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2025年1月20日月曜日

あんた方はみんなつんぼだっていったんだ。そら、あれが聞こえないのかい?

 


バルトークの曲をきいていると、時どき私は、この人は、単に私たちの耳に聞こえない物音も聞きわける鋭敏な耳をもっていただけでなく、私たちが目でみることのできないものの姿も、早くから見る力をもっていたのではないかという気がしてくることがある。彼の音楽のなかにあるものは、迫ってくる危険に対し、いちはやく身がまえる野獣の姿勢を連想させないだろうか? (吉田秀和『私の好きな曲』-21-ベラ・バルトーク《夜の音楽》)


ーーたしかに、バルトークのいくつかの曲には鳥肌が立つ、特に「夜の音楽」には。


次のアンドラーシュ・シフによる「夜の音楽」解説動画は、通した演奏はなく、断片ごとを演奏しつつの説明だが、まさに吉田秀和の言っているような感覚ーー《迫ってくる危険に対し、いちはやく身がまえる野獣の姿勢》ーーを私に与える(ひょっとして断片だからいっそうそうかもしれない)、▶︎Bartók: Out of Doors, IV. The Night‘s Music | Introduction by András Schiff



以下、吉田秀和が、バルトークの「夜の音楽」を評する中でアガサ・ファセットAgatha Fassettの《Naked Face of Genius: Bela Bartok's Last Years 》を引用している箇所。

ファセットの好意で、彼女の田舎の別荘にバルトーク夫妻が来ると、その夜、彼女が大切にしていた猫が姿を消してしまった。


「こんな人気もないところで、それに危険がいっぱいなのに、猫一匹どこにさがしに行ったらいいか、わかりっこないわ」ディッタは落胆していった。


真夜中ごろ、ディッタが起こしに来た。「ベラが、猫の鳴き声をきいたって言うの。あっちらしいんですって」と彼女は深い森の方をさした。私たちは窓をあけ耳を澄ました。しかし夜のしじまからは猫の声は聞こえなかった。


しかし彼女らは女中を入れて、三人で出かけてゆく。ディッタは、バルトークがきいたという以上、まちがいないと信じきっているので。急いで野原をつっきり、「暗闇が一直線になって森の入り口を示しているその外れで一休みした」。しかしいくら耳をそばだててみても何にも聞こえない。


家に入ると、バルトークが階上から呼んでいるのが聞こえた。「森の入口までいったけれど、何にも聞こえませんのよ」とディッタが報告した。

「そうだろうよ」バルトークはいった。「あんた方には聴くのも聞こえるのも同じことなんだから。三人の聲が暗い森をさまようなんて、何て頼りない救助隊だろう


私たちはまだドアの前でうろうろしていたが、私としてはバルトークの中で起こった変化のことばっかり考えていた。今朝はまるでデスマスクみたいだった顔が、今は生き生きと内面から輝きわたっているのだ。


あんた方はみんなつんぼだっていったんだ。そら、あれが聞こえないのかい?

私たちはできるだけ耳をすましてみたが、首を左右にふるばかりだった。

「今でも私にはきこえてる。一度なくたびに、休息が要るように、規則正しく間を置いてきこえるよ」

どうしたらよいのかしら?

「そう聲に聲の案内ができるはずがないから、私が起きて案内してあげなければならないだろうね」

〔・・・〕

こうして、今度は彼を先頭にして、みんなは真暗闇の野原を森に向かって進む……


今度こそ、私たちもたしかに聞いた。鋭い風のかすかなトレモロほどの、音ともいえない音で、彼が力説しなければ、とても気づかなかっただろう。


バルトークは歩きやすい道をさけて、暗い木の闇の中に見えなくなった。

「こっちだ」自信ありげな呼び声だった。声は深く澄んでいた。私たちは、そちらに急いだ。

「ずいぶん近い。この木のどこかにいるはずだ」彼は高い楓の下にいた。


はげしい興奮にかられて、私たちは懐中電灯ですかしてみた。光は繁みのあいだをはいまわったのち、不意に葉を通して向こう側にいるルル(猫の名)をとらえた……


「ルルは自分にふさわしい獲物をつかまえたんだ。巣ごもりの鳥を探していたにきまっている」

「そんなことあらませんわ。今まで鳥をとったことなんか一度もありませんもの」私は抗弁した。

「じゃ、眺めを楽しむため、こんな危険な綱渡りをしたっていうのかい? この次は、孤高をもともていたんだって、私を説得するつもりだろう。同情はしたいが、信じられない。これは自然にくりかえされる行動のパターンと同じなんだ。何千年もかかって飼いならされたものだって、獲物を追うことをあきらめきれないんだ。人間と同じで、彼はすべてを手に入れたいのさ」

