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2019年5月15日水曜日

きみにこういうことをすすめたいんだ

――僕としてもね、永遠マイナスn年とまではいいませんよ。しかし、やはり八十年間生きる方が、十四年よりは望ましいと思いますねえ、とカジは伸びのびといった。

――私もカジがそれだけ生きることを望むよ、というギー兄さんの方では、苦痛そのもののような遺憾の情を表していたが。……しかしそうゆかないとすれば、もし十四年間といくらかしか生きられないとすれば、カジね、私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? (大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)



死んでもいい 谷川俊太郎

おれは死んでもいいと思う
まだ十六だから今すぐってわけじゃない
かと言って死ぬときをじぶんで選べないから
まあそのときが来たら
死ぬほかないんだから死んでもいい
生きているのがつまらないから
死んでもいいんじゃない
死ぬのが死ぬほどいやだってやつもいるけど
おれはそうじゃない
生きているのがうれしいから
死んでもいいんだ
死んでももしかするとうれしいが続くかも
昨日うちのじいさんに
死ぬのをどう思うってきいたらさ
「死んでこまることはない」だってよ


ーー『おやすみ神たち』2014年 所収


――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。カジね、そしてそれはただそう思う、というだけのことじゃないと私は信じる。

それはこういうことが考えられるからだよ。もう一度、ほとんど永遠に近いくらい永く生きた人間を想像してみよう。それこそ大変な老人になって、皺だらけで縮こまっているだろうけれどもさ。その老人が、とうとう永い生涯を終えることになるんだ。そしてこう回想する。自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか? そうすればね、カジ、きみがたとえ十四年間しか生きないとしても、そのような人生と、永遠マイナスn年の人生とは、本質的には違わないのじゃないだろうか?   

――僕としてもね、永遠マイナスn年とまではいいませんよ。しかし、やはり八十年間生きる方が、十四年よりは望ましいと思いますねえ、とカジは伸びのびといった。

――私もカジがそれだけ生きることを望むよ、というギー兄さんの方では、苦痛そのもののような遺憾の情を表していたが。……しかしそうゆかないとすれば、もし十四年間といくらかしか生きられないとすれば、カジね、私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? 自分が死んでしまった後の、この世界の永遠に近いほどの永さの時、というようなことを思い煩うのはやめにしてさ。(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』)


⋯⋯⋯⋯

彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのないレミニサンス réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ」)
単なる過去の一瞬、それだけのものであろうか? はるかにそれ以上のものであるだろう、おそらくは。過去にも、そして同時に現在にも共通であって、その二者よりもさらにはるかに本質的な何物かである。これまでの生活で、あんなに何度も現実が私を失望させたのは、私が現実を知覚した瞬間に、美をたのしむために私がもった唯一の器官であった私の想像力が、人は現にその場にないものしか想像できないという不可避の法則にしばられて、その現実にぴったりと適合することができなかったからなのであった。

ところが、ここに突然、そのきびしい法則の支配力が、自然のもたらした霊妙なトリックによって、よわまり、中断し、そんなトリックが、過去と現在とのなかに、同時に、一つの感覚をーーフォークとハンマーとの音、本のおなじ表題、等々をーー鏡面反射させたのであった。そのために、過去のなかで、私の想像力は、その感覚を十分に味わうことができたのだし、同時に現在のなかで、物の音、リネンの感触等々による私の感覚の有効な発動は、想像力の夢に、ふだん想像力からその夢をうばいさる実在の観念 l'idée d'existence を、そのままつけくわえたのであって、そうした巧妙な逃道のおかげで、私の感覚の有効な発動は、私のなかにあらわれた存在に、ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続 la durée d'un éclair、純粋状態にあるわずかな時 un peu de temps à l'état pur ――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆるしたのであった。

あのような幸福の身ぶるいでもって、皿にふれるスプーンと車輪をたたくハンマーとに同時に共通な音を私がきいたとき、またゲルマントの中庭の敷石とサン・マルコの洗礼堂との足場の不揃いに同時に共通なもの、その他に気づいたとき、私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。意志でもって築きあげられる未来とは、意志が、現在と過去との断片から築きあげる未来で、おまけに意志は、そんな場合、現在と過去とのなかから、自分できめてかかった実用的な目的、人間の偏狭な目的にかなうものだけしか保存しないで、現在と過去とのなかの現実性を骨ぬきにしてしまうのである。

ところが、すでにきいたり、かつて呼吸したりした、ある音、ある匂が、現在と過去との同時のなかで、すなわち現勢的でないリアルなもの、抽象的でないイデア的なもの Réels sans être actuels, idéaux sans être abstraits である二者の同時のなかで、ふたたびきかれ、ふたたび呼吸されると、たちまちにして、事物の不変なエッセンス、ふだんはかくされているエッセンスが、おのずから放出され、われわれの真の自我がーーときには長らく死んでいたように思われていたけれども、すっかり死んでいたわけではなかった真の自我がーーもたらされた天上の糧を受けて、目ざめ、生気をおびてくるのだ。時の秩序から解放されたある瞬間が、時の秩序から解放された人間をわれわれのなかに再創造して、その瞬間を感じうるようにしたのだ。それで、この人間は、マドレーヌの単なる味にあのようなよろこびの理由が論理的にふくまれているとは思わなくても、自分のよろこびに確信をもつ、ということがわれわれにうなずかれるし、「死」という言葉はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時のそと hors du temps に存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう? (プルースト『見出された時』井上究一郎訳、一部変更)


2017年9月8日金曜日

音楽日記:大江光と坂本龍一

以下、大江健三郎、大江光、浅田彰、坂本龍一をめぐって記すが、この四者になんらかの文句をつけるつもりはない。それどころか、それぞれ敬意を表したい四人である。

浅田)大江健三郎は、文学には言葉の壁があるのに対し、息子の音楽は世界中の人に即座に伝わるって言うんだけれど、それは逆でしょう。

柄谷)音楽はまた別の言語であって、評価はもっと厳しいよ。

浅田)音楽の中でみれば、あれはハンディキャップを背負ったアマチュアの心温まる達成ではあるけれど……。

柄谷)しかし、プロの作品ではない。

坂本)評価できない。

浅田)その点、大江健三郎の小説は、どんな翻訳であれ、普遍性をもった本物の作品だよ。

柄谷)本人がそう思うべきだ(笑)。

坂本)本人は痛いほどわかっているはずだけど。

浅田)でも、そういうことがわからずに、徹底してずれているのが、大江健三郎の才能かもしれない。……

(「「悪い年」を超えて」坂本龍一 浅田彰 柄谷行人 座談会 『批評空間』1996Ⅱ-9)

わたくしはラジオから流れてきた聴いた以外で、大江光の作品を聴いたのは、テレビで一度だけある(テレビからも流れてきてほかにも聴いたことはあるかもしれないが、いまはそう記しておく)。

それは、大江光のチェロとピアノのための「お話-A Talk」であり、マルタ・アルゲリッチとロストロポーヴィチの共演(1995年の小澤征爾のバースデイ・コンサート)にて聴いた。そして「惚れ惚れ」した。この小澤の還暦祝いのコンサートはビデオに録画して何度もくり返して鑑賞したのでとても印象に残っているが、いまはビデオが劣化してしまって観ることはできない。

この「お話-A Talk」という作品は、ネット上を探しても見当たらない。

いまは別の作品を貼付しておく。

◆大江 光 هيكاري اوية Hikari Oe


ーー美しいが、シンプルすぎる。血がにじんでいない、ということは言えるかもしれないが、アルゲリッチやロストロポーヴィチのような至高の息づかいをもつ演奏家が演奏すれば、ひどく美しくきこえてくる、ということはありうると思う。

粗悪な音楽を嫌悪したまえ、しかし侮ることなかれ。いい音楽以上にうまく演奏したり歌つたりすれば、音楽は徐々に夢と人の涙で満たされる。(……)粗悪な音楽には芸術の歴史に居場所はないが、社会の情緒の歴史において、その地位は絶大なのだ。(プルース『ジャン・サントゥイユ』「粗悪音楽礼賛」)

いやいやけっして粗悪な音楽であるなどというつもりはない。だがアルゲリッチとロストロポーヴィチの共演で聴いた大江光はかぎりなく美しかった、ということがいいたいだけである。

ところで、大江光の作品は、坂本龍一のたとえば次のような作品とどう違うんだろうか?

◆Ryuichi Sakamoto-Energy Flow




わたくしにはあまり変わりばえのしない印象をうけるが、これはわたくしの音楽の基礎的素養のなさのせいかもしれない。

…………

大江健三郎は「小説」である『取り替え子』にて、次のように記している。

アカリさんのCDは、それが美しいと口にする必要もないことだが、と一種の欠語法を用いて主題を示してからーーいま考えてみると、CDの評価について言質をとられぬように、という慎重さだったのかも知れないーー、最近ニューヨークに本拠を置く日本人の作曲家兼俳優が、ポリティカル・コレクトネスで知的障害者の音楽を押し通されちゃたまらない、と最先端の文化英雄相手に話していたが、とさらにも含みのありそうな言い方をするのだ。(大江健三郎『取り替え子』2000)

そして浅田彰は『取り替え子』の書評で次のように記している。

……私はそのとき坂本龍一と話したこと(重い障害をもつ子どもを立派な大人にまで育て上げたことはパーソナルには素晴らしいことで感嘆に値するものの、そのこととアーティスティックな評価は別であり、大江光の音楽はあきらかに大江健三郎の文学のような普遍性を持たない)をまったく撤回する気はないが、それに対する大江健三郎の怒りを理解し、尊敬しさえする。驚くべきことは、時として正当な、だが時として被害妄想に傾く場合もある、いずれにせよ個人的なレヴェルでの生々しい怒りと悲しみから出発しながら、この小説が見事な普遍性をもった作品として立ち上がってくることだ。(浅田彰【大江健三郎「取り替え子」】

わたくしは『取り替え子』とともに、大江健三郎の『燃え上がる緑の木』三部作を好んで読むが、今読み返すと、たとえば次のような記述はやや傷になっているという感がしないでもない。

テーブルに挨拶に来て、悪天候を自分の落ち度のように嘆いた女主人が、テーブルのDATに眼をつけて、このホテルを常宿にするマエストロたちがーーそこには泉さんの離婚した夫である名高い日本人指揮者もふくまれていて、かれのネームプレートをつけた椅子が食堂にあったーーこぞって日本の録音機を評価している、と話した。そこで思い立ったように、女主人がフロントから持って来たのが、ヒカリさんのCD!

もともと、総領事に当のHotel Kobenzlを紹介したのがK伯父さんなのである。一昨年、ヒカリさんが永らく作曲してきた小さな曲を集めて、ピアノとフルートのCDが出ていた。それを記念して、ちょうど一年前、K伯父さんの一家はザルツブルグに旅行し、このホテルに滞在した。たまたまヒカリさんの誕生日を祝うファックスが絵入りで届き、それを見た女主人がお祝いの贈り物をくれた。お返しに手渡したCDを聴いて彼女は感動した。

女主人はそのいきさつを総領事に語り、――私ハ小サナほてる経営者ノ娘ニ生マレタガ、コノ伝統アルほてるノ一族ノ夫ト結婚シ、子供タチヲ後継者ニ育テアゲモシタ。ソレハ父ノぽじてぃう゛ナ生キ方ヲスルヨウニ、トイウ教エニシタガッテノコトダッタ。アノ障害ヲ持ッタ青年トソノ両親ヲ見テ、マタソノ音楽ヲ聴イテ、ソレコソぽじてぃう゛ナ生キ方ヲ伐リ拓イテイルト共感シタ、と話した。(『燃え上がる緑の木』第二部、PP195-196)

いやひょっとしてこれが神や魂のことをめぐって書き綴られるこの小説の「裂目」として効果を生んでいるのかもしれないとは疑うべきかもしれない。

私は、この国で恩寵という言葉の通俗的な使われ方に、疑問を持ってきたんだよ。(……)

身近なだけ、気になる例をあげればね、このところザッカリーがよく弾いている、ヒカリさんのピアノ曲集に、自費出版ということで気軽だったのか、K伯父さんがこういいうことを書いているだろう? 《僕は信仰を持たない人間ですが、恩寵ということを音楽に見出すといわずにはいられません。この言葉を、品の良さ(グレイス)とも美質(グレイス)とも、感謝の祈り(グレイス)ともとらえたい思いで、僕はヒカリの音楽とその背後にある現世の自分たちを超えたものに耳を澄ませているのです。》

私が厭なのは、K伯父さんの言葉遊びのような展開なんだね。実体を摑めないでいて、言葉で手探りするだけで、どの程度深いことが表現できるんだろう? それも恩寵というような大きい課題について。

ーーK伯父さんは言葉を書くことで生きている人なんだから、言葉をつうじて手探りするのはむしろ自然なんじゃないの? 私はこれを読んで、ヒカリさんの音楽には確かに恩寵があると了解したわ。

――もし、ヒカリさんの音楽に恩寵があるとすれば、とギー兄さんは、すでによく考えていることを示して固執した。それが意味しているのは、ヒカリさんが神によって創られたことと、ヒカリさんが神を知っていることのふたつでなければならないよ。ところがね、K伯父さんはそのことも、やはり信仰の外側から憶測するだけじゃないだろうか?

K伯父さんがCD発売についてヒカリさんと一緒に新聞写真に写っているのは恥かしいとか、花田が攻撃する。そのやられ方について、私もK伯父さんは災難だと思うよ。しかし、ヒカリさんの精神的な遅れが、K伯父さんに自分と神との関係について突きつめることをさせないで、猶予期間をあたえてきたということは、やはりあると思うよ。(同上、PP.291-291)



2017年9月7日木曜日

「母のない今私にはふるさとはありません」

大江健三郎は次のようなことを書き続けてきた作家であるーー最近のことは知らないが、すくなくともある時期までの大江、たぶん21世紀に入る前後までは。

この村に生まれた者は、死ねば魂になって谷間からでも「在」からでもグルグル旋回して登って、それから森の高みに定められた自分の樹木の根方におちついてすごすといわれておりましょう? そもそもが森の高みにおった魂が、ムササビのように滑空して、赤んぼうの身体に入ったともいいましょうが? (大江健三郎『M/T と森のフシギの物語』)
戦争末期の僕のジレンマのもうひとつは、南方でーーしかもレイテ島で、と具体的に土地の名が思い浮かぶこともあったーー自分が戦死しての、魂の帰り道という問題であった。谷間の人間であれ「在」の人間であれ、肉体が死ねば、魂は躰をぬけて空中に浮び上り、旋回して、それも螺旋状にしだいに高みに昇って、それから森の、以前から自分のための木ときまっている樹木の根方に着地して、ずっととどまることになる。お伽話のようにそう聞いて育ったが、船で送られトラックで移動して、集団で行軍したあげくジャングルで戦死してしまえば、ひとりぽっちの魂になって、さて遠い道のりをこの日本の四国の森の奥の谷間まで、どう戻りつくことができるのか。(……)

――本当に魂が森に昇るのなら、谷間からでも「在」からでも、東京からでも長崎からでも、おなじじゃないのかな? 鮭は孵化した川に戻ってくるというが、魂には魂の本能のようなものがあるのやないか? 南方で死んだ人間の躰から離れた魂は、サーッと東に行ったり、まさサーッと西に行ったりして、迷うことがあるにしても、いつかは森に帰って来ているやろう。もう死んで魂になっておるのやから、永い年月かあkっても同じやが! 谷間や「在」から森に昇るより、魂になって海の上を飛行して帰って来る道すじの方が面白いと思うよ。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』)

ところで、2001年には次のように語っているそうだ。

「ふるさとにもどりますか」という問いに「母のない今私にはふるさとはありません」と(大江健三郎、すばる編集部、『大江健三郎再発見』、2001年、pdf


2017年8月6日日曜日

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家

まずジュパンチッチによる科学・宗教・芸術の簡潔な定義を掲げる。

◆アレンカ・ジュパンチッチ Alenka Zupančič、The Splendor of Creation: Kant, Nietzsche, Lacan,2013、PDFより。

科学が基盤としているのは、象徴界内部で形式化されえないどんなリアルもないという仮定である。すべての「モノ das Ding 」は徴示化 signifying 審級に属するか翻訳されるという仮定である。言い換えれば、科学にとって、モノは存在しない。すなわちモノの蜃気楼は、われわれの知の(一時的かつ経験上の)不足の結果である。ここでのリアルの地位は、内在的であるというだけではなく手の届くもの(原則として)である。
宗教が基盤としているのは、リアルは根源的に超越的な・〈大他者〉の・排除されたものという仮定である。リアルは、不可能かつ禁じられており、超越的で手の届かないものである。
芸術が基盤としているのは、リアルは内在的かつ手の届かないものという想定である。リアルは、つねに表象に「突き刺さっている」。表象の他の側あるいは裏面に、である。裏面は、定められた空間に常に内在的でありながら、また常に手が届かない。(……)芸術は常に境界と戯れる。境界を創造・移動・越境する。

図式的すぎるきらいはあるにしろ、すぐれて簡潔な定義だと感じ、すでに何度か引用しているのだが、「宗教」についてはいささか異和を抱きはじめた。この定義は「一神教」の定義ではないか、と。

すくなくとも日本のような「自然宗教」信仰風土においては、ジュパンチッチの定義に依拠するなら、宗教は《超越的で手の届かないもの》ではなく、むしろ芸術の範疇、すなわち《内在的かつ手の届かない》神信仰ではないだろうか。

日本というのは、《内在的かつ手の届かない》神の国日本だろう、と。

さて凡て迦微(かみ)とは、古御典等(いにしえのみふみども)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊をも申し、又人はさらにも云わず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其余何にまれ、尋(よの)常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微とは云ふなり、(すぐれたるとは、尊きこと善きこと、功しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり、(……)

抑迦微は如此く種々にて、貴きもあり賤しきもあり、強きもあり弱きもあり、善きもあり悪きもありて、心も行もそのさまざまに随ひて、とりどりにしあれば(貴き賤きにも、段々多くして、最賤き神の中には、徳すくなくて、凡人にも負るさへあり、かの狐など、怪きわざをなすことは、いかにかしこく巧なる人も、かけて及ぶべきに非ず、まことに神なれども、常に狗などにすら制せらるばかりの、微(いやし)き獣なるをや、されど然るたぐひの、いと賤き神のうへをのみ見て、いかなる神といへども、理を以て向ふには、可畏きこと無しと思ふは、高きいやしき威力の、いたく差(たが)ひあることを、わきまへざるひがことなり、)大かた一むきに定めては論ひがたき物になむありける」(本居宣長『古事記伝』三ーー神のタタリ

