現在の米国の有様を見れば、精神病の精神療法は、医師の手を離れて看護師、臨床心理士の手に移り、医師はもっぱら薬物療法を行っている。わが国もその跡を追うかもしれない。すでに精神療法を学ぼうという人たちの多くは、医師よりも臨床心理士ではないだろうか。(中井久夫「統合失調症の精神療法」1989)
………………
表題を「寝椅子の時代の終わり」としたが、実際上は、いまだやっているのだろうし、フロイト時代のような寝椅子分析に適した旧症状(精神神経症)の患者も細々と生き残っているのだろう。
なおかつ、以下の文は、「移り変わる空間 transitional space」の後半にあるジャック=アラン・ミレールの精神分析臨床の「測り知れない価値」を説く文を読んでからにしたほうがよいかもしれない。
いずれにせよ、ここにあるのは、まったく専門家でない者のほぼ純粋な私訳メモにすぎない。
ベルギーの臨床医ーー英語圏ではラカン理論の代表的論客のひとりーーポール・ヴェルハーゲの考え方の備忘メモが中心であるが、彼にはミレール批判があることを先に示しておく。
……ポストラカニアンは、実にこれを「ふつうの精神病」用語で理解するようになっている。私はこれを好まない。二つの理由があります。一つは、「ふつうの精神病」概念は、古典的ラカンの意味合いにおける精神病にわずかにしか関係がない。もう一つは、さらにいっそうの混乱と断絶をもたらしています。非精神分析的訓練を受けた同僚とのコミュニケーションとのあいだの混乱・断絶です。(PSYCHOANALYSIS IN TIMES OF SCIENCE”(An Interview With Paul Verhaeghe,2011ーーふつうの妄想・ふつうの父の名・原抑圧の時代)
なおかつ強いDSM (精神障害の診断と統計マニュアル)批判の論客でもある。だがここでは中井久夫の「黒船」襲来という文だけを掲げておこう。
1980年に米国でDSM‐Ⅲが公刊されると、この黒船によって、日本の精神医学はがらりと変わった。本質的にクレペリン精神医学によって立ち、クルト・シュナイダーK.schneiderの操作主義とエルンスト・クレッチマーE.Kretschmerの多次元診断によって補強されたDSM体系は、日本の精神医学の風土を変えた。(中井久夫『関与と観察』)
さらに、さきに次の文を抜き出しておく(座談会「来るべき精神分析のために」(十川幸司/原 和之/立木康介、2009/05/29 岩波書店)よ十川幸司氏の発言)。
ところで先ほど精神病患者の変化という話をしましたが、 精神分析に来る患者も時代とともにずいぶん変わっています。
フロイトでも初期に診ていたヒステリー患者と、晩年に診ていた患者とではその間に大きな変化があります。 しかし、 全般的に言えるのは、 フロイトの時代と比べて、 今は患者がみずからの生を物語る能力がなくなってきている、 ということです。 このような現象も病理の軽症化と何らかの関係があるのかもしれません。 フロイトの患者たちは物語る能力に長けています。 そして、 その語りが、 患者が秘めた病理に向かって収束されていきます。 一方で、 現代の患者たちは--ヒステリー患者は貴重な例外です--みずからの生を散漫とした形で、 明確な歴史もエピソードも作ることなく生きているように思えます。 そういう患者たちの語りは、 病理の所在がはっきりせず、 また語りが病理の核心に向かうことがない。 こういう患者側の変化も精神分析の衰退の一つの要因になっているように思えます。 つまり、生が希薄化、 断片化していて、 しかもそれらが言葉によって歴史化されていないため、言葉を治療手段とする分析治療が鋭角的な手ごたえをもったものとして機能しない。
もちろん分析家の側にも責任はあるでしょう。 分析家は、 患者の側の変化を敏感に感じ取ることなく、 いまだに硬直した理論で分析行為を行っています。 患者の生のあり方が変わってきたなら、 それに即して分析家は新しい臨床を始めていくべきなのです。それがほとんどなされていないのが現状なのです。
…………
さてここでの本来のメモである。
