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2017年3月5日日曜日

現実の苦痛から逃れるための手段

………人間は誰しも、現在の苦痛から逃れて自由になりたいという切実な希求をもって生きている、と彼は思った。そしてこの希求を確実に果たしてくれるものが死以外にないとすればこんな芝居でもしてみるのかも知れない。

「性の放浪」が章に伝えたモティーフは虚無・疑似死であった。あの漫才師のような男は、あの映画のなかで、いつでも引き返すことの可能な死ーー蒸発の楽しみを演じてみせてくれたのであった。現代に於いて性は衰退の象徴として何時でも厭わしい屍臭をまとっているのであるから、章がそれを嗅ぎつけて怖れ、同時にそれに引き寄せられたことは自然であった。(藤枝静男「欣求浄土」)

現実の苦痛から逃れるための手段とは、何があるのか。

中井久夫『治療文化論』p.120の図表には次のようにある。

①地理的救済(転居、転職、移住、移民、旅行、放浪(国内・国外))

②“歴史的”救済(現状のまま努力を倍加したり、スポーツなどを始めたりして、現状のパラメーターを変えようとする)(病い性を否認)。“歴史的”というのは、これまでの自己蓄積の上に立ち、それを増大させようとするから。

③超越的・宗教的救済(既存の軌道による)ーー坐禅、巡礼、仏門、修道院入り

④非宗教的・愛他的救済(他者の治療によって自己治療が代替される)--ヴォランティアなど → 時にプロの治療者となろうとし、時に成功する。

⑤美あるいは芸術による救済

⑥犯罪・ルール違反による救済

⑦叛乱ー英雄による自己救済

⑧宗教あるいは宗教等価物(自然科学あるいは他の分野も含む)

ーーみなさんもそれぞれどれかをやっているか、さらにより軽めの精神衛生維持方法をとっているはずである。

人間の精神衛生維持行動は、意外に平凡かつ単純であって、男女によって順位こそ異なるが、雑談、買物、酒、タバコが四大ストレス解消法である。しかし、それでよい。何でも話せる友人が一人いるかいないかが、実際上、精神病発病時においてその人の予後を決定するといってよいくらいだと、私はかねがね思っている。

通常の友人家族による精神衛生の維持に失敗したと感じた個人は、隣人にたよる。小コミュニティ治療文化の開幕である。(米国には……)さまざなな公的私的クラブがある。その機能はわが国の学生小集団やヨットクラブを例として述べたとおりである。

もうすこし専門化された精神衛生維持資源もある。マッサージ師、鍼灸師、ヨーガ師、その他の身体を介しての精神衛生的治療文化は無視できない広がりをもっている。古代ギリシャの昔のように、今日でも「体操教師」(ジョギング、テニス、マッサージ)、料理人(「自然食など」)、「断食」「占い師」が精神科的治療文化の相当部分をになっている。ことの善悪当否をしばらくおけば、占い師、ホステス、プロスティテュート(売春婦)も、カウンセリング・アクティヴィティなどを通じて、精神科的治療文化につながっている。カウンセリング行動はどうやら人類のほとんど本能といいたくなるほど基本的な活動に属しているらしい。彼らはカウンセラーとしての責任性を持たない(期待されない)代り、相手のパースナル・ディグニティを損なわない利点があり、アクセス性も一般に高い。(中井久夫『治療文化論』pp.129-130)

とはいえ酒や、ホステス、プロスティテュートなどによる精神衛生活動に耽溺しすぎると、(わたくしのように)地理的救済が必要になるから厄介である。

「男どもはな、別にどうにもこうにもたまらんようになって浮気しはるんとちゃうんや。みんな女房をもっとる、そやけど女房では果たしえん夢、せつない願いを胸に秘めて、もっとちがう女、これが女やという女を求めはんのや。実際にはそんな女、この世にいてへん。いてえへんが、いてるような錯覚を与えたるのがわいらの義務ちゅうもんや。この誇りを忘れたらあかん、金ももうけさせてもらうが、えげつない真似もするけんど。目的は男の救済にあるねん、これがエロ事師の道、エロ道とでもいうかなあ。」(野坂昭如『エロ事師たち』)


『性の放浪』(若松孝二、1967)

「そう。君らにはわかるまいが、五十六十の堂々たる紳士で、女房がおそろしくて、うちへ帰れないで、夜なかにそとをさまよっているのは、いくらもいるんだよ。」(川端康成『山の音』)


飲んでるんだろうね今夜もどこかで
氷がグラスにあたる音が聞える
きみはよく喋り時にふっと黙りこむんだろ
ぼくらの苦しみのわけはひとつなのに
それをまぎらわす方法は別々だな
きみは女房をなぐるかい?

ーー谷川俊太郎「武満徹に」

(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』所収)




きみが怒るのも無理はないさ
ぼくはいちばん醜いぼくを愛せと言っている
しかもしらふで

にっちもさっちもいかないんだよ
ぼくにはきっとエディプスみたいな
カタルシスが必要なんだ
そのあとうまく生き残れさえすればね
めくらにもならずに

(……)

ーー「谷川知子に」

…………

冒頭に引用した藤枝静男「欣求浄土」における『性の放浪』のすぐれて喚起的な叙述を「在庫」から貼り付けておこう。

……若い友人が、自分の感心したというピンク映画を見ることを勧めてくれた。三本立ての最後の番組みで「性の放浪」というのがそれだと云うので、早速映画館に電話をかけて上映時間を確かめておいてから夕食後しばらくして出かけた。しかし実際には定刻に十分ばかりおくれたせいで、館の前の電灯は半分消されていて切符売りは居なかった。章がしかたなしになかへ入って行くと、角刈りの男が菓子売場のケースに白布をかけていた。

「もう駄目か」

「いいです」

彼が料金の二〇〇円を渡すと一〇〇円返してよこした。

短冊型に細長い場内の向こう端いっぱいのスクリーンに、田舎のプラットホームのベンチに腰かけている三〇前後の男の上半身がうつっていた。田舎だということは、男の後方にひろがっている貧弱な風景でわかった。漁村のようでもあった。たった二、三〇人ばかりの観客が、身体をずらせて両脚を前列の椅子の背にのばしかけたりして散在していた。

章は真中あたりの席に坐り、禿隠しの鳥打帽をぬいで煙草に火をつけて画面に見入った。入口の看板に「カラー作品」とあったから、これはひとつ前のやつかしらと思ったが、そうでないことは後でわかった。

ザーザー、ザーザーという騒音が絶えず耳につくので、はじめ何だろうと思ったが、じきに、これはこの映画館と抱き合わせ経営になっている隣接のパチンコ屋で玉を洗っている音だということがのみこめた。彼の席の左手の壁のすぐ向こうが、ちょうど洗い場になっているのだ。

ベンチに腰を下ろした男が、通りがかりの駅員に、ここはどこだと訊ねている。駅員が答えると、柱に書いた何とか云う駅名がうつった。男が、どうして俺はこんなところに来たんだろう、と独りごとを云って不思議そうな顔をする。次に、この男が会社(たぶん東京らしい)を出て来る姿がちょっと映って、また男がしきりに首をふる大写しが出る。

