今ではもう十何年も前から孫を持つ身になり、里方でもあるので、生まれ立ての子を預って日夜その泣き声の中で暮らしたことが四度もあり、そのつど、小さな命の盛んさに舌を巻かされた。まるで母胎の内からこんな荒漠とした世界に放り出されたことを怒っているように泣き叫ぶ。盥の湯に漬けられると、とたんに泣きやんで、これでいいんだと言わんばかりの、満足の喉声を洩らす。(古井由吉「雨の果てから「群像」2018年8月号)
ツイッターで拾ったのだがーーわたくしはツイッターをもうやっていないのだが古井由吉bot は月に一度くらいはまとめて眺めることにしているーー、 ま、当然だよな、《母胎の内からこんな荒漠とした世界に放り出されたことを怒っているように泣き叫ぶ》ってのは。やっぱり盥の湯がいいのさ、羊水がね。
なんで、幼児の世界は至福なんていう連中がいるんだろ? 馬鹿じゃないかねーー、いやシツレイ!
幼児の世界は悲惨であるという考えと至福であるという考えとが、精神分析学者のあいだで対立している。前者の代表はラカン、サリヴァンであり、出産外傷を重視する人たちもそれに属する。後者にはわが土居建朗やバリントが挙げられる。これは、その人の自己史の主観的な回想によるところもあるのだろうが、いずれにせよ、幼児期は成人言語以前であるから決定的なことはいえないとされている。(中井久夫「発達的記憶論」初出2002年『徴候・記憶・外傷』所収)
この文はこう続くのである、《「断続平衡論的発達観」にもとづけば最初の大きな断続=飛躍は出産である》。中井久夫は至福派に対してシツレイなことを書かないようにいくらか遠慮しているだけである。
⋯⋯⋯⋯
【フロイトによる出産外傷】
人間の最初の不安体験 Angsterlebnis は出産であり、これは客観的にみると、母からの分離 Trennung von der Mutter を意味し、母の去勢 Kastration der Mutter (子供=ペニス Kind = Penis の等式により)に比較しうる。(フロイト『制止、症状、不安』第7章、1926年)
オットー・ランクは『出産外傷 Das Trauma der Geburt』 (1924)にて、出生という行為は、一般に母への「原固着 Urfixierung」が克服されないまま、「原抑圧 Urverdrängung」を受けて存続する可能性をともなうものであるから、この出産外傷こそ神経症の真の源泉である、と仮定した。
後になってランクは、この「原トラウマ Urtrauma」を分析的な操作で解決すれば神経症は総て治療することができるであろう、したがって、この一部分だけを分析するば、他のすべての分析の仕事はしないですますことができるであろう、と期待したのである。この仕事のためには、わずかに二、三ヵ月しか要しないはずである。ランクの見解が大胆で才気あるものであるという点には反対はあるまい。けれどもそれは、批判的な検討に耐えられるものではなかった。(……)
このランクの意図を実際の症例に実施してみてどんな成果があげられたか、それについてわれわれは多くを耳にしていない。おそらくそれは、石油ランプを倒したために家が火事になったという場合、消防が、火の出た部屋からそのランプを外に運び出すだけで満足する、といったことになってしまうのではなかあろうか。もちろん、そのようにしたために、消化活動が著しく短縮化される場合もことによったらあるかもしれないが。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』第1章、1937年)
フロイトは原トラウマとしての出産外傷を受け入れているが臨床治療の対象としては相手にするつもりはない、という考え方のようにみえる。
《火の出た部屋からそのランプを外に運び出す》ことの否定とは、中井久夫の《流れがつまれば水下より迫れ》と相同的である。
一般に、語られる外傷性事態は、二次的な体験、再燃、再演であることが多い。学校でのいじめが滑らかに語られる時など、奥にもう一つあると一度は考えてみる必要がある。(……)
しかし、再燃、再演かと推定されても、当面はそれをもっぱら問題にしてよい。急いで核心に迫るべきではない。それは治療関係の解消あるいは解離その他の厄介な症状を起こす確率が高い。「流れがつまれば水下より迫れ(下流の障害から除去せよ)」とは下水掃除の常道である。〔中井久夫「トラウマと治療体験」『徴候・記憶・外傷』所収)