ここに、バルトークがいる。そうして彼は、このあと、森の中に腰をおろすと、かがみこんで足下につもった松葉を手で掘るのだった。


「膝くらいつもっている。何百年もかかって堆積されたんだ。あなた方御婦人は、こういう種類のカーペットをお宅の床にほしいとは思わないだろうけれど、これは飛びっきり高価な手織りのカーペットより、ずっと時間も労力もかかっていることはわかるだろう。太陽、雨、霜、雪、風が私たちの頭上にあるこの木々にふりそそぎ、季節がめまぐるしく変わる毎に、葉は落ちて死に、それに代わって生まれるべき無数の新しいもの、こうした生命のための場を整えるんだ。それに昆虫や鳥、毛虫のことも忘れちゃいけない。それぞれのやり方で、この過程を助けているのだから。彼らはみんな、この生と死とが相半ばしてできているこの刺激臭のあるカーペットの生成に関わっているんだ」


ここにバルトークがいる、そうして彼の《夜の音楽》からは、この生と死とが入りまじっている、刺激的な臭いがしてくる。……

(吉田秀和『私の好きな曲』-21-ベラ・バルトーク《夜の音楽》)




この《生と死とが入りまじっている、刺激的な臭い》は、中井久夫の「きのこの匂について」の《「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる》をその前段から読んでみるといい。


カビや茸の匂いーーこれからまとめて菌臭と言おうーーは、家への馴染みを作る大きな要素だけでなく、一般にかなりの鎮静効果を持つのではないか。すべてのカビ・キノコの匂いではないが、奥床しいと感じる家や森には気持ちを落ち着ける菌臭がそこはかとなく漂っているのではないか。それが精神に鎮静的にはたらくとすればなぜだろう。

菌臭は、死ー分解の匂いである。それが、一種独特の気持ちを落ち着かせる、ひんやりとした、なつかしい、少し胸のひろがるような感情を喚起するのは、われわれの心の隅に、死と分解というものをやさしく受け入れる準備のようなものがあるからのように思う。自分のかえってゆく先のかそかな世界を予感させる匂いである。〔・・・〕


菌臭の持つ死ー分解への誘いは、腐葉土の中へふかぶかと沈みこんでゆくことへの誘いといえそうである。〔・・・〕

菌臭は、単一の匂いではないと思う。カビや茸の種類は多いし、変な物質を作りだすことにかけては第一の生物だから、実にいろいろな物質が混じりあっているのだろう。私は、今までにとおってきたさまざまの、それぞれ独特のなつかしい匂いの中にほとんどすべて何らかの菌臭の混じるのを感じる。幼い日の母の郷里の古い離れ座敷の匂いに、小さな神社に、森の中の池に。日陰ばかりではない。草いきれにむせる夏の休墾地に、登山の途中に谷から上がってくる風に。あるいは夜の川べりに、湖の静かな渚に。〔・・・〕

もっとも、それは過去の歴史の記憶だけだろうか。菌臭は、われわれが生まれてきた、母胎の入り口の香りにも通じる匂いではなかろうか。ここで、「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近いことに思い当たる。恋人たちに森が似合うのも、これがあってのことかもしれない。公園に森があって彼らのために備えているのも、そのためかもしれない。(中井久夫「きのこの匂いについて」1986年『家族の深淵』所収)


中井久夫は自らを「ひどい音痴」と言っているがーー《絶望的に音痴である私には閉ざされた方法だが、合唱こそロシア人とわかり合えるチャンスではないか。ロシア人とは何かがもう一つはっきりしないのも、「ハモる」ことを通じて解けあえる「ことば以前」「意識以前」の何ものかがあるからではないか。歌を通さなくとも、ロシア語自体がこの言葉を解さない者にも訴える力を持つ特異な言語であると私は思う。それは、単なる美しさでなく、脊髄と内臓からの戦慄をよびおこす。》(中井久夫「ロシア人」)ーー、とはいえ感受力はバルトークのような人だ、間違いなく。



