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2017年4月12日水曜日

世の常識を逆なでする関係構造論

くり返すが、ラカンの四つの言説とは、なによりもまず「社会的つながり」の関係構造をめぐっている。支配・教育、欲望、分析の四つ+倒錯の社会的絆があるという「理論」であり、合理論である。それが「四つの不可能な仕事と四つの言説+倒錯の言説(資本の言説)」に記したことだ。

思想は実生活を越えた何かであるという考えは、合理論である。思想は実生活に由来するという考えは、経験論である。その場合、カントは、 合理論がドミナントであるとき経験論からそれを批判し、経験論がドミナントであるとき合理論からそれを批判した。つまり、彼は合理論と経験論というアンチノミーを揚棄する第三の立場に立ったのではない。もしそうすれば、カントではなく、ヘーゲルになってしまうだろう。 この意味で、カントの批判は機敏なフットワークに存するのである。ゆえに、私はこれをトランスクリティークと呼ぶ。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム 、2006)

人はふつう経験論者として生きており、日本ではことさら構造主義的な関係構造(合理論)観点が欠けてしまっている。つまり経験論が途轍もなく支配的イデオロギーの国である、ということはしばしば言われてきた。

経験論が支配的イデオロギーとは語弊があるかもしれない。日本的経験論とはじつは無イデオロギーのことである。

日本では、思想なんてものは現実をあとからお化粧するにすぎないという考えがつよくて、 人間が思想によって生きるという伝統が乏しいですね。これはよくいわれることですが、宗教がないこと、ドグマがないことと関係している。 イデオロギー過剰なんていうのはむしろ逆ですよ。魔術的な言葉が氾濫しているにすぎな い。イデオロギーの終焉もヘチマもないんで、およそこれほど無イデオロギーの国はないんですよ。その意味では大衆社会のいちばんの先進国だ。ドストエフスキーの『悪霊』なんかに出てくる、まるで観念が着物を着て歩きまわっているようなああいう精神的気候、あ そこまで観念が生々しいリアリティをもっているというのは、われわれには実感できないん じゃないですか。

人を見て法を説けで、ぼくは十九世紀のロシアに生れたら、あまり思想の証しなんていい たくないんですよ。スターリニズムにだって、観念にとりつかれた病理という面があると思うんです。あの凄まじい残虐さは、彼がサディストだったとか官僚的だったということだけではなくて、やっぱり観念にとりつかれて、抽象的なプロレタリアートだけ見えて、生きた人間 が見えなくなったところからきている。しかし、日本では、一般現象としては観念にとりつかれる病理と、無思想で大勢順応して暮して、毎日をエンジョイした方が利口だという考え方と、どっちが定着しやすいのか。ぼくははるかにあとの方だと思うんです。だから、思想によって、原理によって生きることの意味をいくら強調してもしすぎることはない。しかし、思想が今日明日の現実をすぐ動かすと思うのはまちがいです。(丸山真男、針生一郎との対談『丸山座 談5』)

わたくしもはっきりいってしまえば途轍もない経験論者の一人だが、たまたま合理論の考え方のひとつを知ったので、ときにはそこに立ってみるというだけである。

構造主義的考え方は、レヴィ=ストロースによればマルクスが始祖であり、それがどのようなものかとは、たとえば蓮實重彦が次のように記している。

実際にこの目で見たりこの耳で聞いたりすることを語るのではなく、見聞という事態が肥大化する虚構にさからい、見ることと聞くこととを条件づける思考の枠組そのものを明らかにすべく、ある一つのモデルを想定し、そこに交錯しあう力の方向が現実に事件として生起する瞬間にどんな構図におさまるかを語るというのが、マルクス的な言説にほかならない。だから、これとて一つの虚構にすぎないわけなのだが、この種の構造的な作業仮説による歴史分析の物語は、その場にいたという説話論的な特権者の物語そのものの真偽を越えた知の配置さえをも語りの対象としうる言説だという点で、とりあえず総体的な視点を確保する。(蓮實重彦『凡庸な芸術家の肖像』)

