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2016年12月23日金曜日

女性嫌悪 misogyny をめぐって

WikiPediaの「女性嫌悪」の項には、次のような記述がある。

ミソジニー (英:misogyny) とは、女性や女らしさに対する嫌悪や蔑視の事である。女嫌い、女性嫌悪、女性蔑視などともいう。ギリシア語の μισος misos (嫌悪、憎しみ)と γυνε gune(女性)から由来し、女性を嫌悪する男性をミソジニスト(misogynist)と呼ぶ。

日本語版ではあまり多くは記されていないが、英語版 WikiPedia をみるととても由緒のある語であることが瞭然とする。

ミシェル・フーコーのよき友人だった古代ローマ史専門家(アナール派)のポール・ヴェーヌPaul Veyne は、コレージュ・ド・フランス講義1977-78で、古代ローマにおけるセクシュアリティと家族をテーマにした。

ヴェーヌの結論は、後期ローマ帝国ではほとんど何でも許され、近親相姦さえほとんど存在しなかったと。それは愉快な仲間たちのあいだで屁をひる程度にものだと考えられていた。そして唯一、醜聞として拒絶されたことは、受動性(受け身になること)だ、と。

さて表題を「女性嫌悪misogyny をめぐって」としたが、もちろんある立場から「のみ」の、しかもいくらかの文献列挙に終始する。

ただし、これらの資料は「受動性」--ラカンがフロイトの遺言と呼んだ『終りある分析と終りなき分析』1937に出現する、「受動的立場 passive Einstellung」、「女性性の拒否 Ablehnung der Weiblichkeit」という表現のまわりを巡っていることには間違いない。すなわち、以下の資料から判断できる核心、少なくともそのひとつは、女性嫌悪の起源は受動的立場の嫌悪である、ということに殆ど等しい。つまりはポール・ヴェーヌの見解に結びつく。そして我々人間のほとんど誰もが母なる大他者に支配されてーー受動的な立場に置かれてーーその生を出発する。


【前奏】
精神分析は入り口に「女性というものを探し求めないものはここに入るべからず」と掲げる必要はありません。というのも、そこに入ったら幾何学者でもそれを探しもとめるのです。(ミレール「もう一人のラカン」)
あまりにも顕著なのは、現代のジェンダー研究において、欲動とセクシャリティへの関心がいかに僅かしか差し向けられていないか、である。(Paul Verhaeghe, Phallacies of binary reasoning: drive beyond gender, 2004、PDF
男は誰に恋に陥るのか? 彼を拒絶する女・つれないふりをする女・決してすべてを与えることをしない女に恋に陥る。(ポール・バーハウ、Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe、1998、PDF
女は口説かれているうちが花。落ちたらそれでおしまい。喜びは口説かれているあいだだけ。Women are angels, wooing: Things won are done; joy's soul lies in the doing.( シェイクスピア、Troilus and Cressida)
人が何かを愛するのは、その何かのなかに近よれないものを人が追求しているときでしかない、人が愛するのは人が占有していないものだけである。(プルースト「囚われの女」)
ファウスト

もし、美しいお嬢さん。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんではございません。美しくもございません。
送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

(……)

ファウスト

途方もない好い女だ。
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。
それからあの手短に撥ね附けた処が、
溜まらなく嬉しいのだ。(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)


 【基礎篇】
構造的な理由により、女の原型は、危険な貪り食う大他者と等価である。その大他者とは原初の母であり、元来彼女のものであったものを奪い返しうる存在である。したがって純粋な享楽の元来の状態を回復させようとする。これが、セクシュアリティがつねに《魅惑と戦慄 fascinans et tremendum》の混淆である理由である。すなわちエロスと死の欲動(タナトス)の混淆。このことが説明するのは、セクシュアリティそれ自体の内部での本質的な葛藤である。どの主体も彼が恐れるものを恋焦がれる。すなわち、熱望するものは、享楽の原初の状態である。

この畏怖に対する一次的な防衛は、このおどろおどろしい存在に去勢をするという考えの導入である。すなわち名状し難い、それゆえ完全な欲望の代りに、彼女が特定の対象に満足できるように、と。この対象の元来の所持者であるスーパーファザー(享楽の父)の考え方をもたらすのも同じ防衛的な身ぶりである。ラカンは、これをよく知られたメタファーで表現している。《母はあなたの前で口を開けた大きな鰐である。ひとは、彼女はどうしたいのか、究極的にはあんぐり開けた口を閉じたいのかどうか、分からない。これが母の欲望なのだ(……)。だが顎のあいだには石がある。それが顎が閉じてしまうのを支えている。これが、ファルスと名づけられるものである。それがあなたを安全に保つのだ、もし顎が突然閉じてしまっても。》(セミネール17)

これは、スフィンクスとその謎に直面した状況を我々に想い起こさせる。スフィンクスはあなたを貪り食うだろう、もしあなたが正しい答え、すなわち、正しいシニフィアンをもたらさなかったら。実のところ、我々は具体的な女について話しているわけではもはやない。逆に全ての女は、二重の仕方でこの姿形の餌食になるのだ。主体として、彼女はこのおどろおどろしい形象に直面する(すなわち女も男と同じように、生れたときは母の欲望に直面する:引用者[後引用])。さらに女として、彼女はこの畏怖すべき形象の姿を纏わせられる。

あなたがこのおどろおどろしい女性の姿形の説明を知りたいのなら、カミール・パーリアの書物、『性のペルソナ』をにおける性と暴力をめぐる最初の章を読んでみるだけでよい。彼女は正しく、この姿形と自然自体とを同一化している。もしこの姿形に直面した男性の不安の臨床的な説明を読みたいなら、オットー・ヴァイニンガーの『性と性格 Geschlecht und Charakter』を、ジジェクのコメントとともに読んでみよう。この二つとも意図されずに、臨床的な事実の説明となっている。すなわちおどろおどろしい女性の姿形は、防衛的な機能を伴ったア・ポステリオリな構築物であるという事実を明かしている。(ポール・バーハウ1995,NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL, Paul Verhaeghe,PDF

◆カーミル・パーリア「性のペルソナ」より
女に対する(西欧の)歴史的嫌悪感には正当な根拠がある。(女性に対する男性の)嫌悪は生殖力ある自然の図太さに対する理性の正しい反応なのだ。理性とか論理といったものは、天空の最高神であるアポロンの領域であり、不安(に抗する為に)から生まれたのだ。………
西欧文明が達してきたものはおおかれすくなかれアポロン的である。アポロンの強敵たるディオニュソスは冥界なるものの支配者であり、その掟は生殖力ある女性である。その典型的なイメージはファンム・ファタール、すなわち男にとって致命的な女のイメージである。宿命の女(ファンム・ファタール)は自然の精神的両義性であり、希望に満ちた感情の霧の中にたえず射し込む、悪意ある月の光である。………
宿命の女は虚構ではなく、変わることなき女の生物学的現実の延長線上にある。ヴァギナ・デンタータ(歯の生えたヴァギナ)という北米の神話は、女のもつ力とそれに対する男性の恐怖を、ぞっとするほど直観的に表現している。比喩的にいえば、全てのヴァギナは秘密の歯をもっている。というのは男性自身(ペニス)は、(ヴァギナに)入っていった時よりも必ず小さくなって出てくる。………
社会的交渉ではなく自然な営みとして(セックスを)見れば、セックスとはいわば、女が男のエネルギーを吸い取る行為であり、どんな男も、女と交わる時、肉体的、精神的去勢の危険に晒されている。恋愛とは、男が性的恐怖を麻痺させる為の呪文に他ならない。女は潜在的に吸血鬼である。………
自然は呆れるばかりの完璧さを女に授けた。男にとっては性交の一つ一つの行為が母親に対しての回帰であり降伏である。男にとって、セックスはアイデンティティ確立の為の闘いである。セックスにおいて、男は彼を生んだ歯の生えた力、すなわち自然という雌の竜に吸い尽くされ、放り出されるのだ。………
エロティシズムは社会の一番柔らかい部分であり、そこから冥界的自然が侵入する。………

(性的な意味合いでの)自然とは、食うもの(食物連鎖の上、女を指す)と食われるもの(食物連鎖の下、男を指す)が繰り広げるダーウィン的な見世物である。生殖(性交)はどの側面を見ても食欲に支配されている。性交は接吻から挿入にいたるまでほとんど制御できない残酷さと消耗からなる。人間は妊娠期間が長く、子供時代もまた長く、子供は七年以上も自立することができない。この為に男たちは死ぬまで、(女性への)心理的依存という重荷を背負い続けなければならない。男が女に呑み込まれるのを恐れるのは当然だ。女は(自然を忘れた男を罰して食ってしまう)自然の代行人なのだから。(カーミル・パーリア「性のペルソナ」)


◆ジジェク=オットー・ヴァイニンガー=カフカ、1991
……Kは審問室に入り、判事席の前で熱弁をふるうが、それは猥褻な闖入によって邪魔される。そのとき、Kは洗濯女が法に対して重要な立場にいることを知る。

《そのとき、Kの熱弁はホールの向こう端から聞こえた金切り声によって中断される。何が起きたのかを見ようとして、彼は眼の上に手をかざした。部屋の湿気と鈍い日光のせいで、白い霧のようなものがたちこめていたのだ。騒ぎを起こしたのはあの洗濯女だった。Kは、彼女が部屋に入ってきたときから、なにか騒ぎを引き起こすかもしれないと予感していた。悪いのが彼女かどうかは、わからなかった。Kに見えたのは、ひとりの男が彼女を扉の近くの隅まで引きずっていき、抱きしめていることだけだった。ただし声をあげたのは彼女ではなく男のほうだった。彼は口を大きくあげて、天井を見上げていた。》(カフカ『審判』)