つまりこの男は会社からひけた瞬間に記憶を喪失してフラフラと汽車に乗りこんで、そしてここまで運ばれてきて正気にもどったが、自分が誰であるかはまた分らない。しかし現在は一切の拘束から脱した状態にある都会の平均的サラリーマンの一人であるというのが、この映画の設定らしい。その証拠に、あるいは芝居が下手なせいかも知れぬが、とにかく彼はたいして心配そうな表情も見せずに、改札口を出て漁師町をブラブラ歩いて行く。パチンコの玉洗いの音が場面によく合っている。

この主役俳優は都会のサラリーマンにしては汚なすぎる、と章は思った。テレビに出る南都雄二という漫才師とよく似た身体つきで、撫肩胴長だが胸の筋肉は一枚筋のように発達している。皮の固そうな厚い掌と短い指が、不器用な鋳型で抜いたように角ばっている。ことによると、インテリというような見せかけの武装あるいは見栄から自由になった都会青年の慾望を、映画はこの姿態によって象徴しているのかも知れない。

――彼は上衣を脱いで肩にかけ、汚れたハンカチで顔の汗を拭きながら、不思議にも人影のまったくないカンカン照りの往来を歩いて行く。

ある場所で彼が立ち止まって首をまわすと、その方角に明けっぴろげになった小さな家が映り、次にその奥が大写しになると若い夫婦が性交している。チャブ台の向こう側で脚や腕がさかんに動いている。仰向いた女の美しい胸と首と、そこに無闇に顔をこすりつける男の後頭部が映る。男の手首が女の太股の下のほうから撫であげたり、女の肉付きのいい脚が曲がったり伸びたりする。――彼は道に立ってぼんやりそれを眺めている。それから歩き出す。

彼がまたすこし歩いて街角をまがり、首をかしげて近づいて行って或る家をのぞきこむと、透戸の裏側で男女が性交している。今度は和服の女と真っ裸の男だが、動作は前とまったく同じである。男は女を揉むようにしてやたらと押しつぶし、女は脚をバタつかせたり、顔をしかめて首を振ったりするが、彼等はぶっ違いになっていて、脚は決して交叉することがない。男はパンツをはいているし、女の剥き出しの尻も映らない。これはもちろん検閲がある以上当然だが、章は何となくもの足らぬ気がした。

突然スクリーン全体がぱっと赤く染まったので章はオヤと思った。――箱型のせまい部屋の真中に敷かれた蒲団から、真っ裸のおんなが、すれすれのところを毛布で覆った桃色の上半身を起こしていて、それからこちらの方をジッと見つめながらゆっくりと迫るように近づいてくる。肩が骨張っていて、下腹部は削げ落ちている。

男がひるんだような、しかし持ちまえらしい鈍い表情を見せる。――これはたぶん彼の日常生活での妻の性慾の圧迫を表現したものである。しかし、この赤硝子を透かしただけの光景の挿入がカラーという看板の意味だとわかると、章は騙されたような気がした。

サラリーマンはまた首をわずかに振って歩いて行く。

彼はやがて白波の打ち寄せる真昼の海岸に出る。しかし、そこでまた岩陰をのぞくと予想どおり若い男女が性交している。前より一歩進んで両名とも真っ裸である。男の毛深い太腿や、女の白い股には砂粒が沢山ついている。やることは前二回ともちろん同じで、盛にエネルギッシュに揉み合う。

ただ今度の場面では、性交が終わったと思われるころにカメラが急に後方に退くと、この岩陰から男女が真っ裸のまま跳び出して(局部を清めるためか、または青春の歓喜を表現するためか)手をつなぎ合って海へ飛び入るのである。そしてお互いに水をかけあったり、身体を波に沈めて戯れたりする。女は長い髪をなびかせて走る。むこう向きで背中と尻だけのときと、臍から下が水に漬かるときだけは大写しになる。非常に美しい身体をしている。

章が最も面白く感じたのは、男の方がガニ股のずんぐりした身体つきで同じく大写しになり、正面または横向きに走る姿であった。このとき、彼は局部を隠すために両腕をV字型に前へまわして掌で睾丸を摑むように覆い、同時にできるだけ膝を高くあげて身体の前に波しぶきを蹴立てて駈けるのであった。これを彼は一人考えでやっているのか、監督の指図でやっているのか、どちらにせよ章は好意を感じた。

さて男はそこを離れてまた町に引きかえして行く。すると今度は短い飛白の筒袖を着て手足のよく伸びた漁師の娘と行きちがう。彼が呼びとめると、彼女は筋書きどおり直ぐに応じて、浜辺の網小屋に彼を導いて行く。

こういうところで手間どらないのは、今の小説とちがって流石に性映画のよいところだ、と章は思った。時間もいつのまにか夜になっている。

娘がパンツ一枚になってせまい小屋の砂の上に寝て、男がスボンを脱ぎはじめると、スクリーン全体が急に真赤に染まって、また痩せた裸女が出現する。今度は椅子にまたがって腹と局部を隠して、いどむような眼つきでこちらを見る。そして近づいてくる。

そこで男がインポテになる。しきりに額の汗をふいて娘を揉むが、結局は娘に突きとばされて、情けない顔つきをして一〇〇〇円とられる。

彼は波打ちぎさをとぼとぼと歩いて行く。そして岩陰に上衣を投げ出し、それを枕に寝そべると、画面が眼を閉じた彼の顔から岩に移り、岩に沿ってぐるりと裏側にまわって行く。するとそこでも男女が交接している。

今度は非常に長い。しかしやることはこれまでと全く同じで、頭を振って接吻し、身体をこすりつけて伸び縮みをし、手で太腿を撫であげ、むやみに相手を圧さえつける。

岩に、四角い、指の短い手首がうつり、それから男が首をのばして上からのぞく。男女が吃驚して逃げ出して、暗い海へ飛んで入る。しかしそれかは後は一向平気で、前回と同様に真裸で愉快そうに走りまわっている。今度は夜だから主にシルエットであるが、男の方がやはり両手で睾丸をつかんで駈けるところは、何度見ても面白い。

翌日か翌々日か、太陽のカンカン反射している白い道路の端を、彼が上衣をかかえて汗を拭き拭き歩いている。

立派なスポーツカーが後ろから寄って来て止まり、素晴らしい美人が彼を車に誘い入れる。

「あなたはテレビの××○○子さんじゃあありませんか」

彼が驚いてたずねると彼女がニッコリ笑って

「そうよ」

と答える。

「わたしは普通のセックスでは不感症なのよ、あんたのような道端で拾った識らない人とでなければ駄目なの」

と云いながら山間いの道に乗り入れて行く。そして車の中で交接する。彼の四角い掌が靴下をはいた女の脚をはいまわる。彼ははじめて成功するのである。

やがて彼等は海に面した丘の上のドライヴインのバルコニーで楽しげに食事する。可愛い顔をした女給仕がサインを求めたりする。それから食事が終わると女が、

「お化粧を直してくるから待っていてね」

と云って立って行く。なかなか戻って来ないので男がぶらぶらと手摺りの方へ行って見下ろすと、目の下の駐車場から女の車が走り去って行く。結局彼は食事代の足りない分を働いて返すことになって汚い部屋に放りこまれる。