昨日、私は京都から帰って来た。カゼをこじらせ、咽喉を腫らせ、肩をひどく凝らせて。いつも楽に上がれる最寄りの地下鉄の駅の階段がピラミッドのようにそそり立って見えた。


京都は、いつも私を過剰な影響で圧倒しようとする。この三年、身体が急に弱くなったのも京都に往診を繰り返した一カ月の翌月からだった。その病からは二年掛かって回復したが、依然、京都に接近するたびに私には何かの故障が起こる。おそらく初老になって形に現われるようになっただけで、この街との不適合性は私の若い時から存在しつづけていたはずだ。〔・・・〕

私には、この街で行うことはすべて挫折を約束されていた。私は初め内的に反抗し、ついで二度脱出を試みた。一度は大阪に、二度目は東京に。そして二度目に脱出は成功した。


もっとも私が、依然、京都との「接触の病い」から本復していないことは冒頭に述べた通りである。京都に数時間留まることは、ほとんどプルースト的な、しかしはるかに悪魔的な記憶のパンドラの箱を開けることである。それは、精神病理学で「ヒペルムネジー」(過剰記憶)といわれるものであり、たまたま私には、年齢に従って衰えるはずのこの能力が依然あるために、数カ月分の健康が一日で破壊されるのであろう。〔・・・〕

精神科医が都市を論じる資格があるとすれば、それは単に、その職業によって、他の人々の立ち入れない地下水脈を知るからだけではないと私は思う。それは隠し味にはなるだろうが、ほとんどすべて書くことができないか書きたくない。その他に、職業ゆえか、その職業を選ばせた個人的特性かは知らず、“過剰な影響”に身を曝す習性があると思う。精神科医の第一の仕事はまず感受することである。


過剰な影響といったが、それは特別なものではない。おそらく、普通の人ひとっては、意識のシキイ以下で作用しているものであろう。


精神科医は「穿鑿する人」ではないと思う。「まず感受すること」といったが、「観察」と「感受」との差が非常に近いということだ。望遠鏡でも顕微鏡でもなく、さりとて音叉でもなく、アンテナのように、あるいはその原義(昆虫の触覚)のようにーー。(中井久夫「神戸の光と影」初出1984年『記憶の肖像』所収)




中井久夫の文章のほとんどは平易ながらきわめて選ばれた言葉で書かれているのだが、ーー彼は上田敏や永井荷風の訳詩でさえ抵抗があった、《フランス語の詩、特に象徴詩には、少年時代に親しんだことがあり、いくつかは暗唱するまでになっていたが、学者たちのこごしくこちたい邦訳は私の心の琴線を掻き鳴らすものではなかった(上田敏や永井荷風の言葉もやや遠かった)。》(中井久夫「多田智満子訳『サン=ジョン・ペルス詩集』との出会い」2001年)ーーその背後にはとんでもないエロスが隠されている、ああ、とくにあの《かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香り》と《すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおり》には。


ふたたび私はそのかおりのなかにいた。かすかに腐敗臭のまじる甘く重たく崩れた香りーー、それと気づけばにわかにきつい匂いである。


それは、ニセアカシアの花のふさのたわわに垂れる木立からきていた。雨あがりの、まだ足早に走る黒雲を背に、樹はふんだんに匂いをふりこぼしていた。


金銀花の蔓が幹ごとにまつわり、ほとんど樹皮をおおいつくし、その硬質の葉は樹のいつわりの毛羽となっていた。かすかに雨後の湿り気がたちのぼる。


二週間後には、このあたりは、この多年生蔓草の花の、すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおりがたちこめて、ひとは、おのれをつつむこの香の出どころはどこかととまどうはずだ。小さい十字の銀花も、それがすがれちぢれてできた金花の濃い黄色も、ちょっと見には眼にとまらないだろう。


この木立は、桜樹が枝をさしかわしてほのかな木下闇をただよわせている並木道の入口にあった。桜たちがいっせいにひらいて下をとおるひとを花酔いに酔わせていたのはわずか一月まえであったはずだ。しかし、今、それは遠い昔であったかのように、桜は変貌して、道におおいかぶさっているのはただ目に見える葉むらばかりでなく、ひしひしとひとを包む透明な気配がじかに私を打った。この無形の力にやぶれてか、道にはほとんど草をみず、桜んぼうの茎の、楊枝を思わせるのがはらはらと散らばっていた。(中井久夫「世界における索引と徴候」初出「へるめす」第26号 1990年7月『徴候・記憶・外傷』2004年所収)