【ラカンによる出産外傷】
例えば胎盤placentaは、個人が出産時に喪なった individu perd à la naissance 己れ自身の部分を確かに表象する。それは最も深い意味での喪われた対象 l'objet perdu plus profondを象徴する。(ラカン、S11、20 Mai 1964)
新生児になろうとしている胎児を包んでいる卵の膜が破れるたびごとに、何かがそこから飛び散る。卵の場合も人間の場合も、つまりオムレットhommelette、ラメラlamelle(≒羊膜)での場合も、これを想像することができる。
⋯⋯対象 a (喪われた対象)について挙げることのできるすべての形態 formes は、ラメラの代理表象である(ラカン、S11、20 Mai 1964)
・夢の臍 l'ombilic du rêve…それは欲動の現実界 le réel pulsionnel である。
・欲動の現実界がある。私はそれを穴の機能 la fonction du trou に還元する。欲動は身体の空洞 orifices corporels に繋がっている。誰もが思い起こさねばならない、フロイトが身体の空洞 l'orifice du corps の機能によって欲動を特徴づけたことを。
・原抑圧 Urverdrängt との関係…原起源にかかわる問い…私は信じている、(フロイトの)夢の臍 Nabel des Traums を文字通り取らなければならない。それは穴 trou である。
・人は臍の緒 cordon ombilical によって、何らかの形で宙吊りになっている。瞭然としているは、宙吊りにされているのは母によってではなく、胎盤 placenta によってである。(ラカン、1975, Réponse à une question de Marcel Ritter、Strasbourg le 26 janvier 1975)
ーー『原抑圧の穴」とあるが、ラカンにとって穴とはトラウマのことである。「穴ウマ(troumatisme =トラウマ)」(S21、19 Février 1974)
【中井久夫による原トラウマ】
⋯⋯⋯⋯
フロイト・ラカン派にとって原不安とは「分離不安」である。もっともそのあと「融合不安」が生じる。決定的なのは乳幼児はかならず母もしくは母親役に人物への依存性あるいは受動的な立場に置かれることである。分離不安は誰もが承認する筈だが、融合不安とは、原支配者としての母に呑み込まれる不安である。穏やかに言えば、分離不安とは必要なときに母がいつも傍にいるわけではないこと。融合不安とは母の過剰現前。
後者を穏やかに言わなければ、次のようなこと。
⋯⋯⋯⋯
以下、母への依存性をめぐるフロイト・ラカンの記述を参考のために掲げておくが、これは何度も引用してきたので、すでに御存知の方はすっとばしていただいてもよろしい。
⋯⋯⋯⋯
さて元に戻ろう。
たとえば大地震に被災したとしよう。そのトラウマ的出来事は、過去の不安体験(究極には原トラウマ)を思いださせるというのがフロイトの考え方である。
地震による馴れ親しんだ環境の崩壊とは、原母からの「分離不安」を思い起こさせ、逆に地震に呑み込まれた衝撃は、原母に呑み込まれるという「融合不安」を生みうる場合があるのではないだろうか。
このどちらの不安が前面に出るかは状況によるだろうし、被災者の前エディプス史におけるほのかな記憶によるだろうが。たとえば幼児時代にすぐ下のきょうだいをもった人は分離不安を強く抱く傾向がある(母からやむなく分離されてしまったのだから)。他方、一人っ子で母に溺愛された経験があるなら強い融合不安を抱く場合がある。これが基本である。ほかにもたとえば漱石や折口のように幼いときに養子に出されれば生涯分離不安の生を送る。
幼き春
わが父に われは厭はえ
我が母は 我を愛メグまず
兄 姉と 心を別きて
いとけなき我を 育オフしぬ。
融合と分離とは、フロイトのエロスとタナトスにかかわる用語である。
分離不安とは融合が解体されそうになる(あるいは「された」)ときに生じる不安である。融合不安とは分離(独立)していたものが統一されそうになるとき生じる不安である。母に呑み込まれる・貪り喰われる不安とは、この究極例のひとつである。
究極の融合とは、このところ何度も記しているが、個体の死である(参照)。