それでは、この女と法廷との間にはどんな関係があるのだろうか。カフカの小説では、「心理学的類型」としての女はオットー・ヴァイニンガーの反フェミニズム的イデオロギーとぴったり一致している。すなわち、女は本来の自己をもたぬ存在であり、倫理的な態度をとることができないし(倫理的な根拠にもとづいて行為をしているように見えるときですら、彼女は自分の行為から引き出す享楽を計算している)、真実の次元にけっして近づくことのない存在である(彼女の言うことが文字通り真実だとしても、その主観的立場の帰結として彼女は嘘をついていることになる)。そのような存在に関しては、彼女は男を誘惑するために愛しているふりをする、と言うだけでは不十分である。なぜなら、この見せかけの仮面の裏には何もないということが問題なのだから。仮面の裏には、彼女の実体そのものである、ねばねばした不潔な享楽しかないのである。そうした女性のイメージに直面したカフカは、ありふれた批判的・フェミニスト的誘惑(つまり、このイメージが特殊な社会的条件のイデオロギー的産物であることを明らかにしたい、あるいは別のタイプの女性のイメージと比較した、という誘惑)には屈しない。それよりもはるかに価値転倒的な身振りで、カフカは「心理学的類型」としてのヴァイニンガー的な女性像を全面的に受け入れ、それを、前代未聞の、前例のない場所に立たせる。その場所とは、法の場所である。スタッハがすでに指摘しているように、おそらくこれが、カフカの基本的戦略である。すなわち、女性的「実体」(「心理学的類型」)と法の場所を短絡させることである。でんとうてきには純粋で中立的な普遍性であった法が、猥雑な生命力に彩られ、享楽に貫かれた、さまざまな異物からなる、一貫性の欠如したプリコラージュの特徴を帯びるのである。(ジジェク『斜めから見る』P277-278)


【経験論篇】
…もう一つ書きたいと思ったのは、男にとって女とは何かです。母親ではあるんですよ。“一切の女人、これ、母親なり”という、仏典か何かにあるんだそうですね。例えば戦争中に戦地へ送り込まれた兵隊の間で、母親信仰というのが強かったと聞きます。

僕も母親と姉とに引かれて走っているわけですよ。逃げている周りに、やっぱり女性は多かった。これはもういかんというときに、女たちに包まれる。その感覚は成人しても濃厚に残っている。

だから、男女のこと、いわゆるエロティシズムのことだけじゃなくて、男が女に生命を守られるという境。それからもう一つ、女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。(古井由吉「すばる」2015年9月号)
母の影はすべての女性に落ちている。つまりすべての女は母なる力を、さらには母なる全能性を共有している。これはどの若い警察官の悪夢でもある、中年の女性が車の窓を下げて訊ねる、「なんなの、坊や?」

この原初の母なる全能性はあらゆる面で恐怖を惹き起こす、女性蔑視(セクシズム)から女性嫌悪(ミソジニー)まで。((Paul Verhaeghe,Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE,1998)
なにが起こるだろう、ごくふつうの男、すなわちすぐさまヤリたい男が、同じような女のヴァージョンーーいつでもどこでもベッドに直行タイプの女――に出会ったら。この場合、男は即座に興味を失ってしまうだろう。股間に萎れた尻尾を垂らして逃げ出しさえするかも。精神分析治療の場で、私はよくこんな分析主体(患者)を見出す、すなわち性的な役割がシンプルに転倒してしまった症例だ。男たちが、酷使されているとか、さらには虐待されて、物扱いやらヴァイブレーターになってしまっていると愚痴をいうのはごくふつうのことである。言い換えれば、彼は女たちがいうのと同じような不平を洩らす。男たちは女の欲望と享楽をひどく怖れるのだ。だから科学的なターム「ニンフォマニア(色情狂)」まで創り出している。これは究極的にはヴァギナ・デンタータ(「有歯膣」)の神話の言い換えである。 (Love in a Time of Loneliness  THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE  Paul Verhaeghe)


【宗教書篇】
彼女は反ユダヤ主義者ではない、ちがうさ、いやはや、でもやっぱり聖書によって踏みつぶされたのが何かを見出すべきだろう …別のこと… 背後にある …もうひとつの真実を…

「それなら、母性崇拝よ」、デボラが言う、「明らかだわ! 聖書がずっと戦っているのはまさにこれよ …」

「そうよ、それに何という野蛮さなの!」、エドウィージュが言う。「とにかくそういったことをすべて明るみに出さなくちゃならないわ …」(ソレルス『女たち』)

ーーデボラは、ソレルスのパートナー、クリステヴァがモデルとされている。

ラカンの最初のエディプス理論とは次のような形で説明されている。母は子供を、ほとんど致死的な deadly 仕方で享楽する。主体は唯一、父の介入を通してのみ、母による潜在的に命取りのlethal 享楽から救われる。

同じ理屈が、三つの宗教書のなかに漸増する形で見出される。初めにすべての悪の源としてイヴ、次にカトリックの性と女への不安と憎悪、最後にムスリムのベール等への強制。

すなわち女は男を誘惑し破滅させるので、寄せつけないようにしなければならない、ということである。これは次のように読むべきだ。我々自身の享楽、我々の身体から生じる欲動は、享楽的であるだけではなく、我々が統御する必要のある、明らかに脅迫的な何かだ。統御するための最も簡単な方法は、その享楽を他者に帰して、もし必要なら、この他者を破壊することだ、と。

事実、享楽と他者とのあいだの、この発達的に基礎付けられる繋がりは、主体にとって享楽にかんする相克を外部化する道を開く。そうでもしなければ、自身の内部に留まったままになりうる。…

フロイトはくり返し言っている、人は内的な脅威から逃れうるのは、唯一外部の世界にそれを投影することだ、と。問題は享楽の事態に関して、外部の世界はほとんど女と同義だということである…。(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex,2009)
注) 我々の現代的西欧社会では、最初の世話役は父でありうるし、ジェンダーの平等が多かれ少なかれ成就している。その社会では、男たちに向かっての女たちからの同じ反応を漸次、観察できるようになった。すなわち、男たちのエロティックな魅力の見せびらかしを非難しつつ、同時に、自らの欲動と享楽を見て見ぬふりをする女たちである。(同ポール・バーハウ、2009)
モーセはヤハウェを設置し、キリストも同じくヤハウェを聖なる父として設置した。ムハンマドはアラーである。この三つの宗教の書は同時に典型的な男-女の関係性を導入する。そこでは、女は統御されなければならない人格である。なぜなら想定された原初の悪と欲望への性向のためだ。

フロイトもラカンもともに、この論拠の少なくとも一部に従っている。それ自体としては、奇妙ではない。患者たちはこの種の宗教的ディスクールのもとで成長しており、結果として、彼らの神経症はそれによって決定づけられていたのだから。

奇妙なのは、二人ともこのディスクールを、ある範囲で、実情の正しい描写と見なしていることだ。他方、それは現実界の脅迫的な部分ーーすなわち欲動(フロイト)、あるいは享楽(ラカン)--の想像的な加工 elaboration、かつその現実界に対する防衛として読み得るのに。

ラカンだけがこの陥穽から逃れた。とはいえ、それは漸く晩年のセミネールになってからである。私の観点からは、このように女性性を定義するやり方は、男自身の欲動の投影以外の何ものでもない。それは、女性を犠牲にして、欲動に対する防衛システムが統合されたものである。(ポール・バーハウ、New Studies of Old Villains: A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex、2009、PDF

《ラカンだけがこの陥穽から逃れた》とあるが、いかに逃れたのかの詳細説明は、「エディプス理論? ありゃ《まったく使いものにならないよ! 」を見よ。

父子関係は、子の母親すなわち配偶者を大切にすることから始まる(……)。たしかに、配偶者との親密関係を保てない父が自然でよい父子関係を結べることはないだろう。また、父もいくらかは、“母”である。現実の母の行きすぎや不足や偏りを抑え、補い、ただすという第二の母の役割を果たすことは、核家族の現代には特に必要なことであり、自然にそうしていることもしばしばある。ただ、父子関係には、ある距離があり、それが「つつしみ」を伝達するのに重要なのではないだろうか。このようなものとして、父が立ち現れることはユニークであり、そこに意味があるのではないだろうか。

「つつしみ」といったが、それは礼儀作法のもっと原初的で包括的なものである。ちなみに「宗教」の西欧語のもとであるラテン語「レリギオ」の語源は「再統合」、最初の意味は「つつしみ」であったという。母権的宗教が地下にもぐり、公的な宗教が父権的なものになったのも、その延長だと考えられるかもしれない。ローマの神々も日本の神々も、威圧的でも専制的でもなく、その前で「つつしむ」存在ではないか。母権的宗教においては、この距離はなかったと私は思う。それは、しばしば、オルギア(距離のない狂宴)を伴うのである。母親の名残りがディオニュソス崇拝、オレフェウス教として色濃く残った古代ギリシャでは「信仰」はあるが「宗教」にあたる言葉がなかったらしい。

宗教だけではない。ヒトの社会に「父」が参加したのは、始まりは子育ての助手としてであったというが、この本来の父の役割は、家族から社会、部族、国家へと転用された。この拡大は農耕社会に始まり現状に至っていると私は思う。父は狩人から始めて戦士となり航海者となり官僚となりサラリーマンとなった。そして国家、部族、地域社会はそれ自体が父親的である。しかし元来の父の役割はそうではなかったと私は思う。父を家の外に誘い出すことによって、家庭の父の役割は薄くなった。狩猟には父は息子とともに参加したのであろうが、おそらく農耕社会以後の父の実態は核家族と大家族と社会の三つの世界に引き裂かれた存在である。「レリギオ」はギリシャ哲学をラテン世界に紹介したキケロによって「良心」の意味に使われた。つまり「超自我」にこの名が与えられたのである。それがほどなく「宗教」の意味になったのは周知のとおりである。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」『時のしずく』所収)


