P・ヴェーヌはこの数年間絶えず私を助けてくれた。彼は、まことの歴史学者として真なるものを探究するとはどのようなことであるかを心得ている。しかし彼はまた、真と偽のゲームについてその歴史を書こうとするやいなや入り込んでしまう迷宮も知っている。彼は、今日において稀な人々のうちの一人、すなわち、真理の歴史をめぐる問いがあらゆる思考にもたらす危険に対して立ち向かうことを受け入れている人々のうちの一人なのだ。この書物への彼の影響を明確に定めるのは困難であると言えよう。(フーコー『快楽の活用』、田村俶訳)
フーコーのよき友人だった古代ローマ史専門家(アナール派)のポール・ヴェーヌPaul Veyne は、コレージュ・ド・フランス講義1977-78で、古代ローマにおけるセクシュアリティと家族をテーマにしたそうだ。とても名高いらしいが、わたくしは知らなかった。
ヴェーヌの結論は、後期ローマ帝国ではほとんど何でも許され、近親相姦さえほとんど存在しなかったと。それは愉快な仲間たちのあいだで屁をひる程度にものだと考えられていた。そして唯一、醜聞として拒絶されたことは、受動性(受け身になること)だ、と。
もちろん何でも許されたのは、階級によるのだろうが、ほとんどなんの禁圧のない社会・階級で受動性のみが拒絶されるという見解は興味深い。
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以下、「非抑圧的無意識 nicht verdrängtes Ubw と境界表象 Grenzvorstellung (≒ signifiant(Lⱥ Femme))」に引き続く。
◆フロイト、1926年(70歳)ーー1856年5月6日生 - 1939年9月23日死去
不安の問題についての議論に関連して、私は一つの概念――もっと遠慮していうと一つの術語――をふたたび採用した。この概念は、三十年前に私の研究の初めにもっぱら採用したが、その後はすてておいたものである。私は防衛過程のことをいっているのである(『防衛―神経精神病』1894年)。そのうちに私はこの防衛過程という概念のかわりに、抑圧という概念をおきかえたが、この両者の関係ははっきりしない。現在私はこの防衛という古い概念をまた使用しなおすことが、たしかに利益をもたらすと考える。(……)
たんなる術語の改正は、新たな見方を表現したり、洞察の拡大を表現するときはじめて正当なことになる。防衛という概念をふたたび採用し、抑圧という概念をせばめるには、ある事実を考えにいれねばならない。その事実は以前から分かっているのだが、いくつかの新しい発見によって、意味をもつようになったものである。
抑圧と症状形成についてのわれわれの最初の経験は、ヒステリーから得たものである。われわれは、緊張した体験の知覚内容や病因となる思考の表象内容が忘却されて、記憶のうちによみがえらないことを知った。したがって、われわれは、意識からきりはなしていることが、ヒステリーの抑圧の主な性格であることをみとめた。その後、強迫神経症を研究して、この病気では病因となる事件は忘却されていないことを見出した。その事件は依然として意識されているが、想像できないある方法で、「分離されて」いる。したがってヒステリーの健忘によるのとほとんど同じ結果をもたらす。しかし、われわれの意見が正しいとするには、両者の違いは大きすぎる。強迫神経症が衝動の要求をしりぞける過程は、ヒステリーの場合と同じではありえまい。
われわれは、さらに研究をすすめて、強迫神経症では自我の反抗に影響されて、衝動が早期のリビドー期へ退行することが分かった。これは抑圧を無用にするものではないが、しかし明らかに抑圧と同じようにはたらく。そのうえわれわれに分かったことは、ヒステリーでも仮定される反対充当は、強迫神経症では自我の反動的な変化として、自我防衛にことに大きな役割を果たすことである。われわれは「分離」という方法に注意をはらうようになった。この方法のテクニックについてはまだ分かっていないが、直接症状として表現されるのである。
またわれわれは、「取消」という魔術ともいうべき手段にも注意をはらった。この手段が、防衛の傾向をもつことは疑いないが、しかし抑圧の過程とはなんの類似点ももたない。こういう経験は、防衛という古い概念をふたたび採用するのに十分な根拠となる。防衛とは、同じ傾向――衝動の要求にたいする自我の保護――をもつ、以上にのべた過程をすべて包含し、抑圧はその特別な場合としてこれにふくまれる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年、旧訳フロイト著作集6,pp.370-371)
◆フロイト、1937年(81歳)