この「へるめす」掲載の文を京都府立植物園の裏手の北山通りにある付属図書館で35年前ふと読んだときは衝撃を受けた。当時の私は松尾橋袂近くのマンションに住んでいたのだが、このエッセイは嵐山から流れてくる桂川ではなく、府立植物園の傍を流れる賀茂川の光景とともにある。






このエッセイがなぜ『徴候・記憶・外傷』の冒頭に掲げられているのか。それは疑いもなく外傷性記憶のフラッシュバックに関わるからである、つまりは「解離された異物のレミニサンス」に。



なお異物の別名はケラク(Jouissance)である。


果実が溶けて快楽(けらく)となるように、

形の息絶える口の中で

その不在を甘さに変へるやうに、

私はここにわが未来の煙を吸ひ

空は燃え尽きた魂に歌ひかける、

岸辺の変るざわめきを。

Comme le fruit se fond en jouissance,

Comme en délice il change son absence

Dans une bouche où sa forme se meurt,

Je hume ici ma future fumée,

Et le ciel chante à l’âme consumée

Le changement des rives en rumeur.


ーーヴァレリー「海辺の墓地( Le Cimetière marin)」第五節(中井久夫訳)



現実界のなかの異物概念は明瞭に、享楽と結びついた最も深淵な地位にある[une idée de l'objet étrange dans le réel. C'est évidemment son statut le plus profond en tant que lié à la jouissance ](J.-A. MILLER, Orientation lacanienne III, 6  -16/06/2004)



異物=異者としての身体[Fremdkörper]ーーこの概念はもともとラテン語の《エイリアンの身体[corpus alienum]》に由来するーーを、フロイトはときに異者[ fremd]とだけ言った。


疎外(異者分離[Entfremdungen])は注目すべき現象です。〔・・・〕この現象は二つの形式で観察されます。現実の断片がわれわれにとって異者のように現れるか、あるいはわれわれの自己自身が異者のように現れるかです。Diese Entfremdungen sind sehr merkwürdige, … Man beobachtet sie in zweierlei Formen; entweder erscheint uns ein Stück der Realität als fremd oder ein Stück des eigenen Ichs.

(フロイト書簡、ロマン・ロラン宛、Brief an Romain Rolland ( Eine erinnerungsstörung auf der akropolis) 1936年)




あるいは《内界にある自我の異郷部分》[das ichfremde Stück der Innenwelt ](『制止、症状、不安』第3章、1926年)とも。


つまりは次のニーチェとともに読むことができる。

偶然の事柄がわたしに起こるという時は過ぎた。いまなおわたしに起こりうることは、すでにわたし自身の所有でなくて何であろう。Die Zeit ist abgeflossen, wo mir noch Zufälle begegnen durften; und was _könnte_ jetzt noch zu mir fallen, was nicht schon mein Eigen wäre!  


つまりは、ただ回帰するだけなのだ、ついに家にもどってくるだけなのだ、ーーわたし自身の「おのれ」が。ながらく異郷にあって、あらゆる偶然事のなかにまぎれこみ、散乱していたわたし自身の「おのれ」が、家にもどってくるだけなのだ。Es kehrt nur zurück, es kommt mir endlich heim - mein eigen Selbst, und was von ihm lange in der Fremde war und zerstreut unter alle Dinge und Zufälle.  (ニーチェ『ツァラトゥストラ 』第3部「さすらいびと Der Wanderer」1884年)


このさすらいびどの回帰こそ解離された異者のレミニサンスであり、享楽の回帰にほかならない。

人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている[Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.](ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)

享楽は絶対的なものであり、それは現実界であり、私が定義したように、「常に同じ場処に回帰するもの」である[La jouissance   est ici un absolu, c'est le réel, et tel que je l'ai défini comme « ce qui revient toujours à la même place »](Lacan, S16, 05  Mars  1969)

反復は享楽の回帰に基づいている[la répétition est fondée sur un retour de la jouissance](Lacan, S17, 14 Janvier 1970)



ヴァレリーのいう「岸辺の変るざわめき(Le changement des rives en rumeur)」に襲われたときは、私の場合、《すれちがう少女の残す腋臭のほのかさに通じる、さわやかな酸味をまじえたかおり》がやってくる場合が多い。あるいは幼年期の異者が。