【古典的理論編】
本源的に抑圧されているものは、常に女性的なるものではないかと疑われる。(Freud, 25. Mai 1897,Draft M)
私は、「女性性の拒否Ablehnung der Weiblichkeit」は人間の精神生活の非常に注目すべき要素を正しく記述するものではなかったろうかと最初から考えている。(……)「受動的立場 passive Einstellung 」はやっきとなって抑圧されるものである。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』1937)
容易に観察されるのは、性愛の領域ばかりではなく、心的体験の領域においてはすべて、受動的にうけとられた印象が小児には能動的な反応を起こす傾向を生みだす、ということである。以前に自分がされたりさせられたりしたことを自分でやってみようとするのである。それは、小児に課された外界を征服しようとする仕事の一部であって、苦痛な内容をもっているために小児がそれを避けるきっかけをもつこともできたであろうような印象を反復しようと努める、というところまでも導いてゆくかもしれないものである。小児たちの遊戯もまた、受動的な体験を能動的な行為によって補い、いわばそれをこのような仕方で解消しようとする意図に役立つようになっている。医者がいやがる子供の口をあけて咽喉をみたとすると、家に帰ってから子供は医者の役割を演じ、自分が医者に対してそうだったように自分に無力な幼い兄弟をつかまえて、暴力的な処置をくりかえすのである。受動的なことに反抗し能動的な役割を好むということが、この場合は明白である。(フロイト『女性の性愛について』)
幼い女児が母親を洗ってやったり、着物を着せてやったり、またはお手洗いにゆくようにしたりしたがるという話を、まれには聞くことがある。女児がまた、時には「さあ遊びましょう、わたしがお母さん、あなたは子供よ」などということさえある、――しかしたいていはこのような能動的な願望を、人形を相手に、自分が母親となり人形を子供にした遊ぶという、間接的な仕方でみたしているのである。人形遊びを好むことは女児の場合、男児とは違って早くから女らしさがめばえたしるしだと考えられるのが普通である。それは不当ではないにしても、しかしここに現れているのは女児の偏愛はおそらく、父親という対象をまったく無視する一方では排他的に母親に愛着していることを証明するものであるということ、を見逃してはならない。(フロイト『女性の性愛について』)
小さなクララは歯医者に行かねばならない。兄ーー既に10歳で、クララにとってある種の権威の人物であるーーは彼女をひどく脅かした。注射、ドリル、不快な騒音、ひどい苦痛、と。けれどクララは怯まず(比喩的に)歯を食いしばった。家に戻ると、人形相手に同じ遊戯をした、何週間も続けて、だ。歯医者のゲーム、クララは歯医者。この例は幻想の機能を示している。以前に比べてよりよい役を演じるために台本を書き換える。二等兵の役割は通り過ぎる。「よりよい」の意味はふつう、受動的・隷属的の代わりに、能動的・支配的であることである。現実において幻想へと踏み込む歩みは、ほんの半歩先でしかない。幻想には、我々の誰もが、己れの世界のディレクターとなる効果がある。それは「役」を与え、「俳優」を選択する。我々の現実は、虚構の構造をもっている。(ポール・ヴェルハーゲ、Love in a Time of Loneliness THREE ESSAYS ON DRIVE AND DESIRE,1998,PDF)
子どもの最初のエロス対象は、彼(女)を滋養する母の乳房である。愛は、満足されるべき滋養の必要性への愛着に起源がある。疑いもなく最初は、子どもは乳房と自分の身体とのあいだの区別をしていない。乳房が分離され「外部」に移行されなければならないときーー子どもはたいへんしばしば乳房の不在を見出す--、彼(女)は、対象としての乳房を、原初の自己愛的リビドー備給の部分と見なす。

最初の対象は、のちに、子どもの母という人影のなかへ統合される。その母は、子どもを滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子どもに引き起こす。子どもの身体を世話することにより、母は、子どもにとっての最初の「誘惑者」になる。この二者関係には、母の重要性の根が横たわっている。ユニークで、比べもののなく、変わりようもなく確立された母の重要性。全人生のあいだ、最初の最も強い愛-対象として、のちの全ての愛-関係性の原型としての母ーー男女どちらの性にとってもである。(フロイト『精神分析概説』( Abriß der Psychoanalyse 、1940、死後出版)


【母の法篇】
母の法 la loi de la mère…それは制御不能の法 loi incontrôlée…分節化された勝手気ままcaprice articuléである(Lacan.S5)
法の病理は、法との最初の遭遇から、主体のなかに生み出される。私がここで法と言っているのは、制度的あるいは司法的な意味ではない。そうではなく、言語と結びついた原初の法である。それは、必然的に、父の法となるのだろうか? いや、それは何よりもまず母の法である(あるいは、母の代役者の法)。そして、ときに、これが唯一の法でありうる。

事実、我々は、この世に出るずっと前から、言語のなかに没入させられている。この理由で、ラカンは我々を「言存在parlêtre」と呼ぶ。というのは、我々は、なによりもまず、我々を欲する者たちの欲望によって「話させられている」からだ。しかしながら、我々はまた、話す存在でもある。

そして、我々は、母の舌語(≒ララング)のなかで、話すことを学ぶ。この言語への没入によって形づくられ、我々は、母の欲望のなかに欲望の根をめぐらせる。そして、話すことやそのスタイルにおいてさえ、母の欲望の刻印、母の享楽の聖痕を負っている。これらの徴だけでも、すでに我々の生を条件づけ、ある種の法を構築さえしうる。もしそれらが別の原理で修正されなかったら。( Geneviève Morel ‘Fundamental Phantasy and the Symptom as a Pathology of the Law',2009、PDF
超自我とは、確かに、法(象徴的なもの)である。しかし、鎮定したり社会化する法ではない。むしろ、思慮を欠いた法である。それは、穴、正当化の不在をもたらす。その意味作用を我々は知らない、「一」unary のシニフィアン、S1 としての法である。…超自我は、独自のシニフィアンから生まれる形跡・パラドックスだ。というのは、それは、身よりがなく、思慮を欠いているから。この理由で、最初の分析において、我々は超自我を S(Ⱥ) のなかに位置づけうる。(ジャック=アラン・ミレール)

S(Ⱥ)とは、ラカン派では、La Femme n'existe pas、すなわち、Lⱥ Femme を徴示するシニフィアンである。

ミレールは母なる超自我 surmoi mère ーー1938年の初期ラカンの記述を捉え直した概念ーーの問いを明瞭化するパラグラフで、こうつけ加えている。

思慮を欠いた(無分別としての)超自我は、母の欲望にひどく近似する。その母の欲望が、父の名によって隠喩化され支配される前の母の欲望である。超自我は、法なしの気まぐれな勝手放題としての母の欲望に似ている。(THE ARCHAIC MATERNAL SUPEREGO,Leonardo S. Rodriguez)

【現代的解釈篇】
最初の母と子どもの関係では、子どもは、その身体的 somatic な未発達のため、必然的に、最初の〈他者〉の享楽の受動的対象として扱われる。この関係は二者-想像的であり、それ自体、主体性のための障害を表す。平明な言い方をすれば、子どもと彼自身の欲望にとっての余地がないということだ。そこでは二つの選択しかない。母の欲望に従うか、それともそうするのを拒絶して死ぬか、である。このような状況は、二者-想像的関係性の典型であり、ラカンの鏡像理論にて描写されたものである。

そのときの基本的動因は、不安である。これは去勢不安でさえない。「原不安」は母に向けられた二者関係にかかわる。この母は、現代では「最初に世話する人」としてもよい。無力な幼児は母を必要とする。これゆえに、明らかに「分離不安」である。とはいえ、この母は過剰に現前しているかもしれない。母の世話は息苦しいものかもしれない。

フロイトは分離不安にあまり注意を払っていなかった。しかし彼は、より注意が向かないと想定されるその対応物を見分けていた。母に呑み込まれる不安である。あるいは母に毒される不安である。これを「融合不安」呼んでみよう。もう一つの原不安、分離不安とは別にである。この概念はフロイトにはない。だがアイデアはフロイトにある。しかしながら、彼の推論において、最初の不安は分離と喪失に関係し得るにもかかわらず、フロイトは頑固に、去勢不安を中心的なものとして強調した。

このように、フロイト概念の私の理解においては、去勢不安は二次的なものであり、別の、原不安の、防衛的なエラボレーションとさえ言いうる。原不安は二つの対立する形態を取る。すなわち、他者は必要とされるとき、そこにいない不安、そして他者が過剰にそこにいる不安である。

ラカン理論は後者を強調した。そしてそれを母なる大他者 (m)Other に享楽される単なる対象に格下げされる幼児の不安として解釈した。それはフロイトの受動的ポジションと同様である。

これはラカン理論における必要不可欠な父の機能を説明する。すなわち第三者の導入が、二者-想像的段階にとって典型的な選択の欠如に終止符を打つ。第三者の導入によって可能になる移行は、母から身を翻して父に向かうということでは、それ程ない。むしろ二者関係から三者関係への移行である。これ以降、主体性と選択が可能になる。(PAUL VERHAEGHE,『New studies of old villains』2009PDF


【女性による女性嫌悪篇】
女たちそれ自体について言えば、彼女たちは「モメントとしての女たち」の単なる予備軍である…わかった? だめ? 説明するのは確かに難しい…演出する方がいい…その動きをつかむには、確かに特殊な知覚が必要だ…審美的葉脈…自由の目… 彼女たちは自由を待っている…空港にいるとぼくにはそれがわかる…家族のうちに監禁された、堅くこわばった顔々…あるいは逆に、熱に浮かされたような目…彼女たちのせいで、ぼくたちは生のうちにある、つまり死の支配下におかれている。にもかかわらず、彼女たちなしでは、出口を見つけることは不可能だ。反男性の大キャンペーンってことなら、彼女たちは一丸となる。だが、それがひとり存在するやいなや…全員が彼女に敵対する…ひとりの女に対して女たちほど度し難い敵はいない…だがその女でさえ。次には列に戻っている…ひとりの女を妨害するために…今度は彼女の番だ…何と彼女たちは互いに監視し合っていることか! 互いにねたみ合って! 互いに探りを入れ合って! まんいち彼女たちのうちのひとりが、そこでいきなり予告もなしに女になるという気まぐれを抱いたりするような場合には…つまり? 際限のない無償性の、秘密の消点の、戻ることのなりこだま…悪魔のお通り! 地獄絵図だ! (ソレルス『女たち』)