社会共同体における観察においても、究極のエロスが個体の死であるだろうことは、次の事例により瞭然とする、《ヨーロッパ共同体が融合・統合に向えば向かうほど、分離・独立のナショナリズムの衝動が芽生える。》(ポール・バーハウ、1998)
【中井久夫による原トラウマ】
中井久夫は原トラウマという語を何度か口に出しているが、それがどんなものかは示していない。中井久夫のことである。たぶん内に秘めて口にはださないでいるのだろう。また原トラウマなど問うても臨床的にはあまり役に立たないという立場であるようにみえる。
治療はいつも成功するとは限らない。古い外傷を一見さらにと語る場合には、防衛の弱さを考える必要がある。⋯⋯⋯統合失調症患者の場合には、原外傷を語ることが治療に繋がるという勇気を私は持たない。
統合失調症患者だけではなく、私たちは、多くの場合に、二次的外傷の治療を行うことでよしとしなければならない。いや、二次的外傷の治療にはもう少し積極的な意義があって、玉突きのように原外傷の治療にもなっている可能性がある。そうでなければ、再演であるはずの二次的外傷が反復を脱して回復することはなかろう。(中井久夫「トラウマとその治療経験」2000年初出『徴候・記憶・外傷』所収)
最初に語られるトラウマは二次受傷であることが多い。たとえば高校の教師のいじめである。これはかろうじて扱えるが、そうすると、それの下に幼年時代のトラウマがくろぐろとした姿を現す。震災症例でも、ある少年の表現では震災は三割で七割は別だそうである。トラウマは時間の井戸の中で過去ほど下層にある成層構造をなしているようである。ほんとうの原トラウマに触れたという感覚のある症例はまだない。また、触れて、それですべてよしというものだという保証などない。(中井久夫「トラウマについての断想」初出2006年『日時計の影』所収)
⋯⋯⋯⋯
フロイト・ラカン派にとって原不安とは「分離不安」である。もっともそのあと「融合不安」が生じる。決定的なのは乳幼児はかならず母もしくは母親役に人物への依存性あるいは受動的な立場に置かれることである。分離不安は誰もが承認する筈だが、融合不安とは、原支配者としての母に呑み込まれる不安である。穏やかに言えば、分離不安とは必要なときに母がいつも傍にいるわけではないこと。融合不安とは母の過剰現前。
後者を穏やかに言わなければ、次のようなこと。
身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、だれかを貪り喰おうと探し回っています。diabolus tamquam leo rugiens circuit quaerens quem devoret(『聖ぺトロの手紙、58』)
メデューサの首の裂開的穴は、幼児が、母の満足の探求のなかで可能なる帰結として遭遇しうる、貪り喰う形象である。Le trou béant de la tête de MÉDUSE est une figure dévorante que l'enfant rencontre comme issue possible dans cette recherche de la satisfaction de la mère.(ラカン、S4, 27 Février 1957)
ラカンの母は、quaerens quem devoret(『聖ペテロの手紙』lettres 1, 5, 8)という形式に相当する。すなわち母は「貪り喰うために誰かを探し回っている」。ゆえにラカンは母を、鰐 crocodileとして、口を開いた主体 sujet à la gueule ouverte.として提示した。(ジャック=アラン・ミレール 、La logique de la cure、1993)
⋯⋯⋯⋯
以下、母への依存性をめぐるフロイト・ラカンの記述を参考のために掲げておくが、これは何度も引用してきたので、すでに御存知の方はすっとばしていただいてもよろしい。
【フロイトによる母への依存性】
…生物学的要因とは、人間の幼児がながいあいだもちつづける寄る辺なさ Hilflosigkeit と依存性 Abhängigkeitである。人間が子宮の中にある期間は、たいていの動物にくらべて比較的に短縮され、動物よりも未熟のままで世の中におくられてくるように思われる。したがって、現実の外界の影響が強くなり、エスからの自我に分化が早い時期に行われ、外界の危険の意義が高くなり、この危険からまもってくれ、失われた子宮内生活をつぐなってくれる唯一の対象は、極度にたかい価値をおびてくる。この生物的要素は最初の危険状況をつくりだし、人間につきまとってはなれない「愛されたいという要求 Bedürfnis, geliebt zu werden」を生みだす。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