私の現時の思考とあまりにも不調和な何かの印象に打たれたような気がして、はじめ私は不快を感じたが、ついに涙を催すまでにこみあげた感動とともに、その印象がどんなに現時の思考に一致しているかを認めるにいたった。〔・・・〕最初の瞬間、私は腹立たしくなって、誰だ、ひょっこりやってきておれの気分をそこねた見知らぬやつ(異者)は、と自問したのだった。その異者は、私自身だった、かつての少年の私だった。

je me sentis désagréablement frappé comme par quelque impression trop en désaccord avec mes pensées actuelles, jusqu'au moment où, avec une émotion qui alla jusqu'à me faire pleurer, je reconnus combien cette impression était d'accord avec elles.[…] Je m'étais au premier instant demandé avec colère quel était l'étranger qui venait me faire mal, et l'étranger c'était moi-même, c'était l'enfant que j'étais alors, 

(プルースト「見出された時」)



そう、最初は不快なのである、快原理内にある自我にとっては。


不快なものとしての内的欲動刺激[innere Triebreize als unlustvoll](フロイト『欲動とその運命』1915年)

不快は享楽以外の何ものでもない [déplaisir qui ne veut rien dire que la jouissance. ](Lacan, S17, 11 Février 1970)

不快の審級にあるものは、非自我、自我の否定として刻印されている。非自我は異者としての身体、異物として識別される[c'est ainsi que ce qui est de l'ordre de l'Unlust, s'y inscrit comme non-moi, comme négation du moi, …le non-moi se distingue comme corps étranger, fremde Objekt ] (Lacan, S11, 17 Juin  1964)


だが快原理の彼岸にあるエスにとっては、これがとてつもないエロトスなのである、ーー《「エロス」と「タナトス」とは匂いの世界では観念の世界よりもはるかに相互の距離が近い》ーーこれは匂いの世界に限らず、「夜の音楽」の世界においても同様である、《ここにバルトークがいる、そうして彼の《夜の音楽》からは、この生と死とが入りまじっている、刺激的な臭いがしてくる》。





この荒木経惟の造語"Erotos"がラカンの享楽にほかならない、《ラカンによる享楽とは何か。…そこには秘密の結婚がある。エロスとタナトスの恐ろしい結婚である[Qu'est-ce que c'est la jouissance selon Lacan ? –…Se révèle là le mariage secret, le mariage horrible d'Eros et de Thanatos. ]》(J. -A. MILLER, LES DIVINS DETAILS,  1 MARS 1989)



もっともこの概念を把握するためにはーーたんに《タナトスの形式の下でのエロス [Eρως [Éros]…sous  la forme du Θάνατος [Tanathos] ]》(Lacan, S20, 20 Février 1973)に囚われるのでは無くーーもっと卑近な事例でもよろしい。つまり快原理の彼岸にある欲動の回帰こそ、何よりもまずフロイトの死の欲動なのである。


以前の状態に回帰しようとするのが、事実上、欲動の普遍的性質である〔・・・〕。この欲動的反復過程…[ …ein so allgemeiner Charakter der Triebe ist, daß sie einen früheren Zustand wiederherstellen wollen, (…) triebhaften Wiederholungsvorgänge…](フロイト『快原理の彼岸』第7章、1920年、摘要)

われわれは反復強迫の特徴に、何よりもまず死の欲動を見出だす[Charakter eines Wiederholungszwanges …der uns zuerst zur Aufspürung der Todestriebe führte.](フロイト『快原理の彼岸』第6章、1920年)



例えば、パウル・クレーの作品をめぐってもいる『砂の上の植物群』における吉行淳之介の次の記述。

長い病気の恢復期のような心持が、軀のすみずみまで行きわたっていた。恢復期の特徴に、感覚が鋭くなること、幼少年期の記憶が軀の中を凧のように通り抜けてゆくことがある。その記憶は、薄荷のような後味を残して消えてゆく。

 

立上がると、足裏の下の畳の感覚が新鮮で、古い畳なのに、鼻腔の奥に藺草のにおいが漂って消えた。それと同時に、雷が鳴ると吊ってもらって潜りこんだ蚊帳の匂いや、縁側で涼んでいるときの蚊遣線香の匂いや、線香花火の火薬の匂いや、さまざまの少年時代のにおいの幻覚が、一斉に彼の鼻腔を押しよせてきた。(吉行淳之介『砂の上の植物群』1964年)


