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2015年3月7日土曜日

元「しばき隊」諸君の「ポストモダンと冷笑」批判

野間易通氏が次ぎの二つのツイートをリツイートしている(15:00前後 - 2015年3月7日)。

@poem_japan: 以前、浅田彰が大江健三郎について「何故、あんなつまらないエッセイ書く作家があそこまで凄い小説を書くのか」みたいなこと言ってて、その頃の大江は直球の反戦反核で戦後民主主義的エッセイを連発してたんだけど、それのどこが悪いのかって思ったなー。
@bcxxx: 戦後民主主義は「つまらない」、という「戦争を知らない現代っ子の退屈主義」が、日本におけるポストモダン思想の根本にあり、その延長上に、90年代の政治サブカルの相対主義的歴史修正主義や、00年代以降の極右排外主義、趣味化した冷笑主義があると考えている。

前者はbcxxx氏がリツイートしたもののようで、bcxxx氏は、野間易通氏と同様、元しばき隊の仲間たちのひとりである。

3.11以後、これらの連中のやってきたことを評価し過ぎてもし過ぎることはないという立場に立つにもかかわらず、彼らの頭は単細胞すぎる。すくなくともそのツイートのかなりのものは、「キャッチーさ」のみが強調され、ときにひどく苛立たせられる。

@bcxxx: ネトウヨの猛然たるデマ言説に対して、左翼の対抗言説はいかにも丁寧で、資料を丹念に挙げたりするのだが、その分長ったらしく、キャッチーさに欠ける。教養のある人が、時間のある時に、ふむふむ勉強になるなあ、と思いながら読む感じ。学習会のノリなんだよね。(2014/09/07ーー「旧「レイシストをしばき隊」<首謀者>野間易通」より)

彼らはバカではない、だが、ことあるごとにポストモダンやら冷笑主義なる語彙をふりまわして否定するが、では例えば、「風刺」と「冷笑」とどう違うのか。彼らは今年初頭の仏風刺画をめぐる事件にどんな立場をとったのだったか(失礼ながら失念したが、今調べてみようとは思わない)。情緒の昂揚系ではなかったかどうかも思い出せない(参照:仏テロ事件後のラ・マルセイエーズによる「情緒の昂揚」)。

風刺/冷笑には、もちろん違いはあるのだろう、たとえば、そこにユーモア/アイロニーの二項対立を思い起す人もいるだろう(参照:「ユーモア」と「超自我」(柄谷行人とフロイト))。そして風刺はユーモア寄りだと言い募る場合もあるかもしれない。だが、それは受け取り手次第の場合が多い。

たとえば、これは別の例だが、ニーチェの能動的/受動的ニヒリズムの相違にひとは気づくことは容易ではない。それは受け取り手がどの立場に立っているのかによって変化する。ユーモア/アイロニーはその最たるもののひとつだ。

ニヒリズム。それは二義的だ。
A 高揚した精神力のしるしとしてのニヒリズム。すなわち能動的ニヒリズム。
B 精神力の衰退と退化としてのニヒリズム、すなわち受動的ニヒリズム。(権力 22番)
ニヒリズムは一つの正常な状態である。

それは強さのしるしでありうる。精神力が伸びきつて、これまでの目標(「信念」とか、信仰信条など)が身たけに合わなくなったという場合である。(――というのは、信仰は一般に、ある生物がそのもとで繁栄し、生長し、権力をうるような状況が示す権威に服従すること、すなわち生存の諸条件の強制をあらわすものだからだ。)

他方ニヒリズムはまた、創造的自主的に、あらためて一つの目標を、一つの「何のために」を、一つの信念を打ちたてるにたるだけの強さをもっていないしるしでもある。

能動的ニヒリズムは、破壊の暴力として、その力の最大限に達する。

これに対立するのが、もはや攻撃することをしない疲れたニヒリズムであろう。その最も有名な形式は仏教であろう。受動的ニヒリズムとして、弱さのしるしとして。精神力が疲れ、消耗しきってしまった結果、在来の目標や価値が合わなくなり、それがもはや信ぜられなくなるという場合である。――価値と目標の綜合(すべて強い文化はこの綜合にもとづく)が解体して、その結果、個々の価値がたがいに戦いあう、すなわち崩壊することになるのだ。――活気づけ、治療し、安心をあたえ、麻痺させるようなすべてのものが、宗教的とか、道徳的とか、政治的とか、美的とか、その他さまざまの扮装をして、前景に出てくるのだ。(権力 23番)