母への依存性 Mutterabhängigkeit のなかに…パラノイアにかかる萌芽が見出される。というのは、驚くことのように見えるが、母に殺されてしまう(貪り喰われてしまう aufgefressen)というのはたぶん、きまっておそわれる不安であるように思われる。Denn dies scheint die überraschende, aber regelmäßig angetroffene Angst, von der Mutter umgebracht (aufgefressen?) zu werden, wohl zu sein.(フロイト『女性の性愛』1931年)
「母へのエロス的固着 erotischen Fixierung an die Mutter」の「残りもの Rest」は、しばしば母への過剰な依存 übergrosse Abhängigkeit 形式として居残る。そしてこれは女への従属 Hörigkeit gegen das Weib として存続する。(フロイト『精神分析概説』草稿、死後出版 1940 年)
母は、子供を滋養するだけではなく、世話をする。したがって、数多くの他の身体的刺激、快や不快を子供に引き起こす。身体を世話することにより、母は、子供にとっての最初の「誘惑者Verführerin」になる。この二者関係 beiden Relationen には、独自の、比較を絶する、変わりようもなく確立された母の重要性 Bedeutung der Mutter の根が横たわっている。全人生のあいだ、最初の最も強い愛の対象 Liebesobjekt として、のちの全ての愛の関係性Liebesbeziehungen の原型としての母ーー男女どちらの性 beiden Geschlechternにとってもである。(フロイト『精神分析概説 Abriß der Psychoanalyse』草稿、死後出版1940年)
【ラカンによる母への依存性】
母なる超自我 surmoi maternel・太古の超自我 surmoi archaïque、この超自我は、メラニー・クラインが語る「原超自我 surmoi primordial」 の効果に結びついているものである。…
最初の他者 premier autre の水準において、…それが最初の要求 demandesの単純な支えである限りであるが…私は言おう、泣き叫ぶ幼児の最初の欲求 besoin の分節化の水準における殆ど無垢な要求、最初の欲求不満 frustrations…母なる超自我に属する全ては、この母への依存 dépendance の周りに分節化される。(Lacan, S5, 02 Juillet 1958)
母の行ったり来たり allées et venues de la mère⋯⋯行ったり来たりする母 cette mère qui va, qui vient……母が行ったり来たりするのはあれはいったい何なんだろう?Qu'est-ce que ça veut dire qu'elle aille et qu'elle vienne ? (ラカン、セミネール5、15 Janvier 1958)
母が幼児の訴えに応答しなかったらどうだろう?…母は崩落するdéchoit……母はリアルになる elle devient réelle、…すなわち権力となる devient une puissance…全能(の母) omnipotence …全き力 toute-puissance …(ラカン、セミネール4、12 Décembre 1956)
精神分析家は益々、ひどく重要な何ものかにかかわるようになっている。すなわち「母の役割 le rôle de la mère」に。…母の役割とは、「母の惚れ込み le « béguin » de la mère」である。
これは絶対的な重要性をもっている。というのは「母の惚れ込み」は、寛大に取り扱いうるものではないから。そう、黙ってやり過ごしうるものではない。それは常にダメージを引き起こすdégâts。そうではなかろうか?
