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2015年1月3日土曜日

ルソー派とニーチェ派

まずフロイトの『文化への不満』――岩波新訳では『文化のなかの居心地の悪さ』という題名になっている――から、攻撃欲動の反転を説く文章を抜き出す(より長くは、「メモ:超自我、良心、罪責感(フロイト)」を参照のこと)。

われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃欲動を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 人文書院)

そして次にニーチェの「良心の疚しさ」の定義をめぐる叙述を並べてみよう。

外へ向けて放出されないすべての本能は内へ向けられるーー私が人間の内面化と呼ぶところのものはこれである。後に人間の「魂」と呼ばれるようになったものは、このようにして初めて人間に生じてくる。当初は二枚の皮の間に張られたみたいに薄いものだったあの内的世界の全体は、人間の外への捌け口が堰き止められてしまうと、それだけいよいよ分化し拡大して、深さと広さとを得てきた。……粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。外部に敵や抵抗がなくなったために慣習の狭苦しさと単調さのうちへ押し込められた人間は、耐え切れなくてわれとわが身を引き裂き、追い詰め、食い齧り、掻き立て、虐げた。自分の檻の格子に身を打つけて傷を負うこの動物(それを諸君は「飼い馴ら」そうとしているのだ)。この窮乏した者、荒野への郷愁に憔悴した者(彼らは自ら冒険を、拷問所を、不安で危険な蛮地を創り出さずにはいられなかった)、――この阿呆が、憧憬に悴れ絶望に陥ったこの囚人が「良心の疚しさ」の発案者となったのだ。(ニーチェ『道徳の系譜』第二論文 木場深定訳 岩波文庫p99)

《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》とあるように、フロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》とほとんど同じことが書かれている。

もっとも、ニーチェの『道徳の系譜』の第二論文は、上に引用した文のまえに「正義」について書かれているのだが、ニーチェの叙述は反感=ルサンチマンを「良心の疚しさ」の起源とし、《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》を「正義」の起源としている。ただしその箇所はニュアンスに溢れ、いろいろな読み方ができるのだが、長くなるので、最後に資料として示す。

その箇所の読み取りようによっては、たとえばジジェクの指摘するような次のような解釈が生まれ得ないでもない。

ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている。われわれがもっていない物をもち、それを楽しんでいる人びとに対する羨望である。正義への要求は、究極的には、過剰に楽しんでいる人を抑制し、誰もが平等に楽しめるようにしろという要求である。(ジジェク『ラカンはこう読め!』)

ジジェクのこのフロイトの「正義」は、おそらく『文化への不満』1930よりも十年近く前に書かれた次の文に由来するのではないか。

社会的公正の意味するところは、自分も多くのことを断念するから、他の人々もそれを断念しなければならない、また、おなじことであるが他人もそれを要求することはできない、ということである。この平等の要求こそ社会的良心と義務感の根元である。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921)

ところで、ニーチェは『道徳の系譜』で、次ぎのように書いているのだ、《正義の起源を……《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう》と。すなわちニーチェの実質上の最晩年、狂気に陥る年の前々年に書かれた『道徳の系譜』1887においては、正義の起源はルサンチマンではなく、攻撃欲動としているわけであり、この叙述からのみ判断すれば、ジジェクが《ラカンは、ニーチェやフロイトと同じく、平等としての正義は羨望にもとづいていると考えている》と書くのは「誤読」である(ここではラカンやフロイトの「正義」はとりあえず問わないままにしておく)。

だがそれなりに愛着がないではないジジェクに難癖するのはやめ、ここではフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向ける》とニーチェの《支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情》との二つの叙述をのみを取り出して、これが実のところ、われわれの「正義」の起源ではないかという問いを、良心の疚しさと正義の関係を曖昧にしたまま、すなわち宙吊りののまま放りだしておくことにする。

なお、フロイトの『マゾヒズムの経済的問題』1924には、タナトス(死の欲動)概念を説明するなかで、ニーチェの「権力への意志概念」に触れて、《破壊欲動とか征服欲動とか権力への意志》(Destruktionstrieb, Bemächtigungstrieb, Wille zur Macht)と三つを並列的に置いている(参照:『マゾヒズムの経済的問題』におけるBemächtigungstrieb)。これはフロイトの捉え方では「死の欲動」と「権力への意志」はほとんど同じものと見なしているとしてよいだろう。そしてそれが「正義」の起源である、--とまでは断言しないでおくが、ただしこう付け加えてはおこう。

柄谷)文化に対して自然を回復せよというロマン派と、それを成熟によって乗り越えよというロマン派がいて、それらは現在をくりかえされている。後期フロイトはそのような枠組を脱構築する形で考えたと思います。文化あるいは超自我とは、死の衝動そのものが自分に向かったものだという、これはすごく大きな転回だと思う。彼はある意味で、逃げ道を絶ってしまった。

浅田)ニーチェが言っていたのもそういうことなんじゃないか。力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる。ドゥルーズやフーコーがニーチェから取り出したのもそういう見方なんで、それがさっきストア派的と言っていた姿勢にも結びつくわけでしょ。(「「悪い年」を超えて」『批評空間』1996 Ⅱ-9 坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会)

さてもう少しフロイトの『文化への不満』から、ここでの文脈上核心的なと思われる叙述を抜き出す。

・罪責感は、ある場合には攻撃欲動の発動が中止された時に生まれるものである

・超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。

・罪責感に本質的かつ共通な点としては、それが内部へ転位した攻撃欲動であるということだけが残った

ところでジジェクは最近の書2012で、「超自我」をめぐって次ぎのように書いている。

最も純粋な超自我の審級……不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。(ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳ーーボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」より)

やや難解な箇所なので、拙い訳よりは原文を読んだほうがよい。
……the agency of the superego at its purest: as the obscene agency which manipulates us into a spiraling movement of self‐destruction.

The function of the superego is precisely to obfuscate the cause of the terror constitutive of our being‐human, the inhuman core of being‐human, the dimension of what the German Idealists called negativity and Freud called the death drive. Far from being the traumatic hard core of the Real from which sublimations protect us, the superego is itself a mask screening off the Real.

ジジェク流のラカン解釈では、《現実界のトラウマ的な固い核》を昇華して守ってくれるものが超自我ではなく、むしろ自己破壊的、すなわち自己自身に向けて攻撃的に作用するものが超自我の死の欲動的側面ということになるのだろうか。

他方、わが国の精神科医中井久夫は次ぎのように書いている。

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93)

中井久夫のここでの叙述にある《ある種の心的外傷は》は、もちろんある種のトラウマは、のことである。そしてそれが《「良心」あるいは「超自我」に通じる》とある。この「あるいは」をどう読んだらいいのだろうか。良心と超自我はほとんど同じものと読むべきだろうか。

かつては、父は社会的規範を代表する「超自我」であったとされた。しかし、それは一神教の世界のことではなかったか。江戸時代から、日本の父は超自我ではなかったと私は思う。その分、母親もいくぶん超自我的であった。(中井久夫「母子の時間 父子の時間」『時のしずく』所収)

ーーと読めば、この文から、中井久夫は自我理想と超自我の区別をしていない。というのは社会的規範を代表するものを「超自我」としているのだから(後詳述)。そしてこれが「標準的」なフロイトの読み方であるに相違ない。だがラカン派では、超自我はかならずしも「良心」、あるいは自我理想と同じではない。

ところで中井久夫には心的外傷、すなわちトラウマをめぐって次ぎのような叙述がある。

最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 )

ここには原トラウマという語彙が出てきている。この原トラウマが、ラカン派の文脈では攻撃欲動や死の欲動にかかわる。

たとえばPaul Verhaegheの『BEYOND GENDER. From subject to drive 』2001に収められた「Trauma and Psychopathlogy in Freud and Lacan. Structural versus Accidental Trauma.」という論文にはこうある。

われわれは欲動とフロイトのトラウマ概念との間に注目すべき類似を見出す。(……)

誰もがトラウマに遭遇する、というのは欲動のまさに性質のため、例えば自身の欲動のために。このトラウマは構造的なトラウマとして考えられるべきである。その意味は、避け得ないものであり、かつ、われわれの主体性の構造にかかわるものだからである。この構造的なトラウマの上に、一定の割合の人びとは、他のトラウマ、外部からくるトラウマに対処しなければならない。(私訳)

※参照:初期フロイトのトラウマ概念をめぐる備忘

さて、この原トラウマ、あるいは構造的なトラウマが、攻撃欲動や死の欲動に関わってくる。ラカンによれば、すべての欲動は、潜在的には死の欲動である、《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort.》 (Lacan Ecrit 848)

さて少し前に戻り、自我理想と超自我をめぐっての話を再度続ける。フロイトは『自我とエス』で、ほとんど自我理想=超自我としている(第三章の表題は「自我と超自我(自我理想)」III. Das Ich und das Über-Ich (Ichideal).。このように山括弧で記されれば、通常は同じものとしがちであろう。いずれにせよフロイトの超自我と自我理想の区別はこの論文だけでなく、晩年にいたるまで曖昧なままであり、しばしば同じものとして扱っているように感じるときがある。

だがラカン派では、自我理想は象徴界、超自我が現実界に属するものである。

<理想自我>は主体の理想化された自我のイメージを意味する(こうなりたいと思うような自分のイメージ、他人からこう見られたいと思うイメージ)。

<自我理想>は、私が自我イメージでその眼差しに印象づけたいと願うような媒体であり、私を監視し、私に最大限の努力をさせる<大文字の他者>であり、私が憧れ、現実化したいと願う理想である。

<超自我>はそれと同じ媒体の、復讐とサディズムと懲罰をともなう側面である。
(『ラカンはこう読め』2006ーー「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト)

ここに「同じ媒体の」と書かれているように、「自我理想」と「超自我」を厳密に分けているわけではないように思えるが、続いて次のように書かれることになる。

この三つの術語の構造原理の背景にあるのは、明らかに、<想像界><象徴界><現実界>というラカンの三幅対である。理想自我は想像界的であり、ラカンのいう<小文字の他者>であり、自我の理想化された鏡像である。自我理想は象徴界的であり、私の象徴的同一化の点であり、<大文字の他者>の中にある視点である(私はその視点から私自身を観察し、判定する)。超自我は現実界的で、無理な要求を次々に私に突きつけ、なんとかその要求に応えようとする私の無様な姿を嘲笑する、残虐で強欲な審級……(同上)

