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2023年4月8日土曜日

浅はかな若造御用学者と戦争前夜

 


羽場久美子さんは広島サミット自体、日本は懸け橋の役割をすべきだと言っているんだが、なぜこういう当たり前のことが言えないんだろうね、あれらの連中は。


一年前、羽場久美子さんの次の発言に対して、鈴木一人、池内恵、中山俊宏、東野篤子という、篠田英朗曰くの「浅はかな若造御用学者」が次のように反応しているのを拾ったことがあるがね。




こういう連中がさ、ーー男前の中山俊宏は死んじゃったけどーー、戦争前夜の発言繰り返してるんだけど。



知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本人に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と、思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。(渡辺一夫『敗戦日記』1945 年 3 月 15 日)



昔も今も変わらないんだよ、中山俊宏曰くの「日本の変わらない、変わろうとしない」学者の姿だね。



文学部のなかで、長い戦争に対して疑問をもつ、あるいは反対だということをはっきりとした姿勢で考えていた人は教員80人近くいたと思いますが、ふたりだけ。渡辺一夫先生と、それから言語学科の神田先生。そのふたりは、はっきりと戦争全体に反対。ぼくも、そうですけれどね。


あとは、いわゆる日支事変段階ではね「この戦争は一体どこまで泥沼に入ってしまうのか」と懸念をもっている人はいくらかいた。しかし日米戦争で空気はがらっと変わります。ハワイ真珠湾攻撃の日に、たまたま大学へ行ったんです。ある研究室のドアからね、教授、助教授の興奮した声が聞こえました。戦争の性格が変わった、この戦争はアジアの植民地解放戦争なんだ、これで戦争目的ははっきりしたと。そういう声が聞こえてきた。なるほど、これがこれからの日本政府の宣伝のポイントになるだろうという感じを受けました。

僕はアジアの植民地解放のためというスローガンを出すならば、なぜ朝鮮と台湾の問題に触れないのか。朝鮮の自主独立を許す、台湾を中国へ返すということを、日米戦争が始まったときにすぐに宣言していたら、アジアの解放もいいですよ。しかし、自分の植民地はそのままにしておいて、これはアジア解放戦争だと言っても通用しませんよ。(日高六郎『映画日本国憲法読本』2004年)




2023年4月6日木曜日

米政府は世界を破壊することを選ぶだろう

 

世界の終わりは内的カタストロフィの投射である[Der Weltuntergang ist die Projektion dieser innerlichen Katastrophe](フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)


………………


キム・ドットコム (Kim Dotcom)氏は、3月10日に突如発表されたイランとサウジアラビアの関係改善合意の3日後のツイートを本日ふたたび強調している。


@KimDotcom April 6


この下のツイートは、今、世界にとって最大のリスクである。世界貿易における高速の脱ドル化により、米政府が機能するのに十分な負債を調達することが不可能になる。米軍は手に負えなくなる。今か今かと大きな紛争に使わざるを得なくなる。

@KimDotcom Mar 13


米政府は、もはや軍事の余裕がないことを知っている。結論は、「今使うか、使わないか」ということになる。それが危険だ。


第三次世界大戦は避けられないように見える。米政府は、国民や世界からの破産や罰を受け入れるくらいなら、世界を破壊することを選ぶだろう。

Kim Dotcom @KimDotcom April 6 2023

This tweet below is now the biggest risk to the the world. The high-speed de-dollarization in global trade will make it impossible for the US Govt to raise enough debt to function. The US military becomes unaffordable. It will have to be used for a major conflict now or never.

@KimDotcom Mar 13

The US Govt knows it will no longer be able to afford its military. The conclusion will be to use it now or never. That’s the danger.


World War III seems inevitable. The US Govt would rather destroy the world than accept bankruptcy and punishment from its citizens and the world.




親NATO(親米親宇)であれ親露であれ、あるいは中立であれ、現在の世界の脱ドル化への急速な動きーー基軸通貨ドル崩壊への道ーーに驚愕していない連中はカボチャ頭である(参照:脱ドル化の影響)。



この急激な脱ドル化の直接の引き金となったのは、「中国の仲介による」イラン・サウジアラビア関係改善合意なのである。


在中国大使館参事官、アジア局中国課長などを歴任された元外交官の浅井基文氏はこの間の消息について比較的詳しく記事にされている。


 3月10日に突如発表されたイランとサウジアラビアの関係改善合意は大きな驚きを持って受け止められました。しかも、この合意成立を仲介したのが中国であったということも世界中を驚かせるに十分でした。とりわけ、中東政治を長年にわたって支配・差配してきたアメリカが受けた衝撃は並々ならぬものがありました。そのことを示すエピソードがあります。……(イラン・サウジアラビア関係改善合意と中国の仲介外交、浅井基文 4/2/2023


ーーと始まり、何が起こったのか今後どんな影響をもたらすのかを考える、少なくともその手始めになる秀逸な記事であり、とても勉強になる。







信念の人の「選択的非注意」

 

この名古屋大学斎藤誠教授の言ったらしい《「そんなことは絶対起きて欲しくない」という人々の心理的な性向から往々にして思考停止に陥りがちになる》というのはいいね。



藤巻健史氏によって繰り返される円暴落の話の文脈での斎藤教授の言葉の引用だ。



とはいえ、である。藤巻健史氏はこう言いつつドルには絶対信任を置いているんだな、いまだに。それが不思議でならないね。



藤巻健史氏は、基軸通貨ドルの崩壊の可能性には「思考停止」になっているんじゃないかね、《「そんなことは絶対起きて欲しくない」という人々の心理的な性向から往々にして思考停止に陥りがちになる》に。別の言い方なら「選択的非注意」に。


