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2019年5月31日金曜日

遠回し芸

やあ、わかるか。蓮實の嘲弄芸をマネするほどの能力はまったくないのでね。せいぜい遠回し芸さ。

宇野邦一の「フレームという恐ろしいもの」……ほんの思いつき程度の貧しい発想をいささか大袈裟に論じたてただけのもにすぎず、……宇野氏の粗雑な指摘は、誰もがそこで読むのをやめてもよいと判断するに充分なものである。(蓮實重彦『ゴダール マネ フーコー 思考と感性とをめぐる断片的な考察』2008年)
この退屈な年中行事に三度もつきあわされてしまったという律儀なブログの書き手(内田樹)には、あまりにも意識の低いマスメディアから適当にあしらわれているという屈辱感がまるで感じられない。多少ともものを書いたことのある人間なら誰もが体験的に知っているだろうが、この種のコメントを求められて断れば、相手は涼しい顔で別の人間にあらためて依頼するだけのことだ。このブログの書き手は、自分がいくらでもすげ替えのきく便利な人材の一人であることを隠そうとする気さえない。(蓮實重彦『随想』2010年)


健康になるためにはもっと磨かなくちゃいけないんだけどな。

抗議や横車やたのしげな猜疑や嘲弄癖は、健康のしるしである。すべてを無条件にうけいれることは病理に属する。Der Einwand, der Seitensprung, das froehliche Misstrauen, die Spottlust sind Anzeichen der Gesundheit: alles Unbedingte gehoert in die Pathologie.(ニーチェ『善悪の彼岸』第154番)

でもただしい悪口をいうためには多大な労力がいるもんだよ。

何ごとによらず、悪口をいうことのほうが褒めることよりもやさしいようである。褒め言葉は、当の対象がよほど十分に褒められるのに値していなければ、とかくうわつ調子なものになりがちである。これに反して、悪口のほうは、対象の弱点を取り上げるのがその仕事であるから、本来の性質上、甘くなることがそれほどできぬではないかと思う。それだから、たとえある悪口が実際にはちょろいものであっても、それが悪口であるというだけの原因によつて、けつしてちょろいものではないという外観をーーー少なくとも褒め言葉よりは、そなえやすいようである。(中野重治 「映画の悪口ーーー罪はどこにある」)


2019年5月30日木曜日

幼少の砌の固着の永遠回帰

固着によるタナトス」で(フロイト・ニーチェ・プルーストに依拠した)ドゥルーズにもとづいて、次の図を貼り付けたけれどね、





でも、固着とはもっと簡単に考えてもよいのでね、たとえば古井由吉はこう言っている。

頼朝公卿幼少の砌の髑髏〔しゃれこうべ〕、という古い笑い話があるが、誰しも幼少年期の傷の後遺はある。感受性は深くて免疫のまだ薄い年頃なので、傷はたいてい思いのほか深い。はるか後年に、すでに癒着したと見えて、かえって肥大して表れたりする。しかも質は幼年の砌のままで。

小児の傷を内に包んで肥えていくのはむしろまっとうな、人の成熟だと言えるのかもしれない。幼い頃の痕跡すら残さないというのも、これはこれで過去を葬る苦闘の、なかなか凄惨な人生を歩んできたしるしかと想像される。しかしまた傷に晩くまで固着するという悲喜劇もある。平生は年相応のところを保っていても、難事が身に起ると、あるいは長い矛盾が露呈すると、幼年の苦についてしまう。現在の関係に対処できなくなる。幼少の砌の髑髏が疼いて啜り泣く。笑い話ではない。(古井由吉「幼少の砌の」『東京物語考』1984年)


これがトラウマへの固着とその反復強迫(タナトス)の一つの典型的記述だよ。

外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。

これらの患者はその夢のなかで、規則的に外傷的状況 traumatische Situation を反復するwiederholen。また分析の最中にヒステリー形式の発作 hysteriforme Anfälle がおこる。この発作によって、患者は外傷的状況のなかへの完全な移行 Versetzung に導かれる事をわれわれは見出す。

それは、まるでその外傷的状況を終えていず、処理されていない急を要する仕事にいまだに直面しているかのようである。…

この状況が我々に示しているのは、心的過程の経済論的 ökonomischen 観点である。事実、「外傷的」という用語は、経済論的な意味以外の何ものでもない。

我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年)

ーーこういったことはツイッターでの囀りをみても見えてくることがあるよ。ある状況を反復強迫してるんだろうな、この人は、とね。

表題を「幼少の砌の出来事の永遠回帰」としたけど、幼少の砌ではなくても、大きくなってからの外傷的出来事も、同じ反復強迫がある。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。(中井久夫「発達的記憶論」2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
トラウマ、ないしその記憶は、異物 Fremdkörper ーー体内への侵入から長時間たった後も、現在的に作用する因子として効果を持つ異物のように作用する。(フロイト『ヒステリー研究』予備報告、1893年)


というか、成人後の外傷的出来事の反復強迫が、フロイトがこの異物概念を真に発展させて考えだした起源。

フロイトは反復強迫を例として「死の本能」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年)


古井由吉は、外傷的出来事への固着を永遠回帰に結び付けている。これも当然あるべき考え方。

三月十一日の午後三時前のあの時刻、机に向かっていましたが、坐ったまま揺れの大きさを感じ測るうちに、耐えられる限界を超えかける瞬間があり、空襲の時の敵弾の落下の切迫が感受の限界を超えかけた境を思いました。

つれて、永劫回帰ということを思い出しました。漢語にすればいかめしいが、この今現在は幾度でも繰り返す、そっくりそのままめぐってくる、ということとおおよそに取れる。過去の今も同様に反復される。病苦やら恐怖やらに刻々と責められたことのある人間には、思うだけでも堪え難い。

過ぎ去る、忘れる、という救いも奪われる。しかし実際に、大津波を一身かろうじてのがれた被災者を心の奥底で苦しめるものは、前後を両断したあの瞬間の今の、過ぎ去ろうとして過ぎ去らない、いまにもまためぐって来かかる、その「永劫」ではないのか。

永劫回帰を実相として示した哲学者は、その実相を見るに至った時、歓喜の念に捉えられたそうだ。生きることがそのままのっぴきならぬ苦であった人と見える。壮絶なことだ。現生を肯定するのも、よほどの覚悟の求められるところか。(古井由吉『楽天の日々』永劫回帰)


あの三月十一日の東北大震災で、《空襲の時の敵弾の落下の切迫が感受の限界を超えかけた境を思いました》ってのは、まさに次のフロイトだね。

経験された寄る辺なき状況 Situation von Hilflosigkeit を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ 。⋯⋯(そして)現在に寄る辺なき状況が起こったとき、昔に経験した外傷経験 traumatischen Erlebnisseを思いださせる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)

これは中井久夫も同様なことを言っている、こちらは一月十七日にかかわる。

たまたま、私は阪神・淡路大震災後、心的外傷後ストレス障害を勉強する過程で、私の小学生時代のいじめられ体験がふつふつと蘇るのを覚えた。それは六十二歳の私の中でほとんど風化していなかった。(中井久夫「いじめの政治学」『アリアドネからの糸』所収、1996年)


排除と固着 (Verwerfung und Fixierung)」で貼り付けた、フロイトにおける固着の代表的語彙群の図を再掲すれば、





 これらは反復強迫するんだな、永遠回帰するんだ。

なかなか過ぎ去らない現在、というものがあって、とくに危機に陥ったときにそれはあらわれるんですよ。

記憶とは、取りとめもないものなんですよ。忘れもするし、とつぜん甦ってきたりもする。それから、いつしか記憶していたことが本当のことかどうかわからなくなる。知らないはずのことを思い出したりもする。

記憶は取りとめのないものだけど、じつはそれが何事かなんですよ。根源的な忘却にもつながっている。記憶はそういう根源的な忘却からつねに発してくるものじゃないでしょうか。生まれる前からの記憶みたいなものがあるんじゃないかと思ってね。(古井由吉「群像」2019年4月号/聞き手 蜂飼耳)


そして女への固着というのは、女主人の永遠回帰だ。これがボクにはもっとも関心があるのだけれどさ。

何事がわたしに起こったのか。だれがわたしに命令するのか。--ああ、わたしの女主人Herrinが怒って、それをわたしに要求するのだ。彼女がわたしに言ったのだ。彼女の名をわたしは君たちに言ったことがあるのだろうか。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻 stillste Stunde がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrinの名だ。

……そのとき、声なき声 ohne Stimme がわたしに語った。「おまえはエスを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはエスを語らない[Du weisst es, Zarathustra, aber du redest es nicht! ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻 Die stillste Stunde」)


《わたしの恐ろしい女主人meiner furchtbaren Herrin》は、母なる超自我のことだろうとボクは捉えているね。

「エディプスなき神経症概念 notion de la névrose sans Œdipe」…ここにおける原超自我 surmoi primordial…私はそれを母なる超自我 le surmoi maternel と呼ぶ。

…問いがある。父なる超自我 Surmoi paternel の背後derrièreにこの母なる超自我 surmoi maternel がないだろうか? 神経症においての父なる超自我よりも、さらにいっそう要求しencore plus exigeant、さらにいっそう圧制的 encore plus opprimant、さらにいっそう破壊的 encore plus ravageant、さらにいっそう執着的な encore plus insistant 母なる超自我が。 (Lacan, S5, 15 Janvier 1958)


ニーチェの神の死は、父なる神の死のこと。このエディプス的神を否定すれば、背後の「母なる神」が裸のまま現れるのは必然。

(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存dépendanceを担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)
問題となっている「女というもの La femme」は、「神の別の名 autre nom de Dieu」である。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)

神とは、ラカンの思考において、超自我のこと。

一般的には〈神〉と呼ばれる on appelle généralement Dieu もの……それは超自我と呼ばれるものの作用 fonctionnement qu'on appelle le surmoi である。(ラカン, S17, 18 Février 1970)


で、母なる女の支配は永遠回帰する(免疫の薄い年頃、母に対して受動的立場に置かれたことは外傷的出来事)。

わたしに最も深く敵対するものを、すなわち、本能の言うに言われぬほどの卑俗さを、求めてみるならば、わたしはいつも、わが母と妹を見出す、―こんな悪辣な輩と親族であると信ずることは、わたしの神性に対する冒瀆であろう。わたしが、いまのこの瞬間にいたるまで、母と妹から受けてきた仕打ちを考えると、ぞっとしてしまう。彼女らは完璧な時限爆弾をあやつっている。それも、いつだったらわたしを血まみれにできるか、そのときを決してはずすことがないのだ―つまり、わたしの最高の瞬間を狙ってin meinen höchsten Augenblicken くるのだ…。そ のときには、毒虫に対して自己防御する余力がないからである…。生理上の連続性が、こうした 予定不調和 disharmonia praestabilita を可能ならしめている…。しかし告白するが、わたしの本来の深遠な思想である 「永遠回帰」 に対する最も深い異論とは、 つねに母と妹なのだ Aber ich bekenne, dass der tiefste Einwand gegen die »ewige Wiederkunft«, mein eigentlich abgründlicher Gedanke, immer Mutter und Schwester sind.。― (ニーチェ『この人を見よ』--妹エリザベートによる差し替え前の正式版 Friedrich Wilhelm Nietzsche: : Ecce homo - Kapitel 3 、1888年)


よく知られているように(?)、母なる女の支配とはメドゥーサの首の形象をもつ。

ツァラトゥストラノート:「メドゥーサの首 Medusenhaupt」 としての偉大な思想。すべての世界の特質は石化(硬直 starr)する。「凍りついた死の首 gefrorener Todeskampf」In Zarathustra 4: der große Gedanke als Medusenhaupt: alle Züge der Welt werden starr, ein gefrorener Todeskampf.[Winter 1884 — 85])
メドゥーサの首の裂開的穴は、幼児が、母の満足の探求のなかで可能なる帰結として遭遇しうる、貪り喰う形象である。Le trou béant de la tête de MÉDUSE est une figure dévorante que l'enfant rencontre comme issue possible dans cette recherche de la satisfaction de la mère.(ラカン、S4, 27 Février 1957)

より穏やかに言えば、

構造的な理由により、女の原型は、危険な・貪り喰う大他者と同一である。それは起源としての原母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。(ポール・バーハウ,, NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL,1995)

ここでも古井由吉に登場ねがえば、

女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。(古井由吉「すばる」2015年9月号)


より過激に言えば、

女はその本質からして蛇であり、イヴである Das Weib ist seinem Wesen nach Schlange, Heva」――したがって「世界におけるあらゆる禍いは女から生ずる vom Weib kommt jedes Unheil in der Welt」(ニーチェ『アンチクリスト』第48番)

 ラカン的過激さなら、

(『夢解釈』の冒頭を飾るフロイト自身の)イルマの注射の夢、…おどろおどろしい不安をもたらすイマージュの亡霊、私はあれを《メデューサの首 la tête de MÉDUSE》と呼ぶ。あるいは名づけようもない深淵の顕現と。あの喉の背後には、錯綜した場なき形態、まさに原初の対象 l'objet primitif そのものがある…すべての生が出現する女陰の奈落 abîme de l'organe féminin、すべてを呑み込む湾門であり裂孔 le gouffre et la béance de la bouche、すべてが終焉する死のイマージュ l'image de la mort, où tout vient se terminer …(ラカン、S2, 16 Mars 1955)
母なる去勢 La castration maternelleとは、幼児にとって貪り喰われること dévoration とパックリやられること morsure の可能性を意味する。この母なる去勢 la castration maternell が先立っているのである。父なる去勢 la castration paternelle はその代替に過ぎない。…父には対抗することが可能である。…だが母に対しては不可能だ。あの母に呑み込まれ engloutissement、貪り喰われことdévorationに対しては。(ラカン、S4、05 Juin 1957)


一番よく知られているだろうものは、母なる鰐の口。

「母の溺愛 « béguin » de la mère」…これは絶対的な重要性をもっている。というのは「母の溺愛」は、寛大に取り扱いうるものではないから。そう、黙ってやり過ごしうるものではない。それは常にダメージを引き起こすdégâts。そうではなかろうか?