わたくしは長いあいだ「無宗教」のつもりだったが、じつはずっと「神」のことを考えてきたのではないか、などと思いはじめたのは、つい最近、小林秀雄の『本居宣長』を読んでからである。

いや小林秀雄はそもそも『本居宣長』だけではなく、《おっかさんは、今は蛍になってゐる》という話もあれはやっぱり神の話じゃないか。こんなことを考えてしまうのは、わたくしは齢をとってきたせいではないかとはもちろん疑っている。

でもわたくしと同じような考え方をする仲間は「すぐれた」作家たちのなかにたくさんいるから安心である・・・

日本を囲繞したさまざまの民族でも、死ねば途方もなく遠く遠くへ、旅立つてしまふという思想が、精粗幾通りもの形を以つて、大よそ行きわたつて居る。独りかういふ中に於いてこの島々にのみ、死んでも死んでも同じ国土を離れず、しかも故郷の山の高みから、永く子孫の生業を見守り、その繁栄と勤勉とを顧念して居るものと考へ出したことは、いつの世の文化の所産であるかは知らず、限りも無くなつかしいことである。(柳田国男「魂の行くえ」1949年)
日本文化が定義する世界観は、基本的には常に此岸的=日常的現実的であったし、また今もそうである。(加藤周一「日本社会・文化の基本的特徴」『日本文化のかくれた形』所収、2004年)


「おやすみ神たち」 谷川俊太郎、2014年

神はどこにでもいるが
葉っぱや空や土塊(つちくれ)や赤んぼにひそんでいるから
私はわざと名前を呼んでやらない
名づけると神も人間そっくりになって
すぐ互いに争いを始めるから

コトバとコトバの隙間が神の隠れ家
人々の自分勝手な祈りの喧騒をよそに
名無しの神たちはまどろんでいる
彼ないし彼女らの創造すべきものはもう何も無い
人間が後から後からあれこれ製造し続けるから

おやすみ神たち
貴方がたったの一人でも八百万(やおろず)でも
はるか昔のビッグバンでお役御免だったのだ
後は自然が引き受けてそのまた後を任されて
人間は貴方の猿真似をしようとしたが

いつまでも世界をいじくり回しても
なぞなぞの答えが見つかる訳もなく
創ったつもりで壊してばかり
空間はどこまでも限りなく
時間はスタートもゴールも永遠のかなた--

私は神たちに子守唄でも歌ってやろう


――Kさんの友人の文化人類学者が、日本文化に特有のかたちとして「中心の空洞」ということをいうよね? たとえば戦前の国家権力を洗い出してゆくと、結局、中心の天皇の場所が空洞になっていて、責任の究極の取り手がない。あるいはやはり天皇家と関わるけれど、東京という大都市の中心は皇居で、そこが緑の空洞になっている。ギー兄さんの、なかになにもないかも知れない繭というのも、「中心の空洞」ということで、いかにも日本人的な信仰のかたちなんだろうか?

――「中心の空洞」ということを考えるとして、それが本当に日本人固有なものかねえ。量子力学にしてからがその直喩に立っているんじゃないの? それならばヨーロッパにあり、アメリカにあり、またアジアの人間も共有する、というもので……

ともかく私は繭の「中心の空洞」に集中するとして、もっと通りの良い言葉でいえば、それに向けて祈るとして、いつまでもそこからなにも現れないままで、決して不都合だとは考えないと思うよ。「中心の空洞」に向けて祈りを集中しているとして、人間の側の営為として、いまの私にはどんな不協和音も兆してこないよ。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈るんだろう?  とあきらかに今度はゲームのようにでなく、ザッカリー・K・高安は尋ねた。

――なぜ、「中心の空洞」に向けて祈らずにいられるんだろう?  ……まあ、そのように感じて、祈る者や祈らぬ者や、お互いをキョロキョロ見交わすのが、私たちの集会の出発点かも知れないなあ。

――僕はギー兄さんの考え方を、無神論のカテゴリーに、あるいは人間的なニヒリズムに、つまり若いころのKさんみたいな、実存主義者のものに分類するけれども、とザッカリー・K・高安はいった。しかし、そういう考え方の連中がなお教会を建てるということに、僕は関心を持たないではいられないね。(大江健三郎『燃え上がる緑の木』第二部第二章「中心の空洞」)



2016年8月26日金曜日

山桜の樹幹のなかほどの分れめ

庭仕事にくる若い娘が同じ年頃の友人をつれてきて、裏庭の塀に梯子を立てかけて登り、塀に跨って隣家の樹木から垂れ下がる蔓苺の実をとっている。二人ともとてもよい形をしたお尻をもっている。彼女たちは故郷から200キロほど離れたこの土地に移り住み、夕方には故郷の特産である料理を屋台で売っている。妻も同じ故郷であり、しばしばその食べ物を買ってくる。彼女たちの故郷は、メコンデルタの狭間にある隣国との国境に面した町であり、国境の町というのは食べ物も女も美味・美しいというのは定説である。





ファウスト

もし、美しいお嬢さん。
不躾ですが、この肘を
あなたにお貸申して、送ってお上申しましょう。

マルガレエテ

わたくしはお嬢さんではございません。美しくもございません。
送って下さらなくっても、ひとりで内へ帰ります。

ファウスト

途方もない好い女だ。
これまであんなのは見たことがない。
あんなに行儀が好くておとなしくて、
そのくせ少しはつんけんもしている。
あの赤い唇や頬のかがやきを、
己は生涯忘れることが出来まい。
あの伏目になった様子が
己の胸に刻み込まれてしまった。
それからあの手短に撥ね附けた処が、
溜まらなく嬉しいのだ。(ゲーテ『ファウスト』森鴎外訳)


すこしまえ韓国人がこの土地の女を売買婚するのが度重なり(かつて日本人がタイやフィリピンの女たちにそうしたように)、最近はなんらかの形で結婚を制限する法律ができた。





すべての夢は(それに対して文献上で飽くことなく反論が提出されているところの)一個の性的解釈を要求するという主張は、私の夢判断のあずかり知らぬところのものである。私の『夢判断』の七つの版のどこにもこういう主張は見いだされないのだし、また、こういう主張は本書の爾余の内容と明白に矛盾する。(フロイト『夢判断』第八版、新潮文庫下、p.116、高橋義孝訳)

※訳者註:この訳書の底本となったロンドン版所載の『夢判断』は第八版

上の文が記された後、次のような叙述がすぐさま続く。

ことさらさりげない夢が、じつに赤裸々な欲情を隠しているということは、上にも主張したし、無数の新しい例をあげてこれを証明することもできる。しかし、どこをどう見ても何の変哲もない、意味のない夢の多くが、分析してみると、しばしば意外なほどの、紛れもない性的願望衝動に還元させられる。つぎに引用する夢などは、分析を加えてみなければ、ある性的願望を含んでいるなどとは想像もつかないだろう。《二つの堂々たる宮殿のあいだの、少し引っこんだところに小さな家があって、門はしまっている。妻が私を通りを少々案内して、その家のところまで連れてゆく。妻は扉を押し開いた。そこで私はすばやく堂々と、斜めに勾配のついた内庭へ滑りこむ》

夢の翻訳の経験がある人なら、狭い空間を押し入ることや、しまった扉をあけることなどがもっとも一般的な性的象徴であることに直ちに思いついて、この夢の中に、後部からの交接の試み(女体の二つの堂々たる臀部の丘のあいだに)の一表現を容易に見だすだろう。狭い、斜めに上っている通路は、いうまでもなく膣である。この夢を見た本人の妻に押しつけられた(道案内という)助力は、われわれにつぎのごとく判断するように強いる、つまり現実生活のうえでは妻に対する遠慮があればこそこのような性交形式を採ることが断念されているのだ、と。なおよくきき出すと、こういうことがわかった。夢の前日、若い娘がこの家に雇いこまれた。彼はこの娘が気に入って、上に述べたようなことを仕かけてもこの娘ならばたいしていやがりもしないのではないかちうような印象を与えられた。二つの宮殿のあいだの小さな家は、プラーグの一地区の残存記憶に糸を引くものであって、したがってやはりこのプラーグ出身の娘に関係している。(フロイト『夢判断』下,pp.116-117)




風景あるいは土地の夢で、われわれが「ここへは一度きたことがある」とはっきりと自分にいってきかせるような場合がある。さてこの「既視感〔デジャ・ヴエ〕」は、夢の中では特別の意味を持っている。その場所はいつでも母親の性器である。事実「すでに一度そこにいたことがある」ということを、これほどはっきりと断言しうる場所がほかにあるであろうか。ただ一度だけ私はある強迫神経症患者の見た「自分がかつて二度訪ねたことのある家を訪ねる」という夢の報告に接して、解釈に戸惑ったことがあるが、ほかならぬこの患者は、かなり以前私に、彼の六歳のおりの一事件を話してくれたことがある。彼は六歳の時分にかつて一度、母のベッドに寝て、その機会を悪用して、眠っている母親の陰部に指をつっこんだことがあった。(フロイト、同上p.119)




……だからこうして夜になると、パパとママは仲良く腕を組んでお家に帰ってくる、少しばかり千鳥足で。パパが階段でママのスカートをめくる夜 …昔のようにパパがママとセックスする夜、無我夢中で、経験豊かな放埓さをもって …ママが呻き、優しくも淫らな言葉を思わず洩らし、身をよじり、反撥し、寝返りをうって、体の向きを変えて、パパにお尻を差し出す夜 … (…… )自分の家でエロティックであること。自分の女房を享楽し、彼女を悦ばせること、はたしてこれ以上に鬼畜のごとき悪趣味を想像できるだろうか? これこそこの世の終わりだ! 小説の滅亡! (ソレルス『女たち』鈴木創士訳)




彼は滝を嫌ひではなかつた。それは細君の留守中の事ではあつたが、例へば狭い廊下で偶然 出合頭に滝と衝突しかゝる事がある。而して両方で一寸まごついて、危く身をかわし、漸くすり抜けて行き過ぎるやうな場合がある。左ういふ時彼は胸でドキドキと血の動くのを感ずる事があつた。それは不思議な悩ましい快感であつた。それが彼の胸を通り抜けて行く時、彼は興奮に似た何ものかで自分の顔の赤くなるのを感じた。それは或るとつさに来た。彼にはそれを道義的に批判する余裕はなかつた。それ程不意に来て不意に通り抜けて行く。

…彼は自分の底意を滝に見抜かれてゐると思ふ事もよくあつた。然しこんなにも考へた。滝は自分の底意を見抜いて居る。而してそれに気味悪るさを感じて居る。然し気味悪るがりながら尚其冒険に或る快感を感じて居る――彼は実際そんな気がした。

…滝は十八位だつた。色は少し黒い方だが、可愛い顔だと彼は思つて居た。それよりも彼は滝の声音の色を愛した。それは女としては太いが丸味のある柔かいいゝ感じがした。

彼は然し滝に恋するやうな気持は持つて居なかつた。若し彼に細君がなかつたら、それは或はもつと進むだかも知れない。然し彼には家庭の調子を乱したくない気が知らず知らずの間に働いて居た。而してそれを越える迄の誘惑を彼は滝に感じなかつた。或は感じないやうに自身を不知掌理して居たのかも知れない。 (志賀直哉『好人物の夫婦』)


ーー君はわが憩い(Du bist die Ruh)




妻とギー兄さんは森の鞘に入って山桜の花盛りを眺めた日、その草原の中央を森の裂け目にそって流れる谷川のほとりで弁当を食べた。(……)そして帰路につく際、ギー兄さんは思いがけない敏捷さ・身軽さで山桜の樹幹のなかほどの分れめまで登り、腰に差していた鉈で大きい枝を伐ろうとした。妻は心底怯えて高い声をあげ、思いとどまってもらった。(大江健三郎『懐かしい年への手紙』p37)





……山桜の大木はかならずといってよいほど、二つの丘の相会うところ、やわらかにくぼんでやさしい陰影を作るところ、かすかな湿りを帯びたあたりにある。

(……)本居宣長は、けっして散る桜を歌わなかった。「敷島の大和心をひと問はば朝日に匂ふ山ざくら」 ――。匂いは、嗅覚だけのことではない。花咲く山桜の大樹の周りの風景へのみごとなとけこみを「匂う」と表したにちがいない。実際、私の家の背山、向山にも、周囲の春の浅みどりに、あるいはまだ山肌を透けてみせる樹々の裸の枝のあいだに、ひっそりと、ほのかな淡い桜色のしずかなほのおをにじませている山桜の一もと二もとが、みうけられる。

そのとおり。山ざくら、この日本原種の桜は、けっして群がって咲きはしない。山あいの窪に、ひっそりと、かならず一もとだけいるのである。そして、女体を思わせる地形がかすかにしかし確実にエロスを感じさせる陰影の地に直立して立つ優雅な姿のゆえに、桜は、古代の人の心を捉えたのであろう。(中井久夫「桜は何の象徴か」)

2016年6月14日火曜日

神の宿る所と中央構造線

前回引用した藤枝静男の「天女御座」には≪三河鳳来寺町の山奥にある自分の好きな阿寺の七滝に行ってみた≫という文があった。





この「阿寺の七滝」から東へ6~7㎞行くと、「百間滝」というのがある(参照:新城市観光協会)。





この滝は、中央構造線に沿って落ちている滝とのこと。「滝つぼのところには、はっきりと断層が通っています」とある。





中央構造線とは熊本地震で言及されもした日本最大級の断層系である。もっとも 「九州に中央構造線はない」という見解もあるようだが(地質調査総合センター、2016年5月13日)。


いくらか調べてみた範囲では、鳳来寺町の中央構造線の存在はほぼ間違いないようだ。

中央構造線は、佐久間から先は豊橋へ向かいます。中央構造線沿いにJR飯田線が通っています。中央構造線を侵食しているのは、愛知県東栄町までは、天竜川の支流の大千瀬川ですが、鳳来町から豊橋までは豊川です。その先は渥美半島の北岸沿いを通りますが、半島先端の立馬崎と伊良湖岬の間を通っていることが、ボーリング調査から分かっています。

紀伊半島では伊勢神宮外宮のほぼ真下を通ります。伊勢平野では、平野を埋めた堆積物の下に埋まっています。伊勢平野の南縁から勢和村に入ります。多気勢和インターのあたりで、再び地表に顔を出します。そこから奈良県境の高見峠までは、櫛田川が中央構造線沿いに谷を掘り下げています。奈良県に入ると、中央構造線沿いの川は紀の川になります。和歌山市から淡路島の南岸をかすめ四国へ続きます。

四国では、徳島から阿波池田までは吉野川になります。その先は石槌山地と海岸平野の間の一直線の山麓線になります。その先は、奥道後の山々と石槌山地の間が低くなっているのが分かるでしょう。松山平野の南縁から砥部町を通り、双海町から海へ出ます。佐田岬半島のすぐ沖合いを半島沿いに西へ進み九州へ続きます。四国では、徳島自動車道と松山自動車道が、ほぼ中央構造線沿いに走っています。(河本和朗「中央構造線読み方案内」PDF






上の図にあるように、中央構造線の上に、天竜川、豊川、櫛田川、紀ノ川、吉野川がきれいに並んでいる。

なおかつ意想外にも、名高い神の社も、その中央構造線の上にある。





ところで日本にはもうひとつ大きな構造線がある。上の図のフォッサ・マグナーー「この地域は数百万年前までは海であり、地殻が移動したことに伴って海の堆積物が隆起し現在のような陸地になったとされる」(Wiki)ーーの西側の線がそれにあたるようだ。

日本列島は糸魚川一静岡構造線を境に、西南日本弧と東北日本弧にわけられている。この大断層の西側は中・ 古生代の古い基盤岩類、東側は中新世以降の火山岩類主体の地層からなり、南部地域では西側の西南日本弧の古期岩類が東側に衝上している。

西南日本はさらに中央構造線によって北側の内帯と南側の 外帯にわけられている。中央構造線は1億年以上前に活動を開始し、現在まで段階的に活動し続けている。現在は右横ずれ断層である。中央構造線の北側には高温・低圧型の領家変 成岩類が分布し、南側の結晶片岩からなる三波川帯に衝上し ている。(「地球学入門」、酒井治孝著、東海大学出版社、2003,PDF)


≪大断層の西側は中・ 古生代の古い基盤岩類、東側は中新世以降の火山岩類主体の地層≫とあるが、ここで数年前にはじめて読んでわたくしには思いがけなかった和辻哲郎の指摘を掲げておこう。

東京の新緑が美しいといってもとうてい京都の新緑の比ではないが、しかし美しいことは美しい。やがて新緑の色が深まるにつれ、だんだん黒ずんだ陰欝な色調に変わって行くが、これも火山灰でできた武蔵野の地方色だから仕方がない。樹ぶりが悪いのは成長が早すぎるせいであろう。一体東京の樹木は、京都のそれに比べると、ゲテモノの感じである。ゲテモノにはゲテモノのおもしろみがある。などと、自分で自分を慰めるようになった。(和辻哲郎「京の四季 」)

 これは、古い基盤岩類の土地の糸魚川一静岡構造線の西とは異なり、火山岩類主体の地層(≒糸魚川一静岡構造線の東)では、樹木の成長が早く「ゲテモノ」が育つ傾向にある、と言っているように読んでいいだろう。

わたくしは東京に5年、京都に10年強(その前に大阪と京都の中間地に数年)、そして鳳来寺町近くの東三河が本来の故郷であり、12年住んだ(6歳までは、父の仕事の地、尾張地方で育ったが、父母ともに東三河が故郷だ)。

和辻哲郎に言われて思い起こせば、故郷の町の樹木も、京都の樹木も、東京のものより樹ぶり・枝ぶりがよい。東京の樹木は黒ずんで陰鬱である・・・と比較して断言するほど、多くの樹木をみたわけではないが、なんとなくそんな印象は残っている。


ここで、≪神の宿る所≫、すなわち≪山脈の両側を区切る明確なしるしがあって、どちらの側の人間も、このあたりを自分らの人間世界のへり≫を越えると、≪暗い地形・樹木のたたずまいもいくらか穏やかになる≫とする大江健三郎の叙述を抜き出しておこう。高知空港から、故郷の土地(内子町)へバスで向かうなかでの「僕」の説明である。






