2016年10月20日木曜日

心の間歇と心の傷

プルーストにとって、《人生の半ば》は、もちろん、母親の死でした(1905年)。生活の突然変異、新しい作品の開始が数年後のことであったとしてもです。つらい悲しみ、唯一の、何物にも還元できないような悲しみは、私にとって、プルーストの語っていた《個人的なものの頂点》をなし得るように思えます。(ロラン・バルト《長い間、私は早くから床についた》)

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◆プルースト「ソドムとゴモラⅠ」「心情の間歇」の章より(井上究一郎訳、p.266~)

【自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi】
私の全人間の転倒。夜がくるのを待ちかねて、疲労のために心臓の動悸がはげしく打って苦しいのをやっとおさえながら、私はかがんで、ゆっくり、用心深く、靴をぬごうとした。ところが半長靴の最初のボタンに手をふれたとたんに、何か知らない神聖なもののあらわれに満たされて私の胸はふくらみ、嗚咽に身をゆすられて、どっと目から涙が流れた。いま私をたすけにやってきて魂の枯渇を救ってくれたものは、数年前、おなじような悲しみと孤独のひとときに、自我を何ももっていなかったひとときに、私のなかにはいってきて、私を私自身に返してくれたのとおなじものであった、自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi (内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait)だったのだ。

《私はあなたを愛する。だがあなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉がある。だからこそ私はあなたの手足をばらばらにする。[Je t'aime, mais parce que j'aime inexplicablement quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a), je te mutile.]》(ラカン、セミネール11)


【再創造によってのみ存在する生きた実在 réalité vivante】
私はいま、記憶のなかに、あの最初の到着の夕べのままの祖母の、疲れた私をのぞきこんだ、やさしい、気づかわしげな、落胆した顔を、ありありと認めたのだ、それは、いままで、その死を哀悼しなかったことを自分でふしぎに思い、気がとがめていたあの祖母、名前だけの祖母、そんな祖母の顔ではなくて、私の真の祖母の顔であった。彼女が病気の発作を起こしたあのシャン=ゼリゼ以来はじめて、無意志的で完全な回想 souvenir involontaire et complet のなかに、祖母の生きた実在 réalité vivanteを見出したのだ。そのような実在 réalité は、それがわれわれの思考によって再創造されなければわれわれに存在するものではない(そうでないなら、大規模な戦闘に加わった人間はことごとく偉大な叙事詩人になるはずだ)、こうして私は、彼女の腕のなかにとびこみたいはげしい欲望にかきたてられ、たったいまーーその葬送後一年以上も過ぎたときに、しばしば事実のカレンダーを感情のそれに一致させることをさまたげるあの時間の錯誤のためにーーはじめて祖母が死んだことを知ったのだ。


【富の明細書の不渡り】
なるほどあれ以来、たびたび彼女のことを語り、また彼女のことを思った、しかし恩知らずな、利己主義な、冷酷な若者の私の言葉や思考の底には、祖母に似たものは何一つなかった、なぜなら、浮薄で、快楽を好む私、病気の彼女を見慣れていた私は、自分のなかに、彼女の在世のころの回想を、仮の状態でしか入れていなかったからだ。いつどんなときに考察しても、われわれの魂の総体などというものは、ほとんど架空の価値しかもたないものである。そこにふくまれている富の明細書がいくらあってもそれを全体としてとらえることはできない、かならずどこか一方に、不渡りがあるからである。このことはまた、想像の内容についても、現実の内容についても同様で、私の場合、たとえばゲルマントの古い名についても、さらにどれほどか重要な祖母の真の思出についても、おなじことがいえた。