ここで上で引用した『文化への不満』の叙述を再掲する。

超自我が持っていると考えられる攻撃エネルギーについて二つの考え方があって、それはただ優位に立つ外部の他者の懲罰エネルギーを継続し心理生活のために保存しているにすぎないという考え方に対し、他方では、それはむしろ、自分自身の攻撃エネルギーで、この自分の欲動満足を制止する優位に立つ他者に向けられたものの使用されずに終わったものだという考え方がある。(フロイト『文化への不満』)

この1930年の段階で、フロイトは超自我の二つの側面を叙述している 。ラカン派では、この曖昧な区別を厳密化させ、優位に立つ外部の他者からくるものを「自我理想」とし、自分自身の攻撃エネルギーからくるものを「超自我」としていると捉えうる。外部からくるものは象徴界であり、内部の攻撃欲動は現実界である。

もっともフロイトは『自我とエス』1923の段階でも、「自我理想」の二面性を指摘している。

エディプスコンブレクスに支配された性的発達段階の最も一般的な結果として、自我のうちの沈殿物を仮定しうる。それは、何らかのかたちで両立することができる、これら二つの同一化を生み出すものである。こうして生じた自我変容は、その特権的地位を保ち、自我理想ないし超自我として、それ以外の自我の内容に対立するようになる。

しかし、超自我はエスが最初に対象を選択したさいのたんなる残存物ではなくて、その対象選択にたいする精力的な反動形成の意味ももっている。その自我との関係は「お前はこうで(父のようで)あらねばならない」という勧告につきるものではなく、「お前がこうで(父のようで)あることはゆるされない」すなわち、父のなすことのすべてを行ってはならない、という禁制をもふくんでいる。すなわち多くのことが父のために残されている。自我理想のこの二面は、自我理想がエディプス・コンプレックスの抑圧の労をおわされており、それどころか自我理想の成立が、そもそもこの急転によるものである。(『自我とエス』フロイト著作集 6 P280からだが「フロイト翻訳正誤表」の指摘により一部変更)

二つの同一化とは、父との同一化と母との同一化であり、それについてはこの文の前段に書かれているが煩雑になるのでここでは引用しない。ここでは《自我理想ないし超自我として》としてある文を、父との同一化を自我理想(象徴界)、母との同一化を超自我(現実界)と読める可能性を示唆しておくだけにする。

ところでラカン派では、自我理想が「エディプスの父」=「父の名」であり、他方、超自我を「母なる超自我」と呼んだ時期があった(少なくとも90年代には頻出する)。

たとえばラカンの娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールはこういっている。

“The superego as senseless law is very close to the desire of the mother before that desire becomes metaphorised, and even dominated, by the name-of-the-father. The superego is close to the desire of the mother as a capricious whim without law.”([PDF]The Archaic Maternal Superego-Leonardo S. Rodriguez - Jcfar.org

すなわち、「享楽の父」やら「母なる超自我」とは、欲望が隠喩化(象徴化)される前の「父」の欲望の体現者なのであり、そこにあるのは、猥雑な、獰猛な、限度を弁えない、言語とは異質の、そしてNom-du-Père(父の名)を与り知らない超自我であり、無法の勝手気ままな「母」の欲望と近似する。

だがこれは種々の見解がある。ラカン派の一部ではこのように言われたことがあり、フロイトの論文からでもそのように読めないことはない、とだけしておく。

たとえば上に引用したように超自我を自我理想に近づけて解釈しているように見える中井久夫にもつぎのような自己破壊性と他者破壊性をめぐる文がある。これはラカン派からみれば超自我の審級のことを語っているはずだ。

日常生活は安定した定常状態だろうか。大きい逸脱ではないが、あるゆらぎがあってはじめて、ほぼ健康な日常生活といえるのではないだろうか。あまりに「判でついたような」生活は、どうも健康といえないようである。聖職といわれる仕事に従事している人が、時に、使い込みや痴漢行為など、全く引き合わない犯罪を起こすのは、無理がかかっているからではないだろうか。言語研究家の外山滋比古氏は、ある女性教師が退職後、道端の蜜柑をちぎって食べてスカッとしたというのは理解できると随筆に書いておられる。外に見えない場合、家庭や職場でわずらわしい正義の人になり、DVや硬直的な子ども教育や部下いじめなどで、周囲に被害を及ぼしているおそれがある。

四季や祭りや家庭の祝いや供養などが、自然なゆらぎをもたらしていたのかもしれない。家族の位置がはっきりしていて、その役を演じているというのも重要だったのかもしれない。踏み越えは、通過儀礼という形で、社会的に導かれて与えられるということがあった。そういうものの比重が下がってきたということもあるだろう。もっとも、過去をすべて美化するつもりはない。

一般に健康を初め、生命的なものはなくなって初めてありがたみがわかるものだ。ありがたみがわかっても、取り戻せるとは限らない。また、長びくと、それ以前の「ふつう」の生活がどういうものか、わからなくなってくる。

私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない。先の引き合わない犯罪者のなかにもそれが働いているが、できすぎた模範患者が回復の最終段階で自殺する時、ひょっとしたら、と思う。再発の直前、本当に治った気がするのも、これかもしれない。私たちは、自分たちの中の破壊性を何とか手なずけなければならない。かつては、そのために多くの社会的捌け口があった。今、その相当部分はインターネットの書き込みに集中しているのではないだろうか。(中井久夫「「踏み越え」について」同上所収)

ここにある《わずらわしい正義の人》をめぐっては、「ボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」」にて、より詳細にみたので、今は触れない。

ここでは中井久夫の《私たちの中には破壊性がある。自己破壊性と他者破壊性とは時に紙一重である、それは、天秤の左右の皿かもしれない》という文を抜き出し、ニーチェの《敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源》、あるいはフロイトの《攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと》と「ともに」読んでおくだけにする。


…………

さて途中、ニーチェの道徳の系譜からやや長く引用するとしておいたので、その約束を果たすことにするが、この箇所は読み飛ばしてもらってもかまわない。

……負い目とか個人的責務という感情は、われわれの見たところによれば、その起源を存在するかぎりの最も古い最も原始的な個人関係のうちに、すなわち、買手と売手、債権者と債務者の間の関係のうちにもっている。

(……)古代人類の思惟に特有なあの重厚さをもって、人々はまもなく「事物はそれぞれの価値を有する、一切はその代価を支払われうる」というあの大きな概括に辿り着いた。――これが正義の最も古くかつ最も素朴な道徳的基準であり、地上におけるあらゆる「好意」、あらゆる「公正」、あらゆる「善意」、あらゆる「客観性」の発端である。この最初の段階における正義は、ほぼ同等な力を有する人々の間の、相互に妥協しようとする、決済によって再び互いに「諒解」し合おうとする善意であり、――一方、より小さな力を有する人々に関しては、それらの人々にはまたそれらの人々相互の間で決済をつけることを強制しようとする善意である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫 p79-80)

この文に対しては、まだ若き柄谷行人が書いた文をここに併せて並べておく。

「《負い目(シュルツ)》というあの道徳上の主要概念は、《負債(シュルデン)》というきわめて物質的な概念に由来している」と、ニーチェはいっている。彼が、情念の諸形態を断片的あるいは体系的に考察したどんなモラリストとも異なるのは、そこにいわば債権と債務の関係を見出した点においてである。俺があの男を憎むのは、あいつは俺に親切なのに俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ、とドストエフスキーの作中人物はいう。これは金を借りて返せない者が貸主を憎むこととちがいはない。つまり、罪の意識は債務感であり、憎悪はその打ち消しであるというのがニーチェの考えである。(柄谷行人『マルクスその可能性の中心』ーー「俺があの男を憎むのは、俺はあいつにひどい仕打ちをしたからだ」より)

さて引き続き『道徳の系譜』からである。

犯罪者は、単に自己の予め受け取った便益や前借を返済しないばかりか、債権者に喰ってかかりさえもする債務者である。それ故に彼は、その後は当然これらの財産や便益を悉く喪失するのみならずーーむしろ今やそれらの財産がいかに重要なものであったかを思い知らされる。被害者たる債権者、すなわち共同体の怒りは、犯罪者を再び法の保護外の野蛮な追放の状態へ突き戻し、そういう状態からの従来の保護を解く。つまり共同体は犯罪者を除斥するーーそして今やあらゆる種類の敵意は彼の上に注がれてよいことになる。(……)