【理想の女篇】
「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』)
「他の性 Autre sexs」は、両性にとって女性の性である。「女性の性」とは、男たちにとっても女たちにとっても「他の性 Autre sexs」である。 (ミレール、Jacques-Alain Miller、The Axiom of the Fantasm) 

以下の文に現れる「もう一人の女 the Other Woman」と訳されている表現は、「他の性 Autre sexs」「他者なる女 l'Autre femme」、「他の女 une autre femme」ともされるものであろう(参照:歌う身体の神秘)。

ジョゼフ・マンキエヴィッツの古典的ハリウッド流メロドラマ『三人の妻への手紙』……失踪する婦人は、スクリーンには一度も登場しないのだが、ミシェル・シオンの言う<幻の声>として、つねにそこにいる。画面の外から聞こえる、小さな町に住む宿命の女、アッティー・ロスの声が、ストーリーを語る。彼女は、日曜日に河下りをしている三人の妻のもとに一通の手紙が届くように手配した。その手紙には、ちょうどその日、彼女たちが町にいない間に、彼女たちの夫の一人と駆け落ちするつもりだと、書かれている。旅を続けながら、女たちはそれぞれ自分の結婚生活の問題点をフラッシュバックで回想する。三人とも、アッティーが駆け落ちの相手として選んだのは自分の夫ではないか、という不安に駆られる。なぜなら彼女たちにとって、アッティーは理想的な女性である、妻には欠けた「何か」をもった洗練された女性であり、結婚そのものが色褪せて見えてしまうくらいなのだ。第一の妻は看護婦で、教養のない単純な女性で、病院で出会った裕福な男と結婚している。二番目の妻は、いささか下品だが、ばりばり仕事をする女性で、大学教授であり作家である夫よりもはるかに稼ぎがいい。三番目の妻は、たんに金目当てに裕福な商人と愛のない結婚をして労働者階級から成り上がった女である。素朴なふつうの女、仕事ができる活発な女、狡猾な成り上がり女、三人とも妻の座におさまりきらず、結婚生活のどこかに支障をきたしている。三人のいずれにとっても、アッティー・ロスは「もう一人の女 the Other Woman」に見える。経験豊富で、女らしい細やかな気配りがあり、経済的にも独立している、と。(……)

アッティーは三番目の女の夫である裕福な商人と駆け落ちするつもりだったのだが、彼は土壇場になって気が変わり、家に帰り、妻にすべてを打ち明ける。彼女は離婚して相当な慰謝料をもらうこともできたのだが、そうはせずに夫を許し、自分が夫を愛していることに気づく。かくして最後に三組の夫婦が一同に会する。彼らの結婚生活を脅かしているように見えた危険は去った。しかし、この映画の教訓は、第一印象よりもいささか複雑である。このハッピーエンドはけっして純粋なハッピーエンドではない。そこには一種の諦めがある。いっしょに暮している女は<女>ではない、結婚生活の平和はつねに脅かされている、つまり、結婚生活に欠けているように思われるものを体現した別の女がいつ何時あらわれるかもしれない……。ハッピーエンド、すなわち夫が妻のもとに戻ることを可能にしているのは、まさしく、<もう一人の女>は「存在しない」のだ、彼女は究極的にはわれわれと女性との関係の隙間を埋める幻の存在にすぎないのだ、という経験的知である。いいかえれば、妻との間にしかハッピーエンドはありえないのだ。もし主人公が<もう一人の女>を選んだとしたら(もちろんその典型的な例はフィルム・ノワールにおける宿命の女だ)、その選択によって彼はかならずや無残な状況に陥り、命を落とすことすらある。ここにあるのは近親相姦の禁止、すなわちそれ自体すでに不可能なものの禁止、というパラドックスと同じパラドックスである。<もう一人の女>は「存在しない」からこそ禁じられる。<もう一人の女>が恐ろしく危険なのは、幻の女と、たまたまその幻の位置を占めることになった「経験的な」女とは、結局のところ一致しないからである。(ジジェク『斜めから見る』p157-158)


【自白篇】
「蜘蛛のような私、妖しい魅力と毒とを持つ私が恐ろしい……ナイーヴで誠実な青年たちの血をすすって生きる雌ライオン - 私はそんな自分自身が恐ろしい。神様、許してください」  (神谷美恵子)

カナダ在住の比較文学者太田雄三氏の『喪失からの出発 神谷美恵子のこと』(岩波書店 2001年)より(「神谷美恵子の青春」からの孫引き)。

こんな女。母性型と妖婦型を持ち合せ、前者を聖にまでひきあげて見せる事によって人を次々と惹きつけて行く。そして自他共に苦ませる。しかし、結局一人づつとりあげては捨てて行く。迷惑なのはその「他」共。

私の内なる妖婦(ヴァンプ)を分析したら面白いだろうと思う。それは随分いろんなことを説明するだろう。みんなを化かす私の能力、みんなを陶酔させ、私を女神のようにかつがしめるあの妖しい魔力にどれほどエロスの力があずかっているかしれない。それを思うとげっそりする。

しかし一面私はたしかに自分のそうした力をエンジョイしている。あらゆる人間を征服しようとする気持ちがある。征服してもてあそぶのだ。

私の心は今ひくくひくくされている。私は才能と少しばかりの容姿-少なくとも母はこの点を常に強調する-の為に人から甘やかされ、損なわれた女だ。心は傲慢でわがままで冷酷である。そうして男をもてあそんでは投げ棄てる事ばかりくりかえしている。

自分の才能と容姿がのろわしい。平凡な心貧しき女であり度かった。
ある精神科医は彼女をまばゆい人であるという。彼女の品性と才能をみればたしかにそうであろう。別の精神科医によればたまらなくさびしそうに見えた人だというが、これもほんとうである。(中井久夫「精神科医としての神谷美恵子さんについて」)

…………

【付記:基礎教養篇】
現実界とは、トラウマの形式として……(言語によって)表象されえないものとして、現われる。 …le réel se soit présenté …sous la forme du trauma,… ne représente(ラカン、S.11)

※フロイト・ラカンの叙述は「基本的なトラウマの定義(フロイト・ラカン派による)」を参照。

誰もがトラウマ化されている tout le monde est traumatisé(ジャック=アラン・ミレール、2013-2014セミネール、Tout le monde est fou Année 2013-2014ーー「一の徴」日記⑥
要約しよう。このトラウマに関するラカン理論は次の通り。欲動とはトラウマ的な現実界の審級にあるものであり、主体はその衝動を扱うための十分なシニフィアンを配置できない。構造的な視点からいえば、これはすべての主体に当てはまる。というのは象徴秩序、それはファルスのシニフィアンを基礎としたシステムであり、現実界の三つの次元のシニフィアンが欠けているのだから。

この三つの次元というのは女性性、父性、性関係にかかわる。Das ewig Weibliche 永遠に女性的なるもの、Pater semper incertuus est 父性は決して確かでない、Post coftum omne animal tristum est 性交した後どの動物でも憂鬱になる。

これらの問題について、象徴秩序は十分な答を与えてくれない。ということはどの主体もイマジナリーな秩序においてこれらを無器用にいじくり回さざるをえないのだ。これらのイマジネールな答は、主体が性的アイデンティティと性関係に関するいつまでも不確かな問いを処理する方法を決定するだろう。別の言い方をすれば、主体のファンタジーが――それらのイマジネールな答がーーひとが間主観的世界入りこむ方法、いやさらにその間主観的世界を構築する方法を決定するのだ。

この構造的なラカンの理論は、分析家の世界を、いくつかのスローガンで征服した。象徴秩序が十分な答を出してくれない現実界の三つの諸相は、キャッチワードやキャッチフレーズによって助長された。La Femme n'existe pas, 〈女〉は存在しない、L'Autre de l'Autre n'existe pas, 〈他者〉の〈他者〉は存在しない、Il n'y a pas de rapport sexuel,性関係はない。

結果として起こったセンセーショナルな反応、あるいはヒステリアは、たとえば、イタリアの新聞は「ラカンにとって女たちは存在しないんだとさ」と公表した、構造的な文脈やフロイト理論で同じ論拠が研究されている事実をかき消してしまうようにして。

たとえば、フロイトは書いている、どの子供も、自身の性的発達によって促されるのは、三つの避け難い問いに直面することだと。すなわち母のジェンダー、一般的にいえば女のジェンダー、父の役割、両親の間の性的関係、と。どの子供も自分で答えを構築するようになる。それはまさに固有の構築物、いわゆる幼児性理論をもたらす。そこにおいては、ファリックマザーあるいは去勢された母、原父・原光景などに照準が当てられて、イマジナリーな前性器的内容がくり返し生み出される。(Paul Verhaeghe, TRAUMA AND HYSTERIA WITHIN FREUD AND LACAN、1998、PDF)




2015年1月18日日曜日

「蜘蛛のような私、妖しい魅力と毒とを持つ私が恐ろしい」(神谷美恵子)

「蜘蛛のような私、妖しい魅力と毒とを持つ私が恐ろしい」、さらには仏語で「ナイーヴで誠実な青年たちの血をすすって生きる雌ライオン - 私はそんな自分自身が恐ろしい。神様、許してください」と、神谷美恵子さんの長いあいだ非公開だった手記にはあるそうだ。