【心情の間歇 les intermittences du cœur】
というのも、記憶の混濁 troubles de la mémoire には心情の間歇 les intermittences du cœur がつながっているからだ。われわれの内的な機能の所産のすべて、すなわち過去のよろこびとか苦痛とかのすべてが、いつまでも長くわれわれのなかに所有されているかのように思われるとすれば、それはわれわれの肉体の存在のためであろう、肉体はわれわれの霊性が封じこまれている瓶のように思われているからだ。同様に、そんなよろこびや苦痛が、姿を消したり、舞いもどってきたりすると思うのも、おそらく正しくないであろう。とにかく、そうしたものがわれわれのなかに残っているとしても、多くの場合、それはしらじらしい領域に、もうわれわれにとってなんの役にも立たないものになって残っているだけであって、そのなかでもっとも役に立つものさえ、ちがったさまざまな種類の回想の逆流を受けるわけであり、それとてもまた、元の感情との同時性は、意識のなかでは全然望まれないのである。


【時のなかのいくつもの違った平行的系列(セリーséries)】
ところが、よろこびや苦痛のはいっている感覚の枠ぶちがふたたびとらえられるならば、こんどはそのよろこびや苦痛は、相容れない他人をすべて排斥して、ただ一つ生みの親である自我をわれわれのなかに定着する力をもつものである。ところで先ほど、たちまち私に復帰した自我は、祖母がバルベックに着いたときに、上着と靴とのボタンをとってくれたあの遠い晩以来あらわれたことがなかったので、祖母は私のほうに身をかがめたあの瞬間にいま私がぴったり一致したのは、あの自我のかかわり知らぬきょうのひるの一日のあとにではなくーー時のなかにはいくつものちがった系列が並行して存在するかのように comme s'il y avait dans le temps des séries différentes et parallèles ーー時間の連続を中断することなしに、ごく自然に、かつてのバルベック到着第一夜ののちに、じかにつづいてであった。


【長いあいだ失っていた当時の自我】
あんなに長いあいだ失っていた当時の自我は、いまふたたび私に非常に近くせまったので、はっきり目のさめない人が、消えてゆく夢を追いながら、その夢のなかの物音をごく身近に感じるように、上着と靴とをぬがせてくれる直前に祖母の口から出た、いまではもう夢でしかない言葉までが、まだきこえるような気がした。私はもはや、祖母の腕のなかにとびこんで、接吻しながら、彼女の心配そうな表情を消そうとしている存在でしかなかった、そういう存在を、もし私が、しばらくまえまで私のなかに継起していた存在のままで想像するとしたら、ずいぶん困難であっただろうし、同様に、いま、もし私が、すくなくともひとときもはや私を離れている元の存在の、欲求やよろこびを感じようとすれば、やはり努力を、それも空しい努力を要したであろう。

《私の最も内にある親密な外部、モノ(対象a) としての外密。extériorité intime, cette extimité qui est la Chose》(ラカン、S.7)

《要するに、私たちのもっとも近くにあるものが、私たちのまったくの外部にある。ここで問題となっていることを示すために「外密 extime」という語を使うべきだろう。》(ラカン、セミネール16)


【ふたたび見出したことによって、永久に失う】
私は思いだすのだった、祖母が買物先から帰ってきて、ガウンを着てあのように私の半長靴のほうに身をかがめてくれるまでの一時間というもの、暑さに息づまりそうなホテルのまえの通をあちこちしながら、菓子屋の店先で、一刻も早く彼女の接吻を受けたい欲求に、もうこれ以上ひとりで待っていることはとてもできないとどんなに思いつめたかを。そして、そのおなじ欲求がふたたびあらわれたいま、私は知るのだった、いまの私は何時間でも待つことができるのに、祖母はもう二度と私のそばに帰ってこないことを、それがやっとわかったのは、いまにも張りさけるばかりに胸を詰まらせながら、はじめて、生きた、真の、祖母を感じたことによって、つまり彼女をふたたび見出したことによって、永久に彼女を失ってしまったと気づいたからである。