共同体の力と自覚が増大すれば、刑法もまたそれに伴って緩和される。共同体の力が弱くなり危殆に瀕すれば、刑法は再び峻厳な形式を取るにいたる。「債権者」の人情の度合いは、常にその富の程度に比例する。結局、苦しむことなしにどれだけの侵害に耐えうるかというその度合いそのものが、彼の富の尺度なのだ。加害者を罰せずにおくーーこの最も高貴な奢侈を恣にしうるほどの権力意識をもった社会というものも考えられなくはないだろう。そのとき社会は、「一体、俺の所に居候どもが俺にとて何だというのか。勝手に食わせて太らせておけ。俺にはまだそのくらいの力はあるのだ!」と言うこともできるだろう……「一切は償却されうる、一切は償却されなければならない」という命題に始まった正義は、支払能力のない者を大目に見遁すことをもって終わる。――それは地上におけるあらゆる善事と同じく、自己自身を止揚することによって終わりを告げる。――正義のこの自己止揚、それがいかなる美名をもって呼ばれているかを諸君は知っているーー曰く、恩恵。言うまでもなく、それは常に最も強大な者の特権であり、もっとも適切な言葉を用いるのならば、彼の法の彼岸である。P81-83
――正義の起源をこれとは全く異なる地盤の上にーーすなわち《反感》の地盤の上に求めようとする近頃現れた試みに対して、ここに一言拒否の言葉を挟んでおこう。心理学者たちにしてかりに《反感》そのものを親しく研究してみようという気があるならば、まず次ぎのことを彼らの耳に入れておきたい。それというのは、この植物は今では無政府主義者やユダヤ人排斥者たちの間に最も美しく花を開いており、しかも今までも常にそうであったように、もとより匂いは違っているが、菫の如くひそかに花を開いている、ということだ。そして、同じものからは必ずいつも同じものが生じなければならないとすれば、ほかならぬそういう仲間からは、正義の名のもとに復讐を神聖化しようとするーーあたかも正義は根本において被害感情の一発展であるにすぎないかの如くーー企てが再び生じるのを見るとしても、さまで異とするに足りないであろう。後の方の企てそのものに対しては、私は殆んど全く反対しようとは思わない。それは私には、生物学的問題の全体…に関して一つの功績であるとさえ思われる。私がただ一つ注意を喚起しておきたいのは、科学的公正のこの新しい《ニュアンス》が生じてくる(憎悪・嫉妬・猜疑・邪推・怨恨・復讐に都合の好いように)源泉は、《反感》をもった精神そのものにほかならないというあの事情である。すなわちこの「科学的公正」は、あの反動感情よりも更にずっと高い生物学的価値を有し、従って科学的に見て高く評価される価値が十分あるように思われる他の一群の感情が現われるや否や、直ちに鳴りを熄めて深刻な敵意と先入見のアクセントに場所を譲ってしまう。ここに他の一群の感情というのは、支配欲・所有欲などの如き真に能動的な感情のことだ。(……)一般にこの傾向に対してはこれだけにしておこう。しかし特に、正義の故国は反動感情の地域に求められるべきである、というデューリングの命題に関して言えば、われわれは真理を愛するが故にそっけなく彼に背を向けて、正義の精神によって占領された最後の地域は反動感情の地域である! という別の命題をそれに対立させる。実際、正しい人間がその加害者に対してすら常に正しい態度を失わない(そして単に冷静な、沈静な、無関係な、無関心な態度でいるというばかりではなくーー正しいということは常に一つの積極的な態度である)とすれば、個人的な毀傷や軽蔑や誹謗を蒙りながらなお正しい審きの眼の、高く、明るく、深く、かつ和やかな客観性が曇らされないとすれば、それこそ一個の完成品であり、地上における最高の達人であるーーのみならず、ここで期待するのが賢明ではないような、少なくとも軽々しく信ずべきではないような代物だ。一般に最も廉潔な人物における場合ですら、少量の攻撃や悪意や追従を服用させるだけでその眼を充血させ、その眼から公正を逐い出すに足りることは確かである。能動的な人間、攻撃的で侵略的な人間は、いつの場合でも反動的な人間よりは百歩も正義に近い。反動的な人間は彼の対照に謝った評価や偏った評価を加え、かつ加えざるをえないけれども、能動的な人間には毫もその必要はない。事実それ故にこそ、攻撃的な人間はより強き者、より勇敢な者、より高貴な者として、常にまたより自由な眼、より潔白な良心をも自分の味方にしてきたのだ。その反面において、良心の上に「良心の疚しさ」の発明を有する者は一体誰であるか。諸君のすでに察知している通り、それはーー《反感》をもった人だ!p84-86

…………


正義についてはいろいろな捉え方がある。たとえば憐れみの感情を正義の根源だとする態度もある(参照:「「憐れみの海」の中で息をつける者は幸福だ」)。いわゆる日本でよく名が出される文脈なら、ルソー派とニーチェ派の対決ということになる。

たとえば蓮實重彦などは正義を言い募る連中にたいして《不快さに対する戦いを不正に対する戦いに利用しようとするさもしい根性が働いている》(『闘争のエチカ』)としている(参照:「正義とは不快の打破である」)。この「不快さに対する戦い」とは攻撃欲動に近いことを言っているのではないか。あるいは権力への意志のことを。

『快』の本質が適切にも権力の『増大感』として(だから比較を前提とする差異の感情として)特徴づけられたとしても、このことではまだ『不快』の本質は定義づけられてはいない。民衆が、《したがって》言語が信じこんでいる誤った対立こそ、つねに、真理の歩みをさまたげる危険な足枷であった。そのうえ、小さな不快の刺激の或る《律動的連続》が一種の快の条件となっているという、いくつかの場合があり、このことで、権力感情の、快の感情のきわめて急速な増大が達成されるのである。これは、たとえば痒痛において、交接作用のさいの性的痒痛においてもまたみられる場合であり、私たちは、このように不快が快の要素としてはたらいているのをみとめる。小さな阻止が克服されると、ただちにこれにつづいてまた小さな阻止が生じ、これがまた克服される──抵抗と勝利のこのような戯れが、快の本質をなすところの、ありあまり満ちあふれる権力のあの総体的感情を最も強く刺激すると思われる。(ニーチェ『権力への意志』「第三書・二・三・権力への意志および価値の理論」原佑訳)

わたくし自身はここでの叙述から明らかなように、憐み派(ルソー派)ではなくニーチェ派なのだが、とはいえそれは「理論的」にはそうであり、「実践的」には、正義の根源は攻撃欲動だと断言するつもりはない。ニーチェ自身次のように言っている。

悪く考えることは、悪くすることを意味する。 (ニーチェ『曙光』76番)

攻撃欲動が正義の根源だと断じてしまうことは、人間関係を悪くすることを意味しはいないか。これはラカン派の「騙されない人は彷徨うLes non-dupes errent」という考え方にも繋がる。すなわち、われわれは時に、正義の根源は憐みだ、あるいは孟子の《「惻隠〔みてしのびざる〕の情」だと騙される必要が(ときに)あるのだ。

だが攻撃欲動が反転して正義になる、あるいはトラウマ的なものが良心の根源となる場合もあるのではないかという考え方は、いまのところ「理論的には」どうしても捨て難い。

(いまここでの実践的、理論的とは、カントの三批判の文脈での意味である。「私は何を知りうるか」、「私は何をなすべきか」、「私には何を欲しうるか」という問いが、カントの三批判のそれぞれであり、真か偽かという認識的=理論的な関心、善か悪かという道徳的=実践的な関心、快か不快かという趣味判断に相当する。)

認識的にどうしても捨て難いのは、豚の群のなかへ落ち込まないためでもあると言ってもよい。

・世には、自分の内部から悪魔を追い出そうとして、かえって自分が豚の群れのなかへ走りこんだという人間が少なくないのだ。

・わたしは君があらゆる悪をなしうることを信ずる。それゆえにわたしは君から善を期待するのだ。

まことに、わたしはしばしばあの虚弱者たちを笑った。かれらは、自分の手足が弱々しく萎えているので、自分を善良だと思っている。

・よし悪人がどんな害をおよぼそうと、善人のおよぼす害は、もっとも害のある害である。

・善い者、(……)かれらの精神は、かれらの自身の「やましくない良心」という牢獄のなかに囚われていた。測りがたく怜悧なのが、善い者たちの愚鈍さだ。(ニーチェ『ツァラトゥストラ』手塚富雄訳ーー「Homo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)」より

ーー上の文の「悪」を「攻撃欲動」として読んでみよう、また「善」を「正義」と。そして、正義は攻撃欲動が己れにむかって反転した<力>であると。上に掲げた浅田彰の言い方では、《力が自由に展開されるとき、それが自分自身に回帰して、自分自身を律するようになる》であった。

とすれば《悪魔が信じられないような人に、どうして天使を信ずる力があろう》(小林秀雄「ヒットラーと悪魔」)を変奏して次ぎのように言うことができる。

攻撃欲動が信じられない人に、どうして正義を信ずる力があるだろう、と。あるいは攻撃衝動の器の小さなひとに、どうして正義の大きな器がありえようと。

もちろん、このように書くのは《最も軽蔑すべき者達について私は語ろう。それは末人(最後の人間)だ》で始まるツァラトゥストラのパッセージの谺による、

……人はもはや貧しくも豊かにもならない。どちらも面倒くさすぎる。支配する者もいないし、従う者もいない。どちらも面倒くさすぎる。

飼い主のいない、ひとつの畜群! 誰もが同じものを欲し、誰もが同じだ。考え方が違う者は、自ら精神病院へ向かう。」(ニーチェ『ツァラトゥストラ』序説 手塚富雄訳)


さて吟味しよう。憐れみの情がわれわれの根源なのか、それとも支配欲動めいたものがわれわれの根源なのか。

ルソーに反対。――われわれの文明は何かあわれむべきものそれ自体を持つということが真であるなら、ルソーとともに「このあわれむべき文明はわれわれの劣った道徳に対して責任がある」と結論を続けるか、あるいはルソーに反対して次のように逆の結論を出すかは、諸君のお好み次第である。「われわれのすぐれた道徳は文明のこのあわれむべき状態に対して責任がある。善悪に関するわれわれの弱い、男らしくない、社会的な概念、および心身に対するその絶大な支配は、すべての身体とすべての心をとうとう弱めてしまい、自主的な、独立的な、とらわれない人間を、すなわち強い文明の支柱を破壊してしまった。劣った道徳に現在なお出会う場合、これらの支柱の最後の破片が見られる。」やはりこのように逆説が逆説に対立するとすれば! この場合真理がどちらの側にもあることは不可能である。それでは真理はそもそもどちらかの側にあるのか? 吟味せよ。(ニーチェ『曙光』P163番 茅野良男訳)

もちろん、これだけを参照する必要はない。ニーチェの若き日の最大の師の言葉をここで抜き出してもよい。

すべての生きとし生ける者に限りない同情を持つことこそ、倫理的に正しい態度をとる上で最も堅固、確実な保証を与えるものであり、これについてとやかく良心の問題などを取り上げる必要はない。この気持ちに満たされた者は、必ずや、誰にも危害を加えたり、侵害したり、なんびとをも陥れようとせず、むしろできる限り他人のことをおもんばかり、あらゆる人を許し、助けるようつとめるであろう。さらにそうした人の行動は、正義と人間愛の刻印を担うことになろう。(ショーペンハウアー『存在と苦悩』)

《――私自身が、かつて、私の「若年」のとき、ショーペンハウアーとリヒアルト・ヴァーグナーとに関して書いたこと、書いたというよりむしろ描いたことーーおそらくあまりにも大胆に、気力にあふれて、若さにあふれて、塗りたての漆喰壁にーーそれを私は今日「真」と「偽」にもどついて詳細に吟味しようとはいささかも思わない。しかし、私が当時見当ちがいをしていたとしても、私の誤りは、前記の二人にとっても、私自身にとっても、少なくとも不名誉にはなっていない! そうした見当ちがいをするということは、相当のことであり、ほかならぬ私をこのように誤りへと誘惑するということも、やはり相当のことである。》(ニーチェ「「ヴァーグナーの場合」のための最初の覚え書き」 P475)


