このブログを検索

2015年9月23日水曜日

貴種流離譚変奏としてのフロイトエディプス理論

(フロイト理論というのは)ある場合は、経験から神話へと進行する、そして神話から構造へと。他の場合は、事実を説明するために神話が発明される。言い換えれば、(フロイトは)患者を診察するかわりに病人のように振る舞っている。(レヴィ=ストロース 『親族の基本構造』)

ーーこのように記すレヴィ=ストロースは、他方、『悲しき熱帯』にて、若き彼の二人の真の師としてマルクス、フロイトを掲げていることに注意しておこう。

…………

マルト・ロベールは、フロイトの「家族小説(ファミリー・ロマンス)」概念を元に「私生児」と「捨子」という類型を提唱したのだが、たとえばあらゆる作家はこの二類型に分類されるとしている(『起源の小説と小説の起源』)。これはいわば貴種流離譚の精神分析ヴァージョンであり、小説の分析ではなく物語の分析としては、実際のところ多くが当てはまる。村上春樹の小説などはその典型だろう。

蓮實重彦もその『小説から遠く離れて』にてマルト・ロベールに言及しているのだが(P.185)、マルト・ロベール=フロイトの「私生児」あるいは「捨て子」概念を援用した日本ヴァージョンの物語分析としてまずはよい。「まずは」、としたのは蓮實重彦はマルト・ロベールのような分析にはウンザリするといっており、『小説から遠く離れて』という表題は反語であり、物語/小説の対比がなされて後者の顕揚がなされるのがこの書のテーマだからだ。

とはいえ実際のところ日本の(すくなくともある時期の)名高い作家たちの作品は似たような物語構造に当て嵌まってしまう。

どこかに一人の男がいて、誰かから何かを「依頼」されることから物語が始まっている。その「依頼」は、いま視界から隠されている貴重な何かを発見することを男に求める。それ故に、男は発見の旅へと出発しなければならない。それが「宝探し」である。ところが何かがその冒険を妨害しにかかる。多くの場合、妨害者はしかるべき権力を握った年上の権力者であり、その権力維持のために、さまざまな儀式を演出する。儀式はある共同体内部での「権力の譲渡」にかかわるものであり、そこで譲渡されべき権力と発見される貴重品とは、深い関係にあるものらしい。そのため、依頼された冒険ははかばかしく進展しなくなるのも明白だろう。発見は、とうぜんのことながら遅れざるをえない。その遅延ぶりを促進すべく予期せぬ協力者が現われ、ともすれば気落ちしそうになる男を勇気づける。協力者は、同性であるなら分身のような存在だし、異性であれば妹に似た血縁者である。二人の協力者は、どこかしら近親相姦的な愛か、倒錯的な関係を物語に導入し、純粋な恋愛の成立をはばみつつ、貴重品の発見へと向けてもろもろの妨害を乗りこえることになるだろう。(蓮實重彦『小説から遠く離れて』P250)

このように物語構造が洗い出されてしまった作品群は主に次ぎの七つの長篇小説だった。

村上春樹『羊をめぐる冒険』(1982)
井上ひさし『吉里吉里人』(1981)読売文学賞、日本SF大賞
丸谷才一『裏声で歌えよ君が代』(1982)
村上龍『コインロッカー・ベイビーズ』(1980)野間文芸新人賞
中上健次『枯木灘』(1977)
大江健三郎『同時代ゲーム』(1979)
石川淳『狂風記』(1980)


…………

ところで貴種流離譚とは、捨て子であれ私生児であれ、私の親はいま私を養育してくれている親とは違う最も偉大な親だ、私は偉大な血統生まれなのだ、とまずは思い込む事態だろう。私生児であるなら、母から生まれた起源は否定しないまでも、父はどこか別の場所にいると空想された「貴人」なのだ、と思い込むことだ。

だがフロイトはこうも書いている、すなわち実際のところ、子どもは父の代替者を創造することはそんなに多くない、むしろ父をひどく高い場に置き直す、と(『ファミリーロマンス』)。

この置き換えは、父(あるいは母の場合もある)が疑いようもなく至高の権威であることを疑わなかった喪われた幼児期への憧憬の表現だ。

フロイトの原父の神話とは、実はファミリーロマンスのフロイトヴァージョンではないか。彼のエディプス理論は神経症の主体が構築する「家族小説」と似ている。疑いようもない父の権威の歴史的な支えをフロイトは幻想的に(神経症的に)作り出したのではないだろうか。

