ゼロ記号」は数学におけるXのように意味の不定値を表す働きをする。(……)
その独自の機能は、シニフィアンとシニフィエの間のずれを埋めること、あるいはより正確にいえば、(……)シニフィアンとシニフィエの間の相補関係が損なわれて、両者のあいだに不整合な関係が生じていることを徴づけることである。(浅利 誠「レヴィ・ストロースとブルトンの記号理論」ーー「要素と構造」)
…………
「ゼロと縫合 Suture」にて、いささかまわりくどいことを記しているのかもしれないが、基本は、レヴィ=ストロースの「浮遊するシニフィアン」=マナ=ズレを埋めるゼロ記号の問いなのであり、それを「ゼロシニフィアン」やら「縫合」やらといったり、S1(主人のシニフィアン)≒trait unaire(一つの特徴)と言っているに過ぎない(そこでの扱い方は、より形式的に捉える形だが)。
そして、《この問題は一見アカデミックなもののようにみえるが、そうではない。究極的には、人のアイデンティティにおいて要素を結びつけるものは何かという問いに関わるからだ。》(ヴェルハーゲ、2009)
たとえば、ロラン・バルトのジイドとの同一化の話。「マークつきの空虚」とあるが、これも浮遊するシニフィアンの話だ。
そして、《この問題は一見アカデミックなもののようにみえるが、そうではない。究極的には、人のアイデンティティにおいて要素を結びつけるものは何かという問いに関わるからだ。》(ヴェルハーゲ、2009)
たとえば、ロラン・バルトのジイドとの同一化の話。「マークつきの空虚」とあるが、これも浮遊するシニフィアンの話だ。
恐らく、《作家であること》! というあの幻想をいだいて青春をすごす若者は、もうひとりもいないのだ。いったい同時代の作家の誰からコピーしようとのぞめばいいのか。誰かの作品をではなく、その仕事ぶり、その姿勢、ポケットに手帳を、頭に文をおさめて世間を歩いてゆくあの流儀を、いったい誰について真似すればいいというのか(そんな風に私はジッドを見ていたものだった、ロシアからコンゴまで歩きまわり、気に入った古典を読み、食堂車のなかで料理を待ちながら手帳に書いている姿を。そんな風なジッドを、私は実際に一九三九年のある日、ブラッスリ・リュテシアの奥まったテーブルで、梨をたべながら本を読んでいる姿を、見たことがある)。なぜなら、幻想が強制するもの、それは日記の中に見いだされるような作家の姿だからである。それは《作家からその作品を差し引いたもの》である。神聖なものの至高な形式、すなわちマークつきの空虚である。(『彼自身によるロラン・バルト』)
中井久夫の次の文も同様である。
昭和三十八年の秋から四十一年の同じく秋まで、私はある韓国のおばあさんの家に下宿していた。(……)
私はその国の言葉を多少知っていた。最初の朝鮮語辞典(北系統の人の労作)の表紙のハングルが裏文字でも誰も気づかなかった時代のことである。李舜臣と安重根の二人の名を知っていたのも「合格」に幸いしたのであろう。この二人への尊敬を祖父は幼い私に語っていた。
注)ここでは父方であるが、多くを語るのがためらわれるのは、私の世代、つまり敗戦の時、小学五、六年から中学一年生であった人で「オジイサンダイスキ」の方が少なくないからである。明治人の美化は、わが世代の宿痾かもしれない。私もその例に漏れない。大正から昭和初期という時代を「発見」するのが実に遅かった。祖父を生きる上での「モデル」とすることが少なくなかった。
精神分析的にみれば、これは、子どもは父に対抗するために、弱い自我を祖父で補強するということになる。これは一般的には「祖先要求性」(Ahnenanspruch)というのであるが、祖先といっても実際に肌のぬくもりとともに思い出せるのは祖父母どもりであろう。「明治」を楯として「大正」に拮抗するといえようか。
最晩年の祖父は私たち母子にかくれて祖母と食べ物をわけ合う老人となって私を失望させた。昭和十九年も終りに近づき、祖母が卒中でにわかに世を去った後の祖父は、仏壇の前に早朝から坐って鐘を叩き、急速に衰えていった。食料の乏しさが多くの老人の生命を奪っていった。二十年七月一八日、米艦船機の至近弾がわが家をゆるがせた。超低空で航下する摘記は実に大きく見えた。祖父は突然空にむかって何ごとかを絶叫した。翌日、私に「オジイサンは死ぬ。遺言を書き取れ」と言い、それから食を絶って四日後に死んだ。(中井久夫「Y夫人のこと」『家族の深淵』所収)