しかし夜になると、サインをねだった女給仕が寝衣で入ってきて二人は性交する。

その翌晩もまた性交しながら、今度は店の金をさらって逃げる相談をする。

次の夜、二人は金を盗んで丘を駆け下り、道路に沿って走って逃げる。するとダムプカーが来て拾いあげてくれる。

しかし二人は金をまきあげられるとすぐ引きずり下ろされて、猿轡をはめられ両手をしばられた男の眼の前で、女は運転手と助手に輪姦され、それが終わると女だけが再びダムプに乗せられて車は走り去って行く。

次の場面は山の中である。やはり陽がカンカン当っている。

男が疲れた様子でよたよた歩いてきて、灌木の陰にどさりとひっくり返って眼をつむっている。

急に若い男女の華やいだ笑声と合唱がきこえ、すこし離れた小道を数人のハイカーが一列にならんで行く姿がうつる。なかの一人の女がそれて男の寝ている方に登って来る。男の顔のすぐわきに女の運動靴がくると、男が急に手をのばしてスカートを引っぱって女を倒す。そして身体を起こしてその上に乗りかかって行く。分厚い掌で太腿を撫であげると大写しになり、運動靴がバタついたり脱げたりする。

強姦が終わると女はぐったりして気を失っている。男が女の鼻のところへ掌をあてて生存を確めて、それから近くに放り出されたハンドバッグから金を盗んで逃げて行く。

次はまたちがう町になる。やはり通行人は一人もなくて、男が立ち止まって首を曲げると、その家の奥で夫婦が交接している。また少し歩いて見当をつけてのぞくと、その家でも交接している。みんな同じことをしている。

以上が「性の放浪」の主要部分であった。

最後に、この男が東京の上野駅らしいところの改札口から出てくるところがうつる。男が沢山の乗客にまじって吐き出されてくると、駅の構内では映画のロケーションをやっている。カメラの横に反射板を持った男が立っている。板の裏には「蒸発」と、題名らしいものが書かれている。そして全身ピンク色に染まって出てきた彼の痩せた妻が、いま俳優の一人として、ポーズをつくってカメラに向かって歩いて行く。ここのところは前に新聞の映画欄で読んだ問題映画と同じだ。

真面目な映画だ、と章は思った。(藤枝静男「欣求浄土」)

…………

※付記

中井久夫の精神衛生維持方法とは、フロイトの「昇華」をめぐる叙述とともに読むことができる。

【人生の目的とは?】
……人間にとって人生の目的と意図は何であろうか、人間が人生から要求しているもの、人生において手に入れようとしているものは何かということを考えてみよう。すると、答はほとんど明白と言っていい。すなわち、人間の努力目標は幸福 Glück であり、人間は幸福になりたい、そして幸福の状態をそのまま持続させたいと願っている。しかもこの努力には二つの面、すなわち積極的な目標と消極的な目標の二つがあり、一方では苦痛と不快が無いことを望むとともに、他面では強烈な快感を体験したいと望んでいる。狭い意味での「幸福 Glück」とはこの二つのうちの後者だけを意味する。(……)

【われわれが幸福である可能性の制約】
厳密な意味での幸福は、どちらかと言えば、相当量になるまで堰きとめられ蓄えられていた欲求 Bedürfnisse が急に満足させられるところに生まれるもので、その性質上、挿話(エピソード episodisches)的な現象としてしか存在しない。快原理が切望している状態も、そのが継続するとなると、きまって、気の抜けた快しかい与えられないのである。人間の心理機構そのものが、状態というものからはたいして快を与えられず、対照(Kontrast)によってしか強烈な快を味わいえないように作られているのだ。つまり、われわれが幸福でありうる可能性は、すでにわれわれの心理機構によって制約されているのである。

【三つの不幸の可能性】 
しかも皮肉なことに、不幸を経験するのははるかに簡単だ。そうして苦難の原因は三つある。第一は自分自身の肉体――結局は死滅するよう運命うけられていて、警報として役立つため苦痛や不安をすら欠くことのできない自分自身の肉体――であり、第二は、われわれにたいし、破壊的で無慈悲な圧倒的な力をもって荒れ狂うことにある外界であり、第三は、他人との人間関係である。この最後の原因から生まれる苦難は、おそらく、他のあらゆる苦難にもましてわれわれには苦痛と感ぜられる。この種の苦難も、他の原因から生ずる苦難に劣らず宿命的で、どうにも避けようのないものであるかもしれないにもかかわらず、とかくわれわれは、いわばそれを余計なおまけのように考えがちである。(……)

【不幸対策:孤独・麻薬・ヨガ修行等】
人間関係が原因で生まれることのある苦痛にたいして身を守るいちばん手っとり早い方法は、すすんで孤独を守ること、ほかの人間との関係を断つことである。当然ながら、この方法によって手に入れる幸福は、平安の幸福である。(……)

もちろん、これと違った、もっとよい方法もある。すなわち、人類社会の一員として、科学が生んだ技術の力を借り、自然を攻撃する態度へと移行し、自然を人類の意志に隷属させるのである。その場合には、万人とともに万人の幸福のために働くことになる。しかし苦難を防ぐ方法としていちばん興味深いのは、自分の身体組織を変えてしまおうとする試みである。あらゆる苦難も所詮は感覚以外の何物でもなく、われわれがそれを感ずるかぎりにおいてしか存在しないのであり、われわれがそれを感ずるというのも、われわれの身体組織に備わっているある種の装置のせいにすぎないのだから。

身体組織を変えてしまおうとするこの試みのうち、もっとも野蛮かつもっとも効果的な方法は、化学的な方法、つまり中毒である。(……)幸福を獲得し悲惨を避けるための戦いでの興奮剤の効果は一種の恩恵として高く評価され、人類は、個人としても集団としても、これら興奮剤に、自分のリビドーの管理配分体制内における確固とした地位を認めている。興奮剤は、直接快感を供給してくれるだけではなく、われわれが希求してやまない外界からの独立をも部分的には手を入れさせてくれる。(……)

けれども、われわれの心理機構は複雑であるから、これを左右する方法は、他にもまだたくさんある。欲動満足 Triebbefriedigung がわれわれを幸福にしてくれるのと反対に、外界の事情によって飢えなえればならなかったり、欲求 Bedürfnisse を充分に満たすことができない場合は激しい苦痛の原因になる。

そこで、この欲動の動き Triebregungen に働きかけることによって苦痛の一端を免れることができるのではないかという希望が生まれる。この種の苦痛防止法は、もはや感覚器官そのものに手をつけるのではなく、欲求 Bedürfnisse が生まれる内的源泉を制御しようとするのである。それが極端に走ると、東洋の哲学の教えやヨガ修業の実践からわかるとおり、欲動 Triebe を全部殺してしまう。これが成功すると、もちろんその他の活動もすべて同時に停止され(人生も犠牲にされ)るわけで、方法こそ違え、手に入るのはこれまた平安の幸福に他ならない。

【常軌を逸した衝動のもつ抗しがたい魅力】
欲動生活 Trieblebens の制御だけを目差す場合も、これと同じ方法によるが、目標はそれほど極端ではなくなる。そして主導権は、現実原則に屈服した高次の心理法廷が握ることになる。この場合には、欲動を満足させようとする意図はけっして放棄されたわけではないが、ただ、制御された欲動のほうが、不羈奔放な欲動よりは、不満足に終わった場合の苦痛が少ない点を利用して、苦痛をある程度防止しようというのだ。そのかわり、享受可能性 Genußmöglichkeiten の低下は避けられない。自我に拘束されない荒々しい欲動の動きungebändigten Triebregung を堪能させた場合の幸福感は、飼い馴らされた欲動 gezähmten Triebes を堪能させた場合の幸福感とは比較にならないほど強烈である。常軌を逸した衝動 Impulse の持つ抗しがたい魅力はーーいやおそらくは、禁じられたもの一般の持つ魅力もまたーーここにその心理エネルギー管理配分機構上の存在理由を持っているのである。