巨大な鰐 Un grand crocodile のようなもんだ、その鰐の口のあいだにあなたはいる。これが母だ、ちがうだろうか? あなたは決して知らない、この鰐が突如襲いかかり、その顎を閉ざすle refermer son clapet かもしれないことを。これが母の欲望 le désir de la mère である。(ラカン、S17, 11 Mars 1970)
⋯⋯⋯⋯
さて元に戻ろう。
たとえば大地震に被災したとしよう。そのトラウマ的出来事は、過去の不安体験(究極には原トラウマ)を思いださせるというのがフロイトの考え方である。
経験された寄る辺なき状況 Situation von Hilflosigkeit を外傷的 traumatische 状況と呼ぶ 。⋯⋯(そして)現在に寄る辺なき状況が起こったとき、昔に経験した外傷経験 traumatischen Erlebnisseを思いださせる。(フロイト『制止、症状、不安』1926年)
地震による馴れ親しんだ環境の崩壊とは、原母からの「分離不安」を思い起こさせ、逆に地震に呑み込まれた衝撃は、原母に呑み込まれるという「融合不安」を生みうる場合があるのではないだろうか。
このどちらの不安が前面に出るかは状況によるだろうし、被災者の前エディプス史におけるほのかな記憶によるだろうが。たとえば幼児時代にすぐ下のきょうだいをもった人は分離不安を強く抱く傾向がある(母からやむなく分離されてしまったのだから)。他方、一人っ子で母に溺愛された経験があるなら強い融合不安を抱く場合がある。これが基本である。ほかにもたとえば漱石や折口のように幼いときに養子に出されれば生涯分離不安の生を送る。
幼き春
わが父に われは厭はえ
我が母は 我を愛メグまず
兄 姉と 心を別きて
いとけなき我を 育オフしぬ。
融合と分離とは、フロイトのエロスとタナトスにかかわる用語である。
エロスとタナトス…。前者は、現存しているるものをより大きな統一 Einheiten に結合 zusammenzufassen しようと努め、他のものは、この融合 Vereinigungen を分離 aufzulösen(解体)し、融合によって形成された構造 entstandenen Gebilde を破壊 zerstören しようとする。(フロイト『終りある分析と終りなき分析』 1937年)
究極の融合とは、このところ何度も記しているが、個体の死である(参照)。
社会共同体における観察においても、究極のエロスが個体の死であるだろうことは、次の事例により瞭然とする、《ヨーロッパ共同体が融合・統合に向えば向かうほど、分離・独立のナショナリズムの衝動が芽生える。》(ポール・バーハウ、1998)
わたくしには、上に記した機制とそこに生じるだろう二つの原不安は容易には否定できそうもない。
不安とは、寄る辺なさ Hilflosigkeitの 状況、乗り越ええない危険 danger insurmontable 状況への応答である。(ラカン、S10, 12 Décembre l962ーー不安神経症と不安ヒステリーの相違)
ーー寄る辺なさとは【フロイトによる母への依存性】の項にて引用した。
もちろんこれは「究極的には」原トラウマ(あるいは原母子関係における原不安)の井戸の底を覗くということがありうるということであり、そこまでいかずにも現在の不安体験が過去の外傷体験を思い出させるというのは誰にでもあるだろう。
たとえば古井由吉は、烏の不吉な鳴きかわしから、空襲体験を想起している。
未明に近くの烏が騒ぎ出した。けたたましく鳴きかわしている。大きな地震の前触れか。あの夜は空襲の警報サイレンのなる前から、烏がしきりに騒いでいたものだ――。(古井由吉「雨の果てから」)
母に呑み込まれる不安だって思い出しているのかもしれない。
ーー《女は子供を連れて危機に陥った場合、子供を道連れにしようという、そういうすごいところがあるんです。》(古井由吉「すばる」2015年9月号)
古井由吉は空襲体験を語れるようになったのは、ようやく最近になってからだと言っているが、それこそ真の外傷体験である。人にふれまわっているような体験は二次的な外傷記憶に過ぎない。いや外傷記憶であるかどうかさえ疑わしい。
我々は「外傷的(トラウマ的 traumatisch)」という語を次の経験に用いる。すなわち「外傷的」とは、短期間の間に刺激の増加が通常の仕方で処理したり解消したりできないほど強力なものとして心に現れ、エネルギーの作動の仕方に永久的な障害をきたす経験である。(フロイト『精神分析入門』18. Vorlesung. Die Fixierung an das Trauma, das Unbewußte、トラウマへの固着、無意識への固着 1916年ーー「外傷神経症と現勢神経症」)
いずれにせよ、母とは子供を奪い返す存在である。それが古井由吉の「道連れ」の意味である。
構造的な理由により、女の原型は、危険な・貪り喰う大他者と同一である。それは起源としての原母であり、元来彼女のものであったものを奪い返す存在である。(ポール・バーハウ, 1995, NEUROSIS AND PERVERSION: IL N'Y A PAS DE RAPPORT SEXUEL)