カナダ在住の比較文学者太田雄三氏の『喪失からの出発 神谷美恵子のこと』(岩波書店 2001年)によれば、神谷さんの手記には自身の性格を分析した次ぎのような言葉もあるとのこと(「神谷美恵子の青春」からの孫引き)。

こんな女。母性型と妖婦型を持ち合せ、前者を聖にまでひきあげて見せる事によって人を次々と惹きつけて行く。そして自他共に苦ませる。しかし、結局一人づつとりあげては捨てて行く。迷惑なのはその「他」共。

私の内なる妖婦(ヴァンプ)を分析したら面白いだろうと思う。それは随分いろんなことを説明するだろう。みんなを化かす私の能力、みんなを陶酔させ、私を女神のようにかつがしめるあの妖しい魔力にどれほどエロスの力があずかっているかしれない。それを思うとげっそりする。

しかし一面私はたしかに自分のそうした力をエンジョイしている。あらゆる人間を征服しようとする気持ちがある。征服してもてあそぶのだ。

私の心は今ひくくひくくされている。私は才能と少しばかりの容姿-少なくとも母はこの点を常に強調する-の為に人から甘やかされ、損なわれた女だ。心は傲慢でわがままで冷酷である。そうして男をもてあそんでは投げ棄てる事ばかりくりかえしている。

自分の才能と容姿がのろわしい。平凡な心貧しき女であり度かった。

ここには、ラカンのテーゼ、《〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない》あるいは《「〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり〈善〉とは「〈悪〉の別名」》に近似した神谷さんによる自己分析があるのではないだろうか。

……無条件の義務の哲学者であるカントが知らなかったものを、通俗的でセンチメンタルな文学、今日のキッチュはよく知っている。このことは別に驚くにあたらない。というのも、〈意中の婦人〉への愛を至高の義務と見なす「宮廷恋愛(騎士道恋愛)」の伝統が今なお生きているのは、まさしくそうした文学の世界なのである。コリーン・マッカロウの『淫らな強迫観念』には、宮廷恋愛ジャンルの典型的な例が見られる。この小説はまったく読むに耐えないもので、そのためにフランスでは叢書「ジェ・リュ(私はもう読んでしまった)」の一冊として出版された。この小説の時代は第二次世界大戦の末期、主人公は、太平洋岸にある小さな病院で精神病者の世話をしている看護婦である。彼女は職業上の義務と、ひとりの患者への愛との葛藤に引き裂かれている。小説の結末で、彼女は自分の欲望を理解し、愛を断念して、義務へと戻る。一見すると、なんの面白みもまにモラリズムのように見える。義務が恋愛感情に打ち勝ち、義務のために「病的な」恋愛が断念されるのだから。しかしながら、この断念にいたる動機の描写はもう少し複雑で微妙である。小説の結びは次のようになっているーー

《彼女にはそこに義務があった。(……)それはたんなる仕事ではなかった。そこには彼女の心がこもっていた。しかも奥深く。それが彼女が本当に願っていたことだった。(……)看護婦ラングトリーはふたたび歩きはじめた。颯爽と、恐れることなく、彼女はついに自分自身を理解した。そして、義務こそ、最も淫らな強迫観念であり、愛の別名であることを理解した》。

このように、ここにあるのは真に弁証法的・ヘーゲル的反転である。義務そのものを「愛の別名にすぎない」と感じたとき、愛と義務の対立が「止揚される」。このどんでん返しーー「否定の否定」――によって、最初は愛の否定であった義務が、世俗的な対象に対する他のすべての「病的な」愛を廃棄する至高の愛と合致し、ラカンの用語を使えば、他のすべての「ふつうの」愛の〈クッションの綴じ目 point de caption〉として機能する。義務そのものが根源的に猥褻なのだということを経験した瞬間、義務と愛との拮抗、すなわち義務の純粋性と恋愛感情の病的な猥褻性あるいは淫乱性との拮抗は解消する。

小説の最初のほうでは、義務は純粋で普遍的であり、恋愛感情は病的で、個別的で、淫らである。ところが最後のほうになると、義務こそが「最も淫らな強迫観念」であることが明らかになる。ラカンのテーゼ、すなわち、〈善〉とは根源的・絶対的〈悪〉の仮面にすぎない、〈物自体 das Ding〉、つまり残虐で猥褻な〈物自体〉による「淫らな強迫観念」の仮面にすぎない、というテーゼは、そのように理解しなければならないのである。〈善〉の背後には根源的な〈悪〉があり、〈善〉とは「〈悪〉の別名」である。〈悪〉は特定の「病的な」位置をもたないのである。〈物自体 das Ding〉、が淫らな形でわれわれに取り巻き、事物の通常の進行を乱す外傷的な異物として機能しているおかげで、われわれは自身を統一し、特定の現世的対象への「病的な」愛着から逃れることができるのである。「善」は、この邪悪な〈物自体〉に対して一定の距離を保つための唯一の方法であり、その距離のおかげでわれわれは〈物自体〉に耐えられるのである。(ジジェク『斜めから見る』P299-300)

「外傷的な異物」という表現があることに注目しておこう。「異物」とは、フロイトの “Fremdkörper”のこととしてよい。『ヒステリー研究』1895に頻出し、この語は、トラウマに関連して使用されている。かつまた後期フロイトにも次のように現われる。

われわれがずっと以前から信じている比喩では、症状をある異物とみなして(比較して? :引用者)Vergleich betrachtet das Symptom als einen Fremdkörper、この異物は、それが埋没した組織の中で、たえず刺激現象や反応現象を起こしつづけていると考えた。もっとも症状が形成されると、好ましからぬ衝動にたいする防衛の闘いは終結してしまうこともある。われわれの見るかぎりでは、それはヒステリーの転換でいちばん可能なことだが、一般には異なった経過をとる。つまり、最初の抑圧作用についで、ながながと終りのない余波がつづき、衝動Triebregungにたいする闘いは、症状にたいする闘いとなってつづくのである。(フロイト『制止、症状、不安』1926フロイト著作集6 人文書院 p327-328)

ーーややわかりにくい文だが、根源的な《衝動にたいする闘いは、症状にたいする闘い》に転換されてつづくと読むべきではないか。すなわち症状は二次的なものであり(ラカン派的には象徴界の症状)、真の現実界の一次的な症状(=サントーム)は、外傷的な「異物」であると読むべきではないか。かつまた衝動と訳されている語は、”Triebregung”であり、Trieb(欲動)という接頭辞がついている。それは「欲動的な衝拍」ともできるのではないか(残念ながら、岩波新訳を眺める機会をわたくしは持っていない)。

ところで中井久夫にも、《語りとしての自己史に統合されない「異物」》という表現が、外傷性フラッシュバックと幼児型記憶を語るなかで現れている。

外傷性フラッシュバックと幼児型記憶との類似性は明白である。双方共に、主として鮮明な静止的視覚映像である。文脈を持たない。時間がたっても、その内容も、意味や重要性も変動しない。鮮明であるにもかかわらず、言語で表現しにくく、絵にも描きにくい。夢の中にもそのまま出てくる。要するに、時間による変化も、夢作業による加工もない。したがって、語りとしての自己史に統合されない「異物」である。相違点は、そのインパクトである。外傷性記憶のインパクトは強烈である、幼児型記憶はほどんどすべてがささやかないことである。その相違を説明するのにどういう仮説が適当であろうか。

幼児型記憶は内容こそ消去されたが、幼児型記憶のシステム自体は残存し、外傷的体験の際に顕在化して働くという仮説は、両者の明白な類似性からして、確度が高いと私は考える。(中井久夫「発達的記憶論」『徴候・記憶・外傷』所収 53頁ーー「異物」としての原光景

ーーとはいえ、「聖女」神谷美恵子の起源が、この「外傷的な異物」にあるなどと、中井久夫のエッセイ以外はウェブ上の文献をいくらか探っただけのわたくしが言い募るつもりは毛頭ない。ただし、《語りとしての自己史に統合されない「異物」》という言い方は、ラカが「性関係がない」というテーゼを説明するときに述べた《書かれぬことを止めない》“C'est ce qui ne cesse pas de ne pas s'écrire”(Lacan)という言葉と共鳴するとだけは言っておこう。そしてこれはどの主体にも根源的に持っている「構造的トラウマ」にかかわるという見解もあるとも(参照:美と傷、あるいは「饐えたる菊のにほひ」)。


さてここで、神谷美恵子伝説、ーー「病者の呼び声」に促されて、ハンセン氏病の「看護」にその生涯を捧げたーーとは、実は、「最も淫らな強迫観念」によるものではなかったのかという問いを仮にーー宙吊りのままーー発してみよう。

ジジェクは近著でも次のようにくり返している。

レヴィナスにとって、主体を非中心化する根源的に異質な現実界的〈モノ〉のトラウマ的侵入は、倫理的な〈善〉の〈呼びかけ〉と同じものだ。他方、ラカンにとっては、逆に、原初の“邪悪な〈もの〉”であり、〈善〉のヴァージョンには決して昇華されえない何か、永遠に不安にさせる切り傷のままの何かなのである。こういったわけで、倫理的な呼びかけの出処としての〈隣人〉の飼い馴らしには、〈悪〉の復讐が横たわっている。“抑圧された〈悪〉”は、倫理的呼びかけ自体の超自我の歪曲の見せかけとして回帰する。 (ZIZEK"LESS THAN NOTHING"2012 私訳ーー「血まみれの頭ーー〈隣人〉、あるいは抑圧された〈悪〉」)

次ぎの文は中井久夫によるものだが、ツイッターの中井久夫botから拾ったので出典不明(行分けも不明)。中井久夫はここで、「外傷過敏性」「生存者罪悪感に通じる何か」という言葉を使っているが、かつまた《ハンセン氏病の療養所に赴くには「聖女」だけでは足りない》ともあるように、あの神谷美恵子の「偉大さ」はどのようにしたらありうるのだろうか、との問いがあるとしてよいだろう。