【学問、芸術という「上品かつ高級な」欲動の昇華】
苦痛防止のもう一つの方法は、われわれの心理機構が許容する範囲でリビドーの目標をずらせること Libidoverschiebungen で、これによって、われわれの心理機構の柔軟性は非常に増大する。つまり、欲動の目標 Triebziele をずらせることによって、外界が拒否してもその目標の達成が妨げられないようにするのだ。この目的のためには、欲動の昇華 Sublimierung der Triebe が役立つ。一番いいのは、心理的および知的作業から生まれる快感の量を充分に高めることに成功する場合である。そうなれば、運命といえども、ほとんど何の危害を加えることもできない。芸術家が制作――すなわち自分の空想の所産の具体化――によって手に入れる喜び、研究者が問題を解決して真理を認識するときに感ずる喜びなど、この種の満足は特殊なもので、将来いつかわれわれはきっとこの特殊性を無意識心理の立場から明らかにすることができるであろうが、現在のわれわれには、この種の満足は「上品で高級 feiner und höher」なものに思えるという比喩的な説明しかできない

 【上品かつ高級な欲動昇華の限界】
けれどもこの種の満足は、粗野な一次的欲動の動き primärer Triebre-gungenを堪能させた場合の満足に比べると強烈さの点で劣り、われわれの肉体までを突き動かすことがない。しかし、この方法の第一の弱点は、それがすべての人間に開放されておらず、ごく少数の人々しか利用できないことである。この方法を使うには、それが有効であるために必要な量ではかならずしもざらにあるとは言えない特殊な素質と才能を持っていなければならない。しかも、そのごく少数の人々も、たとえこの方法によっても、苦痛を完全に免れることはできないのであって、この方法は、運命の矢をすべてはね返す鎧を提供してくれるわけではなく、自分自身の肉体が原因で生まれる苦痛の場合には役に立たないのが通例である。(フロイト『文化への不満』1930旧訳著作集3 pp.442-444、但し一部変更、新訳名『文化の中の居心地の悪さ』)

2017年2月28日火曜日

蓮實重彦と藤枝静男

・短篇集『愛国者たち』は、人を不条理な絶句ぶりへ導くしかないただならぬ言葉を宙に漂わせ、『美しい』という一言を口にせよと強要してかかる。

・文学という制度的な場にあって、『山川草木』『風景小説』といった作品群の口にする言葉が(……)まるで声として大気をふるわせることを恥じているかのように、言葉が生まれ落ちようとする瞬間に口をつぐんでしまうがゆえに、これは途方もなく『美しい』のだ。

・藤枝にとって、書くとは、無限の『分枝』を演ずる言葉を前にした不断の『迷い』そのものであったはずだ。そのおぼつかない仕草を模倣しつつ、だからわれわれも『迷う』姿勢をうけ入れ、『作家』藤枝静男の言葉をただ『美しい』とだけ書いておこう。(蓮實重彦

蓮實重彦の強烈な「恋文」である。

人がこのような強い愛を抱くほとんどの場合、その原因は作品の質に由来するだけではない。作品に彼が書き込まれているから、強い愛が生まれる。その徴をーードゥルーズ的には純粋現前 présentations pures  ・純粋差異 pure différence  ーー、たとえばフロイトなら「一の徴einzigen Zug」といい、ラカンなら同じく「一の徴 trait unaire」、「一のようなものがある Ya d’l’Un」(純粋差異 différence pure)、あるいは対象a、ロラン・バルトならプンクトゥムと呼ぶ。

フロイトの《同情は「一の徴 einzigen Zug」との同一化によって生まれる》とは、愛は「一の徴」との同一化によって生れると言い換えうる。

次のラカン文の眼差しとは、欲望の原因としての対象aのひとつである。

…眼差し regard は、例えば、誰かの目を見る je vois ses yeux というようなことを決して同じではない。私が目すら、姿すら見ていない誰かによって自分が見られていると感じることもある。Je peux me sentir regardé par quelqu'un dont je ne vois pas même les yeux, et même pas l'apparence,。他者がそこにいるかもしれないことを私に示す何かがあればそれで十分である。

例えば、この窓、あたりが暗くて、その後ろに誰かがいると私が思うだけの理由があれば、その窓はその時すでに眼差しである。こういう眼差しが現れるやいなや、私が自分が他者の眼差しにとっての対象になっていると感じる、という意味で、私はすでに前とは違うものになっている。(ラカン、S.1)

愛する芸術作品があなたを眼差すことを経験したことがないだろうか ? もしあったなら、それが対象aでありプンクトゥムである。

ロラン・バルトのプンクトゥムについては、ジャック=アラン・ミレールが最近になって、プンクトゥムはラカン=アリストテレスの 「テュケーTuché」だといっているが( jacques-alain miller 2011,L'être et l'un)、『明るい部屋』のなかに、《「偶然 la Tuché」の、「機会 l'Occasion」の、「遭遇 la Rencontre」の、「現実界 le Réel」の、あくことを知らぬ表現》とあり、まさにセミネールⅩⅠにおけるラカンの言葉をそのまま使用している。これは、後年のラカンの《書かれぬことをやめぬもの ce qui ne cesse de ne pas s'écrire》(Lacan, S.20)、あるいはトラウマ(穴ウマ troumatisme)でもある。

ストゥディウム(studium)、――、この語は、少なくともただちに《勉学》を意味するものではなく、あるものに心を傾けること、ある人に対する好み、ある種の一般的な思い入れを意味する。その思い入れには確かに熱意がこもっているが、しかし特別な激しさがあるわけではない。
プンクトゥム(punctum)、――、ストゥディウムを破壊(または分断)しにやって来るものである。(……)プンクトゥムとは、刺し傷、小さな穴、小さな斑点、小さな裂け目のことであり――しかもまた骰子の一振りのことでもあるからだ。ある写真のプンクトゥムとは、その写真のうちにあって、私を突き刺す(ばかりか、私にあざをつけ、私の胸をしめつける)偶然なのである。(『明るい部屋』)

《ストゥディウムは、好き(to like)の次元に属し、プンクトゥムは、愛する(to love)の次元には属する》。

たいていの場合、プンクトゥムは《細部》である。つまり、部分対象 objet partiel である。それゆえ、プンクトゥムの実例をあげてゆくと、ある意味で私自身を引き渡すことになる。(『明るい部屋』)
ある種の写真に私がいだく愛着について(……)自問したときから、私は文化的な関心の場(ストゥディウム le studium)と、ときおりその場を横切り traverser ce champ やって来るあの思いがけない縞模様 zébrure とを、区別することができると考え、この後者をプンクトゥム le punctum と呼んできた。さて、いまや私は、《細部》とはまた別のプンクトゥム(別の《傷痕 stigmate》)が存在することを知った。もはや形式ではなく、強度 intensité という範疇に属するこの新しいプンクトゥムとは、「時間 le Temps」である。「写真」のノエマ(《それは = かつて = あった ça—a-été》)の悲痛な強調であり、その純粋表象 représentation pure である。ーー「偶然/遇発性(Chance/Contingency)

