私は土地の子供たちが小さな魚をとるためにヴィヴォーヌ川のなかに沈めるガラスびんを見るのがたのしかったが、そうしたガラスびんは、なかに川水を満たし、そとはそとで川水にすっぽりとつつまれて、まるでかたまった水のように透明な、ふくれたそとまわりをもった「容器」であると同時に、流れている液状のクリスタルのもっと大きな容器のなかに投げこまれた「内容」でもあって、それが水さしとして食卓に出されていたときよりも一段とおいしそうな、一段と心のいらだつ清涼感を呼びおこした、というのも、そのように川に沈んだガラスびんは、手でとらえることができない、かたさのない水と、口にふくんで味わえない、流動性のないガラスとのあいだに、たえず同一の律動の反復をくりかえして消えてゆくものとしてしかその清涼感をそそらなかったからであった。私はあとで釣竿をもってここへこようと心にきめ、間食のたべもののなかから、パンをすこしねだり、それを小さなパンきれにまるめてヴィヴォーヌ川に投げるのであったが、そんなパンきれだけでそこに過飽和現象をひきおこすには十分であったように思われた、なぜなら、水はパンきれのまわりにただちに固定化して、ぐにゃりとしたおたまじゃくしのかたまりのような卵形の房になったからである、おそらく水は、そのときまで、いつでも結晶させられるようにして、そんな房を、目に見えないように、そっと溶かしてひそめていたのであろう。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳、p.217)
Je m'amusais à regarder les carafes que les gamins mettaient dans la Vivonne pour prendre les petits poissons, et qui, remplies par la rivière, où elles sont à leur tour encloses, à la fois « contenant » aux flancs transparents comme une eau durcie, et « contenu » plongé dans un plus grand contenant de cristal liquide et courant, évoquaient l'image de la fraîcheur d'une façon plus délicieuse et plus irritante qu'elles n'eussent fait sur une table servie, en ne la montrant qu'en fuite dans cette allitération perpétuelle entre l'eau sans consistance où les mains ne pouvaient la capter et le verre sans fluidité où le palais ne pourrait en jouir. Je me promettais de venir là plus tard avec des lignes ; j'obtenais qu'on tirât un peu de pain des provisions du goûter ; j'en jetais dans la Vivonne des boulettes qui semblaient suffire pour y provoquer un phénomène de sursaturation, car l'eau se solidifiait aussitôt autour d'elles en grappes ovoïdes de têtards inanitiés qu'elle tenait sans doute jusque-là en dissolution, invisibles, tout près d'être en voie de cristallisation.
いやあ、実に美しい文章だ・・・。わたくしの手元にある井上究一郎訳の『失われた時を求めて』には、かなりの箇所に傍線が引かれているのだが、この箇所は素通りしていた。
偉大な物語のもたらす快楽は、読むことと読まないことのリズムそのものだ。プルーストやバルザックや『戦争と平和』を逐語的に読んだ者がいるだろうか(プルーストの幸せ、それは、誰も、読むたびに、決して同じ箇所はとばさないことだ)。(ロラン・バルト『テクストの快楽』)
とはいえ、第一巻から容器と内容の比喩がとても美しい形で現われていたとは!
そうしたガラスびんは、なかに川水を満たし、そとはそとで川水にすっぽりとつつまれて、まるでかたまった水eau durcie のように透明な、ふくれたそとまわりをもった「容器 contenant」であると同時に、流れている液状のクリスタルcristal liquide et courant のもっと大きな容器のなかに投げこまれた「内容contenu」
