている。岩田さんの考えは主流派的な考えだ。Aという財の価格が上がれば、Aの支出は減らすかもしれないが、その分はBという消費に移るだろうと。頭を全部抑えているのは名目支出で、それは名目マネーで決まっている。この考えは、私はオカルトだと思う。物価は足し算だ」(「物価は足し算だ」 吉川洋・東京大学教授  インタビュー 2014/10/25


ここで「パネル・ディスカッション「財政健全化の方向性」――予算委員会調査室」 (201311)における小倉一正氏の発言を挿入しておこう。彼の財政状況への認識の語り口が面白い。

財政の状況はどうなのかといいますと、少し極論になりますが、今の財政状況というのは、収入と歳出を比べて持続するということはあり得ない。したがって、財政の論理だけを考えれば、歳出を抑制する、増税をする、経済成長をする、この3つを同時にやっていくことが必要であることは間違いないということです。

そのときに、全部歳出カットで対応できるかというと、当然無理ということになりますので、何らかの対応をしなければいけないわけです。一時期「ゆでガエル」理論というのがあったと思いますが、今はもうそうではないと考えています。飛行機が空を飛んでいるけれども燃料が切れかかっている、着陸しようと思っても車輪が一部壊れていてどっちを選択するかという状態になっているのかなと思います。

この《飛行機が空を飛んでいるけれども燃料が切れかかっている、着陸しようと思っても車輪が一部壊れていてどっちを選択するかという状態になっている》とはジジェクのトムとジェリーの比喩を思い出させる。

たとえばニュートンの有名なリンゴは重力の法則を知っていたから落ちたのだ、などという言い方は馬鹿げているとしか思われない。しかしながら、仮にそうした言い方がただの無内容な洒落だったとしても、われわれは、そうした発想がどうしてこれほど頻繁にコミックスやアニメの中に登場するのか、という疑問をもたねばならない。猫が、前方に断崖があるのも知らず、必死にネズミを追いかけている。ところが、足元の大地が消え去った後もなお、猫は落下せずにネズミを追いかけ続ける。猫が下を見て、自分が空中に浮かんでいることを見た瞬間、猫は落ちる。猫が下を見て、自分が空中に浮んでいることを見た瞬間、猫は落ちる。まるで<現実界>が一瞬、どの法則に従うべきかを忘れたかのようだ。猫が下を見た瞬間、<現実界>はその法則を「思い出し」、それにしたがって行動する。こうした場面が繰り返し作られるのは、それらがある種の初歩的な幻想のシナリオに支えられているからにちがいない。この推量をさらに一歩すすめるならば、フロイトが『夢判断』の中で挙げている、自分が死んだことを知らない父親という有名な夢の例にも、これと同じパラドックスが見出される。アニメの猫が、自分の足の下に大地がないことを知らないがゆえに走り続けるのと同じように、その父親は、自分が死んだことを知らないがゆえに今なお生きているのである。三つ目の例を挙げよう。それはエルバ島におけるナポレオンだ。歴史的には彼はすでに死んでいた(すなわち彼の出る幕は閉じ、彼の役割は終わっていた)が、自分の死に気づいていないことによって彼はまだ生きていた(まだ歴史の舞台から下りていなかった)。だからこそ彼はワーテルローで再び敗北し、「二度死ぬ」はめになったのである。ある種の国家あるいはイデオロギー装置に関して、われわれはしばしばそれと同じような感じを抱く。すなわち、それらは明らかに時代錯誤的であるのに、そのことを知らないためにしぶとく生き残る。誰かが、この不愉快な事実をそれらに思い出させるという無礼な義務を引き受けなくてはならないのだ。(ジジェク『 斜めから見る』p89-90)

ジジェク次いでに、日本のサヨクやらリベラルのチトー症候群とでもいうべき現象があるので、次の文も引用しておこう。チトー症候群とは、次のような赤旗のマニフェストに代表される。(「消費税にたよらない別の道」――日本共産党の財源提案 2014年11月26日

……いくつかの公文書や回想録によると、1970年代半ば、チトー(ユーゴスラヴィアの大統領)は、チトーの側近たちはユーゴスラヴィアの経済が壊滅的であることを知っていた。しかし、チトーに死期が迫っていたため、側近たちはかたらって危険の勃発をチトーの死後まで先延ばしにすることに決めた。その結果、チトーの晩年には外国からの借款が休息に膨れ上がり、ユーゴスラヴィアは、ヒッチコックの『サイコ』に出てくる裕福な銀行家の言葉を借りれば、金の力で不幸を遠ざけていた。1980年にチトーが死ぬと、ついに破滅的な経済危機が勃発し、生活水準は40パーセントも下落し、民族間の緊張が高まり、そして民族間紛争がとうとう国を滅ぼした。適切に危機に対処すべきタイミングを逃したせいだ。ユーゴスラヴィアにとって命取りとなったのは、指導者に何も知らせず、幸せなまま死なせようという側近たちの決断だったといってもいい。

これこそが究極の「文化」ではなかろうか。文化の基本的規則のひとつは、いつ、いかにして、知らない(気づかない)ふりをし、起きたことがあたかも起きなかったかのように行動し続けるべきかを知ることである。私のそばにいる人がたまたま不愉快な騒音を立てたとき、私がとるべき正しい対応は無視することであって、「わざとやったんじゃないってことはわかっているから、心配しなくていいよ、全然大したことじゃないんだから」などと言って慰めることではない。……(文化が科学に敵対するのはこの理由による。科学は知への容赦ない欲動に支えられているが、文化とは知らない/気づいていないふりをすることである)。

この意味で、見かけに対する極端な感受性をもつ日本人こそが、ラカンのいう〈大文字の他者〉の国民である。日本人は、他のどの国民よりも、仮面のほうが仮面の下の現実よりも多くの真理を含むことをよく知っている。(ジジェク『ラカンはこう読め』「日本語版への序文」)

…………

というわけで、オレは博打継続派なんだけど、劇薬派であるかどうかは自ら知るところではない、--のはどうでもよろしい。

ああ、ソウダ、ソウダ、--想田和弘っていう庶民的正義の味方の映像作家がいるのだけれど、彼の専門の仕事は別にして、こいつ真から経済音痴のマヌケじゃないか? なんでこんなヤツがインテリぶって説教たれてんだろう? 完璧チトー症候群だぜ→ 「「GDP解散」で僕が深いため息をつく理由


まあ日本の経済学者の分析が自らの痛みの問題ーーインフレによる貯蓄目減りや消費税負担、社会保障費削減の怖れなどーーで信用できないのなら、たとえば海外のこういった分析ぐらいはせめて読んでおいたほうがいいぜ。

(財政は持続可能か)消費税率、53%の可能性も  R・アントン・ブラウン アトランタ連銀上級政策顧問


※ここでは「アベノミクスによる税収増と国債利払い増」の懸念ついては敢えて触れなかったが、これはリフレ派・反リフレ派に限らず、殆んどの経済学者が憂慮することであり、アベノミクスの博打の大きな側面である。そして「出口戦略」と言われるものに大きく関わる。