…………

たとえば、浅田彰の2001年4月28日 東京大学駒場の講演「知とは何か・学ぶとは何か」を読んでみよう。

自分はそもそも、近代はすばらしいと言っていた人に対して、近代にも様々な問題はあるし、近代が忘れてきた様々な問題をもう一回考える必要があるという立場だった。しかし気づいてみると近代こそが最低限の常識だ、という頑固親父がいなくなって、近代は絶対ではないとか、公教育というけれども情報量を詰め込むより生きる力をつけなければなどと言っている。

あるいは、「民主主義の中の居心地悪さ」にいくらか列挙されている抜き書きを。

なぜ、《戦後民主主義は「つまらない」、という「戦争を知らない現代っ子の退屈主義」が、日本におけるポストモダン思想の根本》などと言い募ることができるのか。これこそ「キャッチーさ」のみが強調された阿呆ツイートである。

ここではバディウ曰くの《現代における究極的な敵に与えられる名称は資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義である》などという類の話はしないでおこう(参照:民主主義はありとあらゆるシステムのうちで最悪である)。

もっと基本的レベルの話をしよう、野間易通氏は、《そもそも柄谷行人みたいな大物の哲学者が「日本はデモができる社会になってよかった」とか言ってるのって極めて異常なことで、……》云々とツイートしていたのを垣間見たことがあるので、柄谷行人の話をしよう。

 ポスト・モダニズムについては、僕もさまざまな、かつ相互に矛盾しあうような考えをもっています。ある者たちに対して、僕は、自分はポストモダンだと宣言するでしょう。しかし、それは、ポスト・モダンがモダンのあとにくる「状態」や「段階」でなのではなく、モダンなものに対してその自明性をくつがえすという“超越論的”な「姿勢」であるかぎりにおいてです。だから、それは「状態」としてのポスト・モダンに対しても向けられなければならない。(柄谷行人『闘争のエチカ』P18)

「超越論的」という言葉が出てきている。柄谷行人はいたるところでこの「形容詞」を語っているが、ここではトランスクリティークから。

カントの哲学は超越論的――超越的と区別されるーーと呼ばれている。超越論的態度とは、わかりやすくいえば、われわれが意識しないような、経験に先行する形式を明るみにだすことである。(柄谷行人『トランスクリティーク』P17)

すなわち、《自分が暗黙に前提している諸条件そのものを吟味にかけるということ》であり、《超越的、つまりメタレヴェルに立って見下すものではなく、自己自身に関係していくもの》(『闘争のエチカ』P53)ということになる。これは殆んどユーモア/アイロニーの定義である。「超越論的」がユーモアであり、「超越的」がアイロニーである。ここでドゥルーズの定義を掲げてもいいが、長くなるので千葉雅也氏の書から拾っておこう。

千葉雅也(動きすぎてはいけない)@ 逃走は、少なくとも二度、加速されなければならない。一度目は、しがらみを笑い飛ばすイロニー的な初速として。二度目は、そこから伸びるリゾームを、《この》加/減でよしと、笑って済ませるユーモア的なトップ・ギアとして。

あるいはまた柄谷行人の80年代の書から次の文をつけ加えることもできる。

人間が作ったものと自然が作ったものの差異はなにかという問いは、それ自体歴史的である。実際この問いが生じるのは、またテクネーの意味が問われるのは、 きまってテクノロジーが飛躍的に発展するときである。(……)サンボリストたちの問題意識は、19世紀のテクノロジーに密接に関係するのである。今日において、構造主義は、いうまでもなく、コンピューター・サイエンスの所産である。逆に、現代のテクノロジーに無関係にみえるような哲学者の言説においても、 本質的にこの関係が存する。たとえば、ジャック・デリダがアルシエクリチェールについて語るとき、分子生物学が遺伝子をエクリチュールとしてみているとい う事実の上である。

