バルトは一九六七年に評論「プルーストと名前」を書いて、つぎのように述べられている。「固有名詞は、いわば無意識的記憶の言語のかたちである。したがって、『失われた時を求めて』の執筆を「始動」させた(詩的な)事件とは、まさに『名前』を発見したことなのである」(『新 = 批評的エッセー』所収)
はて、そんなことが書いてあったか、と手許の別の訳者による『新 = 批評的エッセイー』(花輪光訳)を覗いてみると、上の文に引き続きこうある。
おそらく、『サント=ブーヴに反駁する』以来、プルーストはいくつかの名前(コンブレー、ゲルマント)をすでに手に入れていた。しかし彼が『失われた時を求めて』の固有名詞体系を全体として構成するのは、ようやく一九〇七年から一九〇九年のあいだであったと思われる。この体系が見出されると、作品はただちに書かれたのだ。(P.80)
もうすこし読み進めると、《固有名詞=名前は……つつみこむ》という表現がでてくる。
記号は芸術作品によって、彼が愛する人によって、出入りする環境によって発せられる。「固有名詞」もまた一つの記号であって、もちろん意味する(シニフィエ)することなく指示するような単なる指標ではなく、この点、パースからラッセルにいたる通念が要求するところとはちがう。記号としての「固有名詞」は探求の、解読の対象となる。「固有名詞」は(用語の生物学的意味における)《環境》であって、そのなかにとびこみ、それがもたらすあらゆる夢想にどこまでも浸らなければならないものである。と同時に、「固有名詞」は圧縮され香りがこめられている貴重品であって、花のように開かせなければならないものでもある。言いかえれば、「名前」(これからは固有名詞をこのように呼ぼう)は記号であるが、それはヴォリュームのある記号、密生した意味の厚さのために常にかさばっている記号であって、いかなる慣用もこのれ縮小し押しつぶすようなことはなく、この点、普通名詞が連辞によって必ずその意味の一つだけを引き渡すのとは反対である。プルーストにおける「名前」は、あらゆる場合に、ただそれだけで辞書のある項目全体の等価物である。ゲルマントという名前は、思い出や慣用や文化がそこに含ませうるものをすべて、ただちにつつみこむ。(ロラン・バルト「プルーストと名前」P.81)
いま原文を調べてみようとはしない。ただ最近「つつみこむ」に凝っていたので、ここに挙げたまでだ。
S1はシニフィアン〈一〉から来る、その格言「〈一〉のようなものがある」(Y a de l'Un)にて。これに基づいたS1はどんなシニフィアンでもいい。こういうわけで、彼の言葉遊びS1、essaim(ミツバチの群)がある。問題はシニフィアンの特質ではなくその機能である。一つの袋(envelope封筒)を与え、そのなかで全てのシニフィアンの鎖が存続できるようにするのだ(S.20)。 (Paul Verhaeghe,Enjoyment and Impossibility ポール・ヴェルハーゲ「享楽と不可能性」より、2006,私訳)
ラカンの原文を掲げるならつぎの通り。
…ce S1 que je peux écrire d'abord de sa relation avec S2, eh bien c'est ça qui est l'essaim.
S1 (S1 (S1 (S1 (S1 → S2) ) ) )
Vous pouvez en mettre ici autant que vous voudrez,
c'est l'essaim dont je parle. Le signifiant comme maître, à savoir en tant qu'il assure l'unité, l'unité de cette copulation du sujet avec le savoir, c'est cela le signifiant maître, et c'est uniquement dans lalangue, en tant qu'elle est interrogée comme langage, que se dégage - et pas ailleurs – que se dégage l'ex-sistence de ce dont ce n'est pas pour rien que le terme στοιχεῖον [stoïkeïon] : élément [élément premier→ élémentaire] soit surgi d'une linguistique primitive[cf. RSI, 18-02-1975], ce n'est pas pour rien : le signifiant 1[S1] n'est pas un signifiant quelconque, il est l'ordre signifiant en tant qu'il s'instaure de l'enveloppement par où toute la chaîne subsiste. (Lacan,Séminaire ⅩⅦ Staferla 版 P.56)
στοιχεῖον とは、ブルース・フィンクの「アンコール」英訳注によれば、要素element、原要素principal constituent、文字letter、あるいは発言の部分part of speechとのこと。