こうやって祖父が亡くなり、中井久夫は「同一化」から「分離」したのか。いや、《基本的には、分離は、ある同一化を拒絶し、他の代替を選ぶこと》である。
基本的には、とは、たとえば「精神病者」でなければ、ということであり、ほかに神経症者治療における精神分析臨床における「主体の解任destitution subjective」においては、真の「分離」(幻想の横断)が起こるとされる。それらの例外を除けば、という意味である。
さて、「私はそうではない“I am not” 」と人が言うとき、私たち二番目の過程に導かれます。分離、それは相違を導入します。私たちは異なったようになります、というのは、初期の段階以降、私たちはある同一化のモデルを拒絶し、他のモデルを好むようになるからです。どの親も経験します、二歳のよちよち歩きの子どもがムズカシクなり、自分の意志を示すようになります。そのとき彼もしくは彼女が、同時に二つの新しい単語を発見するのは偶然ではありません。その単語とは、「イヤno」と「自分me」であり、とてもしばしば、その二語を組み合わせて使います。自立の要求がふたたびほとばしり出るのは思春期で、それはその時期のホルモン分泌の強度のなかでです。今度は独立心の錯覚を伴っています(ぼくが自分自身で決めるよ!)。ある範囲で、この独立心は錯覚なのです。というのは基本的には、分離は、ある同一化を拒絶し、他の代替を選ぶことに帰結するからです。その意味は別の鏡に反映させるということです。同一化と分離の組み合せが意味するのは、最初期から、私たちのアイデンティティは、類似と相違のあいだの天秤だということです。私たちは引き裂かれるのです、他者に溶け込む促しと、他者から距離をとる促しのあいだで。
基本的に、「私が私である」のは、ある重要な他者と関係する私独自の仕方によります。もっと個別的に言うなら、私が他のジェンダーに関わる仕方、他の世代に、私の同僚に、そして最終的には、私自身に関わる仕方です。実に、幼児期以来受け取ってきたジェンダーのアイデンティティを鏡に映すことは、同時にジェンダーの関係を鏡に映すことでもあります。私の男性性は、いかに女性性に気づき学んできたかによって決定されます。もし私が女性をすべての悪の根源、私を罪に陥れるものと思い込んでいたなら、私は恐々とした、厳格な男ーー己れの煩悩に打ち勝つための闘争を女性に投影する男ーーになるでしょう。もし私が女性を優しく思いやりのある、けれども、支配的な存在だと感じていたなら、私はそこから永遠に逃れようと努める大きな息子man-sonになるでしょう。等々。これ等は、男と女の本質を定める努力の運命づけられた特質です。(Paul Verhaeghe、 Identity, trust, commitment and the failure of contemporary universities、2012)
中井久夫の祖父の代わりはーーすぐさまそうだったのではなく、おそらく甲南中学の教師などを経由してのものだろうがーー、ヴァレリーである。
フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、私の人生の中でいちばん付き合いの長い人である。もちろん、一八七一年生まれの彼は一九四五年七月二十日に胃癌で世を去っており、一八七五年生まれの祖父の命日は一九四五年七月二十二日で、二日の違いである。私にとって、ヴァレリーは時々、祖父のような人になり、祖父に尋ねるように「ヴァレリー先生、あなたならここはどう考えますか」と私の中のヴァレリーに問うことがあった。医師となってからは遠ざかっていたが、君野隆久氏という方が、私の『若きパルク/魅惑』についての長文の対話体書評(『ことばで織られた都市』三元社 2008 年、プレオリジナルは 1997年)において、私の精神医学は私によるヴァレリー詩の訳と同じ方法で作られていると指摘し、精神医学の著作と訳詩やエッセイとは一つながりであるという意味のことを言っておられる。当たっているかもしれない。ヴァレリーは私の十六歳、精神医学は三十二歳からのお付き合いで、ヴァレリーのほうが一六年早い。ただ、同じヴァレリーでもラカンへの影響とは大いに違っていると思う。 ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。 (中井久夫「ヴァレリーと私」(書き下ろし)『日時計の影』2008)