高知空港に着き、(……)松山への長距離バスの始発駅に廻っても、なお陽は高く淡い青空で、バスを降りる際のタクシーの手配を駅員にかけあう気にならない。バスは空いてもいる。次男だけが運転手と隣り合う最前列に掛け、残りの家族はなかほどにかたまって掛けて、さて市街を出はずれると、すぐさま深い山襞のなかにバスは入り込んで行き、明治の元勲が幾人も出た村落の豊かな蓄積が見える谷や、藩の殖産政策に着実に応えた窒業で知られる、坂になった街すじを過ぎ、あらためて傾斜の急峻な山襞を両側に見あげるところへ出ると、西の空に陽は赤く、ところどころ残っている紅葉した照葉樹が燃えるようだ。しかし夕焼けは空の高みにのみあって、すぐにも冬枯れた陰気な色合の落葉した雑木、くすぼったい暗い緑の杉山・檜山の眺めとなる。九十九折の道をバスが向きをかえるたびに、なお赤い輝きの照りはえる山稜が眼に入るのではあるが……

――サクちゃんはオリエンテーリングの会場に使われそうな、あまり高くない丘だけ熱心に眺めて、それより上も下も見ないわ、と娘が妻に話していた。それにパパも、松山からお祖母ちゃんの家に向う時は熱心に風景を見るのに、高知からだと、なんだか冷淡なのね。(……)

実際、たちまち暗くなってしまった窓の向うに黒い樹木のたたずまいのみがあり、かつは深くなった渓谷の底の水面のわずかな反映が眼をとらえるのみであるようになっても、僕はあまり失望しなかったのである。地形にも植物相にもとくに大幅なちがいがあるというのではないが、やはりこのあたりの風景は、山のむこう側のそれだったから。(……)



それでも僕はすっかり夜になって辿りついた、県境近くの、左に深い谷の気配と右にそそりたつ崖があり、その岩の根にえぐりこんで社と茶店が建てられている場所で長距離バスが小休止をとる駅では、妻と子供らに進んで説明したのだ。――この高い崖の上に覆いかぶさっている黒いかたまりは、昼の光のなかで見てもね、榎や檜や杉や、それに蔦だらけでいちいちの樹幹は見わけられない、大昔からの稠密な森なんだね。そこが神の宿る所なのさ。この低い所に置かれている社は、森の社の代理。昔から、ここに山脈の両側を区切る明確なしるしがあって、どちらの側の人間も、このあたりを自分らの人間世界のへりと見ていたんだよ。だから近くに住家もないこういう所に、いまもわざわざ茶店を経営していて、バスが行程半ばでしばらく停まるんだ……

そこを過ぎ去るとバスの窓の向うの暗い地形・樹木のたたずまいもいくらか穏やかになるようで、黙り込んでいる妻も子供たちも、境界点を越えたことをよく感じとっていたはずだ。くだり勾配となり果てしなく闇の底に沈んで行く、しかし落ち着いたバスの走行が続き、高知と松山を結ぶ中間点の、そこからT字形に村の方向へくだる、大きい盆地の駅でバスを降りようと、僕は家族に準備を指示していた。当の町に入って行く手前の、まだ高地の斜面なかばと感じられる駅で、バスの進行を妨げかねぬ仕方に車が駐められているのを見た。その脇には、海員のような黒いコール天の帽子とやはり海員風の半外套を着て、深いポケットに両手を入れた頑丈な首から肩の中年男が立っていた。

――ギー兄さんが迎えに来てくれた、ひとつ前の駅で降りよう! と僕は自分の耳にも気負い立って聞こえる声を出したのだ。……(大江健三郎『懐かしい年への手紙』PP.47-49)

上に四国の中央構造線と内子町の位置の図をかかげたが、残念なことに「神の宿る所」は、中央構造線からはわずかにずれて、むしろ 仏像構造線に近いように思えるが、詳しいことはわからない。いずれにせよ、どちらかの構造線を越えると、地質が変わっているはずだ、とわたくしは思い込みたい・・・


…………

※付記

上に和辻哲郎の記述にのっとっていささか図式的に東京(武蔵野平野)ではゲテモノの樹木が育つ土地としたが、より細部にわたって微妙な差異を感じとる中井久夫の次のような叙述を引用することもできる。

最初の記憶のひとつは花の匂いである。私の生れた家の線路を越すと急な坂の両側にニセアカシアの並木がつづいていた。聖心女学院の通学路である。私の最初の匂いは、五月のたわわな白い花のすこしただれたかおりであった。それが三歳の折の引っ越しの後は、レンゲの花の、いくらか学童のひなたくささのまじる甘美なにおいになった。

家が建て込むにつれてレンゲは次第に私の家のあたりから影をひそめたが、家々がきそって花壇をつくるので、ことに三月下旬の初めごろの散歩は、次々にちがう花のかおりに祝われた祝祭となった。色彩も夕暮にはアネモネの赤が沈み、レンギョウの黄がはげしい自己主張をした。

青年時代の京都の生活は、腐葉土のかもしだす共通感覚、すなわち、いくばくかのキノコのかおりと焦げた落葉のにおいと色々の人や動物の体臭のごときものとを交え、さらに水の流れなくなってまだ乾かないうちの石づくりの流水溝の臭気を混ぜたうえで、冷気としめり気とをあたえてひんやりさせ、地を低くはわせたときの共通感覚と切り離すことができない。もっとも同じ京都とはいえ、嵐山のあたりは少しちがって、ある歯切れのよさがある。定家の晩年の歌にはそれを反映したものがあると私は思う。また西山の竹林の竹落葉には少しちがったさわやかさがあって私の好みではあるが、触発される思考の種類さえ京都の東部とは変わってしまう。

これに対して中年期の東京の私の記憶は、何よりもまず西郊の果樹の花のかおり、それも特に桃と梨の花の香と確実にむすびついている。蜜蜂の唸りが耳に聞こえるようだ。むろん、風の匂いは鉄道沿線によって少しずつ異なる。おそらく、その差異の基礎は、土のかおりのちがいであろう。国分寺崖線を境に土の匂いがはっきり異なって、私は、その南側のかおりの記憶のほうに親しみを感じる。国立、小平の家の庭の土と、調布上石原のあたりの土のかおりの差を感じないひとはあるまい。

立川段丘は地元で「ハケ」と呼ばれ、狛江から始まって、特に谷保のあたりでは立派な森になっている。樹種が多いのはむかしの洪水によって流れついたものの子孫だからであろう。ハケ下の小さな、今ではほとんど下水になっている流れが二千年前の多摩川である。川越からその北にかけてのさまざまな微高地の上に生えていた(今でもあるであろうか)樹々のつくる森とは、同じ腐葉土でも、かおりが決定的にちがう。秋にはハケの上の茂みにアケビが生った。珍しい樹種に気づいて驚くこともあった。私の住んだ団地の植栽はずいぶん各地から運んだらしく、ついてきて、頼まれないのに生えている植物を、日曜日ごとに同定してまわったら、六〇種を越えた。ハケの森の樹種はもっと多種だろう。

嗅覚はよくわからない、と首をかしげられる方は視覚のほうなら納得されるだろう。

まず中央線沿線の最初の印象は、長い水平の線が多いということだった。縦の線は短く、挿入されるだけである。これはたしかに譜面の与える印象に近い。京王線では、何よりもまず、葉を落とし尽した欅の樹がみごとな扇形を初冬の空に描いている。もっとも、分倍河原駅を出て多摩川を南西に越えると、匂いも視覚も一変する。

小田急線は、多摩川を越えて読売ランドの南側の「多摩の横山」を背にした狭隘地を抜けると次第に匂いが変化して、京王線の西部のかおりに近づく。

もっとも、小田急線は長く、さまざまの文化を通過し、車窓の風の香もつぎつぎに変化する。本線が小田原に向かって大山を背に南下するところ、酒匂川が豊かな水量の布を盛大に流している、二宮尊徳の生家の東がわの、見えない海のかおりが、もうかすかに混じるのを感じさせるところに来るとほっとする。

塩味のまったくない空気は、どうも私を安心させないらしい。鎌倉の最初の印象は、“海辺にある比叡山”であった。ふとい杉の幹のあいだの砂が白かっただけではない。比叡の杉を主体とした腐葉土の匂いが、明らかに海辺の、それもほとんど瀬戸内海の夏の匂いでしかありえないものとまじるのが驚きのもとであった。もっとも、比叡山のかおりにも、杉とその落葉のかおりにまじって、琵琶湖の水の匂いが、なくてはならない要素である。この水の匂いゆえに、京都時代の私は、しばしば、滋賀県に出て屈託をいやした。比良山は、六甲山に似て、草いきれがうすく、それでいてわびともさびともちがう、淡いながらに何かがたしかにきまっているという共通感覚をさずけられるのが好きであった。好ましく思うひとたちとでなければ登りたくない山であった。

ふつうは「匂いの記号論」とよばれるであろうか、実はそれを問題にしたところの個人史の一部をここに終る。本稿もこれで終りである。近畿のひとには、神社の森ごとにちがうかおりを語ればいちばんわかってくださるであろう。(中井久夫「世界における索引と徴候」)


2016年5月7日土曜日

おれとしては言い張るほかない! 女に

滝は十八位だつた。色は少し黒い方だが、可愛い顔だと彼は思つて居た。それよりも彼は滝の声音の色を愛した。それは女としては太いが丸味のある柔かいいゝ感じがした。 (志賀直哉『好人物の夫婦』)

家政婦が三週間ほど前から若い女に変わった。家政婦といっても、朝三時間ほど来て庭仕事をするのが中心だが。その仕事のかわりに、一週間毎のいくらかの賃金とは別に、妻が亡母から引き継いだアパートの家賃を無料にしている。田舎から出てきた色の黒い娘で、夕方には屋台でお好み焼きを作って生計を立てている。

彼は滝を嫌ひではなかつた。それは細君の留守中の事ではあつたが、例へば狭い廊下で偶然出合頭に滝と衝突しかゝる事がある。而して両方で一寸まごついて、危く身をかわし、漸くすり抜けて行き過ぎるやうな場合がある。左ういふ時彼は胸でドキドキと血の動くのを感ずる事があつた。それは不思議な悩ましい快感であつた。それが彼の胸を通り抜けて行く時、彼は興奮に似た何ものかで自分の顔の赤くなるのを感じた。それは或るとつさに来た。彼にはそれを道義的に批判する余裕はなかつた。それ程不意に来て不意に通り抜けて行く。

以前働いていた中年の女性は里に帰ったという。わたくしはもう戻ってこないのかを訊くことはしていない。また今の若い娘が一時的な代替なのかそれとも続けて働くのかを敢えて訊くことをしていない。

「どうしたって、女は十六、七から二十二、三までですね。色沢がまるでちがいますわ。男はさほどでもないけれど、女は年とるとまったく駄目ね。」 ( 德田秋聲 『爛』)

庭仕事に 汗ばむ少女の 
肢の間を 洩れ出る匂 
鄙びたる 恥丘の憶ひ  
手にて宥む 泥鰌の踊り 

小姑の  睨みはみえず 
空は今日  玉虫色らし 
血の動く  わが心を 
諫めする なにものもなし

乙女の香に  朝は悩まし 
うしなひし さまざまのゆめ 
森竝は 露に濡れそぼつか

ひろごりて  たひらかな腹 
土手づたひ  森林のへりを越え 
火口へと  突き進む  わが指先


わたくし、ほんとうはそんなことよりも、せなかのうえにぐったりともたれていらっしゃるおちゃちゃどのゝおんいしきへ両手をまわしてしっかりとお抱き申しあげました刹那、そのおからだのなまめかしいぐあいがお若いころのおくがたにあまりにも似ていらっしゃいますので、なんともふしぎななつかしいこゝちがいたしたのでござります。まごまごしていれば焼け死ぬというかきゅうの場合でござりますのに、どうしてそのようなかんがえをおこしましたやら、まことに人はひょんなときにひょんなりょうけんになりますもので、申すもおはずかしい、もったいないことながら、あゝ、そうだった、自分がおしろへ御奉公にあがってはじめておりょうじを仰せつかったころには、お手でもおみあしでも、とんと此のとおりに張りきっていらしったが、なんぼうおうつくしいおくがたでもやはり知らぬまにおとしをめしていらしったのだと、ふっとそうきがつきましたら、たのしかったおだにの時分のおもいでが糸をくるようにあとからあとから浮かんでまいるのでござりました。いや、そればかりか、お茶々どのゝやさしい重みを背中にかんじておりますと、なんだか自分までが十年まえの若さにもどったようにおもわれまして、あさましいことではござりますけれども、このおひいさまにおつかえ申すことが出来たら、おくがたのおそばにいるのもおなじではないかと、にわかに此の世にみれんがわいて来たのでござります。 (谷崎潤一郎『盲目物語』)

…………

《おれの年齢で、またきみも幾らかは知っているおれの来し方でさ、ほんの小娘から「性の世界」について、新しい体験を ……新しい知識とすらいっていいものを、あたえられた。そう聞けば、きみは複雑な表情をするのじゃないだろうか? いじましい倒錯などとは無関係だぜ。アッケラカンと健康な、「性の世界」なんだ。そしていまいったことを自分が体験してるんだ、とおれとしては言い張るほかない!

まず、というより、徹頭徹尾、キスなんだ。キスをする。はじめのうちおれは思ったんだ、この娘は子供がお母さんにするほどのキスしかしたことがないのじゃないか、と ……そのようなキスの仕方、返し方。ところが、それが急速に進歩したんだよ。半日、キスだけしてるんだから、当然かも知れない。しかし生まれつき熱心なキスの習得者、また創り出す人でね。唇のあらゆる部分で、舌のすべての使い方で、さらに口の全体で。変化と繰り返し、そして新しい発見。歯の効用。そのうちこちらまで、かつてなく熱心なキスの習得者になっていた。創り出す人にもなっていたんだ。名にし負う性の古強者のおれがさ。一時間、二時間、キスだけで、頭も身体全体も欲望に熱くなっている。きみの言い方でなら、自分の性が久しぶりに「活性化」している! 娘の、半ば開いた唇の左端に指を入れる。唾に濡れて輝やく歯が、指を噛む。その間にも、唇の右端からキスしている。こちらも唇を半ば開いて、舌を動かして。ところが急に頭をのけぞらせてね、運動していたように紅潮した顔で、娘がいう。笑いながら……

――これはダメ、色気がありすぎる!

娘は色気という日本語を知っていたものの、使うのはおそらく初めてなんだ。おれはそう思ったよ。しかしその使用法の、誤まりもふくんで表わすものの切実さ! シックじゃないか? 粋で、寛大で、男らしくさえあって ……六隅さんが定義された chic 本来の意味どおりさ。》
 《キスしながら、膝にまたがっている娘のパンタロンの下に両掌を差し入れて、腰から尻を撫でさすっている。余分の脂肪はないすべすべして小さな尻、清らかさと、結晶体のようなエロティシズム。そのうち右手が平らな腹へと滑り込む。幾日もかけて、指は腹から下腹へと前進する。陰毛の上のへりに、指がさわる。とくに憤慨しない。それからは、陰毛のへりにふれることがルーティンになる。いったん克ちとった陣地は、奪い返されないから。しかし、さらに下方へ進む指は決して許されない。こちらを傷つけぬ、明快な優しさの拒否。地形を推量するように、範囲が確定されている。》
《抱きあって、ソファに横になる。パンタロンの下に潜り込んだ手が、パンティにそってというより、視覚的なイメージとしてハイレッグスの水着のへりを辿るように、骨盤の下辺から腿の付け根へと降りてゆく。ついに性器にふれてしまえば、決然と拒まれるだろう。やりなおしはできなくなるかも知れない。注意深く、錘りが腿の外側へ指をつねに方向づけているように。しかもその指のゆっくりした進展に切実なエロティシズムをあじわいながら。性的なオスの能動性は、ただキスのみに、またスボンごしに娘の腿にふれているペニスのたかぶりにのみ生きている。いつまでも、そのままキスしている。》
《娘の十八歳の誕生日に、祝いの夕食の席のために、クリーム色の柔かなワンピースを贈った日 ――ベルリンの百貨店の質実さ、妥当な品物を選ばせようとする献身 ――まだそれを着たままの娘は、グラス半分のソーテルヌにほろ酔いで、キスに熱中している。ソファの上で、服が皺だらけになるのもかまわず。腿の付け根にそって辿ってゆく指が、下着のへりの進路からいつか迷ってしまう。激しく下肢をこすりつけあっていた間に、娘のおシャレした薄い下着がよじれたのだろう。ためらいながら、すでに許されているコースに戻ろうとして、人さし指の腹が、ぼってりと厚みのあるところに乗る。その皮膚の端が濡れているのを感じる。指の腹は陰毛のへりでさわっていた柔毛とは別の、たくましく縮れた太い毛を押さえる。娘は断乎腹をよじって、指のみならず掌全体を、腿の外へと追いやる。

――規則を、約束を破ってはいけない、と勇気にみちた声がいう。いま娘の性器は濡れて、外縁に溢れてさえいたと、発見の喜びが鼓動になって搏つ。キスだけのエロスが、強靭な、全身的なものに変っている。》
《キスをするだけのことが、なぜこれだけ豊かで、複雑で、自分としては使いたくない言葉だけれど、奥が深いと感じられるんだろう? そのように独り言めいたことをいうおれに、娘は答えた。キスだけで、のぼりつけられるまでゆこうとしているから! よく考えぬいておいたことのように彼女はいう。いつか私がキスを途中でやめて、これは色気がありすぎる、といったでしょう? あなたは、日本語の使用法に問題がある、と教育してくれた。けれども私は「ある一線」に達しそうになったから、照れてああいったんです。ひとりだけ、そんな気持になっている、と思って。あの後であなたが、このようにしているとイッテしまいそうだ、といったわね。私は嬉しくて、イッチャエ! と叫んだのよ。

それから娘は、話しの逸脱をもとに戻そうとして、真剣にこういったのだ。あなたとセックスはできないと知っているから、キスがどこまでものぼりつめてゆくんです。》
《帰国がせまった日、一度だけ、パンタロンを脱ごうという合意ができる。ベッドに横になってのことで、はずみにパンティも剥ぎとられた。性器は見ないが、臍のまわりの、丸く薄い餅(ピン)のような脂肪と、やはり真丸な陰毛が見える。身体を重ねあわせてをみよう、窮屈そうだから太いものをーー今日はとくにフトいーー腿の間にいれてもいい、と娘はいう。経験がある者のように(あるいは経験がないゆえにか)娘は膝を高くかかげさえしたが、ペニスは挿入されない。娘の掌に射精することを許されたが、彼女の言葉を使うならそれはセックス以上だが、セックスではなかった。これまでで最高に気持がいいのに、イカなかった、と後から娘はいっていた。そのすべてをふくめて、思いだすと生涯で一、二のエロティックな経験だった。》
ーー大江健三郎『取り替え子』より


2016年2月13日土曜日

若い娘たち

若い娘たちが全裸でスックと立っている。
その丸い尻の下で、
それぞれの二本の腿が
不自然に思われるほど
広い間隔を開いているのに、
まず僕は印象を受けた。
セイさんとの経験に教えられながら、
なお性的な夢に出て来る裸の娘の腿は、
前から見ても後ろから見てもぴったりくっついていたから。
いま現に見ている娘たちの、
その開いた腿の間には、
性器が剥き出しになっていたが、
それはどちらも黒ぐろとした毛に囲まれ
股間全体の皮膚も黒ずんで、
猛だけしい眺めだった。





すぐにも娘たちは窓の
すぐ下の低く埋めこんだ浴槽に向って進み、
しゃがみこんだ。
娘たちの尻はさらにも横幅をあらわして張りつめ、
窓からの光に白く輝やいて、
はじめて僕に美しいものを見ているという思いをあたえた。
湯槽から湯を汲み出し、
そろって性器を洗っているふたりの、
その尻の下方にチラチラ見える黒い毛は、
やはり油断のならぬ鼠の頭のようだったが。

それから湯槽に入りのんびりとこちらを向いた様子は、
日頃のももこさん、律ちゃんと比較を絶して幼く見えた。
彼女たちがそろってスクリーンの
こちらの僕らを見つめているふうであったのは
ーー放心したような顔つきからみてもーー
僕らがひそんでいると見当をつけたのではなく、
新しく浴室の入口脇にとりつけられた鏡を発見して、
ということであったわけだ。

そのうちスクリーンが翳ってきたのは、
ふたりが湯を搔きまわしたので、
湯気がこもって鏡の表面を曇らせたのだろう。

――よし。自分が曇りをふいてやる、

とギー兄さんがすぐ脇から無警戒な微笑を僕に向けていった。

――なんのために? 自分も風呂に入るのなら……

――え? Kちゃんも楽しんでみているじゃないか?