まだ若い頃のラカンは『les complexes familiaux(家族複合)』(1938)にて、当時の家族と社会における父の家父長的なイマーゴの下落が精神病理の主な原因であるとしている。彼は精神分析はこの危機から生まれたとさえ言っている。

この洞察を引き継ぎ、かつラカンの四つの言説理論を援用して、Serge Andre( “What Does a Woman Want? ”2000)は、シニカルなひねりを加えこう言う、《ヒステリーの主体は、主人の形象が必要である。これが精神分析を創作する手助けをした》と。

ラカンも後年(セミネールⅩⅦ)、エディプス理論はフロイトの夢である、と言っている。

Ce qui est clair c'est que… simplement à voir comment FREUD articule ce mythe fondamental : qu'il est véritablement abusif de mettre sous la même accolade qu'ŒDIPE… qu'est-ce que MOÏSE… foutre de nom de Dieu, c'est le cas de le dire ! …a à faire avec ŒDIPE et le père de la horde primitive ? …c'est qu'il doit bien y avoir là-dedans quelque chose qui tient du contenu manifeste et du contenu latent, que pour tout dire et pour conclure aujourd'hui, je vous dirai que ce que nous nous proposons, c'est de l'analyse du « complexe d'Œdipe » comme étant un rêve de FREUD. (Lacan,Le Seminaire XⅦ)

夢、すなわち症状である。エディプス理論はフロイトの症状なのである。

だが症状であって何がわるいのか、ーーと記せば言い過ぎである。治療者としてのフロイトが患者にフロイト自身の症状を使って治療したらわるいにきまっている(次投稿に記す予定)。

だがラカンは『セミネール22』(RSI)にてこう宣言している、《症状のない主体はない》。もっともラカンの「症状」概念は後年変遷していることに留意しよう(参照)。

いずれにせよ、ラカン晩期のサントーム理論自体エディプス理論の再構成として捉えうる(「主体の解任destitution subjective」後の主人のシニフィアンS1構築とさえいってよい、参照)。とすればラカンのサントーム理論もラカンの症状ではないか・・・、だが我々には症状が必要なのだ、「ポワン・ド・キャピトン(クッションの綴じ目)」が(より詳細には《症状と同一化すること、とはいえ症状に向けて一種の距離を確実なものにしつつ、である》(Séminaire XXIV)にかかわる、参照)。

Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?” ( J. Lacan, Le Séminaire XXIV, L'insu que sait de l'une bévue, s'aile a mourre, Ornicar ?, 17/18, 1979, p. 21)

《なぜ我々は新しいシニフィアンを発明しないのか? たとえば、それはちょうど現実界のように、全く無意味のシニフィアンを》とでも訳せる文だが、この新しいシニフィアンがサントームである。

ラカンはこの自己によって創造されるフィクションを、サントームと呼んだ。…新しいシニフィアン或いはサントームの創造の文脈における創造とは、〈大他者〉の欠如の上に築き上げられるものである。すなわちcreatio ex nihilo無からの創造においてのみ。(Paul Verhaeghe and Declercq"Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way"2002.)

この新しいシニフィアンはS1、あるいはΣとも記されるのだがーーミレールは”S of barred A as sigma”とさえしている、S(Ⱥ)の定義のラカンの変遷はあるにしろ(参照:「父の名、Φ、S1、S(Ⱥ)、Σをめぐって」)、ある時期のこのマテームは、すなわち S(Ⱥ)=Σと読めるのだ(“Lacan's Later Teaching”)ーー、実のところ「父の名」の個人ヴァージョンなのだ。イデオロギー的父の名を取り払い(主体の解任)、新しく個人独自の父の名を構築するのがサントーム理論である(参照)。

実際、ミレール派の分析家からはこんな言葉さえ洩れている。

《父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない。父の名は、単に特別安定した結び目の形式にすぎないのだ》(Thomas Svolos“ Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant”)