さらにはこうも引用できる。

「温室の写真」をここに掲げることはできない。それは私にとってしか存在しないのである。読者にとっては、それは関心=差異のない一枚の写真、《任意のもの》の何千という表われの一つにすぎないだろう……読者にとっては、その写真には、いかなる心の傷もないのである。(同『明るい部屋』)

対象aもプンクトゥムも「あなたの中にはなにかあなた以上のもの」であり、「自我であるとともに、自我以上のもの」である。

あなたの中にはなにかあなた以上のもの、〈対象a〉 quelque chose en toi plus que toi, qui est cet objet(a)(ラカン、セミネール11) 
……自我であるとともに、自我以上のもの(内容をふくみながら、内容よりも大きな容器、そしてその内容を私につたえてくれる容器)だった。 il était moi et plus que moi (le contenant qui est plus que le contenu et me l’apportait). (プルースト『ソドムとゴモラ Ⅱ』「心情の間歇」)

…………

藤枝静男の作品に蓮實重彦のプンクトゥムが書き込まれているのは、すこし読むだけで瞭然とする。

金剛石も磨かずば
珠の光は添はざらん
人も学びて後にこそ
まことの徳は現るれ

これは昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭の四行であるが、章は小学生のじぶんに女の教師から習って地久節のたびごとに合唱していたから、今でもその全節をまちがいなく歌うことができるのである。

そのとき章は、この「たま」とは金玉のことであると一人合点で思いこんでいた。それで或る日父に
「父ちゃん、なぜ女が金玉を磨くだかえ」
と訊ねた。すると父は、
「なによ馬鹿を言うだ」
と答えた。しかし後々まで、不合理とは知りながらも、章の脳裡には、裾の長い洋服に鍔広の帽子をかぶった皇太后陛下が、どこかで熱心に睾丸を磨いている光景が残った。今でもこの歌を思い出すたびに(ごく微かにではあるが)同じ映像の頭に浮かぶことを防ぎ得ないのである。

こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない。

次手に言うと、章は同じく小学校入りたての七つ八つのころ父から「蒙求」と「孝経」の素読を授けられていたが、ときおり父が「子曰ク」という個所を煙管の雁首で押さえながら「師の玉あ食う」と発音してみせて、厭気のさしかかった章を慰めるようなふうをしたことを、無限の懐かしさで思い起こすことができる。多分、父はかつての貧しい書生生活のなかで、ある日そういう読みかたを心に考えつき、それによって僅かながらでもゆとりと反抗の慰めを得たのであったろう。そしてその形骸を幼い章に伝えたのであろうと想像するのである。(藤枝静男「土中の庭」1970初出)

藤枝文学においてその父親のイメージがまとっている鮮烈な抒情、そして愛と呼ぶにはあまりに寡黙なその言動につつまれて藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景といったものの美しさについては、すでに度々書く機会を持ったので、もう繰り返すにはおよばない。『藤枝静男著作集』も刊行され始めたので、まさに「毅」の一語がこの作者のために存在しているとしか思えない文章に、じかに触れていただくことにする。と、ここまで書いてきた瞬間、机上の電話が鳴って、受話器のむこう側から、遂に藤枝さんに確定しましたというはずんだ声が鼓膜をふるわせる。本年度の谷崎潤一郎賞が、藤枝静男氏に決定したというニュースを、親しい編集者の安原顯氏が知らせてくれたのである。われわれは、こんなとき誰もが口にする祝福の言葉をかわしあってたがいの喜びを確認しあうのだが、しかしその喜びには、どこかがっかりしたような調子がただよっている。すでにその名声が高まっているとはいえ、これを機に、あれほど絶版が続いて読むのがむずかしかった藤枝文学が、とうとう読者の前にいかにもたやすく投げだされてしまうことを、二人してそれと口にせずに惜しんでいるようだ。

そうか、藤枝氏が谷崎賞を受賞されることになったのか。まるで年甲斐もない恋文のような藤枝静男論を発表したばかりのころ、安原氏の後について行って一度だけお逢いしたことのある藤枝氏に心からの祝福をささげながらも、これでは何かできずぎているような気がする。この一文を『欣求浄土』の「土中の庭」の冒頭の挿話から始めたものの、残りがどんなふうに書きつがれ、どんなふうに書き終わるのか、不意にわからなくなってしまう。藤枝氏にならって、「こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない」と書き記し、しかしいつとはなしに一篇がいかにも「毅」の字にふさわしく書きつがれてゆく言葉を絶ち切るといって芸当はどうもできそうにない。いったい、どうすればよいか。(蓮實重彦「皇太后の睾丸」『反=日本語論』所収)

《昭憲皇太后が作詞して女子学習院に下賜された御歌の冒頭》、そして《藤枝少年が過ごした大正期の東海地方の風景》とあった。

蓮實鉄太郎

正五位勲三等功四級
明治5、旧黒羽藩祐筆、栃木県士族・蓮實啓之進の長男
陸軍士官学校
陸軍歩兵中佐、静岡俘虜収容所長
蓮實重康

明治37、鉄太郎二男
蓮實重康(はすみ しげやす、1904年5月30日 - 1979年1月11日)は、日本美術史学者、元京都大学教授。東京市麻布生まれ。

旧制静岡中学、旧制静岡高等学校を経て、1930年京都帝国大学哲学科(美学専攻)卒業、同大学院進学、1932年帝室博物館美術課嘱託、1941年同鑑査官、出征ののち、1952年奈良国立博物館学芸課長、1957年京都大学文学部助教授、1960年教授。1961年 「雪舟等揚―その人間像と作品」で京都大学文学博士、1968年定年退官、東海大学文学部教授。

東大総長を務めた蓮實重彦の父。
妻・田鶴子
大正2、内大臣秘書官・小野八千雄二女
小野八千雄 従五位勲四等

明治11、長野、小野八雄長男
昭和3、家督相続
長野県立中学卒
宮内省東宮職、掌典、皇太后宮職御用掛、内大臣秘書官

蓮實重彦の父蓮實重康は、1904年生れとあった。

藤枝静男(ふじえだ しずお、1907年12月20日 - 1993年4月16日)は、日本の作家、眼科医。本名勝見次郎。静岡県藤枝出身

成蹊学園から名古屋の旧制第八高等学校を経て1936年に千葉医科大学(現在の千葉大学医学部)を卒業。伊東弥恵治に師事した。勤務医生活ののち独立、1950年から浜松市で眼科医院を営む傍ら、小説を書き続けた。1968年『空気頭』で芸術選奨文部大臣賞、1974年『愛国者たち』で平林たい子文学賞、1976年『田紳有楽』で谷崎潤一郎賞、1979年には『悲しいだけ』で野間文芸賞を受賞。

だが、《こういうことを書いて何を言おうとするわけでもない》。

こういった事実関係を《精神分析的に解読した場合になる解釈……そんな解釈を得意がって提起するほどわれわれは文学的に破廉恥ではないつもりだ。そうした事実とは、どんな不注意な読者でも見逃しえない図式として、そこに露呈されているだけなのである》(蓮實重彦『小説から遠く離れて』)