母は巨大な鰐 Un grand crocodile のようなものだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。これが母だ、ちがうだろうか? あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざすle refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)


というわけで、母とは、構造的には「穴の名」、「ブラックホールの名」。

〈母〉、その底にあるのは、「原リアルの名 le nom du premier réel」である。それは、「母の欲望 Désir de la Mère」であり、…「原穴の名 le nom du premier trou 」である。(コレット・ソレール、C.Soler « Humanisation ? »2013-2014セミネール)

父とは「欠如の名」にすぎない。

穴 trou の概念は、欠如 manque の概念とは異なる。この穴の概念が、後期ラカンの教えを以前のラカンとを異なったものにする。

この相違は何か? 人が欠如を語るとき、場 place は残ったままである。欠如とは、場のなかに刻まれた不在 absence を意味する。欠如は場の秩序に従う。場は、欠如によって影響を受けない。この理由で、まさに他の諸要素が、ある要素の《欠如している manque》場を占めることができる。人は置換 permutation することができるのである。置換とは、欠如が機能していることを意味する。(⋯⋯)

ちょうど反対のことが穴 trou について言える。ラカンは後期の教えで、この穴の概念を練り上げた。穴は、欠如とは対照的に、秩序の消滅・場の秩序の消滅 disparition de l'ordre, de l'ordre des places を意味する。穴は、組合せ規則の場処自体の消滅である Le trou comporte la disparition du lieu même de la combinatoire。これが、斜線を引かれた大他者 grand A barré (Ⱥ) の最も深い価値である。ここで、Ⱥ は大他者のなかの欠如を意味しない Grand A barré ne veut pas dire ici un manque dans l'Autre 。そうではなく、Ⱥ は大他者の場における穴 à la place de l'Autre un trou、組合せ規則の消滅 disparition de la combinatoire である。(ジャック=アラン・ミレール、後期ラカンの教え Le dernier enseignement de Lacan, LE LIEU ET LE LIEN , 6 juin 2001)





 穴の名とは別名、母の名。

ラカンは言っている、最も根源的父の諸名 Les Noms du Père は、母なる神だと。母なる神は父の諸名に先立つ異教である。ユダヤ的父の諸名の異教は、母なる神の後釜に座った。おそらく最初期の父の諸名は、母の名である the earliest of the Names of the Father is the name of the Mother 。(ジャック=アラン・ミレールThe Non-existent Seminar 、1991)



これは古典的ラカンなら、下段が母の欲望DMとなる。





父の名の上覆いをしっかり保持している人だけだな、下段があらわれないのは。だから上に引用してきたような状況を知らないヒトってのは、究極のファルス人格ってことになる。

ラカン的思考においては、1970年以降は、徐々に母の名の時代。つまり快楽の時代から享楽の時代への以降がある。

父の蒸発 évaporation du père (ラカン「父についての覚書 Note sur le Père」1968年)
エディプスの斜陽 déclin de l'Œdipe において、…超自我は言う、「享楽せよ Jouis ! 」と。(ラカン、 S18、16 Juin 1971)

そして、この時代の典型的症状は、「中毒」だというのが、現在のラカン派の考え方。

中毒は、超自我の勃興の時代における症状の新しい形態である。Addiction is the new form of the symptom in the era of the rise of the Super-ego (MUST DO IT! NEW FORMS OF DEMAND IN SUBJECTIVE EXPERIENCE" 2016)

これは母なる超自我と父なる超自我(エディプス的父の名)の区別がついていないと、ちょっとわかりにくい文かもしれない。



たとえばこの区別はドゥルーズにはない。日本においても中井久夫にもないし、柄谷行人にもない。



2019年5月29日水曜日

私はおまえを愛している

読むことを技術として稽古するためには、何よりもまず、今日ではこれが一番忘れられているーーそしてそれだから私の著作が「読みうる」ようになるまではまだ年月を要するーーひとつの事だ必要だ。――そのためには、読者は殆んど牛にならなくてはならない。ともかく「近代人」であっては困るのだ。そのひとつの事というのはーー反芻することだ……(ニーチェ『道徳の系譜』序 第8節)

なぜ人はニーチェを語るばかりで、ニーチェを読まないのだろうか? いやわたくしはよく知っている。それがインテリというものだということを。とくにニーチェに比べれば三文思想家にすぎないハイデガーやらドゥルーズやらあたりを掠め読んで、「ボク珍」はわかってるんだと思い込んでいるあのカボチャ頭の連中、わたくしは彼らを「気合い系」と呼ぶのを好むがーー、あの連中はとてつもなく厚顔無恥である。

もっともハイデガー の《エクスターティッシュ・オッフェン ekstatisch offen 》やら《エク・スターシスek-stasis》やら、つまりつまり《杣径 Holzwege》の先の悦楽、「忘我、恍惚、驚愕、狂気」「自身の外へ出る」ぐらいは、ニーチェの永遠回帰にいくらか近づいた概念として許容することに吝かではない。


たとえば人はなぜこれらのニーチェを反芻しないのだろう?

ああ、どうして私は永遠を求める激しい渇望に燃えずにいられよう? 指輪のなかの指輪である婚姻の指輪を、ーーあの回帰の輪を求める激しい渇望に!

Oh wie sollte ich nicht nach der Ewigkeit brünstig sein und nach dem hochzeitlichen Ring der Ringe, - dem Ring de Wiederkunft!

私はまだ自分の子供を産ませたいと思う女に出会ったことがないーーだが、ただ一人私が愛し、その子供が欲しい女がここにいる。おお、永遠よ!私はおまえを愛している。

Nie noch fand ich das Weib, von dem ich Kinder mochte, sei denn dieses Weib, das ich lieb: denn ich liebe dich, oh Ewigkeit!

私はおまえを愛しているのだ、おお、永遠よ!Denn ich liebe dich, oh Ewigkeit! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部「七つの封印 Die sieben Siegel 」第6節)
おまえ、葡萄の木よ。なぜおまえはわたしを讃えるのか。わたしはおまえを切ったのに。わたしは残酷だ、おまえは血を噴いているーー。おまえがわたしの酔いしれた残酷さを褒めるのは、どういうつもりだ。

Du Weinstock! Was preisest du mich? Ich schnitt dich doch! Ich bin grausam, du blutest -: was will dein Lob meiner trunkenen Grausamkeit?

完全になったもの、熟したものは、みなーー死ぬことをねがう!」そうおまえは語る。だから葡萄を摘む鋏はしあわせだ。それに反して、成熟に達しないものはみな、生きようとする。いたましいことだ。

"Was vollkommen ward, alles Reife - will sterben!" so redest du. Gesegnet, gesegnet sei das Winzermesser! Aber alles Unreife will leben: wehe!

苦痛は語る、「過ぎ行け、去れ、おまえ、苦痛よ」と。しかし、苦悩するいっさいのものは、生きようとずる。成熟して、悦楽を知り、あこがれるために。

Weh spricht: "Vergeh! Weg, du Wehe!" Aber Alles, was leidet, will leben, dass es reif werde und lustig und sehnsüchtig,

ーーすなわち、より遠いもの、より高いもの、より明るいものをあこがれるために。「わたしは相続者を欲する」苦悩するすべてのものは、そう語る。「わたしは子どもたちを欲する、わたしが欲するのはわたし自身ではない」と。ーー

- sehnsüchtig nach Fernerem, Höherem, Hellerem. "Ich will Erben, so spricht Alles, was leidet, ich will Kinder, ich will nicht _mich_," -

しかし、悦楽は相続者を欲しない、子どもたちを欲しない、ーー悦楽が欲するのは自分自身だ、永遠だ、回帰だ、万物の永遠にわたる自己同ーだ。

Lust aber will nicht Erben, nicht Kinder, - Lust will sich selber, will Ewigkeit, will Wiederkunft, will Alles-sich-ewig-gleich.

苦痛は言う。「心臓よ、裂けよ、血を噴け。足よ、さすらえ。翼よ、飛べ。痛みよ、高みへ、上へ」と。おお、わたしの古いなじみの心臓よ、それもいい、そうするがいい。痛みはいうのだ、「去れよ」と。

Weh spricht: "Brich, blute, Herz! Wandle, Bein! Flügel, flieg! Hinan! Hinauf! Schmerz!" Wohlan! Wohlauf! Oh mein altes Herz: Weh spricht: "vergeh!" (第4部「酔歌 Das Nachtwandler-Lied」第9節)

ここにはすでに永遠回帰とは「永遠の生の回帰」であり、永遠の生とは死である、と歌われていないだろうか? 

おわかりにならない方のために、詩がお好きでない方のために、次の散文をも示しておこう。

何を古代ギリシア人はこれらの密儀(ディオニュソス的密儀)でもっておのれに保証したのであろうか? 永遠の生 ewige Lebenであり、生の永遠回帰 ewige Wiederkehr des Lebensである。過去において約束された未来、未来へと清められる過去である die Zukunft in der Vergangenheit verheißen und geweiht。死の彼岸、転変の彼岸にある生への勝ちほこれる肯定である das triumphierende Ja zum Leben über Tod und Wandel hinaus。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」第4節『偶像の黄昏』1888年)


古代ギリシア語には「生」を表現する二つの語、「ゾーエーZoë」(永遠の生)と「ビオス Bios」(個人の生)があった(人は。アガンベンのはしたないゾーエー解釈「剥き出しの生」は笑って無視せねばならない[参照])。

肝腎なのはニーチェの正嫡ケレーニイである。なかんずく『ディオニューソス.破壊されざる生の根』のケレーニイである。

ゾーエー(永遠の生)は、タナトス(個別の生における死)の前提であり、この死もまたゾーエーと関係することによってのみ意味がある。死はその時々のビオス(個別の生)に含まれるゾーエーの産物なのである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス 破壊されざる生の根 』1976年)
ゾーエー Zoë はすべての個々のビオス Bios をビーズのようにつないでいる糸のようなものである。そしてこの糸はビオスとは異なり、ただ永遠のものとして考えられるのである。(カール・ケレーニイ『ディオニューソス.破壊されざる生の根』1976年)

このようにニーチェを剽窃することはこよなく重要である。

おまえたちは、かつて悦楽 Lust にたいして「然り」と言ったことがあるか。おお、わたしの友人たちよ、そう言ったことがあるなら、おまえたちはいっさいの苦痛にたいしても「然り」と言ったことになる。すべてのことは、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされているのだ。

Sagtet ihr jemals ja zu Einer Lust? Oh, meine Freunde, so sagtet ihr Ja auch zu _allem_ Wehe. Alle Dinge sind verkettet, verfädelt, verliebt, -

……いっさいのことが、新たにあらんことを、永遠にあらんことを、鎖によって、糸によって、愛によってつなぎあわされてあらんことを、おまえたちは欲したのだ。おお、おまえたちは世界をそういうものとして愛したのだ、――

- Alles von neuem, Alles ewig, Alles verkettet, verfädelt, verliebt, oh so _liebtet_ ihr die Welt, - (ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌」第10節)


フロイトもケレーニイと同じようにニーチェを反芻したのである。《苦痛のなかの快 Schmerzlustは、マゾヒズムの根である。》(フロイト『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)

悦楽 Lustが欲しないものがあろうか。悦楽は、すべての苦痛よりも、より渇き、より飢え、より情け深く、より恐ろしく、よりひそやかな魂をもっている。悦楽はみずからを欲し、みずからに咬み入る。環の意志が悦楽のなかに環をなしてめぐっている。―― 

_was_ will nicht Lust! sie ist durstiger, herzlicher, hungriger, schrecklicher, heimlicher als alles Weh, sie will _sich_, sie beisst in _sich_, des Ringes Wille ringt in ihr, -(ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌 Das Nachtwandler-Lied 」第11節)

そしてこの「悦楽 Lust」=「苦痛のなかの快 Schmerzlust」こそ、ラカンの「享楽 jouissance」である。ラカンはニーチェを隔世遺伝したのである。

不快とは、享楽以外の何ものでもない déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. (Lacan, S17, 11 Février 1970)
私が享楽 jouissance と呼ぶものーー身体が己自身を経験するという意味においてーーその享楽は、つねに緊張tension・強制 forçage・消費 dépense の審級、搾取 exploit とさえいえる審級にある。疑いもなく享楽があるのは、苦痛が現れ apparaître la douleur 始める水準である。そして我々は知っている、この苦痛の水準においてのみ有機体の全次元ーー苦痛の水準を外してしまえば、隠蔽されたままの全次元ーーが経験されうることを。(ラカン、Psychanalyse et medecine、16 février 1966)

ーーここには完全に酔歌のニーチェがいる。

そしてフロイトの《苦痛のなかの快 Schmerzlust=マゾヒズムの根》を受けて、ラカンはこう言う。

死への道 Le chemin vers la mort…それはマゾヒズムについての言説であるdiscours sur le masochisme 。死への道は、享楽と呼ばれるもの以外の何ものでもない。le chemin vers la mort n’est rien d’autre que ce qu’on appelle la jouissance (ラカン、S17、26 Novembre 1969)
享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)


ああ、おバカな哲学者たちよ! きみたちにはニーチェを読む力はまったくない。

私はどの哲学者にも喧嘩を売っている。…言わせてもらえば、今日、どの哲学も我々に出会えない。哲学の哀れな流産 misérables avortons de philosophie! 我々は前世紀(19世紀)の初めからあの哲学の襤褸切れの習慣 habits qui se morcellent を引き摺っているのだ。あれら哲学とは、唯一の問いに遭遇しないようにその周りを浮かれ踊る方法 façon de batifoler 以外の何ものでもない。…唯一の問い、それはフロイトによって名付けられた死の本能 instinct de mort享楽という原マゾヒズム masochisme primordial de la jouissance である。全ての哲学的パロールは、ここから逃げ出し視線を逸らしている。Toute la parole philosophique foire et se dérobe.(ラカン、S13、June 8, 1966)


永遠の生とは個人の生の側からみれば死である。《死は、ラカンが享楽と翻訳したものである。》(ミレール1988, Jacques-Alain Miller、A AND a IN CLINICAL STRUCTURES)。

大他者の享楽 jouissance de l'Autre について、だれもがどれほど不可能なものか知っている。そして、フロイトが提起した神話、すなわちエロスのことだが、これはひとつになる faire Un という神話だ。…だがどうあっても、二つの身体 deux corps がひとつになりっこない ne peuvent en faire qu'Un。