神谷)美恵子さんはウルフと通じる面があると自ら感じておられたかもしれない。彼女の写真のたいていは微笑しているがそのすべてが自然だとは思わない(『神谷美恵子の世界』、みすず書房、の表紙写真には疲労とやるせなさを感じてしまう)けれども、固いフローズン・ウォッチフルネスはみられない。

むしろ、宮沢賢治のような「世界の人が皆幸せにならなければ自分は幸せになってはいけない」という感覚ではないか。この感じ方は外傷過敏性とどこかで結びついているのだろうか。あるいは、生存者罪悪感に通じる何かであろうか。

彼女は最晩年に一人称の病跡学を志す。彼女はウルフの自叙伝を書こうとした。その中には近親姦もきちんと取り上げてあるが、神谷さんの筆にかかると、すべてはどうしようもなく明るくなってしまう。おそらく、実際のウルフよりも、ほんとうはウルフが描きたかった世界に近いのではないだろうか。

この未完成の作品の中には神谷さんのもっとも美しい文章がある。ふくらみのある静かな語りである。ウルフの英文はもっと乾いたものと感じられる。この作品の中で最晩年の美恵子さんは抑制を去って、その言葉の力を自由に流出させているように思われる。

未完成であるこの作品には、三人称の病跡学がどうしても漂わせてしまうネクロフィリア(屍体愛好)の臭気が全く感じられない。これだけは神谷さんのために強調しておきたい。彼女が最後に捨て身の技に出た理由の一つには、通常の病跡学のスタイルの持つ臭気にいたたまれなかったことがあると思う。

若き日の彼女(神谷美恵子)は米国にあって後の歴史家モートン・ブラウンとほかならぬわが鶴見俊輔の二人に「聖女」の印象を与えている。二人ともその印象をずっと後に語っているからかりそめならぬ印象だったのだろう。しかし、ハンセン氏病の療養所に赴くには「聖女」だけでは足りない

ーー上の引用文の冒頭近くに「フローズン・ウオッチフルネス」とあるが、凍りついた「金属的無表情」「不信警戒の眼つき」のこと。






神谷美恵子が自らを書き綴ったものとして、自伝「遍歴」(みすず書房)と「神谷美恵子日記」(角川文庫)がある。わたくしは後者を手に入れたことがあるが、たいして熱心に読んだわけではない。「戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人」、「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けていた」、「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られる神谷美恵子、「聖女」伝説さえある彼女――の書き物は、当時のわたくしには文体的な魅力を感じず、むしろごく平凡な文学少女の感想文のようにしか思えなかった。

さらには神谷美恵子の「生きがい」概念も、そこにあるメロドラマ臭に鼻を抓む気分で対面したものだ。

「生き甲斐」と「アイデンティティ」との関係(……)。アイデンティティの追求は、より高次元である生き甲斐追求に向かう。そうであるならば「生き甲斐」とはこの追求過程の導きの糸である。「生き甲斐」の言葉は故・神谷美恵子さんの著作と固く結びついているが、彼女は帰国子女の先駆者である。その生き甲斐論はアイデンティティの模索の果てに生まれたのかもしれない。

もっとも、「生き甲斐」は「甘え」と同じく日本生まれの概念である。そのような概念の常として「脳よりも心に訴える」情緒に濡れており、通俗となり浅薄となる弱みがある。「生き甲斐」には「よい子」「優等生」の言葉という感触がつきまとう。会社員の就職試験の場でも上司と酒場で飲む時にも「アイデンティティ」の出番はないが「生き甲斐」は大いに語られるだろう。 (中井久夫「アイデンティティと生きがい」『樹をみつめて』所収)

なぜ鼻を抓んだのかといえば、《情緒に濡れており、通俗となり浅薄となる弱みがある》だけではなく、当時のわたくしは次ぎのような文章にひどく影響されてイキがっていたからだ。

……現実をいかにして回避しつつ生をなし崩しに消費してゆくかという退屈きわまりない自分自身の物語がくり返されている(……)。この罠という善意の虚構装置が、時代によって、またその無意識の捏造者が属する文化形態によっていくつもの異なった名前を持っているという点も、また衆知の事実であろう。もう昔の話なので憶えている人もいまいあの「アイデンティティ」の危機だの確立だのといった神話も、そんな名前の一つであったはずだ。個人の生活史の上でも集団の歴史という側面においても、その危機的状況の克服の契機として「アイデンティティ」の概念が重要な役割を演ずるとまことしやかに語られていた時代はさいわい遠い昔のこととなってしまったが、しかしそれに類する物語は尽きることなく生産され続け、されとはまるで違った顔をした、たとえば「モラトリアム」などと称する神話としていまもしたたかに生きているのかもしれない。物語は、間違いなく勝利するのだ。(蓮實重彦「倒錯者の「戦略」」『表層批判宣言』所収)

だが、巷間に流通する通俗的な「生き甲斐」概念ではなく、次のような読み方もある。

「生きがいのある人は生きがいなどということについては考えない。何らかの”生きがい喪失”にある人こそ、生きがいについて考えるものらしい」と彼女はいう。『生きがいについて』はハンセン氏病患者の”生きがい喪失”と七、八年直面した結果であることをぜひ理解してもらいたいと彼女は願う。しかし、その根源を探ると、その前の結核療養体験があって、その時のマルクス・アウレリウス体験がある。そのことを改めて語るのがこの小品(「生きがいの基礎」神谷美恵子)の核心である。

「君に残された時は短い。山奥にいるように生きよ。至るところで宇宙都市の一員のごとく生きるならば、ここにいようとかしこにいようと何のちがいもないのだ」(マルクス・アウレリウス、本巻二四ページ)。

二十一歳から二十三歳の「花の年齢」を彼女は独り軽井沢の山小屋で夏も冬も日課を守り、読書をして過ごす。当時の結核は死病であり、差別される病であった。それはすでに親しい人を奪っていた。

当時の結核療法はただ三つ、「大気、安静、栄養」であった。何の薬もなかった。彼女は修道院生活に近いものを自らに課する。それを支えたのは読書であり、なかんずく聖書とともにマルクス・アウレリウスの『自省録』であった。彼女がこれをギリシャ語で読むのも自己規律の一部であったろう。ストイシズムはこの時代の結核療法の現実に向かいあった方法であったが、彼女にとってそれ以上のものであった。

ストイシズムを敢えて要約すれば、世界の基本的条件を与えられたものとして受けとり、しかし遁世するのではなく、理性による自己規律にもとづく人間としての義務を果たすことによって、逆説的に世界を支配することができるということであろうか。これは何よりもまず実践倫理である。ストイシズムが奴隷エピクテトスと皇帝マルクス・アウレリウスという両極端によって代表されるのも偶然ではなかろう。奴隷も皇帝も本人の意思を超えた運命である。

T・S・エリオットがセネカについて論じた一文において、ストイシズムは、ローマ帝国時代のようにそれを動かすことが不可能である場合の哲学であるといっている(「セネカーエリザベス朝時代の翻訳による」)。動かしがたい基本的条件は結核だけではなかったであろう。療養期間の一九三五年から三七年は、満州事変の後を受けて二・二六事件、上海事変を挟んで中国との本格的な戦争が始まった時期である。「大廈の倒れんとする時一木の支えんとすることあたわず」の思いが心ある人にはあった時期である。

敗戦後まもない途方もない窮乏の中で家庭を持った彼女は寸暇を割いて『自省録』の翻訳に挑む。これを「恩がえし」と彼女はいうが、アウレリウスを再び身近なものに感じさせる基本的条件があった。この訳文には彼女のいくつかの翻訳の中でも特別な何かがある。意外なほど原文に忠実でありながら、風が呼吸しつつ野原の草をわけてわたってゆく柔らかさである。この優しさは、結婚から育児の時期の心境を映してのことでもあるだろう。ギリシャ語である原文が自家薬篭中のものとなって久しく、ほとんど自ずと訳文が湧いていったかもしれない。

『自省録』は彼女の生涯の通底低音となったにちがいない。晩年の「「存在」の重み」においても、自分にとって精神医学は何であったかの述懐があるなか、特に「人間をその内側から理解すること・・・」以下に私は『自省録』の余韻を感じてしまう。

この小品が一九七九年の春に書かれてその年の秋に彼女は逝く。その予感のように、「生きがいの基礎」はアウレリウスの「まもなく君は眼を閉じるだろう。そして君を墓へ運んだ者のために、やがて他の者が挽歌を歌うことであろう」で終わる。(「神谷美恵子さんの「人と読書」をめぐって」『樹をみつめて』中井久夫)

…………

以下はそのほとんどが以前メモしたものであるが、ここでも中井久夫が中心であり、神谷美恵子の「聖女」伝説側面を想起させる文章が多い。

精神医学界の習慣からすれば「神谷美恵子先生」と書くべきである。しかし違和感がそれを妨げる。おそらくその感覚の強さの分だけこの方はふつうの精神科医ではないのだろう。さりとて「小林秀雄」「加藤周一」というようにはーーこれは「呼び捨て」ではなく「言い切り」という形の敬称であるがーー「神谷美恵子」でもない。私の中では「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい。

ついに未見の方であり、数えてみれば二十年近い先輩である方をこう呼ぶのははなはだ礼を失しているだろう。

しかし、言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起させるものがあるからだと思う。「先生」という言い方をわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう。そして、精神医学界の先輩という目でみられないのも、結局、その教養と見識によって広い意味での同時代人と感じさせるものがあるからだろう。それらはふつうの精神科医のものではない。(……)

神谷さんを一般の精神科医と区別するものは単にものものしさがないとか教養と見識の卓越とかだけではない。二十五歳の日に「病人が呼んでいる!」と友人に語って医学校に入る決心をされたと記されている。このただごとでない召命感というべきものをバネとして医者になった人は、他にいるとしても例外中の例外である。(……)