古都風景の中の電信柱が「見えない」ように、繁華街のホームレスが「見えない」ように、そして善良なドイツ人の強制収容所が「見えなかった」ように「選択的非注意 selective inatension」という人間の心理的メカニズムによって、いじめが行われていても、それが自然の一部、風景の一部としか見えなくなる。あるいは全く見えなくなる。(中井久夫「いじめの政治学」1997年『アリアドネからの糸』所収)

戦争の準備に導く言葉は単純明快であり、簡単な論理構築で済む。人間の奥深いところ、いや人間以前の生命感覚にさえ訴える。誇りであり、万能感であり、覚悟である。これらは多くの者がふだん持ちたくて持てないものである。戦争に反対してこの高揚を損なう者への怒りが生まれ、被害感さえ生じる。仮想された敵に「あなどられている」「なめられている」「相手は増長しっ放しである」の合唱が起こり、反対者は臆病者、卑怯者呼ばわりされる。戦争に反対する者の動機が疑われ、疑われるだけならまだしも、何かの陰謀、他国の廻し者ではないかとの疑惑が人心に訴える力を持つようになる。


さらに、「平和」さえ戦争準備に導く言論に取り込まれる。すなわち第一次大戦のスローガ ンは「戦争をなくするための戦争」であり、日中戦争では「東洋永遠の平和」であった。戦争の否定面は「選択的非注意」の対象となる。「見れども見えず」となるのである。(中井久夫「戦争と平和についての観察」 2005年)


この「選択的非注意」は、藤巻氏に限らず、一般人以上に専門家と呼ばれる人々にことさら起きやすい気がするね。例えば、この1年間、国際政治学者の発言を観察したり、さらに2年前ぐらいからのウイルスあるいはワクチンに関わる医者たちの発言をいくらか観察した限りで、つくづくそう思ったよ。


専門家というより「信念の人」、そう言い直してもよい。


信念は牢獄である[Überzeugungen sind Gefängnisse]。それは十分遠くを見ることがない、それはおのれの足下を見おろすことがない。しかし価値と無価値に関して見解をのべうるためには、五百の信念をおのれの足下に見おろされなければならない、 ーーおのれの背後にだ・・・〔・・・〕


信念の人は信念のうちにおのれの脊椎をもっている。多くの事物を見ないということ、公平である点は一点もないということ、徹底的に党派的であるということ[Partei sein durch und durch]、すべての価値において融通がきかない光学[eine strenge und notwendige Optik in allen Werten] をしかもっていないということ。このことのみが、そうした種類の人間が総じて生きながらえていることの条件である。〔・・・〕


狂信家は絵のごとく美しい、人間どもは、根拠に耳をかたむけるより身振りを眺めることを喜ぶものである[die Menschheit sieht Gebärden lieber, als daß sie Gründe hört...](ニーチェ『反キリスト者』第54節、1888年)


もちろん私がこうニーチェを引用したのは「自戒」の意味もあるのであって、自ら常にこれに陥っていないか注意しなくちゃいけないということだ、それはても難しいとはいえ。


他人のなすあらゆる行為に際して自らつぎのように問うて見る習慣を持て。「この人はなにをこの行為の目的としているか」と。ただしまず君自身から始め、第一番に自分を取調べるがいい。(マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳)



私は最近出会った室生犀星の言い方をとても好むね、《自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきた》という言い方を。


私といふ作家はその全作品を通じて、自分をあばくことで他をもほじくり返し、その生涯のあいだ、わき見もしないで自分をしらべ、もっとも身近かな一人の人間を見つづけてきたのである。(室生犀星「杏っ子」後書、1957年)





2023年4月5日水曜日

自分が持っているかどうか自信のないものを、本当に欲しがっているかどうか自信のない人に与えること

 

辛いものがあるんだろうな、繊細な人間であればあるほど。


実際コンサート・ホールという場にあっては、音楽はめったに人の心に届かないと彼はすでに感じていた。うとうとしている人々、終わったあとの食事を思い浮かべている人々、翌日になって演奏会に行ったと語るのが目的で来ている人々、彼らを除いてしまえば、ほとんど誰もいなくなる。ぬるま湯につかったような態度で音楽に接する人々や、音楽を聞きながら夢想や計算をやめずにいられる人々に比べれば、音楽に恐れをなして逃げ出してしまう人々のほうがよかった。(ミシェル・シュネデール『グールド ピアノソロ』アリア、1988年)

コンサート・ホールの限界ーーほとんど誰も聴いていないし、レコードを聴く者にくらべると演奏会の聴衆は注意力が散漫であり、それに二十万人という数の人間に触れることができるのに、二千人の人間に語りかけてどうなるというのかーーに甘んじようとはしないあのような孤独はたしかに傲慢といえるかもしれない。グールドは同類とのコミュニケーションを拒否したが、それはただコミュニケーションではないもの、「コミュニケーションの時代」という名のもとに売られるあの空虚な文句に対する拒否反応だったのだ。彼の孤独は、個々の人間とその孤独において結合するための手段だった。グールドがわれわれに示したのは、彼を聴こうとするとき、もはやそこに彼はいないという恥じらい、あるいは友愛だった。(ミシェル・シュネデール『グレン・グールド ピアノソロ』第6変奏)


……確信をもっていつも同じ演奏をくりかえす演奏家がいる。この確信は現実の音を聞くことを妨げる障害になるのではないかと思うが、 感性のにぶさと同時に芸の傲慢さをしめしているのだろう。演奏が商品でありスポーツ化している時代には、演奏家の生命は短い。市場に使い捨てられないためには、いつも成長や拡大を求められているストレスがあるのかもしれない。(掠れ書き25 ピアノを弾くこと  高橋悠治 水牛だより 2013年2月)



前回掲げた能面師のような「職人」ならいざ知らず、演奏家は聴衆に媚を売らざるを得ないところがあるんだろうからな。


…………………


ピアニストであるということは、かくも難しいことなのだ。誰もあなたに期待してない、誰もあなたを必要としていない。ジャック・ラカンならこう言っただろう。ピアノを弾くということは、自分が持っているかどうか自信のないものを、本当に欲しがっているかどうか自信のない人に与えることである。(オリヴィエ・ベラミー『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』1990年)