そういいすてて、
ギー兄さんは物置の側から母屋の方へ廻り込んで行った。
逆に僕は、石垣の上の狭い道を通って庭へひきかえした。
いかにもこちらのために覗き窓を造ってやった、
というギー兄さんの口ぶりに僕は傷つけられていたのだ。

ところが庭から窓ごしに勉強部屋に入りこみ、
その勢いのまま机と壁の間の畳の上に
デングリ返しをして寝ころがったとたん、
僕はカッと燃え上がるような欲望にとらえられた。

ギー兄さんもなかへ入ってしまった以上、
風呂場の覗き見のスクリーンのところへひとり立って、
屋敷の囲む両側の森、谷あいの空、
そしてありとあらゆるそこいらの樹木や石、草の眼にさらされながら、
マスターベイションをすることを僕は想像し、
その想像によって欲望のとりことなったのである。




僕はあたらめて窓を乗り越えた。
ズボンのなかで勃起している性器が
行動の邪魔になるのを感じながら、
それでさらにもいどみかかるような気分になって、
息使いも荒く。

石垣の上を廻りこむ時には、
頭上の窓からギー兄さんとももこさんの
言葉にならぬせめぎあいのような気配が聞こえてきた。

そして僕があらためて明るくなっているスクリーンに見出したのは、
すぐ眼の前の檜の床に横坐りして脇腹を洗っている
律ちゃんの幅広の躰だった。
その向うの湯槽の低いへりに、
こちら向きに腰をかけたギー兄さんの、
濃い毛の生えた腿の上にももこさんがまたがっている。

僕がスクリーンから覗き見しているのを勘定に入れて、
ギー兄さんがわざわざももこさんに性交をしかけているのだ。

色白のギー兄さんの裸のそばでは淡い褐色に見える、
ももこさんの筋肉質の背中が機敏に上下する様子は、
床を蹴りたてるような足の動きともども、
ももこさん自体性交に乗り気になっていることを感じとらせた。




そしてすぐ眼の前に自分の躰を鏡に映しながら洗っている、
つまりはスクリーンに泣きべそをかいたような顔つきで
覗き込んでくる律ちゃんの、
胸と喉の間をゆっくり動いていた右手が、
そのうち下腹部に降りて来た。

石鹸を塗った手拭いをピンクの腿に置くと、
もう片方の太い腿をグイとずらせ、
その手は自分の性器を優しげに覆うように押しつけて
揉みしだいている。

スクリーンのこちら側に立っている僕の、
ズボンのあわせめから斜めに突き出したペニスは、
自由になるやいなや勢いよくおののいて
風呂場の腰板下方の石積みに、
西陽に赤く光る精液を発射した……

ーーー大江健三郎『燃え上がる緑の木』






2016年1月7日木曜日

愛する女のように、未来を愛する人たちがいた

年少の友達から《――愛する女のように、未来を愛する人たちがいた、というアイルランドの詩人の一節を読みました》と、手紙に書いてきた。(『人生の親戚』)

(Amedeo Modigliani)


いいなあ、ほれぼれするなあ、

僕の前にまっすぐ支えられたまり恵さんの頭は、薄い脂肪のついた頸のいくつかのほくろと、固めた蠟のような質感の耳たぶが、そこに眼をとどめることにうしろめたさを感じさせるほどの印象なのだった。(同 大江健三郎 P.12)

大江健三郎の『人生の親戚』もいいなあ、ほかの作品と比べるほど、大江をたくさん読んでいるわけでもない、小説を数多く読んでいるわけでもないけど。

まり恵さんは、階段の昇り口からすぐ眼につくところのに、向日葵のプリントをしたワンピースの裾をひろげ、悠然と膝をくみ、頭をまっすぐあげて坐っていた。どこかの避暑地のホテルにしっくりしそうな雰囲気のまり恵さんは、鍔の狭い、軍帽のような麦藁帽子を、僕に向けて胸のところにかざした。その快活な身ぶりとはズレをきざんで、羞じらっていながら、しかしナニクソと自分を励ましている気配もあきらかで、僕はのちに受験に失敗した次男が報告に戻って示した表情から、この日のまり恵さんを思い出したものだ……(p.34)






以前、この写真を眺めてなにかのイメージと似ているな、と感じてそのままほうってあったのだけど、まり恵さんのイメージかもな、彼女はこの写真の女性よりずっとインテリだけどさ

彼女はうすものを羽織っているのみで、(……)下半身は裸、合成樹脂の黒いパイプ椅子に足を高く組んで掛けている。こちらはその前に立っているのだが、足場が一段低いので、頭はまり恵さんの膝の高さにある。p80

かつて「僕」が、まり恵さんと一緒に、プールで泳いだとき、《彼女の大きく交差して勢いよく水を打つ腿のつけねに、はみ出た陰毛が黒く水に動き、あるいは内腿の皮膚にはりつくのを見た》、その「出来事」が夢の表象として現われるーー。

まり恵さんの、腿に載せたもう片方の腿があまりに引きつけられているので、性器の下部が覗きそうだが、そこに悪魔の尻尾がさかさまに守っている。つまりはしっとりした黒い陰毛が、クルリと巻きこむように性器を覆っている。p80

ーー上の写真の女性は陰毛も淡すぎるし、脚の筋肉もまり恵さんのように訓練を積んだものではないんだけどな

ーー子供の頃、アメリカの学校で陸上競技をやらされたから、その時ついた筋肉はあまり変わらないのね、と深く背を曲げるストレッチ運動をしているまり恵さんは、しっかり張った尻の下に腿の紡錘形がふたつ並んでいる間からゆったりした声をかけてよこした。p.35

そうかといってモディリアーニの女というわけでもないな




ああ、モディリアーニもいいねえ、大江の文章と同じくらいか、それよりもずっともっと。

はたち前後にほれぼれした三十過ぎの女ってのは、もうオレにはないからな、いま二十前後の〈きみたち〉にしかないぜ、ワカルカ?

隠しマイクによる録音、ということからの先入見を裏切って、シーツのこすれる音もはっきりと聞こえる音の良さで、男と女の言葉少ない会話が再生された。すぐ性交にうつり、また会話。あらためて性交が始まろうとして、あきらかに男に対して年長の落着きをあらわした女が、――うしろからやろうよ、といい、カサカサとシーツが鳴り、――ちょっと待ってね、足をひろげるから、とさらに女はいった。おとなしく男はしたがうのだが、女がおおいにとりみだした後、男は余裕をえた具合に、――二度イッタけど、まだこんなだよ、という。――大きいのねえ、さすが二十三歳よ、と女は嗄れた声で心から応じていた……

男が、若さからの自己中心主義と、無経験からのおとなしさをあわせ示し、かつは性交をかさねるにつれて、しだいに大きな態度になる。その自然な変化に僕は興味を持ったが、はじめはピルを服用していることなど、経験豊かな様子で男の不安をしずめていた女が、二度目の性交が終ると男に対していかにも柔軟になっている、その性格の良さをあらわす進み行きに、僕は好意を感じた。……(大江健三郎『人生の親戚』p.37)

人間の原則はあのころのスケベ心だからな、それが凋みつつある齢になったらそろそろおしまいさ

人皆の根底にはその人の「原則」が巨大な文字で彫りつけてある。それをいつも見つめているわけではない。一度も読んでいないことも稀ではない。だが人はそれをしっかり守り、人の内部の動きはすべて、口では何と言おうとも、書かれているところに従い、決して外れることはない。考えも行いもそれに違うことはない。心の奥のそこには傲慢、弱点、頬を染める羞恥、中核的恐怖、孤立、なべての人が持つ無知がきらめいていて、世にあるほどのバカげた行為をいつも今にもやらかしそうだ―――。

愛しているものの中にあれば弱く、愛しているもののためとあらば強い。(ヴァレリー『カイエ』Ⅳ(中井久夫訳)より)

あの原宿のカフェ・バーの名なんというんだったけな、70年代の後半のことさ、すてきなおねえさんに昼日中、安上がりで出会える稀な場所だったよ

出会える、だって?--いやウブなオレは眺めているだけだったよ、ほとんどな

そのようにしてまり恵さんと三人組が遊ぶ足場にしていた、原宿のカフェ・バーでーーこの種のものがあらわれはじめた最初のころだった。つまりまだ一般的な場所というのではなかったーー、その場には三人組も居あわせたのだが、ある日まり恵さんはテレヴィ局の録音技術者と知り合った。……p.31


(1979年の表参道)

ロマン主義的な追憶の描写における最大の成功は、かつての幸福を呼び起こすことではなく、きたるべき幸福がいまだ失われていなかった頃、希望がまだ挫折していなかった頃の追想を描くことにある。かつての幸福を思い出し、嘆く時ほどつらいものはない――だがそれが、追憶の悲劇という古典主義的な伝統である。ロマン主義的な追憶とは、たいていが不在の追憶、一度たりと存在していなかったものの追憶である。(ローゼンのシューマン論 ―― Slavoj Zizek/Robert Schumann-The Romantic Anti-Humanistよりの孫引き)

◆Faure Pavane Op 50 - Die 12 Cellisten der Berliner Philharmonker



2015年11月8日日曜日

戸口をすぎて行く隙間風の匂い

……彼らが私の注意をひきつけようとする美をまえにして私はひややかであり、とらえどころのない無意識的な回想 réminiscences confuses にふけっていた…戸口を吹きぬけるすきま風の匂を陶酔するように嗅いで立ちどまったりした。「あなたはすきま風がお好きなようですね」と彼らは私にいった。(プルースト「ソドムとゴモラ Ⅱ」 井上究一郎訳 p.168)

ドゥルーズがその著書『プルーストとシーニュ』で引用している断片だが、ああ、この文自体がわたくしをクラクラさせる。

人生はこのような時間の積み重ねで出来ている、もし〈あなた〉が、陶酔している者に対して「あなたはすきま風がお好きなようですね」というタイプでなければ。

以下の大江健三郎の文は、おそらくプルーストの『見出された時』にある「純粋過去 passé pur」をめぐる箇所、《純粋な状態での短い時間 Un peu de temps à l'état pur》という表現ーードゥルーズ解釈なら、《過去の時間の中での差異 différence dans l'ancien moment と、現在の時間の中での反復 la répétition dans l'actuel》ーー、あるいは(プルーストに戻れば)、《「死」という言葉 mot de « mort » はこの人間に意味をなさない、ということもうなずかれる。時間のそとに存在する人間だから、未来について何をおそれることがありえよう?》などをすくなくとも頭の片隅に置きつつ書かれたにちがいない、とわたくしは思う。’

……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。……

自分がこれだけ生きてきた人生で、本当に生きたしるしとしてなにがきざまれているか? そうやって一所懸命思い出そうとするならば、かれに思い浮ぶのはね、幾つかの、一瞬よりはいくらか長く続く間の光景なのじゃないか? 

……私としてはきみにこういうことをすすめたいんだよ。これからはできるだけしばしば、一瞬よりはいくらか長く続く間の眺めに集中するようにつとめてはどうだろうか? (大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』p148-150)

一陣の風が、おまえの豊かな髪をねじって
おまえの夢見がちな精神に奇妙なざわめきを運び
木の嘆きと夜々の溜息のうちに
おまえの心が「自然」の歌声に耳を傾けていた…(ランボー「オフェリア」鈴木創士訳) 

通ってゆく汽車の汽笛がきこえ、その汽笛は、遠くまた近く、森のなかの一羽の鳥の歌のように、移ってゆく距離を浮きたたせながら、さびしい平野のひろがりを私に描きだし、そんな空漠としてなかを、旅客はつぎの駅へいそぐのだ、(「スワン家のほう」)

◆ Ian Bostridge - La lune blanche luit dans le bois「白い月影は森を照らし」 (Faure)



あたかも演奏者たちは、小楽節を奏しているというよりは、むしろ小楽節に強要されるままに、その小楽節が姿をあらわすに必要な聖なる儀式をとりおこなっているように見え、小楽節を呼びだす奇蹟に成功しそれをしばらくひきのばすために必要な呪文をとなえているように見えたので、スワンはーーその小楽節が紫外線の世界に属してしまったかのようにもはやそれを見ることもできず、またそれに近づいたとき、突然おそわれた一時の失明のなかで、変身の爽快な感覚にも似たものを味わっていたスワンはーーその小楽節が、彼の恋の秘密をきいてくれる守護女神であって、聴衆をまえにして彼のかたわらに近づき、彼を脇に連れていって話しかけようと、そうした楽の音に身をやつして現前しているのだ、と感じるのであった。そしてその女神が、彼に必要な言葉を告げながら、香水のように、軽く、心をやわらげ、そっとささやいて通りすぎてゆくあいだに、彼はその一語一語を玩味し、その言葉がそんなに早くとびさるのを惜しみながら、なだらかに、逃げて行くように過ぎさる、その調和あるからだに、無意識のうちに、くちづける動作をするのだった。(プルースト「スワン家のほうへ 第二部」 P.454)
もはや彼はただひとり遠いところに追放されているとは感じていなかった。なぜなら、小楽節のほうから、彼に言葉をかけてきて、オデットのことを小声で話してくれたからであった。つまり、彼はかつてのように、オデットも自分も小楽節に知られていないという印象をもはやもたなかったのだ。小楽節は、彼らのよろこぼをあんなにもたびたび目撃していたのだ! なるほど、小楽節はまた、たびたび二人の恋のはかなさを彼に警告した。そしてあのころ、小楽節のほほえみのなかに、熱中からさめた、澄みきった、その抑揚のなかに、彼は苦しみを読みとってさえいた。しかしいまはそのなかに彼はむしろ陽気に近いあきらめの美しさを見出すのであった。 (同上)

◆Anne Sofie von Otter; "La lune blanche luit dans le bois"; G. Fauré




……スワンは音楽の種々のモチーフを、べつの世界、べつの秩序に属する、真の思想〔イデ〕と呼ばれるべきものと見なしていた、それは闇で被われた、未知の思想であり、理知がはいりこめない思想であったが、それでいてやはりその思想の一つ一つがまったく明瞭に区別され、価値も意味もそれぞれひとしくない思想なのであった。はじめてヴェルデュラン家を訪れた晩、あの小楽節を演奏してもらった彼が、その夜会のあとで、なぜ小楽節が匂のように愛撫のように自分をとりまき自分をつつんだかを見きわめようとつとめたとき、あの身が縮まるような、冷気がしみこむような、快い印象がわきおこったのは、小楽節を構成する五つの音のあいだのわずかなひらきと、それらのなかの二つの音の不断の反復によることをスワンは理解したのであった。 (プルースト「スワン家のほうへ 第二部」 P.455)

◆Fauré - Piano Quartet No1 in C minor, Op.15 (2)



最後の部分がはじまるところでスワンがきいた、ピアノとヴァイオリンの美しい対話! 人間の言語を除去したこの対話は、隅々まで幻想にゆだねられていると思われるのに、かえってそこからは幻想が排除されていた、話される言語は、けっしてこれほど頑強に必然性をおし通すことはなかったし、こんなにまで間の適切さ、答の明白さをもつことはなかった。最初に孤独なピアノが、妻の鳥に見すてられた小鳥のようになげいた、ヴァイオリンがそれをきいて、隣の木からのように答えた。それは世界のはじまりにいるようであり、地上にはまだ彼ら二人だけしかいなかったかのようであった、というよりも、創造主の論理によってつくられ、他のすべてのものにはとざされたその世界―――このソナタ―――には、永久に彼ら二人だけしかいないだろうと思われた。それは一羽の小鳥なのか、小楽節のまだ完成していない魂なのか、一人の妖精なのか、その存在が目には見えないで、なげいていて、そのなげきをピアノがすぐにやさしくくりかえしていたのであろうか? そのさけびはあまりに突然にあげられるので、ヴァイオリン奏者は、それを受けとめるためにすばやく弓にとびつかなくてはならなかった。すばらしい小鳥よ! ヴァイオリン奏者はその小鳥を魔法にかけ、手なずけ、うまくつかまえようとしているように思われた。すでにその小鳥はヴァイオリン奏者の魂のなかにとびこんでいた。すでに呼びよせられた小楽節は、ヴァイオリン奏者の完全に霊にとりつかれた肉体を、まるで霊媒のそれのようにゆり動かしていた。スワンは小楽節がいま一度話しかけようとしているのを知るのであった。(プルースト「スワン家のほうへ」井上究一郎訳)