"普通の精神病"をテーマにしたパリの英語セミネールにての最も目を瞠る事例のいくつかにおいて、われわれはまさにこの過程を聞くことができた。すなわち、"彼自身の個人的神話の創造"、"〈大他者〉とのひとつの絆の創造"、"世界において交渉可能性を彼に与える象徴的な母体の創造"、"〈大他者〉の言説へ入り込むことを彼女に容認させること"、そして"ファミリーロマンスを構築"。実にサンブランへの〈大他者〉の全き脱実体化であり、それは精神病者にとっての新しい診断の俯瞰図であるだけでなく、治療における新しい可能性の地平である。(同Thomas Svolos,私訳)

ここでジジェクの主人のシニフィアンS1の思いがけない簡潔な定義を挿入しておこう。

主人のシニフィアンは、無意識のサントーム、享楽の暗号である。主体はそのシニフィアンに、知らないままで主体化されている。

The Master-Signifier is the unconscious sinthome, the cipher of enjoyment, to which the subject was unknowingly subjected.(ジジェク『パララックス・ヴュー』)

ーーそもそもこの私には驚くべき定義がはたして正しいのかを探るために、S1やらΣやらS(Ⱥ)やらΦやら父の名やらの繋がりを調べだしたのだが、ひどく手間がかかった。

ただしおかげで今では次ぎのような文に巡り合っても驚くことはなくなった。

タトゥー(刺青)は身体との関係における父の名になるだろう。(J.-A. Miller: Effet retour sur la psychose ordinaire. Quarto94-95, 2009

…………

さて、ここで「偽装された自叙伝」としても読めるフロイトの『夢判断』からぬき出しておこう。彼は名高い「ローマの夢」の記述のあと、次ぎのように書いている。

……ハンニバルは私の少年時代の大好きな英雄だった、少年の誰でもそうであるように、私もカルタゴ戦争のあいだローマの戦士たちではなく、カルタゴの英雄に心を惹かれていた。さて上級生になって自分が異人種の血を引いているといいうことのもたらすいろいろの結果がわかりはじめ、また同級生間の反ユダヤ的な感情を見て、これはぼんやりしていられないぞと思いはじめるときがきてからは、このユダヤの英雄はますます偉いものに見えてきた。青年時代の私には、ハンニバルとローマとは、それぞれユダヤ人の頑張りと旧教教会の組織との象徴のごとくに思われた。爾来反ユダヤ運動がわれわれの情意生活に対して持っている意義は、幼少時代の思念や感情を固定せしめた。かくしてローマを訪れたいという願望は、私の夢の生活にとってはその他いろいろの烈しい願望の仮面かつ象徴となったのである。そして私はそういう数々の願望の実現にはかのハンニバルのごとき忍耐と専心とをもって当らなければならず、また、それらの願望の充足は、ローマに進駐したいというハンニバル畢生の願望のごとく、時には運命の恵みを享けることのまことにすくないもののように思われるのである。

さて今にしてようやく私は、すべてこれらの感情や夢のうちに今日もなおその威力を示している少年時代の一体験に到達するのである。

十歳か十二歳かの少年だったころ、父は私を散歩に連れていって、道すがら私に向って彼の人生観をぼつぼつ語りきかせた。彼はあるとき、昔はどんなに世の中が住みにくかったかということの一例を話した。「己の青年時代のことだが、いい着物をきて、新しい毛皮の帽子をかぶって土曜日に町を散歩していたのだ。するとキリスト教徒がひとり向うからやってきて、いきなり己の帽子をぬかるみの中へ叩き落した。そうしえこういうのだ、『ユダヤ人、舗道を歩くな』」「お父さんはそれでどうしたの?」すると父は平然と答えた、「己か。己は車道へ降りて、帽子を拾ったさ」 これはどうも少年の手をひいて歩いてゆくこの頑丈な父親にふさわしくなかった。私はこの不満な一状況に、ハンニバルの父、ハミルカル・バルカスが少年ハンニバルをして、家の中の祭壇の前でローマ人への復讐を誓わせた一場、私の気持にぴったりする一情景を対置せしめた。爾来ハンニバルは私の空想中に不動の位置を占めてきたのである。(フロイト『夢判断』上p254 新潮文庫 高橋義孝訳)

《爾来ハンニバルは私の空想中に不動の位置を占めてきた》、--ここにエディプス理論の起源のひとつがあるに相違ない。


(つづく)