そう、ここに吉行が記している、おそらく誰にでもある現象でよいのだ。これこそ以前の状態に退行する欲動の身体的要求を暗示する瞠目すべき文である。ーー《退行、すなわち以前の発達段階への回帰[eine Regression, eine Rückkehr zu einer früheren Entwicklungsphase hervorrufen. ]》(フロイト『性理論』第3篇1905年)


もっともこの現象は聴覚や嗅覚だけではない。たとえば味覚だってそうだ。何ヶ月か前、久しぶりに鯛茶漬けを食っていたら、母が遠くからいきなり耐えがたいほど近くにやってきて呆然自失したことがある。




中井久夫は幼児型記憶ーーフラッシュバックする異物としての外傷性記憶ーーを、《思い出すままにほとんどすべてを列挙する》として10個挙げているが、一番目は、「誰かの背に背負われて、青空を背景に、白い花を見上げている」、二番目は「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」(「発達的記憶論」)である。


少なくとも第一の幼児期記憶についてはーー、

たとえば冒頭の「世界における索引と徴候」である。これはある六月の午後、アカシアの林を通りぬけるわずかな間に、ゆくりなくも私の中に生まれてうつろうた発想の跡を辿ったものである。(中井久夫『徴候・記憶・外傷』「まえがき」)

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。(中井久夫「世界における徴候と索引」1990年)



二番目の記憶については、おそらくかなりの方々に似たような外傷性記憶があるのではないか。ここでは上の小津安二郎=原節子に引き続き、侯孝賢=辛樹芬を掲げておこう。




小津安二郎や侯孝賢の映像は彼ら自身の外傷性記憶に満ち溢れている、と私は感じる。


外部から来て、刺激保護膜を侵入するほどの強力な興奮を、われわれは外傷性のものと呼ぶ[Solche Erregungen von außen, die stark genug sind, den Reizschutz zu durchbrechen, heißen wir traumatische. ](フロイト『快原理の彼岸』第4章、1920年)

出来事が外傷的性質を獲得するのは唯一、量的要因の結果としてのみである[das Erlebnis den traumatischen Charakter nur infolge eines quantitativen Faktors erwirbt ](フロイト『モーセと一神教』3.1.3 、1939年 )

初期のトラウマの刻印は、前意識に翻訳されないか、抑圧によってすばやくエス状態に戻される[Die Eindrücke der frühen Traumen, von denen wir ausgegangen sind, werden entweder nicht ins Vorbewußte übersetzt oder bald durch die Verdrängung in den Eszustand zurückversetzt.] (フロイト『モーセと一神教』3.1.5  Schwierigkeiten、1939年)

トラウマは自己身体の出来事もしくは感覚知覚の出来事である[Die Traumen sind entweder Erlebnisse am eigenen Körper oder Sinneswahrnehmungen]。〔・・・〕

このトラウマの作用はトラウマへの固着と反復強迫として要約できる。これは、標準的自我と呼ばれるもののなかに取り込まれ、絶え間ない同一の傾向をもっており、不変の個性刻印と呼びうる[Man faßt diese Bemühungen zusammen als Fixierung an das Trauma und als Wiederholungszwang. Sie können in das sog. normale Ich aufgenommen werden und als ständige Tendenzen desselben ihm unwandelbare Charakterzüge verleihen] (フロイト『モーセと一神教』「3.1.3 Die Analogie」1939年)


重要なのは喜ばしい外傷性記憶もあることである、その不変の個性刻印が。


PTSDに定義されている外傷性記憶……それは必ずしもマイナスの記憶とは限らない。非常に激しい心の動きを伴う記憶は、喜ばしいものであっても f 記憶(フラッシュバック的記憶)の型をとると私は思う。しかし「外傷性記憶」の意味を「人格の営みの中で変形され消化されることなく一種の不変の刻印として永続する記憶」の意味にとれば外傷的といってよいかもしれない。(中井久夫「記憶について」1996年『アリアドネからの糸』所収)


ここには先に引用したニーチェもいる、《人が個性を持っているなら、人はまた、常に回帰する自己固有の出来事を持っている[Hat man Charakter, so hat man auch sein typisches Erlebniss, das immer wiederkommt.]》(ニーチェ『善悪の彼岸』70番、1886年)