いやこれだけでもない、ルソーは『エミール』では次のように書いていることを付け加えておこう。

【第一の格率】:人間の心は自分よりも幸福な人の地位に自分をおいて考えることはできない。自分よりもあわれな人の地位に自分をおいて考えることができるだけである。

【第二の格率】:人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。

【第三の格率】:他人の不幸にたいして感じる同情は、その不幸の大小ではなく、その不幸に悩んでいる人が感じていると思われる感情に左右される。

人はただ自分もまぬがれれると考えたなら、他人の不幸はあわれまない、とどうして読めないことがあろうか? (この三つの格率の前後文は、「みにくさはたやすく美しくなるような顔立ちにおいていっそうよく目立つ」の後半に引用がある。)

われわれは知らぬ間に次のような態度をとっているのではないか。

ジジェク) リオ・デ・ジャネイロのような都市には何千というホームレスの子供がちがいます。私が友人の車で講演会場に向っていたところ、私たちの前の車がそういう子供をはねたのです。私は死んで横たわった子供を見ました。ところが、私の友人はいたって平然としている。同じ人間が死んだと感じているようには見えない。「連中はウサギみたいなもので、このごろはああいうのをひっかけずに運転もできないくらいだよ。それにしても、警察はいつになったら死体を片づけに来るんだ?」と言うのです。左翼を自認している私の友人がですよ。要するに、そこには別々の二つの世界があるのです。海側には豊かな市街地がある。他方、山の手には極貧のスラムが広がっており、警察さえほとんど立ち入ることがなく、恒常的な非常事態のもとにある。そして、市街地の人々は、山の手から貧民が押し寄せてくるのを絶えず恐れているわけです。……

浅田彰) こうしてみてくると、現代世界のもっとも鋭い矛盾は、資本主義システムの「内部」と「外部」の境界線上に見出されると考えられますね。

ジジェク)まさにその通りです。だれが「内部」に入り、だれが「外部」に排除されるかをめぐって熾烈な闘争が展開されているのです。(浅田彰「スラヴォイ・ジジェクとの対話」1993.3『SAPIO』初出『「歴史の終わり」と世紀末の世界』所収ーーHomo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト)

ーーさて吟味しよう。

…………

なおニーチェの狂気に陥る前年の遺稿には次のような文がある。

権力への意志が原始的な情動(Affekte)形式であり、その他の欲動(Affekte)は単にその発現形態であること、――(……)「権力への意志」は、一種の意志であろうか、それとも「意志」という概念と同一なものであろうか?――私の命題はこうである。これまでの心理学の意志は、是認しがたい普遍化であるということ。こうした意志はまったく存在しないこと。(ニーチェ遺稿 1888年春)

この情動(Affekte)は、たとえばクロソウスキーの解釈では、衝動implusionとなり、それは欲動Triebeのことでもあり、かつまた権力=<力>Machteのことでもある。ドゥルーズもこの線で、<力>への意志を考えているのはよく知られている(参照:見出された「権力への意志」=「死の欲動」)。

Nietzsche himself had recourse to a varied vocabulary to describe what Klossowslu summarizes in the term 'impulse': 'drive' (Triebe), 'desire' (Begierden), 'instinct' (Instinke), 'power' (Machte), 'force' (Krafte), 'impulse' (Reixe, Impulse), 'passion' (Leidenschaften), 'feeling' (Gefiilen), 'affect' (Afekte), 'pathos' (Pathos), and so on.
(”Translator’s Preface” Nietzsche and the Vicious Circle PIERRE KLOSSOWSKI Translated by Daniel W. Smith)

権力への意志の<意志>とは、ではなんだろう? これは上に掲げたニーチェの遺稿の問いであるが、ジジェクも同様の問いを放っている。

But one should here raise a more fundamental question: is the Will the proper name for the “stuckness” which derails the natural flow? Is the not Freudian drive (the death drive) a much more appropriate name?(ZIZEK”LESS THAN NOTHING")

最後にあらためてこうつけ加えておくべきだろうか。

私は思弁のみに身を任せてしまったのではなく、逆に分析による資料を重視し、臨床的な技法的テーマを取り扱うことをやめなかった。私は哲学に近づくことは避け、大切な点ではフェヒナーに頼ることにしていた。精神分析がショーペンハウアーの哲学と広汎な一致があるとしても(彼は感情の優位性と性愛の意義を重視し、抑圧のメカニズムも知っていた)、私が彼の本を読んだのはずっと後になってからだ。ニーチェの洞察も精神分析の成果と驚くほど合致するのだが、だからこそ公正さを保持するために避けてきた。(フロイト『自己を語る』1925)


2014年12月31日水曜日

Paul Verhaegheによるヒステリーと強迫神経症の定義

Paul Verhaegheの「OBSESSIONAL NEUROSIS」の冒頭には、驚くほど簡潔なヒステリーと強迫神経症の彼独自の定義がなされている。

神経症とは何だろう? このシンプルな問いは答えるに難しい。というのは主に、フロイト理論が絶え間なく進化していくからだ。この変貌の主要な理由は、まさに強迫神経症の発見である、そしてそれはフロイトにとって生涯消え去ることのなった欲動をめぐる議論と組み合わさっている。私は、最初から結論を提示しよう。神経症とは、内的な欲動を〈他者〉に帰することによって取り扱う方法である。ヒステリーとは、口唇ファルスとエロス欲動を処置するすべてである。強迫神経症とは、肛門ファルスと死の欲動に執拗に専念することである。

What is a neurosis? This simple question is hard to answer, mainly because Freud's theory constantly evolved. One of the main reasons for these shifts is precisely the discovery of obsessional neurosis in combination with the ever-present discussion on the drive. I will give you my conclusion at the outset. Neurosis is a way of handling the inner drive by ascribing it to the Other. Hysteria has everything to do with the oral phallus and the Eros drive; obsessional neurosis occupies itself obstinately with the anal phallus and the death drive.

衆知のごとく、フロイトーラカン派では、神経症の下位分類が、ヒステリーと強迫神経症であり、上の記述はその文脈のなかでの三つの言葉の定義である。

まずはここで強迫神経症と死の欲動の関係を中井久夫のエッセイから引こう。以下の文にある「死の本能」は「死の欲動」として読もう。そしてラカンによれば、すべての欲動は潜在的には死の欲動である。《…toute pulsion est virtuellement pulsion de mort. Lacan Ecrit 848

「死の本能」は戦争が生み出したものであって、平時の強迫神経症はむしろ、理論の一般化のための追加である。裁判でフロイトは戦争神経症を診ていないではないかと非難され、傷ついたであろう。これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」『日時計の影』所収 53頁)

さて、冒頭の文に戻れば、ヒステリーが口唇欲動とエロス、強迫神経症が肛門欲動とタナトスにかかわるとされている。ここでのエロス/タナトスのポール・ヴェルハーゲの解釈を別の論文から示すが、彼の解釈は、フロイトの最晩年の論文に大きく依拠しているので、まずフロイトから抜こう。

エンペドクレスの二つの根本原理――philia 愛とneikos闘争 ――は、その名称からいっても機能からいっても、われわれの二つの根源的本能(欲動;引用者)、エロスと破壊beiden Urtriebe Eros und Destruktionと同じものである。その一方は現に存在しているものをますます大きな統一に包括しようと努め、他のものはこの統一を解消し、統一によって生れたものを破壊しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』人文書院 旧訳

エロスはより大きな統一へ向かい、タナトスはその統一を破壊するとある。

ここからポール・ヴェルハーゲは次ぎのように言うことになる、《生の欲動(エロス)は死を目指し、死の欲動(タナトス)は生を目指す》。

ーーこのように一見逆説的な見解が示されるが、フロイトの上に掲げた文章を素直に読めば、どうしてそのように読めないことがあろう(参照:フロイトの『Why War?』における愛と憎悪)。

エロスが死をめざす、という意味は、究極的には〈大文字の母〉、母なる大地との融合を目指すということであり、だがそのとき個体は消滅してしまう。だからエロスは不安と受動性にかかわるのだが、その不安とはその消滅の怖れの不安だ。

タナトスが生をめざす、という意味は、エロス欲動の大きな統一を目指す動きを破壊する。すなわち融合による個の消滅の誘惑から逃れだし個人としての能動性を確保しようとする。しかしながらタナトスは殆んどつねにエロスの欲動と合体して(Triebmischung エロスとタナトスの欲動融合)、反復衝動をする。それは灯火にむれる蛾の、灯りを目ざしてはそれてゆく、その反復運動である(参照:エロスとゆらめく閃光)。

主体は、己のa(対象a)への完全な応答を得る/与えるのを確信するために、母他〔(m)other〕を独占したい。だがそのような完全な応答は不可能である。そこにはつねに残余があり、“ Encore”(もっと、またもっと)の必要の切迫がある。“ Drang ”(衝拍、もしくは圧力)は、ドライブ〔欲動の継続〕したままだ。

The subject wants the (m)other all to itself, to be sure of getting/giving a complete answer to (a). Such a complete answer is impossible, there is always a remainder and a necessity for an “ Encore ” : the “ Drang ” keeps driving .……(『Sexuality in the Formation of the Subject』 Paul Verhaeghe)

もちろんここでの、“ Encore”(もっと、またもっと)とは、ラカンのセミネールⅩⅩの副題である。

さてヒステリー/強迫神経症における口唇欲動/肛門欲動については、ここでも中井久夫の親しみやすい文章を掲げて、その説明のかわりとする。

タバコをやめるということは「タバコを卒業する」ということで、タバコを吸わない前に戻ることではない。このことを言う必要があるのは、喫煙が成人の条件のように理解されているからである。いっぽう、禁煙とは禁欲でないことも言う必要がある。何か代わりに趣味をみつけなさいとはよく言われる助言だが、迫られて趣味を新発見することは現実にはむつかしい。かつての趣味を洗い直してみてだめなら、その人の「食」のレパートリーを聞くのがよい。