いかに献身的な医師も、どこか「いつわりのへりくだり」がある。ある高みから患者のところまでおりて行って“やっている”という感覚である。シュヴァイツァーでさえもおそらくそれをまぬかれていない。むしろ、神谷さんに近いのはらい者をみとろうとして人々、すなわち西欧の中世において看護というものを創始した女性たちである。その中には端的に「病人が呼んでいる」声を聞いた人がいるかも知れない。神谷さんもハンセン氏病を選んだ。神谷さんの医師になる動機はむしろ看護に近いと思う。この方の存在が広く人の心を打つ鍵の一つはそこにある。医学は特殊技能であるが、看護、看病、「みとり」は人間の普遍的体験に属する。一般に弱い者、悩める者を介護し相談し支持する体験は人間の非常に深いところに根ざしている。誤って井戸に落ちる小児をみればわれわれの心の中に咄嗟に動くものがある。孟子はこれを惻隠の情と呼んで非常に根源的なものとしているが、「病者の呼び声」とは、おそらくこれにつながるものだ。しかし多くの者にあっては、この咄嗟に動くものは、一瞬のひるみの下に萎える。明確に持続的にこれを聞くものは例外者である。医師がそうであっていけない理由はないが、しかし多くの医師はそうではない。(中井久夫「精神科医としての神谷美恵子さんについて」『記憶の肖像』所収)

ここに「いつわりのへりくだり」という言葉があるが、中井久夫自身、自らの治療態度に、真にその思いをもたなくなったのは、阪神・淡路大震災の後であるという叙述がある。

長い間、私はどこか、患者の運命を無期限に引き受けているような気持ちがあった。いつかは別れる者として一日一日を診てゆくという気持ちに変わったのはいつからであったろうか。(……)

ふしぎなもので、こういう期限つきを自覚したことで、患者さんの今まで見えなかった部分がすっと見えてきたところもある。

この気持ちの変化にはずみをつけてくれたのは、阪神・淡路大震災であった。私はさまざまな手段を使って受け持ち患者たちの安否を知ろうとした。(……)

全員が安否を知らせてこられた。住んでいる家が倒壊した人は多かったのに、いのちはだれもが無事でけがもなかった。とても信じられない、不幸中の幸いであった。その時から何かが変わったと思う。再会の時、場はなつかしいという気持ちで満たされた。亡くなった方には申し訳ないが生きていてよかったねという感情が素直に表れた。何か、共に生き残った者という共通感覚のようなものを、日々の出会いの中に私は感じるようになった。一週間あるいは二週間、時には一月目に患者に会う度に「やあとにかく二週間なら二週間たって無事でまた会えてよかったね」という感じで面接が始まるのであった。

そういう感じは前からあったのかもしれないけれども、震災の後にはっきりしたと思う。おそらく、それまでは、どこか医者として少し上から診ているようなところが残っていたのであろう。あれこれの診察態度を思い返すと顔のほてる思いのする場面がある。震災直後にそういうことは小さいものになった。何よりもまず、お互いに安否を気づかう者同士であった。(中井久夫「医師は治療の媒介者」『アリアドネからの糸』所収)

ーーだがこの「いつわりのへりくだり」を戒める思いは、すでに80年代初めに書かれた『治療文化論』にも現れている。そこでは、「精神科医の自己規定」として、傭兵、あるいは売春婦のような態度が肝要であるとされ、《精神科医の自己陶酔ははっきり有害であり、また、精神科医を高しとする患者は医者ばなれできず、結局、かけがえのない生涯を医者の顔を見て送るという不幸から逃れることができない、と私は思う》とされている(参照:分析家と黒人の召使い)。

…………

「生きがい感」をつかまえようとして、またはこれをたしかめようとして、あまりやっきとなると、かえって生きがいは指の間をすべりぬけて行ってしまうものではないだろうか。むしろ生きがい感とは、人生の途上で、時たま期せずして与えられる恩恵のようなものではなかろうか。(神谷美恵子『人間をみつめて』)

ーー《あまりに速く幸福を追いかけると、幸福を追い越して、幸福が後ろに置き去りになってしまう》(ブレヒト『三文オペラ』)

ーー《ある目標を徹底的に追求するならば、その過程で生じる反作用によって、その過程が足どめを食らい、結局目標を達成できないだろう》(クラウゼヴィッツ『戦争論』)




ある精神科医は彼女をまばゆい人であるという。彼女の品性と才能をみればたしかにそうであろう。別の精神科医によればたまらなくさびしそうに見えた人だというが、これもほんとうである。(中井久夫「精神科医としての神谷美恵子さんについて」)




                      (神谷美恵子 17歳)

貧しい者への後ろめたさ

神谷美恵子は精神科の医師であり、大学教授であり、著述家でもある。しかし何よりもハンセン病(ライ病)患者のために捧げたその人生のゆえに、知られている。彼女を知る者は誰もが口をそろえて言うことがある。その明晰な頭脳と謙虚さである。明晰な頭脳は、語学力と学問の世界で遺憾無く発揮された。

しかし、彼女の偉大さはその明晰な頭脳ゆえではなく、その精神と生き方にこそ現われている。文部大臣を父にしながらも、驕る気持ちは少しもない。誰からも羨ましがられる才能と容姿を持ちながらも、派手さを嫌い、引っ込み思案ですらあったという。

父の仕事で、9歳からジュネーブで3年半生活したときのこと。父は外交官であったため、召使や運転手付きの生活であり、豪華な邸宅に住んでいた。しかし、そのことに彼女は幼いながら、居心地の悪さを感じ続けている。それだけではなく、外交官的な生活だけは絶対にしたくないとすら感じていたのである。

その頃、家に来て彼女にピアノを教えてくれる女の先生がいた。彼女はその先生に対して、一種の負い目、後ろめたさのようなものを感じていたという。細身の内気そうなその先生は、容貌からしていかにも貧しそうだったからである。自分たちだけが恵まれた環境で生活していることに、安閑としていられないのだ。彼女のこうした感性は生涯消えることはなかった。(「病人に呼ばれている! 神谷美恵子」より)



(「神谷美恵子 器の人」より)

ハンセン病との出会い

自分だけが恵まれることに後ろめたさを感ずる美恵子の感性は、彼女を取り巻くキリスト教的環境からの影響も少なくないように思われる。父の前田多門は、クリスチャンの新渡戸稲造に私淑していた。母の房子も、クウェーカー派のキリスト教信者で、多門との結婚も、新渡戸の強い勧めがあったのである。また母の弟、つまり美恵子の叔父は、内村鑑三が提唱した無教会派に属する熱心な伝道師であった。……(同「病人に呼ばれている! 神谷美恵子」より)
1914年、前田多聞、房子の長女として岡山市で生まれた。父は東京大学を卒業後内務省官吏となるが、生まれた大阪の商家は没落しており神谷の誕生当時貧しい暮らしであった。母もまた群馬県の貿易商の子として生まれたが祖父の夭折とともに家も没落、クエーカー教徒の経営する東京の女学校を給費生として卒業した。(神谷美恵子と「生きがいについて」



        (神谷美恵子:長島愛生園にて・1996・9・朝日ジャーナル)


◆中井久夫書評「『神谷美恵子』江尻恵美子著」

神谷美恵子が精神病の恐怖を秘めていたとしても当然であり、実際、多くの精神病患者が挫折したところで辛くも成功したということさえできる。それは両側が断崖である痩せ尾根を走りとおすことである。神谷美恵子が生前すでに「何ともかかがやしかった」とも「とてもさびしく見えた」とも評され、本書の読後にも「不幸なひとではなかったか」という感想を聞いたのはこのきわどさゆえであろう。

ポーはその不幸な生涯のどん底から「この世で到達可能な幸福」の四条件として「困難であるが不可能でない努力目標」「野心の徹底的軽蔑」「愛するに足る人の愛」「野外での自由な身体運動」の四つを挙げている。彼女をこれらの点についてみるならばポーよりもはるかに幸福であろう。第一についてはいうまでもなかろう。第二に、もし世俗的権力欲にいささかでも誘われたらすべては空しかったであろう。彼女が進んで辺縁に身を置き、もっとも疎外された人々とともにあろうとし、もっとも些細な仕事をも喜んで引き受けたのは図らずも自身の精神健康への大きな貢献であった。第三に「神谷美恵子の子どもであることはメイワクなことです」と御子息の一人が口走ったように、彼女の家族であることも希有な難行である。彼女を聖女から分かつものは結婚して出産してなお彼女でありつづけたことである。彼女の夫君であることに成功しつつ、自身すぐれた生物学者である夫君の存在も「才能は単独ではありえない」とする定理の例証であろう。(中井久夫『時のしずく』所収)





他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)

※フーコー『臨床医学の誕生』神谷美恵子訳(みすず書房)
→www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/class2005_06.doc

死というのは一点ではない、生まれた時から少しずつ死んでいくかぎりで線としての死があり、また生とはそれに抵抗しつづける作用である。―――フーコー『臨床医学の誕生』(ビシャの言葉引用から)

さて、わたくしはこうやって引用しているが、何かを見ずにすませているのではないだろうか。

見ることの技術の体系化は、しかし、それ自体として完成されるものではない。とりあえずそれが可能なのは、病気が正常と、狂気が理性と、言葉が物とすでに分離しているという歴史的な前提があるからにすぎない。技術体系にその機能を許しているのは、あくまでこの分割である。技術の歴史は、この分割をもその文脈にとりこみえたとき、はじめてその歴史性を開示することになるだろう。また、『狂気の歴史』や『臨床医学の誕生』、そして『言葉と物』が歴史的な書物になっているのもその限りにおいてである。