ーー勘違いしている人が多すぎる。分離不安のみを考えている人が。
中井久夫も、はっきりは記してはいないにしろ、阪神大震災によって小学校時代の「いじめ体験」などを想起しているのは、彼の文章をいくらか追ってみるだけですぐ分かる。
阪神・淡路大震災は私の中の何かを変えた。地面が揺れたごときで何が変わるかと自分に言いきかせたのは今から思えば笑止であった。
まず、私は沈黙している患者の側に何時間でもいるという精神科医にとって不可欠な能力をまだ回復していない。三十年以上続けられていたこのことができなくなった。私は一九九七年春に病院を定年で退くからおそらく回復の機会はないだろう。これは高揚状態というか躁状態で地震に続く事態に対応した後遺症ではないかと思う。
いっぽう、私は患者のこころの傷に敏感となった。幼年時代の虐待や学校でのいじめを受けた過去が現在に働いているのを察知するのに敏速になった。過去の過酷な体験のフラッシュバックに今も苛まれている患者がいかに多いか。(中井久夫「私の「今」」1996年8月初出『アリアドネからの糸』所収)
…笑われるかもしれないが、大戦中、飢餓と教師や上級生の私刑の苦痛のあまり、さきのほうの生命が縮んでもいいから今日一日、あるいはこの場を生かし通したまえと、“神”に祈ったことが一度や二度ではなかったからである。最大限度を、“神”に甘えて四十歳代にしてもらった。この“秘密”をはじめて人に打ち明けたのは五十歳の誕生日を過ぎてからである。(中井久夫「知命の年に」初出1984年『記憶の肖像』所収)
⋯⋯⋯⋯
※付記
原不安などということを記すと、まさか、という人がいるかもしれないが、頭では覚えていなくても身体で覚えているということは充分にありうる。次の文は、胎内にいる時のことさえ身体で覚えているだろうことを指摘していると読める。
聴覚のような遠距離感覚でさえ、水の中では空気中よりもよく通じ、音質も違うはずだ。母親の心音が轟々と響いていて、きっと、ふつうの場合には、心のやすらぎの妨げになる外部の音をシールドし、和らげているに違いない。それは一分間七〇ビートの音楽を快く思うもとになっている。児を抱く時に、自然と自分の心臓の側に児の耳を当てる抱き方になるのも、その名残りだという。母の心音が乱れると、胎児の心音も乱れるのは知られているとおりである。いわば、胎児の耳は保護を失ってむきだしになるのだ。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」 『時のしずく』所収)
そしてまた別の観点からの核心は フロイトの「遡及性 Nachträglichkeit」概念である。ここでは簡潔なラカンおよびラカン派の言葉を列挙しておこう。
原初 primaire は…最初ではない pas le premier。(ラカン、S20、13 Février 1973)
人は、原対象a(原初に喪われた対象)を、言語記憶としては覚えているわけはない。
原初に把握されなかった何ものかは、ただ事後的にのみ把握される。quelque chose qui n'a pas été à l'origine appréhendable, qui ne l'est qu'après coup (ラカン、S7、23 Décembre 1959)
人は常に次のことを把握しなければならない。すなわち、各々の段階の間にある時、外側からの介入によって、以前の段階にて輪郭を描かれたものを遡及的rétroactivementに再構成するということを。il s'agit toujours de saisir ce qui, intervenant du dehors à chaque étape, remanie rétroactivement ce qui a été amorcé dans l'étape précédente (ラカン、S4、13 Mars 1957)
ーー事後的 après coup 、遡及的 rétroactivementとあるが、同じ意味である。
とはいえこれはどういうことか?
哲学的ラカン派の最も簡潔な言い方なら、
潜在的リアルは象徴界に先立つ。しかしそれは象徴界によってのみ現勢化されうる。(ロレンゾ・チーサ Lorenzo Chiesa, Subjectivity and Otherness, 2007)
臨床家的に言えば、
原対象aから身体へ、自我へ、主体へ、そしてジェンダーへ、しかし後向きの配列で。すなわち、「以前」は遡及的に存在するようになる。「次」ーーそのなかに「以前」が外立ex-sistする、「次」から始めて。
「原初」要素は、「二次」要素によって、遡及的に輪郭を描かれる。この「二次」要素のなかには「原初」が含まれている、「異物」としてだが。(ポール・バーハウ Paul Verhaeghe, BEYOND GENDER, 2001)
※異物 Fremdkörperについては、 「侵入・刻印・異物」を参照。