同プルースト、「心情の間歇」の章 p.270~

【祖母に口走ったひどい言葉】
しばらくのあいだ味わった先ほどの快感にひきかえて、いま私が味わうことのできるものがあるとすれば、それはただ一つ、過去にふたたびふれながら、あのときの祖母の心痛をすくなくしてやれたらと思うことだった。ところで、私が思いうかべたのは、単に彼女のあのガウン姿、おそらくからだのためによくなかったろうに私のためにする苦労ならかえって心地よさそうにさえ見える疲れた彼女の、そんな場合のつきものであり、ほとんど象徴となってしまったあのガウン姿、それだけの祖母ではなくて、いまや私の回想は次第にほぐれ、自分の苦しみを彼女の目に入れ、いざとなればむりにも苦しみを誇張して見せつけながら、祖母を心配させてそのあと自分の接吻でぬぐいとれるものと想像し、自分のそうしたやさしさが、自分の幸福とおなじように彼女の幸福をもつくりだすことができると思って、あらゆる機会をとらえたのを思いだしたのだ。それよりももっとわるいことは、いまでこそ回想のなかで、盛りあがる愛情にかしげられたあの顔の傾きをふたたび見ながら、せめてそれがよろこびの色をたたえていてくれたらそれにまさる幸福はないだろうとくやむ私が、かつてはあの顔から、無謀にもいささかの快感の影さえ根こぞぎにしようとして躍起になったことがあったのであって、たとえば、サン=ルーが祖母の写真をとってくれたときがそうであったが、その日、大きなふちの帽子をかぶり、自分に適した薄あかりのなかにポーズをしようとして祖母のつくり嬌姿がほとんどこっけいなまでい子供っぽいのを、祖母にだまっていることができなくて、思わず私は、人を傷つけるような言葉を、いらだたしげに、二こと三こと口走ったのだったが、それが祖母の神経にひびいて、彼女の感情を害したらしく、つとしかめた顔に私はそれを読みとったのだった、惜気もなくあたえられたあの接吻のなぐさめを求めることが永久に不可能となったいま、自分の口走ったひどい言葉に身をさかれるのはこの私だった。


【記憶を打ちこんでいるこの釘】
しかし、あのしかめ面、あの祖母の心の苦しみは、いつまでも消しさることができないであろう、いや消しされないのはむしろ私の心の苦しみだった、なぜなら、死んだ人たちは、もはやわれわれのなかにしか存在しないので、彼らに加えた打撃を執拗に思いだすとき、われわれはたえず自身を打ちのめすことになるからである。そうした苦痛がどんない残酷であっても、私はそれに懸命いかじりつくのであった、その苦痛こそ、祖母の回想の結果であり、祖母の回想がたしかに私のなかにあらわれているという証拠であることを、自分に切実に感じたからである。私は感じるのだった、祖母を真に思いだすのはもはや苦痛によってでしかないことを、それならば、祖母の記憶を打ちこんでいるこの釘が、もっとしっかり私のなかに食い入ってくれればいい。


【私のなかで交錯する残存者と虚無とのふしぎな矛盾
彼女の写真に(サン=ルーがとってくれて、私が肌身離さずもっている写真に)、わかれていても生き生きとした個性をつたえ、つきない調和にむずばれて心に残る、そういう親しい人にたいするように、言葉をかけたり祈をささげたりしながら、苦しみをもっとやわらげ、それを美化し、祖母が単に不在でしばらく姿を見せないだけであると想像する、そういうことにつとめようとは私はしなかった。けっしてやらなかった、なぜなら、単に苦しむことをねがっただけではなく、私が受けた苦しみの独特さを、私がふいに、無意志で、それを受けた状態のままで、尊敬してゆこうとしたからだ、そして、私のなかで交錯する残存者と虚無とのそのようなふしぎな矛盾 contradiction si étrange de la survivance et du néant en moi が立ちあらわれるたびに、私は自分の苦しみがもつ掟にしたがって、いつまでもその苦しみを受けてゆこうと思ったからだ。いまは解きにくい、ひどい苦痛の、この印象から、いつか多少の真理をひきだすようになるかどうかはたしかではなかったが、万一わずかの真理をいつかひきだすことができるとしたら、それは、理知によって強められることもなく、無気力によって減じることのない、特異な、偶発的な、この印象からでしかありえないであろうこと、とにかく死そのものが、死の突然の啓示が、稲妻のようにくだって、ふしぎな無慈悲な記号で、二つにさけた、神秘なみぞのように、私のなかにうがってしまったこの印象からでしかありえないであろうことを知るのだった。(祖母を思わずに暮らしてきたいままでの忘却はといえば、そこから真理をひきだすためにそれに心を傾けようとは考えることさえできなかった。それもそのはずで、忘却そのもののなかには否定よりほかの何物もなく、そこには、人生の真実を再生することができない思考の衰退、真実の瞬間のかわりに習慣的なよそよそしい映像を置きかえなくてはならないような思考の衰退があるばかりだ。) 