ラカンはこれと似たような概念として lêtre de la signifiance、l'êtrernel ということを言っている。前者は純シニフィアン=文字であり、後者はlettre(文字)でありつつ永遠=神でもある(参照:S1(主人のシニフィアン)≒trait unaire(一つの特徴))。
これだけで、ロラン・バルト=プルーストの「名前」が、S1= essaim(ミツバチの分蜂群)、あるいはστοιχεῖονやenveloppement であると言い募るつもりは毛頭ない。
ただし、プルーストの固有名詞が、創作上のpoint de capiton(ポワン・ド・キャピトン〔クッションの綴じ目〕)になったのだろうことはロラン・バルトの文から読み取りうる、《『失われた時を求めて』の執筆を「始動」させた(詩的な)事件とは、まさに『名前』を発見したこと》。
point de capiton とは、S2(シニフィアンの連鎖)を包みこむessaim(ミツバチの群)であり、それはS1(主人のシニフィアン)という解釈がなされることがある(上に掲げたポール・ヴェルハーゲによる見解であり、異なった解釈もあるだろう)。
Un coup de ton doigt sur le tambour décharge tous les sons et commence la nouvelle harmonie.[君の指先が太鼓をひと弾きすれば、音という音は放たれ、新しい階調が始まる](ランボー、A une raison)
〈主人のシニフィアン〉とは何だろう?社会的崩壊の混乱状況を想像してみよう。そこでは、結合力のあるイデオロギーの力はその効果を失っている。そのような状況では、〈主人〉は新しいシニフィアンを発明する人物だ。そのシニフィアンとは、名高い「縫い合わせ点quilting point」、すなわち、状況をふたたび安定化させ、判読可能にするものである。(……)〈主人〉は新しいポジティヴな内容をつけ加えるわけではまったくない。――彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずるのだ。(ジジェク、2012,私訳ーー「皺のない言葉」(アンドレ・ブルトン))
そして後期ラカンのサントーム概念も一種の主人のシニフィアンである。
Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?” ( J. Lacan, Le Séminaire XXIV, L'insu que sait de l'une bévue, s'aile a mourre, Ornicar ?, 17/18, 1979, p. 21)
《なぜ我々は新しいシニフィアンを発明しないのか? たとえば、それはちょうど現実界のように、全く無意味のシニフィアンを》とでも訳せる文だが、この新しいシニフィアンがサントームであるが、シニフィアンとあるように新しい主人のシニフィアンとすることができる(参照:エディプス理論の変種としてのラカンのサントーム論)。
すぐれた作家たちはそれぞれ自らの主人のシニフィアンをもっているのではないか。ジャン・ジュネの「泥棒」、中上健次の「路地」……。(参照:中上健次と「父の名」)
ところであのように書くバルトは、その晩年にあらゆるものを包みこむ「名前」を見出したのだろうか、--南西部の光、明るい部屋、あるいはバイヨンヌ、マラケシュ……?
…………
ここまででさえかなり飛躍があるメモであり、さらにドゥルーズの「概念の創造」と結びつけるのはやめにしておくべきか・・・
柄谷行人の「世界共和国」はカントに依拠しつつの概念の創造(あるいは主人のシニフィアン)のはずなのだが、現実主義者たちは見向きもしないようだな。
それしかないはずなのに。
世界には現実主義者、すなわちユートピアンどもばかり揃っているからな、
ジジェクさんよ、ラカンはもういいからーー2006年と2011年のふたつの大著でもう十分さーー、今度は『マルクスの偉大さ』書けよ、「世界共和国」の変奏をして。
世界共和国、すなわち可能なるコミュニズムさ、
2006年→2011年→2016年、というわけで、じつは来年あたり準備してるんだろ?
《彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずる》ような著作『マルクスの偉大さ』を。
ジジェクはここで柄谷行人のしきりに主張する「統整的理念」さえ否定している(参照:主人のシニフィアンと統整的理念)。
ここまででさえかなり飛躍があるメモであり、さらにドゥルーズの「概念の創造」と結びつけるのはやめにしておくべきか・・・
柄谷行人)ぼくはドゥルーズがいった概念の創造ということに関して大きな誤解があると思う。概念の創造というのは新しい語をつくることだと思っている人が多い。その意味でいうと、『千のプラトー』はものすごく新しい概念に満ち満ちているように見えるけれど……。
ぼくはそんなものは感嘆に形式化できると言っている。だからそこに新しさを見てはいけない。概念を創造するというのは、あたりまえの言葉の意味を変えることなんですよ。しかし、そうやって意味を変えるときに、必ずドゥルーズならドゥルーズという名前がついてくるんです。たとえば、マルクスが「存在が意識を決定する」と言ったときの「存在」は、マルクスによって創造された概念なんで、その一行は「事件」なんです。ぼくはそれが概念の創造だと思う。『批評空間』1996Ⅱー9共同討議「ドゥルーズと哲学」(財津理/蓮實重彦/前田英樹/浅田彰/柄谷行人)