ほぼ 15 年前ほどから私は感じはじめた、私の仕事のやり方、私の伝統的な精神分析的方法がもはやフィットしないようになってしまったと。私はとても具体的にこれが確かだとすることさえできる。あなたが分析的に仕事をしているとき、いわゆる予備会話をするだ ろう。この意味は誰かを寝椅子に横たえる瞬間をあとに延ばすということだ。あなたはいつ 始めるかの目安をつかむ。あなたが言うことが出来る段階のね。さあ私は患者を寝椅子に 横たえるときが来た、と。ところが多くの患者はこの段階までに決してならない。というのは 彼らが訪れてくる問題は、寝椅子に横たえさせると、逆の治療効果、逆の分析効果をもっ ているから。
それで私は自問した、これはなんだろうと。ここで扱っているのはなんの問題なんだろう? と。どの診断分類なのだろう? あらゆる診断用語のニュアンスを以て、どの鑑別的構造に 直面しているのだろう? 私が思いついた最初の答、それによって擁護しようと思った何か、 いまもまだ擁護しようとしているものは、フロイトのカテゴリーAktualpathologie(現勢病理≒ 現勢神経症)だった(参照1、参照2)。
ここに私はこれらの患者たちのあいだに現れる数多くの症状の処方箋を見出した、まずは パニック障害と身体化 somatisation だった、不十分な象徴化能力、徹底操作や何かを言 葉にする能力の不足とともに。これが我々の最も重要な道具、「自由連想」を無能にしたのだ。
古典的な精神神経症のグループは意味の過剰に苦しんだ、ヒストリー=ヒステリーの過剰、 イマジネールなものの過剰に。そしてこれがあなたが脱構築しなければならないものだっ た。新しいグループは全てのレヴェルでこれらが欠けている。かつまた彼らは他者を信頼 しない。転移があるなら陰性転移しかない。象徴化の能力はほとんどない。ヒストリー(歴史)も同じく。
いや彼らにヒストリーはある。だがそのヒストリーを言語化できない。…私はなんと逆の方向に仕事をしなければならないのだ。
社会的側面に戻れば、私が自問したのはなぜこのようなラディカルな移行が起こったのか、 ということだ。なぜ古典的なヒステリーや強迫神経症者が少なくなったのか?…
答えは母と関係がある。母と子どものあいだの反映、つまり鏡(像)の過程にある。… 結果として我々は視界を拡げなければならない。母が以前に機能したようにはもはや機能 していないのなら、異なった社会的文脈にかかわるにちがいない。そのときあなたは試み なくてはならないーーこれは古典的な分析家/心理学者にとってはひどく難しいのだが ーー何を試みるべきかといえば社会的要因への洞察を得ようとすることだ。
さらに、あなたはイメージを形成するようにしなくてはならない、素朴な解決法に陥らないよ うにしながら。だから私は母親非難 mother-blaming モデルの考え方を捨て去った瞬間を とてもよく覚えている。私はとても素早くそうした。そのモデルには別の危険が潜んでいる、 すなわち保守主義だ。…
こういった理由で、治療はむしろ数々の象徴化の構築の手助けに焦点を絞ることになる。 それは古典的な神経症の治療とは全く逆だ。神経症では象徴化があまりにも多くありそれ を剥ぎとらなければならない。(ヴェルハーゲ、2011、私訳)
ーーというわけだが、寝椅子の治療、すなわちその典型である自由連想が機能しないとしたら、何をすべきなのか。上に「象徴化の構築の手助け」とヴェルハーゲは言っているが、症例ジョイスに触れつつのロレンツォ・キエーザ、2007ーー彼はジジェクがしばしば引用したりその著書を紹介したりして名が知れるようになったーー も似たようなことを言っている(参照:「象徴界のなかの再刻印・再象徴化(ジョイス=サントーム)」)。
そして、Geneviève Morel の‘Fundamental Phantasy and the Symptom as a Pathology of the Law'(2009、PDF)からも、いくらか私訳引用しておこう。
ラカンはその教えの最後で、父の名と症状とのあいだの観点を徹底的に反転させた。彼の命題は、父の名の「善き」法にもかかわらず症状があるのではなく、父の名自体が、あまたある症状のなかの潜在的症状ーーとくに神経症の症状--以外の何ものでもない、というものだ。ヒステリーの女性たちとともにフロイトによって発明された精神分析は、まずは、父によってつくり出された神経症的な症状に光を当てた。だが、精神分析をこれに限るどんな理由もない。事実、精神病においてーーそれは格別、我々に役立つ--、主体は、母から分離するために、別の種類の症状を置こうと努める。