…ひとつになることがあるとしたら、ひとつという意味が要素 élément、つまり死に属するrelève de la mort ものの意味に繋がるときだけである。(ラカン、三人目の女 La troisième、1er Novembre 1974)

享楽は原初に喪失したのである。その享楽の喪失を取り戻すには死しかない。

永遠に喪われている対象 objet éternellement manquant」の周りを循環する contourner こと自体、それが対象a (喪われた対象)の起源である。(ラカン、S11, 13 Mai 1964)
人は循環運動をする on tourne en rond… 死によって徴付られたもの marqué de la mort 以外に、どんな進展 progrèsもない 。

それはフロイトが、« trieber », Trieb(欲動)という語で強調したものだ。仏語では pulsionと翻訳される… 死の欲動 la pulsion de mort、…もっとましな訳語はないもんだろうか。「dérive 漂流」という語はどうだろう。(ラカン、S23, 16 Mars 1976)

くりかえせば永遠回帰とは永遠の生回帰であり、つまりは死の回帰である。これをラカンは享楽回帰と呼んだのである。

反復は享楽回帰 un retour de la jouissance に基づいている。…それは喪われた対象 l'objet perdu の機能かかわる…享楽の喪失があるのだ。il y a déperdition de jouissance.…

フロイトの全テキストは、この「廃墟となった享楽 jouissance ruineuse 」への探求の相 dimension de la rechercheがある。(ラカン、S17、14 Janvier 1970)

ラカンの享楽とはフロイトのリビドーのことである。

ラカンは、フロイトがリビドーとして示した何ものか quelque chose de ce que Freud désignait comme la libido を把握するために仏語の資源を使った。すなわち享楽 jouissance である。(ミレール, L'Être et l'Un, 30/03/2011)

究極のリビドー とは受生において喪われた永遠の生である。

リビドー libido 、純粋な生の本能 pur instinct de vie としてのこのリビドーは、不死の生vie immortelle(永遠の生)である。…この単純化された破壊されない生 vie simplifiée et indestructible は、人が性的再生産の循環 cycle de la reproduction sexuéeに従うことにより、生きる存在から控除される soustrait à l'être vivant。(ラカン、S11, 20 Mai 1964)

この「永遠の生」としてのリビドーが究極のエロスであり享楽である。

学問的に、リビドーLibido という語は、日常的に使われる語のなかでは、ドイツ語の「快 Lust」という語がただ一つ適切なものである。(フロイト『性欲論』1905年ーー1910年註)

Libido= Lust。すなわちニーチェの酔歌はこう読むことができる。

享楽=リビドー Lustが欲するのは自分自身だ、永遠だ、回帰だ、万物の永遠にわたる自己同一だ。Lust will sich selber, will Ewigkeit, will Wiederkunft, will Alles-sich-ewig-gleich.

…すべての享楽=リビドーは永遠を欲する。 alle Lust will - Ewigkeit! (ニーチェ『ツァラトゥストラ』「酔歌」1885年)

これこそ唯一の愛である。《私はおまえを愛しているのだ、おお、永遠よ!Denn ich liebe dich, oh Ewigkeit! 》(「七つの封印 Die sieben Siegel 」)


すべての利用しうるエロスのエネルギーEnergie des Eros を、われわれはリビドーLibidoと名付ける。…(破壊欲動のエネルギーEnergie des Destruktionstriebesを示すリビドーと同等の用語はない)。(フロイト『精神分析概説』死後出版1940年)
哲学者プラトンのエロスErosは、その由来 Herkunft や作用 Leistung や性愛 Geschlechtsliebe との関係の点で精神分析でいう愛の力 Liebeskraft、すなわちリビドーLibido と完全に一致している。(フロイト『集団心理学と自我の分析』1921年)

リビドー、すなわち欲動である。

以前の状態を回復しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である。 Wenn es wirklich ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (フロイト『快原理の彼岸』1920年)

究極の以前の状態こそ「永遠の生=死」である。

生の目標は死である。Das Ziel alles Lebens ist der Tod.(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

もう一度、「酔歌」から再掲しよう、《完全になったもの、熟したものは、みなーー死ぬことをねがう!Was vollkommen ward, alles Reife - will sterben!

有機体はそれぞれの流儀に従って死を望む sterben will。生命を守る番兵も元をただせば、死に仕える衛兵であった。(フロイト『快原理の彼岸』第5章、1920年)

ーーこれこそニーチェの真の後継者というものである。


⋯⋯⋯⋯


ラカンが「享楽は去勢だ」というのは、何よりもまず、享楽は生きる存在から常に既に喪われているからである。

享楽は去勢である la jouissance est la castration。人はみなそれを知っている Tout le monde le sait。それはまったく明白ことだ c'est tout à fait évident 。…(ラカン、 Jacques Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

上に引用したセミネール11にある《生きる存在から控除された soustrait à l'être vivant》リビドー とは、去勢された享楽を意味する。

(- φ) は去勢を意味する。そして去勢とは、「享楽の控除 soustraction de jouissance」(- J) を表すフロイト用語である。(ジャック=アラン・ミレール Retour sur la psychose ordinaire, janvier 2009))

去勢されていない享楽、それを永遠の生=死と呼ぶ。





おまえたちは永遠回帰について何も知らない。

私は欲動Triebを翻訳して、漂流 dérive、享楽の漂流 dérive de la jouissance と呼ぶ。j'appelle la dérive pour traduire Trieb, la dérive de la jouissance. (ラカン、S20、08 Mai 1973)

フロイトの死の欲動とは、永遠の生=死=究極のエロスのまわりの漂流、さまよいである。《われわれの享楽のさまよい égarement de notre jouissance》(ラカン、Télévision 、AE534、1973)


そしてこれこそ原マゾヒズムである。

マゾヒズムはその目標 Ziel として自己破壊 Selbstzerstörung をもっている。…そしてマゾヒズムはサディズムより古い der Masochismus älter ist als der Sadismus。⋯⋯⋯

我々が、欲動において自己破壊 Selbstdestruktion を認めるなら、この自己破壊欲動を死の欲動 Todestriebes の顕れと見なしうる。(フロイト『新精神分析入門』32講「不安と欲動生活 Angst und Triebleben」1933年)


⋯⋯⋯⋯


ニーチェを読むためには「魂の高さ Höhe der Seele」が必要である。21世紀の現在、もはやそんなものはどこにもない。フロイトやラカン、そしてケレーニイの助けのもとに読もうとする連中ももはやどこにもいない。

この書物はごく少数の人たちのものである。おそらく彼らのうちのただひとりすらまだ生きてはいないであろう。それは、私のツァラトゥストラを理解する人たちであるかもしれない。今日すでに聞く耳をもっている者どもと、どうした私がおのれを取りちがえるはずがあろうか? ――やっと明後日が私のものである。父亡きのちに産みおとされる者もいく人かはいる。

人が私を理解し、しかも必然性をもって理解する諸条件、――私はそれを知りすぎるほどしっている。人は、私の真剣さに、私の激情にだけでも耐えるために、精神的な事柄において冷酷なまでに正直でなければならない。人は、山頂で生活することに、――政治や民族的我欲の憐れむべき当今の饒舌を、おのれの足下にながめることに、熟達していなければならない。人は無関心となってしまっていなければならない、はたして真理は有用であるのか、はたして真理は誰かに宿業となるのかとけっして問うてはならない・・・今日誰ひとりとしてそれへの気力をもちあわせていない問いに対する強さからの偏愛、禁ぜられたものへの気力、迷路へと予定されている運命。七つの孤独からの或る体験。新しい音楽を聞きわくる新しい耳、最遠方をも見うる新しい眼。これまで沈黙しつづけてきた真理に対する一つの新しい良心。そして大規模な経済への意志、すなわち、この意志の力を、この意志の感激を手もとに保有しておくということ・・・おのれに対する畏敬、おのれへの愛、おのれへの絶対的自由・・・

いざよし! このような者のみが私の読者、私の正しい読者、私の予定されている読者である。残余の者どもになんのかかわありがあろうか? ――残余の者どもはたんに人類であるにすぎない。――人は人類を、力によって、魂の高さ Höhe der Seeleによって、凌駕していなければならない、――軽蔑 Verachtungによって・・・(ニーチェ「反キリスト」序言)



2019年5月28日火曜日

固着によるタナトス

以前、次の図を掲げたが、それについて質問をもらっている。



この二つの死の本能の、右側は次の文に依拠する。

ある純粋な流体 un pur fluide が、自由状態l'état libreで、途切れることなく、ひとつの充実人体 un corps plein の上を滑走している。欲望する機械 Les machines désirantes は、私たちに有機体を与える。(⋯⋯)この器官なき充実身体 Le corps plein sans organes は、非生産的なもの、不毛なものであり、発生してきたものではなくて始めからあったもの、消費しえないものである。アントナン・アルトーは、いかなる形式も、いかなる形象もなしに存在していたとき、これを発見したのだ。死の本能 Instinct de mort 、これがこの身体の名前である。(ドゥルーズ&ガタリ『アンチ・オイディプス』1972年)


左側の「死の本能」は以下に示すが、一方は強制された運動、他方は自由流体としての運動であり、わたくしには明らかな矛盾があるという風にみえるということである。そして現在に至るまで、この二つの死の本能について突っ込んで問うているドゥルーズ研究者をわたくしは知らないということである。

⋯⋯⋯⋯

1960年代後半のドゥルーズ は「強制された運動 le mouvement forcé」あるいは「強制された運動の機械 les machines à movement forcé」という表現を扇の要にして、「タナトス Thanatos」「永遠回帰 l'éternité du retour」「無意志的回想 le souvenir involontaire」をほぼ等置している。



以下、まず三つの文を掲げる。


■強制された運動=タナトス
強制された運動 le mouvement forcé …, それはタナトスもしくは反復強迫である。c'est Thanatos ou la « compulsion»(ドゥルーズ『意味の論理学』第34のセリー、1969年)


■無意志的記憶= 時のなかに永遠回帰を導く死の本能
エロスは共鳴 la résonance によって構成されている。だがエロスは、強制された運動の増幅 l'amplitude d'un mouvement forcé によって構成されている死の本能に向かって己れを乗り越える(この死の本能は、芸術作品のなかに、無意志的記憶のエロス的経験の彼岸に、その輝かしい核を見出す)。

プルーストの定式、《純粋状態での短い時間 un peu de temps à l'état pur》が示しているのは、まず純粋過去 passé pur 、過去のそれ自体のなかの存在、あるいは時のエロス的統合である。しかしいっそう深い意味では、時の純粋形式・空虚な形式 la forms pure et vide du temps であり、究極の統合である。それは、時のなかに永遠回帰を導く死の本能 l'instinct de mort qui aboutit à l'éternité du retour dans le tempsの形式である。(ドゥルーズ 『差異と反復』1968年)


■強制された運動の機械=タナトス 
『失われた時を求めて』のすべては、この書物の生産の中で、三種類の機械 trois sortes de machinesを動かしている。

・部分対象の機械(衝動)machines à objets partiels(pulsions)
・共鳴の機械(エロス)machines à résonance (Eros)
・強制された運動の機械(タナトス)machines à movement forcé (Thanatos)である。

このそれぞれが、真理を生産する。なぜなら、真理は、生産され、しかも、時間の効果として生産されるのがその特性だからである。

・失われた時 le temps perduにおいては、部分対象 objets partiels の断片化による。
・見出された時 le temps retrouvéにおいては、共鳴 résonance による。
・別の仕方における失われた時 le temps perdu d'une autre façon においては、強制された運動の増幅 amplitude du mouvement forcéによる。この失われたもの cette perte は、作品の中に移行し、作品の形式の条件になっている。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「三つの機械 Les trois machines」の章、第2版 1970年)

ーー今かかげた三文が、なによりもまず冒頭図の示す内実である。


ドゥルーズはプルーストの《現勢的ではないリアルなもの、抽象的ではないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits 》(『見出された時』)を何度もくり返している。ここでは二つだけ引く。


■潜在的なもの
《現勢的ではないリアルなもの、抽象的ではないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits 》――このイデア的なリアルなもの、この潜在的なものが本質である Ce réel idéal, ce virtuel, c'est l'essence。本質は、無意志的回想の中に現実化または具現化される L'essence se réalise ou s'incarne dans le souvenir involontaire。ここでも、芸術の場合と同じく、包括と展開 l'enveloppement, l'enroulement は、本質のすぐれた状態として留まっている。そして、無意志的回想le souvenir involontaireは、本質の持つふたつの力を保持している。すなわち、過去の時間のなかの差異 la différence dans l'ancien momentと、現勢性のなかの反復 la répétition dans l'actuel。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』第5章、第2版 1970年)
潜在的なものは、実在的なものには対立せず、ただアクチュアルなものに対立するだけである。潜在的なものは、潜在的なものであるかぎりにおいて、或る十全な実在性を保持しているのである。潜在的なものについて、まさにプルーストが共鳴の諸状態について述定していたのと同じことを述定しなければならない。すなわち、「実在的ではあるがアクチュアルではなく、観念的ではあるが抽象的ではないréels sans être actuels, idéaux sans être abstraits」ということ、そして、象徴的ではあるが虚構ではないということ。

Le virtuel ne s'opposent pas au réel, mais suelement à l'actuel. Le virtuel possède une pleine réalité, en tant que virtuel. Du virtuel, il faut dire exactement ce que Proust disait des états de résonance : « réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits » ; et symboliques sans être fictifs .(ドゥルーズ『差異と反復(下)』財津理訳,2007年,p.111)

上のドゥルーズ文に現れる「潜在的なもの le virtuel 」と相同的な表現として、「潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]」がある。ドゥルーズは、潜在的対象を次のように表現した。

・潜在的対象は純粋過去の切片である。 L'objet virtuel est un lambeau de passé pur

・潜在的対象はひとつの部分対象である。L'objet virtuel est un objet partial
(ドゥルーズ 『差異と反復』1968年)

