ラカンは既に1960年にこう言っているわけでね。
欲望は防衛である。享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である。le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.( Lacan, E825, 1960年) |
これは簡潔にいえば、《欲望は享楽に対する防衛である le désir est défense contre la jouissance》(Jacques-Alain Miller, L'économie de la jouissance、2011)となる。 この観点に立てば、欲望の領域を越境した彼岸にある享楽!なんてのはあくまで二次的なものに過ぎないのがわかるんじゃないかね。言ってしまえば「禁止と侵犯」の話にナイーブにイカレるってのはいまのボクにはちょっとおバカっぽくみえるよ。これは三月ほど前に「カトリシズムによる錯覚」で記した話にジカに繋がる。 |
そしてラカンが使う防衛とはフロイトの抑圧だ。 |
私は後年、(『防衛―神経精神病』1894年で使用した)「防衛過程 Abwehrvorganges」概念を「抑圧 Verdrängung」概念へと置き換えたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの「防衛Abwehr」という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(フロイト『制止、症状、不安』第11章、1926 年) |
つまりは《欲望は享楽に対する防衛》とは、欲望は「享楽の抑圧=欲動の抑圧」のことだ。 ミレールのセミネールにて確認しておこう。 |
フロイトの思考をマテームを使って翻訳してみよう。大きなAは抑圧、享楽の破棄である[grand A refoulant, annulant la jouissance. ] フロイトにおいてこの図式における大きなAは、エスの組織化された部分としての自我の力である。さらにラカンにおいて、非破棄部分が対象aである。[grand A, c'est la force du moi, en tant que partie organisée du ça. Et de plus, chez Lacan, ça comporte qu'il y a une partie non annulable, petit a] フロイトが措定したことは、欲動の動きはすべての影響から逃れる[la motion de la pulsion échappe à toute influence]ことである。つまり享楽の抑圧、欲動の抑圧は欲動要求を黙らせるには十分でない[que le refoulement de la jouissance, le refoulement de la pulsion ne suffit pas à la faire taire, cette exigence. ] |
そして症状は、自我の組織の外部に存在を主張して、自我から独立的である。[le symptôme manifeste son existence en dehors de l'organisation du moi et indépendamment d'elle] これは「抑圧されたものの回帰」のスキーマと相同的である。そして症状の形態における「享楽の回帰」と相同的である。そしてこの固執する残滓が、ラカンの対象aである。[C'est symétrique du schéma du retour du refoulé, …symétriquement il y a retour de jouissance, sous la forme du symptôme. Et c'est ce reste persistant à quoi Lacan a donné la lettre petit a. ](J.-A. MILLER, Le Partenaire-Symptôme, 10/12/97) |
上の文をいくらか補足しておこう。 まず残滓としての対象aは、フロイトの異物=異者としての身体[Fremdkörper]のことだ。 |
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異者としての身体…問題となっている対象aは、まったき異者である。corps étranger,[…] le (a) dont il s'agit,[…] absolument étranger (Lacan, S10, 30 Janvier 1963) |
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異者は、残存物、小さな残滓である。L'étrange, c'est que FREUD[…] c'est-à-dire le déchet, le petit reste, (Lacan, S10, 23 Janvier 1963) |
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享楽は、残滓 (а) による。la jouissance[…]par ce reste : (а) (ラカン, S10, 13 Mars 1963) |
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そしてミレールが《症状は、自我の組織の外部に存在を主張して、自我から独立的である》と言っているのも同じく、異物としての症状[Symptom als einen Fremdkörper]のことだ。 |
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自我はエスの組織化された部分である。ふつう抑圧された欲動蠢動は分離されたままである。 das Ich ist eben der organisierte Anteil des Es [...] in der Regel bleibt die zu verdrängende Triebregung isoliert. 〔・・・〕 エスの欲動蠢動は、自我組織の外部に存在し、自我の治外法権である。〔・・・〕われわれはこのエスの欲動蠢動を、異物(異者としての身体 Fremdkörper)ーーたえず刺激や反応現象を起こしている異物としての症状と呼んでいる。Triebregung des Es […] ist Existenz außerhalb der Ichorganisation […] der Exterritorialität, […] betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper, der unaufhörlich Reiz- und Reaktionserscheinungen(フロイト『制止、症状、不安』第3章、1926年、摘要) |
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したがってミレールは別に次のように言っている。 |
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現実界のなかの異物概念(異者概念)は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある。une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance (J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6 -16/06/2004) |
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先の「享楽の抑圧=欲動の抑圧」の文に戻れば、ミレールは「抑圧されたものの回帰」と「享楽の回帰」を相同的なものとしているが、フロイトにおいてこれは固着点の回帰である。 |