◆Faure, String Quartet, OP.121 andante







2015年10月31日土曜日

杣径のなかの信仰を持たない者の祈り

「信仰を持たないでいても、ある宗教的なものといいますか、祈りのようなものを自分が持っていると感じる時が、人生の色々な局面であったのです。やはり信仰の光のようなものがあって、向こうからの光がこちらに届いたことがあると私は思っているのです。」(大江健三郎『信仰を持たない者の祈り」)

◆「まことに神の子であった Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen.」



「つつしみ」といったが、それは礼儀作法のもっと原初的で包括的なものである。ちなみに「宗教」の西欧語のもとであるラテン語「レリギオ」の語源は「再統合」、最初の意味は「つつしみ」であったという。母権的宗教が地下にもぐり、公的な宗教が父権的なものになったのも、その延長だと考えられるかもしれない。ローマの神々も日本の神々も、威圧的でも専制的でもなく、その前で「つつしむ」存在ではないか。母権的宗教においては、この距離はなかったと私は思う。それは、しばしば、オルギア(距離のない狂宴)を伴うのである。母親の名残りがディオニュソス崇拝、オレフェウス教として色濃く残った古代ギリシャでは「信仰」はあるが「宗教」にあたる言葉がなかったらしい。(中井久夫「母子の時間、父子の時間」『時のしずく』所収


◆マタイ受難曲BWV244「愛ゆえに 我が救い主は死に給うAus Liebe will mein Heiland sterben 」


Gundula Janowitzー Karajan

ーー「主よ、信じます。信仰のない私をお助けください」(マルコによる福音書9章24節)

聖歌を唱う者にとって、聴衆のための演奏など思いもよらぬことであった。彼らが唱うとき、彼らを通して神の声が唱う。あるいはそれは天使の声であるかもしれない。しかしそこに集う者たちは聴くためだけではなく秘儀をとりおこなうために来ているのだ。音楽は信徒に語りかけるのではない。彼らに代わって唱われるのであり、しかも聖歌は誰もそれを聴く人間がいなかったとしてもまったく変わることはないはずだ。それは物理的な顕現でしかない。仮りに音楽が聴く者に外部から触れるとしても、そのほんとうの源は聴く者の内部にある。聖歌は音響に姿を変えた祈りとなるのだ。(シュネデール)

◆カンタータ BWV 127「魂はイエスの手にて憩う Die Seele ruht in Jesu Händen」



BWV 127 :Eileen Farrell-Robert Shaw


どのような入り方をしても
いきなり深い
そのように森はあった
抜け道はふさがれ
穴は隠されて
踏み迷う

空を裂く
鳥の声は小さな悲鳴
両手を泳がせ
枝をかきわけて
つくる小径
星と虫
死骸の層に靴は沈み
凶兆の泥が付着する
実と見れば齧り
青くしびれる舌
…………(「森」  須永紀子


◆ カンタータ BWV202 「しりぞけ、もの悲しき影 Weichet nur betrubte schatten」



BWV202 AugerーGerard Schwarz




「森の道」 Holzwege(1950) :森林の空地 Lichtungに至る森のなかの道、それは人跡未踏の道、迷いの道であり、 Lichtung とは存在の Lichtungである(ハイデガー

◆ Cantata BWV 12 「泣き、歎き、憂い、怯えweinen klagen sorgen zagen」


BWV12 Ton Koopman

存在者を越えて、しかし離れてではなく、それに先立って、もう一つ別のことが起る。存在者全体の真只中に一つの開けた場所 eine offene Stelle が現成する。一つのLichtung がある。存在者の側から考えれば、それは存在者より以上に存在する。この開けた中心 die offene Mitte は、従って存在者によって囲まれているのではなく、この光を与える中心 die Iichtende Mitte そのものが一切の存在者を包む umkreisen のである。存在者は、このLichtung のなかに入って照らされるときにのみ、存在者として存在しうる。このLichtung のみが我々人間に我々以外の存在者への通路と、我々自身である存在者への接近を贈り、保証する。……存在者がそのなかに立つLichtung はそれ自身において同時に隠蔽である。隠蔽は存在者の只中において二種の仕方で行なわれる(Holzwege)


◆カンタータ BWV 105「いかにおののき、よろめくことかWie zittern und wanken」


BWV105 鈴木雅明

聖アウグスティヌスによれば、神とは包み込みながら満たすものだというが、音楽はそのような神の属性をそなえている。音楽はまわりを取り巻き、包囲し、しかも内部にとどまっている。それは部分の部分であり、耳に向かってたちのぼってくる苦痛あるいは快楽の切っ先である。(シュネデール)

◆カンタータBWV 106「神の時こそいと良き時Gottes Zeit ist die allerbeste Zeit」



BWV 106 (Ton Koopman)

一切のものは、独白的芸術に属するか観客相手の芸術に属するかのいずれかである。この後者には、なおまた、神への信仰を内に抱くあの見せかけだけの独白芸術、つまり祈祷の叙情詩の全部が、含められる。というのも、信心深い者には孤独というものがまだ存在しないからだ。こうした区別の案出は、われわれが、背神の徒であるわれわれがはじめてやったことなのだ。

総体的に見た上での芸術家の光学に関しては、つぎのような区別にまさる深い区別を、私は知らない。—それはすなわち、芸術家が観客の目を起点として自分の生成中の芸術作品の方(「自己」の方—)を眺めているのか、それともまた、すべての独白的芸術の本質がそうであるように、「世界を忘却して」いるのか、という点からする区別である。—独白的芸術は忘却に基づいている、それは忘却の音楽なのだ。( ニーチェ「悦ばしき知識」信太正三訳)

◆ Bach -Furtwängler"Wahrlich, dieser ist Gottes Sohn gewesen"





ひかりといふひかりが……   生野幸吉

ひかりといふひかりがはしり抜ける
蒼ぞらは不意にあかるくなり
ひとびとは不可解な
どよめくあらしの一塊にみえる……
(……)

ひとり慄へるやうに かぜにたましひを投げわたすやうに……



…………

いちじくの樹よ、すでに久しい以前からおんみはわたしに意味深いのだ、
いかにおんみは花期をほとんど飛び越えて、
遅疑することなく決意した果実のなかへ、
世の声高い賞讃もうけず、おんみの清純な秘密を凝集することか。
噴水の管(くだ)にも似ておんみのしなやかな枝々は、
樹液を下へ、上へと送り、それはほとんど醒めることなしに、眠りの中から
甘美な事業の幸福へとおどり入る。
さながら神があの白鳥に転身したように。(リルケ『ドゥイノの悲歌』第六 手塚富雄訳)

◆Faure Andante Opus 121



Faure Andante Opus 121(Emile Naoumoff piano transcription)

……この音楽のなかで、くらがりにうごめくはっきりしない幼虫のように目につかなかったいくつかの楽節が、いまはまぶしいばかりにあかるい建造物になっていた。そのなかのある楽節はうちとけた女の友人たちにそっくりだった、はじめはそういう女たちに似ていることが私にはほとんど見わけられなかった、せいぜいみにくい女たちのようにしか見えなかった、ところが、たとえば最初虫の好かなかった相手でも、いったん気持が通じたとなると、思いも設けなかった友人を発見したような気にわれわれがなる、そんな相手に似ているのであった。(プルースト「囚われの女」)

◆Gabriel Fauré,. Quatuor à cordes, Allegro




立ち昇る一樹。おお純粋の昇華!
おおオルフォイスが歌う! おお耳の中に聳える大樹!
すべては沈黙した。だが沈黙の中にすら
新たな開始、合図、変化が起こっていた。

静寂の獣らが 透明な
解き放たれた臥所から巣からひしめき出て来た。
しかもそれらが自らの内にひっそりと佇んでいたのは、
企みからでもなく 恐れからでもなく

ただ聴き入っているためだった。咆哮も叫喚も啼鳴も
彼らの今の心には小さく思われた。そして今の今まで
このような歌声を受け入れる小屋さえなく

僅かに 門柱の震える狭い戸口を持った
暗い欲望からの避難所さえ無かったところに――
あなたは彼らのため 聴覚の中に一つの神殿を造った。

ーーリルケ「オルフォイスに寄せるソネット」より 高安国世訳



2015年8月31日月曜日

異質なものを排除するムラ社会の土人

どこかのムラ社会の土人が「おまえらおれたちばかりにやらせるなよ すこしは世界の警察官の仕事手伝ってくれ」をめぐってなにやら言っているようだが、シリアという中東の窓国の難民の話かい? それともムラ社会の土人の庶民的正義感かい?

川上泰徳 @kawakami_yasu

難民問題では、紛争地の周辺国はもちろん受け入れている欧米も苦労している。実際にシリアやイラクの難民たちの話を聞いて、さらに現在のような難民たちの悲劇が続く状況に接すると、日本だけが「特殊な事情」を挙げて、問題を分担していないことに、疚しさ感じざるを得ない。日本って、そんなに特殊?
日本も難民を受け入れねばならないというと「理想はそうだけど」という人がいるが、これは理想の話ではなく、国際社会の「現実」に日本はその「主要メンバー」として役割を果たすという、非常に現実的な話。いまの日本の難民問題対応では、国際社会の外の、自身の「空想」の中で生きているということ。

とはいえ日本ではやはり《国際社会の外の、自身の「空想」の中で生きている》「特殊」なムラ社会の土人たちがいまだ多いのだろう。とくに感想はない。資料を並べておくよ、オレは親切なほうでね。貴君は中井久夫ファンじゃなかったっけ?

……被害者の側に立つこと、被害者との同一視は、私たちの荷を軽くしてくれ、私たちの加害者的側面を一時忘れさせ、私たちを正義の側に立たせてくれる。それは、たとえば、過去の戦争における加害者としての日本の人間であるという事実の忘却である。その他にもいろいろあるかもしれない。その昇華ということもありうる。

社会的にも、現在、わが国におけるほとんど唯一の国民的一致点は「被害者の尊重」である。これに反対するものはいない。ではなぜ、たとえば犯罪被害者が無視されてきたのか。司法からすれば、犯罪とは国家共同体に対してなされるものであり(ゼーリヒ『犯罪学』)、被害者は極言すれば、反国家的行為の単なる舞台であり、せいぜい証言者にすぎなかった。その一面性を問題にするのでなければ、表面的な、利用されやすい庶民的正義感のはけ口に終わるおそれがある。(中井久夫「トラウマとその治療経験」『徴候・外傷・記憶』所収)
少子化の進んでいる日本は、周囲の目に見えない人口圧力にたえず曝されている。二〇世紀西ヨーロッパの諸国が例外なくその人口減少を周囲からの移民によって埋めていることを思えば、好むと好まざるとにかかわらず、遅かれ早かれ同じ事態が日本にも起こるであろう。今フランス人である人で一世紀前もフランス人であった人の子孫は二、三割であるという。現に中小企業の経営者で、外国人労働者なしにな事業が成り立たないと公言する人は一人や二人ではない。外国人労働者と日本人との家庭もすでに珍しくない。人口圧力差に抗らって成功した例を私は知らない。好むと好まざるとにかかわらず、この事態が進行する確率は大きい。東アジアに動乱が起こればなおさらである。アジアに対する日本の今後の貢献は、一七世紀のヨーロッパにおけるオランダのように、言論の自由を守り、政治難民に安全な場所を提供することであると私は考えている。アジアでもっとも言論の自由な国を維持することが日本の存在価値であり、それがなければ百千万言の謝罪も経済的援助もむなしい。残念ながらアジアにおいてそういう国は一七世紀のヨーロッパよりもさらに少ない。政治難民が数万、数十万人に達する時に、かつての関東大震災の修羅場を反復するか否かが私たちの真価をほんとうに問われる時だろう。それは日本が世界の孤児となるか否かを決めるだろう。難民とは被災者であり、被災者差別を論じる時に避けて通ってはならないものである。(中井久夫「災害被害者が差別されるとき」『時のしずく』所収)

…………

いまの日本の社会のあり方に対して、あなた方はいつまでも黙っていてはいけないでしょう。それは私たちの世代が若かった時におかした過ちです。自分で考えて下さい。あなた方が自分の頭で判断を下す必要が出てきている、いまの社会は、そういう状況になっています。そのためには,まず「思うこと」です。そして、もっと「学ぶこと」が必要です。たしかに日本国は改革を必要としていると思います。もし、私がこれまで言ってきたような改革や革命が実現することがあるとすれば、それはきっとあなた方がやることだと、私は思っています。
ほんとうに怖い問題が出てきたときこそ、全会一致ではないことが必要なのだと私は考えます。それは人権を内面化することでもあるのです。個人の独立であり、個人の自由です。日本社会は、ヨーロッパなどと比べると、こうした部分が弱いのだと思います。平等主義はある程度普及しましたが、これからは、個人の独立、少数意見の尊重、「コンセンサスだけが能じゃない」という考え方を徹底する必要があります。さきほど述べたように、日本の民主主義は平等主義的民主主義だけれど、少数意見尊重の個人主義的な自由主義ではない。それがいま、いちばん大きな問題です。(加藤周一、『学ぶこと・思うこと』2003)

…………


《民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する

人々は自由・民主主義を、資本主義から切り離して思想的原理として扱うことはできない。いうまでもないが、「自由」と「自由主義」は違う。後者は、資本主義の市場原理と不可分離である。さらにいえば、自由主義と民主主義もまた別のものである。ナチスの理論家となったカール・シュミットは、それ以前から、民主主義と自由主義は対立する概念だといっている(『現代議会主義の精神史的地位』)。民主主義とは、国家(共同体)の民族的同質性を目指すものであり、異質なものを排除する。ここでは、個々人は共同体に内属している。したがって、民主主義は全体主義と矛盾しない。ファシズムや共産主義の体制は民主主義的なのである。

それに対して、自由主義は同質的でない個々人に立脚する。それは個人主義であり、その個人が外国人であろうとかまわない。表現の自由と権力の分散がここでは何よりも大切である。議会制は実は自由主義に根ざしている。(柄谷行人「歴史の終焉について」(『終焉をめぐって』所収)p162)

民主主義とは、共同体の同質性を目指すものであり、異質なものを排除するのであれば、この観点からは、(誰もが知っているように)日本はムラ社会的民主主義先進国である。

日本社会には、そのあらゆる水準において、過去は水に流し、未来はその時の風向きに任せ、現在に生きる強い傾向がある。現在の出来事の意味は、過去の歴史および未来の目標との関係において定義されるのではなく、歴史や目標から独立に、それ自身として決定される。(……)

労働集約的な農業はムラ人の密接な協力を必要とし、協力は共通の地方心信仰やムラ人相互の関係を束縛する習慣とその制度化を前提とする。この前提、またはムラ人の行動様式の枠組は、容易に揺らがない。それを揺さぶる個人または少数集団がムラの内部からあらわれれば、ムラの多数派は強制的説得で対応し、それでも意見の統一が得られなければ、「村八分」で対応する。いずれにしても結果は意見と行動の全会一致であり、ムラ全体の安定である。(加藤周一『日本文化における時間と空間』)

実際、このムラ社会のシステムは、なんと「民主主義的」であろう。権威の王座には誰も坐っていない。ただし「空気」としての権力はある。

一般に、日本社会では、公開の議論ではなく、事前の「根回し」によって決まる。人々は「世間」の動向を気にし、「空気」を読みながら行動する。(柄谷行人「キム・ウチャン(金禹昌)教授との対話に向けて」
一般的にいって、匿名状態で解放された欲望が政治と結びつくとき、排外的・差別的な運動に傾くことに注意すべきです。だから、ここから出てくるのは、政治的にはファシズムです。(柄谷行人「丸山真男とアソシエーショニズム (2006)
公的というより私的、言語的(シンボリック)というより前言語的(イマジナリー)、父権的というより母性的なレヴェルで構成される共感の共同体。......それ はむしろ、われわれを柔らかく、しかし抗しがた い力で束縛する不可視の牢獄と化している。(浅田彰「むずかしい批評」(『すばる』1988 年 7 月号


まだいくらでもあるがカボチャ頭にはこの程度がいいだろうよ、オカアチャンの子宮に守られている共感の共同体の囚人にはな。ああそういえば貴君は四国出身なようだな、心性は四国の谷間にひきこもったままなんだろうよ、だったらいっそうやむえないね、ムラの土人であることは。

……「この窪地に朝鮮人が来てからというもの、谷間の人間は迷惑をこうむりつづけでしたが! 戦争が終ると、朝鮮人は、土地も金も谷間から捥ぎとって、良い身分になりましたが! それを少しだけとりかえすのに、何が同情してかからねばなりませんかの?」

「ジン、もともと朝鮮人は望んで谷間に入って来たのじゃないよ。かれらは母国から強制連行されて来た奴隷労働者だ。しかも僕の知っている限り、谷間の人間がかれらから積極的に迷惑をかけられたという事実はない。戦争が終った後の朝鮮人集落の土地の問題にしても、それで谷間の個人が直接損害をこうむったということはなかっただろう? なぜ自分の記憶を歪めるんだ?」

「S次さんは朝鮮人の殺されましたが!」とジンは僕に対する警戒心を急速に回復しながら訝しげにいった。

「あれもその直前に、S兄さんの仲間が朝鮮人を殺したことの報復だよ、ジン。それはよく知ってるじゃないか」

朝鮮人が窪地に入って来てからろくなことがないと誰でもいっておりますが! 朝鮮人などみな殺しになればよい!」とジンは自分自身を理不尽に励ますべく異様に力をこめていった。いまや彼女の眼は怨嗟にみちて暗く沈んでいる。

「ジン、この窪地の人間に対して朝鮮人が一方的に害をしたということはない。戦後のいざこざは両方に責任がある。それをジンもよく知っていながら、なぜそんなことをいいはるんだ?」と僕は咎めたが、ジンは憂わしげな大頭を重い荷をおろすようにやにわに垂れて僕の言葉を無視し、僕の眼の位置からはセイウチの頸さながらに見える項を、ぶりかえした荒い呼吸に波だたせるのみである。僕は晴らしようのない苛立たしい憤懣にとらえられて嘆息した。「こういう愚かしい騒動をはじめて、結局みじめな報いを受けるのは、谷間の人間なんだよ、ジン。スーパー・マーケットの天皇は、かれのチェーン・ストアの一軒が略奪されたくらいで打撃はうけはしないだろうが、谷間の人間の大半は、戦利品のおかげで、これからずっとみじめなうしろめたさを味わいつづけるんだ。分別盛りの大人たちまでが、よそから戻った鷹などに煽動されて、いったいどうしたというんだろう?」