この比喩はプルーストによってくり返される「閉ざされた壺 vases clos」 や「半ば開かれた箱 boîtes entrouvertes」ーードゥルーズが『プルーストとシーニュ』の「箱と壺 Les boîtes et les vases」の章で指摘したーーの比喩のひとつといってよいだろう(もっともドゥルーズはこの二つの比喩を截然と分けているのだが、それはここでは触れない。そもそもわたくしはそんなに截然と分けられるものなのだろうか、と半信半疑のところがある)。
容器の比喩は、プルーストの長い小説のおそらく中心的な箇所のひとつ「ソドムとゴモラ」の「心情の間歇」の章にて、決定的な形で現れるもする。
自我であるとともに、自我以上のもの moi et plus que moi (内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器 le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait)ーー「心の間歇と心の傷」)
「かたまった水/流れている液状のクリスタル」の箇所についてジェラール・ジュネットは次のように記しているそうだ(プルーストにおけるパラドックス ── contenant ⁄ contenu をめぐって── 、國房吉太郎、PDF)
ガラス Verre=固まった水 eau durcie、水 eau =流れる液体のクリスタル cristal liquide et courant──ここでは、典型的にバロック的な技巧によって、接触している物体が互いの述語を交換し合い、プルーストが大胆にも頭韻法と名づけた、あの「相互的隠喩」の関係に入っている。その命名は大胆ではあるが、正当なものだ。なぜなら、 〔頭韻法という〕詩的文彩と同様、この場合も、まさに類比的なるものと隣接的なるものの一致が問題であるから。それは、大胆であると同時に啓示的でもある。なぜなら、ここでの事物間の協和は、まさに最高の純粋テクスト効果である詩句における単語間の協和同様、その流動的で透明な自己例証的連辞──永遠の頭韻法 allitération perpétuelle──のもとに、細心に調整されているのだから。(ジェラール・ジュネット『フィギュールⅢ』)
ところで、これは時の比喩としても成り立つのではないか。
そのとき固まった時とはなにか。流れる時のクリスタルとはなにか。
ドゥルーズは『シネマ』で、「時の結晶」ということを言っているそうだ、《「時間の結晶」(cristal du temps)あるいは「リトルネロ」(ritournelle)》(箭内匡)
我々は日常生活の現実的空間において、 日々の習慣を持ち、 日々の物事を自分なりに組織する生活の場所――それを一種の 「テリトリー」 のようなものと考えてもよいだろう――を持ち、 その中で、 基本的に感覚運動連関の連なりを実践する中で過ごしている。 しかし、 時に我々は、 何らかの理由によって、 そうした習慣の外へ、 テリトリーの外へ、 感覚運動連関の外へ出ること――ドゥルーズの用語を使うなら「脱テリトリー化」(déterritorialisation)――を強いられる。そして、まさにそうした、我々が自らの足がかりを失った場面において、変様の潜在的空間のただ中から、ある旋律、あるイメージ、ある理想、ある文化的規則が、視覚的ないし音響的な「形」として立ち現れてくるのであり、我々はそうした「形」に導かれる中で、再び「テリトリー」を獲得する、つまり「再テリトリー化」(reterritorialisation)のである。それ自体は潜在的な「時間のア・プリオリな形」であったところの、 「時の結晶」あるいは「リトルネロ」は、それによって、我々が住む現実的空間の中で、新たなテリトリーとして具現化することになる。(「映像について何を語るか -ジル・ドゥルーズ『シネマ』をめぐる考察-」 箭内匡,PDF)
リトルネロが時間の結晶と同じものとして扱われるのは『千のプラトー』を表面的に読むだけでは奇妙に感じられるが、後年つぎのような記述があるそうだ。
子供か大人かに関わらず、 また些細なことか大きな試練かに関わらず、我々がいつもテリトリーを探す様子、脱テリトリー化を耐え、あるいは遂行する様子、 思い出でもフェティッシュでも夢でも、 ほとんどあらゆるものに依拠しつつ再テリトリー化する様子を、 見つめなければならない。 リトルネロは、 このような強力なダイナミズムを表現するものだ。 (ドゥルーズとガタリ 『哲学とは何か』)
われわれは、音楽にも映像(イマージュ)にも時の結晶を感じることはあるだろう(それは多くの場合、個人的なもので他人と共有できる「結晶」ではない)。
その《実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。》(ロラン・バルト『明るい部屋』)
失われた時を考えるよう我々を強制する forcent シーニュがある。時の経過 passage du temps・過去にあったものの無化 anéantissement de ce qui fut・存在の交替 altération des êtres を考えさせるシーニュである。それはかつて親しかった人たちに再会したときに顕現 révélationする。なぜなら、彼らの顔は、もはや我々にとって習慣的なものではなくなっているので、純粋な状態での時のシーニュと時の効果 l'état pur les signes et les effets du temps を保っているから。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』p.22 )