柄谷行人の「世界共和国」はカントに依拠しつつの概念の創造(あるいは主人のシニフィアン)のはずなのだが、現実主義者たちは見向きもしないようだな。
それしかないはずなのに。
各地の運動が国連を介することによって連動する。たとえば、日本の中で、憲法九条を実現し、軍備を放棄するように運動するとします。そして、その決定を国連で公表する。(……)そうなると、国連も変わり、各国もそれによって変わる。というふうに、一国内の対抗運動が、他の国の対抗運動から、孤立・分断させられることなしに連帯することができる。僕が「世界同時革命」というのは、そういうイメージです。(柄谷行人『「世界史の構造」を読む』)
世界には現実主義者、すなわちユートピアンどもばかり揃っているからな、
人々は私に「ああ、あなたはユートピアンですね」と言うのです。申し訳ないが、私にとって唯一本物のユートピアとは、物事が限りなくそのままであり続けることなのです。(ジジェクーーユートピアンとしての道具的理性instrumental reason主義者たち)
ジジェクさんよ、ラカンはもういいからーー2006年と2011年のふたつの大著でもう十分さーー、今度は『マルクスの偉大さ』書けよ、「世界共和国」の変奏をして。
マルクスは間違っていたなどという主張を耳にする時、私には人が何を言いたいのか理解できません。マルクスは終わったなどと聞く時はなおさらです。現在急を要する仕事は、世界市場とは何なのか、その変化は何なのかを分析することです。そのためにはマルクスにもう一度立ち返らなければなりません。(……)
次の著作は『マルクスの偉大さ』というタイトルになるでしょう。それが最後の本です。(……)私はもう文章を書きたくありません。マルクスに関する本を終えたら、筆を置くつもりでいます。そうして後は、絵を書くでしょう。(ドゥルーズの死の二年前のインタヴュー「思い出すこと」)
世界共和国、すなわち可能なるコミュニズムさ、
一般に流布している考えとは逆に、後期のマルクスは、コミュニズムを、「アソシエーションのアソシエーション」が資本・国家・共同体にとって代わるということに見いだしていた。彼はこう書いている、《もし連合した協同組合組織諸団体(uninted co-operative societies)が共同のプランにもとづいて全国的生産を調整し、かくてそれを諸団体のコントロールの下におき、資本制生産の宿命である不断の無政府主と周期的変動を終えさせるとすれば、諸君、それは共産主義、“可能なる”共産主義以外の何であろう》(『フランスの内乱』)。この協同組合のアソシエーションは、オーウェン以来のユートピアやアナーキストによって提唱されていたものである。(柄谷行人『トランスクリティーク』)
2006年→2011年→2016年、というわけで、じつは来年あたり準備してるんだろ?
《彼はたんにシニフィアンをつけ加えるだけだが、突如として無秩序は秩序、ランボーが言ったような「新しいハーモニー」に変ずる》ような著作『マルクスの偉大さ』を。
アラン・バディウは、いまいちどコミュニストという仮説を主張すべきだと提案している――
《もしわたしたちがこの仮説を放棄するならば、集団行動という領域で、やるべき価値のあることは何もなくなってしまう。コミュニズムという地平なくして、この大文字の概念なくして、哲学者の興味をかきたてるような歴史的・政治的生成は存在しない。》
しかし、バディウは続けて言う――
《この大文字の概念を、この仮説の存在を手放さないからといって、それが第一に主張してきた私有財産や国家に関するテーゼを、そのままのかたちで保持する必要などない。実際、哲学者が引き受けるべき責務、あるいは義務とは、この仮説が新たな様態をまとって出現すべく手助けをすることである。》
ここで注意すべきは、これをカント的に読んではならないということだ。つまり、コミュニズムをなんらかの統整理念regulative Ideaとして、したがって「倫理的社会主義」の亡霊を蘇生させるものとみなし、その先見的規範もしくは公理として、「平等」を考えるといった姿勢をとってはならないのだ。そうではなく、わたしたちが保持すべきなのは、コミュニズムの必要性を生み出すような、一連の社会的敵対性を正確に参照することなのである。コミュニズムという古き良きマルクス主義概念を、理念としてではなく、現実の矛盾に立ち向かう運動として考えなければならない。コミュニズムを永遠の大文字の理念に祀りあげてしまうと、それを生み出した状況も同じく永続的なものであり、コミュニズムが立ち向かう敵対性はいつまでたってもなくならないということになってしまう。そこからコミュニズムの脱構築的読解までは、ほんの一歩にすぎない。すなわち、コミュニズムとは、現前を夢見ること、代表制がもたらすあらゆる疎外状況を一挙に廃絶しようという夢想、つまり、みずからの不可能性を養分にして育つ夢うつつの理想ということになってしまうのである。(スラヴォイ・ジジェク「初心からいかに始めるか」2009 )
ジジェクはここで柄谷行人のしきりに主張する「統整的理念」さえ否定している(参照:主人のシニフィアンと統整的理念)。