口唇的な満足は、同じ口唇的な欲望で代償するのが一番無理がなく、事実、禁煙した人は過食して肥満する傾向を顕著に示すものである。その予防の意味でも、口唇的欲望を量でなく質の向上に当てる方向がよい。職のレパートリーが潜在的にひろいのに、ただ戦後のまずしい食習慣の延長とか、家族の食習慣と相いれないとかで、二次的にせまくなっている場合が意外に多い。家族とではあまり食べない人でも外食では予想外なゲテものまで食べる人が結構いる。日本食しか食べない、それもノリ巻とタマゴ焼しか食べないというような人は生育歴のかたよりでなければ相当に強迫的な人である。口唇的な人は、結構、ナマコ、クサヤ、ふなずし、ブタの耳のサシミ(琉球料理)、カエル(台湾、広東、フランス料理)などの味も一度知れば楽しむ可能性のある人が多い。

私は、喫煙をやめるという人には、やめたからには何かいいこともなくては、と言い、まず、ものの味がわかるようになり、朝、革手袋の裏をなめているような口内の感じがなくなりますよと言い、せっかくだからおいしいものを食べ歩いてはどうですか、それとも家でつくられますか、と言う。配偶者によって(時には子供によって)家族のメニューが決まるから、そのことをにらみあわせて答えを考える。配偶者と食べ歩き計画を立てるのもよい。そのうちに味をぬすんで家庭料理に取り入れる可能性も生まれてくる。

喫煙者は皆が皆口唇的な人ではないが、私の観察では、強迫的(肛門的)な人は、タバコの本数は多いかもしれないが、どうも深く吸い込まない人が多い印象がある。けがれたものを体内に入れることに抵抗があるからだろうか。そして強迫的な人は、結構趣味のある人が多い(室内装飾からプラモデル作りまで)。禁煙を機に今まで買いたくて買えなかったものを自分に買うのを許すことが報酬になる。金銭的禁欲とそのゆるめは共に、精神分析のことばを敢えて使えば肛門的な水準の事柄である。(中井久夫「禁煙の方法について」『「伝える」ことと「伝わる」こと』)

…………

なお、ラカンの四つの部分対象(口唇、肛門、声、眼差し)の関係は、通常、要求/欲望の軸と、〈他者〉へ/〈他者〉から、の軸の四角形のなかに、それぞれ次ぎのように位置づけられる。





口唇欲動は、〈他者〉へ要求する(ボクから母へ、ボクの欲しいものを下さいという要求)。
肛門欲動は、〈他者〉から要求される(母からボクへ、規則正しくウンコをしなさいという要求)。

眼差し(視姦)欲動は他者への欲望である(ボクに見せて!)。
声の欲動は他者からの欲望である(母はボクから欲しいものを告げる)。

ーー以上の四つの部分対象については、ジジェクの『LESS THAN NOTHING』(2012)に依拠している。ただし四つの項目の語尾の言葉をここではあえて「欲動」としたが、本来部分対象とすべきところ。つまり口唇(部分)対象、肛門対象…、と。

…………

さて冒頭のヴェルハーゲの論文に戻れば、ヒステリーは口唇欲動に特徴づけられるなら、他者への要求する性格類型として定義されることになり、強迫神経症は肛門欲動、すなわち他者から要求される性格類型として定義される。

「OBSESSIONAL NEUROSIS」の最後に、こう書かれることになる。

ヒステリーの子供は〈他者〉から十分に受け取っていない。そして〈他者〉によって取り入れられようと欲する絶え間ない要求主体となる。強迫神経症の子供はあまりにも多く受け取りすぎている。そして可能な限り〈他者〉から逃れようと欲する拒否・拒絶主体となる。

The hysterical child never receives enough from the Other, and turns out to be an ever-demanding subject who wants to be taken in by the Other. The obsessional child receives far too much, and turns out to be a rejecting and refusing subject, who wants la get rid of the Other as much as possible.

かつては女性のヒステリー、男性の強迫神経症と語られた。ということは、すくなくともかつて女児は母の愛が足りず、逆に男児は母の愛が過剰だったといえるのだろうか。

ここではシロウトの臆断は控え、ミレールの文章を掲げておくだけにする。

ラカンが新しい概念をつかんだとき、あるいは臨床的仕事の新しい観点を強調するとき、彼はそれを神経症・精神病・倒錯に適用します。精神分析においては、新しい観点を作るならば、この三つの領域に関連付けて複雑にしなければならないのです。神経症・精神病・倒錯の三つだけが領域なのではありません。例えば、男と女、男性的構造と女性的構造という臨床的カテゴリーもあります。これは三つの主要な臨床的カテゴリーをきれいに横断しています。例えば、ラカンは倒錯は男性的剥奪であり、男と女の二項構造を神経症・精神病・倒錯の三つ組みと結合させるとさらに複雑になると言っています。私たちが言いうるのは、倒錯は男性的剥奪であり、本物の精神病のすべては女性であろうということです。ラカンは精神病を「女性への衝迫[pousse a la femme]」とみなすという、今では有名となったフレーズを作りました。精神病は女性の領域にあるのです。神経症においては、 ヒステリーと強迫が区別され、 一般に女と男に関連付けられます。しかし、だからといってヒステリーの男性がいないと主張するのではありません。…(「ラカンの臨床パースペクティヴへの導入」 ジャック=アラン・ミレール松本卓也訳)

…………

小論「OBSESSIONAL NEUROSIS」は、Paul Verhaegheの『BEYOND GENDER. From subject to drive 』2001の最後に所収されている(http://paulverhaeghe.psychoanalysis.be/boeken/Beyond%20gender.pdf)。

この半年ほどのあいだ断片的に引用してきたが、そこに収められている八篇の論文それぞれはおそらく独立して発表されたものだと思う。この書は、わたくしが2014年にめぐり合った「この一冊」である。とくに五番目の”Subject and Body”はラカンのセミネールⅩⅠの解説、六番目の”Mind your Body”はセミネールⅩⅩの解説として素晴らしい。とはいえ上に書かれたヒステリーと強迫神経症の定義や、とくにエロス/タナトスの定義を信じこみすぎるつもりは毛頭ない。

1,The Riddle of Castrarion Anxiety.
Lacan’s beyond Freud

2,From Impossibility to Inability.
Lacan's Theory of the Four Discourses.

3,Teaching and Psychoanalysis.
A Necessary Impossibility.

4,Trauma and Psychopathlogy in Freud and Lacan.
Structural versus Accidental Trauma.

5,Subject and Body.
Lacan's Struggle with the Real.

6,Mind your Body.
Lacan's Answer to a Classical Deadlock.

7,Dreams between Drive and Desire.
A Question of Representability.

8,Obsessional Nurosis .
The Quest for Isolation.

…………

※附記:途中、図にしめしたラカンの四つの部分対象のもととなるジジェクの文章。

The relationship between the four partial objects (oral, anal, voice, gaze) is that of a square structured along the two axes of demand/desire and to the Other/from the Other. The oral object involves a demand addressed to the Other (the mother, to give me what I want), while the anal object involves a demand from the Other (in the anal economy, the object of my desire is reduced to the Other’s demand—I shit regularly in order to satisfy the parents’ demand). In a homologous way, the scopic object involves a desire addressed to the Other (to show itself, to allow to be seen), while the vocal object involves a desire from the Other (announcing what it wants from me). To put it in a slightly different way: the subject’s gaze involves its attempt to see the Other, while the voice is an invocation (Lacan: “invocatory drive”), an attempt to provoke the Other (God, the king, the beloved) to respond; this is why the gaze mortifies‐pacifies‐immobilizes the Other, while the voice vivifies it, tries to elicit a gesture from it.(ZIZEK"LESS THAN NOTHING")





2014年12月30日火曜日

ボランティア、あるいは「わずらわしい大義の人」

まずボランティア、あるいは無償の慈善活動をめぐる示唆溢れるーーそしてまずは共感したくなるーーツイートに昨日出合ったので、ここに掲げる。

@Kino_Toshiki: 「無償で慈善活動やっている人がいると粗探しして否定しないと死ぬ病」の奴らってさ、やっぱり「無償で他人を思いやって助ける人」なんてのが世の中に実在するとは信じられないんだと思う。「そんな人間いるはずがない、自分と同じで下衆な奴に違いない」ってことにしたいんでしょう。死ねばいいのに。

@Kino_Toshiki: ある種の心苦しさなんじゃないのかな。「まさかこの世に、善意でわざわざ金と時間使ってホームレス支援やる人間なんているはずがない、あいつら宗教か政治活動目的に違いない、そんな立派な人間は存在しない、俺と同じで皆下衆なはずだ」ってことにしておかないと困るのではないかと。

@Kino_Toshiki: 在特会への抗議活動への反応も似たようなものだったよね。「お前らどこからか金もらっているんだろう?左翼団体へのオルグのために弱者を利用しているんだろう?」とかさ。「善意で、無償で何らかの行動を起こす人」なんてのが存在することが本当に信じられない、存在することを認めたくない、という。

@Kino_Toshiki: 世の中には意外に「まあ年末くらい野宿者支援するか」「たまにはボランティア活動でもやるか」みたいな人はそこそこいたりするのだが、そんなことを認めたくないわけですよ。「あいつらは宗教、政治活動家、偽善者」ってことにしておいてくれないと、下衆な自分の心性に直面して、苦しいんだろうな。

「死ねばいいのに」ともあり、これはいささか余分かもしれないが、わたくしも心の底のなかではかすかにでもそんなことを呟いている時があるので、これもとりあえず批判するつもりはない。そもそもツイッターなどを眺めていると、あるいは稀に自分のツイートが大量RTなどされ湿った瞳を送られたり「短絡的」な頷きの輪が拡がったりすると、こんな気分になってしまう場合がある。

@Cioran_Jp: 街に出て人間どもを目にすると、まっさきに思いつくのは「皆殺し」という言葉だ。(シオラン『四つ裂きの刑』)
《おれの曲に拍手する奴らを機銃掃射で/ひとり残らずぶっ殺してやりたい」と酔っぱらって作曲家は言うのだ》(谷川俊太郎「北軽井沢日録」より『世間シラズ』所収)

たんに湿った瞳を送りあったり頷き合ったりするのではなく、われわれに必要なのはまずは次のような姿勢ではないか。

・気心の知れた仲間同士の親しいうなずきあいとは異なる外部の力学
・共感とは異質のある種の齟齬感
・同調からくる納得ではにわかに処理しかねる違和感
・親密さではなく、むしろそれをこばんでいるかにみえる隔たり