「谷間の人間みなが、平等に恥をかいて、結構なことですが!」とジンは頑固にうつむいたまま他人事のようにくりかえして、僕に彼女の表現の内なる「恥」という言葉の独特の意味を納得させた。(大江健三郎『万延元年のフットボール』P.271-273)

2015年8月14日金曜日

未知の表徴を探りあてるジェニー(大江健三郎)

ロラン・バルトの『恋愛のディスクール』は辞書のようにアルファベット順に列挙されて書かれてゆくのだが、そのGの項目のひとつ、「GRADIVA」(「グラディヴァのような女」)の項目には次の文がある。

『グラディヴァ』の主人公は尋常ならざる恋人である。ほかの者なら思う浮かべただけで終るものを、幻覚として体験し、とり憑かれているのだ。それと気づかぬままに愛している女性がいて、そのフィギュールとなるのが、いにしえの女グラディヴァなのであるが、彼はこれを現実の女性として知覚している。そのことが彼の錯乱(妄想)である。ところで問題の女性は、ひとまずは彼の錯乱に同調したうえで、穏やかにそこから引き出そうとしている。ある程度まで彼の錯乱の中へ入りこみ、あえてグラディヴァの役を演じ、幻影を一挙に打ちこわしたり、夢想から唐突んび目覚めさせたりはせず、それと気づかぬうちに現実に近づいていってやろうとするのだ。そのことで、ひとつの恋愛体験が、分析治療と同じ機能を果たすことになるのである。

次にフロイトの「W・イェンゼンの小説『グラディーヴァ』にみられる妄想と夢」(1907)から抜き出す(もちろん上のバルトの文はこのフロイトの『グラディーヴァ』を読んでの叙述である)。

われわれの仲間の一人が『グラディーヴァ』に出てくる夢とその解釈可能性に関心をもった(……)。その人が当の作家に直接会って、あなたの考えに非常によく似た学問上の理論があることをご存知だったのかと尋ねれみた、はじめから予想できたことだが、これにたいして作者は知らないと返答した、しかもそこには多少不快げな調子がこもっていた。そして、自分自身の空想が『グラディーヴァ』のヒントをあたえてくれたのだ、(……)これが気に入らない人はどうかかまわないでいただきたい、と言った。

《作者はこのような法則や意図を知っている必要などまったくないし、だから彼がそれを否定したとしてもそこに微塵の嘘もないのである》としつつ、フロイトは続けて次ぎのように書く。

われわれの方法の要点は、他人の異常な心的事象を意識的に観察し、それがそなえている法則を推測し、それを口に出してはっきり表現できるようにするところにある。一方作家の進む道はおそらくそれとは違っている。彼は自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる。このようにして作家は、われわれが他人を観察して学ぶこと、すなわちかかる無意識的なものの活動がいかなる法則にしたがっているかということを、自分自身から聞き知るのである。

ここでフロイトは精神分析と小説の態度の相違を記しているのだが、これはおそらく批評と創作の相違でもあるはずだ、そして真の「芸術家」は《自分自身の心に存する無意識的なものに注意を集中して、その発展可能性にそっと耳を傾け、その可能性に意識的な批判を加えて抑制するかわりに、芸術的な表現をあたえてやる》ことがその本来の仕事であろう。

ドゥルーズはそのプルースト論で、観察/感受性、哲学/思考、反省/翻訳、友情/恋愛、会話/沈黙した解釈の二項対立を強調している。

『失われた時を求めて』は、一連の対立の上に築かれている。プルーストは、観察には感受性を対立させ、哲学には思考を、反省には翻訳を対立させる。知性が先にたち、《全体的な魂》というフィクションの中に集中させるような、われわれのすべての能力全体の、論理的な、あるいは、連帯的な使用に対して、われわれがすべての能力を決して一時には用いず、知性は常にあとからくることを示すような、非論理的で、分断されたわれわれの能力がある。また、友情には恋愛が、会話には沈黙した解釈が、ギリシア的な同性愛には、ユダヤ的なもの、呪われたものが、ことばには名が、明白な意味作用には、中に包まれたシーニュと、巻き込まれた意味が対立する。(ドゥルーズ『プルーストとシーニュ』「アンチ・ロゴスと文学機械」の章 P118)

プルーストの小説から抜き出せばたとえば次のような文である。

私のなかにふたたび生まれた存在は、事物のエッセンスからしか自分の糧をとらず、事物のエッセンスのなかにしか、自分の本質、自分の悦楽を見出さないのである。私のなかのその存在は、感覚機能によってそうしたエッセンスがもたらさえない現在を観察したり、理知でひからびさせられる過去を考察したり、意志でもって築きあげられる未来を期待したりするとき、たちまち活力を失ってしまうのだ。
それらの印象を、よりよく味わうただ一つの方法は、それらが見出される場所、すなわち私自身のなかで、もっと完全にそれらを知る努力をすること、それらをその深い底の底まであきらかにするように努力することだった。 (プルースト「見出された時」井上究一郎訳

ところで浅田彰は大江健三郎について「何故、あんなつまらないエッセイ書く作家があそこまで凄い小説を書くのか」というような意味合いのことをどこかで言っていたが、これも評論と創作の相違にかかわる。たしかに大江健三郎の戦後民主主義をめぐるエッセイのたぐいは退屈である。大江のようなすぐれた作家が評論を書くことなどは真の芸術活動の困難を避ける「口実」でしかないとさえ言っておこう。大江には「なにごとか狂気めいた暗く恐ろしい」ものを探りあてる稀有の才能があるのだから。

未知の表徴(私が注意力を集中して、私の無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわす、いわば浮彫状の表徴)、そんな未知の表徴をもった内的な書物といえば、それらの表徴を読みとることにかけては、誰も、どんな規定〔ルール〕も、私をたすけることができなかった、それらを読みとることは、どこまでも一種の創造的行為であった、その行為ではわれわれは誰にも代わってもらうことができない、いや協力してもらうことさえできないのである。だから、いかに多くの人々が、そういう書物の執筆を思いとどまることだろう! そういう努力を避けるためなら、人はいかに多くの努力を惜しまないことだろう! ドレフェス事件であれ、今次の戦争であれ、事変はそのたびに、作家たちに、そのような書物を判読しないためのべつの口実を提供したのだった。彼ら作家たちは、正義の勝利を確証しようとしたり、国民の道徳的一致を強化しようとしたりして、文学のことを考える余裕をもっていないのだった。しかし、それらは、口実にすぎなかった、ということは、彼らが才能〔ジェニー〕、すなわち本能をもっていなかったか、もはやもっていないかだった。なぜなら、本能は義務をうながすが、理知は義務を避けるための口実をもたらすからだ。(同プルースト「見出された時」--「今日、社会問題が、私の思想を占めているのは、創造の魔神が退いたからである」

大江健三郎は、たとえば『万延元年のフットボール』(1967)で、1960年6月の政治運動と万延元年の一揆を結びつけることをテーマにしつつ実は1960年代末の学生運動を叙述している。

おれの暴動という言葉はうれしいね、もちろん買いかぶりにすぎないが。蜜、谷間から『在』にかけて数多い人間を、大人から子供までいっせいに熱中させているのは単に物質的な欲望や欠乏感のみじゃないよ。今日はずっと念仏踊りの太鼓やどらを聞いただろう? 実はあれが一等みなをふるいたたせているんだ、あれが暴動の情念的なエネルギー源なのさ! スーパー・マーケットの略奪などは、実際のところ暴動でもなんてもない、小っぽけな空騒ぎにすぎないよ、蜜、そしてそれはこれに参加している誰もが知っていることさ。しかも、かれらはこれに参加することで、百年を跳びこえて万延元年の一揆を追体験する昂奮を感じているんだ、これは想像力の暴動だ。蜜のようにそうした想像力を働かせる意志の無い人間には、今日、谷間でおこっていることなど暴動でもなんでもないだろう?(大江健三郎『万延元年のフットボール』)

この文を引用して柄谷行人は《事実、1969年には「想像力の革命」といった言葉が流行したのである》と記している(「大江健三郎のアレゴリー」)。

なぜこのような「予言」が起ってしまうのか。それは社会の無意識的なもの、《未知の表徴》を読む試みーー無意識を探索しながら、海底をしらべる潜水夫のように、手さぐりにゆき、ぶつかり、なでまわすジェニー(本能)のせいだろう。ここで象徴的なのは中心的な登場人物の名が根所蜜三郎と根所鷹四という名をもっていることだ。そして蜜が批評的な性格(大江の評論文の人格)、鷹が暴力的な性格(大江の小説の無意識的テーマ)であり、しかも苗字が「根所」であることだろう。根所にあるのはもちろん《未知の表徴》であり、無意識的なものだ。

1993年9月号より「新潮」に連載された『燃え上がる緑の木』でも同じことが起っている。この三部作では 新興宗教の「教祖」が主人公とされ、その集団による反原発運動が書かれおり、その教祖を中心とした新興宗教団員が過激になってゆくのだが、その様相の叙述は、ほとんどオウム真理教事件を予想してしまっている。大江自身は、想像力の不足により十分にオウムの予測ができなかったという意味合いのことを述べているが、逆にほぼ予言されているとも言いうるのだ。






もっとも大江健三郎は、この『燃え上がる緑の木』だけではなく、1989年にも「新興宗教」団体をめぐる叙述のある中篇小説を書いている。以前に「写経」したユーモラスかつ人間の「根所」的な叙述箇所があるのでここに掲げておこう。

幸枝さんがあらためて私に話したのは、もうみんなが知ってることです。私たちは、それを糾弾しもしたわけですが、幸枝さんの側からの念入りな話を聞いて思ったのは、こんなふうだったならば、事態があれだけ険悪化する前に、手のうちようもあったんじゃないか、ということ。その気持が、私の主題、「性欲の処理」になったわけです。

幸枝さんが、「集会所」に引き起こした厄介事。それは彼女がテューター・小父さんに感情的な傾斜を深めたことです。ついには寝室に忍び込むようになった、というのがクライマックスでした。ことを荒だてたくなかったから、なだめようとして関係したと、テューター・小父さんは弁明したのでしたが、かれが幾度も幸枝さんの要求に応えたことから、問題はさらに厄介となったのです。幸枝さんはテューター・小父さんの配偶者になるといいだし、「集会所」での権力を確保しようとしました。(大江健三郎『人生の親戚』)




そのようにして日をすごすうちに、幸枝さんは、頭のなかの考えというより、腰の奥の力に押しまくられることになりました。とうとうある晩、---もうだめだ、これ以上ガマンできない!と思ったそうです。そしてテューター・小父さんの寝室へしのび込んだのでした。いったん関係が生じてみると、テューター・小父さんにこれまでとちがう魅かれ方をするようになった。仲間がテューター・小父さんに親しげにふるまいをすると、美代ちゃんに対してすら、嫉妬して邪慳なことをいってしまう。それは私たちが周りで見て来た通りね。

私は幸枝さんの話に、大切なことがふくまれていると思いました。私たちにも起こりかねないことですから。つまり頭のなかの考えより、腰の奥の力に押しまくられる、ということね。その結果、暴発して、誰かが新たにテューター・小父さんの寝室に押しかけないともかぎりません。さらにテューター・小父さんの方で、その気になるということがあるかも知れないわけです(笑)。

そこでどうすればいいか? はじめにいったとおり、身も蓋もない話ですが、腰の奥の力を圧力抜きしなければなりません。そのためには、マスターベイションが手軽です。圧力抜きというのは、ニューヨークのハイスクールで使われていた言葉の訳ですけれど…… マスターベイションについて、倫理的な反感をいだくよう私たちは教育されていますが、聖書で批判的に描かれているのは、男性の場合です。子孫繁栄のための精子を、地面に洩らしたということが、批判の眼目なのであって、女性の私たちにはあてはまりません。

こうした考えに立って、ということですが、私がことごとしく「性欲の処理」というような「説教」をするのは、「集会所」の生活の仕方を考えてのことです。個室にひとりで眠るというのじゃなく、二段ベッドの暮しですから、腰の奥の力を圧力抜きするとして、他の人たちの耳を気にかけるのは不健康だと思うからです。「集会所」の活動、とくに「瞑想」によく集中できるように、ムダな神経を使わないことにしたい。周囲を気にかけないで、必要なら自由にマスターベーションをすることをすすめたい。腰の奥の力に押しまくられて、---もうだめだ、これ以上はガマンできない! と自分にいいながら、ベッドから這い出すようなことはないようにしたい。

なんとも心が苦しい時、いくらかでもそれをまぎらすためにマスターベーションをするならば、それはアルコール飲料に走るよりも健全だと思います。マスターベーション依存症という話はきいたことがありません。動物園の猿の話は聞いたように思うけど、すくなくとも人間でいうかぎり…… 圧力抜きをすれば、また圧力が増してくるまでは、しばらくなりと「瞑想」に集中できるでしょう。(同上)





最後にここでの文脈とは関係なく(なぜか?)、詩人の言葉を掲げておく。

Every woman adores a Fascist(Sylvia Plath

すべての女はファシストを崇拝する(シルヴィア・プラス)



2015年5月28日木曜日

かくされた女のもつあの神秘

スワンのオデットへの愛、主人公のアルベルチーヌへの愛、反復される山間の農家の牛乳売りの娘への夢想…。プルーストが繰り返し書いたのは、「愛する理由は、愛の対象となっているひとの中には決して存在しないこと」だった。




相手の人間に愛をそそられるよりも、相手にすてられることによって愛をそそられるのは、ある種の年齢に達した者の運命で、その年齢は非常に早くくることがある。すてられていると、相手の顔面はわれわれに不明瞭で、相手の魂もどこにあるのかわからず、相手を好きになりだしたのもごく最近で、それもなぜなのかわからず、ついに相手のことではたった一つの事柄しか知ろうとしなくなる。つまり、苦しみをなくすためには、どうしても相手から、「お会いになっていただけるでしょうか?」という伝言をわれわれのもとにとどけさせる必要がある、という一事だけだ。「アルベルチーヌさまはお発ちになりました」とフランソワーズが告げた日の、アルベルチーヌとの離別は、ほかの多くの離別の一つのアレゴリー、むしろひどくは目立たない一つのアレゴリーといってもよかった。ということは、われわれが愛していることを発見するためには、またおそらく、愛するようになるためにさえも、しばしば離別の日の到来が必要だということなのである。(プルースト「逃げさる女」)





私はいまも思いだす、そのときの暑かった天気を、そんな日なたで給仕に立ちはたらいている農園のギャルソンたちの額から、汗のしずくが、まるでタンクの水のように、まっすぎに、規則正しく、間歇的にしたたっていて、近くの「果樹園」で木から離れる熟れた果物と、交互に落ちていたのを。そのときの天候は、かくされた女のもつあの神秘とともに、こんにちまでもまだ私に残っている、――その神秘は、私のためにいまもさしだされている恋なるもののもっとも堅固な部分なのだ。プルースト「ソドムとゴモラ Ⅰ」)





知りあう前に過ちを犯した女、いつも危険な状態にひたりきった女、恋愛の続くかぎり絶えず征服し直さねばならない女がとくに男に愛されるということがある。(プルースト「 囚われの女 Ⅱ」)






……その後、ホテルへの狭い坂道を辿る途中で抱きしめあうことにもなった。吾良は勃起を感じとらせぬよう腰を引く配慮をするどころか、この夜はむしろ相手の下腹やら腿やらをそいつで押しまくってやった。(大江健三郎『取り替え子』)




私たち二人は、連れだって夕食をとりに出かけた。私は階段をおりながら、ドンシエールを思いだした、ドンシエールでは私は毎晩外出してホテルのレストランでロベールと顔をあわせた、また私は忘れていたほかの小さな食堂のあれこれを思いだした。そんな一つの部屋が回想によみがえった、まだ一度も思いかえしたことがなかったその食堂は、サン=ルーが夕食をとることにしていたホテルにはなかった、それはもっとずっと粗末な、旅館と下宿との中間のようなホテルにあった、そしてそこではおかみさんと女中の一人とか給仕してくれた。雪が私をそこに足どめしたのだった。それにロベールはちょうどその晩はホテルで夕食をとることになっていなかったし、私は足どめされたそこより遠くへ食事に行きたくなかった。私に料理がはこばれてきたのは、階上の、全体が木造の小さな部屋だった。食事中にランプが消え、女中が私のためにそうそくを二本ともした。その私は、彼女に皿をさしだしながら暗くてよく見えないふうを装い、彼女がその皿にじゃがいもを入れているあいだに、まるで彼女の手をとって誘導しようとするかのように、片方の手で彼女のむきだしの前腕をにぎった。その前腕をひっこめないのを見て私はそれを愛撫した、それから、ひとことも発しないで、彼女のからだをそのままぐっと私のほうにひきよせ、ろうそくの火をふきけした。そうしておいて、お金をすこしやるつもりで、ポケットをさぐるようにといった。それにつづいた数日のあいだ、肉体的快楽が満喫されるには、単にこの女中だけでなく、そんなにも孤立した木造のこの食堂が必要であると私には思われた。((プルースト「ゲルマントのほう Ⅱ」)




2015年5月27日水曜日

「あのころはいつもお祭りだった」

若くスラリとしたしめやかな声音のいい女を食事に誘った。洋食屋だが何を食べたのか記憶にない。食後、二人で肩を並べて宵闇のなかを歩く。夜風がここちよい。女が次ぎの週にも逢ってくださる? という。何を食べようか、と訊ねる。生簀のあるおいしい和食屋があるからそこにしましょうという。あの魚の刺身がたべたいわと言う。あの魚はなんという名か忘れた。おう、そこならオレも行ってみたいと応じる。すると女が写真集のようなものを示し、それを開くと女が縄で縛られて官能の表情を浮かべている。こういう仕事をやっていたのと、女が言った(気がする)。オレはそれを貪りつくように眺め匂いまで嗅ぐ。

いつの間にか連込み宿にはいっている。二人だけではなく一人の子供がいる。男の子のようだが、たしかではない。いずれにせよ邪魔になる。女は子どもの世話をしている。うまく女とできるだろうか? オレは不安に思って目が醒めた。