ニーチェにとって「常に回帰」とはもちろん「永遠回帰」のことである。


蜘蛛、特に女蜘蛛は永遠回帰する。

月光をあびてのろのろと匍っているこの蜘蛛[diese langsame Spinne, die im Mondscheine kriecht]、またこの月光そのもの、また門のほとりで永遠の事物についてささやきかわしているわたしとおまえーーこれらはみなすでに存在したことがあるのではないか。

そしてそれらはみな回帰するのではないか、われわれの前方にあるもう一つの道、この長いそら恐ろしい道をいつかまた歩くのではないかーーわれわれは永遠回帰[ewig wiederkommen]する定めを負うているのではないか。 (ニーチェ『ツァラトゥストラ』第3部「 幻影と謎 Vom Gesicht und Räthsel」 第2節、1884年)

蜘蛛よ、なぜおまえはわたしを糸でからむのか。血が欲しいのか。ああ!ああ![Spinne, was spinnst du um mich? Willst du Blut? Ach! Ach!   ](ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」第4節、1885年)


そして誰もが実は知っているように、男女両性にとっての原女蜘蛛は母に決まっている。


ニーチェによる外傷性記憶の定義は次のものである。

「記憶に残るものは灼きつけられたものである。傷つけることを止めないもののみが記憶に残る」――これが地上における最も古い(そして遺憾ながら最も長い)心理学の根本命題である。»Man brennt etwas ein, damit es im Gedächtnis bleibt: nur was nicht aufhört, wehzutun, bleibt im Gedächtnis« - das ist ein Hauptsatz aus der allerältesten (leider auch allerlängsten) Psychologie auf Erden.(ニーチェ『道徳の系譜』第2論文第3節、1887年)


これはまたラカンの現実界の定義である。

現実界は書かれることを止めない[le Réel ne cesse pas de s'écrire ](Lacan, S 25, 10 Janvier 1978)

問題となっている現実界は、一般的にトラウマと呼ばれるものの価値をもっている[le Réel en question, a la valeur de ce qu'on appelle généralement un traumatisme.](Lacan, S23, 13 Avril 1976)


そして書かれることを止めないトラウマの傷とはモノ=異者=母でもある。

フロイトのモノを私は現実界と呼ぶ[La Chose freudienne … ce que j'appelle le Réel ](Lacan, S23, 13 Avril 1976)

モノの概念、それは異者としてのモノである[La notion de ce Ding, de ce Ding comme fremde, comme étranger] (Lacan, S7, 09  Décembre  1959)

母なるモノ、母というモノ、これがフロイトのモノ[das Ding]の場を占める[la Chose maternelle, de la mère, en tant qu'elle occupe la place de cette Chose, de das Ding.](Lacan, S7, 16  Décembre  1959)



こういったフロイト・ラカンの洞察を事実上、既に明らかにしているのはニーチェだけではない。これは、真の詩人、真の芸術家たちが遠い昔から示し続けてきていることである。私たちがつんぼでなければ、その声が彼らの作品から聞こえてくる。


すべてのものは球か、円錐か円筒形である...それは事実だ。その観察を最初に(自分が)したのではないのは、なんともうまくない(残念だ)。セザンヌは正しかった。(ジャコメッティーーメルセデス・マッター『試論』)

「古代の彫刻…これらには、どこかに共通したところがあります。卵型、壺の丸み、これが共通点です。面のどの起伏も、どの凹みも、すべてあの偉大な法則に服従しているでしょう。ところが、そうだからこそ、何か表情が出ている。表情、そういっていいでしょうね。ただし、何も表現していない表情。そういえますね」


「そういっていい」と私は答えた「いや、そういわねばならない。というのも、言語で説明できそうな感情を彫刻が表現しているとき、われわれは彫刻の外にいるわけだから。それでは完全にレトリックの分野に出て、調子のいいことをしゃべっているだけのことになる。だから私としてはこういいたいと思うのだが、ほんとうの彫刻というものは、ある存在の形体以外のいかなるものも絶対に表現していない。存在の形体、つまり存在のもっとも深い内部という意味だよ。そういう深みから、存在の形はうみ出されて来るし、また奇型の形成を拒否しつつこの世に押し出されもしたのだから」 (アラン『彫刻家との対話』杉本秀太郎訳)