この三冊の歴史的な書物で問われているのは、まぎれもなく見ることの技術体系である。だが、視線が技術の問題であるとしても、その技術が何を見るのかのそれではなく、何も見ずにおくための技術であったという点は改めて強調しておく必要があるだろう。それは、不可視のまわりに配置された視線の体系なのだ。事実、技術に翻訳されえないが故に病気は病気なのだし、狂気は狂気なのだし、言葉は言葉なのだ。『臨床医学の誕生』で強調されていたのが、医師がいかに病気を見ていなかったかという点にあったことを思い起こすまでもなく、見ることは見ずにおくことの技術の体系として、ながらく人間的な思考を支えていたのだ。(蓮實重彦「視線のテクノロジー フーコーの「矛盾」」)





フーコーは神谷さんがあれだけ真剣にとりくむほどの相手ではなかったように思えて惜しい。フーコーが神谷さんの訳された著作についての彼女の問いに「若気のいたり」と軽く受け流したことは、いつも真剣で全力投球をする彼女にとっては意外中の意外だったのではないか(中井久夫「精神科医としての神谷美恵子さんについて」)






中井久夫は、明らかに神谷美恵子さんを崇敬している。医師としての理想的な範としている。しかも、《言い切りにできないのは、未見の方でありながら、どこかに近しさの感覚を起させるものがあるからだと思う。「先生」という言い方をわざとらしくよそよそしく思わせるのも、このぬくもりのようなもののためだろう》ーー、そして《「神谷(美恵子)さん」がもっともおさまりがよい》としているように、それは中井久夫が別の女性の書評(臨床心理学者村瀬 嘉代子の書)で表現したのと似たような感覚のことを言おうとしているはずだ。

朝礼で整列している時に、隣りにいるまぶしいばかりの少女に少年が覚えるような羞恥と憧憬と、近しさと距離との同時感覚中井久夫の恋文

神谷美恵子さんだけではなく、中井久夫の「秘密」も上に引用されたいくつかの文から窺うことができるのかもしれない。かつまた「無欲な人か途方もない大欲の人だ」という中井久夫への氏の友人評は、神谷美恵子さんにもあてはまるのではないか。

私は高校二年の時、「隠れた人生が最高の人生である」というデカルトの言葉にたいへん共感した。私を共鳴させたものは何であったろうか。私は権力欲や支配欲を、自分の精神を危険に導く誘惑者だとみなしていた。ある時、友人が私を「無欲な人か途方もない大欲の人だ」と評したことが記憶に残っている。私はひっそりした片隅の生活を求めながら、私の知識欲がそれを破壊するだろうという予感を持っていた。その予感には不吉なものがあった。私は自分の頭が私をひきずる力を感じながら、それに抵抗した。それにはかねての私の自己嫌悪が役立った。 (中井久夫「編集から始めた私」『時のしずく』 )





…………

ここでは、「ルソー派とニーチェ派」で検討したフロイト「死の欲動」概念やニーチェの「権力への意志」概念の言及は可能なかぎり避けた。

そこではたとえばニーチェの言葉とフロイトの言葉の引用がある。

粗野で自由で漂泊的な人間のあの諸本能に悉く廻れ右をさせ、それらを人間自身の方へ向かわせた。敵意・残忍、迫害や襲撃や変革や破壊の悦び、――これらの本能がすべてその所有者の方へ向きを変えること、これこそ「良心の疚しさ」の起源である。(ニーチェ『道徳の系譜』木場深定訳)
われわれの攻撃欲動を無力化するため、どんな方法がとられているだろうか。…われわれの攻撃欲動を取りこみ、内面化する方法である。しかし実のところこれは、攻撃欲動をその発祥地へ送り返すこと、つまり自分自身へと向けることに他ならない。(フロイト『文化への不満』フロイト著作集3 人文書院)

今は「神の声」なるもののニーチェ流解釈をもうひとつだけ附記しておく。そして神谷さんの場合は「病者の呼び声」であるなら神の声とは異なるとも、くり返しになるが、念押ししておこう。

良心とは、一般に信じられているように「人間の中なる神の声」などではないということ――良心とは、もはや外部に向かって放電できなくなってしまったので方向を変えて内面へ向かうようになった残虐性の本能であるということ。( ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

さらに誤解のないように言っておけば、神谷美恵子さんの未公開手記の言葉、《私はたしかに自分のそうした力をエンジョイしている。あらゆる人間を征服しようとする気持ちがある。征服してもてあそぶ》の「征服」という言葉を「残虐性の本能」とまで読み変えるつもりは全くない。そして彼女の未公開の手記そのものも信じすぎてはならないだろう。

哲学者がかつてその本当の最後の意見を書物のなかに表現したとは信じない。

書物はまさに、人が手もとにかくまっているものを隠すためにこそ、書かれるものではないか。(ニーチェ『善悪の彼岸』289番 秋山英夫訳)





ひとがものを書く場合、分かってもらいたいというだけでなく、また同様に確かに、分かってもらいたくないのである。およそ誰かが或る書物を難解だと言っても、それは全然非難にならぬ。おそらくそれが著者の意図だったのだーー著者は「猫にも杓子にも」分かってもらいたくなかったのだ。

すべて高貴な精神が自己を伝えようという時には、その聞き手をも選ぶものだ。それを選ぶと同時に、「縁なき衆生」には障壁をめぐらすのである。文体のすべての精緻な法則はそこ起源をもつ。それは同時に遠ざけ距離をつくるのである。(『悦ばしき知識』秋山英夫訳)

いずれにせよ、聖女であれ悪魔であれ神話化は避けねばならぬ、ということは言える。

《誤った崇拝は理想化をうむ。それは他者の弱さを見えなくする──あるいは、それはむしろ、自己のいだく幻影を投影するスクリーンとして他者を利用し、他者そのものを見えなくする。》(ジジェク『信じるということ』)

第二次世界大戦におけるフランスの早期離脱には、第一次大戦の外傷神経症が軍をも市民をも侵していて、フランス人は外傷の再演に耐えられなかったという事態があるのではないか。フランス軍が初期にドイツ国内への進撃の機会を捨て、ドイツ国内への爆撃さえ禁止したこと、ポーランドを見殺しにした一年間の静かな対峙、その挙げ句の一ヶ月間の全面的戦線崩壊、パリ陥落、そして降伏である。両大戦間の間隔は二十年しかなく、また人口減少で青年の少ないフランスでは将軍はもちろん兵士にも再出征者が多かった。いや、戦争直前、チェコを犠牲にして英仏がヒトラーに屈したミュンヘン会議にも外傷が裏で働いていたかもしれない。

では、ドイツが好戦的だったのはどういうことか。敗戦ドイツの復員兵は、敗戦を否認して兵舎に住み、資本家に強要した金で擬似的兵営生活を続けており、その中にはヒトラーもいた。ヒトラーがユダヤ人をガスで殺したのは、第一次大戦の毒ガス負傷兵であった彼の、被害者が加害者となる例であるからだという推定もある。薬物中毒者だったヒトラーを戦争神経症者として再検討することは、彼を「理解を超えた悪魔」とするよりも科学的であると私は思う。「個々人ではなく戦争自体こそが犯罪学の対象となるべきである」(エランベルジェ)。(中井久夫 「トラウマとその治療経験」『徴候・記憶・外傷』所収 P88))





わたしは、いつの日か人から聖者と呼ばれることがあるのではなかろうかと、ひどい恐怖をもっている。こう言えば、なぜわたしがこの書を先手をとって出版しておくのか、その真意を察してもらえるだろう。わたしは自分が不当なあつかいをされないよう、予防しておくのだ……わたしは聖者になりたくない、なるなら道化の方がましだ……おそらくわたしは一個の道化なのだ……だが、それにもかかわらず、あるいはむしろ「それだからこそ」――なぜなら、いままで聖者以上に嘘でかたまったものはなかったのだからーーわたしの語るところのものは真理なのだ。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)

…………

ーーという引用を主にした上の記述は、以下の小林秀雄の叙述に何十年かぶりで行き当たって、すこし調べてみようとしたものである。

◆メモ:ハンセン氏病(癩病)

『文学界』(昭和十一年二月号)に、一つ異様な小説が載っている。北条民雄氏の「いのちの初夜」だ。作者は癩病院で生活している癩患者である。この雑誌に以前同じ作家の作品「間木老人」が発表された時、その号の編輯後記に、作者は癩病患者であるという文句があるのを見とがめて、ある人が、実に失敬だと憤慨していたが、そういう人も、この第二作を読めば、僕らは、お互いに、実に失敬だなぞと憤慨する結構な社会に生きていることを納得するだろう。

「人間ではありませんよ。生命です。生命そのもの、いのちそのものなんです。……あの人たちの『人間』はもう死んで亡びてしまったんです。ただ、生命だけが、ぴくぴくと生きているのです。なんという根強さでしょう。誰でも癩になった刹那に、その人の人間は亡びるのです。死ぬのです。社会的人間として亡びるだけではありません。そんなあさはかな亡び方では決してないのです。廃兵ではなく、廃人なんです」

作者は入院当時の自殺未遂や悪夢や驚愕や絶望を叙し、悪臭を発して腐敗している幾多の肉塊に、いのちそのものの形を感得するという、異様に単純な物語を語っている。こういう単純さを前にして、僕は言うところを知らない。

読者さえふえれば、創作のモチフなどは、どうであろうがかまわない文士から、「小説の書けない小説家」という小説を書かざるを得ない文士に至るまで、何もかもひっくるめて押し流す濁流のような文壇から、こういう肉体の一動作のような、張りのある肉声のような単純さを持った作品を、すくい上げて眺めると、何かしら童話じみた感じがする。癩病院の風景が、おそらくは如実に描き出されていながら、そんなものを知らない僕には何か幻想的な感じを与えるのと一般であろう。自意識上の複雑な苦痛の表現も、この作者から見れば、なんのことはないいのちをもたあそぶ才能と映ずるかもしれない。

いずれにせよ稀有な作品だ。作品というよりむしろ文学そのものの姿を見た。ある人曰く、俺には癩病になれとでも言うのかい。(小林秀雄「作家の顔」)