このことは何を意味するのだろうか。第一に、われわれはもはや伝統的な用語によって語るべきではなく、すくなくとも現代のテクノロジーの達成を前提としておかねばならない。さもなければ、それはわれわれを伝統的な思考の圏内に閉じこめてしまうだろう。だが、同時に、われわれは歴史的な過去に遡行しなければならない。それは、現代のテクノロジーが与えている「問題」が、そのなかで解かれるべきものであるどころか、一つの反復的な症候にすぎないことを知っておくべきだからだ。さらに、もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくことである。(柄谷行人『隠喩としての建築』 講談社版1983)

この引用文の最後にある、《もっと重要なことは、われわれの問いが、我々自身の“説明”できない所与の“環境”のなかで与えられているのだということ、したがってそれは普遍的でもなければ最終的でもないということを心得ておくこと》という振舞いがポストモダンの真の態度なのだ。

そしてくり返せば、「ポストモダン」が、「状態」になってしまえば、それを疑うことが「ポストモダン」なのだ。すなわち、《それは「状態」としてのポスト・モダンに対しても向けられなければならない》と。ただつねに懸念されるのは、それが何を意味するのか分からずにイメージだけの概念=表象として流通してしまいがちなことだろう。それを元シバキ隊の諸君はやっていないだろうか?

かつまた、われわれは、いまだ《自分が批判している対象とは異質の地平に立って、そこに自分の主体が築けるんだと思うような形で語られている抽象的な批評がいまなおあとを絶たない》(蓮實重彦『闘争のエチカ』)には相違ない。これは殆んど誰もが例外ではないはずだ。さて、元シバキ隊の諸君はどうなのだろう?

さらにまた、人は「正しい心を抱いて邪な行為をする」(シェイクスピア=ジジェク)こともありうる。「誤った理由から正しいことをする」場合もあるように。彼らの多くは見たところ、--これはわたくしの推測だがーー共産党支持らしいが、それは場合によって、「正しい心を抱いて邪な行為をする」帰結になりはしないか。

ここでの文脈とは、あまり関係がないが、東浩紀氏が野間易通氏に向けた昨年末の選挙前のツイートを掲げておこう。

@hazuma: こういうとき、そんなこと言っても与党の横暴を止めるためなんだから、とにかくなんでもいいからうち(野党)に入れておけとか言ってきたから、日本の野党は競争力を失ったんだと思う。

ーーとはいえ、わたくしは与党の横暴を止めるために、「戦略的に」社会党や共産党などに入れてきたタチではあるが。

…………

以下、元シバキ隊の諸君の大キライなはずの蓮實重彦によるポストモダン批判(吟味)を附記しておく。

僕は「ニュー・アカデミズム」は本質的に思想運動ではなく「闘争」だったと思っています。その「闘争」は、出発点において共同体内の戦いだった。浅田彰にしても中沢新一にしても、その戦いを一つの攻撃として組織したんだと思います。そうした姿勢を勇気づける雰囲気はある程度準備されてはいましたけれど、より持続的な戦いの端緒として『構造と力』や『チベットのモーツァルト』は出版されたわけです。その際、共同体内の敵はもっと強力なものだという自覚があったはずです。その自覚とは、あっさり蹴散らされるほどの理論的な強力さではなく、いわば無視されるといった程度の負の強力さを予測していたということです。