目覚めたあと、この若い女は二十代なかばごろ、職場で魅惑された山本という色の白いしなやかな軀をした美女だったように思う。突然(三十年ぶりぐらいに)、この女、それに名前を思い出した。ことさら横顔、姿態の美しい女だった。山本なんといったのかは想い出せない。京都の良家のお嬢さんではある。この女とはヤッテいない。



――……ずっと若い頃に、かなり直接的に誘われながらヤラなかったことが、二、三人についてあったんだね。後からずっと悔やんだものだから、ある時から、ともかくヤルということにした時期があったけれども…… いまはヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあって、ふたつはそうたいしたちがいじゃないと、回想する年齢だね。(大江健三郎『人生の親戚』)

 《ヤッテも・ヤラなくても、それぞれに懐かしさがあった》という心持からは、ほど遠い気分におそわれる。むしろ悔みの感情をおぼえる。かつまた縄の扱いを本式に習っておくべきだった、と。





植物の熱気、おお、光、おお、恵み!…/それからあの蠅たち あの種の蠅ときたら、庭のいちばん奥の段へと、まるで光が歌っているかのように!(「サン=ジョン・ペルス詩集」多田智満子訳)

そう、まるで光が歌っているかのような女だった。昨晩この詩を読んでいた。蠅と縄は漢字がよく似ている。

想いだすのは塩、黄いろい乳母が私の眼尻からふきとらねばならなかったあの塩。/黒い妖術師が祭式に際してしかつめらしく宣言していた、〈世界は丸木舟のごとし。ぐるぐる廻り廻って、風が笑わんとするか泣かんとするかをもはや知らぬ…〉/するとたちまち私の眼は 輝く波にゆられる世界を描こうと努めて、木の幹になめらかな帆柱を認め、葉陰に檣桜をまた帆桁を、蔓草に支檣索を認めるのだった。/そのしげみでは 丈高すぎる花々が/鸚哥(いんこ)の叫びをあげてかっと開くのであった。(同上)
棕櫚…!/あのころおまえは緑の葉の水にひたされたものだ。そして水はまだ緑の太陽のものであった。おまえの母の下婢(はしため)たち、大柄で肌つややかな娘らがふるえているおまえのそばで熱いふくらはぎを動かしていた…
…ところでこの静かな水は乳である/また 朝の柔らかな孤独にひろがるすべてのものである。/夜明け前、夢の中のように 曙を溶かした水で洗われた橋が空と美しい交わりをむすぶ。そして讃うべき陽光の幼い日々が いくつも巻いたテントの柵をつたって じかにぼくの歌に降りてくる。/…/いとしい幼年期よ、追憶に身をゆだねさえすればよい…あのころぼくはそう云ったろうか? もうあんな肌着などほしくない/…/そしてこの心、この心、ほらあそこに、心は橋の上をずるずると裾ひきずって行くがよいのだ、古びた雑巾ぼうきよりもつつましく 荒々しく/くびれ果てて…




わたくしにとって、多田智満子訳の「サン=ジョン・ペルス詩集」は、なぜかパヴェーゼの『美しい夏』とセットになっている。

あのころはいつもお祭りだった。家を出て通りを横切れば、もう夢中になれたし、何もかも美しくて、とくに夜にはそうだったから、死ぬほど疲れて帰ってきてもまだ何か起こらないかしら、火事にでもならないかしら、家に赤ん坊でも生まれないかしらと願っていた、あるいはいっそのこといきなり夜が明けて人びとがみな通りに出てくればよいのに、そしてそのまま歩きに歩きつづけて牧場まで、丘の向うにまで、行ければよいのに。「あなたたちは元気だから、若いから」と人には言われた、「まだ結婚していないから、苦労がないから、むりもないわ」でも娘たちのひとりの、びっこになって病院から出てきて家にはろくに食べ物もなかったあのティーナ、彼女でさえわけもなく笑った、そしてある晩などは、小走りにみなのあとをついてきたのが、急に立ち止まって泣き出してしまった、だって眠るのはつまらないし楽しい時間を奪われてしまうから。(パヴェーゼ『美しい夏』 La bella estate 河島英昭訳)

そして多田智満子は矢川澄子とセットになっている。





矢川澄子は蠅に関係があるのか、縄に関係があるのかはよく分からない。もちろん彼女は澁澤龍彦の妻だった時期がある。

前回(子どもを誘惑する母(フロイト))、ファム・ファタールをめぐっての叙述をした。とはいえ、夢がそれに関係あると言い募るつもりはまったくない。






2015年3月28日土曜日

「人間らしさ」の表出

陰ときに晴。雲低く溽暑甚し。午前医者を訪う。例の如く世話女房風年増看護婦、若く御侠な受付嬢、いずれの笑顔も可憐なり。

尿酸高値に復す。ひと月前七度なりしが本日は九度超なり。暑熱の季節故、麦酒過す日を重ねし首尾覿面ともいうべし。

暑くてなにもする気にならず。年増婦の低い声やら御侠娘の水べを渉る鷭の声に変化した声音に耳を傾けるのみ。

古義人は五十代の後半になっても続けているプール行きの電車で、古いタイプのカセットレコーダーを聴いている男が自分ひとりであるのに気がつくことがあった。たまに見つける中年男は、聴きながら唇を動かしている様子から、英会話テープを聞いているのだと見てとれた。この前までは、音楽を聴いている若い連中で充ちみちていた車内で、かれらはいま誰もが携帯電話に話しかけ、あるいはその表示板を見つめてこまやかな指の操作をしていた。ヘッドフォーンから洩れてうるわかったジンジンという音すら、古義人は懐かしく感じたのだ。ところがその現在になって、古義人は「ウォークマン」以前のカセットレコーダーを、水泳用具を入れたリュックサックにしのばせ、半白の頭にヘッドフォーンを載せているのである。そのような自分を、時代遅れの孤独な旧世代と感じるほかなかった。

旧式なモデルのカセットレコーダーは、吾良がまだ映画俳優だった頃、電機メーカーのコマーシャルフィルムに出演して、スポンサーからもらった製品だった。機械の本体こそありふれた長方形で、デザインの凡庸さも目立たなかったものの、ヘッドフォーンのかたちは、古義人が森のなかの子供であった時分、谷川で獲った田亀のようだった。使ってみて、あの何の役にもたたなかった田亀を、今になって頭の両側にしがみつかせているようだ、と古義人は感想をのべた。

しかし吾良は動ぜず、
――それはきみが、鰻や鮎をつかまえるだけの才覚のない子供だったということしかつたえない、といった。遅すぎる贈り物ではあるが、その気の毒な子供にこれをあげよう。田亀とでも名づけて、少年時のきみ自身を慰めるさ。

しかし吾良も、それだけでは古い友達で義弟でもある古義人への贈り物として趣向に欠ける、と思ったようなのだ。それが吾良のライフスタイルのひとつで、映画作りの力にもなった小物集めの才能を発揮すると、魅力あるジュラルミン製の小型トランクをつけてくれた。それには五十巻のカセットテープが収められてもいたのである。吾良の映画の試写会場で受けとり、持って帰る電車のなかで、白い紙ラベルにナンバーだけスタンプで押したカセットを田亀に入れてーー実際、そのように機械を呼ぶことになったーー。ヘッドフォーンのジャックを挿し入れる穴を探していると、つい指がふれてしまったか、テープを入れると再生が自動的に始まる仕組みなのか、野太い女の声の、ウワッ! 子宮ガ抜ケル! イクゥ! ウワッ! イッタ! と絶叫する声がスピーカーから響き、ぎゅう詰めの乗客たちを驚かせた。その種の盗聴テープ五十巻を、吾良は撮影所のスタッフから売りつけられて、始末に困っていたらしいのだ。

かつて古義人はそうしたものに興味を持つことがなかったのに、この時ばかりは、百日ほども田亀に熱中した。たまたま古義人が厄介な鬱状態にあった時で、かれの窮境を千樫から聞いた吾良が、そういうことならば、その原因相応に低劣な「人間らしさ」で対抗するのがいい、といった。そして田亀を贈ってくれたついでに、確かに「人間らしさ」の一表現には違いないテープをつけてくれたのだ、と後に古義人は千樫から聞いた。千樫自身は、それがどういうテープであるかを知らないままだったが……

古義人の鬱状態は、大新聞の花形記者から十年以上受けた個人攻撃のーーもちろん社会正義は背負った上でのーー引き起こしたものだった。本を読んだり文章を書いたりしている間はなんでもなかったが、夜更けに目ざめてしまったり、用事で外出して街を歩いていたりすると、確かに才能はある記者独特の、悪罵の文体が頭に浮かんで来る。こまかな気もつく性格の大記者は、どうにも汚らしい新聞用原稿紙の書き損じや、ファクスで送信されたゲラ刷りを小さく切って、その裏に「挨拶」を書きいれては、著者や雑誌記事を送って来る。つい覚えてしまうその片言隻語が浮んで来そうになれば、ベッドの中でも街頭でも、「人間らしさ」の表出において拮抗する正直な声を聴けばいい。不思議に気持がまぎれるよ、と吾良は古義人にもいったのだった。(大江健三郎『取り替え子 チェンジリング』P10-13 黒字強調原文)

2015年2月25日水曜日

「それ自身の影を纏う」刻限(ジュパンチッチ=ニーチェ)

アレンカ・ジュパンチッチの2003年に上梓されたニーチェ論は、『The Shortest Shadow 』という名を持っている。今までその書名ぐらいは知っていたが、とくに気にすることもなかった。昨日たまたま、その書への短い批評文を二つほど(肯定的なものとやや批判的なものを)読んでみたが、たいしたことが判ったわけではない。

①”Unearthing Nietzsche's Bomb: Nuance, Explosiveness, Aesthetics”(Paul Kingsbury)
②”Nietzsche, Interrupted A review of Alenka Zupancic, The Shortest Shadow: Nietzsche's Philosophy of the Two”(Steven Michels)

いや、だが、肯定的な方の批評文には、ジュパンチッチが何を強調しようとしているのかは要領よく?ーーいやこういうことは批評の対象の書物を読んでいないものがいうものではないーー書かれている。

Zupančič rewires Nietzsche as follows: first, instead of simply reading Nietzsche as the postmodern big bang igniter of systematizing discourses, Nietzsche is also the “philosopher of the event” whose explosiveness is charged by the intense nuances of stillness, silence, and subtlety. Second, while Nietzsche is frequently praised for pitting multiplicity against the totality of the One, Nietzsche also affirms moments when “One turns to Two”, that is, when totalizing discourses of representation, truth, and subjectivity become internally fractured. (Paul Kingsbury,Unearthing Nietzsche's Bomb: Nuance, Explosiveness, Aesthetics)

おそらく通説となっている「超人」やら「価値の転換」、「権力への意志」やらをるのではなくーーこれはわたくしの推測であるーー、ニーチェは「出来事哲学者philosopher of the event」とされ、それは静けさ、沈黙、繊細さの密度あるニュアンスによって齎されることが強調されるとある。かつまたOne turns to Twoともある。これはどういうことなのか。ジュパンチッチの文が引用されているので、英文のまま孫引きしよう。

not the moment when the sun embraces everything, makes all shadows disappear, and constitutes an undivided Unity of the world; it is the moment of the shortest shadow. And what is the shortest shadow of a thing, if not this thing itself? Yet, for Nietzsche this does not mean that the two becomes one, but rather, that the one becomes two. Why? The thing (as one) no longer throws its shadow upon another thing; instead it throws its shadow upon itself, thus becoming, at the same time, the thing and its shadow. When the sun is at its zenith, things are not simply exposed (“naked,” as it were); they are, so to speak, dressed in their own shadows. (Zupančič, 2003, 27; emphasis in original)

ニーチェは、「正午」の哲学者なのである。その静けさに満たされた「正午」は、「最も短い影The Shortest Shadow」 の刻限である。すべての影は消え去る。そのとき二つのものが一つになるのではなく、一つのものが二つになる。事物は「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」。

なんとも「美しい」表現ではないか。しかも、ニーチェの核心にあのツァラトゥストラの「正午」を見るとは。

つつしむがいい。
熱い正午が野いちめんを覆って眠っている。
歌うな。静かに。世界は完全なのだ。

歌うな。草のあいだを飛ぶ虫よ。
おお、わたしの魂よ。囁きさえもらすな。
見るがいいーー静かに。
老いた正午が眠っている。
いまかれは口を動かす。
幸福の一滴を飲んだところではないか。――

ーー「正午」はまだ続くが、それは「神々しいトカゲ」を見よ。

正午とは神々しいトカゲの刻限でもある。

軽やかな音もなく走りすぎていくものたち、わたしが神々しいトカゲと名づけている瞬間を、ちょっとのま釘づけにするという、けっして容易ではない技術(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳)
……この真っ昼間、……
トカゲも壁の割れ目にもぐり、
墓守ヒバリも見えない時刻なのに。
……
実もたわわなスモモの枝が
地面に向かってしなだれる。

――テオクリトス『牧歌(Idyllia)』第7歌(古澤ゆう子訳)

だが、そんなことはとっくの昔からわかっているだろう、 ニーチェの真の読者なら。わかっていないのは、「学者」たちだけである。ーーと書けば、わたくしがニーチェの真の読者である、などと不遜な主張をしているかに受け取られるかもしれないが、まあそれはこの際許してもらうことにする。

正午とは、母なる無時間的な刻限なのであり、、ジョイスの「父なる時間、母なる空間(あるいは種)」Father's time, mother's species(クリスティヴァ引用によるが原出典不詳)における「母なる空間」である。

「父なる時間/母なる空間」とは、「クロノス的(物理的)/カイロス的(人間的)」でもあるだろう。

狩猟採集民の時間が強烈に現在中心的・カイロス的(人間的)であるとすれば、農耕民とともに過去から未来へと時間は流れはじめ、クロノス的(物理的)時間が成立した。(中井久夫『分裂病と人類』)

もちろんカイロス的刻限は、ディオニュソスの秘戯によっても齎される刻限である。

ディオニュソス的密儀のうちで、ディオニュソス的状態の心裡のうちではじめて、古代ギリシア的本能の根本事実はーーその「生への意志」は、おのれをつつまず語るからである。何を古代ギリシア人はこれらの密儀でもっておのれに保証したのであろうか? 永遠の生であり、生の永遠回帰である。過去において約束され清められた未来である。死と転変を越えた生への勝ちほこれる肯定である。生殖による、性の密儀による総体的永世としての真の生である。このゆえにギリシア人にとっては性的象徴は畏敬すべき象徴自体であり、全古代的敬虔心内での本来的な深遠さであった。生殖、受胎、出産のいとなみにおける一切の個々のものが、最も崇高で最も厳粛な感情を呼びおこした。(ニーチェ「私が古人に負うところのもの」『偶像の黄昏』原佑訳)

ここで唐突に文脈からいささか外れて?「カイロス」という語に導かれてロラン・バルトの写真論の文章を掲げる。




……見えない場の存在(力学)こそ、ポルノ写真からエロティックな写真を区別するところのものである、と私は思う。ポルノ写真は一般にセックスを写し、それを動かない対象(フェティッシュ)に変え、壁龕から外に出てこない神像のようにそれを崇拝する。私にとっては、ポルノ写真の映像にプンクトゥムはない。その映像は、せいぜい私を楽しませるだけである(しかもすぐに倦きがくる)。これに反して、エロティックな写真は、セックスを中心的な対象としない(これがまさにエロティックな写真の条件である)。セックスを示さずにいることも大いにありうる。エロティックな写真は観客をフレームの外へ連れ出す。だからこそ、私はそうした写真を活気づけ、そうした写真が私を活気づける。プンクトゥムは、そのとき、微妙な一種の場外となり、映像は、それが示しているものの彼方に、欲望を向かわせるかのようになる。といっても、ただ単にその裸体の《他の部分》に向かわせるということではない。ただ単に、ある行為をおこなう幻想に向かわせるということではない。魂と肉体を兼ねそなえた一個の存在の絶対的な素晴らしさに向かわせるのである。腕を伸ばして明るく微笑んでいるこの青年の場合、その美しさは決して型にはまったものではなく、彼の身体はフレームの一方に極端に片寄って、半ば外にとび出してしまっているが、しかし軽快な一種のエロティシズムを体現している。この写真は、重苦しい欲望、ポルノ写真の欲望と、軽やかな欲望、快い欲望、エロティシズムの欲動とを区別するようにうながす。要するに、これはおそらく《シャッター・チャンス》の問題なのであろう。写真家は、青年(メイプルソープ自身だと思う)の腕がうまいぐあいに広げられ、実に屈託のない形になった瞬間を固定した。あと数ミリの過不足があっても、青年の推測される肉体はもはや好意をこめて提供されることはなかったろう(ポルノ写真の肉体は濃密で、自己をみせびらかすが、しかしそれを与えはしない。そこには少しも寛容さがない)。「写真家」は欲望の好機を、カイロスをとらえたのである。(ロラン・バルト『明るい部屋』「見えない場」より P70-71)

わたくしはここあるカイロスをとらえる仕方、あるいはブンクトゥムをとらえる仕方を、享楽をとらえる仕方と読む。もちろんそれは「神々しいトカゲ」をとらえることとしてもよいし、あるいは対象aをとらえる仕方としてもよいかもしれないが、それは後述する。ここではただ《欲望が享楽に向かって進もうとするときはいつでも、それはトカゲの尻尾のように落ちる[ca tombe]》(ラカン=ミレール)とだけしておく。

プンクトゥムと享楽の関係については「ベルト付きの靴と首飾り (ロラン・バルト)」を見よ。そしてカイロス的時間にまったく不感症であるらしい巷間の「知識人」なる種族への嘲弄は、「写真の本質の飼い馴らし、あるいは白痴が微笑む世界」で書いた。


ところで、Paul Kingsburyの書評には、次の文がある。

Nietzsche's beautiful notion of “doves' feet” (Taubenfüssen) suggests that many of the world's events are guided by the silent realms of thought. The German word “Taube” also refers to a deaf person.

