あらためて問うが、どうして過去の亡霊は回帰するんだろうかね、こんなにあからさまに。 |
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ヘーゲルはどこかで、すべての偉大な世界史的な事実と世界史的人物はいわば二度現れる、と述べている。彼はこう付け加えるのを忘れた。一度目は偉大な悲劇[Tragödie]として、二度目はみじめな笑劇[Farce]として、と。 Hegel bemerkte irgendwo, daß alle großen weltgeschichtlichen Tatsachen und Personen sich sozusagen zweimal ereignen. Er hat vergessen, hinzuzufügen: das eine Mal als Tragödie, das andere Mal als Farce.〔・・・〕 人間は自分自身の歴史を創るが、しかし、自発的に、自分が選んだ状況の下で歴史を創るのではなく、すぐ目の前にある、与えられた、過去から受け渡された状況の下でそうする。すべての死せる世代の伝統が悪夢のように生きているものの思考にのしかかっている。そして、生きている者たちは、自分自身と事態を根本的に変革し、いままでになかったものを創造する仕事を携わっているように見えるちょうどそのときでさえ、まさにそのような革命的危機の時期に、不安そうに過去の亡霊[Geister der Vergangenheit]を呼び出して自分のたちの役に立てようとし、その名前、鬨の声、衣装を借用して、これらの由緒ある衣装に身を包み、借り物の言葉で、新しい世界史の場面を演じようとしているのである。 Die Menschen machen ihre eigene Geschichte, aber sie machen sie nicht aus freien Stücken, nicht unter selbstgewählten, sondern unter unmittelbar vorgefundenen, gegebenen und überlieferten Umständen. Die Tradition aller toten Geschlechter lastet wie ein Alp auf dem Gehirne der Lebenden. Und wenn sie eben damit beschäftigt scheinen, sich und die Dinge umzuwälzen, noch nicht Dagewesenes zu schaffen, gerade in solchen Epochen revolutionärer Krise beschwören sie ängstlich die Geister der Vergangenheit zu ihrem Dienste herauf, entlehnen ihnen Namen, Schlachtparole, Kostüm, um in dieser altehrwürdigen Verkleidung und mit dieser erborgten Sprache die neuen Weltgeschichtsszene aufzuführen. (マルクス『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』Der 18te Brumaire des Louis Bonaparte、1852年) |
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現在のEUはナチの回帰としか見えないし、日本も戦前の阿呆政治家や木瓜知識人の回帰としか見えないからな。 カストロは1990年に既にこう予言してるけどさ、《ヨーロッパで起きる次の戦争はロシア対ファシズムだ。ただし、ファシズムは民主主義と名乗るだろう[La próxima guerra en Europa será entre Rusia y el fascismo, pero al fascismo se le llamará democracia]》(フィデル・カストロ Fidel Castro、Max Lesnikとの対話にて、1990年) ……………… |
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柄谷は「革命と反復(Revolution and Repetition)」と題された2008年の英語論文ーー日本語になっているのかもしれないが私は知らないーーでこう言っている。 |
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私は歴史の反復があると信じている。そしてそれは科学的に扱うことが可能である。反復されるものは、確かに、出来事ではなく構造、あるいは反復構造である。驚くことに、構造が反復されると、出来事も同様に反復されて現われる。しかしながら、反復され得るのは反復構造のみである。 I believe that there is a repetition of history, and that it is possible to treat it scientifically. What is repeated is, to be sure, not an event but the structure, or the repetitive structure. Surprisingly, when a structure is repeated, the event often appears to be repeated as well. However, it is only the repetitive structure that can be repeated.( Kojin Karatani, "Revolution and Repetition" 2008, PDF 私訳) |
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この論文はもちろんマルクスの『ブリュメール18日』がベースにあるのだが、構造の反復、この柄谷を「仮に」受け入れて言うなら、何なのだろう、ナチスと現在のEUの構造、戦前の日本と2023年の日本の構造の類似性は? |
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表象が実際の反復となるのは、過去と現在の間に構造的な類似性があるときだけである。つまり、各個人の意識を超越したネーションに固有の反復構造があるときである。 Representation becomes actual repetition only when there is a structural similarity between the past and the present, that is to say, only when there is a repetitive structure inherent to the nation that transcends the consciousness of each individual.(柄谷行人「革命と反復」2008年、私訳) |
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柄谷はこうも言っている。 |
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ナポレオンの構想は、ヨーロッパ共同体の原型とも言えるが、歴史のこの時点では、ヒトラーの第三帝国の前身であるヨーロッパ征服と見るのが妥当であろう。 Napoleon’s concept could be called a prototype of the European Union, but at this point in history, his scheme could be more properly seen as the precursor of Hitler’s Third Reich: the conquest of Europe.(柄谷行人「革命と反復」2008年、私訳) |
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これは事実上、EUはナチスの第三帝国の後裔と言っているように読める。 |
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これを受け入れるなら、現在のEUはナチの亡霊の回帰とする他ないね。 |
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で、当時と類似した反復構造は何だろう? |
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もともと戦後体制は、1929年恐慌以後の世界資本主義の危機からの脱出方法としてとらえられた、ファシズム、共産主義、ケインズ主義のなかで、ファシズムが没落した結果である。それらの根底に「世界資本主義」の危機があったことを忘れてはならない。それは「自由主義」への信頼、いいかえれば、市場の自動的メカニズムへの信頼をうしなわせめた。国家が全面的に介入することなくしてやって行けないというのが、これらの形態に共通する事態なのだ。(柄谷行人「歴史の終焉について」1990年『終焉をめぐって』所収) |
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やっぱり何よりもまず「世界資本主義の危機」構造だろうよ[参照]。 で、世界資本主義の危機に直面して、ファシズムの亡霊が回帰したってわけじゃないかい? ユーラシア大陸西端エリアの移民危機や東端エリアの突出した財政危機も世界資本主義の危機構造のヴァリエーションに相違ない。つまりマルクスが『資本論』「第一巻第二篇第四章第一節」で示した[参照]、利得の休みなき運動[rastlose Bewegung des Gewinnens]、価値の休みなき増殖[rastlose Vermehrung des Werts]の変奏としての人の休みなき移動、借金の休みなき増殖だ。 ヨーロッパ共同体の危機はもはや移民なしでは社会が機能しないーー社会保障制度の維持、低賃金労働力の維持等ーーに覿面に現れている。 《アラーは、ヨーロッパにてイスラムの勝利を授けてくれるだろう、剣も、銃も、征服もなしに。われわれにはテロリストは必要ない。自爆テロはいらない。ヨーロッパにおける五千万人超のムスリムが、あと数十年でヨーロッパをムスリム大陸に変えるだろう》(ムアンマル・カダフィーー「西欧文明への鳥の歌」)
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な、世界資本主義批判しないとどうしようもないんだよ。ファシズムは派生物に過ぎない。➡︎「ほぼすべての学者を含むほとんどの市民が気づいていない事」 プーチンは次善の策として中国にくっついているが(つまりそれしか選択肢がない)、アジア型集権的「世界資本主義の悪の権化」中国ーー世界資本主義を裏で操ると噂される王岐山に象徴されるーーをナイーヴに応援してしまっている親露派ってのは、親米ネオコン派と同じくらい木瓜の花だよ。 |