平成10年度入学式における蓮實重彦総長の式辞


さて木野トシキさんの発言は、もちろんツイッターからであるが、彼のtwitterではなくtumblrのプロフィール欄にはこうある。

木野トシキです。社会人学生です。今年で4年生になります。卒業後は欧州の大学院に進学しようと考えています。ジャズ・トランペッターでもあります。ビ・バップ大好きっ子。

とはいえ、この方がどんな人であるかはいまはどうでもよい。ただボランティアに向かう人とそうでない人が世の中にはおり、この違いはどこからくるのか、との問いはかねてからあり、かついまでも宙吊りのままだ。

わたくしは一度だけボランティアめいた活動を一週間ばかりしたことがある。だがそれも余儀なく、あるいは偶然の機会に、である。阪神大震災のおり、京都に住んでいたのだが、離婚直後の前妻と娘が西宮に住んでいた。そのため「やむえず」駆けつけたというわけだ。そこで多くのボランティアの人々を見た。髪を金髪に染めた若者が率先して、まるで水を得た魚のように、活発に動き回っているのがひどく印象的だった。それに刺激を受け、その爪の垢でも煎じて飲むようなぐあいに、しばらくボランティアめいた行動をしたというだけである。

・それにしても、神戸を一時は埋めつくしたボランティアたちは、どのような事業によらず、毛細血管のように、すみずみまで救援を行き渡らせた。ボランティアなくして、行政の救援だけならば、全国の行政が集まってもああは行かなかったはずだ。老人の荷物を担ぐとか、家をちょっと直すとか、救援物資を配るとか……。

・奈良女子大では、地震と聞いてさっと出発したのは外国人留学生で、日本人学生は、これにはっと気づいて数日後に後を追ったそうである。(中井久夫「阪神大震災後四ヶ月」)


なぜ奈良女子大のような外国人留学生/日本人学生の差異が出てしまうのか。たとえば外国人留学生にとっては仲間が神戸に住んで被災したから、「さっと出発した」だけなのかーーでは日本人学生の仲間は神戸にひとりも住んでいなかったのかーーこれもわたくしにはいまだ判然としていない。

ところで今はツイッターをやめてしまった小説家・思想家の佐々木中氏が以前つぎのようなツイートをしている。

@AtaruSasaki: 中井=サリヴァン曰く「昇華は潜在的に病であり妄想に近く、偏執狂的になりうる」。自分の欲望を誰からも文句がつかない世のため人のための行為に「昇華」する人は、他人をするべき事をしていない様に見えてきて「わずらわしい大義の人」になる。これはボランティアも治療者も同じ、と中井氏は語る。

@AtaruSasaki: ここで中井氏が「治療者」を自戒を込めて含めていることが重要だ。われらも誰かからは病的に上から目線の「わずらわしい大義の人」なのかもしれぬ。この自己懐疑を持っているだけで違うのでは。また自分の凡夫としての欲望から目を逸らさないことが肝要ではないか。(これ、実は拙著『切手』の裏主題)

彼も、「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」としてあるツイッターという場において、「皆殺し」気分に襲われる仲間の一人であったのではないかと想像しうる人材である。

@AtaruSasaki: 知人のプログラマによると、もうギークたちはFacebookにもTwitterにもいない、Github Gistで日記書くのもやめてリアルで会ってる。が、TwitterにはまだRSSリーダの代替としての、そして市民運動の連絡ツールとしての役割が残ってる。

@AtaruSasaki: おっと、もうひとつ役割がありました。それは「市民運動を斜に構えてヘラヘラ見下し仲間内で冷笑する社交場」としての機能です。どっちもどっち論者、そこまでやらなくても論者、内容はいいがやってる人間が気に食わない論者。内心にあるのは既得権益を失いたくないという自己保身。東電か。

@AtaruSasaki: 繰り返しますが、人種差別などの歴とした不正が目前で行われているのに、客観中立を装ったり党派的に日和見をしたりするのは、そのような不正に積極的に加担していることになります。その理由が狭い業界での保身ともなれば、思っているより遙かにあなたはあなたの敵だと思っていたものに酷似している。

@AtaruSasaki: 自分の信念を貫くこと、しかしこの社会で生き延びること。この二つをなんとか両立するために、ネゴシエーションというものがある。ギリギリの交渉はストレスフルで疲れます。が、いつも逃げ回っていれば、信念や既得権どころか、正義も生命もすべて失うことになる。

さて、佐々木中氏の最初に掲げたツイートに戻れば、そこにあるのは「昇華」である。ボランティアを昇華と捉える中井久夫=サリヴァンの観点が要約されている。

サリヴァンは、フロイトがあれほど讃美した昇華を無条件な善ではないとして、それが代償的満足である以上、真の満足は得られず、つのる欲求不満によって無窮動的な追及に陥りやすいこと、また「わが仏尊し」的な視野狭窄に陥りやすいことを指摘している。それは、多くの創造の癒しが最後には破壊に終る機微を述べているように思われる。(中井久夫 「「創造と癒し序説」 ――創作の生理学に向けて」『アリアドネからの糸』所収)
妄想の類似現象は意外なところにある。またしてもサリヴァンであるが、彼は昇華と妄想とが近縁であると言っている。昇華によって、たとえば慈善事業に打ち込んでいると、他のことをしている人間は皆すべきことをしていない人間に見えて来て、自分の仕事に参加すべきだと考えるようになり、「わずらわしい大義の人」になるという例を挙げているが、これは確かに妄想症の一歩手前である(中井久夫「説き語り『妄想症』」『世に棲む患者』ちくま」学芸文庫、2012年(初出1986年))。

ーーこうやって引用してくると、冒頭の木野トシキ氏のいう《無償で慈善活動やっている人がいると粗探しして否定しないと死ぬ病」の奴ら》の一員になりかねないが、しかしながら《「わが仏尊し」的な視野狭窄》に陥らないためには、あるいは「わずらわしい大義の人」にならないためには、つねに自己懐疑が必要であるには違いない。


ここでもうひとつ付け加えれば、中井久夫は、苦渋に陥っている人びとへの共感をもつか否かは、ーーここでの文脈では、ヴォランティアを率先して行なう人とそうではない人との相違はーー、過去のトラウマの有無にかかわるのではないかと読みとれる文章を書いている。

……心的外傷には別の面もある。殺人者の自首はしばしば、被害者の出てくる悪夢というPTSD症状に耐えかねて起こる(これを治療するべきかという倫理的問題がある)。 ある種の心的外傷は「良心」あるいは「超自我」に通じる地下通路を持つのであるまいか。阪神・淡路大震災の被害者への共感は、過去の震災、戦災の経験者に著しく、トラウマは「共感」「同情」の成長の原点となる面をも持つということができまいか。心に傷のない人間があろうか(「季節よ、城よ、無傷な心がどこにあろう」――ランボー「地獄の一季節」)。心の傷は、人間的な心の持ち主の証でもある(「トラウマとその治療経験――外傷性障害私見」『徴候・記憶・外傷』所収P93

…………

さて、中井久夫の文に「超自我」という語彙が出現しているが、それへのヒントとして、ここで90年代初頭に書かれたジジェクの「昇華」をめぐる文章を掲げる。


昇華(=崇高化)はふつう非・性化と同じことだと考えられている。非・性化とはすなわち、リビドー備給を、基本的な欲動を満足させてくれそうな「野蛮な」対象から、「高級な」「洗練された」形の満足へと置き換えることである。われわれは女に直接に襲いかかる代わりに、ラヴレターや詩を書いたりして誘惑し、征服する。敵を気絶するまでぶん殴る代わりに、その敵を全面否定するような批判を含んだ論文を書く。通俗的な精神分析的「解釈」によれば、詩を書くことは肉体的欲求を満足させるための崇高にして間接的な方法であり、精巧な批判を書くことは肉体的攻撃衝動の崇高な方向転換ということになろう。 ラカンの出発点は、直接的で「野蛮な」満足とされているものの対象ではなく、その反対、すなわち原初的な空無である。原初的な空無とは、そのまわりを欲動がぐるぐる回っている空無であり、<物自体 the Thing>(フロイト的な das Ding。不可能にして獲得不能な享楽の実体)の形のない形としてポジティヴな存在形態をとる欠如である。崇高な対象とはまさしく「<物自体>の気高さまで高められた対象」である。(ジジェク『斜めから見る』)

この物自体das Dingの場には何があるというのか。

幻想は、われわれ各人が、想像のシナリオによって、非整合的な<大他者>、すなわち象徴的秩序の根本的行き詰まりを解消し、かつ/あるいは隠蔽する、そのやり方である。 <対象a>、すなわち剰余享楽を具現化している欲望の対象=原因を、まさしく、普遍的交換のネットワークを擦り抜ける剰余として定義づけることができる。 普遍的「人権」の領域は、ある一つの権利(享楽の権利)の排除の上に成立している。この特殊な権利を含めたとたん、普遍的権利の領域全体が均衡を失う。 主体は、まさに「それ自身のまわりだけを回り」ながら、「それ自身の中にあってそれ自身以上のもの」、すなわちラカンが das Ding というドイツ語であらわしている外傷的な享楽の核のまわりを回っている。主体とはおそらく、この循環運動の、すなわちもっと近くに寄るには「熱すぎる」、この<物自体>との距離の、別名である。この<物自体>があるゆえに、主体は普遍化に抵抗し、象徴的秩序内の場所――たとえ空っぽの場所だとしても――に還元することはできない。 (同)

こうして、これらの「昇華」の例として、無償の愛ーーここでは敢えてそれを無償のボランティア行為と読み替えてもよいーー 、それは「最も淫らな強迫観念」ではないかと読みうる文章が書かれる。