上にあるように関係構造の観点ももちろん「虚構」である。そしてラカンの四つの言説理論は、《個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産》であるという虚構の理論である。

ひょっとしたら誤解されるかもしれないから、一言しておこう。私は資本家や土地所有者の姿をけっしてばら色に描いていない。そしてここで問題になっているのは、経済的範疇(カテゴリー)の人格化であるかぎりでの、一定の階級関係と利害関係の担い手であるかぎりでの人間にすぎない。経済的社会構成の発展を自然史的過程としてとらえる私の立場は、他のどの立場にもまして、個人を諸関係に責任あるものとはしない。個人は、主観的にはどれほど諸関係を超越していようと、社会的にはやはり諸関係の所産なのである。(『資本論』第一巻「第一版へのまえがき」1867年)


柄谷行人は上の文を引用して次のように言っている。

『資本論』が考察するのは…関係の構造であり、それはその場に置かれた人々の意識にとってどう映ってみえようと存在するのである。

こうした構造主義的な見方は不可欠である。マルクスは安直なかたちで資本主義の道徳的非難をしなかった。むしろそこにこそ、マルクスの倫理学を見るべきである。資本家も労働者もそこでは主体ではなく、いわば彼らがおかれる場によって規定されている。しかし、このような見方は、読者を途方にくれさせる。(柄谷行人『トランスクリティーク』p40-41)

この考え方は人を途方に暮れさせるだけでなく、 「世の常識を逆なで」する。

理論の正しさは経験からは演繹できない。いや、経験から演繹できるような理論は、真の理論とはなりえない。真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。それだからこそ、それはそれまで見えなかった真理をひとびとの前に照らしだす。
(……)

真の理論とは日常の経験と対立し、世の常識を逆なでする。だが、日常経験と対立し、世の常識を逆なでするというその理論のはたらきが、真理を照らしだすよりも、真理をおおい隠しはじめるとき、それはその理論が、真の理論からドグマに転落したときである。そしてそのとき、その真理に内在していた盲点と限界とが同時の露呈されることになる。(岩井克人『二十一世紀の資本主義論』)

日本ではドグマに転落するどころか、構造主義をやり過ごしてしまった。

蓮實)それにも、こっちはやや責任がないわけではないけれども、構造主義が定着しなかったのは、そもそも構造というものが思考しがたいというのが、ひとつあるわけでしょう。構造は図式ではなく機能する形式だという点で、思考の対象たりがたい。それはやはり歴史的な体験の欠如からくるものでしょうね、たぶん。だから機能する構造の歴史を見てゆけば、構造主義になるはずだということがあると思うわけ。

ただし、もうひとつ機能する形式に対する感性の不在ね。三島由紀夫だってそうした形式に対しての感性はまったくないと思うわけ。

柄谷)ないね。

蓮實)形とかフォルムとか、そういうものに対する感性が彼には欠けている。彼が持っているのは、機能を停止したあとの形式のイメージにすぎない。だからせいぜい安保の対応をどうかするという程度のことでしょう。形式は生きられていないですよね。

その形式に僕は魅かれます。だからレヴィ・ストロースを読んで、いろんな不満があったって、最終的にはやっぱり偉い人だ。三島を読むより、文学的に高度な興奮を与えてくれますもの。しかし、なぜ批評がフォルムを括弧に括った形で平気でいられるんだろう。

いわば形式に眩惑されていないわけね、眩惑されれば恐ろしくて逃げるやつが出てくると思う。それはいいのです。フォルムなんて怖くてやってられないっていって。ところが怖くて逃げているわけじゃなくて、それはそういうものもあるだろうけれども、適当にそれなしでやっていけると高を括って無感覚に安住する形で避けているだけなんですね。(蓮實重彦/柄谷行人『闘争のエチカ』)

