国家(政治)も共同体(国民あるいは民主主義)も、資本(経済)の掌の上で踊っている猿にすぎない。資本は金といってもいい。
個人の生活においての究極の資本は食い物である。
隣人とか
肉親とか
恋人とか
それが何であらふ――
生活の中の食ふと言ふ事が満足でなかつたら
描いた愛らしい花はしぼんでしまふ
快活に働きたいものだと思つても
悪口雑言の中に
私はいじらしい程小さくしやがんでゐる。
ーー林芙美子「苦しい唄」より
三つの環の動きを統御するにはアソシエーションしかない。これが前回示したようにマルクスにとってはコミュニズムだ。
ボロメオの最も基本的な読み方は次の通り。
ボロメオの環において、想像界の環は現実界の環を覆っている。象徴界の環は想像界の環を覆っている。だが象徴界自体は現実界の環に覆われている。これがラカンのトポロジー図の一つであり、多くの臨床的現象を形式的観点から理解させてくれる。例えば、父の形象は、われわれが純粋な臨床データにて作業する限り、しばしば矛盾を孕んでいる。だが現実界的父、象徴界的父の機能、想像界的父のイメージにて臨床データを捉えれば、事態は明瞭になってくる。(ポール・バーハウ PAUL VERHAEGHE、DOES THE WOMAN EXIST? 1999)
国家は資本に覆われているのだから、国家が資本の欲動に突き動かされているのは当たり前だ。そして国家は国民(共同体)を覆う、つまり支配しようとする。だが国民は、民主主義やら平等やら愛やらと言って、資本を覆う。日本においてなら金詰りを見て見ないふりをする。
ところで民主主義社会では国家=政治は国民を支配できない。
現実の民主主義社会では、政治家は選挙があるため、減税はできても増税は困難。民主主義の下で財政を均衡させ、政府の肥大化を防ぐには、憲法で財政均衡を義務付けるしかない。(ブキャナン&ワグナー著『赤字の民主主義 ケインズが遺したもの』)
事実上、政治家は選挙のために国民の奴隷である。したがって政治は資本の欲動あるいは金欠を見ないふりをするようになる。特に日本においては反知性的なポピュリズムが極まり、ボロメオの環は実際は次の形なのである。
民主主義(デモクラシー)とは、大衆の支配ということです。これは現実の政体とは関係ありません。たとえば、マキャヴェリは、どのような権力も大衆の支持なしに成立しえないといっています。これはすでに民主主義的な考え方です。(柄谷行人 『〈戦前〉の思考』1994年)
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民主主義は敵である Democracy is the enemy。……「現代における究極的な敵に与えられる名称が資本主義や帝国あるいは搾取ではなく、民主主義である」というバディウの主張は正しい。「デモクラシー的錯誤」。変化のための唯一の正当な手段としてデモクラシーのメカニズムを受容することこそが、資本家的関係における本物に変革を妨げる。(ジジェク 、Democracy is the enemy、2011年)
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国家とわれわれの家計との相違は、貨幣発行権と徴税権がある違いだけである。
だが国家は、世界一の少子高齢化社会における支出にたいする徴税は少なくともこの30年間まったく十分にはできていない。すると公債を増発するしかない。
この悪の循環を避けるためには「反民主主義的に」財政均衡の義務付けが必要なのである。
たとえば、EUなどでは債務残高の上限目標がある(コロナ禍でこの目標は崩れつつあるとはいえ)。
だが日本ではそんなものはまったくない。そのせいで太平洋戦争末期を超える債務残高比率になってしまい、コロナ禍でさらにいっそう歯止めがなくなっているのが2020年の日本だ。たとえば➡︎ 「財務官僚も嘆いた「めちゃくちゃだ」 巨額補正の舞台裏」(朝日新聞、2020年7月6日)
これが現在の「日本病」の姿だ(参照)。これは政権サイドの悪だけではない。そもそも野党の主張は自民党以上に、もっと借金して国民を援助しろ!だ。典型的なのは何の具体的財源も提示せずの消費税率減額要求だ。結局、大衆の票が欲しいだけの政党でしかない、
驚くべきなのは、政治家たちだけではない。日本においてオピニオンリーダーとして振り舞いたいらしきほとんどの知識人たちが、巨額の債務残高に対して不感症であり、政治家や一般大衆と同じ穴の狢だということだ。わたくしに言わせれば、彼らをタコツボインテリと呼ぶしかないのである。
上図の1945年に示されている現象、
これらのうちの特にハイパーインフレや預金封鎖(参照)がいつ来るかはわからない。来年かもしれないし、5年後かもしれない。だが近未来に必ず訪れる。いや、たとえば消費税を30パーセント程度にする決断がなされたら避けられる可能性はある。だが世界に冠たる「民主主義の国」日本では絶望的に不可能な領域にある決断だ。もはや引き返せない道が行き着くところまで静観して財政崩壊を待つしかないというのが実情ではないか。