今まだ書物となって印刷刊行されてはいないが、個々の論文としてはすでに書かれているある一冊の本のことを考えてほしい。そういう本が実際に刊行された後の時代の眼でみると、そこには好ましからぬものとみなされるような叙述が含まれているかも知れない。それはたとえば、ロバート・アイスラー(1929)によれば、フラヴィウス・ヨーゼフスの著作には、初めはイエス・キリストに関してその後のキリスト教が感情を害するような箇所が含まれていたに違いなかったというが、それと同じようなものであろう。検閲当局も今となっては、その著作の全部数を没収し、棄却するという以外の防衛機制を用いることはできないかもしれない。
かつては種々の方法が有害な箇所を取り除くために用いられていた。気にさわる箇所を大きく抹消して読めなくするというやり方もあった。そうすればその箇所はもう書き写すことができなくなり、その本を次に書き写す者はもはや何ら咎められるところのない本文を得ることになるが、それには幾つかの脱落箇所があって、おそらくその箇所は、もはや理解できないものとなっているであろう。また、そのようなやり方には満足せず、そんなふうに本文をずたずたにしてしまうようにという指示を避けようとする別のやり方もあった。つまり、この場合には本文を歪曲するというように変わり、若干の文句を棄て去るとか、それを他の文章で置き換えるとか、新しい文章を挿入するとかしたのである。
最善の方法は一箇所全部を抹消してしまい、かわってそれとまったく反対の内容の文章をそこに入れかえることであった。その本を次に書き写す人は、こうして疑われる余地のない本文を作ることができるのであるが、それは実は偽の本文だったわけである。それは著者が伝達しようと欲したことをもはや含むものではない。またそれは訂正されたとはいえ、実際には、真実なものへと訂正されたわけではないのである。
この比較をあまり厳密に推し進めさえしなければ、抑圧とその他の多くの防衛機制との関係は、本文を棄却することと歪曲することとの関係に相当するということができる。すなわちわれわれは、このような種々の形をとって現われる改竄の中に、自我の変化の多様性との類似を見出すことができるのである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937 旧訳著作集6 pp.396-397)
で、1890年代、つまりフロイト30歳代の概念に戻って、「抑圧」概念より「防衛」概念のほうがましだったのはいいとして、何の防衛をしたいんだろう、われわれは?
欲望は防衛、享楽へと到る限界を超えることに対する防衛である。
le désir est une défense, défense d'outre-passer une limite dans la jouissance.) ラカン、E825)
倒錯とは、欲望に起こる不意の出来事ではない。すべての欲望は倒錯的である。享楽がけっしてその場ーーいわゆる象徴秩序が欲望をそこに置きたい場のなかにないという意味で。そしてこれが、ラカンが後に父の隠喩についてアイロニカルであった理由だ。彼は言う、父の隠喩もまた倒錯だ、と。彼は、父の隠喩をpère-version と書いた。…父へと向かう動き [vers le père]と。(JACQUES-ALAIN MILLER: THE OTHER WITHOUT OTHER、2013)
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私は、「女性性の拒否」Ablehnung der Weiblichkeit は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937)
いわゆるラカン曰くのフロイトの遺書『終りある分析と終りなき分析』で、上のような記述があった後、相変わらずお得意の去勢不安やペニス羨望を言い募ってはいるが、その叙述の流れのなかでフロイトは受動的態度(passive Einstellung)という言葉を口に出している。すなわち、人間の精神生活の核心は、(男も女も)受動的態度の拒絶と捉えうる(ここで冒頭近くにかかげたヴェーヌの見解を想起しておこう)。
だが受動的態度の拒絶とは具体的にはなにか。
最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的なsomatic未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。
そのときの基本的動機(動因)は、不安である。これは去勢不安でさえない。原不安primal anxietyは母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では最初の世話人caretakerとしてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに分離不安separation anxietyである。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。
フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを融合不安fusion anxietyと呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別に、である。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。
このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的な加工(エラボレーションelaboration)とさえ言いうる。原不安は二つの対立する形式を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。
ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる〈他者〉 (m)Otherに享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。フロイトの受動的ポジションと同様に、である。
これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。(PAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009「古い悪党たちの新しい研究」)
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抑圧概念や去勢概念が寝言ーーすくなくとも二次的なものーーだっただけではなく、エディプス理論も寝言だったのは今ではよく知られている。
ラカンの結論は、エディプス・コンプレックスは、《まったく使いものにならない! C'est strictement inutilisable ! 》(Le séminaire, livre XVII,P.137)である。…彼はつけ加えている。《奇妙なことだ、これがもっとはやく明らかにならなかったのは》、と。エディプス・コンプレックスへの、ラカンの多年にわたる長く詳細な取り組みを考えれば、彼はこの意見を、まずは自分自身に向けて言っているとしてよい。(Russell Grigg, Beyond the Oedipus Complex 、2006ーー「エディプス理論? ありゃ《まったく使いものにならないよ! C'est strictement inutilisable ! 」)
« complexe d'Œdipe » comme étant un rêve de FREUD.(ラカン、S.17)ーーエディプス・コンプレックスはフロイトの夢=寝言だった。抑圧概念も寝言だったと言わなかったようだが、ラカンは遠慮したのか・・・
フロイトは彼が抑圧と呼ぶものにいまだしがみついていた…[Freud avait affaire encore à ce qu'il appelait le refoulement.](L'inconscient et le corps parlant par JACQUES-ALAIN MILLER ,Version du 25 septembre 2014)
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去勢の脅しや仄めかしは…女たちから来る(フロイト『ある幼児期神経症の病歴より(症例狼男)』1918年)
去勢の脅しをするのはたいていは女たちからである。しばしば父親や医者をだしに…使って自分たちの権威を高めようとする。(『エディプス・コンプレックスの崩壊』1924年)
症例ハンスも同じく。すこし綿密に読めば、《ハンス少年の去勢の脅威は、父からではなく、母から来ていることが分かるだろう。》(ヴェルハーゲ、2009)
臨床的にはフロイトは分かっていた、去勢は母から来るということが。だがフロイトは自らの理論に囚われ、母の向うには、エディプスの父がいるという見解に固執した。
母親に殺されてしまう(食われてしまう?)というのはたぶん、驚くべきではあるが、きまっておそわれる不安であるように思われる。(フロイト『女性の性愛について』1931年)
女-母なんてのは、交尾のあと雄を貪り喰っちまうカマキリみたいなもんだよ。(Lacan, Le seminaire, livre X: L' angoisse[1962-63]ーー「子どもを誘惑する母(フロイト)」)
で、やはり母ー女が諸悪の根源なんだろうか?