「流れる時の結晶」を強烈に感じさせるものは、ロラン・バルトにとってはーーすくなくとも晩年の彼にとってはーー、おそらくシューマンの音楽とともに、写真だった(そして「俳句的なもの」でもあったかもしれない)。
ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋な表象 représentation pure である。p.118ーー「偶然/遇発性(Chance/Contingency)」
夏の宵、なかなか日が暮れないとき、母親たちは小道を散歩していた。子どもがそのまわりでじゃれていて、まさに祭りだった。(『彼自身によるロラン・バルト』)
この文はバルトが「想起記述」と呼ぶもののひとつだが、バルトの「俳句」である。
私が《想起記述》を呼んでいるものは、被験者が、稀薄な思い出を《拡大もせず、それを振動させることもなしに》ふたたび見いだすためにおこなう作業―――享楽と努力の混合―――である。それは俳句そのものだ。《伝記素》とは、つくりものの想起記述以外の何ものでもない。私が自分の愛する著作者に想定する想起記述である。
これらのいくつかの想起記述は、程度の差はあるがともかく、みな《つや消し》である(意味作用を発揮していない、すなわち意味を免除されている)。それらをうまくつや消しのものにすることに成功すればそれだけ、それらは想像界からうまく逃れることになる。(『彼自身によるロラン・バルト』)
シーニュとは裂けめでありそれを開いてもべつのシーニュの顔がみえるだけである Le signe est une fracture qui ne s'ouvre jamais que sur le visage d'un autre signe(ロラン・バルト『記号の国』(シーニュの帝国 L'Empire des signes)
◆Schumann - Gesäng der Frühe - I. In ruhigen tempo
ただ一度だけ、写真が、思い出と同じくらい確実な感情を私の心に呼びさましたのだ。それはプルーストが経験した感情と同じものである。彼はある日、靴を脱ごうとして身をかがめたとき、とつぜん記憶のなかに祖母の本当の顔を認め、《完璧な無意志的記憶によって、初めて、祖母の生き生きした実在を見出した》のである。シュヌヴィエール=シュル=マルヌの町の名も知れぬ写真家が、自分の母親(あるいは、よくわからないが、自分の妻)の世にも見事な一枚の写真を遺したナダールと同じように、真実の媒介者となったのだ。その写真家は、職業上の義務を超える写真を撮ったのであり、その写真は、写真の技術的実体)から当然期待しうる以上のものをとらえていたのだ。さらに言うなら(というのも、私はその真実が何であるかを言おうとつとめているのだから、この「温室の写真」は、私にとって、シューマンが発狂する前に書いた最後の楽曲、あの『朝の歌』の第一曲のようなものだった。それは母の実体とも一致するし、また、母の死を悼む私の悲しみとも一致する。この一致について語るためには、形容詞を無限に連ねていくしかないだろう。…(ロラン・バルト『明るい部屋』)
…………
※付記
ーープルーストの壺と半ば開かれた箱の比喩のいくつか。
【壺】
……その境界はいっそう絶対的なものになった、というのは、おなじ日の、おなじ散歩に、二つのほうに出かけたことはけっしてなく、あるときはメゼグリーズのほうへ、またあるときはゲルマントのほうへ行ったそんな私たちの習慣が、そのふたつをたがいに遠くへひきはなし、たがいに不可知の状態に置き、別々の午後という、双方のあいだに流通のない、封じられたつぼ vase clos とつぼとのなかに、その二つをとじこめていたからであった。(……)
コンブレーの周辺には、散歩に出るのに二つの「ほう」があった、そしてこの二つの方向はまるで反対なので、どちらへ行こうとするときも、おなじ門から家を出るということは実際はなかった……(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)
やがて表通の物音がはじまるだろう、それらの物音は、たえず増してゆく暑気のなかにひびきながら、それぞれの音色のちがいに応じて、暑気の度合を読みとらせるだろう。しかし数時間後にさくらんぼの匂がこもっているであろうその暑気のなかに、このとき私が見出していたのは(たとえばある薬品で、その構成分子の一つを他の分子ととりかえるだけで、いままで安定剤や興奮剤であったものから、気力減退を来たすものになってしまうように)、もはや女たちへの欲望ではなくて、アルベルチーヌが家を出ていったことにたいする苦悩だった。といっても、私のあらゆる欲望の回想には、快楽の回想とおなじほど、彼女と苦しみとがしみこんでいた。彼女がそばにいるのでは私におもしろくなかろうと思われたヴェネチア(そう思われたのは、そこに行けば彼女が必要になってくることを私が漠然と感じていたからに相違ないが)、そのヴェネチアへも、アルベルチーヌがいなくなったいまは、かえって行きたくなかった。私とあらゆるものとのあいだに介在する障害物、そのように彼女が私に思われたのは、私にとって彼女はあらゆるものをふくむ容器(壺 vase)であって、びん(壺)からそそがれるものを受けるように、私は彼女からあらゆるものを受けることができたからである。そのびん(壺)がこわれてしまった ce vase était détruit いま、私はもうそれらのものをとらえる気にはならず、そこには私が顔をそむけないようなものは何一つなく、私は気もくじけ、それらのどれにも食指を動かしたくはなかった。(「逃げさる女」)