もちろんこれはピアニストに限らない。


愛とはあなたが持っていないものを与えることだ、それを欲していない人に。[L'amour, c'est donner ce qu'on n'a pas à quelqu'un qui n'en veut pas. ](Lacan, S12, 17  Mars 1965)



私たちは愛する、「私は誰?」という問いへの応答、あるいは一つの応答の港になる者を。On aime celui ou celle qui recèle la réponse, ou une réponse, à notre question : « Qui suis-je ? » 〔・・・〕

愛するためには、あなたは自らの欠如を認めねばならない。そしてあなたは他者が必要であることを知らねばならない。すなわちあなたは彼もしくは彼女がいなくて寂しいということである。Pour aimer, il faut avouer son manque, et reconnaître que l'on a besoin de l'autre, qu'il vous manque. qu'il vous manque.


自らを完全だと思う者、あるいはそう欲する者は、愛することを知らない。時に彼らは痛みをもってこれを確かめる。彼らは巧みに操る、愛の糸を引く。しかし彼らは愛のリスクも愛の喜びも知らない。Ceux qui croient être complets tout seuls, ou veulent l'être, ne savent pas aimer. Et parfois, ils le constatent douloureusement. Ils manipulent, tirent des ficelles, mais ne connaissent de l'amour ni le risque, ni les délices.

ラカンはよく言った、《愛とは、あなたが持っていないものを与えることだ》と。その意味は、「あなたの欠如を認め、その欠如を他者に与えて、他者のなかに置く 」ということである。あなたが持っているもの、つまり品物や贈物を与えるのではない。あなたが持っていない何か別のものを与えるのである。それは、あなたの彼岸にあるものである。愛するためには、自らの欠如を引き受けねばならない。フロイトが言ったように、あなたの「去勢」を引き受けねばならない。« Aimer, disait Lacan, c'est donner ce qu'on n'a pas. » Ce qui veut dire : aimer, c'est reconnaître son manque et le donner à l'autre, le placer dans l'autre. Ce n'est pas donner ce que l'on possède, des biens, des cadeaux, c'est donner quelque chose que l'on ne possède pas, qui va au-delà de soi-même. Pour ça, il faut assumer son manque, sa « castration », comme disait Freud.


そしてこれは本質的に女性的である。人は、女性的ポジションからのみ真に愛する。愛することは女性化することである。この理由で、愛は、男性において常にいささか滑稽である。もし彼が自らの滑稽さになすがままになったら、実際のところ、自らの男性性についてまったく確かでなくなる。Et cela, c'est essentiellement féminin. On n'aime vraiment qu'à partir d'une position féminine. Aimer féminise. C'est pourquoi l'amour est toujours un peu comique chez un homme. Mais s'il se laisse intimider par le ridicule, c'est qu'en réalité, il n'est pas très assuré de sa virilité. (J.-A. Miller, On aime celui qui répond à notre question : " Qui suis-je ? " 2010)




享楽は去勢である[la jouissance est la castration. ]( Lacan parle à Bruxelles、Le 26 Février 1977)

要するに、去勢以外の真理はない[En somme, il n'y a de vrai que la castration]  (Lacan, S24, 15 Mars 1977)

私は、斜線を引かれた主体を去勢と等価だと記す[$ ≡ (- φ)  ]

j'écris S barré équivalent à moins phi :  $ ≡ (- φ)  (J.-A. MILLER, Choses de finesse en psychanalyse XV, 8/avril/2009)



唯一の真理はプラトンのエロスだよ、『饗宴』のアリストパネスの話だ。




人はみなちょん切れてるんだ、ほんとうは男も女も。



ちょん切れていないと勘違いしている男はファルスの詐欺師に過ぎない。



女なるものは空集合である[La femme c'est un ensemble vide ](Lacan, S22, 21 Janvier 1975)

空虚としての主体の場自体が、主体を空集合と等置する[$ ≡ Ø]

La place même du sujet comme vide, qui fait équivaloir le sujet à l'ensemble vide :$ ≡ Ø (J.-A. MILLER, CE QUI FAIT INSIGNE, 28 JANVIER 1987)


要するにラカンの斜線を引かれた主体は女だ。



さて、《自らを完全だと思う者、あるいはそう欲する者は、愛することを知らない》ーーとすれば確信的な演奏には愛はないということになるのだろうか?


ステージで倒れた後の晩年のミケランジェリは愛に溢れるようになったね、完璧主義者時代の彼とは異なって。女になったんだよ、あれは。




能面師中村光江

 実に美しい。鳥肌が立つほど。





YouTube:能面ができるまで。日本で40年以上磨き上げた職人の能面作り



能面師中村光江。次のような経歴をもたれている方だそうだ。


三重県生まれ。1969年京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学)洋画科卒業。

1983年能面を習いはじめ、1990年から能面師・堀安右衞門に師事、本格的に能面の創作に入る。

観世宗家をはじめ多数の能楽師に作品を納めている。また、大阪、神戸、京都で制作の指導にあたっている。




関連づけるつもりはないが、小林秀雄の文を想い出したので、ここに掲げておく。



当麻寺に詣でた念仏僧が、折からこの寺に法事に訪れた老尼から、昔、中将姫がこの山に籠り、念仏三昧のう ちに、正身(しやうじん)の弥陀の来迎を拝したといふこの寺の縁起を聞く、老尼は物語るうちに、嘗て中将姫 の手引きをした化尼と変じて消え、中将姫の精魂が現れて舞ふ。音楽と踊りと歌との最小限度の形式、音楽は叫 び声の様なものとなり、踊りは日常の起居の様なものとなり、歌は祈りの連続の様なものになつて了つてゐる。 そして、さういふものが、これでいゝのだ、他に何か必要なのか、と僕に絶えず囁いてゐる様であつた。音と形 との単純な執拗な流れに、僕は次第に説得され征服されて行く様に思へた。最初のうちは、念仏僧の一人は、麻雀がうまさうな顔付をしてゐるなどと思つてゐたのだが。