だがこれでは何のことやら掴みがたい。重要なのは次の文である。

反復は、ひとつの現在からもうひとつの現在へ向かって構成されるのではなく、むしろ、「潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x])」に即してそれら二つの現在が形成している共存的な二つの系列のあいだで構成される。潜在的対象は、たえず循環し、つねに自己に対して遷移するからこそ、その潜在的対象がそこに現われてくる当の二つの現実的な系列のなかで、すなわち二つの現在のあいだで、諸項の想像的な変換と、 諸関係の想像的な変容を規定するのである。

潜在的対象の遷移 Le déplacement de l'objet virtuel は、したがって、他のもろもろの偽装 déguisement とならぶひとつの偽装ではない。そうした遷移は、偽装された反復としての反復が実際にそこから由来してくる当の原理なのである。

反復は、実在性(レアリテ réalité)の〔二つの〕系列の諸項と諸関係に関与する偽装とともにかつそのなかで、はじめて構成される。 ただし、そうした事態は、反復が、まずもって遷移をその本領とする内在的な審級としての潜在的対象に依存しているがゆえに成立するのだ。

したがってわたしたちは、偽装が抑圧によって説明されるとは、とうてい考えることができない。反対に、反復が、それの決定原理の特徴的な遷移のおかげで必然的に偽装されているからこそ、抑圧が、諸現在の表象=再現前化 la représentation des présents に関わる帰結として産み出されるのである。

そうしたことをフロイトは、抑圧 refoulement という審級よりもさらに深い審級を追究していたときに気づいていた。もっとも彼は、そのさらに深い審級を、またもや同じ仕方でいわゆる〈「原」抑圧 refoulement dit « primaire »〉と考えてしまってはいたのだが。(ドゥルーズ『差異と反復』第2章)

ーーここで《潜在的対象》と《「原」抑圧 refoulement dit « primaire »》をほぼ同じ機能と扱っていることに注意しよう。

『差異と反復』の序章では、原抑圧と欲動の反復を関連づけて語っている。

エロスとタナトスは、次ののように区別される。すなわち、エロスは、反復されるべきものであり、反復のなかでしか生きられないものであるのに対して、(超越論的的原理 principe transcendantal としての)タナトスは、エロスに反復を与えるものであり、エロスを反復に服従させるものである。唯一このような観点のみが、反復の起源・性質・原因、そして反復が負っている厳密な用語という曖昧な問題において、我々を前進させてくれる。なぜならフロイトが、表象 représentations にかかわる「正式の proprement dit」抑圧の彼岸に au-delà du refoulement、「原抑圧 refoulement originaire」の想定の必然性を示すときーー原抑圧とは、なりよりもまず純粋現前 présentations pures 、あるいは欲動 pulsions が必然的に生かされる仕方にかかわるーー、我々は、フロイトは反復のポジティヴな内的原理に最も接近していると信じるから。(ドゥルーズ『差異と反復』「序」1968年)


フロイト概念「原抑圧 Urverdrängung」とは、実質上、「固着 Fixerung 」のことである(参照:原抑圧・固着文献)。

「抑圧」は三つの段階に分けられる。 

①第一の段階は、あらゆる「抑圧 Verdrängung」の先駆けでありその条件をなしている「固着 Fixierung」である。(…)

②第二段階は、「本来の抑圧 eigentliche Verdrängung」である。この段階はーー精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーーより高度に発達した、自我の、意識可能な諸体系から発した「後期抑圧 Nachdrängen 」として記述できるものである。(… )

③第三段階は、病理現象として最も重要なものだが、その現象は、 抑圧の失敗 Mißlingens der Verdrängung・侵入 Durchbruch・「抑圧されたものの回帰 Wiederkehr des Verdrängten」である。この侵入 Durchbruch とは「固着 Fixierung」点から始まる。そしてリビドー的展開 Libidoentwicklung の固着点への退行 Regression を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイア(パラノイド性痴呆)の一症例に関する精神分析的考察』1911年、 摘要訳)
われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心的(表象-)代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。……(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)


ドゥルーズ自身、次のような形で「固着」に触れている。

トラウマ trauma と原光景 scène originelle に伴った固着と退行の概念 concepts de fixation et de régression は最初の要素 premier élément である。…このコンテキストにおける「自動反復」という考え方 idée d'un « automatisme » は、固着された欲動の様相 mode de la pulsion fixée を表現している。いやむしろ、固着と退行によって条件付けられた反復 répétition conditionnée par la fixation ou la régressionの様相を。(ドゥルーズ『差異と反復』第2章、1968年)

ーーこのドゥルーズの文に現れる「トラウマ」「固着」「退行」「自動反復」は、なによりもまずフロイトの次の三文とともに読むべきである。

・リビドーは、固着Fixierung によって、退行 Regression の道に誘い込まれる。リビドーは、固着を発達段階の或る点に置き残す(居残る zurückgelassen)のである。

・実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」、1917年)
トラウマへの固着 Fixierung an das Trauma」と「反復強迫 Wiederholungszwang」は…絶え間ない同一の傾向 ständige Tendenzen desselbenをもっており、「不変の個性刻印 unwandelbare Charakterzüge」 と呼びうる。(フロイト『モーセと一神教』1939年)
(身体の)「自動反復 Automatismus」、ーー私はこれ年を「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯この固着する契機 Das fixierende Moment ⋯は、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)


なぜこの固着が反復強迫(死の欲動)を生むのか?

現実界は、同化不能 inassimilable の形式、トラウマの形式 la forme du trauma にて現れる。(ラカン、S11、12 Février 1964)
(心的装置に)同化不能の部分(モノ)einen unassimilierbaren Teil (das Ding)(フロイト『心理学草案 Entwurf einer Psychologie』1895)
フロイトの反復は、心的装置に同化されえない inassimilable 現実界のトラウマ réel trauma である。まさに同化されないという理由で反復が発生する。(ミレール 、J.-A. MILLER, L'Être et l'Un,- 2/2/2011 )


固着とは 《「身体的なもの」が「心的なもの」に移し変えられないことである》(ポール・バーハウ、BEYOND GENDER、2001)。だが人はそれを象徴化の試みをする。それは不可能な試みである。したがって永遠的な反復強迫が起こる。

もともと「身体の出来事」の一部は心的装置に翻訳されはしない。

エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、正規の無意識としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』、1938年)

ようするに固着による反復とは、外傷神経症の反復強迫とメカニズムとしては相同的である。

(心的装置による)拘束の失敗 Das Mißglücken dieser Bindung は、外傷神経症 traumatischen Neuroseに類似の障害を発生させることになろう。(フロイト『快原理の彼岸』5章、1920年)
外傷神経症 traumatischen Neurosen は、外傷的出来事の瞬間への固着 Fixierung an den Moment des traumatischen Unfalles がその根に横たわっていることを明瞭に示している。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年)
フロイトは反復強迫を例として「死の本能」を提出する。これを彼に考えさえたものに戦争神経症にみられる同一内容の悪夢がある。…これが「死の本能」の淵源の一つであり、その根拠に、反復し、しかも快楽原則から外れているようにみえる外傷性悪夢がこの概念で大きな位置を占めている。(中井久夫「トラウマについての断想」2006年)

ーー晩年のラカンはこの固着をサントーム(原症状)と呼んだ(参照: フロイト・ラカン「固着」語彙群)。サントームとは、フロイト用語ではトラウマ神経症であり、かつまたその反復強迫である。

症状は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE569, 16 juin 1975)

ここでの症状は原症状の意味であり、サントームのことである。

サントームは身体の出来事として定義される Le sinthome est défini comme un événement de corps (ミレール , L'Être et l'Un、30 mars 2011)
享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…身体の出来事はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…身体の出来事は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)
ラカンは、享楽によって身体を定義するようになった。Lacan en viendra à définir le corps par la jouissance (J.-A. MILLER, - L'Être et l 'Un - 25/05/2011)

そしてこのサントームが永遠回帰的反復強迫をもたらす。

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)
サントームの道は、享楽における単独性の永遠回帰の意志である。Cette passe du sinthome, c'est aussi vouloir l'éternel retour de sa singularité dans la jouissance. (Jacques-Alain Miller、L'ÉCONOMIE DE LA JOUISSANCE、2011)

ラカンにとって、現実界はトラウマ界であり、レミニサンス(無意志的反復)するものである。

私は…問題となっている現実界 le Réel は、一般的にトラウマ traumatismeと呼ばれるものの価値を持っていると考えている。…これは触知可能である…人がレミニサンスréminiscenceと呼ぶものに思いを馳せることによって。…レミニサンス réminiscence は想起 remémoration とは異なる。(ラカン、S.23, 13 Avril 1976)


以上、冒頭に掲げた図を「固着」用語で補って再掲しておこう。




上に見てきたように「固着」は「潜在的なもの le virtuel 」あるいは「潜在的対象(対象=x)[l'objet virtuel (objet = x) ]」に代替してもよい。

ラカンはこの固着を、骨象a [osbjet a]ともした。

私が « 骨象 osbjet »と呼ぶもの、それは文字対象a[la lettre petit a]として特徴づけられる。そして骨象はこの対象a[ petit a]に還元しうる…最初にこの骨概念を提出したのは、フロイトの唯一の徴 trait unaire 、つまりeinziger Zugについて話した時からである。(ラカン、S23、11 Mai 1976)
後年のラカンは「文字理論」を展開させた。この文字 lettre とは、「固着 Fixierung」、あるいは「身体の上への刻印 inscription」を理解するラカンなりの方法である。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe『ジェンダーの彼岸 BEYOND GENDER 』、2001年)
精神分析における主要な現実界の到来 l'avènement du réel majeur は、固着としての症状 Le symptôme, comme fixion・シニフィアンと享楽の結合 coalescence de signifant et de jouissance としての症状である。…現実界の到来は、文字固着 lettre-fixion、文字非意味の享楽 lettre a-sémantique, jouie である…(コレット・ソレール、"Avènements du réel" Colette Soler, 2017年)

以上。

2019年5月27日月曜日

自らを笑い飛ばすこと

われわれは時折、われわれから離れて休息しなければならないーー自分のことを眺めたり見下ろしたり、芸術的な遠方künstlerischen Ferneから、自分を笑い飛ばしたり嘆き悲しんだりする über uns lachen oder über uns weinen ことによってーー。われわれは、われわれの認識の情熱の内に潜む英雄と同様に、道化をも発見しなければならない。 われわれは、われわれの知恵を楽しみつづけることができるためには、 われわれの愚かしさをも時として楽しまなければならない!(ニーチェ『悦ばしき知』第107番、1882年)
最も高い山の頂に立つ者は、あらゆる悲劇と悲劇的真剣さを笑い飛ばす Wer auf den höchsten Bergen steigt, der lacht über alle Trauer-Spiele und Trauer-Ernste.……

いまわたしは軽い。いまわたしは飛ぶ。いまわたしはわたし自身をわたしの下に見る。いまわたしを通じてひとりの神が舞い踊っている。Jetzt bin ich leicht, jetzt fliege ich, jetzt sehe ich mich unter mir, jetzt tanzt ein Gott durch mich. (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第1部「読むことと書くことについて」1883年)

笑ことは大切である、《幸せだから笑うのではない。笑うから幸せなのだ。We don’t laugh because we’re happy – we’re happy because we laugh.》(William James)

ユーモアとは、《同時に自己であり他者でありうる力の存することを示す》こと(ボードレール)。

そして忘れることも。

忘却 Vergeßlichkeit は皮相な者 Oberflächlichen の信じているように、単なる惰性 vis inertiaeではない。むしろ一つの能動的なaktives、厳密な意味において積極的な制止能力 positives Hemmungsvermögenである。…

意識の扉や窓を一時的に閉鎖すること、冥界 Unterwelt における隷属的な諸器官が相互に協働したり対抗したりするための喧噪や闘争に煩わされないこと、新しいものに、わけてもより高級な機能や器官に、統制や予測や予定 Regieren, Voraussehn, Vorausbestimmen に(われわれの有機体の組織は寡頭政体だから)再び地位が与えられるようになるための僅かばかりの静穏、僅かばかりの意識の白紙状態 tabula rasa des Bewußtseinsーーこれが、…心的秩序・安静・礼儀のいわば門番であり執事であるあの能動的忘却 aktiven Vergeßlichkeit の効用である。

このことから直ちに看取されることは、忘却がなければ、何の幸福も、何の快活も、何の希望も、何の矜持も、何の現在もありえないだろうということだ。この制止装置Hemmungsapparatが破損したり停止したりした人間は、消化不良患者にも比せられるべきものだ(そして単に比せられるべきものより以上のものだ)。--彼は何事にも、「結着をつける」ことができない⋯⋯(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第1章、1887年)
…… しかし、 もっとも小さな幸福でも、 もっとも大きな幸福でも、つねにただ 1 点によって、幸福は幸福となる。それは、忘れることができるということ、 あるいは、 学問的に表現するなら、 幸福が続いているあいだは非歴史的 unhistorisch に感覚する能力である。すべての過去を忘れて瞬間の敷居に腰を下ろすことができない者、勝利の女神のように、眩暈も恐怖も感じることなく一点に立っていることができない者には、幸福とは何かということが決して判らないであろうし、さらにまずいことには、他人を幸福にすることは何もできないであろう。 (ニーチェ『反時代的考察』第15章、1878年)


もちろん、これがすべてではない。例えば、ジョー・ブスケのような「出来事」をもっている人物は能動的忘却などできよう筈はない。

われわれが傷つけずに愛することができないのは、われわれが傷ついているからである。C'est parce que nous sommes blessés que nous ne pouvons aimer qu'en blessant
傷が私の肉にうえつけたのは、私が傷を負った五月の夜に咲くバラである。私は、そのときと変わらない心で感覚し、生きている。…私はふたたび自らに言う。彼は20歳だった。彼は攻撃された身体の士官だった。傷は詩になった。私は、私の生の骨壺を作ったのだろうか、私の灰を掻き集めるために?