【半ば開かれた箱】
……突如としてある屋根が、石の上のある日ざしが、ある道の匂が、私の足をとめさせるのであった、というのもそれらが私にある特別の快感をあたえたからであり、またおなじくそれらが、私に何かをとりだすようにさそっているのにどう努力しても私に発見できないその何かを、私が目にするもののかなたにかくしているように思われたからであった。私はそのかくされている何かが、それらの屋根や日ざしや匂のなかにあると感じたので、その場にとどまって、じっと動かず、目を見張り、息をはずませ、私の思考とともにその映像やその匂のかなたに突きすすもうと努力した。そして、いそいで祖父に追いついて散歩の道をたどらなくてはならなくても、私は目をとざしてそれらのものをふたたび見出そうとつとめ、その屋根の線、その石の色あいを、正確に思いだそうと懸命になった、―――それらのものは、私にはなぜだかわからなかったが、充実し、ひらきかかり、それらがそとのふたにしかなっていないその中身を私にひきわたそうとしていた、という気がしたからなのであった。(「スワン家のほうへ」)
je m'attachais à me rappeler exactement la ligne du toit, la nuance de la pierre qui, sans que je pusse comprendre pourquoi, m'avaient semblé pleines, prêtes à s'entr'ouvrir, à me livrer ce dont elles n'étaient qu'un couvercle
しかし結局シャルリュス氏がやってこないときは、世のありきたりの人間と乗りあわせているにすぎないという失望感、自分のかたわらに、顔を塗りたくった、太鼓腹の、そしてあまり胸襟を開かない、あのもったいぶった人物がいないという物足りなさがあったのであり、そういう彼は、いわばえたいのしれない異国産の果物の箱 boîte de provenance exotique et suspecte のようなもので、奇妙な匂を発散させて、その果物をたべようと思っただけでこちらの胸をぐっと刺激するのだった。(「ソドムとゴモラⅡ」)
昔のある春に耳にした小鳥のさえずりをふたたびきけば、一瞬われわれは、絵をかくときに小さなチューブ petits tubes から絵具を出す tirer ように、過ぎさった日々の、忘れられた、神秘な、新鮮な、正しい色あいをひきだすことができるのであって、それまでは、下手な画家のように、おなじ一つの画面の上にひろげられたわれわれの過去の全体に、意志的記憶 mémoire volontaire の慣例的な、どれも似たりよったりの色調をあたえていて、そのようなとき、われわれは過ぎさった日々を思いだしていると信じていたのであった。(「ゲルマントのほうⅠ」)
そんな当時のゲルマントの名は、酵素またはほかの気体を満たしたあの小さな風船の一つのようでもある le nom de Guermantes d'alors est aussi comme un de ces petits ballons dans lesquels on a enfermé de l'oxygène ou un autre gaz、私がそれをやぶって、なかにはいっているものを発散させると、私はその年、その日のコンブレ―の空気を呼吸するのであって、その空気は、雨のまえぶれのように広場のすみを吹く風によってかきたてられるさんざしの匂をまじえているし、その風はまた、聖容器室の赤いウールのカーペットから日ざしをとびたたせるかと思うと、こんどはふたたびそのカーペットの上に日ざしをひろげ、ゼラニウムのばら色に近いあかるい肉色と、祭礼にいかにも高貴さをそえる歓喜のなかのいわばワグナー的なやさしさとで、そのカーペットを被うのであった。(「ゲルマントのほうⅠ」)
壺と箱は、言ってしまえば、おいどとおそそのようなものかもしれないが、現代ではおいどのほうもなかば開かれていることが多いだろう・・・
男「え、ここか」 女「あ、あかんて、そこおいどやし」 男「ほなら、こっちか。ここやろ。ねぶったるわ。ここ何て言うんや。言うてみ。」 女「おそ… もう、いけずやわあ。うちそんなん、よう言わん。」(京都の言葉)
…………