……無条件の義務の哲学者であるカントが知らなかったものを、通俗的でセンチメンタルな文学、今日のキッチュはよく知っている。このことは別に驚くにあたらない。というのも、〈意中の婦人〉への愛を至高の義務と見なす「宮廷恋愛(騎士道恋愛)」の伝統が今なお生きているのは、まさしくそうした文学の世界なのである。コリーン・マッカロウの『淫らな強迫観念』には、宮廷恋愛ジャンルの典型的な例が見られる。この小説はまったく読むに耐えないもので、そのためにフランスでは叢書「ジェ・リュ(私はもう読んでしまった)」の一冊として出版された。この小説の時代は第二次世界大戦の末期、主人公は、太平洋岸にある小さな病院で精神病者の世話をしている看護婦である。彼女は職業上の義務と、ひとりの患者への愛との葛藤に引き裂かれている。小説の結末で、彼女は自分の欲望を理解し、愛を断念して、義務へと戻る。一見すると、なんの面白みもまにモラリズムのように見える。義務が恋愛感情に打ち勝ち、義務のために「病的な」恋愛が断念されるのだから。しかしながら、この断念にいたる動機の描写はもう少し複雑で微妙である。小説の結びは次のようになっているーー

《彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した》。

このように、ここにあるのは真に弁証法的・ヘーゲル的反転である。義務そのものを「愛の別名にすぎない」と感じたとき、愛と義務の対立が「止揚される」。このどんでん返しーー「否定の否定」――によって、最初は愛の否定であった義務が、世俗的な対象に対する他のすべての「病的な」愛を廃棄する至高の愛と合致し、ラカンの用語を使えば、他のすべての「ふつうの」愛の〈クッションの綴じ目 point de caption〉として機能する。義務そのものが根源的に猥褻なのだということを経験した瞬間、義務と愛との拮抗、すなわち義務の純粋性と恋愛感情の病的な猥褻性あるいは淫乱性との拮抗は解消する。

小説の最初のほうでは、義務は純粋で普遍的であり、恋愛感情は病的で、個別的で、淫らである。ところが最後のほうになると、義務こそが「最も淫らな強迫観念」であることが明らかになる。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』P299-300)


〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である、とあるが、これがフロイト=ラカン派のテーゼのひとつである。もっとも上の比較的若い時期に書かれたジジェクの「挑発的」とさえ読みうる文はいささか分かりにくいかもしれない。

引き続きジジェクによって最近書かれた書(2012年)における超自我をめぐる文を掲げる。この文と上の文を併せて読めば、無償の慈善的行為の裏にはどんなものが隠されているのかという精神分析的な視点がより鮮明になるのではないか。これが正しいとはわたくしは言わない。だがこういった自己懐疑はつねに必要であるには相違ない。

想いだしてみよう、奇妙な事実を。プリーモ・レーヴィや他のホロコーストの生存者たちによって定期的に引き起こされることをだ。生き残ったことについての彼らの内密な反応は、いかに深刻な分裂によって刻印されているかについて。意識的には彼らは十分に気づいている、彼らの生存は無意味なめぐり合わせの結果であることを。彼らが生き残ったことについて何の罪もない、ひたすら責めをおうべき加害者はナチの拷問者たちであると。だが同時に、彼らは“非合理的な”罪の意識にとり憑かれる(それは単にそれ以上のようにして)。まるで彼らは他者たちの犠牲によって生き残ったかのように、そしていくらかは他者たちの死に責任があるかのようにして。――よく知られているように、この耐えがたい罪の意識が生き残り者の多くを自殺に追いやるのだ。これが露わにしているのは、最も純粋な超自我の審級である。不可解な審級、それがわれわれを操り、自己破壊の渦巻く奈落へと導く。

超自我の機能は、まさにわれわれ人間存在を構成する恐怖の動因、人間存在の非人間的な核を途方に暮れさせることにある。この次元とは、ドイツの観念論者が否定性と呼んだものであり、そしてまたフロイトが死の欲動と呼んだものである。現実界のトラウマ的な固い核、――そこから昇華がわれわれを保護してくれるーーその核であるどころか、超自我そのものが現実界を仕切っている仮面なのである。

レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。 (ZIZEK"LESS THAN NOTHING"私訳)

ここでも中井久夫の文と同様に、肝腎なのは「トラウマ的な固い核」である。とはいえ中井久夫の見解とラカン派の見解とのニュアンスの相違、--おそらくそれが「超自我」を考えるのにもっとも肝要なことであるのではないかと思われるがーー、それはここでは、いや、いまだわたくしにはどこであっても、問い切れていない。そのニュアンスの相違とは、フロイト的に超自我≒自我理想とするかーーこれはわたくしの誤読でないかぎり、中井久夫だけでなく柄谷行人もそうである(参照:「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト))ーー、ラカン派的に超自我を現実界の審級、自我理想を象徴界の審級とする立場をとるかの差異に由来し、後者では超自我の非合理性、ドイツ観念論者による理性の欲動、その猥雑な面が強調される。

人間存在は、この夜、その単純さの中にすべてを包含しているこの空無である。そこには表象やイメージが尽きることなく豊富にあるが、そのどれ一つとして人間の頭に、あるいは彼の眼前にあらわれることはない。この夜。変幻自在の表象の中に存在する自然の内的な夜。この純粋な自己。そこからは血まみれの頭が飛び出し、あちらには白い形が見える。(…)人は他人の眼を覗き込むとき、この夜を垣間見る。世界の夜を対立の中に吊るす、恐ろしい夜。(ヘーゲル『現実哲学』草稿)
カント以前の宇宙では、人間は単純に人間だった。動物的な肉欲や神的な狂気の過剰と戦う理性的存在だったが、カントにおいては、戦うべき過剰は人間に内在しているものであり、主体性そのものの中核に関わるものである(だからこそ、まわりの闇と戦う<理性の光>という啓蒙主義のイメージとは対照的に、ドイツ観念論における主体性の核の隠喩は<夜>、<世界の夜>なのだ)。

カント以前の宇宙では、狂気に陥った英雄は自らの人間性を失い、動物的な激情あるいは神的な狂気がそれに取って代わる。カントにおいては、狂気とは、人間存在の中核が制約をぶち破って爆発することである。(ジジェク『ラカンはこう読め』)

◆附記:これはラカン派の若く有能な精神科医のツイートのはずだが、鍵アカウントになっているので敢えて彼の名を掲げない。

RT 鍵 : ネトウヨ=底辺説と同じように、レイシスト=人格障害説も、彼らを他者化して考えてるだけなんでダメ議論ですよね。むしろ、どうして私たちがネトウヨやレイシストにならないですんでいるのかを考えるべき。つまり、私たちもそうなりうるものとして。現状、それを論じてるのはラカン派 

とはいえこういう考え方はラカン派だけではないとすることもできる、たとえばニーチェの「権力の意志」は、フロイト=ラカン派の「死の欲動」と類似したものと読みうる→ Encore, encore ! --快・不快原理の彼岸=善悪の彼岸

…………

最後に権力の意志≒死の欲動(あるいは享楽)などといささか厄介な話ではなく、ここでは『道徳の系譜』から、「理想」をめぐるニーチェの「愉快」な叙述を抜き出しておこう。なによりも大切なのは、〈あなた〉の理想を、あるいは脊髄反射的=「身体的」に出てしまうつもりになっている〈あなた〉の善意や良心を、ときに疑うことである。それが視野狭窄に陥らない、「わずらわしい大義の人」の臭気をまぬがれるほとんど唯一の道ではないか(参照:Homo homini lupus、あるいは攻撃欲動(ニーチェとフロイト))。

地上においてどんな風にして理想が製造されるかという秘密を、少しばかり見下ろしたいと思う者が誰かあるか。その勇気をもっている者が誰かあるか…… よろしい! ここからはその暗い工場の内がよく見える。わが物好きの冒険家君よ、暫く待ちたまえ。貴君の眼は、まずこのまやかしのちらちらする光に慣れなければならない…… そうか! ではよろしい! さあ、話してみたまえ! 下では何が起こりつつあるのか。最も危ない物好き屋君よ、貴君の眼に映る事柄を話してみたまえーー今度は私が聴き役だ。――

――「何も見えません。それだけによく聞こえます。用心深い、陰険な、低い囁きと呟きがあらゆる隅々から聞えてきます。私にはごまかしを言っているように思われます。どの声もすべて猫撫声です。弱さを嘘でごまかして手柄に変えようというのですーー確かにそうに違いありませんーー全くあなたのおっしゃるとおりです。」

――それから!

――「そして返報をしない無力さは『善さ』に変えられ、臆病な卑劣さは『謙虚』に変えられ、憎む相手に対する服従は『恭順』(詳しく言えば、この服従の命令者だと奴らが言っている者に対する恭順、――奴らはこれを神と呼んでいます)に変えられます。弱者の事勿れ主義、弱者が十分にもっている臆病そのもの、戸口に立って是が非でも待たなければならないこと、それがここでは『忍耐』という立派な名前になります。そしてこれがどうやら徳そのものをさえ意味しているようです。『復讐をすることができない』が『復讐をしたくない』の意味になり、恐らくは寛恕さえも意味するのです(『かれらはその為すところを知らざればなりーーかれらの為すところを知るはただわれらのみ!』)。その上、『敵への愛』を説きーーそしてそれを説きながら汗だくになっています。」

――それから!

――「すべてこららの陰謀家や隠れ場の贋金造りどもは惨めです。それは疑いありません。奴らは一緒に蹲まって温まり合ってはいるのですけれどーーしかし奴らの言うところによりますと、奴らの惨めさは神意によって選ばれた特別の扱いであって、一番可愛がられる犬が打ちゃく(手偏+鄭)されるのと変わりがない。恐らくこの惨めさもまた一つの準備、一つの試練、一つの訓練なのだろう。のみならず恐らくーーやがては償われ、莫大な利子を附けて、黄金で、いや幸福で払い渡される代物なのだろう、というのです。それを奴らは『至福』と呼んでいます。」

――それから!