ところが、仮想敵がまるで強くなかった。浅田氏にしろ中沢氏にしろ、積極的な敵意に出会う以前に共同体内的な嫉妬によって受け入れられ、それをバネにして共同体内で勝利してしまったのです。これは、日本社会の無責任的な柔構造にからめとられたということにほかなりませんが、大学といった「アカデミズム」の場にまで拡がり出しているこの柔構造の無責任性は、いつでも逆転しうるものだ。王殺しはたえず共同体的な健康維持として可能ですが。ところで、いわゆる「ニュー・アカデミズム」が一時的に占有しえた王の位置というのは、彼らが意図してそこについたわけのものでない。いわば、彼らの書物が読まれたことからくる思想的な勝利ではなく、共同体が容認しうるイメージに翻訳された観念に支えられたものでしょう。「アカデミズム」でさえ、そのイメージに汚染されているわけで、まあ、僕の場合なら、そうしたイメージ汚染の現状を物語批判として展開したのだけれど、「ニュー・アカデミズム」の当事者たちの方は、ある程度、そのイメージ汚染の醜悪さを楽しんでいました。それが柄谷さんのいう「調子に乗ってやってきた」という側面だと思いますが、いまや、彼らの書物が持っていた「闘争」性があらためて問われるときだと思う。(『闘争のエチカ』P176)

ここで蓮實重彦は何を言っているのだろう。浅田彰も中沢新一も、ニーチェの云う能動的ニヒリズムとして出発したのだ、といってはいないか。だがいつの間にかそれが取り込まれて受動的ニヒリズムの一環になってしまった、と言ってはいないか。

以下は補足的につけ加えておく。

……フレデリック・ジェームソンが「ポスト・モダンと消費社会」というのを書いたでしょう。たいした論文じゃないと思うんだけれども、そこで彼が陥っている最大の間違いは、時間と空間を限定してしまったことにある。もし、かりにポスト・モダンという状況を評価するならば、それは一定の時代じゃないわけです。場所でもないわけです。そのことを彼は、どうしても文章のなかに取り込めないわけです。時代と場所ということに、どうしてもこだわってしまってて、ポスト・モダン的な運動は映画なら一九五〇年代の終わりからフランスを中心に起こったとこ、そういうことを平気で書いちゃう。

たしかに、たとえばゴダールが出たのはフランスですよね。これは、誰も否定しない。それからゴダールは、ある種の歴史的な状況を背負って出てきたというのも当り前なんだけれども、こういう歴史的な時代設定によってポスト・モダンを語る姿勢って、ポスト・モダン的感性を抑圧するいかにも近代的な言説でしょう。僕にはそのつもりはないけれど、こうした筆遣いでポスト・モダンが語られるのを見ると、僕はつい、ポスト・モダンの擁護にまわりたくなっちゃう。いくらなんでも、もう少し魅力的な語り方がありはしまいか。

ゴダールがすごいのは、彼の撮る作品が、映画の魂といういうべきものをほとんど唯物論的にスクリーンに露呈させているからであって、そのことで「後期資本主義下に現れた新たな社会秩序に内在する真実」を描こうとする一連の表象形式から遥かに距てられた場所にわれわれを目覚めさせてくれるからです。そうした場所での覚醒の体験は無時間的なものですから、それをポスト・モダン的だというならまだわかる気がする。でも、そんなことを考えていそうもないジェームソンは、近代芸術がすでに完成しつくして、新たな形式の創造が不可能になったという芸術家の自覚が、個人という近代的な概念の機能しえなくなった時代の表現としてポスト・モダンを生み落したのだと主張する。そうした近代的な歴史観こそが、実は批判さるべきなんだと思う。つまり、近代は終わったという自覚は彼にとっては個人的かつ近代的な自覚でありながら、その矛盾には目をつむっているわけですから、こうした人たちが語るポスト・モダンの近代性には心からうんざりさせられるし、その批判は『物語批判序説』であからじめしてあるつもりです。