とはいえ最も肝腎なのは次のことである。

我々のどの印象もふたつの側面を持っている。《あらゆる印象は、二重構造になっていて、なかばは対象の鞘におさまり、他の半分はわれわれ自身の内部にのびている A demi engainée dans l'objet, prolongée en nous-même par une autre moitié que seul nous pourrions connaître》(プルースト)。それぞれのシーニュはふたつの部分を持っている。それはひとつの対象を指示しdésigne、他方、何か別のものを徴示する signifie。客観的側面は、快楽 plaisir、直接的な悦楽 jouissance immédiate 、それに実践 pratique の側面である。

我々はこの道に入り込む。我々は《真理》の側面を犠牲にする。我々は物を再認reconnaissons する。だが、我々は決して知る connaissons ことはない。我々はシーニュが徴示すものを、それが指示する存在や対象と混同してしまう。我々は最も美しい出会いのかたわらを通り過ぎ、そこから出て来る要請 impératifs を避ける。出会いを深めるよりも、容易な再認の道を選ぶ。ひとつのシーニュの輝きとして印象の快楽を経験するとき、我々は《ちぇ、ちぇ、ちぇ zut, zut, zut 》とか、同じことだが《ブラボー、ブラボー》とかいうほかない。すなわち対象への賞賛を表出する表現しか知らない。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』)

《われわれ自身の内部にのびている》最も美しい出会いを深めた批評文が蓮實重彦にあったか否かは、あなたの判断にお任せする。

(ここで丸括弧付きでこっそり挿入しておくが、蓮實重彦の藤枝讃における「美しい」の連発は、「ブラボー」連発とどう異なるのか? ーーという問いがあってもいいはずである、もっとも次のようにオッシャッテオラレルのを知らないわけではない・・・、《‟美しい”という言葉を僕はよく使うことがあるんだけれども、その「美しい」という言葉は全部フィクションで、現実の美しさにも、共同体が容認するイメージにも絶対に到達することがないと確信しているがゆえに使っているにすぎないのです》(『闘争のエチカ』))。

いずれにせよ『反=日本語論』はーーいまでは言及されることが少ないがーー、蓮實が最も直接に自らの内部にのびている何ものかに近づいた書き物のひとつに他ならない、とわたくしは思う。

誰もが「金剛石を磨かずば」の歌に似た一人合点の勘違いの体験を持っているはずだ。そして、後にその誤りが正されてからも、当初の勘違いが「ごく微かにであるが」生き伸びたりするものだ。たとえばその後に獲得しえた漢字の知識によって「シャベルで掘る人/鶴嘴で掘る人/道普請の工夫さん/一生懸命働く」と再現しうる奇妙な歌を戦時下の幼稚園で声をはりあげて何度もおさらいをしていた少年にとって、銃後のまもりを強調するものであったのだろう「道普請の工夫さん」の一行は、セーヨーケンとかマツモトローとかに類する西洋料理屋の一つミシブチンで働くコックさん以外のものでありえようはずもなかった。それだから、白く長くとんがり帽子を頭の上で揺さぶりながら甲斐甲斐しく働く何人ものコックたちが、シャベルやツルハシで何やら大きな鍋をかきまわしている光景が、今日に至るも心のかたすみにごく曖昧ながらも消えずに残っている。
藤枝氏にならって「次手に言うと」、このミシブチンの少年の頭脳は、ゾケサなるもののイメージをもありありと思い描くことができる。「明けてぞ今朝は/別れ行く」という『蛍の光』の最後の一行に含まれる強意の助詞「ぞ」の用法を理解しえなかった少年は、なぜか佐渡のような島の顔をした「ゾケサ」という植物めいた動物が、何頭も何頭も、朝日に向かってぞろぞろと二手に別れて遠ざかってゆく光景を、卒業式の妙に湿った雰囲気の中で想像せずにはいられないのだ。ゾケサたちは、たぶん彼ら自身も知らない深い理由に衝き動かされて、黙々と親しい仲間を捨てて別の世界へと旅立ってゆくのだろう。生きてゆくということは、ことによると、こうした理不尽な別れを寡黙に耐えることなのだろうか、可哀そうなゾケサたちよ。(蓮實重彦『『反=日本語論』)

もちろんこのエッセイ集をわたくしが愛するのは、最初に蓮實重彦という人物の書き物を読んだのがこの書でありーー学生時代四畳半の下宿の万年床で寝転がって読んだことまで覚えているーー、わたくしの対象aがこの書に書き込まれているせいでもある、ということが言える。その対象aは上に掲げた文ではないが、--《ああ、久しぶりに、海がみたいと妻は時折り嘆息する。ああ、海がみたい。》





2016年6月14日火曜日

神の宿る所と中央構造線

前回引用した藤枝静男の「天女御座」には≪三河鳳来寺町の山奥にある自分の好きな阿寺の七滝に行ってみた≫という文があった。





この「阿寺の七滝」から東へ6~7㎞行くと、「百間滝」というのがある(参照:新城市観光協会)。





この滝は、中央構造線に沿って落ちている滝とのこと。「滝つぼのところには、はっきりと断層が通っています」とある。





中央構造線とは熊本地震で言及されもした日本最大級の断層系である。もっとも 「九州に中央構造線はない」という見解もあるようだが(地質調査総合センター、2016年5月13日)。


いくらか調べてみた範囲では、鳳来寺町の中央構造線の存在はほぼ間違いないようだ。

中央構造線は、佐久間から先は豊橋へ向かいます。中央構造線沿いにJR飯田線が通っています。中央構造線を侵食しているのは、愛知県東栄町までは、天竜川の支流の大千瀬川ですが、鳳来町から豊橋までは豊川です。その先は渥美半島の北岸沿いを通りますが、半島先端の立馬崎と伊良湖岬の間を通っていることが、ボーリング調査から分かっています。

紀伊半島では伊勢神宮外宮のほぼ真下を通ります。伊勢平野では、平野を埋めた堆積物の下に埋まっています。伊勢平野の南縁から勢和村に入ります。多気勢和インターのあたりで、再び地表に顔を出します。そこから奈良県境の高見峠までは、櫛田川が中央構造線沿いに谷を掘り下げています。奈良県に入ると、中央構造線沿いの川は紀の川になります。和歌山市から淡路島の南岸をかすめ四国へ続きます。

四国では、徳島から阿波池田までは吉野川になります。その先は石槌山地と海岸平野の間の一直線の山麓線になります。その先は、奥道後の山々と石槌山地の間が低くなっているのが分かるでしょう。松山平野の南縁から砥部町を通り、双海町から海へ出ます。佐田岬半島のすぐ沖合いを半島沿いに西へ進み九州へ続きます。四国では、徳島自動車道と松山自動車道が、ほぼ中央構造線沿いに走っています。(河本和朗「中央構造線読み方案内」PDF






上の図にあるように、中央構造線の上に、天竜川、豊川、櫛田川、紀ノ川、吉野川がきれいに並んでいる。

なおかつ意想外にも、名高い神の社も、その中央構造線の上にある。





ところで日本にはもうひとつ大きな構造線がある。上の図のフォッサ・マグナーー「この地域は数百万年前までは海であり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し現在のような陸地になったとされる」(Wiki)ーーの西側の線がそれにあたるようだ。