――「今度は、私にこんなことを仄めかします。奴らはその唾を舐めていなければならない(恐怖からではない、断じて恐怖からではない! むしろ、神がおよそお上〔かみ〕を敬えと命じたまうたからだ)あの地上の有力者、支配者たちより、単により善いばかりではない。――単に『より善い』ばかりでなく、更に『より幸福』でもある。少なくともいつかはより幸福になるだろう、と。だが、もう沢山です! もう沢山です! もう我慢ができません。わるい空気です! わるい空気です! 理想が製造されるこの工場はーー真赤な嘘の悪臭で鼻がつまりそうに思われます。」

――だめだ! もう暫く! 貴君はあらゆる黒いものから白いものを、乳液やら無垢を作り出すあの魔術師たちの出世作についてまだ何も話さなかった。――貴君は奴らの《精巧な》仕上げ、奴らの最も大胆な、最も細微な、最も巧妙な、最も欺瞞に充ちている窖の獣どもーー奴らがほかならぬ復讐と憎悪から果たして何を作り出すか。貴君はかつてこんな言葉を聞いたことがあるか。貴君が奴らの言葉だけに信頼していたら、貴君は《反感〔ルサンチマン〕》をもつ人間どもばかりの間にいるのだということに感づくであろうか……

――「わかりました。もう一度耳を欹てましょう(ああ! これは! どうだ! 鼻をつまもう)。奴らがすでに幾たびとなく繰り返したあの言葉が今やっと聞えます。『われわれ善き者――そのわれわれこそ正しき者だ』と。奴らの欲するもの、それを奴らは報復と呼ばず、却って『正義の祝勝』と呼びます。奴らの憎むもの、それは奴らの敵ではないのです。そうです! 奴らは『不正』を憎み、『背神』を憎むのです。奴らが信じかつ望むもの、それは復讐への希望、甘美な復讐(――『蜜より甘き』とすでにホメロスが呼んだ)の陶酔ではなくして、むしろ『神を無みする者に対する、神の、義しき神の勝利』なのです。奴らにとって愛すべきものとして地上に残されているもの、それは憎悪における同胞ではなくして、むしろ『愛における同胞』であり、奴らの言うところによれば、地上におけるすべての善くかつ正しい者なのです。」

――では、奴らにとってこの世のあらゆる苦しみに対する慰めとなるもの、奴らが幻に描いて当てにしている未来の至福――、それを奴らは何と呼んでいるか。

――「どうでしょうか。私の耳に間違いないでしょうか。奴らはそれを『最後の審判』、自分らの国、すなわち『神の国』の到来と言っています。――しかも奴らは、それまでの間は『信仰に』、『愛に』、『希望に』生きるのです。」

――もう沢山だ! もう沢山だ! (ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳 岩波文庫P52)



2014年12月29日月曜日

鳩餅と呼ばれたあんこ餅

このところツイッター上で経済学者を「フォロー」して、彼らの主張をいくらか追ってみることをしていたのだが、もうそれも煩わしくなり、いまは三人の経済学者(池尾和人、小黒一正、斉藤誠各氏)以外は「フォロー」を外した。その生き残りのひとり、斉藤誠氏が次ぎのようなツイートをしている。

@makotosaito0724叔父や父が元気だった頃は、静岡の実家に集まった。28日が一番忙しかった。餅をつき、しめ縄を編んだ。鳩餅と呼ばれたあんこ餅、美味しかったなぁ。

懐かしいなぁ、わたくしも、父の時代ではないが、母方の祖父が元気だった頃は(小学生四年まで)、親戚一同が集っての新年の準備の至福の記憶がある。母方の家系は美丈夫が多く、五人の伯叔父たちがかわりばんこに裏庭で餅をつく姿はひどく恰好がよくて惚れ惚れしたなぁ。それに甘党のおじいちゃんが火鉢でゆっくり炙って香ばしくなった「あんころもち」、あるいは祖母が地元の八丁味噌でつくったタレをたっぷりつけて炙った餅のなんと美味だったこと! さらにはまた大晦日には、祖父の経営する小さな会社の従業員までもが集っての十卓以上の麻雀大会、あの賑やかさ、あの笑顔、あの下手糞な父の散財!(おまえのお年玉のためにわざと負けるんだなどと言っていたが)。この日ばかりは母のすぐ下の生涯独身を通した放蕩児の叔父が酒場の女友だちを家に連れてきて、なんだかとっても美人のママだったなぁ。ママやらネエサンやらと呼ばれる女性は毎年違った顔だったけどさ。そんな至福の時は祖父が死んでから徐々になくなってしまった。叔父叔母たちはいつの間にかもう集らなくなった。

もっとも京都の名家のひとつ、いまでは国の重要文化財になった杉本家住宅の主杉本秀太郎氏でさえ、70年代にすでにこう書いている、《集合の時間が、いつの間にか七時になった。やがて七時半にまで繰り下がった。こうなれば、廃絶までは時間の問題だ。三年まえ、分家の家族ふくめての参集のしきたりは絶えた》と。

暮れの二十四、五日頃に、隣家から餅つきの音が聞こえてくる。台所のたたきに臼を据えて搗いている。こちらの台所にまで、地響きが伝わってくる。裏庭にまわると、地響きに代わって、杵音が聞こえる。隣家の餅つきの気配だけで、こちらも気分がゆったりするのはありがたい。

わたしの家では、正月に、輪取りという形式の鏡餅を祖先にお供えする習慣がある。輪取りというのは、径二寸五分のまんまるい檜のたがをはめた、厚さ一寸の餅で、これを三つ重ねにしたものを左右一対、三方に載せて仏壇に供えるのである。この輪取りを承知している餅屋は、いまではほとんどないが、蛸薬師通りの新町東入ル鳴海餅という店だけは、いまでもきちんと作ってくれる。年の暮れに輪取りをこの店に注文するのは、順照寺という真宗西本願寺派のお寺と私のところと、二口だけになったそうである。私の家は西の門徒である。輪取りは、この筋からきているしきたりのようである。

序でながら、門松というものを、私の家では昔から立てたことがない。子どもの時分、どの家にの門口にも、根引きの小松が水引で結わえて柱の袖に掛けてあるのに、うちにはそれがないのがさびしく、父にわけをたずねたことがある。
「門徒物知らず、というてな。諸事簡素にするのがしきたりになっている」
と父が応じたような記憶がある。そういえば、他宗でするような盆のお精霊さんの行事もなければ、歳徳棚や荒神松も、うちには見当たらなかった。大晦日の夜のおけら参りというものさえしなかった。柳田国男が浄土真宗を目の敵に、いやむしろ眼中にも置かなかったのはもっともである。

したがって、正月の用意といっても、さして煩雑ではない。テレビが普及するにつれて恐るべき勢いで流行し、いつのまにやらあらゆる家庭が正月の準備の中心みたいになったおせちというものも、私のところでは従来作らなかった。年始のあいさつにきた人は、玄関で応々と呼ばわり、はきものを脱ぐことはせず、その場であいさつして、さっさと帰っていくのがしきたりだったからである。店の間に、ひつじ草の池沼を描いた時代屏風を立てかけ、そのまえに名刺受けをととのえておくと、名刺を投じただけでそのまま去ってゆく人を少なくなかった。年始の客は数が多いということくらい、だれも心得ていたから、あいさつ以外の冗語は互いに遠慮しながら、年始の往来をとり交わしたのだ。これを水くさいというなかれ。礼節は、形式的であればあるほど虚礼から遠ざかるものである。砕けた付合いがもてはやされる時代は、かえって虚礼がはびこる時代であろう。

ところで、八坂神社におけら参りをし、知恩院の除夜の鐘を聞いて帰れば、もう真夜中ということになるが、私の家でおけら参りをしなかった理由は、元旦が一年を通じてもっとも早起きしなければならない朝だったからだ。戦後も、これは当分そのとおりだった。夜ふかし朝寝坊のくせがついた学生時代には、早朝五時に叩き起こされるというだけで正月がいやだった。六時前にはもう来訪する分家の家族を仏間に迎え入れ、仏壇を正面にして左右に分かれて対面し、家族すべて顔をそろえて新年のあいさつを交すーーーこれが中京の多くが、心学の教訓にのっとった家訓にもとづき、長いあいだ実行してきた元旦のしきたりである。

集合の時間が、いつの間にか七時になった。やがて七時半にまで繰り下がった。こうなれば、廃絶までは時間の問題だ。三年まえ、分家の家族ふくめての参集のしきたりは絶えた。

いまでは八時頃、お雑煮を祝うまえに、私の家だけの親子三代が仏間に顔をそろえる。そしていささか堅苦しく「あけましておめどうとうございます。旧年中は……」と型通りのあいさつを表白する。小学生の娘がくすくす笑っている。

正月三ガ日のお雑煮は白味噌、七日は七草粥、十五日は小豆粥というしきたりは、いまもつづいている。食事というものが儀式の一端であるとすれば、この点では、正月は猶かすかに節を保ち、時の折り目の名ごりを、暮しの中にとどめている。(杉本秀太郎『洛中生息』1976)

ーーなどと書いていたら、さきほどこんなツイートに出合っちゃったよ。

私が唯一恐れているのは、私たちがそのうち家に帰って、年に一度みんなで集まってビールを飲みながら「あの時はよかった」などと語り合うようになってしまうことだ。そうはならないと自分自身に約束してほしい。人は何かを欲しながら、それを手に入れようとしないことがよくある。by ジジェク

というわけで「凡庸な」ことを書いてしまった。

……欲望と悔恨によって定義される現在の無表情なとりとめのなさへの苛立ちといったものは、(……)ほとんどの作家が無意識に選びとる執筆の契機である。いま生きつつある瞬間を確かな手応えをもって把握しえず、そこから充実した体験が見失われてゆくという焦燥感が、あっという間に単調なくり返しのリズムに同調してしまう。そこで、倦怠感ばかりが、存在を無為と懶惰な時間へと埋没させる。こんなはずではなかった、と誰もがいぶかしげに過去を振り返る。かと思うと、これではいけないと未来を望見する。かつて確実にこの手でまさぐりえたはずなのに、まるで嘘のように視界から消滅しているものへの漠とした悔恨、あるいは、いま自分が手にしていてもいいはずなのに、そうすることが何故か禁じられているものへの抑えがたい欲望、そうした過去と未来とが描きあげるイメージの鮮明さに対するこのいまという瞬間の曖昧さはどうだろう。(……)

肝腎なのは、生なましく触知しえない現在に苛立つ者たちだけが、思考すべき切実な課題とやらを文学に導入し、何とか欠如を埋めようと善意の努力を傾けようとする点だ。思想とは、この欠如を充塡すべく演じられる身振りにほかならぬ。そしてその身振りは、いくつもの解決すべき問題を捏造する。イデオロギーとは、そうして捏造された諸問題がおさまるべき体系化された風景にこそふさわしい抽象的な名称なのだ。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)