老尼が、くすんだ菫色の被風を着て、杖をつき、橋掛りに現れた。真っ白な御高祖頭巾の合い間から、灰色の眼鼻を少しばかり覗かせているのだが、それが、何かが化けた様な妙な印象を与え、僕は其処から眼を外らす事が出来なかった。僅かに能面の眼鼻が覗いているという風には見えず、例えば仔猫の屍骸めいたものが二つ三つ重なり合い、風呂敷包みの間から、覗いて見えるという風な感じを起させた。何故そんな聯想が浮かんだのかわからなかった。僕が漠然と予感したとおり、婆さんは、何もこれと言って格別な事もせず、言いもしなかった。含み声でよく解らぬが、念仏をとなえているのが一番ましなんだぞ、という様な事を言うらしかった。要するに、自分の顔が、念仏層にも観客にもとっくりと見せたいらしかった。


勿論、仔猫の屍骸なぞと馬鹿々々しい事だ、と言ってあんな顔を何んだと言えばいいのか。間狂言になり、場内はざわめいていた。どうして、みんなあんな奇怪な顔に見入っていたのだろう。念の入ったひねくれた工夫。併し、あの強い何とも言えぬ印象を疑うわけにはいかぬ、化かされていたとは思えぬ。何故、眼が離せなかったのだろう。この場内には、ずい分顔が集まっているが、眼が離せない様な面白い顔が、一つもなさそうではないか。どれもこれも何という不安定な退屈な表情だろう。そう考えている自分にしたところが、今どんな馬鹿々々しい顔を人前に曝しているか、僕の知った事でないとすれば、自分の顔に責任が持てる様な者はまず一人もいないという事になる。而も、お互に相手の表情なぞ読み合っては得々としている。滑稽な果敢無い話である。幾時ごろから、僕等は、そんな面倒な情無い状態に堕落したのだろう。そう古い事ではあるまい。現に眼の前の舞台は、着物を着る以上お面も被った方がよいという、そういう人生がつい先だってまで厳存していた事を語っている。


仮面を脱げ、素面を見よ、そんな事ばかり喚きながら、何処へ行くのかも知らず、近代文明というものは駆け出したらしい。ルッソオはあの「懺悔録」で、懺悔など何一つしたわけではなかった。あの本にばら撒かれていた当人も読者も気が付かなかった女々しい毒念が、次第に方図もなく拡がったのではあるまいか。僕は間狂言の間、茫然と悪夢を追う様であった。(小林秀雄「当麻」)




「過去200年で我々にとって最大の敗北」(トランプ)

 


トランプも言い出したようだ、基軸通貨ドルの崩壊を。


我々の通貨ドルは崩壊している。もはや基軸通貨の地位を失うだろう。率直に言って過去200年で我々にとって最大の敗北だ。

“Our currency is crashing and will no longer be the world standard, which will be our greatest defeat, frankly, in 200 years.” April 5 2023

参照➡︎基軸通貨ドルの崩壊について



「過去200年で我々にとって最大の敗北」というのは、米国というよりもアングロサクソンの敗北だね




➡︎「それが壊れたからって騒ぐなよ、初めからわかり切ってるじゃない」(柄谷行人、2023/02/23





あなたならどう考えますか


 中井久夫と大江健三郎のときは大した動揺はなかった、いわゆる大往生だと。だが坂本龍一の死は、私より6歳上だけの同時代を生きた人ということもあり(今見ると誕生日が同じなのに気づいた、これは阪神大震災のとき知ったが失念していた)、ある促しに襲われる。雑誌や映画などでの彼の姿を彷彿したりーー彼の音楽を聴く習慣があったわけでもないにも拘らずーー、『批評空間』での柄谷行人と浅田彰との鼎談などでの発言を思い起こしたり、坂本龍一の武満徹批判はあれは何だったかとかも探り直したりして、71歳という早過ぎる死について思いに耽ってしまう(もっとも武満徹は同じ癌で66歳で死んでいるのに早死とは感じなかったのはなぜなんだろう)。あるいは最期はどんな死に方だったのか、誰が看取ったのか等々。こういったとき「あなたならどう考えますか」と問いたくなるのは、私の場合、中井久夫なのである、中井久夫がヴァレリーだったように。


フランスの詩人ポール・ヴァレリーは、私の人生の中でいちばん付き合いの長い人である。もちろん、一八七一年生まれの彼は一九四五年七月二十日に胃癌で世を去っており、一八七五年生まれの祖父の命日は一九四五年七月二十二日で、二日の違いである。私にとって、ヴァレリーは時々、祖父のような人になり、祖父に尋ねるように「ヴァレリー先生、あなたならここはどう考えますか」と私の中のヴァレリーに問うことがあった。医師となってからは遠ざかっていたが、君野隆久氏という方が、私の『若きパルク/魅惑』についての長文の対話体書評(『ことばで織られた都市』三元社  2008 年、プレオリジナルは 1997年)において、私の精神医学は私によるヴァレリー詩の訳と同じ方法で作られていると指摘し、精神医学の著作と訳詩やエッセイとは一つながりであるという意味のことを言っておられる。当たっているかもしれない。ヴァレリーは私の十六歳、精神医学は三十二歳からのお付き合いで、ヴァレリーのほうが一六年早い。ただ、同じヴァレリーでもラカンへの影響とは大いに違っていると思う。 ヴァレリーの『レオナルド・ダ・ヴィンチ方法序説』にあるように、それぞれ自分の器量を超えた部分は、いかにも、ないも同然である。 (中井久夫「ヴァレリーと私」2008年『日時計の影』所収)