Ma blessure a enfoncé dans ma chair les roses du soir de mai où j'ai été blessé. Je sens, je vis avec le coeur que j'avais alors. [...] Je me redis: il avait vingt ans: il était officier dans un corps d'attaque. Une blessure l'avait tourné ensuite vers la poésie. Aurai-je fait de ma vie une urne pour recueillir mes cendres ? (ジョー・ブスケ Joë Bousquet, Mystique)


とはいえ、そもそもニーチェ自身、忘却できない出来事があったこそ、「自らを笑い飛ばすこと」、あるいは「能動的忘却」を強調したのである。

「記憶に残るものは灼きつけられたものである。苦痛を与えることをやめないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)
私はしばしばこう自問してきた、私は私の生涯の最も困難な年月になんらかの他の年月にもましていっそう深い義務を負っているのではなかろうかと。私の最も内なる本性が私に教えているとおり、すべての必然的なものは、高所から眺めれば、また大きな経済という意味においては、有益なもの自体でもある、――人はそれに耐えるべきであるのみならず、人はそれを愛すべきである・・・運命愛 Amor fati これが私の最も内なる本性である。(ニーチェ『ワーグナーの場合』序章、1888年)

ーー能動的忘却と運命愛は相反する概念である。

たぶん私が一番よく知っている、なぜ人間だけが笑うのかを。人間のみがひどく苦しんだので、笑いを発明しなければならなかったのである。Vielleicht weiß ich am besten, warum der Mensch allein lacht: er allein leidet so tief, daß er das Lachen erfinden mußte.(ニーチェ遺稿ーー『力への意志』Der Wille zur Macht I - Kapitel 10-91)
人間はいかなる動物よりも、病的であり、不安定であり、変わりやすく、不確定である。「人間は病気の動物である er ist das kranke Tier」ことは疑いの余地はない。(ニーチェ『道徳の系譜』第3論文第13節、1887年)

以下はごく一般論として読んでもよいだろう。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番、1886年)
ひとがものを書く場合、分かってもらいたいというだけでなく、また同様に確かに、分かってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にならぬ。おそらくそれが著者の意図だったのだーー著者は「猫にも杓子にも」分かってもらいたくなかったのだ。

すべて高貴な精神が自己を伝えようという時には、その聞き手をも選ぶものだ。それを選ぶと同時に、「縁なき衆生」には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこ起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである。(『悦ばしき知』381番、1882年)

………


アリアドネよ、私はお前を愛する。 ディオニュソス(コジマ・ワーグナー宛、1889年1月3日)

Ariadne, ich liebe Dich!  Dionysos (Turin, vermutlich 3. Januar 1889: Brief an Cosima Wagner)


コジマ・ワーグナーはニーチェからの手紙をすべて破棄してしまったそうだが、彼女の日記にはわずかではありながらニーチェについての記述が残っている。

たとえば1877年10月23日の日記には、《R(リヒャルト・ワーグナー)がニーチェの罹りつけの医師 Dr. Otto Eiserへの長い手紙を送った》という記述があり、続けて、《友の医学的忠告よりも医師の忠告を聞き入れるだろう》と書かれている。

どんな忠告だったのかはコジマの日記には書かれてはいないが、ワーグナーの次のような手紙は残っている。もっとも日付はApril 4, 1878となっており、上のコジマの日記が書かれてから半年ほど経った後のものである(ネット上には英訳しか見出せない)。

私はときどき考えているのだが、ニーチェの長患い(頭痛やら眼のトラブル)は、若く才能のあるインテリたちの間で観察してきた病気と同じケースじゃないか、と。私はこれらの若者たちが朽ち果てていくのを見てきた。そしてただひたすら痛々しく悟ったのは、この症状はマスターベーションの結果だということだ。

"I have been thinking for some time, in connection with Nietzsche's malady, of similar cases I have observed among talented young intellectuals. I watched these young men go to rack and ruin, and realized only too painfully that such symptoms were the result of masturbation," (Wagner on April 4, 1878)

David Allisonは、1977年に出版された“The New Nietzsche”にて、このワーグナーの手紙を引用しつつ、次のように書いている。

まったく自明の理だが、ニーチェの世界は、1878年の春の出来事によって!完全にばらばらに崩れ堕ちた……。その時、ワーグナーは、ニーチェのオナニズムへの過度の没頭を非難し、かつまたニーチェの医師、Otto Eiser博士によって知らされたわけだ。Otto Eiserは、フランクフルトのワーグナーサークルの会長として、ニーチェのオナニズムに対するワーグナーの告発を、バイエルン祝祭劇場の参加者にまで流通させた。ニーチェは恥辱まみれになった。そして、おそらくは、ニーチェは、教養あり洗練された名士たちの唯一の集団から、余儀なく退却せざるをえなくなった。ニーチェはこの集団との公的な接触、かつまた評価を享受することもできただろうに。(David Allison “ The New Nietzsche”1977)

当時は、17世紀まではたいして問題にもなっていなかった自慰の撲滅運動(主に精液=エネルギー流出説)というイデオロギーが猖獗していた。

自慰は不道徳の領域にではなく、病の領域へと組み入れられる、ということです。自慰は、いわば普遍的な実践とされ、すべての病がそこから発生する危険で非人間的かつ怪物的な「X」とされます。(フーコー『異常者たち』)

1878年の春の「出来事」当時、ニーチェ33歳。1年後にはバーゼル大学教授を「病気で」辞職した。以下の文には、1879年当時の記憶が想起されている。

わたしの父は、三十六歳で死んだ。きゃしゃで、やさしくて、病弱で、いわば人生の舞台をただ通り過ぎるだけの役割を定められている人だった。――生そのものというよりは、むしろ生への温和な思い出だった。父の生が下降したのと同じ年齢で、わたしの生も下降した。つまり三十六歳のとき、わたしは、わたしの活力の最低点に落ちこんだーーまだ生きてはいたもの、三歩先を見ることもできなかった。当時――1879年のことだったーーわたしは、バーゼルの教授職を退いて、夏中まるで影のようにサン・モーリッツで過ごした。が、それにつづく、わたしの生涯でもっとも日光の希薄であった冬には、ナウムブルクで影そのものとして生きた。これがわたしの最低の位置だった。『さすらい人とその影』が、その間に生れた。疑いもなく、わたしは当時、影とは何かをよく知っていたのである……(ニーチェ『この人を見よ』1888年)

そして1880年の『さすらい人とその影』にはこうある。

人生の真昼時に、ひとは異様な安静の欲求におそわれることがある。まわりがひっそりと静まりかえり、物の声が遠くなり、だんだん遠くなっていく。彼の心臓は停止している。彼の目だけが生きている、--それは目だけが醒めている一種の死だ。それはほとんど不気味で病的に近い状態だ。しかし不愉快ではない。(ニーチェ『さすらい人とその影』308番、1880年)


ニーチェが5歳の時(1849年)にニーチェの父は36歳で死んでいる。つまりニーチェの父の生誕年は1813年前後となる。ニーチェは、父と同年生まれのワーグナー(1813-1883)に、早逝した父のかわりの役割を求めたということは全くなかったのか。

私は埋葬式と同じオルガンの音を聴く夢を見た。なぜなのかと考えているとき、突然、父の墓が開き、屍衣を纏った父がそこから這い上がって来た。父は教会へと駆け入り、しばらくすると小さな子供を腕に抱えて戻って来た。墓が開き、父はそこに入る。そして墓の覆いはふたたび閉ざされる…。(ニーチェ「自叙伝」1858年、14歳)

今、記したことはあくまで憶測にすぎない。だがニーチェは小林秀雄のいうように読む方法もあることは間違いない。

反道徳とか、反キリストとか、超人とか、ニヒリスムとか、孤独とかいう言葉は、ニイチェの著作から取り上げられ、誤解され、濫用されているが、これらの言葉は、近代における最も禁欲的な思想家の過剰な精神力から生れた言葉だと思えば、誤解の余地はないだろう。彼は妹への手紙で言っている、「自分は生来おとなしい人間だから、自己を喚び覚ますために激しい言葉が必要なのだ」と。ニイチェがまだ八つの時、学校から帰ろうとすると、ひどい雨になった。生徒たちが蜘蛛の仔を散らすように逃げ還る中で、彼は濡れないように帽子を石盤上に置き、ハンケチですっかり包み、土砂降りの中をゆっくり歩いて還って来た。母親がずぶ濡れの態を咎めると、歩調を正して、静かに還るのが学校の規則だ、と答えた。発狂直前のある日、乱暴な馬車屋が、馬を虐待するのに往来で出会い、彼は泣きながら走って、馬の首を抱いた。ちなみに彼はこういうことを言っている、「私は、いつも賑やかさのみに苦しんだ。七歳の時、すでに私は、人間らしい言葉が、決して私に到達しないことを知った」。およそ人生で宗教と道徳くらい賑やかな音を立てるものはない。ニイチェは、キリストという人が賑やかだ、と考えたことは一度もない。(小林秀雄「ニイチェ雑感」)

2019年5月25日土曜日

恐ろしい喜劇

あなたは自分で目隠しをし、自分で耳に栓をしている。(ニーチェ『反時代的考察』)
あなたは自分が何を望んでいるか実際に知っているのか? 

――自分たちは真であるものを認識するには全く役に立たないかもしれない。この不安があなたを苦しめたことはないのか? 自分たちの感覚はあまりにも鈍く、自分たちは敏感に見ることさえやはりあまりにも粗っぽすぎるという不安が? 

自分たちが見ることの背後に昨日は他人よりも一層多くを見ようとしたり、今日は他人とは違ったように見ようとしたり、あるいはあなたがはじめから、人々が以前に見つけたと誤認したものとの一致あるいは反対を見出そうと切望していることに、気づくとすれば! おお、恥辱に値する渇望 schämenswerthen Gelüste! 

あなたはまさに疲れているためにーーしばしば効果の強いものを、しばしば鎮静させるものを探すことに、気づくとすれば! 真理とは、あなたが、ほかならぬあなたがそれを受け入れるような性質のものでなければならないという、全き秘密の前提条件がいつもあるのだ! 

あるいはあなたは、あなたが冬の明るい朝のように凍って乾き、心に掛かる何ものも持っていない今日は、一層よい目を持っていると考えるのか? 熱と熱狂とが、思考の産物に正しさを調えてやるのに必要ではないか? ――そしてこれこそ見るということである! 

あたかもあなたは、人間との交際とは異なった交際を、一般に思考の産物とすることができるかのようである! この交際の中には、等しい道徳や、等しい尊敬や、等しい底意や、等しい弛緩や、等しい恐怖感やーーあなたの愛すべき自我と憎むべき自我との全体がある! 

あなたの肉体的な疲労は、諸事物にくすんだ色を与える。あなたの病熱は、それらを怪物にする! あなたの朝は、事物の上に夕暮れとは違った輝き方をしてはいないか? 

あなたはあらゆる認識の洞窟の中で、あなた自身の亡霊 Gespenstをーーあなたの視野からその中に覆い隠蔽された繭 Gespinnstとしての亡霊をーー再発見することを恐れていないのか。あなたがそのように無思慮に共演したいと思うのは、恐ろしい喜劇 schauerliche Komödieではないのか? ――(ニーチェ『曙光』539番)
人は見ることを学ばなければならない、人は考えることを学ばなければならない、人は語ることと書くことを学ばなければならない。これら三者のすべてのおける目標は一つの高貴な文化である。

見ることを学ぶとはーー、眼に、落ち着きの、忍耐の、対象をしてわが身に近づかしめることの習慣をつけることであり、判断を保留し、個々の場合をあらゆる側面から検討して包括することを学ぶことである。これが精神性への第一の予備訓練である。すなわち、刺激にただちに反応することはなく、阻み、きまりをつける本能を手に入れることである。私が解するような見ることを学ぶとは、ほとんど、非哲学的な言い方で強い意志と名づけられているものにほかならない。その本質的な点は、まさしく、「意欲」しないこと、決断を中止しうることである。すべての非精神性は、すべての凡俗性は、刺激に抵抗することの無能力にもとづく、――だから人は反応せざるをえず、人はあらゆる衝動 Impulse に従うのである。(ニーチェ「ドイツ人に欠けているもの」第6節『偶像の黄昏』所収)


と引用して何が言いたいわけでもない。誰もが見ることなどなかなか学べないのである。とくに自分を見つめることは最も難しい。《万人はいくらか自分につごうのよい自己像に頼って生きている》(エリオット「四つの四重奏」)。ただし他人の「メタ私」はときに自分の「メタ私」よりもよく見えることがあるのは確かだ。

精神科医なら、文書、聞き書きのたぐいを文字通りに読むことは少ない。極端に言えば、「こう書いてあるから多分こうではないだろう」と読むほどである。(中井久夫『治療文化論』)
誰かが何かを言うときには、文章あるいは主張が議論に載せられますが、言っていることに対して主体がとっている位置に注目することもできます。いいかえれば、彼のメタ言語学的位置に注意を向けるのです。彼は自分の言っていることをどうみているだろうか?(ミレール「ラカンの臨床的観点への序論」)
他者の「メタ私」は、また、それについての私の知あるいは無知は相対的なものであり、私の「メタ私」についての知あるいは無知とまったく同一のーーと私はあえていうーー水準のものである。しばしば、私の「メタ私」は、他者の「メタ私」よりもわからないのではないか。そうしてそのことがしばしば当人を生かしているのではないか。(中井久夫「世界における徴候と索引」)





2019年5月24日金曜日

神は娼婦 Dieu est une putain

ラカンはーーおおやけになっているものに限ればーー、バタイユにの名を数度しか口にしていない。その稀な例の代表的なものは、シュレーバー事例に捧げられた『DU TRAlTEMENT POSSIBLE DE LA PSYCHOSE』の末尾にあり、バタイユ概念「内的体験」に触れている(もっとも最晩年のラカンからすれば「人はみな妄想する」のだから、バタイユがことさら精神病であったとは言い難い)。

C'est ainsi que le dernier mot où « l'expérience intérieure » de notre siècle nous ait livré son comput, se trouve être articulé avec cinquante ans d'avance par la théodicée à laquell e Schreber est en butte : « Dieu est une p .. » DU TRAlTEMENT POSSIBLE DE LA PSYCHOSE E853, janv 1958)

« Dieu est une p .. » とあり、脚注がある。

Sous la forme : Die Sonne ist eine Hure (S. 384-App.). Le soleil est pour Schreber l’aspect central de Dieu. L’expérience intérieure, dont il s’agit ici, est le titre de l’ouvrage central de l’œuvre de Georges Bataille. Dans Madame Edwarda, il décrit de cette expérience l’extrémité singulière.