《テュケーの機能、出会いとしての現実界の機能ということであるが、それは、出会いとは言っても、出会い損なうかもしれない出会いのことであり、本質的には、「出会い損ね」としての「現前」« présence » comme « rencontre manquée » [ in abstentia ]である。このような出会いが、精神分析の歴史の中に最初に現われたとき、それは、トラウマという形で出現してきた。そんな形で出てきたこと自体、われわれの注意を引くのに十分であろう。》(ラカン、セミネールⅪ、ーー「 レミニサンス réminiscence」と「穴馬 troumatisme」


【抜け目ない基礎工事/睡眠】
しかし一方、生存本能、苦痛をまぬがれようとする巧妙な理知が、まだくすぶっている余燼の上に、早くも抜目のない、無気味な基礎工事をはじめたのであろう、私はいとしいひとの判断をあれやこれやと思いだし、あたかも彼女がまだやさしい指図をしてくれるかのように、まだ彼女が生存しているかのように、あたかも自分がまだ彼女のために生きつづけているかのように、彼女のさまざまな判断を思いだして、そのあまいなぐさめにむさぼりつこうとするのだ。しかし、やっと私が寝入った瞬間、そして私の目が外界の事物にたいしてとじられてしまったいっそう真実な時間に私がはいったとたんに、睡眠の世界は(その敷居に立つと理知も意志もしばらくその機能を失い、私の真の印象の凶暴さから私を救うことができなかった)、神秘なあかりに照らされる内臓の、半透明となった組織の深部に、残存者と虚無との痛ましい再統合 douloureuse synthèse de la survivance et du néant のすがたを反映し、屈折させた。睡眠の世界では、内的知覚は器官の障害に従属していて、心臓や呼吸のリズムを早める、なぜならおなじ分量のおどろきや、悲しみや、悔も、たとえば静脈に注射されていると、百倍の強さになってはたらくからである、そうした地下都市の大動脈をめぐろうとして、あたかもあの六つにわかれて蜿蜒とうねる冥界の「忘却の河〔レーテー〕」を行くように、自分の血の黒い波の上に船出したと思うと、荘重な崇高な人の顔がつぎつぎにあらわれ、近づいては、われわれを涙にかきくれさせながら遠ざかってゆくのだ。

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◆ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』より

【祖母の記憶の想起とマドレーヌの想起の相同性】
感覚的シーニュ signes sensibles が、その充実性にもかかわらず、それ自体で、交替と消滅のシーニュ signes d'altération et de disparition になりうるということは、さらに驚くべきことである。しかし、プルーストは、半長靴と祖母の記憶というひとつのケースを持ち出す。それは原理的にはマドレーヌや敷石と異なるものではないが、われわれに苦痛に満ちたひとつの消滅を感知させ、見出された時の充実性をわれわれに与えないで、永遠に失われた時のシーニュ signe d'un Temps perdu pour toujours を形成するものである。半長靴の上にかがんだ彼は、何か神的なものを感じる。しかし、彼の眼からは涙が溢れ、無意志的な記憶のはたらきは、死んだ祖母についての痛ましい想い出を彼にもたらす。《その瞬間にこそーーそれは彼女の埋葬から一年以上もたって、しばしば事実の日付と感情の日付との一致を妨げるこのアナクロニスムによってであるがーー私は彼女が死に……彼女を永遠に失ったことを知ったのだ。 なぜ、無意志的な記憶の内容は、永遠のイメージではなくて、死の鋭い感情をわれわれにもたらすのか。愛されるひとが現われる例における特別な性格、主人公が祖母に対して感じる罪の意識を持ち出すだけでは十分ではない。感覚的シーニュそのものの中に、そのシーニュが歓びへと延長されないで、ときに苦悩に変るのを説明できるような、ひとつのアンビヴァランスを見出さなくてはならない。