ラカンの最初のエディプス理論とはこうだ。母は子どもを、ほとんど執念深い deadly 仕方で、享楽する。唯一、父の介入を通してのみ、主体は、母の潜在する致死的 lethal 享楽から救われる。同じ理屈が、三つの宗教書のなかに…見出される。初めにすべての悪の源としてイヴ、次にカトリックの性と女の不安と憎悪、最後にムスリムのベールなどへの強制。女は男を誘惑し破滅させるので、寄せつけないようにしなければならない。
これは次のように読むべきだ。我々自身の享楽、我々の身体から生じる欲動は、享楽的であるだけではなく、我々が統御する必要のある、明らかに脅迫的な何かだ。統御するための最も簡単な方法は、その享楽を他者に帰して、もし必要なら、この他者を破壊することだ。
事実、享楽と他者とのあいだのこの発達的なつながりは、主体にとって、享楽にかんする相克を外部化する道を開く。そうでもしなければ、自身の内部に留まったままになりうる。…
フロイトはくり返し言っている、人は内的な脅威から逃れうるのは、唯一外部の世界にそれを投影することだ、と。問題は享楽の事態に関して、外部の世界はほとんど女と同義だということだ……(ヴェルハーゲ、2009)
フロイトも、そしてラカンも、ある時期までは(セミネール17前後が転回点だとすれば68歳前後までは)ーーこの点に関してはーー旧来因習のなかでその理論を繰り広げた。
モーセはヤハウェを設置し、キリストも同じくヤハウェを聖なる父として設置した。ムハンマドはアラーである。この三つの宗教の書は同時に典型的な男-女の関係性を導入する。そこでは、女は統御されなければならない人格である。なぜなら想定された原初の悪と欲望への性向のためだ。
フロイトもラカンもともに、この論拠の少なくとも一部に従っている。それ自体としては、奇妙ではない。患者たちはこの種の宗教的ディスクールのもとで成長しており、結果として、彼らの神経症はそれによって決定づけられていたのだから。
奇妙なのは、二人ともこのディスクールを、ある範囲で、実情の正しい描写と見なしていることだ。他方、それは現実界の脅迫的な部分ーーすなわち欲動(フロイト)、あるいは享楽(ラカン)--の想像的な加工 elaboration、かつその現実界に対する防衛として読み得るのに。
ラカンだけがこの陥穽から逃れた。とはいえ、それは漸く晩年のセミネールになってからである。私の観点からは、このように女性性を定義するやり方は、男自身の欲動の投影以外の何ものでもない。それは、女性を犠牲にして、欲動に対する防衛システムが統合されたものである。(ヴェルハーゲ、New Studies of Old Villains: A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex、2009、PDFーー女性嫌悪のメカニズム)
とはいえ肝腎なのは、これらの寝言の連発にもかかわらずーーそれにもかかわらずーー、フロイトは偉大な仕事をわれわれに残してくれたということだ。
二十世紀をおおよそ1914年(第一次大戦の開始)から1991年(冷戦の決定的終焉)までとするならば、マルクスの『資本論』、ダーヴィンの『種の起源』、フロイトの『夢解釈』の三冊を凌ぐものはない。これらなしに二十世紀は考えられず、この世紀の地平である。
これらはいずれも単独者の思想である。具体的かつ全体的であることを目指す点で十九世紀的(ヘーゲル的)である。全体の見渡しが容易にできず、反発を起こさせながら全否定は困難である。いずれも不可視的営為が可視的構造を、下部構造が上部構造を規定するという。実際に矛盾を含み、真意をめぐって論争が絶えず、むしろそのことによって二十世紀史のパン種となった。社会主義の巨大な実験は失敗に終わっても、福祉国家を初め、この世紀の歴史と社会はマルクスなしに考えられない。精神分析が治療実践としては廃れても、フロイトなしには文学も精神医学も人間観さえ全く別個のものになったろう。……(中井久夫「私の選ぶ二十世紀の本」初出1997、『アリアドネからの糸』所収)
※抑圧ではなく原抑圧概念はフロイトの今でも生き残る核心だとしても、原抑圧とは結局、原防衛、もしくは原固着であるだろう(参照:原抑圧・原固着・原刻印・サントーム)。
『夢解釈 』1900にて、フロイトが「Kern unseres Wesen (我々の存在の核)」、「mycelium(菌糸体)」、あるいは夢の臍と呼んだものが、原抑圧=原固着である。
※付記
ここでの見解にいささかの保留をつけておけば、フロイトはヴィクトリア朝の厳格な超自我社会で仕事をした。そこでの「抑圧」観点は、当然あってしかるべきで(もっとも防衛概念を維持しつづければより普遍性があったはずだ)、寝言というのは現在の象徴的権威崩壊の時代の観点からの「寝言」ということである。