概訳すれば、《「太陽は娼婦である Die Sonne ist eine Hure」という形態。シュレーバー にとって太陽は神の中心的な相である。「内的体験 L’expérience intérieure」とはジョルジュ・バタイユの作品、『マダム・エドワルダ』のなかにあるもので、バタイユはこの内的体験の極致を描いている。》


ようするに« Dieu est une p .. »は、「神は娼婦である Dieu est une putain」ということである。

前回引用した文を再掲すれば、《あたしは神よ je suis DIEU》である。

マダム・エドワルタの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。「あたしのぼろぎれが見たい?」両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女ほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は方脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうにエドワルダの《ぼろきれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸。おれは神妙につぶやいた。「いったいなんのつもりかね。」「ほらね。あたしは《神様》よ……」「おれは気でも狂ったのか……」「いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!」(ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』生田耕作訳)
La voix de Madame Edwarda, comme son corps gracile, était obscène :

« Tu veux voir mes guenilles ? » disait-elle.

Les deux mains agrippées à la table, je me tournai vers elle. Assise, elle maintenait haute une jambe écartée : pour mieux ouvrir la fente, elle achevait de tirer la peau des deux mains. Ainsi les « guenilles » d’Edwarda me regardaient, velues et roses, pleines de vie comme une pieuvre répugnante. Je balbutiai doucement :

« Pourquoi fais-tu cela ?
– Tu vois, dit-elle, je suis DIEU...
– Je suis fou...
– Mais non, tu dois regarder : regarde !


「神は娼婦である」は、晩年のラカンの思考においては、「女というものは神の別の名」である。

問題となっている「女というもの La femme」は、「神の別の名 autre nom de Dieu」である。その理由で「女というものは存在しない elle n'existe pas」のである。(ラカン、S23、18 Novembre 1975)
「大他者の大他者はある il y ait un Autre de l'Autre」という人間のすべての必要性 nécessité。人はそれを一般的に〈神 Dieu〉と呼ぶ。だが、精神分析が明らかにしたのは、〈神〉とは単に《女というもの La femme》だということである。(ラカン、S23、16 Mars 1976)


これらはフロイトの「母は娼婦である」のヴァリエーションでもある。

男児は、母が性行為 sexuellen Verkehres を、彼自身とではなく父とすることを許さない。彼は、それを(娼婦と同様な)不貞な行為と見なす。(……)

こうして我々は心的発達の断片への洞察を得た。…娼婦愛 Dirnenliebe…娼婦のような対象を選択する愛の条件 Liebesbedingung は、直接的にマザーコンプレックス Mutterkomplex に由来するのである。(フロイト『男性における対象選択のある特殊な型について』1910年)


ラカンにとって、原母子関係における母とは「全能の母」であり、「母なる女の支配」があると言っているが、これは男児女児ともにそうであり、後年のフロイトにも同様の記述がある。

母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、S5、15 Janvier 1958)
母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能 omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、S4、12 Décembre 1956)
(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存dépendanceを担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)


⋯⋯⋯⋯


ところでラカンはなぜバタイユにわずかしか触れなかったのだろか? わたくしはバタイユをほとんど知らないが(昔、四つの小説を読んだだけでもう殆ど忘れている)、わずかのさわりを読んでみただけでも、とても強い思考的近接性があるのに。

ここではまず、ラカンの二人の妻の情報を英語版wikiから掲げる(個人的備忘である)。




Marie-Louise Blondin

Marie-Louise Blondin (16 November 1906 - 1983) was Jacques Lacan’s first wife, the sister of Jacques Lacan's friend the surgeon Sylvain Blondin.

In 1933, Lacan falls in love with Marie-Louise Blondin.

On 29 January 1934, he marries Marie-Louise Blondin, who gives birth to their first child, Caroline, the same month.

Three children were born from this marriage, Caroline in |1934, Thibaut in 1939 and Sibylle in 1940.

On 3 July 1941, Judith Bataille, the daughter of Lacan and Sylvia Maklès-Bataille, is born. Judith receives the surname Bataille because Lacan is still married to Marie-Louise.
On 15 December 1941, Lacan and Marie-Louise Blondin are officially divorced.
She dies in 1983.

ーーSylvia Maklès-Batailleとのあいだにできた娘の洗礼名は Judith Bataille とある。Judithは、ジャック=アラン・ミレールの妻であり、2017年に76歳でなくなっている。


女優 Sylvia Maklèsーージャン・ルノワールの作品にも主演として出ているーーは20歳(1928年)でバタイユと結婚して、実質上、1934年に別れているが、正式の離婚は1946年とある。





Sylvia Bataille

Sylvia Bataille (born Sylvia Maklès; 1 November 1908 – 23 December 1993) was a French actress of Romanian-Jewish descent. When she was twenty, she married the writer Georges Bataille with whom she had a daughter, the psychoanalyst Laurence Bataille (1930–1986). Georges Bataille and Sylvia separated in 1934 but did not divorce until 1946. Starting in 1938, she was a companion of the psychoanalyst Jacques Lacan with whom, in 1941, she had a daughter, Judith, today Judith Miller. Sylvia Bataille married Jacques Lacan in 1953.


バタイユとシルヴィアは、離婚後もバタイユが死ぬまで親しい関係にあり、二番目の夫ジャック・ラカンのカントリーハウスで夏休みを過ごした、とStuart Kendallはバタイユ伝で記している。

They stayed close for the rest of Bataille's life, close enough for Bataille to spend summer vacations with Sylvia and her second husband, Bataille's friend Jacques Lacan, at his country home.(Stuart Kendall,Georges Bataille)


1930年生れのバタイユとシルヴィアとのあいだの娘 Laurence Bataille は、後に精神分析家となるが、比較的若い齢(56歳)で亡くなっている(ネット情報では癌による)。







Roudinescoの『Jacques Lacan』によれば、ラカンはバタイユの娘を育てたということになっているが、かりに幼い時からとすると、ちょっとよく分からなくなる。



なにはともあれバタイユの娘 Laurence Batailleは、16歳でバルテュスの家に「お手伝い」として入ったそうだ。







次のような情報もあるが、信憑性のほどは知らない(とはいえ、バルテュスの数多くの少女たちの作品のどれかのモデルになっていることは間違いないだろう)。

Many of Balthus' models would also be his lovers, including Laurence Bataille, the daughter of the writer Georges Bataille, who features in Nude with Cat (1949), the wonderful small picture from the National Gallery of Victoria which is on loan to this show.(The Balthus enigma




⋯⋯⋯⋯

バタイユの離婚の原因となった第一は(娼家入り浸りなどの放蕩を別にして)、コレット・ベニョ Colette  Peignot、通称「ロール Laure」への愛のせいだというのが通説になっている。バタイユはロールに1931年に知り合い、彼女は1938年にパタイユのアパートで 35 年の短い生涯を閉じている。




誰 1 人彼女のように妥協を許さず、純粋で、彼女ほど決定的に〈崇高〉に思われた人物はいなかった。Jamais personne ne me parut comme elle intraitable et pure, ni plus décidément "souveraine"
すでに最初の日から、私は彼女との聞にまったき透明性を感じた。(…) 1 人の女性にこれほどの敬意を感じたことは未だかつてなかった。Dès le premier jour, je sentis entre elle et moi une complète transparence. (...) Je n'ai jamais eu plus de respect pour une femme.» (Georges Bataille: «Vie de Laure»)


Colette Peignotはwiki英語版から拾えばこうである。

Colette Peignot (October 8, 1903 – November 7, 1938) was a French author who is most known by the pseudonym Laure, but also wrote under the name Claude Araxe.

She was profoundly affected during her childhood by the deaths of her father and three uncles during World War I, by her failing health (tuberculosis nearly killed her at age 13), and by sexual abuse from a priest. Her writings are full of fury, improprieties, and suffering.

ちなみにバタイユの父は、バタイユの出生時にすでに梅毒のせいで盲目となっており、その後ほどなく、進行性麻痔のために四肢の自由を失って肘掛け椅子に釘付けとなっていた。

ふたりのあいだには、幼児期外傷的経験の相同性による同一化があったのだろうと憶測できる。《共感は、同一化によって生まれる das Mitgefühl entsteht erst aus der Identifizierung》(フロイト『集団心理学と自我の分析』)。愛する(共感する)から同一化するのではない。同一化するから愛するのである。

さらにMichel Suryaの『Georges Bataille: An Intellectual Biography』によれば、1915年9月、ドイツ軍がランスーーバタイユ家族が当時住んでいた土地ーーに侵攻してきた際、バタイユと母は、身動きのできない父を置き去りにして母の生家に逃れた。このせいで、バタイユの母は精神に変調を来たし、自殺未遂を繰返した。二か月後、ランスに戻って来ると、父親は寝室なかに縛りつけられたようにして屍になっていた。『眼球譚』の末尾にはこの状況をいくらか曖昧にした記述がある。







ところで、コレット・ベニョのバタイユ宛手紙のひとつにはこうある。

あんたは私を侮辱したわ、「弱さ」を話してね。よく言えたもんだわ。あんたなんか2時間だって独りで過ごす力がないじゃない。いつも誰かが傍らにいなくちゃ何もできない男。やりたいことを何もやれない男。私は知ってるわ。(A letter to Georges Bataille from Colette “Laure” Peignot


こう言われてしまったら、ある種の男はおしまいである・・・出会い初めのころの手紙では、《私たちは〈符合〉から〈符合〉へと進んでいくようだわ nous allons de "coïncidence" en "coïncidence"》とか《あなたは、わたしが正面から見つめなければならない存在だわ-それが全て。Vous êtes un être que j'ai besoin de regarder en face - C'est tout》だったんだけどな。

実はここでのいささかの詮索はこの文を起源にしている。たぶん、コレット・ベニョはバタイユがいつまでもシルヴィアに未練がある様子なのに怒ったんだろうけど。いや究極的にはバタイユのマザコンぶりにたいする憤りかも。

女における「三次的愛」」で記したことだが、もし真に男女とも裸になって愛を交わし合うとすれば、勝利するのは常に女である・・・






2019年5月22日水曜日

ほらね。あたしは神よ

『マダム・エドワルダ』は感嘆すべきテクストですが、誰もこれがヒステリーに関する素晴らしい研究書であるとはあえて言っていません 。『マダム・エドワルダ』をこの観点から見直したならば、バタイユは精神分析の知識がなかったのではないことが分かります。マダム・エドワルダの痙攣は、そのもっとも驚くべき例証の1つとして記録されるべきです。これはつまり、パリでシャルコが行った説明の場に居合わせた人々に関する事実について語ってもいるのです。というのは、精神分析はパリで、サルペトリー病院でシャルコの学生だったフロイトによって発見されたのですから。

ヒステリー患者たちはこの風変りな授業にとって貴重な行為をしたのであり、シャルコがそこにいた学生フロイトの耳元にこう囁いたのです。 「ほらね、いずれにせよつねに性的問題なのです」。 「そうですか」と言ったもののフロイトは、では彼はなぜそれを公然と言わないのだろう?と思い、こうして自分の使命を見つけることになったのです。そしてバタイユがそれを立証してみせたというわけです。これもまたパリで起こったことです。バタイユの作品には他にもプレイヤッド版に入った『わが母』や『空の青』などがありますが、いずれも驚くべきものです。 『空の青』は途方もない作品で、1935 年にバルセロナで書かれたものの、1957 年まで出版されませんでした。バタイユは『空の青』を書き、その最後に照明に浮かび上がるナチスの少年鼓笛隊を見たことを書きつけます 。彼はすべてを見たのです。ほとんど誰も、何も見ていなかった時代に。(フィリップ・ソレルスへのインタビュー : パリ・ガリマール本社、2017年8月28日 、阿部静子)




マダム・エドワルタの声は、きゃしゃな肉体同様、淫らだった。「あたしのぼろぎれが見たい?」両手でテーブルにすがりついたまま、おれは彼女ほうに向き直った。腰かけたまま、彼女は方脚を高々と持ち上げていた。それをいっそう拡げるために、両手で皮膚を思いきり引っぱり。こんなふうにエドワルダの《ぼろきれ》はおれを見つめていた。生命であふれた、桃色の、毛むくじゃらの、いやらしい蛸。おれは神妙につぶやいた。「いったいなんのつもりかね。」「ほらね。あたしは《神様》よ……」「おれは気でも狂ったのか……」「いいえ、正気よ。見なくちゃ駄目。見て!」
La voix de Madame Edwarda, comme son corps gracile, était obscène :

« Tu veux voir mes guenilles ? » disait-elle.

Les deux mains agrippées à la table, je me tournai vers elle. Assise, elle maintenait haute une jambe écartée : pour mieux ouvrir la fente, elle achevait de tirer la peau des deux mains. Ainsi les « guenilles » d’Edwarda me regardaient, velues et roses, pleines de vie comme une pieuvre répugnante. Je balbutiai doucement :

« Pourquoi fais-tu cela ?
– Tu vois, dit-elle, je suis DIEU...
– Je suis fou...
– Mais non, tu dois regarder : regarde ! 
「ごらん・・・・・・あたし素っ裸よ・・・・・・さあしましょう」運転手はじっと獣を見つめた。彼女は後ずさり、あからさまに見せつける目的で、片脚を高く持ち上げていた。なにも答えず、落ち着きはらって、男は座席をおりた。頑丈な荒くれ男だった。エドワルダは抱きつき、唇に接吻し、片手でズボンの中をまさぐった。引き出したのは、長い嵩ばったものだった。男のズボンを脚もとへ引きずり下ろし、「車内へいらっしゃい」

男はおれの隣りへ来て腰を下ろした。あとにつづいて、彼女はその上に馬乗りになった。露骨に、片手で男を自分のなかへ導いた。おれは、無気力に、眺めていた。彼女は落ち着いた老練な動作を示し、傍目にも、鋭い感覚を味わっていた。それに応えて、一方は荒々しく全身で立ち向かっていた。二個の肉体の、裸になった親近性から出発して、それは今や、勇気もくじける過剰点へさそかかっていた。大わらわの運転手は鼻息荒くのぞけっていた。おれは車内燈のスイッチを入れた。馬乗りのエドワルダは、髪をふり乱し、上体を伸ばして、頭をうしろにのぞけらせていた。頸筋を支えてやると、白眼が見えた。受けとめた手をもたれに、彼女はふんばり、緊張に呻きがいやました。眼つきはもとに復し、一瞬、興奮はおさまったかと思われた。おれには見てとれた。その目つきから、いましも、彼女は《不可能なもの》から引っ返しつつあるのが読みとれた。(ジョルジュ・バタイユ『マダム・エドワルダ』生田耕作訳)



マラルメの愛人メリ・ローラン(マネのかつての愛人)


メリ・ローランへの47歳誕生祝の四行詩

Méry, l'an pareil en sa course
Allume ici le même été
Mais toi, tu rajeunis la source
Où va boire ton pied fêté.