冒頭近くに掲げたバルトの文には、ジイドの「その仕事ぶり、その姿勢、ポケットに手帳を、頭に文をおさめて世間を歩いてゆくあの流儀」という文があった。その文と次ぎの文をともに読んでみよう。
例えば、われわれが同一化する人物は、文字「r」発音する風変わりな仕方があるとすれば、われわれはそれを同じような仕方で発音し始める。それがすべてである。他の振舞いを試みること、すなわち、この人物のように服を着る、彼女がすることをするなどは、必要がない。
フロイト自身、この類の同一化のいくつかの興味深い例を提供している。例えば、他の人物の特有な咳の仕方を模倣する。あるいは少女の寄宿舎の名高い例がある。少女たちの一人が彼女の秘密の恋人から手紙を受け取った。その手紙は彼女を動顛させ嫉妬心で満たした。それはヒステリーの発作の形を取った。引き続いて、同じ寄宿舎の何人かの別の少女たちは同じヒステリーの発作に襲われる。彼女らは彼女の密通を知っており、彼女の愛を羨んでいた。そして彼女のようになりたい、と。とはいえ、この彼女との同一化は、奇妙な extraordinary 形をとっており、すなわち、問題の少女において、彼女の関係性(密かな恋の危機)の瞬間に現われた特徴 trait に同一化する形である。(Zupancic, When Surplus Enjoyment Meets Surplus Value、2006)
ここには、trait unaire(一つの特徴)=主人のシニフィアンの説明が現われているが、それは、あっさり言ってしまえば、マナのことである。
バルトの文にこうもあった、《いったい同時代の作家の誰からコピーしようとのぞめばいいのか》、と。作家とは関係なしに、現在、同一化の対象ーー祖父でもいい、映画スターでもいいーーがだんだん少なくなってきている時代ではあるだろう。
とはいえ、次のような同一化は、厳然としてある。
ファシズム的なものは受肉するんですよね、実際は。それは恐ろしいことなんですよ。軍隊の訓練も受肉しますけどね。もっとデリケートなところで、ファシズムというものも受肉するんですねえ。( ……)マイルドな場合では「三井人」、三井の人って言うのはみんな三井ふうな歩き方をするとか、教授の喋り方に教室員が似て来るとか。( ……)アメリカの友人から九月十一日以後来る手紙というのはね、何かこう文体が違うんですよね。同じ人だったとは思えないくらい、何かパトリオティックになっているんですね。愛国的に。正義というのは受肉すると恐ろしいですな。(中井久夫「「身体の多重性」をめぐる対談――鷲田精一とともに」『徴候・記憶・外傷』所収)
たとえば、この現象は、デモ参加者たちの様子を垣間見るだけで明らかであり、他にも、ツイッター上における同一クラスタ内の湿った瞳の交わし合い、頷き合いといったら、あれはまさになんらかの形の「同一化」が機能しているはずだ。それは「マークつきの空虚」への同一化(象徴的同一化)であったり、想像的同一化であったりはするだろうが。
そして、《同情は、同一化によってのみ生まれる》 (フロイト『集団心理学と自我の分析』)を変奏して言えば、共感するから同一化するのではない、同一化するから共感する。
この現代でも「マナ」はしっかりと機能している。
……そのような一つのシニフィアンの必要性を最初に全面的に詳述したのは、レヴィ=ストロースだった。それは、彼の有名な「マナ」解釈である。彼の成果は、神話や魔術の非合理的コノテーションを厳密な象徴的機能に還元して、マナを脱神秘化することだった。(ジジェク、LESS THAN NOTHING、2012,私訳)