日本列島は糸魚川一静岡構造線を境に、西南日本弧と東北日本弧にわけられている。この大断層の西側は中・ 古生代の古い基盤岩類、東側は中新世以降の火山岩類主体の地層からなり、南部地域では西側の西南日本弧の古期岩類が東側に衝上している。

西南日本はさらに中央構造線によって北側の内帯と南側の 外帯にわけられている。中央構造線は1億年以上前に活動を開始し、現在まで段階的に活動し続けている。現在は右横ずれ断層である。中央構造線の北側には高温・低圧型の領家変 成岩類が分布し、南側の結晶片岩からなる三波川帯に衝上し ている。(「地球学入門」、酒井治孝著、東海大学出版社、2003,PDF)


≪大断層の西側は中・ 古生代の古い基盤岩類、東側は中新世以降の火山岩類主体の地層≫とあるが、ここで数年前にはじめて読んでわたくしには思いがけなかった和辻哲郎の指摘を掲げておこう。

東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新緑の比ではないが、しかし美しいことは美しい。やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノにはゲテモノのおもしろみがある。などと、自分で自分を慰めるようになった。(和辻哲郎「京の四季 」)

 これは、古い基盤岩類の土地の糸魚川一静岡構造線の西とは異なり、火山岩類主体の地層(≒糸魚川一静岡構造線の東)では、樹木の成長が早く「ゲテモノ」が育つ傾向にある、と言っているように読んでいいだろう。

わたくしは東京に5年、京都に10年強(その前に大阪と京都の中間地に数年)、そして鳳来寺町近くの東三河が本来の故郷であり、12年住んだ(6歳までは、父の仕事の地、尾張地方で育ったが、父母ともに東三河が故郷だ)。

和辻哲郎に言われて思い起こせば、故郷の町の樹木も、京都の樹木も、東京のものより樹ぶり・枝ぶりがよい。東京の樹木は黒ずんで陰鬱である・・・と比較して断言するほど、多くの樹木をみたわけではないが、なんとなくそんな印象は残っている。


ここで、≪神の宿る所≫、すなわち≪山脈の両側を区切る明確なしるしがあって、どちらの側の人間も、このあたりを自分らの人間世界のへり≫を越えると、≪暗い地形・樹木のたたずまいもいくらか穏やかになる≫とする大江健三郎の叙述を抜き出しておこう。高知空港から、故郷の土地(内子町)へバスで向かうなかでの「僕」の説明である。






高知空港に着き、(……)松山への長距離バスの始発駅に廻っても、なお陽は高く淡い青空で、バスを降りる際のタクシーの手配を駅員にかけあう気にならない。バスは空いてもいる。次男だけが運転手と隣り合う最前列に掛け、残りの家族はなかほどにかたまって掛けて、さて市街を出はずれると、すぐさま深い山襞のなかにバスは入り込んで行き、明治の元勲が幾人も出た村落の豊かな蓄積が見える谷や、藩の殖産政策に着実に応えた窒業で知られる、坂になった街すじを過ぎ、あらためて傾斜の急峻な山襞を両側に見あげるところへ出ると、西の空に陽は赤く、ところどころ残っている紅葉した照葉樹が燃えるようだ。しかし夕焼けは空の高みにのみあって、すぐにも冬枯れた陰気な色合の落葉した雑木、くすぼったい暗い緑の杉山・檜山の眺めとなる。九十九折の道をバスが向きをかえるたびに、なお赤い輝きの照りはえる山稜が眼に入るのではあるが……

――サクちゃんはオリエンテーリングの会場に使われそうな、あまり高くない丘だけ熱心に眺めて、それより上も下も見ないわ、と娘が妻に話していた。それにパパも、松山からお祖母ちゃんの家に向う時は熱心に風景を見るのに、高知からだと、なんだか冷淡なのね。(……)

実際、たちまち暗くなってしまった窓の向うに黒い樹木のたたずまいのみがあり、かつは深くなった渓谷の底の水面のわずかな反映が眼をとらえるのみであるようになっても、僕はあまり失望しなかったのである。地形にも植物相にもとくに大幅なちがいがあるというのではないが、やはりこのあたりの風景は、山のむこう側のそれだったから。(……)



それでも僕はすっかり夜になって辿りついた、県境近くの、左に深い谷の気配と右にそそりたつ崖があり、その岩の根にえぐりこんで社と茶店が建てられている場所で長距離バスが小休止をとる駅では、妻と子供らに進んで説明したのだ。――この高い崖の上に覆いかぶさっている黒いかたまりは、昼の光のなかで見てもね、榎や檜や杉や、それに蔦だらけでいちいちの樹幹は見わけられない、大昔からの稠密な森なんだね。そこが神の宿る所なのさ。この低い所に置かれている社は、森の社の代理。昔から、ここに山脈の両側を区切る明確なしるしがあって、どちらの側の人間も、このあたりを自分らの人間世界のへりと見ていたんだよ。だから近くに住家もないこういう所に、いまもわざわざ茶店を経営していて、バスが行程半ばでしばらく停まるんだ……

そこを過ぎ去るとバスの窓の向うの暗い地形・樹木のたたずまいもいくらか穏やかになるようで、黙り込んでいる妻も子供たちも、境界点を越えたことをよく感じとっていたはずだ。くだり勾配となり果てしなく闇の底に沈んで行く、しかし落ち着いたバスの走行が続き、高知と松山を結ぶ中間点の、そこからT字形に村の方向へくだる、大きい盆地の駅でバスを降りようと、僕は家族に準備を指示していた。当の町に入って行く手前の、まだ高地の斜面なかばと感じられる駅で、バスの進行を妨げかねぬ仕方に車が駐められているのを見た。その脇には、海員のような黒いコール天の帽子とやはり海員風の半外套を着て、深いポケットに両手を入れた頑丈な首から肩の中年男が立っていた。

――ギー兄さんが迎えに来てくれた、ひとつ前の駅で降りよう! と僕は自分の耳にも気負い立って聞こえる声を出したのだ。……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』PP.47-49)

上に四国の中央構造線と内子町の位置の図をかかげたが、残念なことに「神の宿る所」は、中央構造線からはわずかにずれて、むしろ 仏像構造線に近いように思えるが、詳しいことはわからない。いずれにせよ、どちらかの構造線を越えると、地質が変わっているはずだ、とわたくしは思い込みたい・・・


…………

※付記

上に和辻哲郎の記述にのっとっていささか図式的に東京(武蔵野平野)ではゲテモノの樹木が育つ土地としたが、より細部にわたって微妙な差異を感じとる中井久夫の次のような叙述を引用することもできる。

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。

家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。

青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。

これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。

立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。

嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。

まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。

小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。

もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。

塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、“海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。

ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における索引と徴候」)


2015年10月1日木曜日

口にしちゃいけないこと

襖一枚の隔てて筒抜けの隣の声」で、こう引用した。

僕は作品でエロティックなことをずっと追ってきました。そのひとつの動機として、空襲の中での性的経験があるんですよ。爆撃機が去って、周囲は焼き払われて、たいていの人は泣き崩れている時、どうしたものか、焼け跡で交わっている男女がいます。子供の眼だけれども、もう、見えてしまう。家人が疎開した後のお屋敷の庭の片隅とか、不要になった防空壕の片隅とか、家族がみんな疎開して亭主だけ残され、近所の家にお世話になっているうちにそこの娘とできてしまうとか、いろんなことがありました。(古井由吉『人生の色気』)