メリよ、年はひとしく運行を続けて
いまここで、同じ夏を燃え立たせる
しかし、君は泉を若返らせて
祝福される君の足がそこへ水を飲みに行く


後期理論の段階において、ラカンは強調することをやめない。身体の現実界、例えば、欲動の身体的源泉は、われわれ象徴界の主体にとって根源的な異者 étranger であることを。

われわれはその身体に対して親密であるよりはむしろ外密 extimité の関係をもっている。《親密な外部、extériorité intime,》(ラカン、S7)

…事実、無意識と身体の両方とも、われわれの親密な部分でありながら、それにもかかわらず全くの異者であり知られていない。(⋯⋯)

偶然にも、ヒステリーの古代エジプト理論は、精神分析の洞察と再接合する或る直観的真理を含んでいる。ヒステリーについての最初の理論は、Kahun で発見された (Papyrus Ebers, 1937) 4000年ほど前のパピルスに記されている。そこには、ヒステリーは子宮の移動によって引き起こされるとの説明がある。子宮は、身体内部にある独立した・自働性をもった器官だと考えられていた。

ヒステリーの治療はこの気まぐれな器官をその正しい場所に固定することが目指されていたので、当時の医師-神官が処方する標準的療法は、論理的に「結婚」に帰着した。

この理論は、プラトン、ヒポクラテス、ガレノス、パラケルルス、等々によって採用され、何世紀ものあいだ権威のあるものだった。なんという奇矯な考え方!ーーだが、たいていの奇妙な理論と同様に、それはある真理の芯を含んでいる。

まず、ヒステリーはおおいに性的問題だと考えらてれる。第二にこの理論は、子宮は身体の他の部分に比べ気まぐれで異者のようなものという着想を伴っており、事実上、人間内部の分裂という考え方を示している。つまり我々内部の親密な異者・いまだ知られていない部分としてのフロイトの無意識の発見の先鞭をつけている。

神秘的・想像的な仕方で、この古代エジプト理論は語っているのだ、「自我は自分の家の主人ではない」(フロイト)、「人は自分自身の身体のなかで何が起こっているか知らない」(ラカン)、と。(Frédéric Declercq、LACAN'S CONCEPT OF THE REAL OF JOUISSANCE: CLINICAL ILLUSTRATIONS AND IMPLICATIONS, 2004)

なぜなだめてやらないんだ、はやいとこ

たえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状 das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
われわれにとって異者としての身体 un corps qui nous est étranger (ラカン、S23、11 Mai 1976)
ラカンの外密 extimitéという語は、親密 intimité を基礎として作られている。外密 Extimité は親密 intimité の反対ではない。それは最も親密なもの le plus intimeでさえある。外密は、最も親密でありながら、外部 l'extérieur にある。それは、異物(異者としての身体 corps étranger) のようなものである。…外密はフロイトの不気味なもの Unheimlich でもある。(Jacques-Alain Miller、Extimité、13 novembre 1985)
心的無意識のうちには、欲動蠢動 Triebregungen から生ずる反復強迫Wiederholungszwanges の支配が認められる。これはおそらく欲動の性質にとって生得的な、快原理を超越 über das Lustprinzip するほど強いものであり、心的生活の或る相にデモーニッシュな性格を与える。この内的反復強迫 inneren Wiederholungszwang を想起させるあらゆるものこそ、不気味なもの unheimlich として感知される。(フロイト『不気味なもの』1919年)
欲動蠢動は刺激、無秩序への呼びかけ、いやさらに暴動への呼びかけである la Regung(Triebregung) est stimulation, l'appel au désordre, voire à l'émeute(ラカン、S10、14 Novembre 1962)



2019年5月20日月曜日

女たちの肖像写真

純粋に愛することは、隔たりへの同意である。自分と愛するものと間にある隔たりを何より尊重することである Aimer purement, c'est consentir à la distance, c'est adorer la distance entre soi et ce qu'on aime. (シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵 La pesanteur et la grâce』)



ーーゴダール『(複数の)映画史』4Aに使われた女たちの肖像写真である。

シモーヌ・ヴェイユの引用は、上の写真群とはとくに関連はない。

悪を加えられた fait du mal 者、その人は自分の中に悪をしみこませる pénètre vraiment du mal en lui。…人間には、おたがいに善を施しあう力があるように、おたがいに悪を加えあう力がある。…

外傷 blessureという形で、外部から人間にくわえられる悪は、善への願望を一層つのらせる。受けた傷が魂全体に深くくいこんでしまった la blessure a déchiré toute l'âme 場合、希求される善は全き純粋なものとなる。(Simone Weil,、ロンドン論集とさいごの手紙 Écrits de Londres et dernières lettres)


ヴェイユというのは、この外傷をはずしては、そして拒食症をはずしては、スナオには読み難いね、今のボクには。ヴェイユファンにはおこられるだろうけどな。

空虚は全き充溢以上の充溢である vide est plus plein que tous les pleins。空虚にまで達するなら人は救われる。なぜなら神がその空虚を埋めてくれるから car Dieu comble le vide。(シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵 』)
拒食症 anorexie mentaleとは、食べない ne mange pas のではない。そうではなく、無を食べるのである manger rien。(ラカン、S4, 22 Mai 1957)


ヴェイユの言っていることは、ラカンのマテームでは完全に次のものである。


父の名の過剰現前の真意


こう引用しとかないとな、おこられちまうから。

フロイトとともに思い起こさねばならない。芸術の分野では、芸術家は常に分析家に先んじており l'artiste toujours le précède 、精神分析家は芸術家が切り拓いてくれる道において心理学者になることはないのだということを il n'a donc pas à faire le psychologue là où l'artiste lui fraie la voie. (ラカン 「マルグリット・デュラスへのオマージュ HOMMAGE FAIT A MARGUERITE DURAS 」、AE193、1965年)


大江の次の文はヴェイユのパクリなんだろうな、昨晩気づいたけど。彼はこのすこしまえ彼女に触れているから。

なぜ、「中心の空洞」に向けて祈らずにいられるんだろう? (大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部第二章「中心の空洞」)

ヴェイユの《浄化の一つの方法。神に祈ること。人知れず祈るだけでなく、神は存在しないと考えながら祈ること。Un mode de purification : prier Dieu, non seulement en secret par rapport aux hommes, mais en pensant que Dieu n'existe pas》とは、まさに中心の空洞に向けての祈りだ。

彼女がブスケ宛に《愛はリアルだ L'amour est réel》というのは、S(Ⱥ)のこと。ーーS(Ⱥ)は現実界的シニフィアン、現実界に対する境界表象だから。

おそらくすべての人々にとって、特に不幸によって傷つけられた人々にとって、悪の根源は夢想です la racine du mal, c'est la rêverie。それは不幸な人々の唯一の慰め、唯一の富であり、時間の恐ろしい重みを担うための唯一の助けなのです。まったく無邪気な、それに欠かすことのできない助けなのです。どうしてそれなしで済ますことができましょう。

夢想にはただ一つ不都合な点があります。それはリアルでないということです c'est qu'elle n'est pas réelle。

真理に対する愛から夢想を放棄すること、それはまさに、狂熱の愛をもって夢想が与えるすべての富を投げ打ち、<真理>の化身に従うことなのです。それこそまさに自分自身の十字架を担うことにほかなりません。時間が十字架なのです。

ぎりぎりの瞬間に近づくまでそのようなことをしてはいけません。むしろ夢想をあるがままに認識しなければいけないのです。そして夢想によって支えられているあいだでも、つぎのことを片時も忘れてはなりません。夢想が子供っぽくて外見はどんなに無害に見えようと、あるいはそれが真面目なもので、美術、愛、友情 l'art, ou l'amour, ou l'amitié(多くの場合、宗教を含めて)に関連を持ち、そのために外見は非常に尊敬すべきものに見えようと、要するにどんな形態をとっていようと、夢想は虚偽であるということを、片時も忘れてはならないのです。夢想は愛を排除します。愛はリアルです L'amour est réel。(ヴェイユ書簡、ジョー・ブスケJoë Bousquet宛)






2019年5月19日日曜日

排除と固着 (Verwerfung und Fixierung)

次のフロイト41歳と81歳の二文が、フロイト・ラカン派理論のひとつの核心である、と私は思う。

本源的に抑圧されている要素は、常に女性的なものではないかと想定される。Die Vermutung geht dahin, daß das eigentlich verdrängte Element stets das Weibliche ist (⋯⋯)(例えば)男たちが本源的に抑圧しているのは、男色的要素(女性的要素)であるWas die Männer eigentlich verdrängen, ist das päderastische Element(フロイト, Brief an Wilhelm Fließ, 25, mai, 1897)
(母子関係において幼児は)受動的立場あるいは女性的立場 passive oder feminine Einstellung」をとらされることに対する反抗がある…私は、この「女性性の拒否 Ablehnung der Weiblichkeit」は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第8章、1937年)


ここにある「女性性の拒否 Ablehnung der Weiblichkeit」を「女性性の排除 Verwerfung der Weiblichkeit」と言い換えれば、ラカン派における「排除 forclusions」概念彷徨いのほとんどすべてが見えてくる。

父の名の排除から来る排除以外の他の排除がある。il y avait d'autres forclusions que celle qui résulte de la forclusion du Nom-du-Père. (Lacan, S23、16 Mars 1976)
すべての話す存在 être parlant にとっての、「女性 Lⱥ femme」のシニフィアンの排除。精神病にとっての「父の名」のシニフィアンの限定された排除(に対して)。

forclusion du signifiant de La/ femme pour tout être parlant, forclusion restreinte du signifiant du Nom-du-Père pour la psychose(Anna Aromí & Xavier Esqué, PSYCHOSES ORDINAIRES ET LES AUTRES sous transfert、2018)


そもそもラカンは、フロイトの「Verwerfung(排除)」を、最初は「拒否」を意味する言葉に翻訳している。





したがって「女性性の拒否 Ablehnung der Weiblichkeit」は「女性性の排除 Verwerfung der Weiblichkeit」としうる。

そしてこの「女性性の排除 Verwerfung der Weiblichkeit」は、上にみたように、なによりもまず「受動性の排除 Ablehnung der Passivität」ーー母にたいして受動的立場におかれたことの排除ーーを意味する。

(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存dépendanceを担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)

人はみな主体性(能動性)を獲得するために、この原受動性を排除しなくてはならない。

母のもとにいる幼児の最初の体験は、性的なものでも性的な色調をおびたものでも、もちろん受動的な性質 passiver Natur のものである。幼児は母によって授乳され、食物をあたえられて、体を当たってもらい、着せてもらい、なにをするのにも母の指図をうける。小児のリビドーの一部はこのような経験に付着haftenしたままで、これに結びついて満足を享受するのだが、別の部分は能動性 Aktivitätに向かって方向転換を試みる。母の胸においてはまず、乳を飲ませてもらっていたのが、能動的にaktive 吸う行為によってとってかえられる。

その他のいろいろな関係においても、小児は独立するということ、つまりいままでは自分がされてきたことを自分で実行してみるという成果に満足したり、自分の受動的体験 passiven Erlebnisse を遊戯のなかで能動的に反復 aktiver Wiederholung して満足を味わったり、または実際に母を対象にしたて、それに対して自分は活動的な主体 tätiges Subjekt として行動したりする。(フロイト『女性の性愛 』1931年)


この女性性の排除、受動性の排除は、ラカン派語彙ではこうなる。



「女性のシニフィアンの排除 la forclusion du signifiant de la femme」、「現実界の排除 la forclusion du réel 」、「享楽の固着 la fixation de la jouissance」はジャック=アラン・ミレール概念である。

「享楽の排除 la forclusion de la jouissance」とは(わたくしの知る限り)誰も言っていないが、《享楽は現実界》(ラカン、1976)なのだから、論理的にこうなる。そもそもラカンの享楽は、フロイトの《女性的マゾヒズム feminine Masochismus=苦痛のなかの快 Schmerzlust》(『マゾヒズムの経済論的問題』1924年)に大きな準拠がある。

享楽は現実界にある。la jouissance c'est du Réel. …マゾヒズムは現実界によって与えられた享楽の主要形態である Le masochisme qui est le majeur de la Jouissance que donne le Réel。フロイトはこれを発見したのである。(ラカン、S23, 10 Février 1976)

もう一つの表現「享楽の固着 la fixation de la jouissance」における「固着」は、これもフロイトを読み込めば、「排除」にほぼ置換できる(かならずしもすべてはそうでない、フロイトは排除という語をごく日常的な「拒否」という意味で使っている場合も多い)。

フロイトにとって固着とはエスのなかに身体的なものを置き残すことである。つまり「現実界への排除」である。

たとえば、ラカンは次の文で排除と抑圧を混在させて語っているが、この内実はどちらも排除である。

私が排除 forclusion について、その象徴的関係の或る効果を正しく示すなら、…象徴界において抑圧されたもの全ては現実界のなかに再び現れる。というのは、まさに享楽は全き現実界的なものだから。

Si j'ai parlé de forclusion à juste titre pour désigner certains effets de la relation symbolique,… tout ce qui est refoulé dans le symbolique reparaît dans le réel, c'est bien en ça que la jouissance est tout à fait réelle. (ラカン、S16, 14 Mai 1969)

これは次の二文と並べて読めば、排除であることがわかる。

Verwerfung(排除)の対象は現実界のなかに再び現れる qui avait fait l'objet d'une Verwerfung, et que c'est cela qui réapparaît dans le réel. (ラカン、S3, 11 Avril 1956)
象徴界に排除(拒否 rejeté)されたものは、現実界のなかに回帰する Ce qui a été rejeté du symbolique réparait dans le réel.(ラカン、S3, 07 Décembre 1955)