たとえば蓮實重彦の小説の構造分析。いまこういったものはーーすくなくともわたくしの知る限りーーどこかにいってしまい、旧態依然の経験論者ばかりがはばをきかせている。

どこかに一人の男がいて、誰かから何かを「依頼」されることから物語が始まっている。その「依頼」は、いま視界から隠されている貴重な何かを発見することを男に求める。それ故に、男は発見の旅へと出発しなければならない。それが「宝探し」である。ところが何かがその冒険を妨害しにかかる。多くの場合、妨害者はしかるべき権力を握った年上の権力者であり、その権力維持のために、さまざまな儀式を演出する。儀式はある共同体内部での「権力の譲渡」にかかわるものであり、そこで譲渡されべき権力と発見される貴重品とは、深い関係にあるものらしい。そのため、依頼された冒険ははかばかしく進展しなくなるのも明白だろう。発見は、とうぜんのことながら遅れざるをえない。その遅延ぶりを促進すべく予期せぬ協力者が現われ、ともすれば気落ちしそうになる男を勇気づける。協力者は、同性であるなら分身のような存在だし、異性であれば妹に似た血縁者である。二人の協力者は、どこかしら近親相姦的な愛か、倒錯的な関係を物語に導入し、純粋な恋愛の成立をはばみつつ、貴重品の発見へと向けてもろもろの妨害を乗りこえることになるだろう。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』P250)

このように物語構造が洗い出されてしまった作品群は主に次ぎの七つの長篇小説だった。

村上春樹『羊をめぐる冒険』(1982)
井上ひさし『吉里吉里人』(1981)読売文学賞、日本SF大賞
丸谷才一『裏声で歌えよ君が代』(1982)
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)野間文芸新人賞
中上健次『枯木灘』(1977)
大江健三郎『同時代ゲーム』(1979)
石川淳『狂風記』(1980)

蓮實重彦の「依頼」「宝探し」「権力の委譲」、そして「一人の男」と「分身の協力者」による「発見の旅」等々の語彙群を、ラカンの四つの言説に(無理やり)あてはめることはしないでおくが、最もシンプルに考えても、たとえば「権力」は主人のシニフィアンS1、「一人の男とその分身」とは、分割された主体$とすることができる、「宝」はもちろん対象aである(もっともこれらの小説の「主人のシニフィアンS1」は、父の法ではなく、母の法に限りなく近いという読み方を、今のわたくしはしている、《母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである》(Lacan.S5)。いわば1980年代のこの時期の「すぐれた」小説家の長編小説の隠されたテーマは、母性的であるだろう「天皇制」にかかわるのではないか、と。)

そしてーーややここはいくらかの齟齬を疑いつつもーー発見の旅を、S2というシニフィアンの集合をまさぐることと捉えることができないではない。

我々はS2 という記号 le signe S2 で示されるものを「シニフィアンの集合 la batterie des signifiants」と考える。それは「既にそこにある déjà là」。(……)

S1 はそこに介入する。それは「特別な徴 trait spécifique」であり、この徴が、「主体 le sujet」を「生きている個人 l'individu vivant」から分け隔てる。(ラカン、S17、26 Novembre 1969ーー「一の徴」日記②)

そしてここに同じセミネール17の、《主人S1の言説は主体$の支配とともに始まる。主人の言説が、超限定された神話・それ自身のシニフィアンに同一化すること [ $ ≡ S1 ] によってのみ支えられる傾向がある限りで》、を考慮すれば、主人の言説か資本の言説のどちらかに蓮實重彦の構造分析は当てはまる。




(もし父の法ではなく母の法という観点に拘るなら、あれら小説群の構造は、左側のエディプス的な主人の言説ではなく、右側の前エディプス的な資本の言説に理論上は当てはめるべきかもしれない)。

いずれにせよ蓮實の物語構造分析とは「社会的つながり」の関係構造の分析である。

これが合理論というものであり、小説(長編小説)でさえ、このような驚くべき類似構造があるという指摘にかつては瞠目したものだ。

というわけだが、こういったことを記して何が言いたいわけでもない。途轍もない経験論者であっても日常生活はとくに困ることはない。ただ合理論の観点から眺めれば、ナイーブ野郎だと感じるだけである。《まぁ、 世界というのはその程度のものだと思います》(蓮實重彦)

※柄谷行人の関係構造論者としての側面は、「それ自身に対して差異的であるところの差異体系(柄谷行人、ラカン)」を参照のこと。