――こうやってくり返して引用したくなる文なのだが、「焼け跡で交わっている男女」のようなものを見たことがあるとでもいうのか。

ある場所で彼が立ち止まって首をまわすと、その方角に明けっぴろげになった小さな家が映り、次にその奥が大写しになると若い夫婦が性交している。チャブ台の向こう側で脚や腕がさかんに動いている。仰向いた女の美しい胸と首と、そこに無闇に顔をこすりつける男の後頭部が映る。男の手首が女の太股の下のほうから撫であげたり、女の肉付きのいい脚が曲がったり伸びたりする。――彼は道に立ってぼんやりそれを眺めている。(藤枝静男「欣求浄土」)

いやいやこんな光景にはめぐりあっていなしまたもちろんやったこともない。わたくしは阪神大震災のとき京都に住んでいたのだが、被災の現場にーーここでは、ある「やむえない」理由で、と書いておこうーー訪れたが、そこでもめぐりあっていない。

避難民は避難民同士という垣根のない親身の情でわけへだてなく力強いところもあったが、垣根のなさにつけこんで変に甘えたクズレがあり、アヤメも分たぬ夜になると誰が誰やら分らぬ男があっちからこっちから這いこんできて、私はオソヨさんと抱きあって寝ているからオソヨさんが撃退役でシッシッと猫でも追うように追うのがおかしくて堪らないけど、同じ男がくるのだか別の男なのだか、入り代り立ち代り眠るまもなく押しよせてくるので、私たちは昼間でないと眠るまがない。(坂口安吾 「青鬼の褌を洗う女」)

夜這いなどということもしたことはない?

庶民は若くして奉公にでます。奉公先ではふすま一つ隔てて、若い男女が寝ています。つい夜這いも活発になろうというものです。(永井義男「お盛んすぎる江戸の男と女」)

ああやりのこしたことがたくさんある。

恋の闇 下女は小声で ここだわな
早くして 仕舞いなと 下女ひんまくり
をしいこと まくる所を下女 呼ばれ
ーーー「諧風末摘花」より

(円山応挙 すえつむ花 夜這い)

江戸時代の遺風としてその当時の風呂屋には二階があって白粉を塗った女が入浴の男を捉えて戯れた。かくの如き江戸衰亡期の妖艶なる時代の色彩を想像すると、よく西洋の絵にかかれた美女の群の戯れ遊ぶ浴殿の歓楽さえさして羨むには当るまい。(永井荷風「伝通院」)

西洋など羨むには当らない国に住んでいたのに。


…………

本当のことを言うとね、空襲で焼かれたとき、やっぱり解放感ありました。震災でもそれがあるはずなんです。日常生活を破られるというのは大変な恐怖だし、喪失感も強いけど、一方には解放感が必ずある。でも、もうそれは口にしちゃいけないことになっているから。(古井由吉「新潮」2012年1月号又吉直樹対談) 

人は生涯日常性が破られるという経験がなくてはたして「幸せ」なんだろうか。

グルリと空を見廻したあの時の私の気持というものは、壮観、爽快、感歎、みんな違う。あんなことをされた時には私の頭は綿のつまったマリのように考えごとを喪失するから、私は空襲のことも忘れて、ノソノソ外へでてしまったら、目の前に真ッ赤な幕がある。火の空を走る矢がある。押しかたまって揉み狂い、矢の早さで横に走る火、私は吸いとられてポカンとした。何を考えることもできなかった。それから首を廻したらどっちを向いても真ッ赤な幕だもの、どっちへ逃げたら助かるのだか、私はしかしあのとき、もしこの火の海から無事息災に脱出できれば、新鮮な世界がひらかれ、あるいはそれに近づくことができるような野獣のような期待に亢奮した。 (坂口安吾 「青鬼の褌を洗う女」)
私にとっては私の無一物も私の新生のふりだしの姿であるにすぎず、そして人々の無一物は私のふりだしにつきあってくれる味方のようなたのもしさにしか思われず、子供は泣き叫び空腹を訴え、大人たちは寒気と不安に蒼白となり苛々し、病人たちが呻いていても、そしてあらゆる人々が泥にまみれていても、私は不潔さを厭いもしなければ、不安も恐怖もなく、むしろ、ただ、なつかしかった。(同上)

もちろん、次ぎのような日常性の破壊を「楽しむ」ことはできないではない(津波被害についてはまだそれほど月日がたっていないので口を慎んでおくことにする)。

2001年9月11日後の数日間、われわれの視線が世界貿易センタービルに激突する飛行機のイメージに釘づけになっていたとき、誰もが「反復強迫」がなんであり、快楽原則を越えた享楽がなんであるかをむりやり経験させられた。そのイメージを何度も何度も見たくなり、同じショットがむかつくほど反復され、そこから得るグロテスクな満足感は純粋の域に達した享楽だった。(ジジェク『 〈現実界〉の砂漠へようこそ』)

これは別にラカン派の発見でもなんでもない。すでにプラトンがこう書いている。

ソクラテス) 諸君、ひとびとがふつう快楽と呼んでいるものは、なんとも奇妙なものらしい。それは、まさに反対物と思われているもの、つまり、苦痛と、じつに不思議な具合につながっているのではないか。

 この両者は、たしかに同時にはひとりの人間には現れようとはしないけれども、しかし、もしひとがその一方を追っていってそれを把えるとなると、いつもきまってといっていいほどに、もう一方のものをもまた把えざるをえないとはーー。(プラトン『パイドン』60B 松永雄二訳)
いつかぼくはある話を聞いたことがあって、それを信じているのだよ。それによると、アグライオンの子レオンティオスがペイライエウスから、北の城壁の外側に沿ってやって来る途中、処刑吏のそばに屍体が横たわっているのに気づき、見たいという欲望にとらえられると同時に、他方では嫌悪の気持がはたらいて、身をひるがそうとした。そしてしばらくは、そうやって心の中で闘いながら顔をおおっていたが、ついに欲望に打ち負かされて、目をかっと見開き、屍体のところへ駆け寄ってこう叫んだというのだ。「さあお前たち、呪われたやつらめ、この美しい観物を堪能するまで味わうがよい!」(プラトン『国家』439c 藤沢令夫訳)

われわれは他人の不幸を「公式的には」には憐れむ。だがすくなくとも自らが関係しないとなったら、そこには享楽のリビドーが注ぎ込まれる。

それはまるで古典的なハリウッド映画のようであり、そこでは、悪党は、――“公式的には”、最終的に非難されるにしろ、――それにもかかわらず、われわれの(享楽の)リビドーが注ぎ込まれる(ヒッチコックは強調したではないか、映画とは、ただひたすら悪人によって魅惑的になる、と)。(ジジェク、2012--「嫌煙運動、あるいは「憎むことを愛する」」より)

《人はただ自分もまぬがれられないと考えている他人の不幸だけをあわれむ。 》(ルソー『エミール』)

《人が同情を寄せる相手は、知らない人びと、想像で思い描く人びとであり、すぐそばで卑俗な日常生活のなかにいる人たちではない。》(プルースト「見出された時」井上究一郎訳)