この新しい概念化において、症状は、たとえ主体がそれについて不平を言おうとも、母から分離し、母の享楽の虜にならないための、必要不可欠な支えなのだ。分析は、症状の病理的で過度に制限的な側面を削減する。すなわち、症状を緩和するが、主体の支えとしての必要不可欠な機能を除去はしない。そして時に、主体が以前には支えを仕込んでいない場合、患者が適切な症状を発明するよう手助けさえする。(Geneviève Morel、2009)
現代ラカン派の最先端のひとつ、サントームの治療自体、この症状の構築の手助け(その代表的なものとして妄想形成)のことをほとんど言っているようにみえる(もっともラカン主流派が寝椅子をやめにしているとはわたくしには思えないが、詳しいことは知らない)。
たとえば、ミレール派のThomas Svolosによるサントーム小論(Ordinary Psychosis in the era of the sinthome and semblant)にはこうある。
「彼自身の個人的神話の創造」、「大他者とのひとつの絆の創造」、「世界において交渉可能性を彼に与える象徴的な母体の創造」、「大他者の言説へ入り込むことを彼女に容認させること」、そして「ファミリーロマンスを構築」……(《症状のない主体はない》)
要するに、患者に精神神経症的症状があれば、その症状を場合によっては脱構築して、新しい症状(サントーム)を再構築する。身体的な(原)症状しかない現勢神経症のような状態の場合、むしろ新しい症状の構築が主眼になる、ということではないか。すくなくとも、Thomas Svolos が次のように言っているのは、その文脈のなかにあるように、わたくしは思う。≪父の名は単にサントームのひとつの形式にすぎない。父の名は、単に特別安定した結び目の形式にすぎないのだ≫。
ヴェルハーゲもしかり。
……精神分析実践の目標は、人を症状から免がれるように手助けすることではない……。正しい満足を見出すために症状から免れることではない。目標は享楽の不可能の上に異なった種類の症状を設置 install することである。(PAUL VERHAEGHE,new studies of old villains A Radical Reconsideration of the Oedipus Complex,2009ーーエディプス理論の変種としてのラカンのサントーム論)
≪なぜ我々は新しいシニフィアンを発明しないのか? たとえば、それはちょうど現実界のように、全く無意味のシニフィアンを。≫[Pourquoi est-ce qu'on n'inventerait pas un signifiant nouveau? Un signifiant par exemple qui n'aurait, comme le réel, aucune espèce de sens?](Lacan, Le Séminaire XXIV, L'insu que sait de l'une bévue, s'aile a mourre,)
ラカンはこの自己によって創造されるフィクションを、サントームと呼んだ。…新しいシニフィアン或いはサントームの創造の文脈における創造とは、〈大他者〉の欠如の上に築き上げられるものである。すなわち creatio ex nihilo 無からの創造においてのみ。(Paul Verhaeghe and Declercq"Lacan's goal of analysis: Le Sinthome or the feminine way"2002.)
もちろんよく知られているように(?)、新しいシニフィアンのなかには、倶利伽羅紋々シニフィアンもある(実際にヤクザの若い衆は「タトゥー」等をすることで初めて身体の享楽ーー攻撃欲動などーーをいくらか飼い馴らせるようになるのではないだろうか)。
刺青は、身体との関係における「父の名」でありうる。…(場合によって)仕事の喪失は精神病を引き起こす。というのは、仕事は、生活手段以上のものを意味するから。仕事を持つことは「父の名」だ。
ラカンは言っている、現代の父の名は「名付けられる」 êtrenommé-à こと、ある機能を任命されるという事実だと。社会的役割にまで昇格させる事、これが現在の「父の名」である。 (Miller, J.-A. (2009). Ordinary psychosis revisited. Psychoanalytic Notebooks of the European School of Psychoanalysis、私訳,PDF)