そう、中井久夫には「私の死生観」という文があった。『クリニシアン』という雑誌の依頼原稿として書かれたもので(1994年だから還暦時)、今の私の気分にピッタリの文である。ここではコメント抜きで全文掲げる。


◼️「私の死生観――"私の消滅"を様々にイメージ」

死生観というほどのものではないが、できるだけ率直に書く。


「人々みな草のごとく」


「私もいつか死ぬのだ」という実感がすとんと肚に落ちたのは、昭和一二年の夏、中国との戦争が始まったころであった。そして、いつのころか、まだ小学生のうちに、どうして私が今ここに生きている何某という人間であって他ではないのかという、人に尋ねようもない疑問が萌した。


私は結局、他の誰ともさほど変わらない「大勢のうちの一人」である「自分」と、意識、知覚、思考、感覚を私のものとしているかけがえのない一個の「私」と、それぞれ認めつつ、統一できないままである。しかしこの統一は、人間の条件を越えているとも、ときに思う。


「ワン・オブ・ゼム」であり、生理・心理・社会的存在である「自分」としては、私は、社会、職場、家庭、知己との関係の中で私なりに生きてきた。私は対人関係に不器用であり、多くの人に迷惑を掛けたし、また、何度かあそこで死んでいても不思議でないという箇所があったが、とにかくここまで生かしていただいた。振り返ると実にきわどい人生であった。 知りし人が一人一人世を去っていく今、私は私に、遠くないであろう「自分」の死を受け入れよと命じる。この点では「人々みな草のごとく」である。


そのときどきで満たされた「自己実現」


昨年の三月ごろであったか、私はふっと定年までの年数を数え、もうお付き合い的なことはいいではないかという気になった。 「面白くない論文はもう読まない。疲れる遠出はしない。学会もなるべく失礼する。私を頼ってくれる患者と若い人への義務を果たすだけにしよう。残された時間を考えれば、今の三時間は、若い時の三時間ではない」と思って非常に楽になった。


幸い、私はさほど大きな欲望を授からなかった。「自己実現」ということが人生の目標のようにいわれるが、私はほとんどそれを考えたことがない。私の「自己」はそれなりにいつも実現していたと、私は思ってきた。


私が恵まれているからだといえば、反論できない。確かに「今は死ぬに死ねない」という思いの年月もあった。しかし、私は底辺に近い生活にも、スッと入ってしまいさえすれば何とか生きていけ、そこに生きる悦びもあるということを、戦後の窮乏の中で一応経験している。他方、もし経済的に恵まれていたならば、私はペルシャ文学などのあまり人のやらないものをやって世を送るだろうに、と大学進学のときに思った。ある外国の詩人の研究家になろうかと思ったこともある。この二つの思いは時々戻ってきた。しかし五十歳を過ぎてから、私はかなり珍しい文学の翻訳と注釈を出し、また、例の詩人の代表作を翻訳してしまった。さすがにこれが出版されたとき、私の人生はこれ一つでもよかったくらいだ、後はもう何でもいいという気に一時はとらわれた。


"私の消滅"は自然に受け入れられるだろうか


しかしそういうことも含めて、 医学生なり、若い四等研究者なり、精神科医なり、大学教師なりをやっている「自分」の内側に、それを微苦笑しながら眺めている「私」、つまり私を見ている一点を私の中に感じる。これを「ユニーク (唯一無二)な私」、「純粋自己」とすれば、これは否定し得ないものだが、はたして堅固な土台の上にあるのか。それは一種の「虚点」ではないかとも思う。


そのうえ、それは酩酊、睡眠、中毒などによって怪しくなる。それが死によって消滅することは、自己の消滅という事態を理解できない限りにおいて理不尽ではあるが、しかし不思議ではないと思う。


私は、強いていえば、理解し得た限りでの大乗仏教の哲学、竜樹あるいは世親の「空」論に親近感を抱いてきた。しかしこれは哲学としてである。私はどの宗教にも帰依していない。成人してからも仏教とキリスト教から多くを得た。その一部は私のモラル・バックボーンになっていると思う。


しかし、私の基本を遡ってたどれば、祖父の痩せ我慢的武士道と、老病死への恐怖からの祖母の仏信心と、母の聖書物語とに至る。


私の消滅は、私には常に越え難い謎である。私が死ねば、家族や国家はもちろん、銀河系とさえ無関係となるというのは奇妙であり、私の死後、数百万年にも私が決して見ることはない世界が存在していることも奇妙である。しかし、私はこの不条理をいつのまにか受け入れている自分を感じている。


死への過程をイメージできる自分


死への過程は、私には想像し得るものである。学生時代、私は病理学の教科書を読みながら、このどれで死ぬのかと思った。私はその後、私の力及ばずしての死も含めて多くの死に立ち会った。彼らのことを思うとき、私は「ぜいたくはいえない」と思う。私はだらしなくうめき、苦しむかもしれない。詩人リルケが、死をうたった多くの詩を書いた後、自らの死病ーー白血病であったーーの中で、「これは自分の考えていたのと全然違う、全く別の苦痛だ」と書き残したことを思い合わせる。


しかし私は、睡眠中の死や一挙の死を望んでいないようである。 「自分は死ぬのだ」と納得して死にたいようである。「せっかく死ぬのだから死にゆく過程を体験したい」とでも考えているのだろうか。また私にとって、生きているとは意識があるということである。 植物状態を長く続けるのは全くゾッとしないようである。 高度の痴呆で永らえることも望んでいないようである。これは自分の考えを推量していっているので、自分ながら「ようである」というのである。私がわずかしか残さなかった家計を、家族がそのような私のために失うのを私は望まない。「尊厳死」という発想と少し違うかもしれない。死の過程をーーそれもあまり長くない間ーー体験したいというのは、私の一種の好奇心ともいえよう。ただ、私はマゾヒストではないから、苦痛の軽減は望み、余裕のある意識で死の過程を味わいたい。また、長い痴呆あるいは植物状態を望まない主な理由は、経済的に家族を破綻させるからで、私はこれらの生命の価値を否定しているわけではない。また、所詮私の自由裁量の範囲を越えた問題である。私の中で育っているに違いない死の種子の、どれが一位を占めるかは、キリスト者ならば「御心のままに」というであろう。