ーー言語以前のものを表すのが本来の芸術であり詩に相違ない、ーー《詩は身体の共鳴を表現する[la poésie, la résonance du corps s'exprime]》(Lacan, S24, 19 Avril 1977)



コトバとコトバの隙間が神の隠れ家(谷川俊太郎「おやすみ神たち」)


もちろん俊がここでいう神は詩のことである。

エリオットは、詩の意味とは、読者の注意をそちらのほうにひきつけ、油断させて、その間に本質的な何ものかが読者の心に滑り込むようにする、そういう働きのものだという。(中井久夫「顔写真のこと」)


ここで荒木経惟の傑作ととものイナンナ(シュメールの母なる大地像)とキクラデスの女神像を掲げておこう。




ーーこれらこそ卵の原像である。



さて、先に戻っていえば、詩人中井久夫の「母親がガラスの器にイチジクの実を入れてほの暗い廊下を向こうから歩いてくる」という外傷性記憶の記述から「そら、あれが聞こえないのかい?」

ガラスの器、イチジクの実、ほの暗い廊下、向こうから歩いてくる、ーーだぜ? その言葉と言葉の隙間には何がある?


もっとも次のように引用したら、一般にはちょっと行き過ぎだろうが。

胎内の記憶〔・・・〕無時間的なものの起源は、胎内で共有した時間、母子が呼応しあった一〇カ月であろう。生物的にみて、動く自由度の低いものほど、化学的その他の物質的コミュニケーション手段が発達しているということがある。植物や動物でもサンゴなどである。胎児もその中に入らないだろうか。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」2003年『時のしずく』所収)

心理的な意味での母という対象は、子供の生物的な胎内状況の代理になっている[Das psychische Mutterobjekt ersetzt dem Kinde die biologische Fötalsituation.](フロイト『制止、症状、不安』第8章、1926年)



当面もっと手前のところで耳を鍛える訓練してからだろうよ、これは。


そう、エスの声に耳をすます訓練が人には是非とも必要であるーー、


いま、エスは語る、いま、エスは聞こえる、いま、エスは夜を眠らぬ魂のなかに忍んでくる。ああ、ああ、なんと吐息をもらすことか、なんと夢を見ながら笑い声を立てることか。

ーーおまえには聞こえぬか、あれがひそやかに、すさまじく、心をこめておまえに語りかけるのが? あの古い、深い、深い真夜中が語りかけるのが?おお、人間よ、よく聴け!

- nun redet es, nun hört es sich, nun schleicht es sich in nächtliche überwache Seelen: ach! ach! wie sie seufzt! wie sie im Traume lacht!

- hörst du's nicht, wie sie heimlich, schrecklich, herzlich zu _dir_ redet, die alte tiefe tiefe Mitternacht? Oh Mensch, gieb Acht!

(ニーチェ『ツァラトゥストラ』第4部「酔歌」1885年)


谷川俊太郎の「みみをすます」にあるように、


(ひとつのおとに

ひとつのこえに

みみをすますことが

もうひとつのおとに

もうひとつのこえに

みみをふさぐことに

ならないように)

耳をすまさねばならない



例えば神社を歩くのはいい訓練だよ。




いかにもイチジクの実の割れ目がほの暗い廊下の向こうからやってきそうじゃないか、あるいはーー《足の踝が、膝の膕が、腰のつがひが、頸のつけ根が、顳顬が、ぼんの窪が――と、段々上つて來るひよめきの爲に蠢いた。自然に、ほんの偶然強ばつたまゝの膝が、折り屈められた。だが、依然として――常闇。》(折口信夫『死者の書』)という具合の巫女がさ。


常夜の巫女であって常世の巫女じゃだめだぜ。






鰭の広物・鰭の狭物・沖の藻葉・辺の藻葉、尽しても尽きぬわたつみの国は、常世と言ふにふさはしい富みの国土である。〔・・・〕併しもう一代古い処では、とこよが常夜で、常夜経く国、闇かき昏す恐しい神の国と考へて居たらしい。常夜の国をさながら移した、と見える岩屋戸隠りの後、高天原のあり様でも、其俤は知られる。(折口信夫「妣国へ・常世へ 」)


最後にもう一度強調しておけば、人はみなつんぼから脱却せねばならない。あの古い、深い、深い真夜中に耳をすまさねばならない。