そもそも晩年のフロイトは、抑圧という語を原抑圧もひっくるめて使用している(参照:原抑圧・固着文献)。

ラカン自身における「抑圧」も場合によって「排除」としうる。たとえば次の文の抑圧は、原抑圧もしくは排除である。

「女というもの La Femme」 は、その本質において dans son essence、女 la femme にとっても抑圧されている。男にとって女が抑圧されているのと同じように aussi refoulée pour la femme que pour l'homme。

なによりもまず、女の表象代理は喪われている le représentant de sa représentation est perdu。人はそれが何かわからない。それが「女というものLa Femme」である。(ラカン、S16, 12 Mars 1969)





抑圧は排除とは別の何ものかである。Eine Verdrängung ist etwas anderes als eine Verwerfung. (フロイト『ある幼児期神経症の病歴より』(症例狼男DER WOLF MAN)1918年)

ーー厳密には後期抑圧とは、表象を「心的装置内部(言語内)で脇に遣る」ということである。固着にかかわるだろう排除とは、「心的装置外部に放り投げる」という意味である。

たとえば中井久夫はこう言っている。

中井久夫)「抑圧」の原語 Verdrängung は水平的な「放逐、追放」であるという指摘があります(中野幹三「分裂病の心理問題―――安永理論とフロイト理論の接点を求めて」)。とすれば、これを repression「抑圧」という垂直的な訳で普及させた英米のほうが問題かもしれません。もっとも、サリヴァンは20-30年代当時でも repression を否定し、一貫して神経症にも分裂病にも「解離」(dissociation)を使っています。(批評空間2001Ⅲー1「共同討議」トラウマと解離」斎藤環/中井久夫/浅田彰)
解離していたものの意識への一挙奔入…。これは解離ではなく解離の解消ではないかという指摘が当然あるだろう。それは半分は解離概念の未成熟ゆえである。フラッシュバックも、解離していた内容が意識に侵入することでもあるから、解離の解除ということもできる。反復する悪夢も想定しうるかぎりにおいて同じことである。(中井久夫「吉田城先生の『「失われた時を求めて」草稿研究』をめぐって」2007年)
サリヴァンも解離という言葉を使っていますが、これは一般の神経症論でいる解離とは違います。むしろ排除です。フロイトが「外に放り投げる」という意味の Verwerfung という言葉で言わんとするものです。(中井久夫「統合失調症とトラウマ」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)

ーー実にすぐれた指摘である。

これはフロイトの次の文章群とともに読むことができる。

実際のところ、分析経験によって想定を余儀なくさせられることは、幼児期の純粋な出来事的経験 rein zufällige Erlebnisse が、リビドーの固着 Fixierungen der Libido を置き残す hinterlassen 傾向がある、ということである。(フロイト 『精神分析入門』 第23 章 「症状形成へ道 DIE WEGE DER SYMPTOMBILDUNG」1917年)
エスの内容の一部分は、自我に取り入れられ、前意識状態に格上げされる。エスの他の部分は、この翻訳 Übersetzung に影響されず、正規の無意識としてエスのなかに置き残されたままzurückである。(フロイト『モーセと一神教』、1938年)
翻訳の失敗、これが臨床的に「抑圧」(原抑圧)と呼ばれるものである。Die Versagung der Übersetzung, das ist das, was klinisch <Verdrängung> heisst.(フロイト、フリース書簡52、1896)
(心的装置による)拘束の失敗 Das Mißglücken dieser Bindung は、外傷神経症 traumatischen Neuroseに類似の障害を発生させることになろう。(フロイト『快原理の彼岸』5章、1920年)


フロイトにおいては原抑圧のあるところには、常に固着がある。

われわれには原抑圧 Urverdrängung、つまり欲動の心的(表象-)代理psychischen(Vorstellungs-)Repräsentanz des Triebes が意識的なものへの受け入れを拒まれるという、抑圧の第一相を仮定する根拠がある。これと同時に固着 Fixerung が行われる。……

欲動代理 Triebrepräsentanz は抑圧により意識の影響をまぬがれると、それはもっと自由に豊かに発展する。

それはいわば暗闇の中に im Dunkeln はびこり wuchert、極端な表現形式を見つけ、もしそれを翻訳して神経症者に指摘してやると、患者にとって異者のようなもの fremd に思われるばかりか、異常で危険な欲動の強さTriebstärkeという装い Vorspiegelung によって患者をおびやかすのである。(フロイト『抑圧』Die Verdrangung、1915年)


これはラカン派において「シニフィアンのあるところには常に対象aがある」というのと相同的である。

ラカンによって幻想のなかに刻印される対象aは、まさに「父の名 Nom-du-Père」と「父の隠喩 métaphore paternelle」の支配から逃れる対象である。

…この対象は、いわゆるファルス期において、吸収されると想定された。これが言語形式forme linguistique において、「ファルスの意味作用 la signification du phallus」とラカンが呼んだものによって作られる「父の隠喩 métaphore paternelle」である。

この意味は、いったん欲望が成熟したら、すべての享楽は「ファルス的意味作用 la signification phallique」をもつということである。言い換えれば、欲望は最終的に、「父の名」のシニフィアンのもとに置かれる。この理由で、「父の名」による分析の終結が、欲望の成熟を信じる分析家すべての念願だと言いうる。

そしてフロイトは既に見出している、成熟などないと。フロイトは、「父の名」はその名のもとにすべての享楽を吸収しえないことを発見した。フロイトによれば、まさに「残滓 restes」があるのである。その残滓が分析を終結させることを妨害する。残滓に定期的に回帰してしまう強迫がある。(ミレール、大他者なき大他者 L'Autre sans Autre 、2013)

したがって次のラカンの発言は、上のフロイト抑圧論文における《欲動代理 Triebrepräsentanz は抑圧により意識の影響をまぬがれると⋯⋯暗闇の中に im Dunkeln はびこり wuchert、極端な表現形式を見つけ、⋯⋯患者にとって異者のようなもの fremd に思われる》の「翻訳」として読める。

「私が排除 Verwerfungというとき、……問題となっているのは、原シニフィアンを外部の闇へと廃棄することである。ce rejet d'une partie du signifiant (signifiant primordial) dans les ténèbres extérieure (Lacan, S3、15 Février 1956)

ようするに、固着とは「母なるシニフィアンを外部の闇へ廃棄することである」としうるのではないか。

象徴化を導入する最初のシニフィアン(原シニフィアン)premier signifiant introduit dans la symbolisation、母なるシニフィアン le signifiant maternel である。……「父」はその代理シニフィアンである le père est un signifiant substitué à un autre signifiant。(Lacan, S5, 15 Janvier 1958)

この「母なるシニフィアン」とは、母に対して受動的立場に置かれた表象だとまず捉えうる(ただしそれだけではない。ここではシニフィアンの論理期のラカンの「女性」の意味合いを割愛して記述している)。

(原母子関係には)母なる女の支配 dominance de la femme en tant que mère がある。…語る母・幼児が要求する対象としての母・命令する母・幼児の依存dépendanceを担う母が。(ラカン、S17、11 Février 1970)

 この表象はやはり耐え難いのである。したがって人はみな「母なる表象」を排除する。

自我は堪え難い表象 unerträgliche Vorstellung をその情動 Affekt とともに 排除 verwirftし、その表象が自我には全く接近しなかったかのように振る舞う。(フロイト『防衛-神経精神病 Die Abwehr-Neuropsychosen』1894年)

この時期のフロイトには「境界表象 Grenzvorstellung」 という概念もある(参照:境界表象の永遠回帰)。

抑圧 Verdrängung は、過度に強い対立表象 Gegenvorstellung の構築によってではなく、境界表象 Grenzvorstellung の強化Verstärkungによって起こる。(Freud Brief Fließ, 1. Januar 1896)

この境界表象はエスのなかに置き残されるのである。すなわち境界表象の固着であり、排除である。

フロイトにおける主要な固着用語遣いは次の通り。





これらの表現群は次のミレールとともに読むことができる。

享楽は身体の出来事である la jouissance est un événement de corps…身体の出来事はトラウマの審級 l'ordre du traumatisme にある。…身体の出来事は固着の対象 l'objet d'une fixationである。(ジャック=アラン・ミレール J.-A. MILLER, L'Être et l'Un, 9/2/2011)

身体の出来事とは、サントーム(原症状)のことである。

症状(サントーム)は身体の出来事である。le symptôme à ce qu'il est : un événement de corps(ラカン、JOYCE LE SYMPTOME, AE569, 16 juin 1975)

このサントームは反復強迫する(参照:トラウマ定義集)。

サントームは現実界であり、かつ現実界の反復である。Le sinthome, c'est le réel et sa répétition. (J.-A. MILLER, L'Être et l'Un - 9/2/2011)
サントームsinthomeは、…反復的享楽 La jouissance répétitiveであり、…身体の自動享楽 auto-jouissance du corps に他ならない。(Jacques-Alain Miller, L'être et l'un, 23/03/2011)

この文脈のなかで、ミレールは「享楽の固着」というのである、《 la fixation de la jouissance 》(Jacques-Alain Miller, Cours du 25 mars 2009)

ミレールが後期ラカンの鍵というのはフロイトの次の文である。

(身体の)「自動反復 Automatismus」、ーー私はこれを「反復強迫 Wiederholungszwanges」と呼ぶのを好むーー、⋯⋯この固着する契機 Das fixierende Moment an der Verdrängungは、無意識のエスの反復強迫 Wiederholungszwang des unbewußten Es である。(フロイト『制止、症状、不安』第10章、1926年)

以上、現在のラカン派内でも誰も「直接的には」言っていないことなので誤謬があるかもしれない。だが今のわたくしはこう考えているということである。

なにはともあれ、ラカンの父の名の排除とは、限りなく限定された排除であり、内実は次のものである。

精神病においては、ふつうの精神病であろうと旧来の精神病であろうと、我々は一つきりのS1[le S1 tout seul]を見出す。それは留め金が外され décroché、 力動的無意識のなかに登録されていない désabonné。他方、神経症においては、S1は徴示化ペアS1-S2[la paire signifiante S1-S2]による無意識によって秩序付けられている。ジャック=アラン・ミレールは強調している、父の名の排除[la forclusion du Nom-du-Père]とは、実際はこのS2の排除[la forclusion de ce S2]のことだと。(De la clinique œdipienne à la clinique borroméenne, Paloma Blanco Díaz, 2018)
精神病の主因 le ressort de la psychose は、「父の名の排除 la forclusion du Nom-du-Père」ではない。そうではなく逆に、「父の名の過剰現前 le trop de présence du Nom-du-Père」である。この父は、法の大他者と混同してはならない Le père ne doit pas se confondre avec l'Autre de la loi 。(JACQUES-ALAIN MILLER L’Autre sans Autre, 2013)

そして最初の父の諸名は「母の名 Le nom de la Mère」である。

ラカンは言っている、最も根源的父の諸名 Les Noms du Père は、母なる神だと。母なる神は父の諸名に先立つ異教である。ユダヤ的父の諸名の異教は、母なる神の後釜に座った。おそらく最初期の父の諸名は、母の名である the earliest of the Names of the Father is the name of the Mother 。(ジャック=アラン・ミレールThe Non-existent Seminar 、1991ーー父の名の過剰現前の真意

⋯⋯⋯⋯

※付記

たとえばシュレーバー。

(早朝の夢うつつの状態で精神の外部から入り込んできたのは)それは性交のさいに下になる女性となることも、またやはりなかなか素敵なことに違いないという考えであった。このような考えは、私の気質にはまったく無縁のものであったのだ。いうまでもないだろうが、しっかり目が覚めているときであれば、このような考えは怒ってはねつけただろう。私はこの間の自分の体験に照らしてみるとき、その考えを自分に吹き込んだ何かしら外部からの影響がそこに関わっていたのではないかという可能性を、頭から否定してしまうことはもちろんできないのだ。(シュレーバー『ある神経症者の回想録』)

シュレーバーの「女への変容 Verwandlung in ein Weib」とは、事実上「受動性への変容」であり、生物学的な女に変容したかったことではない。

「男性的 männlich」とか「女性的 weiblich」という概念の内容は通常の見解ではまったく曖昧なところはないように思われているが、学問的にはもっとも混乱しているものの一つであって、すくなくとも三つの方向に分けることができるということは、はっきりさせておく必要がある。

男性的とか女性的とかいうのは、あるときは能動性 Aktivität と受動性 Passivität の意味に、あるときは生物学的な意味に、また時には社会学的な意味にも用いられている。

…だが人間にとっては、心理学的な意味でも生物学的な意味でも、純粋な男性性または女性性reine Männlichkeit oder Weiblichkeit は見出されない。個々の人間はすべてどちらかといえば、自らの生物学的な性特徴と異性の生物学的な特徴との混淆 Vermengung をしめしており、また能動性と受動性という心的な性格特徴が生物学的なものに依存しようと、それに依存しまいと同じように、この能動性と受動性との合一をしめしている。(フロイト『性欲論三篇』1905年)
…この意味で、すべての人間はバイセクシャルである。人間のリビドーは顕在的であれ潜在的であれ、男女両方の性対象のあいだに分配されているのである。alle Menschen in diesem Sinne bisexuell sind, ihre Libido entweder in manifester oder in latenter Weise auf Objekte beider Geschlechter verteilen.(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第6章、1937年)


さて最後に、はたしてフロイトが気づいていなかったかどうかの疑義を保留しつつこう引用しておこう。

フロイトが気づいていなかったことは、最も避けられることはまた、最も欲望されるということである。不安の彼岸には、受動的ポジションへの欲望がある。他の人物、他のモノに服従する欲望である。そのなかに消滅する欲望……。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe 、THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE、 1998年)

なにはともあれ、彼の1990年代なかばでの段階での次の図は実にすぐれている。わたくしのここでの記述は、この図に示唆されるところが大きい。


父の名の過剰現前の真意


原抑圧は「現実界のなかに女というものを置き残すこと」として理解されうる。(PAUL VERHAEGHE ,DOES THE WOMAN EXIST?, 1999)