おわりに


しかし私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか。

(中井久夫「私の死生観――"私の消滅"を様々にイメージ」1994年『精神科医がものを書くとき』所収)




なお、最後の《私は、ときに愛する人の死のほうが、己れの死よりもつらく悲しいのではないかと思う。そのように悲しい人のことを「愛する人」というのだろうか》は、1999年にもサリヴァンを引用しつつ同様なことが書かれている。


人は、なぜ死について語る時、愛についても語らないのであろうか。愛と性とを結び付けすぎているからではないか。愛は必ずしも性を前提としない。性行為が必ずしも(いちおう)前提とせずに成り立つのと同じである。私はサリヴァンの思春期直前の愛の定義を思い出す。それは「その人の満足と安全とを自分と同等以上に置く時、愛があり、そうでないならばない」というものである。平時にはいささかロマンチックに響く定義である。私も「いざという時、その用意があるかもしれない」ぐらいにゆるめたい。しかし、いずれにせよ、死別の時にはこれは切実な実態である。死別のつらさは、たとえ一しずくでもこの定義の愛であってのことである(ここには性の出番がないことはいうまでもあるまい)。(中井久夫「「「祈り」を込めない処方は効かない(?) 」初出1999年『時のしずく』所収)



2023年4月3日月曜日

で、日本はアメリカと心中するつもりなんだろうか

ははあ、ゴンザロ・リラ Gonzalo Liraがぶち上げてるな



でもこのくらいのこと言わないとな、そろそろ。

(メドヴェージェフは昨年末の挨拶としてーージョークっぽくだがーー2023年中に《アメリカでは内戦が勃発。カリフォルニア州とテキサス州が独立国となり、テキサスとメキシコは同盟国となります。/大きな株式市場と経済活動はアメリカとヨーロッパを離れアジアへ移管されます。/ブレトン・ウッズ体制をベースにした金融システムが崩壊、よって国際通貨基金と世界銀行がクラッシュ。ユーロとドルが世界通貨として利用されなくなり、代わりにデジタル通貨が使われるようになります。》等々と言っていたが[参照]。)


で、日本はアメリカと心中するつもりなんだろうかね。

ゴンザーロ・リラはしきりに米中戦争と言っているが、事実上、日中戦争の可能性が高いだろうからな[参照



何はともあれ「基軸通貨ドルの崩壊」はほんとに大きな影響をもたらすだろうよ、


我々は歴史の分水嶺にいる。この先には第二次世界大戦の終結以来、恐らく最も危険で予見できない、とはいえ最も重要な10年間が待っている[We are at a historical crossroads. We are in for probably the most dangerous, unpredictable and at the same time most important decade since the end of World War II.](プーチン発言、バルダイ・ディスカッション・クラブのフォーラム本会議, October 27, 2022)



8つの選択肢のなかで「戦争」を選択して内憂を外に「投射」して誤魔化すしか手がなくなるんじゃないか。

過剰な公的債務に対する解決策は、増税、歳出削減、経済成長、低金利、 インフレ、戦争、外資導入、デフォルトの8つであり、常に採用される戦略はインフレ である。(ジャック・アタリ『国家債務危機』2011年)


ーー《世界の終わりは内的カタストロフィの投射である[Der Weltuntergang ist die Projektion dieser innerlichen Katastrophe]》(フロイト『症例シュレーバー』第3章、1911年)



ヒトは病原菌(中井久夫)

 オハヨ。

「二十一世紀は灰色の世界、なぜならば、働かない老人がいっぱいいつまでも生きておって、稼ぐことのできない人が、税金を使う話をする資格がないの、最初から」、こう言ったわけであります。渡辺通産大臣は、それ以外にも、八三年の十一月二十四日には、「乳牛は乳が出なくなったら屠殺場へ送る。豚は八カ月たったら殺す。人間も、働けなくなったら死んでいただくと大蔵省は大変助かる。経済的に言えば一番効率がいい」、こう言っておられます。(第104回国会 大蔵委員会 第7号 昭和六十一年三月六日(木曜日) 委員長 小泉純一郎君……)




今まで何度も引用してきたが、中井久夫ファンのキミ向けに、彼の「文明史家としての側面」がよく出ているエキス文を三つだけ簡潔に列挙しておくよ。



ひょっとすると、多くの社会は、あるいは政府は、医療のこれ以上の向上をそれほど望んでいないのではないか。平均年齢のこれ以上の延長とそれに伴う医療費の増大とを。各国最近の医療制度改革の本音は経費節約である。数年前わが国のある大蔵大臣が「国民が年金年齢に達した途端に死んでくれたら大蔵省は助かる」と放言し私は眼を丸くしたが誰も問題にしなかった。(中井久夫「医学部というところ」書き下ろし1995年『家族の肖像』所収)


二〇世紀には今までになかったことが起こっている。〔・・・〕百年前のヒトの数は二〇億だった。こんなに急速に増えた動物の将来など予言できないが、危ういことだけは言える。


しかも、人類は、食物連鎖の頂点にありつづけている。食物連鎖の頂点から下りられない。ヒトを食う大型動物がヒトを圧倒する見込みはない。といっても、食料増産には限度がある。「ヒトの中の自然」は、個体を減らすような何ごとかをするはずだ。ボルポトの集団虐殺の時、あっ、ついにそれが始まったかと私は思った。(中井久夫「親密性と安全性と家計の共有性と」初出2000年『時のしずく』所収)






地球から見れば、ヒトは病原菌であろう。しかし、この新参者はますます病原菌らしくなってゆくところが他と違う。お金でも物でも爆発的に増やす傾向がますます強まる。(中井久夫「ヒトの歴史と格差社会」初出2006年『日時計の影』所収)




とくにこの3年間、ヒトなる病原菌に対して、《「ヒトの中の自然」は、個体を減らすような何ごとかをする》現象が赤裸々に顕れたんじゃないかね。キミはどう思う?