【生存と虚無との苦しみに満ちた綜合】
半長靴は、マドレーヌと同じように、無意志的な記憶のはたらきを介入させる。古い感覚が積み重なろうとし、現実の感覚 sensation actuelle に結びつこうとし、同時にいくつかの時期にそれを拡げる。しかし、現実の感覚が古い感覚に対してその《物質性》を対立させれば、この積み重ねの歓びが、逃亡、とり返しのつかない喪失――そこでは古い感覚が失われた時の深みの中に抑圧されているのだがーーに席を譲るには十分である。そこで、主人公が自分を罪あるものと考えることは、現勢の感覚に対して、古い感覚の抱擁 embrassement de l'ancienne を避ける力を与えるだけである。彼はマドレーヌの場合と同じ幸福を経験することから始めるが、その幸福はすぐに死と虚無の確信 certitude de la mort et du néant へと移行する。そこにはひとつのアンビヴァランスがあって、それが介入するあらゆるシーニュの中で、常に記憶のはたらきの可能性として留まっている(そのためにこれらのシーニュの劣等性が生ずる)。つまり、記憶のはたらきそのものが、《生存と虚無との奇妙な矛盾 la contradiction si étrange de la survivance et du néant》、《生存と虚無との苦しみに満ちた綜合 la douloureuse synthèse de la survivance et du néant》を含んでいる。マドレーヌや敷石の場合においてさえ、ふたつの感覚の積み重ねによって隠されていはいるが、虚無が現われているのである。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』pp.25-26)

《我々は「トラウマ的 traumatisch」という語を次の経験に用いる。すなわち「トラウマ的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。》(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、1916年、私訳ーーーー「基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)」)

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◆中井久夫より

【プルーストの悲哀発作≒遅発性の外傷性障害】
遅発性の外傷性障害がある。震災後五年(執筆当時)の現在、それに続く不況の深刻化によって生活保護を申請する人が震災以来初めて外傷性障害を告白する事例が出ている。これは、我慢による見かけ上の遅発性であるが、真の遅発性もある。それは「異常悲哀反応」としてドイツの精神医学には第二次世界大戦直後に重視された(……)。これはプルーストの小説『失われた時を求めて』の、母をモデルとした祖母の死後一年の急速な悲哀発作にすでに記述されている。ドイツの研究者は、遅く始まるほど重症で遷延しやすいことを指摘しており、これは私の臨床経験に一致する。(中井久夫「トラウマとその治療経験」初出2000年『徴候・外傷・記憶』)


【現実神経症と外傷神経症】 
中井久夫)フロイトは神経症を三つ立てています。精神神経症、現実神経症(現勢神経症)、外傷神経症です。彼がもっぱら相手にしたのは精神神経症ですね。後者の二つに関してはほとんどやらなかった―――あるいはやる機会がなかったと言った方がいいかもしれないけど。フロイトの弟子たちも「抑圧」中心で、他のことはフロイティズムの枠内ではあまりやっていませんね。(批評空間2001Ⅲー1 「共同討議」トラウマと解離)
現実神経症と外傷神経症との相違は、何によって規定されるのであろうか。DSM体系は外傷の原因となった事件の重大性と症状の重大性によって限界線を引いている。しかし、これは人工的なのか、そこに真の飛躍があるのだろうか。

目にみえない一線があって、その下では自然治癒あるいはそれと気づかない精神科医の対症的治療によって治癒するのに対し、その線の上ではそういうことが起こらないうことがあるのだろう。心的外傷にも身体的外傷と同じく、かすり傷から致命的な重傷までの幅があって不思議ではないからである。しかし、DSM体系がこの一線を確実に引いたと見ることができるだろうか。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006『日時計の影』所収ーーホロコースト生存者の子供たちのPTSD

→次投稿に続く(中井久夫、プルースト小論 2007)