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「抑圧」は三つの段階に分けられる。 ①第一の段階は、あらゆる「抑圧」の先駆けでありその条件をなしている「固着」である[Die erste Phase besteht in der Fixierung, dem Vorläufer und der Bedingung einer jeden »Verdrängung«. ]。〔・・・〕この欲動の固着[Fixierungen der Triebe] は、以後に継起する病いの基盤を構成する。 ②正式の抑圧[eigentliche Verdrängung]の段階は、ーーこの段階は、精神分析が最も注意を振り向ける習慣になっているがーー実際のところ後期[Nachdrängen]の抑圧ある。〔・・・〕原抑圧された欲動[primär verdrängten Triebe] がこの二段階目の抑圧に貢献する。 |
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③第三段階は、病理現象として最も重要であり、抑圧の失敗[Mißlingens der Verdrängung]、侵入[Durchbruchs]、抑圧されたものの回帰[Wiederkehr des Verdrängten]である。この侵入[Durchbruch]は固着点[Stelle der Fixierung]から始まる。そしてその点へのリビドー的展開の退行[Regression der Libidoentwicklung]を意味する。(フロイト『自伝的に記述されたパラノイアの一症例に関する精神分析的考察』(症例シュレーバー )1911年、摘要) |
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これは最晩年まで変わらない。 |
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症状形成の全ての現象は、「抑圧されたものの回帰」として正しく記しうる。Alle Phänomene der Symptombildung können mit gutem Recht als »Wiederkehr des Verdrängten« beschrieben werden. ((フロイト『モーセと一神教』1939年) |
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この抑圧されたものの回帰は「トラウマの回帰」と言い換えうる。 |
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すべての症状形成は、不安を避けるためのものである alle Symptombildung nur unternommen werden, um der Angst zu entgehen。(フロイト 『制止、不安、症状』第9章、1926年) |
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不安はトラウマにおける寄る辺なさへの原初の反応である[Die Angst ist die ursprüngliche Reaktion auf die Hilflosigkeit im Trauma]。(フロイト『制止、症状、不安』第11章B、1926年) |
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ラカンの享楽自体、トラウマのことである。 |
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享楽は、抹消として、穴埋めされるべき穴として示される他ない[ la jouissance ne s'indiquant là que pour qu'on l'ait de cette effaçon, comme trou à combler. ](ラカン, Radiophonie, AE434, 1970) |
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ーー《享楽は現実界にある la jouissance c'est du Réel. 》(ラカン、S23, 10 Février 1976)であり、穴とはトラウマのことである。 |
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現実界は穴=トラウマを為す[le Réel … ça fait « troumatisme ».](ラカン、S21、19 Février 1974) |
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問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値を持っている。le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme. (Lacan, S23, 13 Avril 1976) |
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フロイトの固着の別名は、享楽の固着である。 |
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フロイトが固着と呼んだものは、享楽の固着である。c'est ce que Freud appelait la fixation…c'est une fixation de jouissance.(J.-A. MILLER, L'Autre qui n'existe pas et ses comités d'éthique, 26/2/97) |
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享楽はまさに固着である。…人は常にその固着に回帰する。La jouissance, c'est vraiment à la fixation […] on y revient toujours. (Miller, Choses de finesse en psychanalyse XVIII, 20/5/2009) |
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ーーミレールの上の文は、《現実界は「常に同じ場処に回帰するもの」として現れる。le réel est apparu comme « ce qui revient toujours à la même place » 》(Lacan, S16, 05 Mars 1969 )の言い換えである。 フロイトにおいて、欲動の固着[Fixierung der Triebe] 、リビドーの固着、[Fixierung der Libido]、トラウマへの固着[Fixierung an das Trauma]等の表現群があるが、少なくともこの三つの固着は等価である。 そして固着によって発生する異物自体、トラウマの意味を持っている。 |
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トラウマないしはトラウマの記憶は、異物 (異者としての身体[Fremdkörper] )のように作用する。das psychische Trauma, respektive die Erinnerung an dasselbe, nach Art eines Fremdkörpers wirkt,(フロイト&ブロイアー 『ヒステリー研究』予備報告、1893年) |
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原抑圧と同時に固着が行われ、暗闇に異者が蔓延る。Urverdrängung[…] Mit dieser ist eine Fixierung gegeben; […]wuchert dann sozusagen im Dunkeln, fremd erscheinen müssen, (フロイト『抑圧』1915年、摘要) |
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以上、抑圧されたものの回帰=享楽の回帰とは、結局、「異者としての身体の回帰」とすることができる。この異物をめぐるフロイトの記述は、少し前「固着と異者と対象a」にまとめたところである。 ……………… ※付記
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