➡︎参照:「21世紀において確かな事ーー既存の社会保障制度の崩壊」





無邪気に偽装された侮蔑

 

少しワケアリでかつてメモした北野武の発言を探っていたら、失念していたが、タケシは次のように言っている。


たった1枚の絵画だけで20分も30分もその場に人を釘付けにできるのだとしたら、映画も少ないカットでそういう事ができるのを感覚的に目標にしている。(「This is 読売」北野武監督対談蓮實重彦 19982月号)

究極の映画とは、10枚の写真だけで構成される映画であり、回ってるフィルムをピタッと止めたときに、2時間の映画の中の何十万というコマの中の任意の1コマが美しいのが理想だと思う。(北野武「週刊ポスト」 200221日号)


少し前、エドワード・ヤンの『牯嶺街少年殺人事件』のいくつかの場面を掲げたが、私がこの映画に魅せられたのは、(私にとって)「その場に人を釘付けにできる」カットがあまたあったせいであり、殺人事件の物語自体にはほとんど興味がない。


…………………



上の話は派生物であり、探していたのは以下の内容である。



北野武はバイク事故ーー1994年8月2日の深夜、新宿区安鎮坂付近でガードレールに激突ーーをめぐってこう言っている。


《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たいんだから……。自分は事故のとき痛切に感じたですね……。マスコミから一般の人たちの憶測に秘められた嬉しさ……、ちょっとゾッとしますね……》と。


さらに蓮實重彦の自殺願望ではなかったのかの問いに、そのときのことは記憶にないが、《もしかしたら自分は自殺を図ったのかなあという感じはあります》と答えている。


➡︎動画:北野武 with 蓮實重彦


………………




大江健三郎は伊丹十三がモデルの「吾良の死」をめぐるマスコミの対応、ーーさらに付加的にコメディアン出身の監督(つまり北野武)の発言ーーに関わってこう書いている。


吾良の死以後の短い間に古義人がテレヴィ局や新聞社、また週刊誌の人間から受けとった印象は特殊なものだった。それは、かれらに自殺者への侮蔑の感情が共有されている、ということだ。


侮蔑の感情は、マスコミの世界で王のひとりに祭り上げられていた吾良が引っくり返り、もう金輪際、王に戻って反撃することはないという、かれらの確信から来ていた。


吾良の死体に向けて集中した侮蔑はあまりに大量だったので、ついにはみ出すようにして、マスコミのいう吾良の関係者にも及んだ。書評委員会の集まりなどでは親身にあつかってくれた女性記者から、取材申し込みが留守番電話に入っていたが、そこに浮びあがるのは、やはり権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑だった。〔・・・〕


……古義人は、吾良の死を映画の仕事の行き詰まりに帰している記事に納得しなかった。イタリアの映画祭で賞を得たコメディアン出身の監督が、受賞映画のプロモーションにアメリカへ出かけて、おおいに受けたという、

――吾良さんが屋上から下を見おろした時、私の受賞が背中をチョイと押したかも知れない、というコメントを読んだ時も、こういう品性の同業者かと思っただけだ。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』)


タケシの発言、《注目されたわたしが落ちていく姿、それを誰もが見たい》、そして大江の記述、《権威が揺らいだにせの王への、無邪気に偽装された侮蔑》、これはほとんど同じことを言っている。


本日、この同じ現象を垣間見たのでーー「誰も」ではなく「一部」にだがーー、ここに備忘として掲げておく。







2023年4月2日日曜日

再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうと努力しない「今=ここ」文化

 


3ヶ月ほど前、「国民集団としての日本人の特徴」にて中井久夫の日本文化論を抜き出したが、ここではひとつだけ再掲しよう、「風をみながら舵を切るほかはない日本人」である。


中国人は平然と「二十一世紀中葉の中国」を語る。長期予測において小さな変動は打ち消しあって大筋が見える。これが「大国」である。アメリカも五十年後にも大筋は変るまい。日本では第二次関東大震災ひとつで歴史は大幅に変わる。日本ではヨット乗りのごとく風をみながら絶えず舵を切るほかはない。為政者は「戦々兢々として深淵に臨み薄氷を踏むがごとし」という二宮尊徳の言葉のとおりである。他山の石はチェコ、アイスランド、オランダ、せいぜい英国であり、決して中国や米国、ロシアではない。(中井久夫「日本人がダメなのは成功のときである」初出1994年『精神科医がものを書くとき』所収)


ま、結局こういうことなんだよな、日本は必ず訪れる大地震のカタストロフィを抱えているわけで、「今=ここ」に生きるしかないんだ。このままでは1ヶ月半後の広島サミットが戦争翼賛の恥辱のサミットになりうることにさえ関心がない。



日本文化の中で「時間」の典型的な表象は、一種の現在主義である。それは日本の文学的伝統や日常生活の習慣にも見られ、始めなく終わりない時間のことである。またそこにあるのは現在あるいは「今」だけだという意味で、もう一つの表象として循環する時間が挙げられる。循環する時間は、過去、未来、全ての時間の現代化を意味する。


そうすると時間の「全体」は、現在=今が無限に連なる直線、あるいは無限に循環する円周であると言える。これは日本文化の伝統が強調する現在集中主義が、全体に対する部分重視傾向の一つの表現と解することもできる。ここでは部分が集まると全体が現れる。