多くの場合、相手が変質をきたすのは言語活動を通じてである。あの人がなにか異質の語を口にする、そしてわたしは、あの人の世界が、まったき別の世界の全体が、おそろしげなざわめきを立てるのを聞く。アルベルチーヌが何気なく口にした「壺をこわされる me faire casser le pot」という陳腐な表現に、プルーストの語り手はおぞけをふるっている。というのも、そこに突然あからさまになったのが、女性同士の同性愛という、露骨な漁色のおどろおどろしたゲットーであったからだ。それは、言語活動の鍵穴からのぞかれた場面にほかならない。語とは、猛烈な化学変化を惹き起こす微細物質のようなものである。わたし自身のディスクールというまゆの中で長く抱かれつづけてきたあの人が、今、何気なく洩らした語を通じて、さまざまの言語が借用可能であることを、つまりは第三者から貸し与えられた言語を、聞かせているのである。(ロラン・バルト『恋愛のディスクール』「変質altération」の項より 三好郁朗訳)
「まっぴらだわ! むだづかいよ、一スーだって、あんな古くさい夫婦のためなら。それよりも私にはうれしいの、一度だけでも自由にさせてくださるほうが、割ってもらいに行くために pour que j'aille me faire casser le ……」とっさに彼女の顔面は赤くなった、しまったというようすで片手を口にあてた、いま口にしたばかりの言葉、私には一向意味がわからなかった言葉を、口のなかにもどそうとするかのように。「いまどういったの、アルベルチーヌ?」――「いいえ、なんでもないの、私ふらっとねむくなったの。」――「そうじゃない、はっきり目がさめてますよ。」――「ヴェルデュランをむかえての晩餐会のことを考えていたの、あなたからのお申出、とてもありがたいわ。」――「そうじゃなくて、ぼくがきいているのは、さっきあなたがなんといったかですよ。」彼女は何度も言いなおしたを試みたが、どうもぴったりとあてはまらなかった。彼女がいった言葉にあてはまらなかったというのではなくて、彼女がいった言葉は中断され、私にはその意味があいまいだったから、言葉そのものにではなく、むしろその言葉の中断と、それに伴ったとっさの赤面とに、ぴったりとあてはまらないのであった。「いやあ、どうもあなた、そうじゃないな、さっきいおうとした言葉は。でなきゃなぜ途中でやめたの?」――(……)彼女の釈明は私の理性を満足させなかった。私はしつこく言いたてることをやめなかった。「まあいいから、ともかく元気を出してあなたがいおうとした文句をおわりまでいってごらん、割るcasser とかなんとかでとまってしまったけれど……」――「いやよ! よして!」――「だって、どうして?」--「どうしてって、ひどく品がわるくて、はばかられるんですもの、あなたのまえで口にするのは。よくわからないの、私何を考えていたのか、その言葉の意味もよくわからないくせに、いつだったか、人通りのなかで、ひどく下品な人たちがいっているのを耳にしたそれが口に出たんですの、なぜということもなく。なんの関係もありません、私にも、ほかの誰にも。私寝言をいってたのね。」(プルースト「囚われの女」 井上究一郎訳)
女が三人、壺を持って、涌き井戸のまわりに腰を下ろしている
大きな赤い葉っぱが、髪にも肩にも止まっている
鈴懸の樹の後ろに誰かが隠れている
石を投げた。壺が一つ壊れた
水はこぼれない。水はそのまま立った
水は一面に輝いて我々の隠れているほうをみつめた。
ーーーヤニス・リッツォス「井戸のまわりで」中井久夫訳
アンドレを見つめているうちに、これまで何度も想像しようと努力してきてやっとかいま見たと思った、あのアルベルチーヌの快楽、それのあらわれを、こんどはべつのときに、目によってではなく耳によって、とらえたと思ったことがあった。私はアルベルチーヌがよく行ったというある地区の洗濯屋の二人の小娘を、ある売春宿にこさせたのであった。その一人に愛撫されたもう一人の小娘が突然何やら口にしはじめたとき、それがなんのことか、最初私にはよくききわけられなかった、なぜなら、人は自分の経験していない感覚が発する独自な一くせある音声の意味を、けっして正確につかむものではないからである。隣室にいて人が何も見ずにきくとき、麻酔で眠らせられずに手術を受ける患者が放つ苦痛の声を、人はばか笑とまちがえることがある。また、子供がたったいま死んだときかされる母親の口から出てくる声についても、われわれが事情を知らなければ、そこに人間的な解釈を適用することが困難なのは、獣とか竪琴とかからきこえてくる音の場合とおなじである。上に挙げた患者と母親との二つの声があらわしているのは、われわれ自身がそれまでに知ることのできた、しかしこの場合とはちがった感覚との類推によって、われわれが苦しみと呼んでいるものである、ということを理解するには、いささか時間の余裕を必要とするのである。したがって、くだんの小娘の口から出た音声があらわしていたのは、私自身がそれまでに知っていてこの場合とはちがっていた感覚との同様の類推によって、私が快楽と呼んだものである、ということを理解するには、私にとってもやはり時間の余裕を必要としたのであった。しかも、その快楽は、よほど強烈なものであったにちがいなく、それを感じている女を極度にふるえわななかせ、口からは未知の言葉をしきりに吐きださせていた。その未知の言葉は、この小さな女が身をもって演じている快い劇の全局面をはっきりコメントしているように思われるが、その劇を私の目からかくしているのは、当の女以外の者にたいして永久におろされた幕で、その見えない舞台はそれぞれの女の内密の神秘のなかに経過してゆくのである。(プルースト「逃げさる女」井上究一郎訳)