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2021年10月13日水曜日

おはよ、コピュリン

 おはよ、コピュリン


な、その話はもういいよ




いくらエロで名高い国民性だって

ヨソの国よりも三倍もイキタイなんて

贅沢だって言ってるだけだよ

そんなの身のほどシラズに決まってるじゃん

太平洋戦争後みたいにさ

ハイパーになっちまうよ



われわれは日本の政府債務をGDP比や絶対額で毎日のように目にして驚いているのだが、これらは日本人にとって何の意味も持たないのか、それとも数字が発表されるたびに、みな大急ぎで目を逸らしてしまうのだろうか。

Tous ces chiffres exprimés en pourcentages de PIB ou en milliers de milliards - dont on nous abreuve quotidiennement - ont-ils un sens, ou bien doit-on tourner la page dès qu’ils réapparaissent ? (トム・ピケティーーJapon : richesse privée, dettes publiques Par Thomas Piketty avril 2011)


一般の人はこんなの目を逸らすどころか、見向きもしないんだろうけどさ。問題はオピニオンリーダーとして振る舞いたいらしい木瓜インテリちゃんたちだな。いまどき「庶民のための大衆に根ざした政治」を支持するポピュリストってのは、未来の大衆にたいして最も残酷な政治運動家だよ。この逆説にきこえるかもしれない観点は、まともな経済知が少しでもある者のなかでは現代のコモンセンス[参照]。



現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)


ーーってのをヨーロッパ共同体ではやってるんだ。債務残高を60パーセント以下にしましょうとかね。



このいまはコロナ債務で100パーセント以上に「やむえず」なってしまった国があり、60パーセントは現実的でないから、変えなくちゃいけないという議論がなされているところ。でも日本の250パーセントというのは、彼らにとって別世界の話。「日本病」として憐れみの目で見られているだけ。