また「空間」においても、私の住む場所=「ここ」、つまり部分が先ず存在し、その周辺に外側空間が広がる。その外側の全体は、日本の伝統では強い関心の対象ではなかった。一人の人間は多くの異なる集団に属するが、それぞれの集団領域を「ここ」として意識し、その「ここ」から世界の全体を見る。


こうした部分が全体に先行する心理的傾向の時間における表現が現在主義であり、空間における表現が共同体集団主義である。こうした日本の全体に先行するものの見方は、「今=ここ」文化として今も根本的に変わってはいない。(加藤周一『日本文化における時間と空間』2007年)




そして、この加藤周一曰くの「今=ここ」文化は《閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神》等々を生み出すんだ。



「春秋二義戦ナシ」とは孟子の言葉である。日本国の十五年戦争、南京虐殺から従軍慰安婦、捕虜虐待から人体実験まで―を冒したことは、いうまでもない。そういうことのすべてが、いまからおよそ半世紀まえにおこった。 いくさや犯罪を生みだしたところの制度・社会構造・価値観―もしそれを文化とよぶとすれば、そういう面を認識し、分析し、批判し、それに反対するかしないかは、遠い過去の問題ではなく、当人がいつ生まれたかには係りのない、今日の問題である。直接の責任は、若い日本人にはない。しかし間接の責任は、どんな若い日本人も免れることはできない。かつていくさと犯罪を生み出した日本文化の一面と対決しない限り、またそうすることによって 再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうと努力しない限り。たとえば閉鎖的集団主義、権威への屈服、大勢順応主義、生ぬるい批判精神、人種・男女・少数意見などあらゆる種類の差別...。(加藤周一『夕陽妄語2』1992-2000)



この《再びいくさと犯罪が生み出される危険を防ごうと努力》しない「今=ここ」文化精神は、例えば『ツナミの小形而上学』で名が知れたヘーゲル主義者デュピュイ曰くのカタストロフィを意識の外へと追いやってしまう》ーー、これは一般論として言われているのだが、日本人はことさら、必ず訪れる大地震を抱えているのだから、こうなるのはやむ得ないこととさえ言える。




数多くのカタストロフィーが示している特性とは、次のようなものです。すなわち、私たちはカタストロフィーの勃発が避けられないと分かっているのですが、それが起こる日付や時刻は分からないのです。私たちに残されている時間はまったくの未知数です。このことの典型的な事例はもちろん、私たちのうちの誰にとっても、自分自身の死です。けれども、人類の未来を左右する甚大なカタストロフィーもまた、それと同じ時間的構造を備えているのです。私たちには、そうした甚大なカタストロフィーが起ころうとしていることが分かっていますが、それがいつなのかは分かりません。おそらくはそのために、私たちはそうしたカタストロフィーを意識の外へと追いやってしまうのです。もし自分の死ぬ日付を知っているなら、私はごく単純に、生きていけなくなってしまうでしょう。

これらのケースで時間が取っている逆説的な形態は、次のように描き出すことができます。すなわち、カタストロフィーの勃発は驚くべき事態ですが、それが驚くべき事態である、という事実そのものは驚くべき事態ではありませんし、そうではないはずなのです。自分が否応なく終わりに向けて進んでいっていることをひとは知っていますが、終わりというものが来ていない以上、終わりはまだ近くない、という希望を持つことはいつでも可能です。終わりが私たちを出し抜けに捕らえるその瞬間までは。


私がこれから取りかかる興味深い事例は、ひとが前へと進んでいけばいくほど、終わりが来るまでに残されている時間が増えていく、と考えることを正当化する客観的な理由がますます手に入っていくような事例です。まるで、ひとが終わりに向かって近づいていく以上のスピードで、終わりのほうが遠ざかっていくかのようです。

自分ではそれと知らずに、終わりに最も近づいている瞬間にこそ、終わりから最も遠く離れていると信じ込んでしまう、完全に客観的な理由をひとは手にしているのです。驚きは全面的なものとなりますが、私が今言ったことはみな、誰もがあらかじめ知っていることなのですから、驚いたということに驚くことはないはずです。時間はこの場合、正反対の二つの方向へと向かっています。一方で、前に進めば進むほど終わりに近づいていくことは分かっています。しかし、終わりが私たちにとって未知のものである以上、その終わりを不動のものとして捉えることは本当に可能でしょうか? 私が考える事例では、ひとが前へと進んでも一向に終わりが見えてこないとき、良い星が私たちのために終わりを遠く離れたところに選んでくれたのだ、と考える客観的な理由がますます手に入るのです。……(ジャン=ピエール・デュピュイ「極端な出来事を前にしての合理的選択」PDF)



いまきみらがツイッター上でやっているのはこれだよ、そうとしか思えないね。


で、繰り返せば、ある意味でやむ得ないという感にも襲われるんだな。とくにこの2023年なら南海トラフの大カタストロフィを間近に抱えてるんだからさ。






日本という国は地震の巣窟だということ。大水、噴火、飢餓なども、年譜を見ればのべつ幕なしでしょう。この列島に住み、これだけの文明社会を構築してしまったという問題があります。(古井由吉「新潮45」2012 年1 月号 )

危機と言われる。この言葉ほど風化しやすいものはない。人は危機感を日常に長くは保っていられないものらしい。それでは生きられない。しかし危機そのものは日常につねにつきまとう。(古井由吉『楽天の日々』2017年)



「文明社会を構築してしまったという問題」とあるけど、地震というのは茅葺き屋根に掘立小屋だったらーー火事と津波以外は、土砂崩れとか人口稠密とかもあるかーー大した被害はないんだよ、明治以降、日本という土地で欧米のモノマネした不幸だね。


こういうことに思いを馳せると、きみたちへの嘲罵の勢いが失せちまうんだな。オレの悪い癖だ。