ジェームソンはマルクス主義者だから、いまだに時代と生産様式にこだわらざるをえないんでしょうが、そこから引き出される論述の啓蒙性には本当に驚かされます。そして、それを批判するには、ポスト・モダン的である必要なんかない。それを近代的とよぼうが何とよぼうがかまわないが、批評ができれば充分なんです。ジェームソンには批評が欠けている。少なくとも、彼は、ポスト・モダンを語っていながら、ポスト・モダンの魂ともいうべき「記号」を唯物論的に擁護してはいない。彼は、共同体がたやすく表現するイメージを介して相対的な差異と戯れているだけなのです。これでは、いくら何でもポスト・モダンが可哀そうだ。(『闘争のエチカ』P69-70)
フーコーにとって「ポストモダン」という問題は存在しない。(……)現在のエピステーメーの領域にはいかなる断絶の兆候もない。いわゆる「大理論」の成立は何の変化ももたらさず、またそれらの死と呼ばれるものも、全く効力がない。考古学者フーコーにとって、「ポストモダン」とは、いわば誤まった問題なのである。(蓮實重彦『フーコーと《19世紀》』)
僕自身としては、真実をめぐる言説が「大いなる物語」の中に錨をおろしていた時代をモダンと呼び、その「大いなる物語」の機能失調が明らかになって以後の時代をポスト・モダンとよぶことには反対であり、かりに「大いなる物語」が近代=モダンの言説だと呼ぶなら、その成立は、真実とは無縁の「小さな物語」の発生と同時代的であり、あるいはその「小さな物語」こそが「大いなる物語」の伝播に役立っていたという視点をとっているので、ポスト・モダンをモダンに続く時代ととることにも反対です……(『闘争のエチカ』)

――さて〈諸君〉はこれら蓮實・柄谷・浅田の「三馬鹿トリオ」(吉本隆明)の語りを「批判=吟味」できるだろうか。すくなくともキャッチーさに専念して「相対的には聡明」なつもりでいる連中には無理だろう。

肝要なのは「超越論的」、あるいは「ユーモア」である。ユーモアが《メタレベルに立つのは、同時にメタレベルがありえないことを告げるためである。ヒューモアは、「同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す」(ボードレール)ものである》(柄谷行人『ヒューモアと唯物論』)。あるいは〈あなた〉の問いや批判が前提にしているのは何かというポストモダン的=超越論的な問いが肝腎である。「超越論的」とは、《合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判》することでもある(「強い視差 parallax」、あるいは「超越論的」)。

今思えばカントの超越論的な次元に辿りついたとき、私は哲学とは何たるかを間違いなく初歩的なレヴェルでしか理解してなかったのだ、と思いました。つまり、私は哲学が一種の誇大妄想的な企て(megalomaniac enterprise) ――ほら、「世界の基本的な構造を理解しましょう」というたぐいのものです――ではないという重要なポイントを理解したとき、哲学はそんなものではないとわかったのです。(……)

哲学は誇大妄想的なものではないと私が知ったのは、愚直(naive)な科学者から「われわれが合理的な仮説にもとづいた厳然たる現実を扱っているのに対して、君たち哲学者は単にあらゆる事物の構造を夢見ているだけではないのかね」というありがちな反論を受けたときでした。そのとき、哲学はある意味で科学より批判的で、より用心深くさえあるのだということに気づきました。哲学はより初歩的な疑問さえ投げかけます。例えば、科学者がある問いにアプローチする際、哲学のポイントは、「万物の構造は何か」ではなく、「その問いを定式化するために科学者がすでに前提としなければならない概念とは何なのか」ということです(スラヴォイ・ジジェク『ジジェク自身によるジジェク』清水知子訳)

ーー経験論に傾きがちな〈諸君〉も「偽の現場主義が支える物語的な真実の限界」を知らないわけではないだろう。


この文は、海外住まいの身として「なんでおまえらえらそうに言うわりになんの役にも立たないの?」(野間易通)という批判を蒙ることは覚悟で、あまりにも彼らの調子に乗りすぎが目に余るため、以上の文句を記してみたものである。こんなことはおそらくわれわれの世代(すなわち三馬鹿トリオを読んだ世代)の者たちにとっては自明の理だろう。ただ反原発、反レイシズム、反安倍などで、実働部隊として活躍してくれそうなのは元しばき隊の連中しかいそうもないので、批判の口を閉ざしているだけなのだろう。