すなわち「最も静かな時刻」も、ニーチェの核心であり、それは「鳩の足」とともに訪れる。

嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。(『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

真の詩人たちは、とっくの昔からわかっている(参照:逃げ水と海へ向かう道)。だが「詩人」ではなさそうな印象を受けていたジュパンチッチから出てきたたことが、わたくしには尊い。


(スロベニア「ラカン派哲学者」三人組)

この写真だけみると「詩人」的な繊細さを醸しだしていないでもないが、次の文章の印象が強すぎた。おそらく下品さの臭気を意図して?振り撒くジジェクの「悪影響」というものなのだろう。すなわち、《私の深い不信は、ハイデガーのようなパセティックなスタイルだ。私には物事を俗化させたい純然たる強迫がある。その俗化とは、物事を単純化するという意味ではなく、<物>へのパセティックな同一化を崩壊させたいという意味である。だから私は、最も高級な理論から、最も低劣な事例に、唐突に飛ぶのを好むのだ。》(『ジジェク自身によるジジェク』私訳

結局、「お前の妹(姉さん、母さん)、すぐにやらせてくれるって話じゃないか」などといった罵り文句は、「〈女性〉は存在しない」という事実、ラカンの言葉を借りれば、彼女が「完全ではない」、「完全に彼のものではない」という事実を、下世話な言葉で表現したものである。「女性は非-全体である」という命題は、女性ではなく男性にとって耐えがたい。それは、男性の存在の内、象徴界における女性の役割の内に注ぎ込まれた部分を脅かすのである。この種の中傷に対する男性の極端な、全く法外な反応――殺人を含む――を見てもいいだろう。これらの反応は、男性は女性を「所有物」だと見なしている、という通常の説明で片づけられるものではない。この中傷によって傷つけられるのは、男性がもっているものではなく、彼らの存在、彼らそのものである。関連する命題をもうひとつ紹介して、ドン・ジュアンに返ろう。「〈女性〉は存在しない」という命題を受け入れるなら、スラヴォイ・ジジェクが言うように、男性の定義は次のようなものになる――男性とは「自分が存在すると信じている女性である」。( アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理―カントとラカン』冨樫剛訳)

1949生まれのジジェクが脳溢血でくたばっても、1966年生まれのより繊細なラカン派ジュパンチッチはまだ長らく活躍してくれるだろうから、そろそろ馬を乗り換えてもよい時期かもしれない。ただし、「真の詩人」の宿命として、政治的な言動はやや欠けざるをえないだろう。

私ともあろう者がこの著者に先を越されるとは! こんなヤツは、本なんか書く前にさっさとくたばってしまえばよかったのだ! アレンカ・ジュパンチッチ『リアルの倫理』の序文(ジジェク)

…………

鳩歩む この静かな屋根は
松と墓の間(ま)に脈打って
真昼の海は正に焔。
海、常にあらたまる海!
一筋の思ひの後のこの報ひ、
神々の静けさへの長い眺め

(ヴァレリー『海辺の墓地』中井久夫訳)

坂を上つて行く 女の旅人
突然後を向き
なめらかな舌を出した正午

(西脇順三郎『鹿門』より)

不安がもだえそうに淡い炎がゆだっている
道端の青い小さな花を煮る六月十日は、
(ひそひそと話をしている)
(柑子の木のあたり、雨に濡れそぼって、ふたりで、小声で)
(おおそのうえ古語で、)
(聞き取れない話をしている。雨の庭の古い濡れた柑子の木のあたりで)
((ちがうよ、あれは鳩だよ))
(人の様な、くぐもってずっと話している。何十羽もいる。)
何十羽も鳩がいる。茂みのなかで鳴いている。
遠く潰れた緑のうえに、
誰かの面影が、こんもりと盛られて、動かないでいる。
今は時々きらっと反射して、
もうすぐ隠れて
見えなくなる。
暁方ミセイ「極楽寺、カスタネアの芳香来る」より)

ニーチェも正午を探していると言っていた。垂直に光が差す。影の消える刻限。一瞬だけ原型さえもが見えなくなる。夜は思い出でさえなくなり、昨日のなかへ遠ざかり、消滅する。樹々の影も一瞬消え失せ、キリコの絵のなかの街路も、また別の日常の神秘に覆われることになる。見回しても、輪遊びしている少女もいない。ありえない蒸発、停止。諸々の生の停滞、とランボーがうんざりして言ったのはこのことではない。そうではなく、ただひとつの停止。あっという間のことである。一瞬だけ感情も来歴も何もかもが外に追い出される。お払い箱なのだ。(鈴木創士「正午を探す街角」ーー見出された「権力への意志」=「死の欲動」より)

おわかりだろうか? こういったことに不感症になのが「学者」という種族の特徴である。とはいえ、わたくしはどちらかというと遠慮深いほうなので、鉤括弧をつけているが、出来事の哲学者は鉤括弧さえつけない。

学者というものは、精神上の中流階級に属している以上、真の“偉大な”問題や疑問符を直視するのにはまるで向いていないということは、階級序列の法則から言って当然の帰結である。加えて、彼らの気概、また彼らの眼光は、とうていそこには及ばない。(ニーチェ『悦ばしき知識』)

もちろんプルーストも大江健三郎も「詩人」である。

ふだんはけっしてつかむことができないものーーきらりとひらめく一瞬の持続、純粋状態にあるわずかな時間――を、獲得し、孤立させ、不動化することをゆる(す)(プルースト「見出された時」ーー見出された「権力への意志」=「死の欲動」

プルーストの、この時間が垂直的に立ち上がる静けさの刻限、あのカイロス的刻限が、どうして大江健三郎の「一瞬よりいくらか長く続く間」でないことがあろう。

――……この一瞬よりはいくらか長く続く間、という言葉に私が出会ったのはね、ハイスクールの前でバスを降りて、大きい舗道を渡って山側へ行く、その信号を待つ間で…… 向こう側のバス・ストップの脇にシュガー・メイプルの大きい木が一本あったんだよ。その時、バークレイはいろんな種類のメイプルが紅葉してくる季節でさ。シュガー・メイプルの木には、紅葉時期のちがう三種類ほどの葉が混在するものなんだ。真紅といいたいほどの赤いのと、黄色のと、そしてまが明るい緑の葉と…… それらが混り合って、海から吹きあげて来る風にヒラヒラしているのを私は見ていた。そして信号は青になったのに、高校生の私が、はっきり言葉にして、それも日本語で、こう自分にいったんだよ。もう一度、赤から青になるまで待とう、その一瞬よりはいくらか長く続く間、このシュガー・メイプルの茂りを見ていることが大切だと。生まれて初めて感じるような、深ぶかとした気持で、全身に決意をみなぎらせるようにしてそう思ったんだ……

それからは、自分を訓練するようにして、人生のある時々にさ、その一瞬よりはいくらか長く続く間をね、じっくりあじわうようにしてきたと思う。それでも人生を誤まつことはあったけれど、それはまた別の問題でね。このように自分を訓練していると、たびたびではないけれどもね、この一瞬よりはいくらか長く続く間にさ、自分が永遠に近く生きるとして、それをつうじて感じえるだけのことは受けとめた、と思うことがあった。(大江健三郎『燃え上がる緑の木 第一部』ーー「一瞬よりはいくらか長く続く間」より)


大江健三郎でさえも(シツレイ!)、こうやって「正午」を探しているのだ。〈あなたたち〉も探さなければならない。

…………

「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」とは、ジュパンチッチの書を読まないままのわたくしの臆断だが、「ドッペルゲンガーを纏う」とも読みたくなる。それは、フロイトの「異物Fremdkörper」やラカンの「外-密ex-timate」を纏うといしてもいいが、それでは話が長くなるので、「ドッペルゲンガー」に搾る(参照:天動説のままの阿呆鳥、あるいは「死の欲動」)。


ここで夏目漱石が真の「詩人」となった遺作『明暗』末尾近くの驚くべき文章をいくらか要約・引用してみよう。いやその前にこうやって引用してから始めよう。

『猫』は今日読む能わず、『こころ』は読み得るかも知れないが、我々の文学世界に何らの新しい現実を加えていない。新しい現実は、『明暗』のなかにある。私は、『明暗』によって、又『明暗』によってのみ、漱石は不朽であると思う。そして、『明暗』は、漱石の「知性人たる本質」によってではなく、知性人たらざる本質によって、その他のすべての小説が達し得なかった、今日なお新しい現実、人間の情念の変らぬ現実に達し得たと思う。(加藤周一「日本文学の変化と持続」)

…………

津田は到宿当夜、――翌朝、療養中のかつての女清子に果物籠を届けることになっているーーひと風呂浴びたあと自分の部屋に戻ろうとして、建て増しのために錯綜としている温泉宿の廊下に迷ってしまう。広い宿は深閑としており部屋の在り処を尋ねる女中も見当たらない。行き当たりばったりに、ふと筋違いの階子段を二、三段あがると、《洗面台の白い金盥が四つほど並んでいる中へ、ニッケルの栓の口から流れる山水だか清水だか、絶えずざあざあ落ち》ているのに、眼が、が、吸い込まれていく。《縁を溢れる水晶のような薄い水の幕の綺麗に滑って行く様が鮮やかに眺められた。金盥の中の水は後から押されるのと、上から打たれるのと両方で、静かなうちに微細な震盪を感ずるものの如くに揺れた。》津田はその水の渦巻に魅入られる。《ただ彼の眼の前にある水だけが動いた。渦らしい形を描いた。そうしてその渦は伸びたり縮んだりした。》大きな鏡があって、「自分の影像」が映る。《これが自分だと認定する前に、これは自分の幽霊だという気が先ず彼の心を襲った。》(『明暗』第百七十五章)――こうやって、彼自身のなかにあって彼以上のもの(対象a)、彼の分身、ドッペルゲンガーに出会う。

ここで津田は、「自分の中にある自分以外のもの」 , 「私」である手の出せない/思いもよらない対象」、すなわち対象aに出会っているのだ。「鏡に対する結果としてはこの自信(眼鼻立の整った「顔の肌理も男としてはもったいないくらい濃か」な好男子)を確かめる場合ばかりが彼の記憶に残っていた」その姿ではなく、「いつもと違った不満足な印象が鏡の中に現われた」。

ジュパンチッチは、「鳩の足」の刻限に、二つのものが一つになるのではなく、一つのものが二つになるとしている。それと同様に、「自己」=一つのものでしかなかった津田は、自己と「自分の影像」=斜線を引かれた主体$の二つのものになる動きに襲われたのではないか。このことが「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」なのではないか。そして自分の影を纏うとは、この対象aを纏う、ドッペルゲンガーを纏うことではないか。もっともジュパンチッチの次ぎの文章をそう読むのは牽強付会にすぎるという見解はあるだろう。


The thing (as one) no longer throws its shadow upon another thing; instead it throws its shadow upon itself, thus becoming, at the same time, the thing and its shadow.

いずれにせよ、『明暗』には、あの第175章(あるいはそれに引き続くいくつかの章)に、津田が襲われた「最も静かな時刻」がある。「それ自身の影を纏う」刻限はなにも「正午」だけでなくてもよい。

きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ。(……)

君たちは、眠りに落ちようとしている者を襲う驚愕を知っているか。――

足の指の先までかれは驚愕する。自分の身の下の大地が沈み、夢がはじまるのだ。

このことをわたしは君たちに比喩として言うのだ。きのう、最も静かな時刻に、わたしの足もとの地が沈んだ。夢がはじまった。

針が時を刻んで動いた。わたしの生の時計が息をした。――いままでこのような静寂にとりかこまれたことはない。それゆえわたしの心臓は驚愕したのだ。

そのとき、声なくしてわたしに語るものがあった。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ」――

このささやきを聞いたとき、わたしは驚愕の叫び声をあげた。顔からは血が引いた。しかしわたしは黙ったままだった。

と、重ねて、声なくして語られることばをわたしは聞いた。「おまえはそれを知っているではないか、ツァラトゥストラよ。しかしおまえはそれを語らない」――

と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった、「欲しないというのか、ツァラトゥストラよ。そのことも真実か。反抗のなかに身をかくしてはならない」――

そのことばを聞いて、わたしは幼子のように泣き、身をふるわした。そして言った。「ああ、わたしはたしかにそれを言おうとした。しかし、どうしてわたしにそれができよう。そのことだけは許してくれ。それはわたしの力を超えたことなのだ」
と、ふたたび声なくしてわたしに語られることばがあった。「おまえの一身が問題なのではない、ツァラトゥストラよ。おまえのことばを語れ、そして砕けよ」――
(……)
と、ふたたびささやくようにわたしに語りかけるものがあった。「嵐をもたらすものは、もっとも静寂なことばだ。鳩の足で歩んでくる思想が、世界を左右するのだ。

おお、ツァラトゥストラよ、おまえは、来たらざるをえない者の影として歩まねばならぬ。それゆえおまえは命令しなければならぬ。命令しながら先駆しなければならぬ」――

わたしは答えた。「わたしは羞恥を感ずる」と。

と、ふたたび声のない声はわたしにむかって語りかけた。「おまえはこれから幼子になり、そして羞恥の思いを放棄しなければならない。

青年期の誇らしさがまたおまえを離れない。おまえは青年になることがおそかったのだ。しかし幼子になろうとする者は、おのれの青年期をも乗り超えなければならぬ」――(『ツァラトゥストラ』第二部 「最も静かな時刻」 手塚富雄訳)

ここには《きのうの夕方ごろ、わたしの最も静かな時刻がわたしに語ったのだ。つまりこれがわたしの恐ろしい女主人の名だ》とある。あるいは、《彼女の名(女主人の名)をわたしは君たちに言ったことがあるだろうか》ともある。

わたしのほかに誰が知ろう、アリアドネが何であるかを!……これらすべての謎は、いままでだれ一人解いた者がなかった。そこに謎があることに気がついた者さえいるかどうか疑わしい。(ニーチェ『この人を見よ』手塚富雄訳

ニーチェの遺稿には、《迷路の人間は、決して真実を求めず、ただおのれを導いてくれるアリアドネを求めるのみ。》(ニーチェ 遺稿)とある。

賢くあれ、アリアドネ!……そなたは小さき耳をもつ、そなたはわが耳をもつ。(ニーチェ『ディオニュソスーディテュランボス』(Dionysos-Dithyrambus)第七歌「アリアドネの嘆き」(Klage der Ariadne)より

こうやって並べて、わたくしが何をいいたいのかを書くのは、蛇足というものだろう(参照:「ニーチェとフロイトの「エスEs」)。


…………

※附記1

二重自我のモティーフは、オットー・ランクの同名の研究論文で、きわめて詳細に論及されている。第二の自我の、鏡にうつる像、影の像、守護神、生霊説、死の恐怖などにたいする諸関係がここに研究されているが、このモティーフの驚くべき発展史もまたここに明らかにされている。というのは、ドッペルゲンゲル(二重自我)とは、そもそも自我の消滅にたいする保障、ランクの言葉によれば、「死の偉力を断固として否定すること」であったのである。どうやらあの「不死」の魂こそは、肉体の最初のドッペルゲンゲルであったらしいのである。死滅にたいして防御するための、そのような換え玉作製は、性器象徴の倍加、あるいは複数化によって去勢を表現したがる夢言葉の描写のうちにその対応物ともいうべきものをもっている。これこそ古代エジプト文化において、死者の像を永続する素材のうちに形どっておく技術の原動力となったものである。しかしこれらの諸表象は、原始人や子供の精神生活を支配している無限のナルシシズム、原始的ナルシシズムの基盤の上に生じきたったものであって、この段階を克服すると、ドッペルゲンゲルの形にも変化が起こって、かつては永生の保証であったものが、今は無気味な死の前触れとなるのである。

ドッペルゲンゲルという表象はこの原始的ナルシシズムとともに没落することを要しない。なぜならこの表象は、自我のその後の発展段階から新しい内容を獲得することができるからである、自我のうちには徐々に、爾余の自我と対立する特殊な一部分が形成されて、この一部分が自己観察、自己批評の役割を果たし、心的検閲の仕事を行ない、やがてわれわれの意識にたいして「良心」として立ち現われてくるものなのである。監視妄想の病的ケースにあってはこの一部分が孤立し、爾余の自我から分離されて、医師に気づかれるようになる。爾余の自我をまるで他人のもののように扱いうるような自我の一部分が存在するという事実、つまり人間は自己観察をする能力があるという事実が、古いドッペルゲンゲルの表象を新しい内容をもってみたし、またこの表象にいろいろなものを、なかんずく自己批評の眼には原始時代の、あの古い、すでに克服されたナルシシズムに属するかのように見えるもの一切をなすりつけることを可能にするのである。

しかし自己批評にとって不快な内容のみがドッペルゲンゲルになすりつけられるのではなくて、空想がいまだにそれに執着しているところ、実現されることのなかった運命形成の一切の可能性、また外的な不運によって貫徹されなかったところの、一切の自我の目標、同様にまた自由意志という錯覚を生んだところの、あらゆる禁圧された意志決定も同じくこのドッペルゲンゲルに委譲されるのである。(フロイト『無気味なもの』ーー「かつて二度訪ねたことのある家(フロイトと漱石)」より)

(Mark Rothko)


※附記2


【ラカンのテーゼ】

現実の領域は<対象a>の除去の上に成り立っているが、それにもかかわらず<対象a>が現実を枠どっている。(Ecrits)


◆ミレール(Montre a Premontre, in Analytica 1984)より


対象を<現実界>として密かに無視することによって、現実の安定が「ひとかけらの現実」といして保たれているのだ、とわれわれは理解している。だが、<対象a>がなくなったら、<対象a>はどうやって現実に枠をはめるのか。

<対象a>は、まさしく現実の領域から除去されることによって、現実に枠をはめるのである。

右の絵から斜線を引いた長方形を取り除くと、ちょうど額縁のようなものができる。それは穴にとっての枠であるが、同時に残りの表面にとっても枠である。こうした枠はどんな窓によっても作ることができる。、<対象a>というのはこのような表面の断片であり、それを取り除くことが、それに枠をはめることになるのである。主体とは、すなわち斜線を引かれた主体とは、存在の欠如であるから、この穴のことである。存在としては、この除去されたかけらにほかならないのである。主体と<対象a>は等価である、とはそういうことなのである。

このミレールの説明における主体とは、斜線を引かれた主体$のことであり、われわれはそれ以外にもイマジネールな自己やシニフィアンの主体を持っている。ここではそれを、仮に「シニフィアンの主体」と総称しておこう(想像界は象徴界によって、すでにーいつも構造化されているのだから)。対象aを取り除いたシニフィアンの主体として日常生活をおくっているわれわれは、あるとき己れの対象aに遭遇する。

ジュパンチッチの云う、一つのものが二つになる、あるいは事物は「それ自身の影を纏うdressed in their own shadows」とは、この遭遇のことを(も)意味するのだろうと取り合えず憶測しておく。